クリスマス考その1、サンタ(SANTA)の正体はサタン(SATAN)

 更新日/2022(平成31.5.1栄和/令和4).8.21日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「クリスマス考その1、サンタ(SANTA)の正体はサタン(SATAN)」をしておく。

 2014.06.13日 れんだいこ拝


【クリスマス考その1、サンタ(SANTA)の正体はサタン(SATAN)】
 「クリスマス 12月25日はニムロドの誕生日であり、これは旧約聖書で最初にヤーヴェに逆らったものの名
 http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/146.html
 クリスマス 

 まさかこのウォールを見ている人に、いまだクリスマスがキリストの誕生日で、サンタクロースがプレゼントをくれるおじいさんだと思っているグーミンはいませんよね♪。そもそもクリスマスは悪魔崇拝であるキリスト教を広げるための口実ですが、サンタクロースなどほんの数十年前につくられたインチキ物語でしかありません♪。だいたい本物のサンタクロースはセント・ニコラウスというのです♪。そもそもクリスマスはイエス・キリストの誕生日ではありません♪。本当の誕生日は秋だという説があり、その他には春だという説もあります。いずれにしろ12月25日はニムロドの誕生日であり、これは旧約聖書で最初にヤーヴェに逆らったものの名です。ニムロドはその意味で悪魔であるとか反逆者であるといわれてきましたが、その誕生日を祝うのは当然ながら理由があるわけです♪。そもそもサンタは単純にサタンを入れ替えただけであり、セント・ニコラウスは、クランパスという獰猛な生き物とヨーロッパ中を旅することになっています♪。クランパスは、割れた蹄、長い舌、頭には角、暗い色をした煤けたような皮膚、その皮膚にうっすら生えた毛、そして熊手を持っています。子供たちにとって、クランバスは、悪さをする子供を鞭で叩く悪魔のヤギのように見えるのです♪。クランパスは、聞き分けの悪い子供を連れ去って、地獄の深みに落とすために、子供を入れる大きな袋を持っています。子どもたちは、クランパスの黒いバッグに入れられて連れ去られていたといい伝えられますが、これは悪魔崇拝の初歩的な観念です♪。悪魔崇拝の中では子どもから犠牲にするのが第一義であり、サンタクロースはそのために重要な役割を果たしてきました。Xmasの『X』というのは二ムロドの象徴で、勿論悪魔のマークそのものであり、merry Xmas は『Magical or Merriment Communion with Nimrod』という意味ですね♪。ではメリークリスマス♪。悪魔を祝うニホンジンのために♪。
 「★阿修羅♪ > Ψ空耳の丘Ψ61 」の初心に帰るお天道様に恥じない生き方 氏の2013 年 12 月 27日付投稿「クリスマスの起源、実は悪魔王サタン(ニムロド)の祭りだった!?サンタ(SANTA)の正体はサタン(SATAN)真実を」参照。
 12月25日はクリスマス。このクリスマスには色々と秘密が隠されている。そもそも、クリスマスとはイエス・キリストの誕生を祝う日とされているが、12月25日にイエス・キリストが生まれたという具体的な証拠はない。あくまでも、言い伝えや伝承に過ぎない。実は12月25日というのは、古代バビロニアに人類初の都市国家を築いたとされるニムロドの誕生日であり、古代バビロニアの安息日と言われている。ニムロドとは、666という数字の主である悪魔王サタンのこと。ニムロドは有名な「バベルの塔」を建設して、神に反逆したという記述が残っており、この話は世界中に広まっている。ニューヨークのロックフェラービルを始め、日本の通貨や世界中の施設、コンピューターなどには「666」という数字が埋め込まれているが、基本的には古代バビロニアの王であるサタン(ニムロド)の証である。

