ネオ・シオニズムの悪魔論理と行為について

 更新日/2018(平成30).4.3日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 「ネオ・シオニズムの悪魔論理と行為について」と題したが、正確には「ユダヤ人の歴史的な悪魔論理と行為について」とすべきかも知れない。この場合「ユダヤ人一般」が問題なのではない。ユダヤ教ないしタルムードその他律法に胚胎する選民主義とそれによる徹底した自己都合的正義の振り回しを問題にしている。これに被れると、「悪魔論理と行為」を誘引し始め、それが為に「ユダヤ人が排斥される」という負の歴史に漂うことになる。過去はそうであったが、2005年初頭現在は違う。その彼らの論法と行為が世界を席巻している。この辺りを本稿で考察したい。

 2005.3.25日再編集 れんだいこ拝


【「ユダヤ人は果たして被害民かー通説にれんだいこが疑問するー」】
 ユダヤ人に対する現在の通説的理解は、「悲劇の流浪の民であり、中世の数百年間ゲットーに押し込められ、賎業に従事させられ、第二次世界大戦ではナチスにより民族大虐殺の悲劇に見舞われ、戦後母国イスラエルをパレスチナに建国したものの在地パレスチナ民との軋轢が絶えない可愛そうな人たちである」ということになろうか。この見地から、「ホロコースト」が語られ、「アウシュヴィッツ」が語られ、「アンネの日記」が読まれ続けている。

 しかし、公正に見れば、ユダヤ人のそのようなプロパガンダは神通力を失っている。今やイスラエルは加害者として立ち現われており、米英ユ同盟を結成し、世界を席巻しつつある。その過程で、ユダヤ人達による人類史上最も残虐な侵略、殺戮が繰り広げられている。

 イスラエル建国以来のパレスチナの民の悲劇を見よ。「パレスチナ人に残虐の限りをふるうイスラエルの蛮行」には目に余るものがある。ブッシュの国際法を全く無視した聖戦論法を見よ。米英ユ軍の戦術核兵器の開発及び使用の実態を見よ。その他悪の限りの残虐兵器を見よ。アフガン戦争でのガンタナモ監獄、イラク戦争での無差別爆撃、市民殺傷、病院・モスク襲撃、アブグレイブ収容所の惨劇、都市ファルージャでの蛮行を見よ。人道法の悉くを蹂躙しているではないか。

 これらにイスラエル諜報機関モサドが深く関与していることが知られつつある。その例証には事欠かない。

 「なぜ、自らの被害の歴史に学んで他民族にも優しくなれないのか」という疑問が生まれつつある。皮肉なことに、その余りの酷さに「ユダヤ・ナチズム」なる造語が生まれている。ナチズム観は精査を要すると思われるので、正確にはズバリ、ネオ・シオニズムと云うべきだろう。

 この現象から思慮すべきは、「ユダヤ人は通説で云われるような果たして被害民としてのみみなされるべきか」ということであろう。極東の一隅で自前の文明を保持してきた日本は、西欧史上のユダヤ民と近接民族との血で血をを争う軋轢を知らない遠方民族である。故に、疎い面と客観的に評し得る両面の見方ができよう。その史観でもっての「ユダヤ人問題へのアプローチ」こそ望まれているのではなかろうか。

 2005.2.13日 れんだいこ拝

【ユダヤ人の歴史的サタニズムと如何に対決すべきかーれんだいこが賢考するー】
 れんだいこは、ユダヤの民一般をして原罪的に批判しようというのではない。古来よりこの民の指導者グループに立ち現れたサタニズム(悪魔主義)を的確に認識しようとしているに過ぎない。その指導者グループの思想も、その中に分け入ってみれば複雑に分岐しており対立している。問題は、常にサタニズム派の方が勝利し、よからぬ策動に日々明け暮れてきたという歴史にこそある。

 優秀とされるユダヤ人の頭脳が落ち着く先はいつもこのサタニズムである。それは何もユダヤ人に限ってという訳ではないが、その教義及び理論体系と実践が組織立っている点で、他の民族のそれは足元にも及ばない。それほど究極のサタニズムを体現しているのがユダヤの頭脳である。その概要は、「
タルムード考」で考察する。

