1917年まで、世界の一大強国をもって誇った帝政ロシヤは何が故に崩壊した乎? しかも国家興亡の岐路に立って外敵と血の死闘を続けている真只中に、どうして革命が勃発した乎? この原因については勿論幾多の事情があるが、編者は結論を劈頭(へきとう)に提げ来って言う! 「この国家崩壊の革命を齎(もた)らした最大の因由は、ユダヤの陰謀にある」と。何となれば、彼らが過去数千年にわたって踏襲してきたその信条たる「各国家内に紛争を起さしめ、或いは国家とを相戦かわしめ、而してその間隙に乗じ、その国家の富を根こそぎ吸収するに努めて、政治的、経済的基礎を破壊し、国家の潰滅を謀ること」、「国民に虚栄と奢侈(しゃし)とを追求せしめ、風俗壊乱をはかり、飲酒と頽廃的享楽に誘致して、愛国心を喪失せしむ強度の魔薬を振り撒くこと」、「戦争、革命、政治、経済、宗教等の擾乱(じょうらん)は、我々が努力している世界統一の宿望を達成する機運を促進するものである。殊に医師は、各家庭に出入りする機会が多いので、ユダヤ永劫の仇敵たるキリスト教徒の奪命に努力せねばならぬ」の数々を実現したからである。しかもこれはその信条の真の一端にすぎないが、これらの信条は、彼らの祖先が幾多の年月を閲して編み出した宗教「タルムード(経典)」の教訓を遵守して、世界征服の陰謀をもって、他民族を根滅せんとして来ている歴史が立証するからである。彼らが、この神人倶に赦さぬ教訓を貫徹せんが為に、他民族に向って突進する態は、正に血に飢えた猛獣そのものである。金を蒐集する為の貪婪(どんらん)非道の蛮行も正義と解し、国家破壊の為の総ての陰謀術策も神が選び給いしユダヤ人の神聖なる天職としている。
元来ユダヤ人は、西暦70年、ローマ帝王によって国を滅ぼされて以来、あたかも蜘蛛の子の四散せし如く、各国を転々流浪いわゆる散住の民として今日に至ったのであるが、正義、人道の観念を他民族と異にする彼らは、至る所に於てその国民性を発揮しては、圧迫され、蛇蝎視され、中世紀に於て遂にスペイン、フランス、オーストリヤを追放されるに至った。ロシヤには最初西暦千二三百年頃よりギリシャ方面より流れ込んだが、その後ドイツ、ポーランド、ウクライナヤの各所より大々的団体を組んで移住したのである。爾来ロシヤ人との間に幾多の紛争が惹起されたが、遂に1914年、彼らの陰謀によって世界大戦が勃発して、この機会に乗じてロシヤの革命を起し、帝政ロシヤを崩壊せしめたのである。
ユダヤ人が、この機会にロシヤ大帝制を破壊する為に、政治、経済方面の策動は勿論、なかんづく国民の愛国心喪失に全力を行進すべき進軍喇叭を吹奏した。この喇叭に歩調を合わして、颯爽と勇進した軍隊は如何なる部隊であったか? これらの部隊は上層階級、資産家、重役と高級社員、戦時成金、時代の波に乗った労働者の成り上り者、暗成金及び脱税者(スペクリャント)、大学生、虚栄の強い女性、尊い女の誇りを安価に鬻ぐ娘子軍等々の混成連合部隊であった。勇敢なるこの部隊の出動によって、当時のロシヤの都合はどうであったか、編者の在留していたペトログラードの如きは、レストラン、カフェ、喫茶店、酒場、劇場、活動等の歓楽境は勿論、ホテル、宿屋、下宿屋までが大入超満員の繁栄を呈した。この亡国的変態景気は、物価の高騰に伴う兌換券の膨張に起因したことは云うまでもない。この氾濫した兌換券の吸収を憂慮したのは、政府要路の重職にある憂国の大官であり、好機逸すべからずとして、ニタリと薄気味の悪い冷笑を洩らしたのはユダヤ人であった。政府は国家の危機を叫んで、国防献金、公債の消化、物資の節約、産業の拡充、預金や保険の奨励に懸命努力しても、ユダヤ人の撒いた猛烈な、個人主義、利己主義、享楽主義の魔薬に、愛国の精神も、憂国の志も、麻痺してしまった亡国的非国民の耳には、蚊の音ほども殆ど聴従するものがなかった。そしてただただ眼を邪淫に光らして、一路刹那的享楽と淫蕩遊蕩の真髄をつかんだユダヤ人は、忽ち全市の重なるレストラン、カフェ、テアトル、ホテル等を手に入れた。そしてレストランやカフェの一部を改造し、舞台と待合室とを設備したのである。この舞台からは、夕刻になると、嚠喨(りゅうりょう)たるオーケストラの音や猥褻極まる歌詞が流れ出て、これら亡国の民を恍惚たらしめた。
便所の側(わき)に新設した四面を鏡で張った待合室には、二三十人の売笑婦が控え、用を達す振りをして、その実、女を漁る老若の男を誘惑した。この光景はひとり編者ばかりでなく、当時在留した邦人の直接目撃したところであって、戦時下のロシヤの首都がこの状態では、もはや戦争には勝目がない、また戦争に負けなくとも、必ず国内的に何か重大な事件が勃発すると予想された。果せるかな惨烈極まる革命となり、さしものロマノフ王朝も一朝にして崩壊した。これは前述の如くユダヤ人の陰謀であり、そしてその思う壺に嵌ったわけである。「他山の石以って、我が玉を磨くべし」。勿論、我が国難は彼らユダヤ人の策謀の如きに微動だもするものではないが、しかし現下の我が国状はどうか? 五年に亘る聖戦と、東亜共栄圏確立の大聖業を阻止され、ひいては萬邦無比の我が国家を焼き拂わんとする火の粉が、南北の烈風に煽られてもの凄く振りかかっている秋である。この肇国以来の一大国難に遭遇せる我が国民は、敢然起って国策の貫徹と、火の子の拂ひ除けを断行せねばならぬ。祖国擁護の前には如何なる艱難辛苦も物の数でない。一旦緩急あって義勇公に奉ずるのみである。然るにおや、都市に於ける人心の動きは、この国難を克服せんとする姿であらうか? この姿は、ユダヤ人の振り撒いた魔薬に魅惑された崩壊前の帝制ロシヤ国民の実情に髣髴(ほうふつ)たるものはないか? 我らは断言する。一部国民の間にかかる者があると――。そしてこれは眼に見えざるユダヤ人の策謀であることも判る。実にユダヤこそ、現下のわが国に最も警戒すべきパチルスである。
本書は、何故にユダヤ人が、非ユダヤ民族に対してかかる辛辣なる毒手を振うにいたったかと云う原因、即ちその歴史的事実を詳述し、併せてこれを警戒すべき要点を説いたものを、ロシヤ帝制時代のデ・グラッペ将軍が訳出した「ユダヤ人とタルムード」を翻訳して、これを主題とし、樋口艶之助著「猶太禍」を参考に編したものである。原書に拘泥(こうでい)するあまり、聊(いささ)か行文に難解の点があるを免かれないが、今日の時局に対し、一片耿々(こうこう)の至情禁ずる能わず、敢えて菲才(ひさい)を顧みず世に問うた次第である。そしてこれが幾分でも、ユダヤ禍の深化を防衛する資料ともならば、編者の本望これに過ぎない。昭和一六年十一月 久保田栄吉(一八八七年生まれ)