それと全く同様にタルムードの著述者等は、バイブルの言葉を更に自分の言葉に言い換えて、これは前に述べた如きいろいろの荒唐無稽な内容を混入して、バイブルを全然歪曲した。その一例挙げると、太古には神は人間を男女両性を具備する者に造った。アダムとエホバは一体をなして居たが、神は後に考案を変更してそれを二人に分体した。両性具有はタルムード中重要な位置を占めている。ユダヤ秘密教徒はこれに対する興味を各種の神秘学派の大半に伝えた。現代に於ても我等は或る絵画に現われている両性具有の徴候について、真面目な議論を述べている錬金術の学者のあることを知っている。これ等の絵画にこの徴候の存在している事は、ルーヴル(現在博物館となっているパリ―最高の王宮)にあるイタリ―の世界的有名な画伯レオナルド・ダ・ヴィンチの描いた名画「前驅(さきがけ)」(ヨハネ)の如きにも推想されている。〔傍註〕
「アダムはその時非常な長軀(ちょうく)を有して、その頭が天に支えていた。彼が横に臥(ふ)した時は彼の足は西方の極端にあり、その頭は東方の極端にあった。そして彼が罪を犯した時、神は彼を普通の人よりも小さくしたとサンヘドリンに書いてある。バイブルに載せられているバザンの王オーグも殆んど同型の巨人であった。この人物はタルムード中の舞台にしばしば引き出されている。ラウウィン等の力説する所によれば、彼はその長身の為に大洪水の時も水中に溺れなかった。最も高い山が水に蔽(おお)い隠れた時にも、彼の頭は常に水面上に露出していた。しかし彼は大なる危険に曝されていた。それはその時全地を蔽っていた水が非常に熱していた為に、彼の身体は煮られて了う恐れがあった。しかるに彼は仲々狡猾(こうかつ)であったので方舟(はこぶね)の水が冷たいのに気がつくと同時に、その側から一寸も離れなかった。この期間中精進食の外に食べるものがなかったので、これが彼をしていたく不安を感ぜしめた。何となれば彼は通常毎日二千頭の牛とこれと同数の野獣とを屠(ほふ)って食し、これを肴として二千樽の酒を飲んでいたからである」。
「ユダヤ人がバザン国に攻めて来た時、彼は一撃の下にユダヤ人を鏖殺(おうさつ)せんとし、そして彼等の陣営が三マイルの土地を占めていることを知ると、彼は山からその陣営に蓋(ふた)するだけの大きな岩を割き取って、モーゼに引率せられていたユダヤ人の上に投げ落そうとして、これを自分の頭の上に載せた。エホバは彼のこの意図を看破するや、多くの蟻をやってその岩を蝕ませた。この蟻の工作は異常な敏速力をもって活動し、遂にその岩はオーグの頭上で蝕まれて、彼の左右の肩の上に崩れ落ちて彼の頸(くび)を罠の如くに固く締めた。オーグがこの岩を頸から取り除かうと悶え苦しんでいる間に、モーゼは柄の長さ二十尺に達する斧を執(と)って彼の側に走り寄った。そして二十尺の高さに跳びつき斧を振ってオーグの踵を打って重傷を負わせた。頸は碎岩(いわくだき)に締めつけられ、足に深傷を負わされた彼は遂に死んだ。後世ラッピのヨハナンは荒野で巨大な骨を発見した。そしてこの骨の長さを試みんと骨に沿うて進んだところ、他の一端に達するまでに三マイル以上歩き、之がオーグの脛(すね)の骨であったと云う事である」(ゼバゼム章)。
「ある時、オーグが一本の歯を失った。それをアブラハムが拾って自分の寝室を造った。アブラハムはその身長も肥大さも普通人の七十四倍あって、食物も通常人の七十四人分食べる習慣をもっていた。もっともタルムードは、この歯が寝室の材料になったとか、また安楽椅子の材料になったとか、區々(おうおう)に言っているからこの問題は未解決になっている」(マゼク・ゾファリム)。
タルムードがかかる寓話のみを含んでいるものとの考えは大なる誤解である。この書を編纂したパリサイ派の人は、これ等の作り話を以って神とバイブルを嘲笑して、新たな聖書に於て自分の教義の本質的基礎を確立しようと努めたのである。かようにして、タルムードの中には輪廻に関する古来の教義を判然述べている個所が二十以上もある。輪廻の信仰は、パリサイ派の起る当初、即ちバビロン俘囚の時彼等がハルデヤ人から受け容れて、その後ユダヤ人の間に伝播されたのであるが、現在ではキリスト教徒の間にも降神術、神智学等の形を以って宣伝せられている。
タルムードの説く所によると、神はユダヤ人の霊魂を自身の本体から恰度(ちょうど)子が父の本体から出る如くに造って、彼等総ての者に楽園に於ける永久の福楽を備えた。しかし神が彼等をその所へ入れるのは、彼等がいろいろの化身を経て洗練せられた後でなければならぬ。故に死人の霊魂は、神がそれを自分に召すまでの間は、生れる子に於て化身するが為に再び帰って来る。しかるにユダヤ人が悪事を行うことがある。他のユダヤ人を殺したり、同民族に背反したりする事がある。この場合神はかかる逆徒に対して如何に処置するであらうか。彼は之を永遠の苦悩に定めない。最悪の場合に於てもただ一年間だけ苦悩を嘗めさせる。その後この霊魂は植物に生れ変る。そして更に動物に、それから非ユダヤ人に生まれ変わり、最後に再びユダヤ人の身体に帰るに当る者となって、再び永久の福楽を得る者となる。