皇室攻略としての騎士団考

 (最新見直し2013.08.11日)

 (れんだいこのショートメッセージ)

 「改宗ユダヤ人の秘密結社考」のペア版として「」を考察しておく。

 2013.08.11日 れんだいこ拝


【ガーター騎士団】
 「Flower of Chivalry~エドワード黒太子」の「創設期のガーター騎士団」その他を参照する。

 ガーター騎士団(Knights of the Garter)とは、イングランド国王エドワード三世(在位1327~1377)によって、騎士道実践の模範たるべくまた団員の国王への忠誠と奉仕を強調するため1348年に創設された(1344年説もある)。ガーター騎士団の創設理由は、エドワード三世が「アーサー王と円卓の騎士」にあこがれていたのが創設のきっかけらしい。ガーター騎士団は現存する欧州最古の騎士団であり、ガーター勲章(The Order of the Garter)はイングランドの最高勲章である。正式タイトルは”The Most Noble Order of the Garter”。グレートブリテン及び北アイルランド連合王国の栄典に於いても騎士団勲章(order)の最高位であるが、全ての勲章・記章の中ではヴィクトリア十字章とジョージ・クロスが上位に位置付けられている。「ガーター」とは、ガーター騎士団団員の規定の服装・装身具の総称で、左足の膝下につけるガーター、マント、首飾り、星章などから成る。

 創設当時の騎士団の最も重要なセレモニーは、聖ジョージの日(4月23日)に行われた。22日に団員たちはウィンザーに集まり、団に関する問題について討議してから、夕べの礼拝に参加。翌日は荘厳ミサに出席した。その時、新団員が紹介された。祝賀セレモニーはその夜の宴会で締めくくられ、翌24日には鎮魂ミサが執り行われた。騎士団の集会の際には、たびたび豪華なトーナメント(馬上槍試合)が同時に催され、騎士たちだけでなく王も皇太子もよく変装して参加した。騎士団員が2組に分かれているのはトーナメントを行う際の組み分けによると云われている。

 創設騎士団員は王と皇太子を除くと24名。これは、アーサー王の円卓の騎士たちが12名だったことから、王と皇太子に12名ずつ、ということで、合わせてその数になった。終身団員であり、当時は団員が死亡しない限り補充はなかった。創設団員には20~30代が中心の比較的若い騎士たちが選ばれ(最年長は40代半ばのトマス・ウェイル、最年少は10代の皇太子)、そのほとんどが、クレシー戦を含む1346年のフランス遠征で顕著な活躍をした人物。例えば、ウォーリック伯はクレシー戦での指揮官のひとりであり、彼の弟ジョン・ビーチャムは国王旗の旗手、そしてリチャード・フィッツシモンは皇太子旗の旗手だった。 その他、団員には外国人も含まれていた。ジャン・ド・グレイリー、ヘンリー・イーム、サンシェ・ダブリッシェクールの3名で、そのうちグレイリーはガスコーニュの貴族、ダブリッシェクールはピカルディの有力者という、ともに親英派のフランス人であった。

 ガーター騎士団の勲章に刻まれているモットーである“Honi soit qui mal y pense”(オニ・ソワ・キ・マル・イ・パンス―それを悪しと思うものに禍いあれ)と、勲章にガーターを採用した理由は、以下のエピソードに由来するといわれている。1347年、イングランド軍のカレー占領を祝した舞踏会で、天下の美女と誉れ高いソールズベリー伯夫人が、国王エドワード三世と踊っている最中、靴下留め(ガーター)を落とすという不作法をしでかしてしまった。会場が嘲笑に包まれたところを、王は彼女が落とした靴下留めを拾い上げ、自分の左脚にはめて周囲を見渡しこう言った。 「オニ・ソワ・キ・マル・イ・パンス」。王が伯夫人の失態以上に奇異な行動をとったことで、彼女は窮地から救われた云々。これを「ソールズベリー伯夫人の失態説」とする。別説として、団員章であるガーターの配色は青と金。これはフランス王の紋章の配色。そういうわけで、このモットーは、王位を要求する権利を主張するエドワード三世の、フランスに対するメッセージ(つまり、「(エドワード三世がフランスの王位を要求することを)悪しと思うものに禍いあれ」ということでしょうか)と捉える説もある。他にも説がある。


 「ガーター勲章について」を転載する。

 ガーター勲章は1348年に始まったガーター騎士団の団員に授与されるイングランドの最上位勲章である。同様の勲章にスコットランドのシッスル(あざみ)勲章があるが、シッスルがスコットランド人か、スコットランドに非常に縁が深い人物のみに与えられるのに対して、ガーターは外国人に対しても授与されている。

