れんだいこの角栄演説、答弁考

 更新日/2016.6.12日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここに「れんだいこの角栄演説、答弁考」を記しておく。

 2007.5.17日 れんだいこ拝

Re:れんだいこのカンテラ時評その166 れんだいこ 2006/04/29
 (れんだいこのショートメッセージ)【角栄演説集サイトアップ。学ぶ者は学べ】

 片岡憲男著「田中角栄邸書生日記」(日経BP企画、2002.4.30日初版)を古書店で見つけ読んでみた。付録に「田中角栄総理大臣 主要演説」が掲載されていたので、ここにサイトを設けこれを転載しておく。その後、「データベース『世界と日本』」(東京大学東洋文化研究所田中明彦研究室 )にも採録されているのを見つけたので転載する。「田中角栄演説集」というのはあるにはあるようだが手元にないので、抄録としてれんだいこ構成でサイトアップする。

 れんだいこがここで角栄演説を採りあげる理由は、角栄の面白おかしい演説振りはまま知られているが、内容における真摯さに於いて顧みられることがない点を惜しむからである。角栄の実際の演説に耳を貸してみよ。政治に如何にまじめに遇していたのか伝わるであろう。その真摯さは後にも先にもなかろう。

 最近の政治の貧困は目に余るものがある。仮に良いことを云ったとしても薄っぺらで、うすら笑いに至ると寒いやら気色悪い。そこで、戦後政治の牽引役にして現下の小泉政治とは全く違う対照的な真の構造改革者であった角栄の見識を学ぶことで共に溜飲を下げたいと思う。

 それにしても、れんだいこは不快な思いがこみ上げてくるのを禁じえない。かの時、角栄を根限り悪し様に批判することで正義ぶった日共宮顕ー不破よ。あれから30余年過ぎた。れんだいこは、今に続くお前達のエセ左翼ぶりに改めて憤然とする。

 「エセ左翼による左からの痴態で左派運動の値打ちを落とし込め続ける」日共宮顕ー不破系党中央を引き摺り下ろさねば、左派運動の覚醒はない。日本左派運動の貧困は実にここに宿している。政治におぼこい連中にはここが分からない。

 思うに、小泉政権と不破系日共党中央の体質は何やら似ている。刺客送り込み、政敵の徹底的袋叩き、党中央拝跪型党運営、詭弁と開く直り、党内スパイ網等々。そういう意味で、小泉政権打倒と宮顕ー引き摺り降ろしは不即不離ではなかろうか。その小泉政権と一蓮托生した公明党神崎執行部の腐敗も酷い。いずれ天罰が下ろう。連中は、「歴史は消しゴムで消せない」ことを今に知るだろう。

 もう一つある。それにしても、角栄元凶史観の刷り込み洗脳は今も続いている。2チャンネル辺りで中曽根御大ー角栄元凶説を無茶苦茶な論法で振りまいている連中が論を張っている。「我そう思いたい故に我はそう信ずる」という原理主義に被れているのだろう。

 そういう連中は放っておいて、そこまで行かない連中はせめてここに設けた「田中角栄演説」の一言一句を噛み締めることで、マインドコントロールから自力救済して貰いたい。その労を惜しんで相変わらずのスタンスで居ると云うのなら勝手にせい、昔から自業自得と云う言葉がある。

 2006.4.29日 れんだいこ拝

 れんだいこのカンテラ時評bP145  投稿者:れんだいこ 投稿日:2013年 5月21日
 ありし日の角栄演説、答弁考

 2013.5月中旬頃、ネット検索で田中角栄の衆議院本会議発言一覧に出くわした。求めていたものであり感謝至極である。ここで御礼を申し上げておく。れんだいこは、これまで、角栄語録、角栄演説をそれなりに拾っているが、角栄の国会答弁の項はなかった。この穴が埋まった気がする。但し、そのまま転載すると膨大な量になるので、全文確認は当該サイトでお願いし、れんだいこサイトでは角栄発言部分のみを抜き書きし閲覧に供することにした。

 目下、整理しながら素読しているところであるが、角栄答弁の質の高さを改めて目を見張って驚かされている。同時に角栄が能動的に立ち働いていた時代の国会の質の高さが分かる。とにかくみんな真剣に議論していた。逆に云えば、目下の国会と比すれば目を覆わんばかりの惨状が透けて見えてくる。現在の国会議員は無論のこと、政治に志ある者は以下のサイトを必読せよ。角栄の肉声を聞け。まずこれを言っておきたい。