 赤い服を着てプレゼントを配るおじさんを「サンタクロース」と言うが、この言葉にも暗号としてサタン(SATAN)が隠されている。実際、キリストの言っていると、サンタクロースの言っていることを比較してみると全部が間逆である。キリストの教えでは、「物欲に支配されず、自分の財産を貧乏人に配らなければならない」となっているが、サンタは「欲しい物の目録を作れ」と言っている。サンタクロースの由来についても諸説あるが、クリスマスがニムロド(サタン)の誕生日だとするのならば、サンタクロースは物欲の象徴ということになる。
 ☆クリスマスの起源はサタンの祭り !?(2)
 URL http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-17b0-1.html

 引用: 
 -クリスマスの起源は古く、遥か古代バビロニアの一人の王の生誕に遡る-

 12月25日はイエスキリストの誕生日とは関係ない。この日をクリスマスとしたのはミトラス教(ミトラ教)の「無限の太陽の生誕日」という冬至祭の換骨奪取だった可能性が高い。冬至は、太陽の「死と再生」を意味する重要な日として、古来世界各地の民族や宗教において神聖な日とされている。ミトラス教もその流れに則ったものと言える。しかし冬至は12月21日か22日であって、12月25日ではない。25日は冬至の日から3、4日経過しており、冬至の「一陽来復」の太陽を神聖視する意義とはずれている。12月25日を冬至や太陽に結びつけたのは、ミトラス教が初めてではない。同教もそれに先行する祭祀を受け継いだだけである。その祭りの起源をさらに遡っていくと、古代バビロニアにまで行き着く。そこで12月25日の日曜日に生まれた人物がいる。その人物の名は「ニムロド」(NIMROD)という。古代バビロニアの王で、その名は旧約聖書の創世記にも登場する。大洪水を免れたノアは、その後セム、ハム、ヤペテの3人の息子をもうけた。そのうちのハムの子がクシ、クシの子がニムロド(ニムロデ)とされている。創世記には次の記述がある。「このニムロデは世の権力者となった最初の人である。彼は主の前に力ある狩猟者であった」。これでみるとニムロドは、この世で最初の権力者(王)になったという以外に、取り立て問題にすべき人物でもなさそうに見える。ところが『ミドラーシュ』という後世にまとめられた旧約関係の別伝によると、少し様相が違って、よりネガティヴな人物として描かれている。まずその名前のニムロドとはヘブライ語で「我々は反逆する」を意味している。狩猟者としての彼の行為もまた凶暴かつ残虐に描写されている。またニムロドは、イスラエルの始祖アブラハムと同時代のバビロニア王であり、バベルにおいて偶像崇拝をしなかった青年アブラハムを捕まえ、神学論争を持ちかけたものの巧みに切り返され、業を煮やしたニムロドは燃え盛る炉に投げ込む。しかしアブラハムはまったく焼けずに無事救出されたという。さらにミドラーシュには、かの有名な「バベルの塔」の企画発案者こそがニムロドだとしている。
 ☆クリスマスもサタン的由来?
 URL http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/5614/ch10.html

 引用:*クリスマスの由来

 「クシュから強い魂の狩人で神に反逆したニムロデが生まれた。彼はパベル(バビロン)、カラ、エレク、アッカド、カルネ、アツシリア、ニネベ、レホボデ、レセンの町々を建てた。昔の伝説による とニムロデはパビロニアの大安息日 一二月二五日の日曜日に生まれた、という」。イエス・キリスト の誕生日クリスマスは一二月二五日になっているが、実は羊飼いが夜、野宿していたと言う事から冬でないことが確かとなる。もともと初代教会にはクリスマスを祝う習慣はなかった。そこでサタンはいつの頃からか、 キリストの降誕を祝うという名目で反キリスト、サタンの子を祝う日とした。あきれ返った話だ。クリスマスは太陽が一番表れなくなる冬至の祭りが変化したものだというのが教会の通説であった。「義の太陽」と呼ばれるキリストを迎えるという意味が付け加えられていた。しかし、実はニムロデの誕生日だったとは。ちょっとしたスリラーではないか。

 聖書はニムロデに関して簡単に書いているだけであるが、創世紀が謎に満ちた書物なので、このような知識は古代の伝承として受け止めるべきであろう。「創世記二章によればこのパベルの塔はニ ムロデのバビロンに建設が始った。この古代の『国連』ピルディングは、世界を統一する政治的宗 教的組織の試みであった。

