外伝福音書各書考(トマス福音書、死海文書、ユダ福音書他) |
(最新見直し2007.2.27日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
「フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)トマスによる福音書」(荒井献『トマスによる福音書』講談社学術文庫#1149、1994)その他参照する。 四福音書のほかに幾つかのその他福音書が存在することが判明している。20世紀の半ばには、新約聖書学にとって重要な二つの貴重な発見がなされた。一つは、1945年の「ナグ・ハマディ写本(文書)」(Nag Hammadi Codices)の発見で、「トマス福音書」(「フィリポ福音書」)が世に知られるようになった。いま一つが1947年の「死海文書」の発見である。他にもユダ福音書が挙げられる。これらの福音書の意義は、四福音書とは又違うイエス像及び教義を記していることにある。「その他福音書」の方がより正確かどうかの判定は容易ではないが、無視できない記述が一部認められる。「その他福音書」の意義はここに存する。以下、これを考察する。 他に「新約聖書外伝」がある。正統派キリスト教は、群雄割拠していた数多くの新約聖書の中から27の文書を「正統」とした。この選抜から漏れてしまったものを「新約聖書外伝」と呼ぶ。 2006.10.30日 れんだいこ拝 |
【「フィリポ福音書」】 | |
ナグ・ハマディ文書の一つ「フィリポ福音書」は、次のようなイエス像を伝えている。
ここで述べられているマグダラのマリアがイエスの妻だっとの説も生まれている。正典福音書は、「パウロのイエス像」に依拠して聖像化しているが、「フィリポ福音書」はそれらとは明らかに違う「生身のイエス像」を示している。 |
【「ナグ・ハマディ写本(文書)」】 | |||||||
「ナグ・ハマディ写本(文書)」は、1945.12月、上エジプト(エジプト南部のナイル川の中流域の河畔の町)のナグ・ハマディ村のとある田んぼから発見された。アラブ人農夫は、肥料に使う軟土を掘り出すためにナグ・ハマディ郊外へと出かけた。そこは150以上の洞窟がある山で、エジプトの長い歴史の中で、墓場や修道院に使われた場所だった。そこを掘っていると偶然、赤い素焼きの壺(甕)が出てきた。好奇心に駆られた彼らがそれを割ったところ、中から出てきたのはボロボロになったパピルスで作られた写本冊子(本)の束だった。 これが現在「ナグ・ハマディ文書」と命名されている。「ナグ・ハマディ文書」は、発見時の様子からして謎に包まれている。発見された場所が土中の壺の中というのも奇異であり、意図的に隠されて埋められた可能性が強い。最も有力な説は次の通りである。
発見した農夫は、その本を知人のキリスト教神父に預けた。その神父の友人の歴史教師が、この写本の価値に気づいた。写本はそのまま古美術品のブラックマーケットに流されてしまい、転売に次ぐ転売をされ、さらに一部の学者の独占欲により死蔵されるなど、恐ろしく複雑でやっかいな経緯を経て、発見から実に30年以上もたって、ようやくその全貌が明らかになった。 現存する写本は13のコーデックスより成り、それぞれの写本(コーデックス)は、皮で綴じられ装丁されており、各々が3から7の独立した文書を含み、全体で断片も含め、52の文書より成る。次のことが判明した。
「ナグ・ハマディ文書」は、「創造神話」、「福音書」、「説教・書翰」、「黙示録」などに形態的・内容的に分類されており(この分類は、岩波書店版ナグ・ハマディ文書全4巻に使用されているものである)、グノーシス派文献の体裁を示している。「アダムの黙示録」、「セツの3つの教え」等の旧約聖書絡みのグノーシス文書もある。旧約とも関係の無いものも含まれており、キリスト教的な加筆が成されている。「雷・全きヌース」、「シェーム釈義」、「マルサネース」、「ヘルメス哲学関係文書」、宇宙の流出による創造を説いた「アスクレピオス」の他、「第八のものと第九のものに関する講話」や「感謝の祈り」などが含まれている。他にもプラトンの著書も含まれ、「国家」の断片なども写本されている。格言集もある。 文書には、タイトルのないもの、原題の記されているもの、グノーシス主義名称が冠せられた文書が含まれる。救済神話として、「ヨハネのアポクリュフォン」、「アルコーンの本質」、「この世の起源について」。福音書として「トマス福音書」、「フィリポ福音書」、「エジプト人の福音書」、「真理の福音」、「三部の教え」。説教・書翰として、「魂の解明」、「闘技者トマスの書」、「イエスの智慧」、「雷・全きヌース」、「真正な教え」、「真理の証言」、「三体のプローテンノイア」、「救い主の対話」、「ヤコブのアポクリュフォン」、「復活に関する教え」、「(聖なる)エウグノストスの書」、「フィリポに送ったペトロの手紙」。黙示録として「パウロ黙示録」、「ヤコブ黙示録一」、「ヤコブ黙示録二」、「アダムの黙示録」、「シェームの釈義」、「大いなるセツの第二の教え」、「ペトロ黙示録」、「セツの三つの柱」、「ノーレアの思想」、「アロゲネース」。(第十三コーデックスは、纏まった写本の形では存在せず、第六コーデックスの中に、八枚分が紛れ込んでいた)。 コプト語原典写本には、最初ファクシミリ版が造られたが、現在では、複数の言語で「写本文庫」の翻訳が行われている。英語版の全訳は、「The Nag Hammadi Library in English」(San Francisco, Harper and Row,1988)がある。これは最初、オランダで初版が出版されたものであるが、現在、英国・アメリカ両方の出版社から入手できるはずである。 日本の翻訳は、岩波書店が発行している「ナグ・ハマディ文書」であるが、これは、52の文書の裡の保存状態の良かった33の文書の訳を収載している(34文書を含むように見えるが、3文書は、異端反駁論者の著作からの抜粋翻訳で、また、「マリヤによる福音書」は「ベルリン写本」に所収の文書で「ナグ・ハマディ写本」中の文書ではない。 更に、「ヨハネのアポクリュフォン」の異本2文書が、一つの文書として、他の異本(「ベルリン写本」文書)と共に、対照形で訳出されており、また「(聖なる)エウグノストスの書」の異本2文書を、同じく対照形で一文書として示しており、「エジプト人の福音書」も同様2異本で一つの文書としているので、実質33文書となる)。 |
