2009角栄ブーム考、日本が元気だった時代の象徴田中角栄を語ろう

 更新日/2018(平成30).11.12日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 2008年末から2009年初にかけて角栄見直しブームが起きた。これを確認しコメントしておく。

 2008.3.23日 れんだいこ拝


Re::れんだいこのカンテラ時評515 れんだいこ 2009/01/12
 【産経新聞2008.12.23日付け記事「豪腕に郷愁? 今なぜか田中角栄ブーム」考】

 ネット検索で角栄を拾っていたら、産経新聞の2008.12.23日付け記事「豪腕に郷愁? 今なぜか田中角栄ブーム」を目にした。これについてコメントしておく。

 記事は冒頭で次のように述べている。「麻生太郎内閣の支持率低下が顕著になるなか、「平民宰相」、「今太閤」の異名をとった田中角栄元首相が、にわかにクローズアップされている。雑誌やテレビが相次いで田中元首相を取り上げ、存命ならどんな政策を打ち出すかと特集を組んだ。不況や雇用不安が続く現状を踏まえ、改めて田中元首相の手法に学ぶ視点だ。一方、清濁併せのんだ“昭和のカリスマ”の再評価を懸念する声もある。(伊藤弘一郎)」。

 これは、中立公正を旨とするマスコミの立場を思えばまずまずの書き出しのように思われる。とにかく「角栄ブーム」を報道したこと自体に価値があると云うべきだろう。

 記事にも書いているが、これに先立ち次のような動きがあった。「週刊ポスト」が「いまこそ田中角栄流」、「角栄政治にヒントがあった」の見出しで、田中元首相が蔵相時代の政策を例に挙げ、現在の不況対策としても通用するとの提言記事を掲載した。隔週誌「SAPIO」は計27ページを割いて特集、TBSでも情報番組で「静かなブーム」と題し、田中元首相を取り上げた。

 記事はこれを踏まえて「豪腕に郷愁? 今なぜか田中角栄ブーム」 とネーミングし、「首相の座を降りて34年、死去から15年。なぜ今、スポットが当たるのか」と問うている。れんだいこに言わせれば遅すぎる問いだが、他社が採り上げない中での先乗りを評価すべきだろう。産経新聞はこのところ、かっての学生運動を問う「さらば革命的世代」でもヒットを飛ばしており、なかなかデキが良い。恐らく、新聞を通じて読者と共に思考を練るという使命に目覚めたものと思われる。読売とはひと味違う保守路線をひた走っており部数も伸びるだろう。

 記事は続いて、角栄ブーム火付け役の企画者のコメントを披瀝している。興味深いのは、毎日放送プロデューサーの次の発言であろう。「田中氏が首相だったころは日本が元気だった。不況が続く今、田中氏を懐かしく思う人がいるのではと考えた」。

 その通りであり、素直なコメントとして好感が持てる。産経記事は、読者や視聴者からの声として、「角栄さんならスピーディーに的確な施策を打って不況を救ってくれていた」、「政治に、ああいう力強さが欲しい」と支持する感想を紹介している。「多数、寄せられた」とも書いている。

 れんだいこ的には、記事が誉められるのはここまでであり、後はどれもいただけない。三浦副編集長コメントの「安倍晋三氏以降、小粒な首相が続き、存在感を示せないことも人気復活の要因では」とあるが、「安倍晋三氏以降、小粒な首相が続き」としているのが気に入らない。ならば安倍の前の小泉は大粒なのかということになろう。れんだいこに云わせれば、彼は狂人である。日本は狂人政治を「5年5ヶ月1980日、戦後第3位、平成に入ってから初めての長期政権」を許したことになるが、小泉政治を断罪しないコメントは無意味と云うか有害であろう。この後、小林吉弥、福岡政行のコメントを紹介しているが共にくだらない。れんだいこの評に値しないのでノーコメントとする。  

