れんだいこの現代政治を解く為の必須としてのパリサイ派考その1

 更新日/2022(平成31.5.1栄和/令和4).8.21日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「れんだいこの現代政治を解く為の必須としてのパリサイ派考その1」を記しておく。

 2012.04.06日 れんだいこ拝


 れんだいこのカンテラ時評№1022  投稿者:れんだいこ  投稿日:2012年 4月15日
 【現代政治を解く為の必須としてのパリサイ派考その1】

 ここ暫くブログが無沙汰している。久しぶりのテーマは「現代政治を解く為の必須としてのパリサイ派考その1」となった。

 2012年現在の政治局面を愚考するのに、今現在の動きとか目先のことばかりに拘泥していてはキリがない。2009衆院選で政権をとった民主党が、その推進主力であった小沢派を排除し、鳩山、菅、野田と三代にわたってシオニスタン政権として権力に与り、それも次第に御用聞き性を露骨にしつつあることですっかり食傷されている。こういった時代の個々の政策を採り上げて批判するのは必要な営為ではあるが、れんだいこの性には合わない。れんだいこ的には、彼らの政治の根本にある愚頓、腐敗の源泉を探査して、これをもっと分かり易く説き明かす必要があるのではないかと思っている。そういう気づきから、ここで、「れんだいこの現代政治を解く為の必須としてのパリサイ派考その1」を記しておく。この題名でピンと来る者は少ないであろう。故に、どういう意味を持つ題名であるのかを確認しておく。近現代史は国際金融資本&ネオシオニズム派に彩られた革命と戦争史である。この謂いに合点する者は少なくないであろう。

 問題は、歩一歩進めて、国際金融資本&ネオシオニズム派の精神的バックボーンが如何なるものであるのかをあきらかにする。これを明らかにすれば革命と戦争史に彩られる近現代史の背後にある思想を理解することができ、新たな怒りで時代を見直すことでできよう。彼らの拝戴する思想の解明はその意味で必要であると考える。本サイトで「パリサイ派考その1」としたのは、彼らの宗教思想、社会思想が紀元前後に形成された古代ユダヤ教内のパリサイ派に淵源を持っていると断定できるからである。そういう意味で、「現代政治を解く為の必須としてのパリサイ派考その1」とした。

 これを本格的に論ずるには相当の紙数を費やす。あるいは相当の能力が必要となる。そこで、とりあえずは簡便に必須文献の紹介で間に合わせることにする。戦後最近での功労者は大田龍であろう。その時事寸評検索を通じて、「akazukinのブログ」にサイトアップされている「デ・グラッペ著、久保田栄吉訳編、『世界撹乱の律法 ユダヤのタルムード』」を知った。(http://ameblo.jp/ootadoragonsato/)れんだいこは先に愛宕北山氏の「猶太と世界戰爭」、大川周明氏の「米国東亜侵略史」を確認している。この三書の価値は高く、国際金融資本&ネオシオニズムの思想研究上の好著であり、当時に於ける国際的水準にあると評することができよう。

 これを初版日より推測するのに、1941(昭和16)年12月8日の真珠湾攻撃直後の14日、大川氏が「対米英開戦の理由」をNHKラジオで連日講演し、翌月の1942(昭和17)年1月に「速記録 米英東亜侵略史」として刊行された。ほぼ並行して1941(昭和16)年12月、「デ・グラッペ著、久保田栄吉訳編、『世界撹乱の律法 ユダヤのタルムード』」が出版されている。続いて、1943(昭和18)年8月、愛宕北山氏の「猶太と世界戰爭」へと続いていることになる。この流れを踏まえると、愛岩本は大川本、久保田本を下敷にしていると推定できる。

 戦前、1931(昭和11)年から1945(昭和20)年の敗戦まで日本政経学会と云う国策的なユダヤ研究機関が存在した。大東亜戦争不可避の国際情勢において、孫氏の兵法「敵を知り己を知らば百戦するも危うからず」の教えに従い、来るべき戦争必至の相手方が何者なのかの研究に向かった。その延長線上に近現代史の真の革命及び戦争主体勢力である国際ユダヤの姿を捉え、その研究に国策的に総力を挙げていたことが判明する。