 サタニズムにどう立ち向かうべきか、究極的にはユダヤ人自身が解決することだろうけれども、現下の米英ユ同盟のサタニズムに対してはもはや一刻の猶予も許されない。そういう訳で、れんだいこがこの問題を素描する。

 ユダヤ人が自前国家を維持していた時に於いては、強権政治で近隣地域を簒奪侵略し絶え間ざる戦争過程にあった。その例証には枚挙の暇がない。ユダヤ人が離散民族として有る時に於いては、各地に散ったその先々で当該国家の生き血を吸ってその国家及び文明を衰退させてきた。その例証にも枚挙の暇がない。いずれにせよ、他の民族間のように相容れながら存立しあうということが根本的にできない独裁民族であることが判明する。

 これを文明的に如何に解決せんか。ユダヤの民は、手前勝手な処方箋を示している。それによると、賎民ゴイムの特性は治癒し難きをもって、選民ユダヤの民が世界を征服し諸民族を組み敷く時に解決すると。つまり、世界征服永久革命論を唱えている。しかし、彼らが描く政治体制は、一部の有能指導部による祭政一致世界であり、控えめに表現しても戯画的なそれでしかない。とても実現する訳でもなく、実現したとしてもトンデモ世界が待ち受けているだけという代物である。

 我々は、ユダユ処方箋に対して如何なる代替物を対置すべきか。それが人類史上の課題である。その昔も今も、人類はこの問題で悩ませしめられている。過去、これを鋭く問うたのがイエスであった。西欧史上その後において、イエスに比すべき者は生まれていない。そのイエス教義が、西欧諸国でキリスト教として受容され体制化してきた。この間、ユダヤ教徒は社会の隅に追いやられてきた。約一千年間この状態が続く。今になって思うに、これは、独特の悪しきユダヤ式サタニズムを封じ込める賢明な処方箋であった。

 この仕組みが崩れた時から近代が始まる。近代から現代は、独特の悪しきユダヤ式サタニズムの復権過程であり、現代は彼らが栄耀栄華しつつある時代といえる。過去と違うところは、現代サタニズムは科学を駆使し、その威力を存分に発揮させて彼らの願望を実現させようとしているところにある。従って、これに抗するには、抗する側にも科学を操る能力が要ることになる。しかし、この方向にもワナが仕掛けられており、無間地獄に陥る可能性がある。

 さすれば如何にせんか。それを問うのが本稿の眼目である。れんだいこは、サタニズムの内容が深いだけにそれに代わる救済思想としても又深くなければならぬと考える。そういう観点から見渡して、中山みきのかんろだい思想に注目している。かんろだい思想とは何か。一言で言えば「たすけあい」である。これについては、「
かんろだいの理」で考察する。

 2005.3.27日 れんだいこ拝

【ロシア「プラウダ」記事のユダヤ人の歴史的サタニズム批判
 「★阿修羅♪ > 国際18 」の天道様はお見通し氏の2017 年 3 月 25 日付投稿「サイコパスとその理念が世界を動かしている「悪意の時代」の中で」参照。

 2017年3月17日のロシア「プラウダ」の記事。「オリジナルはイタリアのメディアの記事とのこと。
 「煩わしいサイコパス達がこの世界を動かしている」、「アメリカから始まり西洋(および多くの西洋の影響を受けている国)全体に広がっている現在の社会は、全体が《サイコパス的》価値観に支配されている」。

 精神病質 – Wikipedia

 精神病質とは、反社会的人格の一種を意味する心理学用語であり、主に異常心理学や生物学的精神医学などの分野で使われている。その精神病質者をサイコパスと呼ぶ。

 犯罪心理学者のロバート・D・ヘアによるサイコパスの定義は次の通り。
・良心が異常に欠如している
・他者に冷淡で共感しない
・慢性的に平然と嘘をつく
・行動に対する責任が全く取れない
・罪悪感が皆無
・自尊心が過大で自己中心的
・口が達者で表面は魅力的

 補足すれば、「権力や地位への渇望が異常に強い」などがあり、そのあたりを総合して、ひとことで言えば、サイコパスというのは、「自分のナルシズムを満足させるためには他人をどれだけ傷つけても構わないし、無慈悲で冷酷で共感の気持ちもない。しかし、人をコントロールする魅力と能力を兼ね備えている人物」というような感じになる。

