イエスの概要履歴その4  拘束から処刑されるまで

 (最新見直し2006.11.3日)

 これより以前は、「イエスの概要履歴その3、エルサレム神殿乗り込みから拘束されるまで


【最高法院がイエス捕捉決定する】
 この時、ガリラヤ州の領主ヘロデ・アンティポスは、ガリラヤを出てエルサレムにやって来ていた。イエス派の弾圧がガリラヤの暴動に至ることを恐れたためである。結局、大祭司カヤバとアンティポスは共謀して、教祖のイエスだけを逮捕する作戦を立てた。これを受けて、最高法院が、イエスを捕捉するよう決定した。ヨハネ伝は次のように記している。
 「祭司長達とパリサイ派の人々は、イエスの居所が分かれば、届出よ、と命令を出していた。イエスを逮捕するためである」。

 最高法院とは、世俗の貴族を代表する長老、元及び現職の大祭司、大祭司を出している4家系の代表、パリサイ派律法学者ないし博士達で構成されていた。彼らは、ローマ帝国支配の範囲内で、民事裁判や宗教裁判を行っていた。この時当然、最高法院が開かれ、議論の末にイエス捕捉決定をしたと推定されるが議論の様子は不詳である。

【イエス捕えられる】
 イエスは、ゲツセマネの園で、いつものように説法していた。その途中次のように宣べられた。
 「立て、行こう。見よ、私を裏切る者が来た」

 見れば、十二人の一人であるユダがやって来た。祭司長たちや民の長老達が遣わした神殿派の会衆も、剣や棒を持って一緒に来た。イエスを裏切ろうとしていたユダは、「私が接吻するのが、その人だ。それを捕まえろ」と前もって合図を決めていた。ユダはすぐイエスに近寄り、「先生、こんばんは」と言って接吻した。イエスは、「友よ、しようとしていることをするがよい」と宣べられた。ユダに手引きされた神殿派の会衆達が進み寄り、イエスを捕らえた。

 そのとき、居合わせた人々のうちのある者が剣を抜き、大祭司の手下に打ちかかって、片方の耳を切り落とした。イエスは宣べられた。
 「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる」。

 続いて、神殿派の会衆達に次のように宣べられた。
 意訳概要「剣や棒を持つあなた方のそのいでたちを見よ。まるで強盗でも捕まえようとするものものしさである。私は逃げ隠れしていない。承知のように私は毎日、神殿の境内で説法している。その中にあなた方も居られたではないか。その時私を捉えず、今なぜ捕まえにきたのか。もし私が抵抗すれば、私が父にお願いすれば、父は十二軍団以上の天使を今すぐ送ってくださり、私は難なく切り抜けることができる。私が抗うことなく従うのは、預言者たちの書いたことを実現させるためである。聖書の御言葉の予言に従うからである」。

【イエスの弟子たちはイエスを捨てて逃げる】
 この時、弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった。一人の若者が、素肌に亜麻布をまとってイエスについて来ていた。人々が捕らえようとすると、亜麻布を捨てて裸で逃げてしまった。

【イエス尋問の様子】
 会衆はイエスを捕らえると、大祭司カイアファのところへ連れて行った。祭司長、長老、律法学者たちが皆、集まって来た。ペトロは遠く離れてイエスに従い、大祭司の屋敷の中庭まで行き、事の成り行きを見ようと、中に入って、下役たちと一緒に座っていた。

 大祭司は、イエスに弟子のことや教えについて尋ねた。イエスは答えられた。
 意訳概要「私は、世に向かって公然と話した。別に暴力に訴えたのではない。私はいつも、ユダヤ人が皆集まる会堂や神殿の境内で教えた。ひそかに話したことは何もない。なぜ、その私を捕捉し、一方的な遣り方で尋問するのか。私が何を話したかは、それを聞いた人々に尋ねるがよい。その人々が私の話したことを知っている」。

