【「政治の本質」、権謀術数、陰謀論、革命論に関する記述一覧】

【「政治の本質」に関する記述一覧】
 人間という名の禽獣を抑え、彼らを牽引してきたものは何であったか、それを思案せねばならない。社会の仕組みが始まった原始時代にはそれは暴力であった。その暴力の威圧の前に人々は盲目的に服した。その後には、法律に服するようになった。だが、この法律とて所詮仮面を被った暴力に他ならないではないか。これがありのままの法則であり、ここから推論すると、「正義は力の中に横たわっている」と結論したい。(プロトコール1)

【権謀術数、陰謀論に関する記述一覧】
 国家が内乱によって消耗するか、内部不一致のために外敵の手中に落ちるにせよ、どのみちその国は回復できず没落するほかはない。その時こそ、我らの出番である。完全に我々の手中にある資本の専制力が、その国に救いの藁を差しのべると、否応なく彼らはそれに縋(すが)りつかなければならない。拒めば底に沈むのである。

 リベラルな考えをもっている人が、上述のような考えを悪辣、不道徳であると評するならば、私はこれに対して次の問いを投げ返したい。どの国も内敵外敵両面の敵をもっている。外敵にはあらゆる策略を用い、たとえば敵には攻撃防御計画を伏せておき、夜間奇襲あるいは圧倒的優勢な戦力で撃破しても不道徳ではないとされるならば、さらに悪質な敵、社会秩序の紊乱者、安寧の妨害者に対して同じ方法を用いることが、いかなる理由で不道徳且つ許しがたいと云われなければならないのか? と。(プロトコール1)
 政治は、道徳とは何ら関係がない。道徳に基づき統治する支配者は練達の政治家ではない。そういう者が統治すると政権の王座は動揺し、永く保つことができない。支配したいと思う者は、我々が常々所有する新聞に感謝するところであるが、気付かれぬように策謀(欺瞞)と偽善との双方を用いなければならない。誠実や正直さとかのような、民衆において偉大な大徳目と称されるものは、政治においてはむしろ悪徳でしかない。それらは支配者を王座から転がり落とすのに効果あるもの、最も強力な敵よりも確実な破壊力をもつものなのである。そのような徳目は、ゴイムの王国の属性にしておいてもよいが、我々ユダヤ人は決して彼らの轍を踏んではならない。(プロトコール1)
 我々の正義は力の中に横たわる。「正義」なる言葉は抽象的な概念であって、なんら具体的なものではない。その言葉は次のことを意味するに過ぎない。「わが欲するものを我に与えよ。我が汝らよりも強きことを証せんがために」。 (プロトコール1)
 あらゆる形態の政治権力が動揺している現在、我々の権力は、他のいかなる権力にもまして目に見えないであろう。我々の権力が敵のいかなる狡知をもってしてもこれを覆えさせられない強さに到達する瞬間まで、我々の権力は表面に出さないことにする。(プロトコール1)
 我々が目下用いざるをえない一時的な悪策から、確固たる善政が顕現する。この善政は、自由思想によって形無しにされた国民生活の仕組みを平常の状態に修復することになるだろう。結果は手段を正当化するので、目的が善ければ手段は選ばない。我々の計画においては、必要と有効なこと以上には、善とか道徳とかにはこだわらないことに留意しようではないか。 我々の眼前には戦略的に敷かれた計画がある。数世紀にわたる我々の辛苦の労働が無に帰する危険を顧みるならば、この路線から逸脱することは許されない。 (プロトコール1)
 我々の合い言葉は力と偽善である。特に力のみが政治的諸問題を克服する。政治家に本質的に必要な才能の中にこの力が宿されているならば、ことに然りである。強権政治が根本原則でなければならぬ。我々の後押しする政府の手先どもが強権政治を敷こうとしない場合には、欺瞞と偽計が用いられねばならない。これを鉄則とすべしである。この悪は終局である善に達するための手段にすぎない。それゆえに、我々は、目的達成のために役立つときは、贈収賄、詐欺、裏切りをためらってはならない。これが役立つ場合には躊躇無く用いねばならない。政治の世界では、相手を屈服させ支配権を握る為には、他人の財産を奪い取る方法を遠慮してはならぬ。(プロトコール1)