 れんだいこが、角栄ブームの背景を素描しておく。日本は先の世界大戦で敗北し、戦勝国の分割統治の憂き目に遭う寸前であった。詳しい事情は分からないが結果的に米国の単独占領支配という形で再出発することになった。まずは戦後復興から始まり、戦前のように軍部を持たないことで国家予算の全てを民生用に振り当てていった。世界の羨む予算の配分時代となった。1950年に朝鮮戦争が始まり戦争特需が干天の慈雨となった。その後も内治主導で猛進し奇跡的とも云われる復興を遂げた。

 1960年安保闘争で、日米新時代を構想し米軍支配下での再軍備化を目指していた岸政権が打倒され、池田政権が誕生した。池田政権は、戦後の国是としての経済成長政策に邁進した。この間、各種公共事業が矢継ぎ早に着手され社会基盤が整備されて行った。池田政権の後を継いだ佐藤政権時代も基本的に戦後の国是路線にシフトし世界史的に未曾有の高度経済成長時代を謳歌して行った。

 この後を継いだのが田中政権である。角栄は、日本列島改造計画なるマニュフェストを打ち上げ自民党総裁選に堂々挑んだ。金権選挙と云われるが、既に歴代のものであり角栄だけが批判されるには及ぶまい。角栄の時代既に高度経済成長政策のヒズミが生まれており、インフレの波に襲われていた。そこへオイルショックが重なり、威勢の良い日本列島改造計画が相乗し狂乱物価時代へと突入した。

 しかし角栄は、日本経済の底力と次に来る雄雄しい成長時代を確信していた。その後の歴史は、角栄の読みの方が正確だったことを教えている。力強く成長し続ける日本にならなかったのは、意図的に解体したからであり、その後の政治家がこれを引き受けたからである。この見解を補足しておく。

 その角栄は、時代の課題にどう対処したか。まず日中国交回復を成し遂げ、その勢いは止まらず各国歴訪、遂にはソ連との経済提携にも向かい始めていた。まさに縦横無尽とも云うべき活躍ぶりを示している。その特徴は、国民生活の安定どころか実質向上を目指し、さらに戦後憲法が詠うところの国際協調友好親善の力強い推進であった。戦後日本の首相の中で、各国首脳と角栄ほど対等に渡り合った政治家は居ない。そういう意味でまさに不世出の首相であった。

 マスコミ人士の世評では中曽根と小泉を名宰相と持て囃すが、何のことはないワシントンから見ての名宰相論であり、それだけ過分にワシントンの指令通りに立ち働き貢いでくれたことに対する返礼のリップサービスでしかない。それも分からず、ワシントン評をそのまま猿真似して名宰相と相槌しているに過ぎない。こういう場合には繭唾するものだが無節操が身上の低脳頭脳ゆえに直ぐに外電に飛びつく。

 もとへ。現在の角栄ブームは、その角栄が今居たならどういう政治をしてくれるか、その包丁裁きを期待してのものである。それはとりもなおさず辛辣な現代政治批判となっている。かく受け止めるべきであろう。恐らく、このブームにはバイアスがかかり火消しされるであろう。だから我々がふいごで吹くようにしてそのつど燃え上がらせる必要がある。

 それにしても、麻生がもう少し角栄に薫陶受けていたなら随分今と違った味を出すのだろうが、少々軽薄が過ぎる。しかし断じて小泉よりは良い。小泉チルドレンの跋扈する悪政時代に戻してはならないことだけは確かだ。これをどう切り盛りするか、ここ暫くの政治の見どころはここにかかっている。

 2009.1.12日 れんだいこ拝

【「角」の視点から学ぶニッポン現代史/考】
 「日経ビジネスオンライン 歴史を見る目のつくりかた」の2009.12.15日付け「わたしたちが「こうなった」のはなぜ?~「角」の視点から学ぶニッポン現代史」を転載し、対話する。こういう場合、著作権が煩わしいが如何せんか。
 「田中角栄 封じられた資源戦略」(草思社)の著者・山岡淳一郎氏と山中 浩之(日経ビジネスオンライン編集委員)の対談形式で論じられている。れんだいこがコメント付けたい個所を抜き書きする。