 イエスがこう宣べられると、そばにいた下役の一人が、「大祭司に向かって、そんな返事の仕方は無礼千万」と言って、イエスを平手で打った。イエスは答えられた。
 「何か悪いことを私が言ったと云うのなら、その悪いところを証明しなさい。正しいことを言ったのなら、なぜ私を打つのか」。

 祭司長たちと最高法院の全員は、死刑にしようとしてイエスにとって不利な偽証を求めた。偽証人は何人も現れたが、その証言が食い違っていたので確たる証拠にはならなかった。最後に二人の者が来て、「この男は、『神の神殿を打ち倒し、三日あれば建ててみせることができる』と言うのを、私達は聞きました」と告げた。そこで、大祭司は立ち上がり、イエスに言った。「何も答えないのか、この者たちがお前に不利な証言をしているが、どうなのか」。イエスは黙り続け何もお答えにならなかった。

 大祭司は言った。概要「私達の律法では、『神の子』を名乗ることは許されない。それは死罪に当たる。生ける神に誓って我々に答えよ。お前は神の子、メシアなのか」。イエスは宣べられた。
 「それは、あなたが言ったことです。しかし、わたしは言っておく。あなたたちはやがて、人の子が全能の神の右に座り、天の雲に乗って来るのを見る」。

 イエスは、ダニエル書と詩篇109編の記述を引用し、宣べた。大祭司は服を引き裂きながら言った。「神を冒涜した。これでもまだ証人が必要だろうか。諸君は今、冒涜の言葉を聞いた。どう思うか」。会衆は、「死刑にすべきだ」と答えた。そして、イエスの顔に唾を吐きかけ、こぶしで殴り、ある者は平手で打ちながら、「何か抗弁してみよ」と責め始めた。 

(私論.私見) 「神の子論争」について

 大祭司「私達の律法では、『神の子』を名乗ることは許されない。それは死罪に当たる。生ける神に誓って我々に答えよ。お前は神の子、メシアなのか」に対して、イエス「それは、あなたが言ったことです。しかし、わたしは言っておく。あなたたちはやがて、人の子が全能の神の右に座り、天の雲に乗って来るのを見る」の遣り取りは思案を要する。

 まずこの遣り取りの正確さが分からない。その辺りの問題があるが、イエスの「それは、あなたが言ったことです」の真意は、イエス自身が「神の子」説を否定しているように伺うことができるのではなかろうか。イエスは、神に恩寵された存在としての「人の子」説を唱えていたのではなかろうか。イエス伝各書はこの辺りそれぞれが様々なイエス像を記しており、れんだいこはれんだいこなりのイエス像を獲得する以外に無い。


【ペテロ、予言通りに「私は知らない」を三唱する】
 ペトロは外にいて中庭に座っていた。そこへ大祭司に仕える女中の一人が来て、ペトロが火にあたっているのを目にすると、じっと見つめて言った。「あなたも、あのナザレのイエスと一緒にいた」。しかし、ペトロは打ち消して、「あなたが何のことを言っているのか、私には分からないし、見当もつかない」と言った。そして、出口の方へ出て行くと、鶏が鳴いた。女中はペトロを見て、周りの人々に、「この人は、あの人たちの仲間です」とまた言いだした。ペトロは、「そんな人は知らない」と再び打ち消した。しばらくして、今度は、居合わせた人々がペトロに言った。「確かに、お前はあの連中の仲間だ。言葉遣いでそれが分かる。ガリラヤの者だ」。

 すると、ペトロは呪いの言葉さえ口にしながら、「あなたがたの言っているそんな人は知らない」と誓い始めた。するとすぐ、鶏が再び鳴いた。ペトロは、「鶏が二度鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」とイエスが言われた言葉を思い出して、いきなり泣きだした。
(私論.私見) 「ペテロの予言通りの『私は知らない』」について

