前述の如く財産に関するユダヤ人の理念は、非ユダヤ人と根本的に相違しているが、さらにまたゴイ即ち非ユダヤ人に対する生命についても、彼ら独特の勝手な断案を下している。即ち、「殺す勿れと云う誠命は、イスラエル人を殺してはならぬと云う意味であり」、「ゴイ及びユダヤ教に背きたる異端者はイスラエル人ではないから、もし邪魔になる場合は遠慮なく殺して差支えない。のみならず危険が伴わざる時は、努めてゴイの最優秀なる者を殺害せよ」(アボダ・ゲーラ)、「ユダヤ人が、運搬する荷物の重量に耐え兼ねて、倒れる動物を見た時、その荷物も動物も非ユダヤ人の物ならばこれを助けてはいけない」(同上)、「もしユダヤ人の目の前に於て同胞のユダヤ人が瀕死の状態にあらば、例えその者が罪人たりとも霊の体より分かれんとする時、哀悼(あいとう)の記念として、己の衣類の一部を割けり。しかれども非ユダヤ人及び非ユダヤ人に転向せるユダヤ人の臨終に際しては、この哀悼の表示を禁ずる。何となればこれは却ってユダヤ人の喜ぶところだからだ」(ゾファリム)、「ユダヤ人が仲よき非ユダヤ人を殺すは、直接の義務に非らざるも、彼を死より救うことを禁ず。例えば非ユダヤ人が水中に溺れんとする場合、救命の報酬として厖大な財物を提供せらるるとも、これをしてはならぬ」、「ユダヤ人は生活の資となる職業を非ユダヤ人に伝授してはいけない」、「もし汝がゴイをその落ちた穴から引き上げるならば、それは人を偶像崇拝に支持することになるからである」、「ゴイが川に溺れているのを見た時、これに同情するは厳禁す。如何に死に近づいていてもこれを救ってはならぬ」(ジャード・シャツ)、「ユダヤ女の母乳は例え報酬を受くるとも、飢えに泣く非ユダヤの赤子に授乳するな。それは非ユダヤ人の成長を助くる事となるからだ」、「ユダヤ人の医師は非ユダヤ人患者を治療することを禁ずる。但し彼らの怨を遺(のこ)す場合はこの限りに非らざるも、その機会を得た時は、薬の活殺力を必ず試験せよ」、「汝は、汝の神エホバが汝に渡し賜はぬ民を悉(ことごと)く絶滅せよ。決して彼らを憐れみてはならぬ」、「彼らの神に決して事うべからず。それは汝の炎となる」、「汝は、他の民は多ければ、我が如何にしてこれを遂い散らすことができるかと思うが、汝、彼らを恐るる勿れ、汝の神エホバが、パロとエジプトとで為し給いし事を想起せざるか? 汝の目撃したる大なる試練と、奇蹟と、魔術と、強き腕を伸べたる手とを記憶せざるか? 汝の神エホバは、汝の怖るる一切の民に対して為し給う。そしてこれらの民を汝の前より遂い散らし給わん。恐らくは野山の獣殖えて汝に迫らん。汝の神エホバは彼らを汝に渡し、大いに怖れ戦かわしめてこれを絶滅し、彼らの王等を汝に渡し給うであらう。汝に当る事を得る者なくして、汝らにこれを滅し尽すに至るであらう。汝、彼らの名を地上より削除すべし」。
云々(うんぬん)と申命記第七章及びアボダ・サーラジャドシャツにある。以上の教訓はモーゼが神の名を以ってユダヤ民族に言い遺した所のもので、ユダヤ人が最も厳粛に尊守している。故にゴイがユダヤ人に数知れず殺されるが、救われた場合は極めて稀である。