 「私たちはいまなぜここにいるのか」を面白く学ぶために、格好の先生を見つけました。まず前半は、いわゆる「日本型」の利益再分配・福利厚生システムが始まった時期を担った首相、田中角栄にスポットを当てた『田中角栄 封じられた資源戦略』を上梓した山岡淳一郎さん。後半は、ベストセラーとなった『それでも日本人は「戦争」を選んだ』の著者、加藤陽子先生(東大教授)が登場。史実を「読み倒す」ことに長けたおふたりから「歴史を見るための眼」の培い方を学びましょう。

 この(「田中角栄 封じられた資源戦略」)表紙で、田中角栄氏の左に立っている顔の若さにびっくりしました。2009年はこの田中角栄の愛弟子、小沢一郎氏がプロデュースした民主党が政権を獲った年になりました・・・と分かったようなことを言いますが、実は政界って「結局、同じような人たちの間で、看板の掛け替えをやっている」ようなイメージも、正直あるんです。
山岡

 あまたの日本の首相の中で彼が現在に至るまで、任期の短さにもかかわらずひときわ目立つ大きな理由の一つは、日本に「列島改造論」(田中角栄著、日刊工業新聞社、書籍は1972年刊)という「グランドデザイン」を提示したことです。民主党政権のプロデューサー・小沢一郎氏は「政治とは生活を守ること」というスローガンを掲げて選挙戦を戦い、小泉流新自由主義で貧困・格差問題で行きづまった自民党にとどめを刺しました。この「政治とは生活を守ること」は小沢氏の一枚看板のようですが、実はこれ、彼が27歳で政界入りし、「オヤジ」と慕った田中角栄のモットーでした。

 ― 「生活を守る」とは、具体的にどういうことでしょう?
山岡  国民全体の生活を守るには、裕福な層から貧しい層への「富の再分配」をしなくてはなりません。富の偏りをなくすには、社会民主主義的な議会や政府の介入も求められます。いま、まさに民主党政権は「富の再分配」で悪戦苦闘しているわけですが、大都市に集中する富を「社会基盤(インフラ)整備」というパイプを使って地方へ還流させるレールを敷いた政治家こそ、田中角栄でした。

 「日本列島改造論(1972年、日刊工業新聞社刊)」は、こう宣言しています。

 「……都市集中のメリットは、いま明らかにデメリットへ変わった。国民がいまなによりも求めているのは、過密と過疎の同時解消であり、美しく、住みよい国土で将来に不安なく、豊かに暮らしていけることである。そのためには都市集中の本流を大胆に転換して、(中略)工業の全国的な再配置と知識集約化、全国新幹線と高速道路自動車道の建設、情報通信網のネットワークの形成などをテコにして、都市と農村、表日本と裏日本の格差はなくすことができる」。
 ― 列島改造論は、田中角栄をテコに利権拡大を図った官僚の作文、という見方もあるみたいですが。
山岡  列島改造論は、いわゆるゴーストライターに委ねられたものではありません。角栄自身が1回4時間に及ぶレクチャーを3~4回重ね、それに沿って、通産省(現経産省)の官僚を中心とする側近がまとめたものです。
山岡  1960年には、東京都民1人当たりの所得を100とすると、50以下の県が31県もありましたが、75年になると50以下はゼロになっています(出典は『戦後国土計画への証言』下河辺淳著)。確かに効果はあったのです。しかし、中央のカネを、財政投融資などを用いて地方へ分配して産業の育成を図る。そのためにいくつもの公団を用意し、選挙があれば、それらが集金・集票マシーンになる。「政財官のトライアングル」ができあがってしまった。地方への富の還流が「利益誘導」とみなされるようになった。列島改造論は、大規模工業基地の候補地や本四架橋、新幹線、高速道路網などをどこに作るか(箇所付け)を明示してしまったために、土地投機が過熱し、地価が火の粉をあげて舞い上がりました。交通網・情報網の整備は人・モノ・金・情報の都市集中を加速し、地方は分権自立どころか、中央からのカネを当てに指示に盲従するようになり、そして、富の還流パイプには官僚の天下り組織がへばりつきます。
山岡  日本の「今に至る道」は、角栄の時代に引かれたのだと思います。現在の自民党凋落の原点に田中角栄がいる、ともいえるでしょう。

(私論.私見)

