福音書の相関考とれんだいこ記イエス伝の特徴について

 (最新見直し2007.2.27日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 イエスの生涯を語る書物は既にあまたあるであろうから、れんだいこが新たにイエス伝を書き上げるにはそれに値する特徴が要る。既成書にあるイエスに纏わる神秘、奇蹟面の詳述は意図的に除き他書に委ねたい。れんだいこが検証するに足りる行状、論証するに足りる弁証面でのイエス像に主力を置いて、それを抜き出して概略してみたい。

 一般的に、「イエスの奇跡、不思議な御業、しるし」に対し、1・イエスを「人の子」としての預言者にして霊能者の最高のお方として観るのか、2・「神の子」としての神の精霊の宿りし御方と観るのか、3・天の神より遣わされた直接の「神の子その者」とみるのか等々見解が分かれる。後者になるほど神秘的な純度が高くなる。れんだいこはどちらの立場で論ずるべきか。れんだいこは、グノーシス派の立場に似て「神ならぬ身の霊能預言者イエス」の観点から解析して見たい。

 イエスの実像は杳として知れない。生年も定かでない。そういうイエスの幼年、少年、青年前期の時代は全くと云ってもいいぐらい分からない。考えてみれば、イエス自身の自伝がある訳ではない。このことは、文字通り不詳という意味と、ひょっとして複数の原イエスが束ねられて一人のイエスに表象された故に記せないという二通りの可能性がある事を示唆する。れんだいこは、後者の可能性さえあると思っている。漏れ伝わるのは、それぞれの原イエスの逸話ではなかろうかと拝察している。この観点は既に出されているのかどうか分からないが、有り得ることではあると思われる。

 イエスト教の当初は、イエスの生涯と教訓を物語風にして口誦口伝されていた。2世紀前半のキリスト教指導者パピアスは、135年より少し以前に次のように記して証言している。
 「私はいつでも長老たちから聴取したあらゆる教訓などを、悉く注意して記憶し、これと共に真偽のほどを確かめた上で、更に自分の見解を書き加えることを辞さないだろう。(中略)それで誰でも長老達と行動を共にした人に会えば、詳しく長老達の言ったことなども問い糾(ただ)した。即ちアンドレ、ペテロの言ったこと、ピリポ、トマス、ヤコブ、ヨハネ、マタイ、その他主の弟子たちの言ったこと、主の弟子アリスチオンや長老ヨハネの言ったことを問いただした。何とならば、私にとっては、書物から学ぶことよりも、生きた人間の生きた声の伝えるものが一層有益であったから」。

 新約聖書の4福音書は、残念ながらイエスの口述書ではない。イエス没後相当期間を経て、聞き取りと検証で書き上げられたものである。その福音書の原本はいずれも喪失している。現在に伝わるのは幾種類の写本である。バチカン図書館に保存されている「バチカン写本」は4世紀頃のものであるが、羊皮紙に書かれている。最も古いものはパピルス写本であることを思えば、更に古い写本探しの旅は今後も続くことになる。それは、当時使われていた言語であるアラマイ語で書かれた福音書を求めることになろう。

 問題は、4福音書はそれぞれ別像のイエスを描いている。それは、イエスのそれぞれの面の記述と受け取るべきであろうか。そう受け取る者は凡庸過ぎよう。れんだいこは、イエス像が書き手の器に影響されて、その器に合わせたイエス像が書かれているに過ぎず、本当のイエスは依然公然化されていないと推定している。

 そういう意味で、れんだいこのイエス伝は、イエスの実像に迫るもう一つの試みである。出来映えに付き、諸氏の見解を仰ぎたい。

 2006.10.31日再編集 れんだいこ拝


【イエス伝の口誦口伝と4福音書】
 イエスの死後、イエス教理を継承する流れは、エルサレムの使徒ペトロを中心としたユダヤ人集団系と、伝道者パウロが指導した地中海沿岸のギリシャ語を話す異邦人集団系の二つに分かれた。口誦口伝時代を経て、イエスの弟子達あるいはそのまた弟子たちがイエスの言行と伝道の様子を記し始めた。それらは、「よい知らせ」の意である「福音」と冠詞されて福音書(ふくいんしょ)と呼ばれる。福音書はギリシャ語で書かれている。ギリシャ語では「euangelion」、ローマ語は「 evangelium」、英語でゴスペル(gospel)、アラビア語でインジールと呼ばれる。

