田中角栄首相の国会質疑答弁 |
(最新見直し2007.5.19日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
「田中角栄の国会演説と各党の代表質問」を読んでいる最中であるが、角栄の政治に対する真摯さと日本語の巧みさに敬服させられている。角栄の場合、官僚作成ではない自著の作風が認められ、どの程度かは自前で書き上げている。あるいは当人が下書きしているのかもしれない。質疑でも即興で答弁しているところもあるやに見受けられる。学ぶべし学ぶべしであろう。 2007.5.19日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評292 | れんだいこ | 2007/05/18 |
【国会質疑の物足りなさ考】 先ほどの国会での質疑に物足りなさを覚えたのはれんだいこだけだろうか。ちらっと聞いた程度なので即断するのは早すぎるかも。しかし、どのやり取りにも不満を覚えたので、熱心に見ても一緒ではなかろうか。民主党の突っ込みに食傷した。出自が同じ元々似たもの同士の限界なのだろうか。そういう気がした。とはいえ、共産党や社民党のそれが良いという訳ではない。全体として不作なのだ。 そういう折、れんだいこは論文集に「田中角栄演説集」を加えた関係上、田中首相の所信表明演説を読む機会に恵まれた。読んでみて今日びのそれと比べてはるかに質の高いことに驚いた。加えて、国会演説調査研究会編集の「田中角栄の国会演説と各党の代表質問」を見つけ、ネットで取り寄せ読んでみた。上下巻あり、田中首相の所信表明に対する各党代表の質疑とそれに対する応答が記録されている。各党代表の質疑も真剣で、田中首相の答弁も真剣で説得的であるあることに驚かされる。既に忘れた時代のやり取りであるが、新鮮であった。 政治の再生は同時に国会再生でもあるし、あらねばならぬ、そう思った。最近の政治思潮は全てネオ・シオニズム・テキストに則ってのものであり、口先とは別に国を思い民族を愛する思いを期待することは出来ない。与野党共々がこれに被れている。民主党タカ派の目先を変えただけの馴れ合い質疑は聞くに堪えぬ。社民党、共産党のそれは、そもそも政権を担う気概の無い口先批判だけの万年野党性のものであるから頼りにならない。この状況で、我が党こそは正義の党で唯一の確かな野党ですなどと聞かされたら脳を患う。この連中とは話が通じないことおびただしい。 という訳で、現下政治の貧困を打開したい。憲法改正反対なら、それが実現するよう最善の努力と智恵を絞りたい。その障害となる悪徳論理と論法に批判を加え、共同戦線運動に向かいたい。これしかなかろう。ハト派系と左派系が表と裏から気脈通じ、60年安保闘争以来の人民的抗議運動の盛り上がりでネオ・シオニストのシナリオを粉みじんにしてみたい。 国会質疑でも、ネオ・シオニズムの御用聞き政治を厳しく追い詰める舌鋒を聞きたい。内外呼応して国会を震撼させよ、今はそれ以外に無い。一刻も早くハト派系政治家、左派系政治家の登場し易い活躍し易い政治環境を創らねばならない。この観点に与するものと、理屈をつけて与させないようにするものとを識別せねばならない。れんだいこは、そして我が党はそう思う。独断でこう書いたが、党員の皆様よろしかったでせうか。 |
Re:れんだいこのカンテラ時評295 | れんだいこ | 2007/05/21 |
