第3章、キリストとパリサイ派

 (最新見直し2012.04.06日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 「第三章 キリストとパリサイ派」を転載しておく。

 2012.04.06日 れんだいこ拝


 義人キリストの声が、パルサイ派の築いた堂宇(どうう)を震撼せしめ、この隠然たる努力を有する異端者らの偽善を暴いた時、彼らの勝利は、ここにその末期に近づいた。イエス・キリストの最初の奇蹟が、この人こそと待望されつつあった。メッシア(ヘブライ語の救世主)であると感じせしめた時、如何に大なる驚異がパリサイ派の人々を衝撃したかは、バイブルによく指摘されている。既にその以前にも、神の子(キリスト)は、安息日の祝典についての問題に於て、外面的敬神を過大に尊守することを装うて、心中窃(ひそ)かに律法の破壊を謀っていたパリサイ派の偽善を面責した。キリストの往く所に従い、その行った奇蹟を見て鼓舞されつつあった民衆は、「聖殿の売買を行う者」の権勢の終焉を予報していたかのように見えた。そこでパリサイ派はエルサレムからイエスの許に使者を遣わした。

 この使者の一団は、ゲネサレ湖ガラリヤの岸邊でイエスに会った。パリサイ派の規定した洗浄式の一つを口実として、彼らはイエスの門徒らがこの儀式を守らないことを責めて、彼に向ってこう言った。「何故に汝の弟子は古の人の云い伝え(秘密教)を犯すか」と。イエスは彼らに答えて、「何故に汝らは、また彼らの言伝えによって神の戒命を犯すか」と言った。そして彼らが神の言を忘却していることを譴責(けんせき)して、なお加えて、「偽善者よ宣なるかな、イザヤは汝らにつきて能く預言せり。曰く、『この民は口唇にて我を敬う。しかれどもその心は我に遠ざかる。ただ徒らに我を拝む。人の訓戒を教とし教えて』」といった。

 この宗派にはただ一つの希望があった。それはマリヤの子キリストを殺すことであった。かくの如くにして既に以前にも、彼らをして先祖アブラハムの信仰に立ち帰らしめようと努めた多くの預言者を彼らは殺したのである。福音書の物語りは、如何にかしてキリストをなき者にせんとしてパリサイ派の人々が企てた陰謀や、圧迫や、奸計に満ちている。彼らの悪意はキリストが町から町へ、会堂から会堂へと歴訪して、ユダヤ人の心に彼らの祖先に与えられたる神の古代よりの約束を想起せしめ、彼らが離叛した祖先の信仰の記念を喚起せしめようと努めるに隨(したが)って、ますます募るのみであった。民衆はこぞってキリストの言に耳を傾けていた。エルサレムでパルサイ派の人々が彼を見た時、彼らの憎悪はその絶頂に達した。そこで彼らの奸策に囲まれ、彼らの憎悪の気息を直感しつつ、神の子キリストは次の如き苦言を以ってパリサイ派の人々に向った。

 「禍なるかな偽善なる学士、パリサイ人よ。汝らは白く塗りたる墓に似たり。外は美しく見ゆれども、内は死人の骨と、さまざまの穢(けが)れとに満つ。かくのごとく汝らも、外は人に正しく見ゆれども、内は偽善と不法とに満つるなり。禍なるかな偽善なる学士、パリサイ人よ。汝らは預言者の墓をたて、義人の碑を飾りて言う、『我もし先祖の時にありしならば、預言者の血を流すことに與(くみ)せざりしものを』と。かく汝らは預言者を殺しし者の子たるを自ら証す。汝ら己が先祖の枡(ます)目を充たせ。蛇よ、蝮(まむし)の裔よ、汝ら争(いか)でゲヘナの刑罰を避け得んや。この故に見よ! 我、汝ら預言者・智者・学士らを遺さんに、その中の或る者を殺し、十字架につけ、或る者を汝らの会堂にて鞭(むちう)ち、町より町に逐い苦しめん。これによりて義人アベルの血より、聖所と祭壇との間にて汝らが殺しし、バラキヤの子ザカリヤの血に至るまで、地上にて流したる正しき血は、みな汝らに報い来らん。誠に汝らに告ぐ。これらの事はみな今の代に報い来るべし。ああエルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、遺(のこ)されたる人々を石にて撃つ者よ、牡鶏のその雛を翼の下に集むる如く、我、汝らの子どもを集めんと為(な)せしこと幾度ぞや。されど汝らは好まざりき。視よ! 汝らの家は廃れて汝らに遺さん」(マタイ伝23章)。

