実際ユダヤ人は、到る処に牢固たる地位を占めている。そして或る処、例えばアレキサンドリヤなどは、全人口の三分の一を占めている。のみならず彼らは殆んど総ての場所に於て、次のような特別な権利を獲得していた。 (一)・特別区域ゲットと云う居住権、(二)・或る種の租税に対する免税権、(三)・自国民から選んだ裁判官による裁判権。イエス・キリスト及び最初の使徒たちの時代に世界を網羅していたユダヤ人の各殖民地は一種の共和国を成り立てていた。そしてその宗教上及び行政上の中心となっていたのは彼らの会堂であった。しかしこの地方的会堂は追放せられたユダヤ人の憧憬の的となっていた聖地、エルサレムの聖殿の単なる繁栄に過ぎなかった。ただこの聖殿に於てエホバの神に対して行われる献祭のみが効力あるものと認められていた。そして他のすべての都市に於てはこれを行うことが禁じられていた。それでエルサレムの聖殿の維持の為に、毎年世界の四方からの租税が集められて、エルサレムに送られていた。この目的によるドラクマ人頭税は一種の貢で、これを納めることにはユダヤ人は皆喜んで同意していた。何となれば、この貢が彼らの国民的団結を強化すると共に、その宗教心を満足せしめるからである。以上、我らの記述したる組織によって、ユダヤ人は西暦35年には極度の分散と最も緊密なる宗教的及び政治的一致団結との互に相矛盾せる状態を呈していた。幾百と云う、ローマ帝国、アジヤ諸国の都市、あまつさえ野蛮国の各地はその中にあるゲット―(ユダヤ人居留地)に於て古代ユダヤ国の人口の四分の三を収容していたのである。
しかし最高評議会(シネドリオン)とエルサレムの聖殿は、これら追放せられたる国民の為にも、パレスチナに踏み留まった同胞と同様な憧憬の的となったり、且つ同様なる権威を保持していたのである。皆同様の殿税を納め、同一の献祭を精神的中心として団結していた彼らは、シネドリオンにとっては皆な臣民であった。しかしこれと交渉を保つことは一層困難であったが、とにかく屡々(しばしば)これに飛脚を送っていた。もしその当時或はそれよりも久しき以前からシネドリオンがパリサイ派の手中に牛耳られていたことを想起するならば、ユダヤ民の最高会議の名によるこの宗派の単なる布令によって、直ちに全世界を網羅している無数のユダヤ人居留民団を駆って、キリスト教排斥運動の為に起たしめることが、易々たる業であることを解するに難しくないであらう。そしてキリスト教の伝播の迅速なることが一般に明白となるや否や、このことが現実化したのである。それは即ち紀元35年であった。
初期キリスト教の伝説を保守していた教会の師父らが、我らに伝えた動かすべからざる事実に基いて検討するならば、この問題は疑うべき余地を有しないのである。二世紀の最も有名なる殉教者の一人なる聖哲学者エスティヌスは、ただに教会に知られているのみならず、その反対者も否定していない事実について、「ユダヤ人トリフォン(多分秘密教諸書中にその名を知られている祭司トリフォンであらう)との談話」と題する著書中にこう記している。「イエス・キリスト及び我らに加えられる侮辱に対する罪に於て、他の国民は汝らユダヤ人に比すれば遙かに軽い。汝らは我らに関する偏見と、我ら及び義人(キリスト)についての悪評の基因を成す者である。実際汝らは彼(キリスト)を十字架に釘づけた後、彼の復活と昇天のことを確実に知りながら、悔い改めなかった。しかならず、あたかもこの時に当って自分らが厳選したる密使を世界中に派遣した。この密使らは、到る処に於てキリスト教を背信的宗教と称し、それが如何にして起こったかと説いて、我らに関する聞くに堪えざる悪評を宣伝した。そしてこの悪評は今日もなお我らを知らざる人々によりて繰り返されている」(17節)。本書の18節に於て、聖哲学者エスティヌスは、再びこの非難について一層決定的に述べている。その言に、「余の既に云った如く、汝らは自分らの計画を実行するに適する人々を選抜して、彼らを四方に派遣し、彼らを通じて、ガリラヤから出たイエスなる者が律法に反し、神に背く宗教を起したと宣伝せしめた。なお汝らは、イエス・キリストが忌むべき犯罪を行うことをその弟子らに教えたと附け加えた。そして今日に至るまで汝らは、イエス・キリストを救世主又は神の子と見做している人々が、皆この犯罪をその固有のこととして行っていると力説している。我らについて云えば、我らは汝らに対しても、又汝らに関するこの悪評を汝らから聞いている人々に対しても、憎悪の念を懐くものではない。そして我らは、神は彼らにも汝らにも、その宥怒と恩恵とを賜らんことを祈ってさえいるのである」。