 イエス−キリスト教に於いては、これら福音書を、ユダヤ教の教典と区別する意味で新約聖書と云う。これにより、ユダヤ教の教典を旧約聖書と云うようになった。ユダヤ教の側では当然単に聖書と位置づけている。「約」は、英語でテスタメント(testament)で、契約とか誓約という意味である。

 福音書のうち「マタイによる福音書」(以下、マタイ伝と云う)、「マルコによる福音書」(以下、マルコ伝と云う)、ルカによる福音書(以下、ルカ伝と云う)、「ヨハネによる福音書」(以下、ヨハネ伝と云う)の四書が定番福音書と看做され、新約聖書となっている。紀元65年頃より100年までの間に記されたもので、現在1800種類以上の言語に翻訳されている。

 問題は次のことにある。現在の福音書四書が執筆当時の原書を筆写しているとは限らない。元々書かれた原語の翻訳も考えられており、してみれば、名称は同じでも内容が異なる場合も考えられる。しかし、これを突き詰めていくとその考証に時間を取られすぎるので、これ以上詮索しないことにする。

 現在的新約聖書のマタイ伝、マルコ伝、ルカ伝、ヨハネ伝はそれぞれのイエス像を叙述しており、イエスの見方がそれぞれ食い違っている。してみれば、れんだいこ記が登場したとしても、このこと自体には何ら咎められるべきではなかろう。問題ありとすれば、年代が大きく下がったことと、あまりにも違うイエス伝になった場合であろう。しかし、先述したように、れんだいこの観るイエス論の方が案外イエスの実像に近いとしたらどうだろう。大袈裟なことになるが、今後の出来映えによっては新たにれんだいこ記が加えられることになるかも知れない。

 ここで、御礼を申し上げておく。
 れんだいこは、「新約聖書を参照させていただいた。まことに有り難く存じます。こういう労苦を誰かが為されないと研究は発展しない。改めて御礼申し上げる次第でございます。他にもあると思われますが、とりあえず現時点での参考教書として利用させて頂いたことは間違いないので謝しておきます。

 それにより判明したことは次の通りである。新約聖書中の四書の内、ヨハネ伝を除くマタイ伝、マルコ伝、ルカ伝の三書は、共通の記事(並行記事)が非常に多く、一覧にした共観表(シノシプス、synopsis)が作られたことから「共観福音書」と呼ばれる。シノシプスとは、「目を共にする」という意味のギリシャ語「シン・オプシス」の一句綴りである。

 通常、聖書ではマタイ伝、マルコ伝、ルカ伝、ヨハネ伝の順に並べる。れんだいこ理解によれば次のように相関している。まず、マタイ伝が基本文献になる。執筆年代も一番早く、紀元70年頃、パレスチナ北部で書き上げられたと推定されており、ギリシャ語で綴られている。ということは、アラマイ語によるマタイ伝の先行存在が考えられ、40年から50年にかけて執筆されたと推測されている。ギリシャ語マタイ伝の著者は元々徴税人であり、イエス教に帰依し使徒となったユダヤ人マタイである。もっとも使徒マタイが実際に書いたかどうかははっきりせず、使徒マタイが書いたという設定で書かれていることだけが確かである。マタイ伝は主としてイエス教義の開陳に意を尽くしている。これがありせばこそ他のイエス伝が生まれており、そういう意義を持つ。故に、新約聖書の筆頭に位置しているのが不思議では無い。

 その次にマルコ伝がある。執筆者マルコは、エルサレム生まれのユダヤ人で有り、イエスの一番弟子足る使徒ペテロが、「ペトロ第一の手紙5の13」でマルコを「私の子」と記しており、こうしたことからペトロに洗礼を受けたと推定されている。マルコは、パウロとも師弟関係にあり、パウロの第1回宣教旅行に同伴している。紀元80年頃、恐らくローマでローマの信者共同体(後の教会)向けに書き上げられている。あるいはユダヤ人にユダヤ教からの改宗を促す意図が秘められている。

 異説として、紀元65〜70年頃に四福音書の中でマルコ伝が最も早く作られたとする見解も有る。この見解によってか、岩波文書の福音書はマルコ伝をマタイ伝の前に置いている。れんだいこは、この説を採らない。その理由を次に記す。

