「水の戒律」







(私論.私見)


ユダヤ人について − その1

ミクヴェ(『水の戒律』)


 正統派ユダヤ教徒、他に改革派、保守派などがあり、まったく戒律を守らないユダヤ人もいる。

 ミクヴェ(Mikvah)。『水の戒律』の原題は"The Ritual Bath"、ユダヤ教徒が清めの儀式を行う水浴場、すなわちミクヴェ。

 
ミクヴェがあればこそ、女性は誇りをもって夫婦間の清浄の掟を遵守することができる

 その権威の基盤は、成文律法だけではなく、古代から受け入れられてきた慣習、権威あるラビ(律法学者)の判定、学者たちの多数決など、要するにユダヤ人共同体成員の正しい<歩き方>を律すると考えられたすべての権威を含んでいる。

 「精神の浄化。魂の復活よ。女性は生理の初日から数えて12日間、セックスを禁じられているの。12日が過ぎて、無出血の日がすでに7日間続いていることを確認したら、ミクヴェに身体を浸し、それからようやく夫婦関係を再開することができる。つまり、毎月少なくとも12日間、夫も妻もおたがいの身体に触れてはいけないということよ。きっとあなたには耐えられないでしょうね」、「ええ、でも信心深いユダヤ人ならみんなそうするわ。わたしもそうよ」ひと息ついて、言った。

 ヘッジ・ファンドの世界で一世を風靡したジョージ・ソロスは、1930年にハンガリーのブタペストで生まれたユダヤ人である。父親が役人に賄賂を贈ってアウシュビッツ行きを辛くも逃れ、戦後になって留学するために英国に渡った。ソロスは、当初から「非ユダヤ的ユダヤ人」だった。政治的なシオニズム運動には加わらず、シオニスト・グループやユダヤ主義者との間に一歩も二歩も距離をおいている。ユダヤ人としてのアイデンティティよりも「私は差別のないグローバルな人間だ」というのがソロスの口癖だ。

 旧約聖書』である。旧約聖書と新約聖書。この旧約聖書がユダヤ教の聖書である。旧とか新とか呼んだのはクリスチャンだ。ユダヤ人は当然旧約聖書などとは呼ばないし、そんな呼び方を認めてもいない。以下単に聖書というときはユダヤ教の聖書、すなわち旧約聖書を指すことにする。

 聖書はヘブライ語で書かれている(したがって、ユダヤ教の用語はほとんどヘブライ語で、ユダヤ教関連用語集)。だからユダヤ教聖書のことをヘブライ語聖書(Hebrew Bible)ということもある。ユダヤ人は聖書のことをミクラーと呼ぶ。これは「読む」という動詞から派生した語らしい。つまり、朗読されるものという意味だ。

 日本語聖書とヘブライ語聖書が決定的に違うのはその構成だ。日本語聖書は、創世記以下の律法、ヨシュア記以下の歴史、ヨブ記以下の文学、イザヤ書以下の預言という構成をとっているが、ヘブライ語聖書は、創世記以下の律法(トーラー)、ヨシュア記以下の預言書(ネビイーム)、詩編以下の諸書(クトビーム)という構成をとっている。この3部の頭文字をとって、適当に母音をつけてタナークと呼ぶわけだ。

 日本聖書教会の『新共同訳聖書』。サムエル記下11.1−11.27が該当しそうだ。 「年が改まり、王たちが出陣する時期になった。ダビデは、ヨアブとその指揮下においた自分の家臣、そしてイスラエルの全軍を送り出した。彼らはアンモン人を滅ぼし、ラバを包囲した。しかし、ダビデ自身はエルサレムにとどまっていた。
ある日の夕暮れに、ダビデは午睡から起きて、王宮の屋上を散歩していた。彼は屋上から、一人の女が水を浴びているのを目に留めた。女は大層美しかった。ダビデは人をやって女のことを尋ねさせた。それはエリアムの娘バト・シェバで、ヘト人ウリヤの妻だということであった。ダビデは使いの者をやって彼女を召し入れ、彼女が彼のもとに来ると、床を共にした。彼女は汚れから身を清めたところであった。女は家に帰ったが、子を宿したので、ダビデに使いを送り、「子を宿しました」と知らせた。
……
翌朝、ダビデはヨアブにあてて書状をしたため、ウリヤに託した。書状には、「ウリヤを激しい戦いの最前線に出し、彼を残して退却し、戦死させよ」と書かれていた。
……
ウリヤの妻は夫ウリヤが死んだと聞くと、夫のために嘆いた。喪が明けると、ダビデは人をやって彼女を王宮に引き取り、妻にした。彼女は男の子を産んだ。ダビデのしたことは主の御心に適わなかった。」

 ユダヤ教徒にとってミクヴェは絶対的なものである。天然水をたたえた水槽は夫婦間の清浄を象徴する要なのだ。ミクヴェの水は死者を清めるためにも使われ、そこに浸水することは改宗を望む非ユダヤ人にとっても不可欠なこととされている。金属製の調理器具や食器類でさえ、浄化するためにそこに浸される。ミクヴェはユダヤ人の生活の核と言ってもいい。飲食物の規定割礼の儀式安息日などと同じように、ミクヴェ正統派ユダヤ教徒の生活の一部なのである。

 ユダヤ教には、理論や思想としてのユダヤ教とともに生活のなかのユダヤ教という側面がある。ミクヴェカシュルート(飲食物の規定)、ブリット(割礼)、シャバト(安息日)…、前にも書いたように、ユダヤ人を理解しようとすれば、生き方としてのユダヤ教、生活のなかのユダヤ教を知る必要がある。

 男性は、新年祭贖罪日の前には儀式用の水浴場、ミクヴェにいくのが習わしになっている。が、共同の浴場で水浴することを考えるとぞっとした。デッカーはリナに感謝の笑みを向けた。

 ユダヤ教の掟――によると、記述者はトーラーを書くときには心を清めなければならず、心に罪があってはならない。神の名を書くのは格別たいせつな仕事だ。神の名を書く前に、多くの記述者たちはミフヴァー――特別な沐浴――をする。

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