ユダヤ教とは

 (最新見直し2006.11.15日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 「ユダヤ教及びユダヤ人とは。そのユダヤ人を廻る諸問題」、これを一括して「ユダヤ人問題」とする。これは、中近東史、西欧史に通じていないと理解できない。問題の根深さは、東洋の一隅史でしか自己形成してこなかった日本人には理解できない。これが、2004年現在のれんだいこの到達点である。しかし知らねばならない。偏見無く赤裸々な史実観を持たねば、この先の航路を誤るであろうから。

 少し大上段に構えたが、それに値するのが「ユダヤ人問題」であろう。関連サイトとして、「セム系一神教聖書の天地創造説と泥海古記譚との比較」、「ユダヤ聖書神話の邪宗悪徳性について、「ユダヤ教話」で別考する。

 2004.8.17日 れんだいこ拝


【「ユダヤ教聖典」考】
 ユダヤ教の基本教義書としてヘブライ語で書かれた聖書がある。キリスト教はこれを旧約聖書と云う。聖書は、モーゼ五書と歴史書、預言書、知恵文学の4部構成となっている。この他にも、外典、続編と呼ばれる書物がある。モーゼ五書とは、創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記の5書からなる。「律法(トーラー)」とも呼ばれる。

 モーゼに関して、「モーゼの十戒」と口伝律法(Oral Law)がある。ユダヤ教では、モーセがシナイ山で十戒を与えられた時、文書としての律法の他に口伝もで多くの律法が伝えられたことになっている。紀元以後に成立したタルムード Talmud は、その口伝律法を書き写したものとされる。

 歴史書は、与シュア記、土師記、レツ記、サムエル記上、サムエル記下、列王記上、列王記下、歴代誌上、歴代誌下、エズラ記、ネヘミヤ記、エステル記の12書からなる。預言書は、イザヤ書、エレミヤ書、哀歌、エゼキエル書、ダニエル書、ホセア書、ヨエル書、アモス書、オバデア書、ヨナ書、ミカ書、ナホム書、ハバクク書、ゼファにア書、ハガイ書、ゼカリア書、マラキ書の17書からなる。知恵文学は、ヨブ記、詩篇、箴言、コヘレトの言葉、雅歌の5書からなる。


 ネットでは、「旧約聖書創世記」で読むことが出来る。

【「タルムード」考】
 タルムード考」に記す。

【「ユダヤ教」考】
 「ユダヤ教」、「考察の杜」その他を参照する。
 ユダヤ教とは、聖典(旧約)聖書の神ヤハウェを信仰する一神教である。ユダヤ教の神ヤハウェは天地の創造者であるとともに、意志をもって世界と人間の歴史を支配する人格神で、自然よりはむしろ社会・個人の両面を含めた人間生活の領域に深く結びついてきた。ユダヤ人は、この神と契約することで、特殊な民族宗教を生み出した。その契約とは、イスラエルの民はヤハウェに選民された聖なる民であり、ヤハウェとの契約を守ることで民族的生存を保障され、他の諸民族を支配することが出来、やがて至福千年王国を迎えるというものである。教内には正統派、保守派、改革派の三派がある。

 ユダヤ人を規律する律法には次のようなものがある。1・旧約聖書。その中でも「創世記」、「ノアの七戒」、「モーゼの十戒」。2・口伝律法。3・タルムード、4・ミシュナ、5・ゲマラ、6・秘儀、7・風俗習慣。ユダヤ教とは、これら全体から構成されており、これを遵守することで成り立っている宗教といえる。

 その原基的戒律は、 「ノアの七戒」(Noahide Law )であり、 創世記6−9章に記されている。1・社会正義(法を整える義務) 、2・偽証を含む悪口雑言の禁止、3・偶像崇拝の放棄、4・近親相姦及び姦通の禁止、5・殺人の禁止、6・盗みの禁止、7・残虐行為の禁止(生きている動物から切り取った生肉を食べてはならない)を規律している。口伝律法によりノアに対して与えられたとされる。  