 これは異なことを言う。結局、山岡はんは角栄を貶している。褒めて貶して両方言う口を持っている御仁と見立てる。「日本の「今に至る道」は、角栄の時代に引かれたのだと思います」は良い。「現在の自民党凋落の原点に田中角栄がいる、ともいえるでしょう」は噴飯ものだろう。「角栄式今に至る道」は当時もタイムリー、今もそうだが、時代に合わせて多少のアレンジして行くのは当然で、その後のことはその後の者たちの責任だろう。「現在の自民党凋落の原点に田中角栄がいる」の見識はまったくダメだな。
山岡  田中はロッキード事件で刑事被告人の烙印を押されて政界の「闇支配」へと転じますが、後継の自民党政権は、成功の味が忘れられず、田中の敷いたレールの上を走りました。二度の石油ショックを経て、低成長時代が到来にしたにもかかわらず、政府は地方を交付金や補助金漬けにして支配する。地方は、赤字財政を承知で「お上」の言うとおり、上からお金が落ちてくるのを、口を開けて待っている。そこにくっつく官僚の天下り組織もどんどん増える。
 ― やがてバブルとその崩壊。いま、格差社会を呼び込んだと敵役を振られている小泉純一郎元首相が登場するわけですが。
山岡  小泉純一郎氏は、田中角栄の政敵だった福田赳夫の書生から政治家になった人です。佐藤栄作首相の跡目を狙った田中と福田の激闘は「角福戦争」呼ばれました。田中が、佐藤の意中の人だった福田を退けて、宰相の座をつかみます。が、その後も、田中が推す大平正芳と福田の総裁予備選、ここでも福田は負け、さらに中曽根内閣の発足でも福田派は煮え湯を飲まされる。福田派の「怨念」は、凄まじいものがありました。小泉氏は「自民党をぶっ壊す」と言って新自由主義路線へ突っ走りましたね。小泉氏が潰すと叫んだ自民党とは、旧田中派とその利権構造でした。

 ― しかし……小泉構造改革が失敗して、もう一度「富の再分配」がテーマになった。

山岡  このとき、自民党はすでに切るべき舵を失っていたんです。そして小沢氏が田中角栄と同じスローガン、「政治とは生活を守ること」「生活が第一」と唱えて政権を奪った、というわけです。
 ― なるほど。ここしばらく日本を覆ったグローバリゼーションとその揺り戻しの大波は、自民対民主というよりも、角福戦争の流れで見ると分かりやすいですね。
山岡  田中角栄を軸に政治の流れを眺めると、民主党政権の成り立ちは、さほどドラスチックでもないですね。民主党の国会議員の半分は「生活を守る派」としても、四分の一は「新自由主義シンパ」、四分の一は「既得権益派」でしょう。政界再編は避けられない。まだまだ変化しますよ。
 ビジョンを見い出すために、角栄の挑戦と末路を知ろう
山岡  民主党政権が「脱公共事業」「コンクリートから人へ」と言っていることと、田中の遺伝子を受け継いでいることは矛盾しません。「富の再分配」の方法が時代のニーズによって変わっているだけです。問題は、民主党政権が事業仕分けで、いったん財布の紐をしめてから、バラマキに転じた後、「成長モデル」を打ち出せるかどうかですね。いま、これだけ経済が厳しいのにバラマキで焼け太り始めている分野も現れています。国民は「次の一手」を固唾をのんで見守っています。さぁ、どう出るか。時代背景が違うとはいえ、かつて田中は、良くも悪くもインフラ整備を成長モデルにしてしまいました。その恩恵を多くの国民が受けたのも事実です。しかし、もはや、それはできない。鳩山首相が、唯一、大胆に示しているのが二酸化炭素排出量の25%削減。経済界にはまだ異論、反論も多いようですが、これは「21世紀の産業革命」ともいえる「新エネルギー・省エネルギー」開発への進軍ラッパととれます。
 ― その割にはビジョンが見えないのですが……。
山岡  「持たざる国」日本は、エネルギー資源をどう確保していくのか。核廃絶・核不拡散を含む国防と、環境・省エネ、再生可能エネルギーの開発という「21世紀の産業革命」などと連動させて、エネルギー資源確保を構想しなければならない。日本にとって絶対に避けて通れない難題です。田中角栄は、このエネルギー資源確保に対しても、アメリカの世界戦略に仕込まれた「地雷」を踏むのを承知で、挑みました。石油、ウラン資源の獲得をめぐって、アメリカの意向に逆らって、独自に動きました。外交も含めて思い切った行動をとっています。