 我々の国家が戦争という方法によってではなく平和的な征服の道を進んでいる際には、大衆を盲目的に服従させる為に恐怖を用いねばならない。我々は、目につかないけれども効果のある死刑宣告をもって統治する権利をもっている。仮借ない厳しさだけが、国家の強さを見せつける最大の力である。単に利益を得るためのみならずわれわれの義務としても、また、勝利のためにも、我々は暴力と偽善による計画を保持し続けなければならない。報復主義は使われる手段と同じく、有無を言わさず強力である。それは手段そのものであるというよりも、我々が勝利し、すべての政府を我らの超政府にひざまづかせる厳格な教義なのである。我々は抵抗する者及びその精神に対して容赦なく鉄槌を浴びせ、二度と歯向かわないように十二分に思い知らせる。(プロトコール1)
 われわれの義務としても暴力と偽善による計画を保持する。 平和的な征服の道を進んでいるわれわれの国家は,盲目的な服従を強いるために恐怖を維持する必要から,目につかないけれども効果のある死刑宣告をもって戦争の恐怖にとって代える権利をもっている.仮借ない厳しさだけが,国家の強さを見せつける最大の力である.単に利益を得るためのみならずわれわれの義務としても,また,勝利のためにも,われわれは暴力と偽善による計画を保持し続けなければならない.(プロトコール1 )
 善とか道徳にはこだわらない。 すべての形態の権力が動揺している現在,われわれの権力は,他のいかなる権力にもまして目に見えないであろう.いかなる狡猾な者もくつがえせない強さに到達する瞬間まで,われわれの権力は表面には現われないからである.われわれが目下用いざるをえない一時的な悪から,確固たる支配という善が顕現する.この善は,自由思想によって形無しにされた国民生活の仕組を平常の状態に修復するだろう.結果は手段を正当化する.しかしながら,われわれの計画においては,必要と有効なこと以上には,善とか道徳とかにはこだわらないことに留意しようではないか。(プロトコール1 )
 道徳で統治する支配者は練達の政治家ではない。 政治は,道徳とは全く関係がない.道徳で統治する支配者は練達の政治家ではないから,彼の王座は動揺する.支配したいと思う者は・・われわれが所有する新聞に感謝する・・気付かれぬように欺瞞と偽善との双方を用いなければならない.率直とか正直とかのような,偉大な国民資質と称されるものは,政治にとっては悪徳である.それらは支配者を王座から転がり落とすのに効果あるもの,最も強力な敵よりも確実な破壊力をもつものなのである.そのような資質は,ゴイムの王国の属性でなければならないが,われわれは決してかれらの轍を踏んではならない。 (プロトコール1 )
 盲人が盲人を導けば奈落に落ちこむ。 満足すべき行動を練りあげるためには,群集の狡猾さ,だらしなさ,情緒不安定,かれらの理解力の欠如を考慮に入れ,かれら自身の生活状況,あるいはかれら自身の福利を顧慮する必要がある.群集の力は,盲目的であり,愚かしく,何かからの暗示にかけられるがままに動き,道理をわきまえないということを理解しなければならない.盲人が盲人を導けば奈落に落ちこむのは必然である.群集の何人かが天才的な賢者であったとしても成上がり者であり,政治を理解することはできず,指導者として前を進めば全国民を滅亡の淵に落としこむのは必然である。(プロトコール1 )
 我々の目的には戦争は欠くべからざるものである。が、できる限り、戦争が領土的な利益をもたらさないように仕向けるべきである。そうすれば、戦争は経済に基盤を置くようになり、この領域において各国は我々の支配の強力さを思い知らされるであろう。また、戦争当事国は双方とも我々が国境を越えて放っている我々の代理人団(エージェント)の思うがままに操られることになるだろう。どんな国境も我々のこの活動を阻止できはしない。(プロトコール2)
 今日、我々はあと数歩で目標に到達せんとしていると言ってよい。横切るべき空間はあとわずかを残すのみであり、我々が歩んできた長い道のりは、今まさに我々の民族の象徴たる両頭の蛇の輪を締め合わそうとしている。この輪が閉じられるとき、ヨーロッパのすべての国家は強力な万力によって締め上げられることになる。(プロトコール3)
 当今の国政機構の天秤はほとんど破壊しているも同然である。なぜならば、我々が、秤の均衡を損なうように支点を操作して狂わせているからである。ゴイムはしっかり固定してあると思い込んでいて、いずれ天秤は釣り合いを取り戻すはずだと、ずっと期待し続けている。だが、支点つまり王座に即位している王たちは、自分たちで押えが利かず無責任極まりない力に困惑するだけの阿呆家来どもに取り巻かれている。権力的家臣達は特有の茶坊主的密議支配を好む。宮殿内に風靡するこの政治支配が王権政治の特徴である。