 マタイ伝とマルコ伝は、マタイ伝の足らざるところをマルコ伝が、マルコ伝の足らざるところをマタイ伝がというように記述が相互に補完しあっている。ならば、どちらが先行して下敷きにされているのかと云うことが問題となる。れんだいこは、内容的に見てマタイ伝が正本となり、マルコ伝はマタイ伝を下敷きにしながら、マタイ伝の重要な箇所での曖昧な記述、誤解を呼びそうなところ、解釈が分かれるところを訂正している、更に欠落しているところを補充している、末尾のイエスの復活の項目を追加している、と看做している。マルコ伝はそういう位置関係にある。そういう意味で、マルコ伝をマタイ伝の前に置くのは、よほどの根拠が示されない限り無謀な企てであろう。

 
参考までに記すと、2世紀前半のキリスト教指導者パピアスは、次のように指摘している。
 「マルコは、ペテロの通解者となって、その記憶するところをことごとく明細に書き記したものの、その語るキリストの言葉や行為の順序は正確ではなかった。何とならば彼は直接キリストの言葉を聞かなかったし、キリストと行動を共にしなかったからである」。

(私論.私見) 

 パピアスのこの言辞は、マルコ伝の評価として基準にされるべきだと考える。


 この二書は、イエスの偉大さを称揚しながらも「人間イエス」の面に主点を置いているように見える。それに比して、次に述べる「ルカによる福音書」はまだしも「ヨハネによる福音書」になると、イエスの奇蹟能力を際立たせ「神そのものイエス」の面を強調しているように見える。果たしてどちらのイエス伝が実像なのか。それはともかく、それぞれは次のような特徴を示している。

 ルカ伝の著者ルカは、医者であり画家であったと云う。マルコがペテロの弟子であったのに対し、ルカはパウロの弟子で、パウロに伴われてマケドニア、エルサレム、ローマを往復している。ルカ伝は紀元70年〜80年頃に書き上げられ、マルコ伝がマタイ伝を下敷きにしている点で同系列とみなせるのに対し、これらを下敷きにせず、視点の異なったイエス像を記している。そういう意味で別のイエス伝になっている。ルカ伝は、マタイ伝、マルコ伝がユダヤ人、ローマ人向けに書かれているのに対し、ギリシャ人向けにあるいは世界万民向けに書かれているとも受け取ることが出来る。

 ルカ伝はどちらかというと、やや神秘主義的な「精霊の宿りし神の子イエス」像をより鮮明にしている。それはともかく、マタイ伝、マルコ伝では触れられていない他の重要なイエスの足跡を書き付けている点で貴重である。つまり、ルカ伝は、マタイ伝、マルコ伝を補完している。ルカ伝はそういう位置関係にある。ルカは、別に使徒言行録をも記しており、イエス・キリスト教がいかにしてローマまで広められていったかを伝えている。

 最後にヨハネ伝が登場する。ヨハネの父はゼべタイで、ガリラヤ湖の漁師であり船主であったと云う。その二人の息子がヤコブとヨハネであり、ヨハネは、イエスに従う前にアンドレと共に洗礼者ヨハネの弟子だったとも云われている。後にイエスの使徒となる。このヨハネがヨハネ伝の著者と推定されているが、れんだいこは真偽不明としたい。

 ヨハネ伝は、1世紀の末頃、小アジアのエフェソで書かれたと推定されている。他の福音書との差異が目立ち、ルカ伝の「精霊の宿りし神の子イエス」像を更に押し進め「神の子そのものイエス論」へと一挙に飛躍させている。これにより神秘主義的教義化への道を大きく開いている。ヨハネとイエスの関係を詳述している点も特徴となっている。ヨハネ伝はそういう位置関係にある。

 ヨハネ伝は次のように評されている。
 「四書の内、ヨハネ伝は視点が異なり、神学的にも深められており、共観福音書(三書)からは遅れて成立したとみられる」。
(私論.私見) 

 れんだいこが思うに、「ヨハネ伝は視点が異なり」は正解であるが、「神学的にも深められており」は如何なものだろうか。神学的記述が目立つことは事実であるが、イエスの神秘主義化に走りすぎており、「深められている」かどうか。却って実像から離れているのではないか、という気もする。れんだいこは、ヨハネ伝を高く評価する風潮は正しくなく、ヨハネ伝を異筋と看做す。

