「自由・平等・博愛」に関する記述一覧

 (最新見直し2006.1.25日)

【「自由・平等・博愛」に関する記述一覧】
 「自由・平等・友愛」を叫んだ最初の人間はわれわれであった。 はるか以前の時代にさかのぼれば,われわれは人民群集の中にあって「自由・平等・友愛」という言葉を叫んだ最初の人間であった.以来,幾度となく愚かなオウムたちが四方八方からこの餌に群がり集まり,世界の福利と,以前は群集の圧力に対してよく保護されていた個々人の真の自由を,この餌をもって破砕し去った.(プロトコール1)
 「自由・平等・友愛」がわれわれの勝利を助けてくれた。 地球のいたる所で,われらの盲目の代理人たちのおかげで,「自由・平等・友愛」という言葉が,われらの旗を熱狂的にかざす大群を,われわれの隊列に引き入れてくれた.これらの言葉はまた常に,ゴイムの福利に穴をあけ,いたる所で平和,安寧,協同に終止符を打ち,ゴイムの国家の基礎を破壊する生きたエダシャクトリ[果樹の害虫]であった……このことがわれわれの勝利を助けた.(プロトコール1)
 ゴイム知識人は「自由・平等」からは何も作りだせなかった。 ゴイムのうちの賢者になりたがり屋ども,知識人たちは,もともと中味のないこれらの言葉[自由・平等・友愛]から何も作りだすことができなかった.……どこをどう見ても平等はなく,自由などありえず,自然そのものはその掟に従わせるように作られているのと全く同じく,気質,性格,能力が不平等に作られていることを見なかった.(プロトコール1)
 「自由」なる言葉は神や自然の掟に対してまで闘争させる。 「自由」なる言葉は,さまざまの人間集団に,あらゆる種類の権力,あらゆる種類の権威,さらには神や自然の掟に対してまで闘争することに入らせた.このため,われわれがわれらの王国を実現したあかつきには,群集を血に飢えた獣に改造する暴力的概念であるこの言葉を,われわれは,目に触れる辞書からは抹殺するであろう.獣たちは血をたらふく呑んで腹がふくれると眠り込むので,鎖につなぐのはいともたやすいというのは事実である.だが,血を呑まさなければかれらは眠らず,引き続き闘争を続けるであろう.
 人民を無秩序な群集に一変させるには自由を与えるだけで十分である。 自由思想は誰ひとりとしてほどよい使い方を知らない.ゆえに,実現不可能である.人民を無秩序な群集に一変させるには,かれらに一定期間自治を与えるだけで十分である.与えた瞬間から,共食い闘争が勃発し階級間戦争に発展し,その真っただ中で国家は焔に包まれて炎上し,かれらの権威は一山の灰燼に帰するであろう.(プロトコール1)
 アナーキーは野蛮の最高の段階である。 群集は野蛮人であり,ことごとくの機会にその野蛮さを発揮する.群集は自由を手にしたとたんにいち早くアナーキーに転ずる.アナーキーそれ自体は野蛮の最高の段階である.(プロトコール1)
 飲酒や性的堕落はわれわれが手ほどきしたものである。 飲酒で馬鹿になりアルコール漬けになった動物どもを見よ.自由がかれらに節度なき飲酒の権利をもたらしたのである.それはわれわれやわれわれ一族の歩む道ではない.ゴイム々はアルコール飲料に酔いしれ,かれらの若者たちは因習陋習とごく若いうちから性的堕落に痴呆状態となって成長する.その性的堕落は,われわれの特別な代理人・・富豪の邸宅の家庭教師,下男,女性家庭教師によって,書記その他によって,しばしばゴイムの娯楽場にいるわれらの女性たちによって手ほどきされた.かれら代理人の最後に,私は,頽廃と奢侈に他の者たちを引き込む尖兵である,いわゆる「社交界の貴婦人たち」も入れておく.(プロトコール1)
自由思想の使い方を知らなければならない。 政治的自由は単なる思想であっていささかも事実ではない.が,政権をもっている党派を粉砕すべく,この思想を餌とし て人民大衆を自陣に引きつける必要があれば,その撒き方や使い方を知っていなければならない.その際,相手方が自由思想,いわゆるリベラリズムに感染していれば,そして,思想のためになら喜んで全力を投げうつつもりがあるならば,仕事はさらにやりやすくなる.(プロトコール1)
権利にはなんら具体性はない。 われわれの権利は力の中に横たわる.権利≠ネる言葉は抽象的な思考であって,なんら具体性はない.その言葉は次のことを意味するに過ぎない・・わが欲するものを我に与えよ.我が汝らよりも強きことを証せんがために.権利はどこから始まるか?どこで権利は終るか?権威の仕組が薄弱で法律が空疎であり,リベラリズムの乱用により権利を乱発し支配者たちが脆弱となった国家ならどんな国でも,私は新たなる権利を行使できる・・強者の権利によって打撃を与え,既存の秩序と法規の一切を粉砕し,すべての機構を再構築し,リベラリズムの中で放棄されてわれわれに残されたかれらの権威ある権利を継ぐ王者となる.<一>
 権力に対する悪口雑言はすべての制度を転覆させる最後の一太刀となる。 あとからあとから出てくるおしゃべり屋たちが,議場と行政会議の場を討論会場に変えてしまった.向う見ずなジャーナリストと破廉恥なパンフレット屋が毎日のように政府当局を攻撃する.権力に対する悪口雑言はすべての制度を転覆させる最後の一太刀となり,ことごとくが狂乱した群集のめった打ちに会って空中に吹き飛ばされるであろう.(プロトコール3)