 ― 鳩山・小沢はどう動くのでしょう。米国に対してかなり挑発的なイメージがありますよね。

山岡  詳しくは次回でお話ししますが、資源ゲームのプレーヤーは、田中角栄が挑んだ当時と本質的には大きく変わっていません。石油メジャー、資源メジャーの再編・統合はずいぶん進んでいますが、欧州と米国の多国籍企業が中心的存在です。そういうことも含め、これからの日本の選択を考えるうえで、私には、田中角栄の行動が貴重なシミュレーションだったように思えて仕方ないのです。
山岡  「持たざる国」に生きた男たち~田中角栄・後藤新平・金子直吉―― ところで、山岡さんは田中角栄を描く前に、草思社さんで後藤新平を(『後藤新平 日本の羅針盤となった男』 )、弊社で鈴木商店の大番頭、金子直吉を描いてきましたね(『成金炎上 昭和恐慌は警告する』)。この3人になにかつながるポイントってありそうですか。
山岡  1つはやっぱり、「規格外」の人間たちだということ、ですね。田中角栄は、それまで延々と続いてきた官僚大臣、官僚宰相ではない、地べたから、土建屋から、はい上がってきた存在ですよね。『成金炎上』の中に出てくる、金子直吉とか、山下亀三郎も学歴はなく、現場での砂糖や樟脳の売買、船の商売からのたたき上げでのし上がってくる、と。社会を活性化させる、エネルギーを充満させるには、こういう「規格外」の存在が不可欠なのです。
 ―後藤新平も、朝敵側の東北・水沢藩の出身で、明治維新により一家は武家から貧農に転落します。エネルギーは、反骨心というところも共通するのでしょうか。
山岡  そうですね。後藤も毀誉褒貶のある政治家ですが、医者として身を立てると医療制度を、衛生の確立が必要だと思ったら都市計画を、さらに植民地の統治や、外交、関東大震災後の帝都復興と、政治的事業の「創業者」の道を歩みました。大構想を立てられる政治家です。こういう人材は、民主党政権に一番必要なのではないでしょうか。反骨心から始まってもいい。しかし、政治は「現実との闘い」です。そのなかで、どうやって成果をあげる、か。
山岡  田中角栄でいえば、若いちょび髭の代議士として、「三国峠をダイナマイトで吹っ飛ばすんだ」と言っていたころは、反骨心が大きなモチベーションだったと思います。ただ、政治家としてキャリアを積んできて、『日本列島改造論』を出すころには、雪国生まれの情念だけではなく、日本をどうするんだ、これはやっぱり都市に集まっているものを再分配しなきゃいかん、ぐらいは考えていた。人間は、オトナになってからも成長していくから、考え方の度量が大きくなるわけじゃないですか。
 ― なるほど。国を背負うみたいなところがやっぱり出てきたんだろうと。
山岡  と、思います。「田中はそんなところまでホントに考えていたのか、単に政治的に動いただけじゃないか」と言う人もいます。いろんな見方があっていい、と思いますけれども、「政治的に動いた」ことが、何につながったのか、を見極めることが大事だと思うんですね。拙著で書いたとおり、彼は国際政治の限界に突き当たりました。政治的駆け引きで動いたところもたくさんありましたが、こと「資源外交」については、明らかにそれまでの総理大臣とは、まったく違う動き方をしたわけです。だから、そのプロセスを見直し、国際政治上のどんな力が作用したかを知ることが重要だ、と言いたいのです。
 ― ひとりの人物が国をどうこう、というと、ちょっと危険な香りも感じるのですが。
山岡  田中角栄伝説に、「建築士法ができて、第1号建築士として登録されたのは田中角栄」というのがあるんですよ。これは実は誤りで、田中角栄の建築士としての免許は確か百何十番というぐらい。
 ― でも相当、早いですね。
山岡  そう。早いんです。田中は、建築基準法や住宅金融公庫法、建設業法など、われわれの住宅に関する数多くの法律の制定に深く係わり、他の分野も含めて自ら30本以上の議員立法を通しています。なぜそれができたかというと、角栄は戦前、戦中にかけて工場を造ったり、住宅もこしらえたり、土建屋としてバリバリキャリアを積んで、現場を知り尽くしていたからです。「現場の知」をよりどころにしていたから、法体系をイメージしやすかった。ただし、土建屋、つまり「供給側」の視点だから、日本の建築法規は、ほとんどが業界よりの発想になってしまった。「住み手」の一般生活者の視点が欠落している。これは、今後、大いに改める必要がある、と思っています。いずれにしても、田中は「現場の知」と、官僚を巻き込んだ調整力で、あれだけの議員立法を成立させたのでしょう。考えてみれば、東京の都市計画の基を築いた後藤新平にしろ、田中角栄にしろ、「家とは、こういうモノだ」というところから、政治的動きを始めているんですよね。
山岡