 わずらわしいサイコパスたちがこの世界を動かしている。「悪意の社会」を形作る役割を担っているサイコパスたち

 アップルの創業者であるスティーブ・ジョブズ氏は、成功者の偶像であり、若手起業家の理想的なモデルとして挙げられることが多いが、彼と共に働いた従業員の多くは、彼の抑止できない怒り、人への侮辱、人のやる気をくじくことなどについて、「彼と働くことは地獄だった」と認めている。ある人物は、ジョブズ氏の事務所に呼び出された時に「ギロチン台に登るかのようだった」と飛べる。ジョブズ氏を知る人々は、彼を「嫌な男」、「失礼な人間」、「耐えられない人間」と話す。ジョブズ氏の最高の友人の1人であるジョナサン・アイブ氏(アップルの最高デザイン責任者)は、ビジネス・インサイダー誌に次のように語っている。「彼が不満を感じた時に、彼がそこから解放されるカタルシスを得る方法は誰かを傷つけることだった。あたかも社会的規範というものが彼には当てはまらないかのようだった」。

 これから述べようとしていることは、サイコパス、つまり「反社会的人格障害」または「自己愛的人格障害」を持つ人間のことだ。
平気で人を傷つけ、他者に冷淡で、良心が欠如し、そして、自己中心的で、他人を侮蔑することなどがこのタイプの主な特徴の一部だ。共感と思いやりが完全に欠如しており、他人に害を与える行動をまったく反省することもない人たちのことだ。精神病院または刑務所で、最も深刻で明白なケースでは、これらのタイプの人々は、精神病院または刑務所で生涯を終えることもある。企業心理学の専門家であるサム・ヴァクニン(Sam Vaknin)博士は「病理学的なサイコパスのナルシシズムと犯罪者との間には自然な親和性がある」と述べる。そこに共通するのは、他人との共感の欠如、あるいは思いやりの欠如、不十分な社会的スキル、また、道徳的概念や、法的な規範を軽視する態度などだ。しかし、それらの負の面が弱く出ている場合、特定のサイコパスたちは、そのサイコパス本人から影響を受ける人々を高度に「機能的」にし、そして、逆説的に、彼本人を多国籍企業や国家、あるいは教会のトップとしての成功に導く。犯罪心理学の研究者ロバート・ヘア(Robert Hare)氏は、囚人などのサイコパスと、企業トップや政治家などとの関連についての数少ない研究を指導した一人だ。それによれば、大企業や金融企業のトップにいる人たちの中のサイコパスの割合は 20人に 1人、あるいは全体の 4%だった。少ないように見えるかもしれないが、これは、一般の社会のサイコパスの割合の4倍高いのだ。ヘア氏によると、「ウォールストリートでは、その割合は 10人に 1人」だという。

 共感心と罪悪感の欠如

 ヘア氏が、サイコパスへのアイデンティティをどのように見ているというと、次のようになる。「表面的にはとても魅力的で、無限ともいえる自己中心性があり、病的な嘘をつき、冷淡で、目的を達成するために計算し尽くす。衝動的で、自分の行動に責任を持たず、共感の心を持つことがなく、罪悪感がない、また、後悔もない。彼らの危険性は、犯罪的の行為の多様性や、強く他人を操作する能力などにより、他の人物によって強調されることだ。他人の意志を覆し、欺き、他人をコントロールする」。これらは、たとえば成功したギャングスターのアル・カポネなどにも当てはまる。彼は刑務所で一生を終えた。「組織や大企業の中で、サイコパスは、権​​力と影響力を持ち、そして絶対的な権力を上位に昇格させる機能を作動させることができる」。

 ブリティッシュ・コロンビア大学(カナダ)のジョエル・バカン教授(Professor Joel Bakan)は、「世界を動かしているのはサイコパスなのか?」と題する研究に貢献している。大部分の企業のトップは道徳的な人だが、そのトップの人たちにしても、まずするべきことは、自身が管理している会社の利益に奉仕する必要があることだ。トップたちが管理しているお金は自分のものではない。無意味に慈善事業のためにそのお金を使うわけにはいかないのだ。「ではどうすれば?」 ビジネスの世界では、「良い人たち」もまた、あえて不作法に振る舞うことが求められるのだ。結局のところ、企業というものは、サイコパスの人格と類似しているかのように、利益目的のために他人を悪用して使うようにプログラムされている。これは大企業ではなくとも、現在のごく普通の一般の会社にも当てはまる。

