タルムードはきわめて多くの版を重ねた。なかんづくユダヤ国民の期待と陰謀とに資することの多い。バビロンのタルムードは、ユダヤ人の間に絶大の尊崇を以て歓迎された。最も古いタルムードは1520年、印刷機の発明と同時にボンベルグによってベニスで発行され、これは十二巻に分けられた二ツ折り型の印刷である。ユダヤ人が、自分の聖書であるタルムードが自国民以外の人々の眼に触れる事を非常に恐れ、シネドリオンと題する書に「ユダヤ人に非らざる者がタルムードを読む時は必ずこれらを殺すべし」と云っている。タルムードが印刷機により発行されてから三十年を経た1550年、マルク・アントニ・ジュスチニアニによって、初版(印刷機によっての)に何らの改訂増補も加えられずベニスで再版が発行された。このタルムードの刊行はユダヤ人にとって一大脅威であった。と云うのは、ひた隠しに隠していた自分達の尊守しているタルムードが非ユダヤ人眼前の天日に曝されたからである。
彼らは、この時まで、キリスト教徒或はキリスト教に転向したユダヤ人が、イスラエル民の信仰するタルムード教道の道徳に反するものなる事を如何に指摘しても、またこれを立証する為に、彼らの聖書から誤謬の章句を利用して詰責(きっせき)しても、ユダヤ人らは無学なる翻訳者の誤訳とか或は写字生の過失に罪を帰して糊塗して来たのであった。しかるに確実性の徴候を十分に有する決定的印行本と、その写本とを照合する著者に対しては、上述の如き姑息な釈明は公然通用しなくなった。それ故に十六世紀のユダヤ人排斥論者は、官憲に対して、自分らの論難の正当なるかを確証するに不動の基礎を得たのである。これが為1581年、バーゼルに於て発行されたタルムードの第三版は、ローマ法王朝の厳重なる検閲によって、キリストとその教会に対し特に悪意を現している各ケ所を悉く削除せられた。しかるにユダヤ人は削除せられた瀆神的個所だけを別に出版して、自分らの所有していた書中に挿入増補した。これによって1600年の完全なるアムステルダム版及び1605年のクラコフ版が世に出た結果、生じた新たなる不平の為にラウウィンらは一層慎重の態度をとって、最早イスラエル民に対する武器を敵に与えないことに決した。これによって1631年、ポーランドに召集せられたユダヤ最高会議は、今後総ての出版に於ては攻撃を誘発するような個所を全部削除すべく規定した。そしてユダヤの背信行為の記念物として摘発するに足る如き措辞を以ってこれを行った。
その規定に曰く、「故に我らはミシナ或はゲマラの今後の出版に於ては、ナザレのイエスの行績に対し善悪に拘らず関係を有する何物をも印刷せざるべく、これに違反する者は最高度の破門処分を以て罰せらるる規定の下に命令す。随って我らはナザレのイエスに関する問題を含む個所は白く残し置く事を命令す。この個所に記入する○の字の如き丸印はラウウィン及び教師の為にこの個所を専(もっぱ)ら口頭にて青年に教授すべき事の警戒となるべし。この警戒を尊守する場合に於ては、キリスト教徒たるナザレ人の学者はこの問題について我らを攻撃する動機を有し得ないであらう」と。
上記の決定は、次に列挙する出版に於て多少完全に適用せられた。即ち最も完全なるはウィーン版、アムステルダム版(1644年)、オデル河畔フランクフルト版(1697年及び1716年~21年)、サルバッハ版(1769年)、パリ版(1839年)、及びワルシャワ版(1863年)である。しかしこれらの出版は隠匿個所があるに拘わらず、憤慨すべき厚顔無恥なる言辞に満ちている。それでヘブライ語の学者なるパリ大学教授、カトリック修道院々長神学博士オーグスト・ローリングは上記各出版中から抜粋を作って、1878年に「ユダヤ人・タルムド学者」と題する小著を出した。この書は最初ウェストファリヤのミュンステルで出版せられたが、この書の或る引用が確実でないと攻撃した批判論文が現れた為に、他のカトリック修道院々長神学博士マシミリアン・デ・ラマルクは上記著書全部の審査に十年を費やして、1888年にこの書をブリュッセルの出版業者アリフレド・ブロマンの手で新たに出版した。その際出版業者ヴロマンは、この書に含まれている引用個所中一つでも不正確なる事を立証し得た者に一万マークの懸賞を約した。