【「グノーシス主義」】 | ||
ナグ・ハマディ文書は主としてグノーシス派のものであることが判明した。ここでは、グノーシス派について考察する。グノーシスとは、ギリシャ語で「知識」を意味する。グノーシス派は、紀元2世紀半ばから後半に最盛期を迎えている。そのグノーシス派は後に正統派となるカトリック系キリスト教から異端呼ばわりされているが、れんだいこの見るところ、古代原始イエスーキリスト教時代に於いてはむしろグノーシス派の方が正統派であった可能性がある。「グノーシス」を著した筒井賢治・新潟大学助教授は、次のように述べている。
グノーシス派と後の正統派となるキリスト教の間には次のような教義上の違いが認められる。 ユダヤーキリスト教では、神と人間は、全くの他者と規定されているが、グノーシス派は次のように主張する。
グノーシス派の教義に拠れば、自己認識は神の認識であり、究極人間と神は実は同一なのだと説く。かく認識するグノーシス派の教義には原罪意識が無く、故にキリスト教的「罪と悔い改め」を説かない。 このようにグノーシス派は、人間を神の下僕とみなす正統派のキリスト教とは、根本的に異なる。神は人間の内部にも存在する。人間は、覚醒することによって、神と合一し得る存在と考えている。人間を下僕とみなし、逆らう人間は容赦なく皆殺しする恐ろしい存在は、実は「神」ではなく、デミウルゴスと言う堕落した天使にすぎないと考える。 |
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![]() 思うに、イエス教はキリスト教化されるに従い、そのキリスト教がユダヤ教的神学的に読み取られて行くに従い、イエスの言説から離れて行った。その点、「ナグ・ハマディ文書」から判明するグノーシス派は、キリスト教化する以前のユダヤ教的神学化される以前のイエス教の真実を伝えている可能性が強い。興味深いことは、古代ギリシャ思想と調和していたことである。これらの観点からの考究は今後の課題であろう。 2007.2.27日 れんだいこ拝 |
【トマス福音書の白眉的記述】 | |||||||||||||||||
以下、トマス福音書の他の福音書と違うイエス像の箇所を確認する。
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【ユダ福音書】 |
2006.5.28日付毎日新聞「今週の本棚」の辻原登・氏の「ユダの福音書を追え」評参照。 |
トマス福音書の衝撃に続いて新たに「ユダの福音書」が出現した。「ユダの福音書」は、紀元180年にリヨンの司教エイレナイオスが有害な異端の書として批判したもので、「トマスによる福音書」などのグノーシス文書と同系列に属し、写本成立は4世紀初頭と看做されている。「イスカリオテのユダとの対話でイエスが語った秘密の啓示」であるとされている。イエス物語のクライマックスであるゴルゴタの丘の磔刑(たっけい)に於けるユダの裏切りが知られている。この逸話がユダヤ人迫害に一役買っているが、この定説を覆す逸話が登場したことになる。それによると、弟子のユダは、イエスを裏切ったのではなく、イエス自らが指示し密告させたと記されており、従来のユダ像を覆す内容となっている。 「最後の晩餐」の下りでのイエスの次の言葉が知られている。「マタイ福音書」は次のように記している。「特にあなたがたに言っておくが、あなたがたのうちの一人が、私を裏切ろうとしている。人の子を裏切るその人は、禍である。その人は生まれなかった方が、彼のためによかったであろう」。ユダが言った。「まさか、私ではないでせう」。イエスは言われた。「いや、あなただ」。イエスはローマ総督ピラトに渡され、十字架に架けられる。裏切ったユダは、代価の銀貨30枚を投げ捨てて、首を吊って死ぬ。 「ユダの福音書」が世に出るまでには曲折があった。1970年、中部エジプトのナイル川の岸辺近くで、農民が地下墓から崩れかけた石灰岩の箱を見つけた。中に革張りのパピルス紙の書物が入っていた。古代エジプト語のコプト語で書かれていたパピルス古文書であることが判明した。但し、内容が分からず骨董品として転売され、その経緯で破損した。 ハンナ・アサビルという名のカイロの古美術商が売込みを図り、かつての死海文書やナグ・ハマディ文書に匹敵する古代キリスト教関係の重要な資料ではないか、という見方が芽生えた。後に「ユダ福音書」と命名されるが、その後約25年間解読されないままアテネ、ジュネーブ、ニューヨークへと移管され、途中で窃盗団によって行方が分からなくなったりの騒動の末、再び最初のハンナの手に戻った。ハンナは、ニューヨーク郊外の小さな銀行支店の貸金庫に預けたままカイロに帰る。その後16年間、貸金庫に眠ったまま2000.4月、コプト語の専門家、パピルス古文書の専門家チームによる解読が始まる。そして、「ユダ福音書」と命名される。ナショナルジオグラフィック協会の支援を得て、専門家が粉々の断片を最新技術で復元し、解読、英訳された。 2006.4月、映画「ダ・ヴィンチ・コード」が公開された。続いて、2006.5月、日本で、「ユダの福音書を追え」(ハーバート・クロス二ー、日経ナショナル)、6月、「原典ユダの福音書」の題で出版された。 |
(私論.私見)