 アメリカのシンクタンク「ブルッキングス研究所」のダレル・ウェスト(Darrell West)氏は、たとえば、企業の法および経営管理に原因があると強調する。ウォールストリートの投機筋と上場多国籍企業の CEO たちは、権力を持つサイコパスを作り出す(または誘致する)ために一線を引いている。完全自由主義のエコノミストで、彼の教え子たちの考えを釘付けにしたミルトン・フリードマン(Milton Friedman)氏は 1970年に以下のように記している。「株主価値の最大化こそが企業の唯一の責務であり、つまり、企業の唯一の社会的責任は、利益を最大化することなのだ」。これは複合化されており、また、最も権威のある学校だけが、ビジネス管理のための経済学と貿易の最高の権威を与えられる独自のコースを持っているという事実により認識される。それらの学校は「社会におけるビジネスの課題に関する一般的な概念を提供する」技術を教える学校で、そして、それらの学校では道徳を教えることには無関心だ。

 ここに熟考する事実がある。何世紀にもわたり、最近まで、英国でさえ、権力の位置をとる支配階級を作る学校は古典的な学校だった。イートン大学やオックスフォード大学などの…。そこでは、ラテン語やギリシャ語が教えられ、ギリシャとローマの歴史が教えられた。そして哲学の歴史が教えられていた。つまり、それらの学校で学生たちが学ぶことは「経営管理の技術」ではなかったのだ。かつて、経営管理の技術は、学生たちがビジネスの世界に入った後に、そのキャリアの中で学んでいったのだ。しかし今日、フリードマンのイデオロギーは、多国籍企業の役員やオピニオンリーダーを形成し、他者に対しての協調と責任の欠如の勧め、つまり、経営技術と会社の利益のことだけを考えさせるということを教育している。サイコパスたちは「他人を操作するツールとしてそれを使うために、道徳的な行為をしているふりをする」が、同様に、ビジネスで成功する「連中(bastard)」は、利益を上げるためなら何でも行い、そして、それは彼らの文化と環境が利益を供給しなければならないという「道徳的な正当性」によって動機づけられている。彼らは、彼らのサイコパスとして定義される行動や言動が(企業利益の増加に伴い)現実として評価されるので、社会で「成功」していく。サイコパスたちによって賞賛される「連中」を区別することは困難だ。どちらも環境から引き出される道徳的な正当性によって動機づけられているからだ。

 ヘア氏たちのチームの研究では、このサイコパス的な精神性がビジネス・キャリアとしての頂点に位置しているという不吉な証拠を挙げている。彼ら(サイコパス的な精神性を持つ人たち)は、チームをまとめる協調の精神性を持たず、従業員たちからの評価も悪いという、客観的には実力のない管理者であるにも関わらず、彼らは、「創造的かつ革新的で、素晴らしい戦略的思考を持つ者」と上司によって評価されることが多い。研究家たちは、「一部の企業では、業績不振と従業員たちへの悪影響が広がっているにも関わらず、サイコパスの管理者たちにはリーダーシップのスキルがあると見られることがあるのです」と述べる。この種のサイコパスには、意思決定者(上司など)の心理を操作するための大きな力があることが精神科医たちに長い間知られている。「サイコパスたちは、最高の権威との関係を追求して優先順位付けし、権威たちに影響を与える際に驚異的な能力を示す」(デニス・ドレン Dennis Doren 著『サイコパスの理解と治療』1987年)。

 さらに、ソーシャルメディアの世界においてさえ、自己愛的性格テストで高い評価を得たサイコパス的な人たちは「フェイスブックで、より多くの友人がいる」ことは当然のことになっている。D.ピアーズ氏の著書『 Facebook のダークサイド』には、彼らサイコパスは、自分自身の写真をより多く載せ、自分のプロフィールを頻繁に更新する傾向がある。この研究では、社会の中での積極的なナルシシズムとサイコパスの関係を見出した。