 この当時、世界の人類の言語は一つであった。そして彼らは自分たちの名を上げる事を顧っていた。しかし、まだこの組織の時は満ちていなかった。神は人々の言語を混乱させ、彼らを散らされた。それでパビロン(混乱)は別の計画を始めた」。そんな古い昔から反神の組織が意図的に作られたとは考えられないが、パビロンと言う言葉がこの後のすべての神への反逆の代名詞になったことから見て、聖書に書かれている以上に悪魔的な都市だったのだろう。

 クリスマスと同じ様な行事の一つに「ハロウィーン」がある。ハロウィーンもクリスマスと同じで、悪魔を祝うための祭りである。このような悪魔のお祭りを世界的に広げた者の正体は、悪魔教に所属をしている権力者だと言われており、有名所ではエリザベス女王やローマ教皇、レディーガガなどが悪魔教との関係が疑われている。それと、キリスト教などの宗教団体の内部にも悪魔教の方々が入り込んでいるようで、キリスト教関連施設で悪魔教の儀式をした痕跡が何度か発見されている。少し前に裁判騒ぎになったカナダの子供虐殺事件は知っている方も多いかと思う。
 ☆カナダにてアボリジニの子供達の大虐殺①

 ☆エリザベス女王とバチカンが運営していた学校の敷地から子供達の大量の死体が発見される
 URL http://ameblo.jp/hidy0701/entry-11043517110.html

 引用:
 By Alfred Lambremont Webre, JD, MEd
 (2011年10月8日の記事です)

 カナダのブラントフォードにて

 モホーク族の為に1970年に閉鎖されるまで英国教会とバチカンによって運営されていたモホーク研究所の寄宿学校内にて、モホーク族の子供達の集団墓地が地中探知レーダーによって発見されました。

 教会と国家の犯罪国際法廷(www.itccs.org)の秘書であるケビンアネット牧師によると、モホーク族の研究所は、1832年にイギリスの英国国教会によってモホーク族の子どもたちの世代を投獄し、破壊する為に設立されました。カナダでは最も早く設立されたインディアンの為の寄宿学校は1970年まで続きました。そしてほとんどの全寮制学校の様にそこへ投獄された子供達の半数以上は決して戻る事はありませんでした。それら子供達の多くが学校の周辺に埋められています。

 今では隣接する地中レーダーによる予備スキャンはモホーク研究所本館を閉じることになりました。1970年にモホーク研究所が閉鎖される直前にモホーク族の子供達の集団墓地をカムフラージュし、ジュネーブ条約、国際刑事裁判所、および協力国の裁判所の下、大量虐殺と人道に対する罪で追訴される事を回避する為に15から20フィートの土が運び込まれ、集団墓地の上に置かれたとモホーク族の研究所は明らかにしています。
:引用終了
 ☆子供5万人大虐殺の罪でローマ法王とエリザベス女王に対し懲役25年の有罪判決
 URL http://blogs.yahoo.co.jp/rocket_bus_company/66217145.html


 ☆ハロウィーンは悪魔サタンのクリスマス!byヘンリー・マコウ
 URL 
http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/51905316.html

 引用:
 レディーガガのような衣装をまとった女の子やスパンデックスのタイツを履いた男の子に飴を手渡す習慣をどう思いますか。悪魔サタンの聖書には、サタンの行事の中で最も重要な2つのお祭りの1つがハロウィーンであると書いてあるのです。10月28日から30日にかけて行われる悪魔サタンの行事:<サタニスト・ハイという祝日>

 これはハロウィーンに関係する聖なる日です。毎日、人間(男女共にあらゆる年齢層で)が生贄にされ、彼らの血がサタンに捧げられます。10月30日と31日のオールハローズイブとハロウィーンの夜には、悪魔と共に行われる血の生贄儀式や性的行為がクライマックスになります。この時、動物や人間が生贄になります。11月1はサタニスト・ハイと呼ばれる祝日ですが、これはハロウィーンに関係する聖なる日です。この日も人間(男女共にあらゆる年齢層で)の血がサタンに捧げられます。メーデーの5月1日に2番目に重要とされる、聖なる日を迎えます。これは、共産主義サタン崇拝者の創設日なのです。
:引用終了