 シッスルにも外国人に対して与えられた例はあるが、これは極めて例外的な事例で、基本的にシッスルは国内的な対スコットランド統制に用いられ、ガーターは国内、コモンウェルスにとどまらず英国の対外的な外交戦略に沿って授与されている。

 英国王妃でもガーターは授与されてもシッスルはされていない例がほとんどで、最直近の王妃である故エリザベス皇太后はその数少ない例外であるが、彼女の場合はスコットランド貴族の出身であるという特別な事情がある。

 勲章制度は顕彰する利益主体があるわけだが、英国の場合は、政府、王室、君主個人、行政府、スコットランド、コモンウェルスと多様な主体があり、それぞれに応じて多様な勲章が設置されている。ガーターはそれらを包括する最上位勲章であり、利益主体の融合としての国家そのものの利益と密接に関わっている。

 http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_Knights_and_Ladies_of_the_Garter

 英語版ウィキペディアに歴代ガーター騎士のリストが掲載されているが、昨年、ウィリアム王子に授与されたのがちょうど創設以来1000人目となった。

 その2年前に女王の次男のヨーク公(当時46歳)と三男のウェセックス伯(当時42歳)が叙勲されていて、女王の長女のプリンセス・ロイヤル(アン王女)が44歳で叙勲されたことを踏まえれば、おおよそ40代半ばまでに叙勲されるのが直系王族の相場ということになる。ウィリアム王子の場合は、26歳での叙勲だから相当に早いが、これはもちろん彼が王位継承の直系に位置しているからだろう。

 最近の叙勲者を見れば、国内の行政職、首相経験者、有力貴族、王位継承権者、コモンウェルスの総督、そして王族が中心になっている。外国人への叙勲は、王族がほとんどであり、欧州の君主は、格下のモナコとリヒテンシュタインを除いて、ほぼ叙勲されている。

 最近取り沙汰されているのは既に即位後、16年が経過しているベルギー国王のアルベール2世への叙勲が遅れていることで、これは先王のボードゥアン1世の葬儀の際、珍しく他国の慶弔行事に出席したエリザベス女王に対して、プロトコル上の非礼(あくまで英国側の解釈で)があったという話があり、それに対する報復という説もある。

 ちなみにエリザベス女王の慶弔行事への出席は極めて腰が重く、出し惜しみをすることでとりようにとっては悪名高い。昭和天皇の葬儀には、エディンバラ公が出席したが、ここはせめてチャールズ皇太子だろう*1。とは言え、英国は他の国、欧州諸国に対してもそうした王室外交儀礼的に非礼をなすことが多く、王室外交を戦略的に行いつつ、そのブランドを維持しようとしていることの表れだろう。

 タイのプミポン国王(ラーマ9世)の在位六十周年に際しては、日本からは両陛下が記念式典に出席されておられるが、英国が派遣したのはヨーク公であった。アジアと欧州の距離を考えれば、あり得る選択ではあるけれども、吝嗇な選択であったのも確かで、英国政府はそれを機にタイとの友好を深めることよりは、英王室のブランドを維持することに重点を置いたわけで、こういうことからも外交姿勢は透けて見える。

 ボードゥアン1世の葬儀に例外的に女王が参列したのは、英王室とベルギー王室が共にザクセン・コーブルグ・ゴータ家という同一の家系に属するという特殊な事情が作用している(ただし英国はウィンザー家、ベルギーはベルジック家と改名)。

 ベルギー側に仮にそれに伴う非礼があったとすれば、そうまで好意を示したにも関わらず足蹴にされたということでエリザベス女王の怒りは相当なものがあろう。それが現国王に対するガーター叙勲への遅れとして表面化していると見る向きもある。

 明治以後、日本の歴代天皇は「順当に」ガーターを叙勲されていて、明仁天皇も即位後7年目にして叙勲されている。天皇へのガーター叙勲はすでに慣例化されているわけだが、当初は英国側もガーターを出し渋った。

 明治天皇への叙勲が実現したのは日英同盟の特殊な二国間関係と日本側が強硬に要求した結果である。本来、ガーター騎士団がキリスト教精神を基盤に据えていることから、キリスト教徒のみを対象とするのが筋であるが、既に非キリスト教徒であるペルシアのシャーに授与された前例が二回あった。

 これはもちろん英国の中東政策、そしてインドへの道を確保する帝国政策と関わっているわけだが、前例があるじゃないかと指摘されて、拒絶できなかったというのが明治天皇へのガーター叙勲への実情である。

 そしてひとたび叙勲がされれば、次代以後はそこが維持水準になるので、ペルシアのシャーへの叙勲も二代連続している。日本の天皇への叙勲も、以後、大正天皇、昭和天皇へと続くのだが、昭和天皇は日英開戦を機にガーター騎士団から除名され、1961年に再叙勲されている。日英関係を再構築する意思の英国側の表明であったと解釈していいだろう。