 後藤新平と田中角栄、さらにいえば金子直吉にも共通しているのは、考え方が非常に具体的なモノから入るところなんですよ。理念的に国家とは何か、なんて考えない。民主主義とは何かということを、角栄は少しは考えたかもしれないけれども、彼らがに共通するのは、「国民が生きていくため、食うために何をすればいいか」でしょう。後藤でいえば、国民が街に集まり、安全に暮らすには衛生を保ち、健康を守ることが重要だ、と気づく。よい衛生状態を維持するには、上下水道をしっかり完備し、伝染病の侵入路を断たねばならない。そのためには上下水道や道路を合理的に配置する都市計画が必要だ、となる。かなり国益志向的な部分がありますよね。ここで言う国益というのは、ナショナリズムの発露ではなくて、具体的なモノを通していかに生活の基盤を構築するか。

 最初にお話ししましたが、角栄の言ったことで、小沢氏が受け継いでいるのが、「政治とは生活を守ること」「生活が第一」です。小沢氏は、たまたま後藤と同郷の岩手・水沢で生まれています。お会いする機会があれば、後藤新平や田中角栄から受けた影響について聞いてみたい。生活というキーワードは、思想的にも重要なのです。

 埴谷雄高という哲学小説で知られる作家は、政治と生活の関係について、こう看破しています。『政治の幅はつねに生活の幅より狭い。本来生活に支えられるところの政治が、にもかかわらず、しばしば、生活を支配しているひとびとから錯覚されるのは、それが黒い死をもたらす権力をもっているからにほかならない』(埴谷雄高『幻視のなかの政治』未来社)。生活が政治の入り口であることは、後藤や田中には共通しています。いきなり「天下国家」を抽象的に論じるよりも、生活の最前線で現実にぶち当たるほうが重要。そういう意識は、政治家として、また人間としてとても大事なことなんじゃないでしょうか。

 ― ひるがえって、彼らを知るための目線、すなわち歴史を見る目は、生活の中から作れるものですよということにもなりますよね。単なる知識や、イデオロギー的なものではなくて。

山岡  だと思いますね。暮らしから入っていいんじゃないでしょうか。政治家もそうかもしれませんが、私たちを含めてメディアに係わる者にいま一番足りない部分もそこかもしれません。バーチャルな目線、高層ビルの屋上から世間を見る、みたいな感じになっちゃっている。そんな危惧を感じますね。大切なのは、生活の現場をよりどころに、その奥の閉鎖的な社会構造や、国際関係を含めた歪んだ利権構造を射抜き、それを改めるには何が必要なのか。次の世代に生活を継承するには何が求められているのか。時代の本質的ニーズとは何か。そこを書かなくては、と自戒する日々です。想像力を鍛えなくちゃいけませんね。

【「角」の視点から学ぶニッポン現代史/考】
 2014.6.21日、週間現代の「日本が元気だった時代の象徴田中角栄を語ろう」転載。





(私論.私見)