爾来(じらい)既に二十五年を経過した。上記の著書はベルギー、フランス、ドイツに於て数十万部に上る販売普及を見た。多くのラウウィンらはこの書を手にしていた。それでも由来ユダヤの固有性とも謂うべき旺盛なる殖利欲にも拘わらず、一つの引用個所でもその虚偽なる事を立証して、この懸賞の獲得を試みようとの冒険を企てた者はなかった。かかる経験は猜疑心(さいぎしん)の深い人々に対する立証となることができる。故に我々はこの二人の修道院長ローリング及びデラマルクの労作を利用して、その中から我らの為に必要なるタルムードの抜粋を挙げて見よう。何よりも先に我らは第一編に於て、その長年月に亘る編纂の沿革を略述したタルムードが如何に大なる意義を、ユダヤ人の為に有するものであるかを論証して見たいと思う。
この書を著述したパリサイ派の人々が、その第一の目的としたのは約千年に亘る彼らの凝視熟慮の成果なるこの書の教義学上の価値を誇称し且つ讃美するにあった。これについて彼らは十分その目的を達した。この自分らの著書を以って彼らに厭忌心以外何をも感ぜしめないバイブル以上のものと認めた。それと云うのは、バイブルは彼らにただイスラエル民の正統的信仰の時代を想い現さしめるのみであったからである。それ故にタルムードはその多くの個所に於て、バイブルに対する自己の優越性を宣揚(せんよう)している。次の抜粋は疑もなく之を立証している。
「バイブルは水の如く、ミシナは酒の如く、ゲマラは芳醇の酒の如くである。世界が水なく、酒なく芳酒なく、存在し得ざる如く、バイブル、ミシナ及びゲマラなくして保持されない。神人間の約束は塩の如く、ミシナは胡椒の如く、ゲマラは芳香の如くである。しかし世界は塩その他のものなくしては存在し得ない。バイブルを学ぶ者は、それ自体善行であり得る事も、あり得ない事もあるような事を行うものである。ミシナを学ぶ者は善行を為す。そしてこれが為にその報償を得る。またゲマラを学ぶ者は最高なる善行を表白するものである。もし人がタルムードの言葉をバイブルに移すならば、それによって一層幸福なる者とはならぬであらう」。タルムードの中には、ラウウィンの創作が神の霊感を受けて書かれたる創作に、バイブルを指す卓越せるものであるとの思想が常に繰返されている。その言に曰く、「タルムードの言は、約束即ち旧約聖書の言よりも甘い」故に「タルムードに対する罪は、バイブルに対するそれよりも重い」。総ての註釈家は一斉にこれに付け加えてこう言っている。「バイブルを手にして、タルムードを手にせざる者と交際すべからず」、「我が子よ、ラウウィンの言には約束の言よりも大なる注意を払え」、「ミシナ及びゲマラなくしてバイブルを読む者は神を有せざる人に等しい」。
バイブルに対するタルムードの優越性についてのこの確信は、ユダヤ人の意識に浸透しているので、ユダヤ革新派の声とも云うべき雑誌「ユダヤ古書庫」は、この躊躇もなくこう言明している。「タルムードについて云う時は、我らはこれがモーゼのバイブルに対して有する絶対的優越性を認むるものである」と。
この優越性を説明する為に、ユダヤ人の伝説はこう力説している。即ち「神はシナイ山でモーゼにバイブルばかりでなくタルムードをも授けた。ただ両者の異る所は、タルムードが比較的貴重なる労作として、ただ口述によってのみ伝えられねばならぬ」ことにあった。それは偶像を崇拝していた諸国民が、ユダヤ人を征服した場合に、タルムードが彼らに知られないが為である。のみならず又仮に、神がタルムードを書に録することを欲するとしても、地球がその書全部を載せる事ができぬからである。かくしてタルムードを神の如く崇めたユダヤ会堂の教義は、その自然の結果として、イスラエル民のためにこの大労作を創造し、且つその保存に努力したるラウウィン階級を奇蹟的に称揚(しょうよう)する外はなかった。それ故にラウウィンは啻(ただ)に超人的尊崇の的となっているのみならず、本格的崇拝の目標となっているのである。この事は次の断篇もこれを証明している。