 イエスは十字架に赴く前に、ペテロに対し、「鶏がなくまでにお前は三度私を知らないと言うだろう」と予言していた。ペテロは否定していたが、予言通りに三度知らないと云ってしまう。イエス同様に捕縛されることを避けたのだが、鶏の声にイエスの言葉を思い出して号泣する。れんだいこには、この件はの真偽は分からない。

 「左往来人生学院でのやり取りで、ryo氏のbS888の投稿は次のように解釈している。
 「イエスはペテロの人間的な弱さを知りながら、すでに許していたのでしょう。ペテロは単に悔いただけでなく、その悔いのなかに、神の偉大な許しを痛感して泣いたのではないでしょうか。ここから、つまり、人間である自分の弱さとそれに対するを神の許しを自覚することから信仰は始まると思います」。

【総督ピラトとの遣り取り、ピラトの対応】
 祭司長、長老、律法学者からなる最高法院全体でイエスの処刑を意思統一した後、夜が明けるのを待って会衆がイエスを縛って引いて行き、総督ピラトに渡した。ローマ帝国の支配下では、ユダヤ自治は裁判で判決を出すことはできるが、罪人を処刑する権利が与えられていなかった為である。ピラトはティベリウス帝(在位・紀元14〜37年)に任命された5代目のユダヤ総督で、最高法院で宣告された死刑の執行を決定する任務に就いていた。

 そして、イエスをこう訴え始めた。「この男はわが民族を惑わし、皇帝に税を納めるのを禁じ、また、自分がユダヤの王たるメシアだと言っております」。ピラトが、「ユダヤ人問題のことなら、あなたたちが引き取って、自分たちの律法に従って裁け」と述べた。祭司長たちは、「私達には人を死刑にする権限がありません。総督の手でお裁きをお願いします」と要請した。

 ピラトは、イエスを前に立たせ、尋問を始めた。「お前はどこから来たのか」と尋ねた。イエスは、ガリレアからやって来た旨を応えたものと思われる。ピラトは次に、「お前はユダヤ人の王なのか」と尋問した。イエスは、「あなたは自分の考えで、そう言うのですか。それとも、ほかの者が私について、あなたにそう言ったのですか」と宣べられた。ピラトは言い返した。「お前はユダヤ人の王と云うが、そういうお前のユダヤ同胞や祭司長たちが、お前を私に引き渡したのだ。お前は一体何をしたのか」。イエスはお答えになった。
 「私の目指す国は、この世には実現していない。もし、私の目指す国がこの世に立ち現れていれば、私が引き渡されることはないでしょう。私を支持する者が戦ったことでしょう。私の国ではないから、こういう目に遭わされています」。
(私論.私見) 

 これを解するのに、これは、イエス的言い回しでの無実の弁明であろう。
 
 次に、ピラトは、「お前がユダヤの王ということには間違いは無いのか。真理とは何か」と尋ねた。イエスはお答えになった。
 「わたしが王だとは、あなたが言っていることです。わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、私の声を聞く」。
(私論.私見) 

 これを解するのに、イエスは、概要「私の云うユダヤ王とは真理の国即ち神の国到来期における王であって、今はまだ実現しておりません。従って、祭司長達の云う意味でのユダヤ王ではない」と答えたことになる。真理とは何かについてのイエスの言葉は記されていない。

 ピラトは次にもう一度、ユダヤ人たちの前に出て言った。「わたしはあの男に何の罪も見いだせない」。そこで祭司長たちが、イエスの罪状をいろいろと告げ訴えた。「この男は、ガリラヤから始めてこの都に至るまで、ユダヤ全土で教えながら、民衆を扇動しているのです」と言い張った。イエスは、祭司長たちや長老たちから訴えられている間、これには何もお答えにならなかった。