人々は階級と身分に分かれなければならない。 人々は階級と身分に分かれなければならない……人間活動の実際にはさまざまな差異があって,平等などというものはありえず,なんらかの行為で階級全体に累を及ぼす者と,自分自身の名誉を傷つけるだけの者とは,法律の前では平等の責任を負うはずがないということは,万人が心得ておくことが肝要である.<三>
憲法に書き込んだ大衆に関する権利は虚構である。 なべての人民は,奴隷や農奴として縛り付けられていたかつての時代よりもきびしく,貧困なるがゆえに重い労働の鎖につながれている.なんとかしてかれらはこの束縛から逃れようとするかも知れないが,この重荷を取り除くことはできず,決して貧困からは脱却できない.われわれが憲法に書き込んだ大衆に関する権利というようなものは,虚構であって実際に使える権利などではない.いわゆる「人民の権利」なるものは,単なる観念,実際生活では決して実現されるはずのない観念としてのみ存在することができる.<三>
信仰心を奪い権利思想を植えつける。 人民が王は神の意志を純粋に体現した者だと見ていた時代には,なんの不平不満も鳴らさずに王の専制権力に従った.だが,人民には権利というものがあるという考えをわれわれがかれらの心に植えつけてからは,かれらは王座に座る者を単に普通の人間とみなし始めた.神権による王≠フ聖油は人民が見ている前で王たちの額から消えうせてしまい,われわれが人民から信仰心を奪った時に,権力の強力な力は飛び散って公共の所有権となり,われわれがそれを押収したのである.<五>
「自由,平等,友愛」はわれわれの王国では標語としては使わせない。 リベラルな言葉,われらがメーソンの標語として効果の高い「自由,平等,友愛」は,われわれの王国が到来した暁には,もはや標語としては使わせず,「自由の権利,平等の義務,友愛の理想」というふうに単なる理想主義を表現したものに変える.これがわれわれのやり方・・牛は角を捕えよ・・なのである.<九>
自由≠ニは法律で許されたことをする権利である。自由≠ニいう言葉には,いろいろの解釈があるが,われわれは次のように定義する・・自由とは法律で許されたことをする権利である.この定義は通常はわれわれだけに役立つ定義である.なぜならば,法律というものが前に述べた計画に従って,われわれが思いのままに作ったり廃止したりできるものであるから,およそ自由と名の付くものはすべてわれわれの手中にある.<十二>
  • 平等思想が一番下の思想であることは動かない。 平等思想は自然法則にもとるものであって,平等思想が一段下の思想であることは動かないところなのである.
  • 進歩思想は限度というものを弁えなかった。 進歩思想は,あらゆる種類の解放運動を激励してきたが,限度ということを弁えなかったのである……いわゆる自由主義者は,実際はともかくとしても思想に関しては例外なく無政府主義者である.自由主義者のどの一人も自由のお化けを追い求め,まっしぐらに放縦に,すなわち,反対のための反対という無政府主義に陥っている.<十二>
われわれの政府が承認されると自由主義者や空想論者の役割は終る。 われわれの政府が承認されると,自由主義者,空想論者の役割は最終的に終る.その時まで,かれらはたっぷりとわれわれに奉仕し続けてくれる.そのために,われわれはかれらの頭をあらゆる種類の空疎な内容の空想的理論,今では進歩的と呼ばれる理論の方に引っ張り続けている.<十三>
真理は一つでありそこには進歩≠ェ入り込む余地はない。 われわれはゴイムの空っぽ頭を進歩転換させることに成功したことはなかった.ゴイムの中には,物質的発明の問題ではない所で進歩を追い求めたところで真理からは遠ざかるばかりだということが判る人間はいないのである.なぜなら,真理は一つであり,そこには進歩が入り込む余地はないのである.進歩,それは誤った推論に基く思想のようなものであり,神の選民であり,真理の保管人であるわれわれの外には何びとも知らない真理を覆い隠すのに役立つ.<十三>
 自由の権利は人間性に拷問をかける。 われわれは最もはっきりとした口調で,ゴイム政府が犯した過ちを描いてみせるであろう.われわれがかれらに対する嫌悪の情をそそるので,人民は,かの自由を振り回す権利などよりも,農奴制のような状態でよいから安穏の方を好む.自由の権利は,人間性に拷問をかけ,まさに人間存在の根源を疲弊させ,人民は自分が何をしているのか解っていない一群のこすからい山師たちの餌食となったのである.(プロトコール14)
 自由や平等は人間の本性にある破壊的な原理である。 [われらの王国を築いた暁には]われわれは明白にする,自由とは放縦ではないことを,人間の品位とか力とかには自堕落が含まれていない以上に自由とは抑制の利かない権利は含まないことを,良心の自由や平等その他これに類するものは人間の本性にある破壊的な原理であることを万人に公表し,個人の自由とは決して無秩序な群集の前で言語同断な言説を弄して煽動することではないことを.真実の自由とは,社会の法律には敬虔に厳しく従う人の不可侵性にあること,人間の尊厳とは権利意織に包まれてはいるが同時にいかなる権利意織ももたぬものであること,そして自分勝手な空想を実現しようとすることは決して許されないことを.(プロトコール22)






(私論.私見)