 欧州の君主を除けば、ガーターを叙勲されている君主・元首は現在では日本の天皇以外にはいないだけに、英国が叙勲制度において日本の皇室を優遇、重視しているのは事実である。

 ただし先に述べたように非キリスト教徒の君主への叙勲としては、日本の天皇に先立って、ペルシアのシャーへの叙勲もある。イラン人がアーリア系であるのは確かなので、彼らは白人に分類されるべきかも知れないが、れっきとした有色人種の君主への叙勲の例もある。

 エチオピア皇帝ハイレ・セラシエへの叙勲だ。ただし、彼は第二次大戦における英国の盟友であり、キリスト教徒であった。だが、日本の天皇のみが非キリスト教徒あるいは有色人種の中でガーターを叙勲されているというのは明らかに事実ではない。


【イギリスの騎士団勲章の種類一覧】
イギリスの騎士団勲章の種類一覧」を転載参照する。


 イギリスの騎士団勲章の種類一覧の概要

 騎士団とは主に十字軍設立時に作られた騎士修道会を真似て、各国の王や貴族が設立した騎士の軍団および部隊です。現在のイギリスの騎士団勲章は当時の騎士団の名残として残っており、各勲章となっています。
名称 概要
 ガーター勲章( The Order of the Garter)
 勲章の大綬の色が青色であるため「ブルーリボン」とも呼ばれています。1348年にエドワード3世によって作られたイングランドで現在の
イギリスで最も位の高い勲章となっており、ガーター騎士団(Kights of the Garter)の一員になることを意味します。新たに勲章を受けるも
のは、既に勲章を受けたもの2名から紹介が必要とされています。日本人では明治天皇、昭和天皇、今上天皇が授章しており、現在非キ
リスト教の国家元首として授章した人物は今上天皇のみとなっています。ガーター勲章の中でも位があり以下のようになっています。
  • Knight/Lady
  • Royal Knight/Lady
  • Stranger Knight/Lady
 シッスル勲章( Order of the Thistle)
 勲章の大綬の色が緑色であるため「グリーンリボン」と呼ばれています。また、勲章にアザミがデザインされていることからアザミ勲章とも呼ばれています。スコットランドの勲章で、現在のイギリスではガーター勲章の地祇に位の高い勲章となっています。主にスコットランドの血を引くものが授章します。シッスル勲章の中でも位があり以下のようになっています。
  • Knight/Lady Companion
  • Supernumerary
  • Knight/Lady
 バス勲章( Order of the bath)
 勲章の大綬の色が赤色であるため「レッドリボン」と呼ばれています。バス勲章は軍人用と文民用の2つがあり、上位2等級(Knight Grand CrossとKnight Commander)を授章するとナイトの称号も授与されます。日本人では伊藤博文、乃木希典、桂太郎、竹下勇などが授章しています。バス勲章の中でも位があり以下のようになっています。
  • Knight Grand Cross(Dame Grand Cross)
  • Knight Commander(Dame Commander)
  • Companion
 メリット勲章( Order of Merit)
 軍事の功績、科学、芸術、文化の振興、福祉への貢献が有った物に送られ、定員が国王と24人(外国人は定数に数えず)となっており、 授章が非常に難しく名誉のある勲章とされています。日本人では、東郷平八郎、山縣有朋、大山巌が授章しています。
聖マイケル・聖ジョージ勲章
Order of St Michael and St George
1818年にジョージ4世によって制定された勲章で、イギリス連邦と多国間での関係で功績が有ったイギリス連邦の外交官や行政官 イギリス連邦に駐在する他国の外交官が授章対象となっており、日本人では松方正義などが授章しています。聖マイケル・聖ジョージ勲章の中でも位があり以下のようになっています。
  • Knight Grand Cross(Dame Grand Cross)
  • Knight Commander(Dame Commander)
  • Companion
ロイヤル・ヴィクトリア勲章
Royal Victorian Order
1869年にヴィクトリア女王によって制定された勲章で、日本人では皇太子時代の昭和天皇と今上天皇、東郷平八郎が授章しています。ロイヤル・ヴィクトリア勲章には以下の5つの位があります。 また一番の位(Knight/Dame Grand Cross )のさらに上にロイヤル・ヴィクトリア剄飾があり、一番下の位(Member)の下に特別に授与されるメダルがあります。
  • Knight Grand Cross(Dame Grand Cross)
  • Knight Commander(Dame Commander)
  • Commander
  • Lieutenant
  • Member
ロイヤル・ヴィクトリア剄飾
Royal Victorian Chain
ロイヤル・ヴィクトリア勲章の上位等級として1902年にエドワード7世により制定されました。主に王族や君主の血縁関係者に送られ、日本では高松宮宣仁親王と秩父宮雍仁親王が授与されています。
大英帝国勲章
Order of the British Empire
1917年にイギリス国王ジョージ5世により制定されました。 授章対象が軍人、政治家、役人、経済人、文化人、芸能人、スポーツ選手、福祉への貢献したものなどとされ、イギリスの騎士団勲章では最も多くの授章が居ます。有名な受章者にはビルゲイツ、ポールマッカートニー、エルトンジョン、デビッドベッカムなどがおり、 日本人でもソニー会長の盛田昭夫、トヨタ自動車会長の豊田章一郎、演出家の蜷川幸雄、小説家のC・W・ニコルなどが授章しています。大英帝国勲章の中でも位があり以下のようになっています。
  • Knight Grand Cross(Dame Grand Cross)
  • Knight Commander(Dame Commander)
  • Commander
  • Officer
  • Member
コンパニオン・オブ・オナー勲章
Order of the Companions of Honour
メリット勲章の下に位置している騎士団勲章です。 1917年にジョージ5世により制定され、芸術、文学、音楽、科学、政治、産業、宗教などに貢献の有った者に授与されます。
ディスティングリッシュド・サービス・オーダー勲章
Distinguished Service Order
1886年9月6日にヴィクトリア女王によって制定され、 優れた戦果を挙げたイギリス連邦の将校、士官、兵士に授与されます。
帝国功労勲章
 