 ピラトは、この人はガリラヤ人かと尋ね、ヘロデ王の支配下にあることを知ると、イエスをヘロデ王アンティパスのもとに送った。

【ヘロデ王との遣り取り、ヘロデ王の対応】
 ヘロデ王アンティパスは当時、過越祭の為にエルサレムに滞在していた。彼はイエスを見ると、非常な興味を示した。イエスのうわさを聞いて、ずっと以前から会いたいと思っていたし、イエスが何かしるしを行うのを見たいと望んでいたからである。それで、いろいろと尋問したが、イエスは何もお答えにならなかった。祭司長たちと律法学者たちはそこにいて、イエスを激しく訴えた。ヘロデも自分の兵士たちと一緒にイエスをあざけり、侮辱したあげく、派手な衣を着せてピラトに送り返した。ヘロデとピラトはそれまでは互いに何かと敵対していたが、その日、ヘロデとピラトは仲がよくなった。

【総督ピラトの再尋問、ピラトの対応】
 ピラトが再び尋問した。「あのようにお前に不利な証言をしているのに、聞こえないのか。なぜ反論しないのか。私に答えないのか。お前を釈放する権限も、十字架につける権限も、この私にあることを知らないのか」と言った。イエスは答えた。
 意訳概要「私に権限を及ぼすことが出来る者は神のみである。あなたは私に対する何の権限もない。しかし、あなたよりも私をあなたに引き渡した者の罪がもっと重い」。
 
 過腰祭の度ごとに、人々が願い出る囚人を一人釈放するという習わしがあった。ピラトは、イエスに罪を感じなかったので、過腰祭の習わしを利用して釈放しようと努めた。この時、暴動を起こして人殺しをした罪で投獄されていた暴徒たちの中に、バラバという男がいた。群衆が押しかけて来て、いつものようにしてほしいと要求し始めた。

 ピラトは、祭司長たちと議員たちと民衆とを呼び集めて言った。「あなたたちは、この男を民衆を惑わす者として私のところに連れて来た。私はあなたたちの前で取り調べたが、この男には訴えているような犯罪は何も見つからなかった。一体、どんな悪事を働いたと言うのか。この男には死刑に当たる犯罪は何も見つからなかった。ヘロデとても同じであった。それで、我々のもとに送り返してきたのだが、この男は死刑に当たるようなことは何もしていない。だから、鞭で懲らしめて釈放しよう」。

 これに対して、祭司長、長老、律法学者たちは、バラバを釈放して、イエスを死刑に処してもらうようにと群衆を説得しはじめた。ピラトが、「では、メシアといわれているイエスの方は、どうしたらよいか」と言うと、律法学者たちは叫んだ。「もし、この男を釈放するなら、あなたは皇帝の友ではない。王と自称する者は皆、皇帝に背いています。断固十字架につけるべきです」。イエスはもはや何もお答えにならなかった。律法学者たちはますます激しく「十字架につけろ」と叫び立てた。そこで、ピラトは彼らの要求をいれる決定を下した。そして、暴動と殺人のかどで投獄されていたバラバを要求通りに釈放した。

 ピラトが、祭司長、律法学者たちに、「見よ、あなたたちの王だ」と言うと、彼らは叫んだ。「殺せ。殺せ。十字架につけろ」。ピラトが、「あなたたちの王を私が十字架につけるのか」と言うと、祭司長たちは、「私たちには、皇帝のほかに王はありません」と答えた。そこで、ピラトは、イエスを鞭打ってから兵士達に引き渡し処分を任せた。

【総督の兵士達のイエスに対する仕打ち】
 総督の兵士たちは、イエスを総督官邸に連れて行き、ヘブライ語でガバタ、即ち「敷石」という場所で、裁判の席に着かせた。部隊の全員をイエスの周りに集めた。それは過越祭の準備の日の、正午ごろであった。

 兵士たちは、イエスの着ている物をはぎ取り、紫の外套を着せ、茨で冠を編んで頭に載せ、また、右手に葦の棒を持たせて、その前にひざまずき、「ユダヤ人の王、万歳」と言って敬礼し、侮辱した。また、また何度も葦の棒で頭をたたき、唾を吐きかけ、ひざまずいてイエスの苦悶の様子を覗き込んで弄んだ。