 「田中角栄の衆議院本会議発言一覧
 (http://kokkai.sugawarataku.net/giin/hhr00182.html)
 「(別章)田中角栄演説、答弁
 (kakuei/enzetu/enzetu.htm)


 して、角栄演説、答弁の特徴はどの辺りにあるのだろうか。れんだいこが読みとるのに、角栄演説、答弁は、簡略にして要点を得て指導性を発揮しており、弁舌の内容そのものが論証的且つ実践的である。しかして応答が非常に丁寧かつ誠実である。今時のように相手の政治家を「先生」などとおだてあげずに「君」づけで向きあっているが、この緊張感の方が小気味良い。答弁原稿に対しても官僚任せにせず、よしんば官僚作成の原稿であろうとも理解して目を通しており、よって今時のような原稿を間違えると云うような失態はない。そういう意味で総じてこの種の模範足り得ている。

 もう一つ感心することは、今日の諸課題に対しても通ずる処方箋を、かの時点ながら示している点である。国政上の諸課題につき多岐にわたって言及しており、それぞれの分野に於いて角栄の見識を示している。現代日本政治はこれを習うべきであろう。実際には反対のことばかりしているのだが。

 これらがあいまって、学卒としては随一の東大閥から最も遠いところに位置しながら政治能力に於いて何ら遜色がないどころか抜きん出て圧倒している。角栄に対して「カネで政治を買った」なる俗説で悪しざまに云う者が絶えないが、エエ加減にせよと怒鳴りたい。こういう政治家の登場は戦後日本の僥倖であった。角栄を評する際には、かく視座を据えるべきである。

 となると、日共、立花隆式の「角栄金権政治論」、「諸悪の元凶角栄論」とは一体何だったのだろうか。そのデタラメぶりが次から次へと明らかになりつつある。日共は、これに対する政治責任を自問自答することなく、つまり一片の自己批判なきまま、今日も正義の人として角栄の一番弟子・小沢どん排撃に向かっている。れんだいこ的には満腔の義憤を覚えずにはいられない。日共、立花隆式の口車に乗って、角栄を悪しざまに評すことで己の正義を語っている者は今からでも遅くない、本稿で認識を改めよ。日本政治史上の至宝とも云える田中角栄を失脚させた頃から日本の転落が始まった。その挙げ句が今日の惨状である。このことを深く知ってほしい。

 思えば、角栄は、日本政治史上に己の生きざま、履歴、日本列島改造論、演説、答弁と云う貴重な証人を遺していることになる。国際ユダヤの系類が束になって何百万言費やして角栄を罵り葬ろうとも、この証人を消せやしない。証人が自らことごとく払いのけ、角栄の真実を語り続けている。心ある者、聞く耳を持つ者はじっくりと読み耽り味わうが良かろう。みんなで手分けして角栄の見直しに向かおう。

 jinsei/


 政治評論家・小林吉弥氏の「田中角栄 侠(おとこ)の処世bQ0」(週刊実話2016.6.2日号62p)の一部を転載しておく。
 「強大無比、田中角栄の旧新潟3区の後援組織『越山会』のもう一つの圧倒的支持の背景には、聞く者をして飽きさせない『角栄節』と呼ばれた田中の名演説、名スピーチがあった。第一声の入り方、絶妙な間の取り方、比喩、例え話しをふんだんに織り交ぜて笑いを誘いつつ、突然、トーンを変えて数字の速射砲を浴びせかけ、現実を突きつけて聴衆の目を醒ます。また、時に情を編み込んでシンミリさせ、そこへ今度はどでかい夢を投げ掛ける。その上で、結びはビシッと押さえるというまさに緩急自在のそれであった。聞き終わった聴衆の誰もが酔い、『今日、来て良かった』と顔を紅潮させて家路に就く。田中は豪語していた。『私の演説はジイサン、バァサン、学生、会社の経営者、誰にも分かるようにできているめ』と。名演説、名スピーチとは何だろう。聞き手は、時にあらゆる層の人たちが集まっている。聴衆が何百人いようが一人一人と心を結べるか、対話が成立しているかに尽きる。一言で言えば、どう一体感を醸せるかだ。これが、肝ということである。但し、誰にもできる技ではない。(以下略)」。




(私論.私見)