廃止や停止中の騎士団勲章
聖パトリック勲章 アイルランドの最高勲章で、現在のイギリス連邦ではガーター勲章とシッスル勲章の次に位の高い騎士団勲章です。
1783年にジョージ3世により創立され、1934年にグロスター公ヘンリーと、ジョージ6世に授与されたのを最後に授章が止まっており、 聖パトリック騎士団最後のメンバーのグロスター公も1974年に亡くなっています。
しかし、聖パトリック騎士団自体は存続しているらしく、聖パトリック勲章の勲章授与復活も議論されているようです。
ロイヤル・グレルフィック勲章 Royal Guelphic Order
1815年にジョージ4世により創立されました。ウィリアム4世死後の1837年以降は授与が行われていません。
ロイヤル・グレルフィック勲章の中でも位があり以下のようになっています。
  • Knight Grand Cross
  • Knight Commander
  • Knight
スター・オブ・インディア勲章 Order of the Star of India
1861年にヴィクトリア女王により創立されました。
インドが独立し、最後に騎士団勲章を授与された「Tej Singh Prabhakar」が2009年に亡くなった事により中止になりました。
スター・オブ・インディア勲章の中でも位があり以下のようになっています。
  • Knight Grand Commander
  • Knight Commander
  • Companion
インド帝国勲章 Order of the Indian Empire
イギリス領インド帝国の騎士団勲章で1878年ヴィクトリア女王により創立されました。
インドが独立し、最後に騎士団勲章を授与された「Maharaja Mayurdwajsinhji Meghrajji III 」が2010年に亡くなったことにより中止になりました。
インド帝国勲章の中でも位があり以下のようになっています。
  • Knight Grand Commander
  • Knight Commander
  • Companion
ブリティッシュ・インディア勲章 Order of British India
1837年に東インド会社によって設立され、1859年にイギリスの勲章になりました。
1947年にインドが独立したことにより中止となっています。
インド・メリット勲章 Indian Order of Merit
1837年に東インド会社によって設立され、1858年にイギリスの勲章になりました。 1947年にインドが独立したことにより中止となっています。
主にインドの軍人に授与されていました。
インド・メリット勲章の中でも位があり以下のようになっています。
  • First Class
  • Second Class
  • Third Class
  • Ribbon
クラウン・オブ・インディア勲章 Order of the Crown of India
1878年にヴィクトリア女王によって設立され、1947年にインドが独立したことにより中止となっています。
主にインドの総督、知事、長官、軍の士官などに授与されました。
ロイヤル・ヴィクトリア・アンド・アルバート勲章 Royal Order of Victoria and Albert
1862年にヴィクトリア女王によって設立され、1952年に最後の受章者のアリス・オブ・オールバニが無くなってからは授与が中止となっています。
ロイヤル・ヴィクトリア・アンド・アルバート勲章は英国王室の女性、英国王室血族の女性、国外の王族女性、女王または王妃の世話をした女官に送られました。
ロイヤル・ヴィクトリア・アンド・アルバート勲章の中でも位があり以下のようになっています。
  • First Class
  • Second Class
  • Third Class
  • Fourth Class
ビルマ勲章 Order of Burma
イギリス統治下のビルマで授与されていた騎士団勲章で、1940年に設立され1948年のビルマ独立と共に廃止となりました。
ビルマ勲章の受章者は少なく33人のみだったとされています。





(私論.私見)