【「ユダヤ教の生成過程」考】

 古代イスラエル王国が南北に分裂した後、共に滅んだ。ユダヤの民はバビロン捕囚された。これにより、ユダヤの民はバビロニア文明に溶解されていった。この時、これを文化的・民族的危機と捉え、ユダヤ人としてのアイデンティティの確立を要求して出現したのが一連の預言者であった。彼らは社会の指導者あるいは庶民に対し,警告し反省を求めまたときに応じて慰めつつ、ヤハウェ信仰に立ち返るよう指導した。「わたしはヤハウェである。わたしのほかに神はない。ひとりもない」(イザヤ書45.5)という第2イザヤの言葉はこうした時代を背景にして述べられている。

 「イエス・キリスト伝の予備知識、当時の政治及び宗教界の情勢」に記したが、紀元前後、ユダヤの民は宗教革命の時代に入っていた。このエルサレム神殿の宗教儀式執行権を廻って、主としてエッセネ派、サドカイ派、パリサイ派が権力闘争を開始していた。併行してシャムマイ学派とヒレル学派の論争と抗争が続いていた。ハベリムとアムメ・ハアレズの抗争も潜行していた。この時代にヨハネが現われ、続いてイエスが登場したが、ヨハネは獄死、イエスは刑死させられた。

 紀元70年、ローマ軍がイスラエルを占領し、イェルサレム神殿が破壊された。神殿祭儀を中心に営まれてきたユダヤ教は存続の岐路に立たされた。この未曽有の危機に果敢に対処し得たのはパリサイ派を中心とした律法学者であった。彼らはイェルサレムを離れ、地中海沿岸のヤブネで律法研究に専念した。「律法」に加えて、律法から引き出された生活規範が確立されていった。ミシュナが編纂され、その注釈とあわせてタルムードが生み出されていった。この辺りで、今日的なユダヤ教の原形が確立されたことになる。

 但し、ユダヤ教をどのように受容するのかという点で二つの大きな流れが認められる。一つは、「悩める者のための手引」などを著したマイモニデス(12世紀)に代表される原理的な流れである。他方、カバラの名で知られる神秘主義に向かった流れもある。但し、同じ神秘主義でも、ドイツ、南フランス、スペインで特徴が異なっている。13世紀、「ゾハール」(光輝の書)などが著されている。


【「ユダヤ教の中世的展開」考】
 ユダヤ教は、ユダヤ人コミュニティ「ゲットー」の中で、周辺文化から孤立した状況のなかで存続してきた。

【「ユダヤ教の近代的展開」考】
 近世イタリアに勃興したルネサンスが停滞していた中世ヨーロッパを覚醒震撼させることになった。やがてルネサンスの波が全欧化し、それと共に近代ヨーロッパが幕開けした。この時代に生まれた啓蒙思潮と人間性の解放運動が、ユダヤ人を「ゲットー」から離れさせ一般公民化させ始めた。18世紀のドイツに生きたモーゼス=メンデルスゾーンは、このような思潮のなかでの先覚的指導者であった。彼は、ユダヤ人の解放が信仰を犠牲にしたものであってはならないとしながらも、ユダヤ人が文化的閉塞状況にとじこもって自己解放を阻害すべきではないと考えた。そのため、教育といえばタルムードの学習に明け暮れていたユダヤ人に、ドイツ語や数学をはじめとする一般教育と職業技術の習得を勧めることとなった。

 この頃、改革派ユダヤ教が誕生した。これにより、ユダヤ教内には、原理派、神秘派、改革派の三派が立ち現われ、競合していくことになった。他の識別として、近代主義と伝統主義への分極化のなかでのユダヤ教のあり方を廻って、保守派、正統派、改革派という区分も可能である。(以下略)


【「ユダヤ教のネオ・シオニズム的展開」考】

【参考文献】
ユダヤ人――その信仰と生活 A. ウンターマン 石川耕一郎他訳 筑摩書房 1983
ユダヤ教史 石田友雄 山川出版社 1980
ユダヤ思想の発展と系譜 I. エプスタイン 安積鋭二他訳 紀伊国屋書店 1975
ユダヤの民と宗教 A. ジークフリード 鈴木一郎訳 岩波書店 1967




(私論.私見)