 悪魔教に関しては長くなるので、別の機会に書くことにしましょう。いずれにせよ、クリスマスのような世界的なイベントには、様々な裏事情があることだけは覚えておいて下さい。クリスマスを騒ぐのは自由ですが、その背景だけは知っておくべきだと私は考えています。

 クリスマスの起源、実は悪魔王サタン(ニムロド)の祭りだった!?サンタ(SANTA)の正体はサタン(SATAN)真実を探すブログ
 http://saigaijyouhou.com/blog-entry-1439.html
コメント
01. nnnnhls 2013年12月27日 22:03:59 : tZ38gMRCXhh.Y : ckLhMNnfWk

 デマもほどほどに?

 サンタクロースの生まれ故郷はトルコです。マイヤの町のビショップさんでした。 Nikolaus von Myra ニコラウス聖人さんの死亡日は326年12月6日。この日はドイツでは特別の日です。いい子は贈り物を、悪い子は鞭(orほうき)で打たれます。 Nikolaus の後半がクラウス、クロースと呼ばれているのでしょう。この聖人は、貧しい子供にプレゼントをしたのです。サンタさんの着用している服は、第1次大戦前頃から、赤と白です。その由来は、コカコーラのカラーです。宣伝につかっていますね。それ以前は、緑など、様々な色の服を着ていたそうです。


 2013年11月01日、ヘンリー・マコウ「ハロウィーンは悪魔サタンのクリスマス!」転載。
 ハロウィーンには多くの疑問を感じていた私は、偶然にも非常に参考になるヘンリー・マコウ氏の記事を発見しました。2,3日前に、近所を歩いていると、小学生の少女がレディーガガのような衣装をまとってハロウィーンパーティに参加しようとしていたのを目撃しましたが、決して気分良いものではありませんでした。さらに近所の家(1件のみ)には目と口をくり貫いたかぼちゃの飾り物(プラスチック製)がたくさん枝に飾られていました。まるでクリスマスツリーのようでした。残念ならが。。。日本にも不気味なハロウィーンが浸透してしまっています。しかも日本人の多くがハロウィーンがどんなものかを全く知らないままに。。。ハロウィーンが日本に広まったのはいつからでしょうか???たぶん、英語教育(塾や英会話学校などで)が盛んになったころからでしょう。不思議にもハロウィーンはイギリスよりもアメリカが盛んですから、たぶん、日本の英語教室でアメリカ人の英語教師がハロウィーンを紹介した可能性があります。このような状況は非常に悩ましいです。何しろ、ハロウィーンは悪魔サタンを呼び覚ます儀式なのですから。。。たとえ、ハロウィーンが、何も知らない無邪気な子供たちが参加する楽しい仮装パーティであっても、物質世界には見えない闇の力がハロウィーンを介して働いているのではないかと懸念しています。お子さんたちの心に良い影響を与えるとは思えません!!日本でもイルミナティの悪魔的思想や悪魔的風潮を定着させたい魂胆があるのでしょう。そのためには、子供の時から、ハロウィーンになじませておきたいのでしょう。日本人はキリスト教でもないのにクリスマスを祝い、ケルトの魔術師が行った生贄儀式のハロウィーンを平気で取り入れているのです。ちょっと、変だと思いませんか??しかも、本当のキリストの誕生日は12月25日ではないらしいですし。。。キリストは西洋人ではないのに、西洋人のように描かれていますし。。。日本人の行き過ぎた商売根性が軽率にもこのような矛盾に満ちた怪しい習慣を広めているのです。何でも商売に結び付けようとする日本人の誤った姿勢は見直されるべきだと思います。さらに、今後、お子さんやご両親を騙しているハロウィーンが廃れていくことを祈るばかりです。
http://www.savethemales.ca/
 ハロウィーンは一見、楽しくはしゃぐお祭りのようですが、実は倒錯(オカルトの本当の意味)を祝っているのです。私は1959年に初めてハロウィーンに参加しました。まだ4歳でした。祖母が私を安物雑貨店に連れて行き衣装を選ばせました。私が真っ先に選んだのはテカテカに光るレーヨンの赤いマントの付いた赤い悪魔のお面でした。お面を顔に着けたとき、4歳の私よりも強い者に変身したような気がしました。ハロウィーンの夜が終わった後も私はお面を被っていたいとねだったため、祖母はお面をどこかに隠してしまいました。その後、何年も経ってから、人類学を学んだ私は、お面、詠唱、踊りにより霊魂が呼び覚まされることを知ったのです。人がお面を被ると自分が永遠に変身したように感じるのです。そしてお面を被っている間、お面の持つ神或いは悪魔の力を得るのです。
今では、ハロウィーンを嫌悪しています。アメリカ人が主要メディアの流す大虐殺の乱痴気騒ぎ(ニュース)を平然と見ていることに違和感を感じます。 自作自演の暴力とコメディーがテレビの画面で流され、人の血が大量に流れていたり多くの死体が横たわっている場面が映されています。ゴム製の頭蓋骨が近所の庭やスーパーで発見されるのですから、キリング・フィールドという映画の監督が雇われたのではないかと懸念しています。しかし、そのような頭蓋骨やゾンビに遭遇しなくとも、変態セックスを意味するハロウィーンが存在します。レディーガガのような衣装をまとった女の子やスパンデックスのタイツを履いた男の子に飴を手渡す習慣をどう思いますか。悪魔サタンの聖書には、サタンの行事の中で最も重要な2つのお祭りの1つがハロウィーンであると書いてあるのです。
 10月28日から30日にかけて行われる悪魔サタンの行事:<サタニスト・ハイという祝日>