【イエスが刑場に引き立てられる】
 このようにイエスを侮辱したあげく、紫の服を脱がせて元の服を着せた。そして、十字架につけるために外へ引き出した。大勢の民衆と悲しみ嘆いて止まない女たちの群が、連行されるイエスの後を追った。そして、ゴルゴタという所、すなわち「されこうべの場所」に連れて行った。薬を混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはお受けにならなかった。

【イエス処せられる。イエスの最後】
 ニーサンの月(ユダヤ歴で、太陽暦の3〜4月頃)の過越祭の日の午前9時頃、イエスは、エルサレム市外のゴルゴタの丘で十字架に磔(はりつけ)された。イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王イエスである」と書いた罪状書きを掲げた。罪状書きを認めた立て札も掲げられた。それは、ヘブライ語、ラテン語、ギリシア語で書かれていた。ユダヤ人の祭司長たちがピラトに、「『ユダヤ人の王』と書かず、『この男はユダヤ人の王と自称した』と書いてください」と言った。しかし、ピラトは、「私が書いたものは、書いたままにしておけ」と答えた。

 イエスと一緒に二人の強盗を、一人は右にもう一人は左に、十字架につけた。(「他の二人はローマ支配に抵抗して戦った者である」という記述もある) イエスの着ていた服は四つに分けられた。下着も取ってみたが、それには縫い目がなく、上から下まで一枚織りであった。そこで、「これは裂かないで、誰のものになるか、くじ引きで決めよう」ということになった。それは、「彼らは私の服を分け合い、私の衣服のことでくじを引いた」という聖書の言葉が実現するためであった。兵士たちは奇しくもそのとおりにした。

 イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。

 イエスの苦悶の最中、祭司長、律法学者、長老たちは、次のように侮蔑した言葉を投げかけた。
 「神殿を打ち倒し、三日で建てる者、神の子なら十字架から逃れて自分を救ってみろ。十字架から降りて来い」。
 「他人は救ったのに、自分は救えないのか。もし神からのメシアで選ばれた者にしてイスラエルの王なら自分を救うがよい。今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう。神に頼っているが、神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ。『わたしは神の子だ』と言っていたのだから」。

 昼の12時になると、全地は暗くなり、それが3時まで続いた。3時頃、イエスは大声で叫ばれた。
 「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」。

 これは、「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」という意味である。そばに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、「そら、エリヤを呼んでいる」と云う者がいた。ある者が走り寄り、海綿に酸いぶどう酒を含ませて葦の棒に付け、「待て、エリヤが彼を降ろしに来るかどうか、見ていよう」と言いながら、イエスに飲ませようとした。しかし、イエスは再び大声で叫ばれた。
 「父よ、私の霊を御手にゆだねます」。

 イエスは、「成し遂げられた」との言葉を残して 息を引き取られた。この時、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた。紀元30年、こうしてイエスは十字架上で処刑された。

【タルムードのイエス処刑記述】
 イエス処刑について、パリサイ派の生活規範信条集タルムードの「サンへドリン43」は次のように記している。
 「過越祭の前夜、ナザレのイエスは十字架にかけられた。その前40日間、布告者は声を張り上げて、『イエスは魔法を行い、イスラエル人を惑わして反逆させたかどによって、石にて打ち殺されるべきものである。誰にてもこれを弁護すべきことあらば、現われて来って名乗りを上げよ』と叫んだ。しかし、誰も現われる者なく、遂に過越祭の前夜十字架にかけられた」。

 イエスのパリサイ派攻撃が激しかったように、パリサイ派のイエス憎悪のほどが分かろう。

 これより以降は、「イエスの概要履歴その5、イエス処刑以降の使徒の動き





(私論.私見)