 歴史を見てみると、有名な石油界の大物ジョン・D・ロックフェラーは、競争相手を躊躇なく台無しにするような、「私のお金は神によって与えられた」というようなことを宣言したことが思い出される。ロックフェラーはサイコパスの気質を持っていた。ロスチャイルドや J.P.モルガンなど有名な投資銀行家は、ロックフェラーの財務状況を賞賛した。しかし、その財務は、破壊と苦しみを周囲にばらまいたものでもある。これらの精神性は、アメリカ合衆国の環境に見出される。すなわち、その「自由」と「個人主義」においてだ。経済的に繁栄する理想的な場所であるアメリカは、同時にこの(利益第一主義の)考え方を形作った。つまり、自由の国アメリカの理念は、「貧しい人たちは彼らの過ちにより貧しいのだ」ということであり、そんな人たちを支援する価値はないという理念だ。

 今日のアメリカでは、イデオロギーはイデオロギーとして認識されず、より良いものがなければ、それはすべて「邪悪」と呼ばれる。リビアのカダフィ大佐の殺害の際に「来た、見た、死んだ」と笑いながらテレビで語ったヒラリー・クリントン。彼女は、時のヌーランド国務省報道官に「ジュリアン・アサンジを殺すための無人機はあるのか」と尋ねた。また、そのヌーランド国務省報道官も「ファック・ヨーロッパ」と発言している。マケイン上院議員は、シリアで最も血の多いテロリストとなることを目指し、また、ロシアとの戦争を絶えず探している。オバマ元大統領は、世界であまりにも数多くの人たちを殺してきたが、その行為は、彼に提出されたリストから無人機による超法規的な殺害を選ぶだけだった。


 滅びゆく人を見て心から楽しむ

 ウォールストリートとビジネス界では、この「滅ぶ人たち」に対しての感情は楽しさで育まれている。下の言葉は、社会的に成功したアメリカ人女性の告白本にある下りだ。「他人の人生を台無しにするという考えは実に愉快だ。それは人ではなく食べ物のようだ。権力こそが、私の人生の中で本当に興味のあることだ。破壊的な力と知識と眼に見えない影響力」。彼女は、『社会的な告白。コントロールする心への旅』という本を 2013年にイタリアでトーマスという偽名で出版した。しかし、このアメリカの「邪悪な主義(evilism)」は、大西洋を越えてヨーロッパに渡っている。現在のヨーロッパは、少数による支配のイデオロギーとなっており、それは、イタリアの経済学者マリオ・モンティ(Mario Monti)の「私たちは国内需要を事実上破壊しており、決して危機をうまく消費していない」の声明で十分にわかる。イタリアの銀行家トマッソ・パドア=シオッパ(Tommaso Padoa-Schioppa)による「改革」の真の意味に関する言葉は以下のようなものだ。「ヨーロッパ大陸においては、構造改革の包括的なプログラム、年金、健康、労働市場、教育は、単一の原則によって導かれる必要がある。20世紀の中で、それらは単一ではなく仕切られたが、それにより、人々は直接苛酷さと接触することがなくなった。それにより、挫折や制裁をなくしてしまい、彼ら自身の品性の欠陥を賞賛することがなくなってしまった」。つまりは今、西洋「文明」全体が、米国のエッセイストであるマイケル・エナーによって記述された点に達しているのだと思わざるを得ない。それは以下の記述だ。「見るといい。何もかも逆さまだ。医師は健康を破壊し、弁護士は正義を破壊し、大学は知識を破壊し、政府は自由を破壊し、主要メディアは情報を破壊し、宗教は精神性を破壊しているばかりだ」。現在のこの世には「社会に隠された全身全霊の悪意」が存在する。その悪意は、力の頂点であるサイコパスを選択しているということだろうか。そして、「サイコパスがシステムの不可欠な部分として機能する」。今の社会では、サイコパスたちが、その業績により、大衆から崇拝され、彼らの生き方が模倣されているということになるのだろうか。


【マイケル・エルナーのユダヤ人の歴史的サタニズム批判
 マイケル・エルナー(米国のエッセイスト)が次のように述べている。
 「見るといい。何もかも逆さまだ。医師は健康を破壊し、弁護士は正義を破壊し、大学は知識を破壊し、政府は自由を破壊し、主要メディアは情報を破壊し、宗教は精神性を破壊しているばかりだ」 –





(私論.私見)