 これはハロウィーンに関係する聖なる日です。毎日、人間(男女共にあらゆる年齢層で)が生贄にされ、彼らの血がサタンに捧げられます。10月30日と31日のオールハローズイブとハロウィーンの夜には、悪魔と共に行われる血の生贄儀式や性的行為がクライマックスになります。この時、動物や人間が生贄になります。11月1はサタニスト・ハイと呼ばれる祝日ですが、これはハロウィーンに関係する聖なる日です。この日も人間(男女共にあらゆる年齢層で)の血がサタンに捧げられます。メーデーの5月1日に2番目に重要とされる、聖なる日を迎えます。これは、共産主義サタン崇拝者の創設日なのです。
 <ローマ時代について>

 祖母は私にハロウィーンは私の家系の伝統行事であると言いました。ハロウィーンは、元々、サーウィンとよばれる古代の収穫祭でした。ストーンヘンジ時代のドルイド僧(ケルトの魔術師)たちの宗教に由来したものです。ジュリアス・シーザーは、サーウィンの収穫祭をゲーリックの戦争と呼んでいました。シーザーは、神聖政治を行ったとされるドルイド僧は恐怖支配で農民たちを奴隷化したと伝えています。収穫祭では大勢の人々が生贄になりました。一度に何千人もの男性、女性、子供たちが、巨大な人型の檻の中に入れられ生きたまま焼かれたのです。ドルイド僧たちがこれらの生贄儀式を実行しました。1世紀のローマ時代の歴史家であるストラボがこの儀式についてジオグラフィーという彼の著書の中で以下の通り記述しています:「ローマ人は、生贄や占いなどを行うドルイド僧の風習がローマ人のやり方と対立するとして、ドルイドの風習を止めさせたのです。ですから、ドルイド僧の神聖政治(奴隷制度)を止めさせたのはキリスト教徒ではなくローマ人だったのです。ドルイド僧の時代が終わった後、数世紀に渡ってローマ時代が続き、その後ローマ帝国が崩壊した後でローマ・カトリック教会が支配するようになりました。カトリック教会は古代に行われていた殆どのお祭りをキリスト教化しました。