 2世紀の教会歴史家アレキサンドリアのクレメントは、ヨハネ伝を次のように評している。
 「他の福音書著者によるイエスの外面的描写に、ヨハネは、精神的意味を加えた」。
(私論.私見)

 れんだいこが思うに、このようなヨハネ伝が通り相場になっているが、明らかに追従的である。ヨハネ伝は、ユダヤ教神学の観点からイエスを奉っており、その分実像から大きく捻じ曲げていることを窺うべきだろう。ヨハネ伝イエスは、宗教的粉飾を凝らすことにより、イエスの真実像から大きく逸らせており、御教えから遠ざかっていることを知るべきである。

 もっとはっきり云おう、ヨハネ伝は、悪意は定かならねどもユダヤ教的神学的読み取りによるイエスの神格化であり、イエス教義の精髄を著しく毀損せしめている。これによりイエス教義が失わさせられ、ユダヤ教的キリスト教へという別の新宗へと道が開かれることになった。そういう意味でヨハネ伝の功を説く教説は間違いであり、せっかくのイエス教義がユダヤ教的教義に取り込まれ、ユダヤ教的教義体系内に整序させられてしまった咎の方を読み解くべきであろう。

 2006.12.22日 れんだいこ拝

 「使徒言行録もイエス伝を補足している。「ヨハネの黙示録」もイエス伝を補足している。

 問題は次のことにある。上記イエス伝は相互に別のイエス像を描いており、仔細に付き合わせてみれば整合していないことが判明する。マタイ伝をベースにしていると考える時、他の福音書がその曖昧さを訂正したり、補足したり、脱落した逸話を挿入したりするのは学問的に進歩であるとしても、明らかに記述が齟齬する箇所も多々生まれている。

 マタイ伝とマルコ伝は姉妹である。しかし、ルカ伝とヨハネ伝は別のものであり、全く別の逸話の挿入、観点の披瀝が為されている。そのことによってイエスの実像に近づいているのならまだしも却って離れている恐れ無しや、そういう疑問が湧く。だがしかし、元へ戻って、マタイ伝とマルコ伝で充分というものでもない。

 2004.10.26日 れんだいこ拝

【イエス伝の外典福音書】
 313年、ローマ帝国のコンスタンティヌス大帝がキリスト教を公認。更に、キリスト教はローマ帝国の国教へと高められていく。

 4世紀末には、4福音書を含む27文書が新約聖書の正典として確立した。4福音書は、紀元1世紀後半から2世紀前半にかけて書かれた。この時、執筆材料となったのが「イエス言行録(Q資料)」と「ヘブライ語の旧約聖書をギリシャ語に訳した70人訳ギリシャ語聖書」であった。この過程で、生身のイエス像を言い伝えるグノーシス派の見解は排除された。

 新約聖書の4福音書が正典とされており、それから外されたいわゆる外典(アポクリファ)の中にも福音書とされるものがある。アポクリファとは、「隠された」という意味を持つ。ペトロによる福音書、ナザレ人福音書、エビオン人福音書、へブル人福音書、エジプト人福音書、アラブ人福音書、アルメニア人福音書、ヤコブ原福音書、大工ヨセフの物語、ユダ福音書、マルキオン福音書、トマスによるイエスの幼児物語、ニコデモ福音書(ピラト行伝)、トマスによる福音書、マリアの福音書、偽マタイ福音書、マティアス福音書等々20書以上がある。これらの外典は、新約聖書には収録されていない。

 ヤコブ原福音書、トマスによるイエスの幼児物語は四福音書に書かれていないイエス誕生前のマリアやイエスの幼少時を記している。ヤコブ原福音書の主人公はマリアで、物語はマリアの誕生の次第から始まり、神殿へのご奉献、ヨセフとの生活、イエスの出産、そしてヘロデ大王による幼子の虐殺物語で結ばれている。福音四書は、イエスの誕生の次第は記しているが、マリアについてもほとんど何も記していない。この「空白の部分」を埋めていることになる。

 1945年、エジプトのナグ・ハマディで発見された「トマスによる福音書」はコプト語で書かれ、イエスの語録という体裁を取っており、イエスの死や復活は書かれていない。「トマスによるイエスの幼年物語」には、イエスの5歳から12歳までの物語が収められている。マリアの福音書「マグダラのマリア」は、イエスの復活後の様子やマグダラのマリアがリーダー的使徒であったが、ペトロら使徒と対立したとの内容である。