 神の恒忍がイスラエル民の罪悪の為に力を失って、神がその仁恵をその民から取り上げ、その国権を奪って、これを他国民の間に分配する時期が到来したとの警告を、キリストは、ユダヤ人による神人の殺害、次いで彼らに及ぶ神罰を預言した次のような感動深き言葉を以って述べている。「また一つの譬(たとえ)を聴け。ある家主、葡萄園をつくりて籬(まがき)をめぐらし、中に酒槽を掘り、穭(?)を建て、農夫どもに貸して遠く旅立てり。収果期近づきたれば、その果を受け取らんとて僕らを農夫どもの許に遣わしたるに、農夫どもその僕らを捕えて一人を打ちたたき、一人を殺し、一人を石にて撃てり。再度他の僕らを前よりも多数遣わしたるに、これをも同じようにあしらいたれば、我が子なれば敬うならんと思いて、その子を遣わしたるに、農夫どもは、この子を見て互いに云う。『これは世嗣(せいし)なり。これを殺してその嗣業(編注:神から与えられた約束の土地)を取らん』と。これをも捕えて葡萄園の外に連れ出して殺せり。遂に主人来たる時、農夫どもに言う。『その悪人どもを飽くまで滅ぼし、果期に及びて果を納むる他の農夫どもに葡萄園を貸し与うべし』」。

 イエス言いたまう。「聖書に『造家者(いえつくり)らの棄てたる石は、これぞ隅の首石(おやいし)となれる。これ主によりて成れるにて、我らの目には奇しきなり』とあるを汝ら未だ読まぬか。この故に汝らに告ぐ、汝らは神の国を取られ、その果を結ぶ国人に、これを与えらるべし。この石の上に倒るるものはくだけ、またこの石、人の上に倒るれば、その人を微塵とせん」。福音書はこれに加えて次のように述べている。「祭司長・パリサイ人ら、イエスの譬をきく。己らを指して語り給えりを悟り、イエスを捕えんと思えど群衆を恐れたり。群衆、彼を預言者とするによる」。

 悲しいかな三年の間パリサイ派が準備しつつあった犯罪の行わるべき日は到来した。義人は捕縛(ほばく)せられて、パリサイ派の人々が首脳部となっていた最高評議会(シネドリオン)に引かれた。そして祭司長等及び長老ら(これら最高職位を自滅の人々から出していたパリサイ派)によって煽動されたユダヤ民衆は、当時のローマ政府の長官ビトラに向って凶悪なる強盗たるワラワを赦免して、その代りにキリストを十字架にかけることを請願した。その当時は過越(すぎこし)の祭に十字架にかける罪人の代りに必ず一人を赦免する規則になっていた。世界の救世主が、すべての罪人らの上に伸ばして広く左右に開いた両手を、パリサイ派の人々は、十字架の木に釘を以って打ちつけた。十字架に釘づけにされたキリストの足下に、その門下達や、門徒及び聖なる婦人たちが泣き叫んでいた時、神の子の殺害者なるユダヤ人は、高らかな笑声をあげて、「その血は、我らと我らの子孫とに帰すべし」と、忘れ得ぬ言葉を繰り返していた。





(私論.私見)