死人や悪魔の霊魂が生き返ると信じたサーウィンの収穫祭が「諸聖人の祝日」と呼ばれるお祭りで復活しました。お面とマントをまとった古代のドルイド僧がマスクと衣装をまとった農民に代わったのです。魔術を使って悪霊から身を守ってあげる代わりに家族を生贄に差し出すという古代の風習は。。。キリスト教徒に改宗した人たちが各家庭を訪問し、旅立った家族に祈りを捧げる代わりに各家庭から食糧を貰うという風習に取って代わったのです。しかしこのような「諸聖人の祝日」は聖書とは一切関係がありません。2000年近くもの間、野蛮なドルイド僧の(本当の)儀式が忘れられていました。しかし、驚くことに、フランス革命時に、ゲーリック(ケルト)のドルイド僧による大量生贄の伝統儀式がイルミナティによって復活したのです。当時、パリの排水路はキリスト教徒が流す大量の血であふれ返りました。10か月間にわたり大勢の人々が捕獲され、継続的に生贄儀式が行われた中で、1794年6月8日に、ロベスピエールは、自ら「至高の存在」=サタンを祝う儀式を主宰しました。1794年7月17日に、自分たちの習慣を捨て彼らのやり方に従うことを拒否したコンピエーニュのカルメル会の修道女(16人)がギロチンで処刑されました。以来、様々な偽装の下で、冷酷な古代の祭りが復活してしまいました。
 <現在の状況>

 ハロウィーンでは衣装を着替えるよりもお面を被ることの方が意味があります。つまり、再度申し上げますが、お面を被った人は永遠に人格が変わったように感じ、一時的に神或いは悪魔の力を得ることができるのです。 ハロウィーンは自分の願いやファンタジーを演じる機会が与えられるということです。ハロウィーンの夜はまぎれもなく「逆転」現象が起きます。処罰を受けずに自分のアイデンティティを捨てることができます。男性が女性の恰好をしたり、女性が男性の恰好をしたり。。。そして、当局(権威者)がバカにされ、騙される可能性があります。1974年のハロウィーン以来、私はハロウィーンパーティでジキルとハイドの真似をした人々が急増しているのを目撃してきました。ユダヤ教の神学校では、生徒の父兄たちに、ハロウィーンのイベント(パーティに参加したり、近所を回ってお菓子をねだるなど)に参加しないようにと警告しています。なぜなら、ハロウィーンのイベントは異教徒の儀式であり、ユダヤ教の教育課程を破壊するからだそうです。サタンの祭日は、寛容な教会にキリスト教を批判するように仕向けたことから始まりました。
 <結論>

 ハロウィーンは、特定の人の心の中に潜む魔性を引き出すと言われています。毎年、ハロウィーンで起きている数々の破壊行為がこのことを物語っています。さらに、多くのハロウィーン変装パーティで、麻薬が使われたり強姦事件が起きています。ハロウィーンの夜には暴力や破壊行為などの犯罪が横行しています。最も悪名高い事件は、70年代から90年代にデトロイトで起きたヘルナイト(悪魔の夜)と呼ばれる破壊行為です。彼らは窓ガラスを割るだけでなく、建物に放火したり、銃乱射、殺人までも起こしました。ハロウィーンとは。。。ルシファー思想を各個人に受け付けるための骨組みとして取り入れられました。現在では、オカルトは少数の人々達が信じているのではなく、色欲と死に取りつかれたハロウィーンが娯楽産業と化しているのです。1966年以来、ハロウィーンが急激に広がっていきました。同時に、多くの人々が性的倒錯、オカルト、連続殺人犯に対する憧れ、精神異常者に取りつかれるようになったのです。ハロウィーンはユダヤ教徒だけでなくキリスト教徒、イスラム教徒にとっても参加してはいけないイベントなのです。ハロウィーンはドルイド僧のペーガン思想を吹き込むために盛んに行われています。










(私論.私見)