「久保田栄吉」についての覚書
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(最新見直し2012.04.06日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
「久保田栄吉についての覚書」を転載しておく。 2012.04.06日 れんだいこ拝 |
2010-02-16 18:09:21
テーマ:ユダヤの『タルムード』あとがき 「ユダヤのタルムード」は、日本における最初のタルムード研究書である。久保田氏の活躍した時代、日本政経学会(昭和十一年〜二十年)という猶太研究機関が存在した。大東亜戦争期(第二次世界大戦)敗戦を経過してGHQによる日本占領七年、焚書、情報封鎖で中座、解散したにも拘らず、現代、さらなる研究がすすめられた。この訳書が出版されて以来約70年、シオニストは次の戦争を狙っていることもあきらかにされている。この著者にもあるように、民族紛争にあおられることなく冷静に対処するために本書を参照されることを望む。 訳者の久保田栄吉については、詳しいことは知られていない。しかし、次の冊子からわずかながら、様子をうかがい知ることが出来た。 大原社会問題研究所雑誌 No.566/2006.1 本名は寺田二三郎であり、1909年「旭川第七師団附大尉松本誠一カ特命ヲ帯ヒテ入露スルニ当リ……随行スルコトゝナリ其際久保田栄吉名義ノ旅券ヲ交付セラレ入露シタル以来同氏名ヲ用ヒ居レリ」とのことで,最初から密偵の影がつきまとう(太田政弘警視総監の若槻礼次郎内務大臣,幣原喜重郎外務大臣ほか宛1925年11月21日付機密文書,外交史料館,4.3.2.1-1(17))。 1921年1月「従前知合ヒ居リタル『ポポフ』[エス・エル党出身]ヲ便リ浦塩ニ趣キタルカ余[久保田]ハ稍露語ニ通スルヲ以テ同人ノ斡旋ニ依リ在莫斯科共産大学日本語教授トシテ一ヶ月五百円ノ給料ヲ受クルコトゝナリ同人ト共ニ同年五月『チタ』経由莫斯科ニ入ラムトシタルカ同地ニテ倉重特務機関大尉ノ紹介ニ依リ大庭柯公并富永宗四郎ノ両人ニ初メテ面接シタル」。 「尚余ハ共産党ニ共鳴セサル為遂ニ大庭ノ為ニ密告セラレ日本軍事探偵容疑者トシテ同地ニテ拘禁セラレ……」以来1923年「八月迄莫斯科浦塩間前后一七箇所ノ監獄ニ転々移送拘禁セラレタリ殆ト満二ヶ年間獄舎生活ノミ継続シタル」とのことである(阿部広島県知事の内田外務大臣ほか宛1923年8月20日付機密文書,外交史料館,4.3.2.1-1(15))。 国会図書館蔵書調べ 久保田, 栄吉 (1887-)‖クボタ,エイキチ ◆ ロシヤ共産党及び労農政府の支那赤化対策に就て. 第1編 / 久保田栄吉. -- 日本新聞社, (大正15) □関屋敏子(1904年3月12日 - 1941年11月23日) 久保田栄吉は関屋敏子の義理の兄にあたる。評伝的著作「歌聖関屋敏子女史」には、もちろん、日本初の世界に通用する歌姫を称賛するにとどまり、上記にあるようなことは書かれていない。「久保田は軍事探偵の疑いを受けてイルクーツクに六十余日入獄していた」時の詳細は、自著に書かれていると思われるが、確認していない。 |
(私論.私見)