 福音書以外に、ヨハネ行伝、ペテロ行伝、パウロ行伝(パウロとテクラの行伝)、アンデレ行伝、使徒ユダ・トマスの行伝、セネカとパウロの往復書簡、パウロの黙示録がある。

【れんだいこイエス伝】
 イエス伝各書がこういう関係にある場合、我々はどうすべきだろうか。それぞれをそれぞれに味わうのも一法だろう。しかし、れんだいこは満足し得ない。新約聖書中のイエス伝各書が必ずしもイエスの実像を語っていないと思うからである。故にむしろ、各書を精査してれんだいこの理解しうるイエス像を求めようと思う。そうすると、各書のイエス伝の中から同一場面の記述を全部拾い出し、その中から信に足りる記述を拾い出し、極力正確な史実を求めてそれを正史として編集し直さねばならないことになる。今日では、パソコンを使えばこのことが容易に出来るから有り難い。

 しかし、それからが大変だ。イエス伝各書の作者とれんだいこの地位は、それが他の誰であれ同じように挑めば同等になる。それは逆に言うと、とてつもない能力が要求されていることになる。しかし、それは楽しいことである。だから取り組む。

 かくて、れんだいこ記イエス伝が編集されることになった。先述したようにイエスの真意がどこにあったのかを探り出すのを本筋とした。その為に、れんだいこ記イエス伝は、基本的にはイエスの年代記に沿いながらも、イエスが全体的に何をどう述べたのかを重視した。極力イエス教義の内容を明らかにするため、あちこちで述べられた説法は時系列を無視して一括りにした。律法学者、パリサイ派との論争も大過ない限り一括りにした。考証的には問題か有るが、イエスその人を知るためには却って分かりやすいだろう。

 こうして間もなくれんだいこ記イエス伝が登場することになる。れんだいこ記イエス伝の主眼は、「去勢されたイエス像」を排し、恐らく実在の方として、今時風で云えばネオコン勢力と最も果敢に理論的弁証でも福音活動でも対決し、その出来映えが人知を超えた方であったことを描くことにある。この人知を超えていることで精霊の宿りし御方、神の子とも云われるようになったとして、実像肉声に迫ることにある。しかしこれは永遠に描ききれないだろうから、常に書き換えられ編集し直される事になるだろう。

 その結果、駄作か有意義作か、それは評者にお任せしようと思う。しかしそれにしてもイエス伝は面白い。実に傑作中の傑作というべきで、我々日本人がこの逸話に精通しておくことは有意義で、世界がユダヤーキリスト教的西欧に席巻されておりこの傾向が今後も続くことを思えば必須でもあろう。

 2006.10.31日再編集 れんだいこ拝

【笠原芳光・著「イエス 逆説の生涯」について】
 れんだいこはまだ読んでいないが、京都精華大学名誉教授・笠原芳光・著「イエス 逆説の生涯」が上宰されているとのことである。概要次のように記しているとのことである。
 「イエスはキリストではない。イエスの死後20年後、イエスをキリストであると信じ、それを文書にしたのはパウロであり、イエスの直弟子たちである。福音書には、イエスの歴史的な人間としての姿と、イエスをキリストとして信仰の対象とする態度とが入り混じって記述されているのはそのためである。

 いまや、イエスをキリストとして信ずるよりも、すぐれた自由な人間として考え、『イエスとはなにか』を改めて問い直そうという関心が世界的に高まり、その風潮は『イエス・ルネサンス』と呼ばれ、キリスト教界にもしだいに大きな影響をおよぼしつつある。

 本書は、歴史、信仰、文学という三つの要素を含む思想史という総合的な立場から、福音書を随所に読み換え、空白を補い、最後に神を否定することによってはじめて〈神〉を発見するという逆説的な思想を生きたイエスの生涯を、世界の中でも全くオリジナルな視点から描く、著者の全思想を賭した画期的なイエス伝の白眉」。

 笠原芳光氏の講演「ブッダとしてのイエス」がサイトアップされている。厳重に著作権壁が張り巡らされておるので紹介は以上にとどめる。

 2004.12.8日 れんだいこ拝 






(私論.私見)