 このことは既に大田龍が指摘していたところである。戦後は、こうしたユダヤ問題研究が大政翼賛会的に缶封されたまま今日に至っている。今日では日本政経学会がかって存在した史実まで滅失させられている。これは敗戦後遺症と云うものであろう。インターネットが普及することで、ようやく当時の原書復刻が始まりつつあることは慶祝事である。2006(平成18)年4月、佐藤優・氏が「日米開戦の真実 大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く」(小学館)を出版し、大川本を世に知らしめた意義も高い。

 機縁は続く。続いて、ネット検索で「オニド」の「吉野作造『所謂世界的秘密結社の正体』」に巡り合った。これをれんだいこサイトに格納することにした。これは、1921(大正10)年6月号の「中央公論」掲載の吉野作造(1878~1933)の論文で、1921(大正10)年当時、シベリア出兵の副産物として「シオン長老の議定書」が翻訳輸入され、日本に於ける反ネオシオニズム研究が緒についたばかりの頃、早速にこれを批判している。これが一等最初の「ネオシオニズム批判の批判」になるようである。

 興味深いことに、吉野氏は、学者的研究心で批判する余りに、当時の反ネオシオニズムの言説及び風潮を逆にそれなりに伝えている。ここに同書の反面教師的な値打ちが認められる。そういう意味での貴重文献になっている。全体に吉野氏の反シオニズム批判、親フリーメーソンの姿勢が滲み出ており、吉野氏の学究的能力のお里が知れるのはおまけであろう。

 ここで気づくことは、れんだいこが先に挙げた三書は当然にこの吉野論文を意識して書かれており、吉野氏が不問にしたタルムードを特に問題視することで吉野氏の「ネオシオニズム批判の批判」に対する反証的位置づけを持っていると云うことであろう。問題は、これ以降、吉野陣営側からの再々反論が出ていないと云う状況のまま今日まで至っていると云うことであろう。学問的に見ればオカシナことであり知の頽廃と云えるだろう。

 次の事も付け加えておく。吉野氏は大正期のデモクラシー運動のイデオローグとして知られている。その吉野氏の同書に於ける見解に触れれば、大正デモクラシー運動のお里をも知れることになろう。東京帝大頭脳の質をも示していると云うことにもなろう。吉野氏の反論にも拘わらず、その後の世界史は大川、久保田、愛岩氏らが危惧予見した通りの進行を見せ今日に至っている。仮に吉野氏が今現在生存していたとしたらどう嘯くのだろうか。同書で展開した持論を不明の至りとして撤回する勇気を持つだろうか。

 それはともかく、同書を読んで吉野氏の所説に合点し、シオニズム批判の批判に「我が意を得たり」として精出す者が出たとしたら、どう評すべきだろうか。この連中に漬ける薬はないだろうか、逆に薬を漬けられる羽目になるのだろうかふふふ。

 以下、格納サイトを示しておく。

 「ユダヤ主義考
 (http://www.marino.ne.jp/~rendaico/judea/)
 「日本のユダヤ問題研究史
 (http://www.marino.ne.jp/~rendaico/judea/hanyudayasyugico/nihonnokenkyushi/
   nihonnokenkyushi.htm)

 「デ・グラッペ著、久保田栄吉訳編 『世界撹乱の律法 ユダヤのタルムード』」考
 (http://www.marino.ne.jp/~rendaico/judea/yudayakyoco/tarumoodoco/yudayanotarumudo
   /top.html)

 「愛宕北山著 『猶太と世界戰爭』」
 (http://www.marino.ne.jp/~rendaico/judea/hanyudayasyugico/nihonnokenkyushi/
  atagoshikanco/atagoshikanco.htm)

 「大川周明氏著 米国東亜侵略史」考
 (http://www.marino.ne.jp/~rendaico/judea/hanyudayasyugico/nihonnokenkyushi/
  66kawasyumeico/top.html)

 「吉野作造『所謂世界的秘密結社の正体』」考
 (http://www.marino.ne.jp/~rendaico/judea/hanyudayasyugico/nihonnokenkyushi/
  yoshinococo.html)

 本サイトは、これを一堂に揃えたところに値打ちがある。各人各様の受け取りようがあろう。それはそれで良い、良くないのは知らされぬことによる無知であろう。それだけは避けたいと云う思いと2012年4月現在の政治局面に何がしか資するところがあると思うのでサイトアップしておく。

 2012.4.15日 れんだいこ拝

【れんだいこの現代政治を解く為の必須としてのパリサイ派考その2】

【れんだいこの現代政治を解く為の必須としてのパリサイ派考その3】

【れんだいこの現代政治を解く為の必須としてのパリサイ派考その4】





(私論.私見)