シネドリオンの使者らが、全政界に分散しているユダヤ居留民団に対し、またその集団にあった諸国民に対して、キリスト教を非難するために指摘した「忌むべき犯罪」とはそもそも何であったろう。これを明らかにする為には、その当時に於けるキリスト教徒以外の学者達の著書を繙(ひもと)けば足りる。彼らはこう言っている。「キリスト教徒は忌むべき秘密の教道を宣伝したり、驢馬(ろば)の頭を拝んだりしている。そして自分らの聖餐の時に、捏粉(ねりこ)を塗りつけた嬰児の体を分ける(聖体機密の曲解)。彼らはまた近親相姦その他種々の犯罪を事としている。終に彼らは反逆者で、シーザーの命に服せざる者、あらゆる社会の敵である」と。
紀元前三世紀の間、これらの非難によって幾何のキリスト教徒の虐殺が行われたか、また幾何の殉教者が残酷なる苦悩の中に、叙上の如き、讒誣(ざんぶ)によって煽動された群衆の喊声(かんせい)を聞きつつ亡びたかは周知の事実である。この讒誣(ざんぶ)が何所から出たかを明らかにし、且つ教師を十字架につけた手が、その門徒達をも苦しめたのであることを知るのは無益なことではない。
テルトリアヌスの証明も、聖エスティヌスの指摘したところと同一である。聖エスティヌスは、「主の名が諸国民の間に誹(そし)らるるは、これ汝の故なり」との聖書の言をユダヤ人に適用して、なお附け加えてこう記している。「実際今日我らが恥ずべき状態に陷ち入れられている原因はユダヤ人にある」。他の個所に於て彼はその同時代のキリスト教信者が、カルタゴに於てユダヤ人から受けた総ての侮辱を枚挙している。彼の云うには、「下層民もユダヤ人を信じていた。何となれば世界中ユダヤ人の如く我らについても忌むべきことを宣伝する人種が他に何処にあらうか」。終に「異教徒についての書」に於て、彼は簡単にして且つ感動深き、歴史的真実を適切に述べた次のような定義を用いている。即ち「ユダヤ人の会堂は我らの受くる迫害の源泉である」と。
オリゲヌスも記して云うに、「ツェリス、その書中に我らを知らざる自分の読者らに、我らを以って神を冒涜する者となして、争闘と交える希望を起さしめている。我らはこの点に於てユダヤ人に似ている、ユダヤ人はキリスト教の開基以来、我らについてあらゆる讒謗(ざんぼう)を流布していた。彼らはキリスト教徒が嬰児を人身御供となし、その肉を食し、自分の暗い行為をなそうと欲して燈火を消し、行き会う姉を捉(とら)えては姦淫を事とすると言っている。これらの讒誣は、如何に荒唐無稽であろうとも、多くの人々をして我らに反対せしめる力あるものである」(「ツェリスに対する反駁」6の27)。
エ・パンフリも同様にその預言者イザヤの書の注解中にこう述べている。「我らは我らの学士等の書中に次の如き事を見出した。即ちエルサレムに於けるユダヤ人の祭司ら及び長老らは総てのユダヤ人に遍(あまね)く書翰(しょかん)を送って、イエス・キリストの教道を神に逆う新設として非議し、これを排斥すべきことを命じた。このユダヤ人の使者らは、書翰を託された諸海を航し、全地を巡歴し、自分の讒誣(ざんぶ)を以って到る処に我らの救主について醜悪なる風説を流布した」。
当時の著書から同様の事実を証明している、なお数十の抜粋をここに列挙することもできよう。しかし我らはモスヘイムがその著書の中に述べている次の結論を引用するに止めておこう。「ユダヤ国民の祭司長ら及び長老らは、自分の使者らを諸州に派遣して、同胞を使嗾(しそう)し、ただにキリスト教徒を忌避し、且つ憎むのみならず、あらゆる方法を以って彼らを窘迫(きんぱく)し又は検挙せしめた。全世界のユダヤ人は、自分の指導者らの命令を実行して、讒誣(ざんぶ)及び各種の奸策を弄し、地方長官、裁判官及び民衆を煽動して、キリスト教に反抗せしめようと努めた。この讒誣(ざんぶ)の中、主なるものは、今日もなお繰返されている次の如きものであった。即ちキリスト教は国家のため危険なる宗派で帝王の権力に対して敵意を懐くものである。と云うのは、この宗派は総督ピラトによって全然合法的に十字架につけられたイエス・キリストと云う悪人を神とし、又王と認めているからである。かかる所為は、最初のキリスト教徒をしてユダヤ人の憎悪と残忍とに対する怨訴(おんそ)を絶叫するに至らしめた。彼らはユダヤ人のかかる態度を以って、異教徒即ちキリスト教徒及びユダヤ人以外の者の迫害よりも、一層危険且つ困難なるものと認めていた。民衆を駆ってキリスト教徒に反抗せしめる命令を以って派遣された、かかるシネドリオンの使徒等の一人に、タルス生れの若いパリサイ派の学者サウロがあった。聖輔祭(ほさい)長ステパーを石を以って撃ち殺したユダヤ人らが、彼の足下に自分の衣服を脱いで置いたと云われるほど、彼はこの事件に密接な関係を有していた。しかるに彼はその後ダマスコに同じ目的を以って赴く途中、奇蹟的に俄然キリスト教に転向して聖使徒パウロとなった。これについて使徒行伝にこう記してある。『パウロは教会をあらし、家々に入り男女を引き出して獄に付せり……パウロは主の弟子達に対して、なお恐喝と殺害との気を充たし、大祭司にいたりて、タマスコにある諸会堂の添書を請う。この道の者を見出さば、男女に拘わらず縛ってエルサレムに曳かん為なり』」(8章及び9章)。