【田中角栄首相の国会質疑答弁考】 過日偶然「田中角栄の国会演説と各党の代表質問」があることを知り、これを取り寄せ、田中角栄首相の国会質疑答弁を知ることが出来た。印象は、角栄が政治に非常に真剣であり、誠実に答弁しており、それも論証的であり、且つ日本語としてもきれいであるということである。これは推測であるが、角栄の答弁は、その過半を角栄自身が認めているのではなかろうか。それほど肉声的であるからである。 別サイトで「角栄のハト派防衛論」を検証した。軍事防衛論のみならず、平和外交論と国際協調論のくだりを合わせればもっと充実するが、骨が折れるのと長文化し過ぎるので、軍事防衛論のみ抽出した。云える事は、今日の時点からは信じられないほどまさにハト派防衛論であり、それを実際の平和外交と国際協調に結び付けていたことにより、稀有な時代を創っていたことである。 今日でも左派圏では、角栄を諸悪の元凶として最も悪し様に云うほど左派的であるかのような変な観点がのさばっている。否左派圏のみならずメディア界でも、角栄を悪し様に批判するオクターブを上げた者が出世し要職を得ているやに見受けられる。こういう事情の為と思われるが、タカ派系の改憲策動に対して、同じ政府自民党にかって存在した角栄式ハト派防衛論を対置して論ずるものが居ない。それが為に、迫力の無い、互いが平行線のままの防衛論議、改憲論議、護憲論議が横行しているように思われる。 れんだいこは早くに現下日共の野坂−宮顕−不破指導部の変態性を指摘している。彼らは左派圏に紛れ込んだ本質体制派であり、その彼らが党内外の反対派に対して反共呼ばわりして批判するのは、そうしないと立つ瀬がないのであろうが、余りにも馬鹿げている。尤も、そうだそうだと相槌を打ってそれに従う者が居るからややこしいだけのことである。 れんだいこは、このことにつき、我がサイトで宮顕論、不破論、戦前党史論、戦後党史論、学生運動論その他その他で論証している。我々はこういう認識を獲得すべきであるが、未だ認知されていない。れんだいこの論証力不足という原因も考えられるが、今日の左派圏の頭脳の貧困と狭量と本質的に保守的気質の者が結集しているせいではなかろうかとも思う。 さて、それに比べて、角栄はどうだ。大平、善幸も加えてよい。池田も然りだ。戦後日本の政権党である自民党に存在し、首相職まで務めたが、共通して内治重視主義であり、戦後憲法のイデーを極力尊重した政治の舵取りをしてきた。れんだいこは、ひょっとして彼らこそ在地型社会主義者であったのではなかろうか。とすれば、当時の日本は、世界に類例の無い在地型社会主義を実践していた稀有な国になる、そうまで考えている。 もっとも、政府自民党はハト派とタカ派の寄り合い世帯であり、憲法と日米安保の二本立て政治をしており、教科書通りに反動保守の体制派とみなせる面も有るには有る。しかし、両者が内部対立しつつ表面的には日本式和的結合で政局運営していたとしたら、そういう弁証法的拮抗構図の中で政治をしていたとしたら、我々はそういう内部の変化にもっと関心を持つべきではなかったか。残念ながら、日本左派運動は、誰が首相を務めようとも、内部構造がどのように暗闘していても、一律的な政府自民党批判でやり過ごしてきてしまった。その実、ハト派駆逐に手を貸し、今日のようなタカ派独裁政権の登場を許してしまった。のではなかろうか。 ところが、唯一の例外がある。それは60年安保闘争であった。あの闘争で、タカ派のドン岸政権を引き摺り下ろし、その後20年間ハト派主流の時代を築く契機となった。60年安保闘争にはそういう歴史的意義と功績があるのではなかろうか。こういう目で見ると、興味深いことに、左派運動はハト派の時代に隆盛し、人民大衆は勤勉になり、タカ派の時代に沈滞し、人民大衆は勤労意欲を失う。こういうことが判明する。ところが、公認左派政党はつまり社共は、いつの時代でも通り一遍な反政府運動でやり過ごしている。特に日共は、ハト派と徹底抗戦し、タカ派とは表向き批判しつつも是々非々路線を採る気質傾向がある。こういうことが見えてくる。 あっいつものところへ落ちてしまった。これぐらいにしとこ。結論は、とにかく角栄を再評価し、その政治を再生せしめよ。あれは日本神話上、大国主命の政治であった。そういうDNAがあったということである。こういう観点からの角栄論も望まれているように思う。 2007.5.21日 れんだいこ拝 |
(私論.私見)