叙上(じょじょう)のようにしてタルムードの著述者ら及び註訳者らが既に自身を神その者に化せしめたる以上、神に対しては全然反対態度をとる外はなかった。即ち神を以て人間の虚構に過ぎざる者であり、人間と同様に卑しき存在であり、ユダヤ人の嘲笑の目標たり得る者であり、彼らの祖先がその威厳の前に畏服し崇拝したるエホバの神の追想を根底から覆し得べき存在であると認めたのである。
かくの如くして自然以外の何物をも認めず、一切の神を否定しようとしたパリサイ派の久しき以前からの希望は、唯一の最も確実なるしかも極めて用心深い方法によって達成せられた。何となれば、彼ら自身のこの見解をイスラエル民の間に公然発表することは強硬なる反抗を誘発する冒険を敢(あえ)てせずしてはできなかったからだ。かくの如き理由で一般民衆の為には、その信仰の基礎として、造物主なる主を保持することが是非共必要であったので、パリサイ派はその汎神論的原理をただその秘密文書に於て、また最高秘密教の集会に於てのみ、純正に守る事を以って満足していた。そしてタルムードの中には、神はただ弱小化された、異様な、宛然(えんぜん)オッフェンババ(註、有名なる歌劇の作曲家なるユダヤ人)の小歌劇にでも出そうな可笑しいエホバに化せられている。故にこのユダヤ人の作曲家がその「地獄のオルフェイ」に出る神々の標本を探す場合には、自国民の古文書を調べるだけで充分であったに違いない。タルムードを繙(ひもと)いてその中から、全能の神の名を弄(もてあそ)んでいる滑稽的な作り話の実例を取り敢えず数個挙げて見よう。
「『日』は十二時間である。最始の三時間に神は坐しでタルムードを学んでいる。その次の3時間、彼は世界を審判する。次の3時間、彼は之を養う。その後これまでの9時間の工作に満足して、神は坐し、漁族の王レウィファンを召して之と遊戯をする」。このレウィファンは懼(おそ)るべき怪物である。タルムードの力説する所によると、彼はその咽喉を害する事なくして長さ300キロメートルに達する魚を呑み込むことができる。故にこの巨大なる怪物の子孫が世界に満ちて、これを亡ぼす事を恐れて、神はレウィファンを去勢し、その牝を殺して彼はその肉を塩漬けにした。牝の塩肉を神に選ばれたる人々が楽園で食べる。その後夜になった時、神は何を為すか。教師メナハムは之についてこう断言している。即ち「初めに神は天使らと共にタルムードを研究する。しかしエホバがこの聖書と共に審議するものは天使らのみではない。悪魔の王アスモティも天上に昇って、この談話に参加する。その後神はエホバと共に舞踏する。またエホバの衣服を着、髪を梳(くしけ)るに助ける」。
しかしこの時間割は幾分変更された。エルサレム聖殿の破壊された後、神は最早レウィファンと遊戯をしない。最早エホバと跳ね廻らない。何となれば重く罪を犯した事を悲しんでいる。この罪は彼の良心を重く圧しているのだ、タルムードに従えば、彼は夜の四分の三の間坐して獅子の如く叫び感嘆してこう言っている。「禍なるかな、我は我が家を破り、わが殿を焼き、我が子らを幽囚に追いやることを敢えてした」と。彼を慰むるが為に、讃美歌を彼に歌っているが何の效(こう)もない。彼はただ首を振って、「讃美歌をその家に於て歌はれる王は幸福である。自分の子らを貧困の中に叩き込み幸じて生活せしめるような父は如何なる処罰に当るであろう」と繰り言を云っている。この悲歎(ひたん)の結果、「彼は大いに衰弱して甚しく小さくなった。先に彼は全世界を満たしていたが、今は僅かに四ロコテイ(一ロコテイは約二尺)の所に居るのみとなった」。ここに忘るべからざる事は、タルムードの著者がいろいろの寓話を作るに実に巧妙であると云う事である。この巨大なるエホバが全く小さい者となったと云うのは、バイブルに於ける神の想念をタルムードのそれに替える意味を表わしたものである。〔傍註〕
「彼は泣いている。そして彼の涙は天から非常な響音を以って落ちて、遠く聞こえた。そしてそれが為に地震が起った」。かくして失望の結果悲痛の為に叫聲を揚げることを余儀なくせしめられた時、彼は、タルムードの言葉によれば、驚くべき咽喉を持っているエラヤの獅子の聲を真似た。ある時はローマの皇帝がこの獅子を見ようと欲して、これを引き連れ来る為に人を遣(つかわ)した。神が皇帝から400マイルの距離に近づいた時、彼は非常な力をもって叫んだので、あらゆる妊婦が皆悉(みなことごとく)流産してしまい、のみならずローマのすべての城壁が崩れた。彼が更に300マイルの距離に近づいた時再び大声を出して叫んだ。それが為に人々の歯が皆抜け落ちてしまった。そこで皇帝は王座から倒れ落ちて、獅子を引き去るように哀願した。
かような形容をもって表象せられている神が人々に対する威厳に於て欠く所の少なくないことは云うまでもない。そこでタルムードは彼が諸方から非難を浴びせかけられている者として描いている。月までも彼が自分を太陽より小さいものに造ったと云って彼を責めている。これに対して神は自ら卑しくして疎忽(そこつ)を告白している。しかのみならず神はまた軽躁で深く考える所なく濫(みだり)に約束を与えている。この約束を履行する義務を免れるが為に「ミ」と称する強力な天使がいる。この天使は常に天地の間に往来して、神が軽忽(きょうこつ)に引受けられた義務の解除に努めている。だが、時としてこの天使がその場所に居らないこともある。その時神は困難な立場に陥る。ある時イスラエルの一賢人が、「嗚呼我は禍なるかな、誰が我を我が約束から救うか」と浩歎(こうたん)した神の声を聞いた。賢人はこの事を自分の同僚のラウウィンらに話そうと欲して走って行った。しかるにラウウィンらは、この賢人が自ら神を約束から救わなかった為に彼を驢馬(ロバ)と詈(ののし)った。何となれば各ラウウィンは之を為す権利を有しているからである。