「ラウウィンの言を実行せざる者は、その罪死に当る」、「ラウウィンの言が預言者の言よりも一層美妙である事を銘記せねばならぬ」、「ラウウィンの日常の談話の談話は、タルムード全部よりも尊敬せられねばならぬ」、「自分のラウウィンに反対し、これと争論し、或は之に対して不平を洩らす者は、神の威厳に反抗し、これと争い、之に対して不平を洩らすものである」、「ラウウィンの言は生ける神の言である」、「ラウウィンに対する敬畏に神に対する敬畏である。ラウウィンが、汝の右の手は左の手は、左の手は右の手であると汝に言っても、彼の言に信を置かねばならぬ」(最後の二説はアイモンドと教師ラシの言)。
かような言を述べる時、タルムードの著者らはその良好なる道路から下る理由を有しなかった。実際「シネドリオン」と題する書にこう記されている。即ち「死したるラウウィンらは天上で特に選ばれたる人々を教える使命を有している」。また教師メナヘムが、「天上でタルムードに関する重大なる問題が審議された度毎に、神はラウウィンと協議するが為に地上に降った」と力説している。これに対して或いは我らにこう論難する者があろう。即ち「タルムードの件には、その学識の蘊蓄(うんちく)を以って大いにその栄名を轟(とどろ)かしたラウウィンらが同一の問題に関して同時に述べたが、互に矛盾している見解が数多載せられてある。もし互に矛盾しているならば、同時に皆正しいものであり得ない。されば、この場合如何にして誰が正しいかを決することができよう」と。これに対してまた教師メナヘムは次の如く「すべての時代、すべての世代のラウウィンらのすべての言は、假令(たとい)我らが互に矛盾している場合に於いても、預言者の言と同じく神の言である。誰にてもラウウィンに反対し、之に争論し或はこれに不平を洩らす者は、神と争い、神に向って不平を云う者である」との解答を与えている。
この教義は、あたかもカトリック教会がただその教主(ローマ法王)にのみ、それもただ正確に規定せられたる場合に於いてのみ認める如き絶対無謬性を、すべての時代のラウウィンらにすべての場合に於て、しかも互に矛盾している時に於ても認めている。かかる教義はタルムードのすべての註釈に述べられている。これは畢竟(ひっきょう)実際上に於て道徳律のあらゆる牢固たる基礎を否定する事に帰省するものである。
実際ギルレル派とシャンマイ派との間に異論がある。その論争はタルムードの中にも記述せられている。そしてユダヤ会堂の聖書も「双方の意見は神の言である。ギルレルの言も、シャンマイ派の言も神の言である」と述べている。では、この場合如何に為すべきであらうか、その結論はただ一つあるのみである。即ち「ラウウィンらのすべての言が神の言であるので、汝の心が実行の可能如何に応じて汝に示唆する所に従って行え」と云うのである。パリサイ派の理想に全然適合せる人々の行為に対する無関心は左の規定によって一層基礎付けられる。即ち「罪を犯すことは、それが密かに行われさえすれば許される」(以上シャーグ章。ギッテェシェン章。チェブト章。トカフォット。シュルレン章。バメオット章。教師ラシ著イエバム書より)と。 ◆囲み記事◆
「ローマ法王廳を根こそぎに破壊する時期が到来すると、隠れたる我々の手の指が、各国民を法王廳へとさし向けるであろう。そして各国民がそこへ殺到したら我々は、表面上法王の擁護者として登場して、流血の惨事を大きくしないように鎮静する。この策謀によって法王の信頼を完全に覆すまではその所を去らぬであらう」。