 かくて、王たちには人民に近付く手だてがない。まさに取り巻き連中のど真中で王位に就いている王たちは、人民と一緒になって、権力の簒奪者たちに対抗する術を持つことが出来ない。明敏な統治権力と人民の盲目の力との間に、双方ともがあらゆる意味を失うように、我々が深い溝を設けた。盲人と彼の杖のように、両者は離れ離れにされれば全くの無力となる。(プロトコール3)
 我々は、権力を追い求める者たちを煽動して権力を誤用させるため、すべての勢力を独立させ、極力相対立させ、それを促進する自由主義的傾向を鼓吹するように仕向けてきた。この目的に向って、我々はどんな形の企てでも指示教唆し、あらゆる政党を炊きつけ、戦闘準備させ、どんな野望の目的をも権力に対して向けるようにさせた。我々は、ゴイムの国家というものを、混乱した問題の大群が争乱する競技場と化せしめた。ほどなく、混乱と破綻があまねく広がるであろう。(プロトコール3)
 この憎悪は、「経済危機」の効果で数倍もの火の手を挙げるだろう。経済危機たるや為替取引を中止させ、工業を停止させるだろう。我々は、自分たちが熟知している隠密な方法を総動員し、すべて我々の手中にある金力の助けを借りて、大規模な経済危機を作り出し、それによって全ヨーロッパ諸国の労働者大衆をいっせいにまとめて路上に放り出すだろう。

 これらの大衆は、ただ単に無知であるがゆえに、揺籃時代から羨み妬(ねた)んでいた連中を喜んで血祭りにあげることで痛快な気分を味わい、連中の財産を略奪するであろう。

 彼らは、「我々のもの」には手をつけない。なぜなら、襲撃の時機を知っているのは我々であり、我々は財産を守る手を事前に講じるからである。(プロトコール4)
 我々は、二千年も前からゴイム間に個人的、国家的、民族的、人種的、宗教的反目を拵え、相互の憎悪によって個人も国民も対立反目応報を繰り返すように仕組んだ。これをなくならないよう努力してきたので、手が付けられないほど劇しいものになっている。これが、我らに腕を振り上げたとしても、支持してくれる国はどこにもただの一国もない理由である。我々に対抗する同盟を結べば自分が不利になることを、どの国も肝に銘じているからである。

 我々はあまりにも強力である。何人も我々と妥協せねば存立できない。我々は我々のこの力を信頼しなければならない。我々の力から逃れおおせるものはない。国家は我々の蔭の関与なしには、ほんの些細な協定でさえ結ぶことすらできないようになっている。(プロトコール5)
 いつの時代でも世間の大衆というものは、個人も同様であるが、言論と事実とを混同してきた。競技場で見た通りのように直に自己の感覚に現れてくるもので満足し、社会生活の中で約束されたことが実行されているかどうかを検討しようとする者は稀である。もっぱらショーを見るだけで満足している。そこで我々は、大衆の利益が進歩に向っていると声高く証明するショー団体を作るだろう。

 我々は、あらゆる政党に自由主義的な綱領や主張を吹き込む。我々の弁士はリベラルな顔つきを装おって全政党に入り込み、聞き手が聞き飽きて辟易するようになるまで喋り立てる。(プロトコール5)
 世論をわが方に引き寄せるには、あらゆる角度から意見を続出させ、相反する説をいくつも並べ立て、ある期間、十分ゴイムの判断を迷路に迷い込ませて、遂に結局、一番いいのは政治上のことには何も意見をもたないことだと思い至らせるようにしなければならない。政治はそれを司る者だけが理解できる領域であり、所詮一般大衆には解らない。なぜなら、大衆は自分たちを導く者を通じてしか理解できないからである。それを悟らせる。これが第一の秘訣である。

 統治に成功するのに必要な第二の秘訣は、次のことにかかっている。すなわち、国民大衆の欠点、悪習慣、情欲を助長させ、これに対する法律規則を頻発して社会生活上の取り決めを複雑化することだ。すると市民生活が混沌に陥り、その中にあって誰もが訳がわからなくなり、その結果、大衆同士相互の理解ができなくなる。これこそ別の意味で我らにとっては有利なこととなる。(プロトコール5)
 諸党派その他組織対策も然りである。党派の中に不和・軋轢の種子を蒔き、まだ我々に従わおうとしない集団を撹乱し、どの程度のものであれ我々の仕事を妨害するような個人の企てに対しても片っ端から気勢をそぎ骨抜きにしてしまうことになる。(プロトコール5)

 時期尚早のうちにゴイムに真相を悟られないようにするために、我々は仮面をつけて、表面上は労働者の経済状態を改善し、経済上の大問題を解決する為にと称して真相を隠しながら取り組む。我らの経済学説が精力的に宣伝する偉大な政治経済原理のもと、いかにも労働者階級に役立つかのように情熱を傾けて説き伏せるだろう。(プロトコール6)

 ヨーロッパ全土、また、ヨーロッパとの関係を通じて他の大陸にも、我々は騒乱と混乱と敵愾心を起こさなければならない。そのことは、我々にとっては二重の利益がある。まず第一に、各国は我々が指一本で意のままに混乱を作り出したり秩序を回復する力を持っていることを熟知させ、却って我々に一目置くようになるだろう。こうして各国は、我々を厄介だけれども無くてはならない重荷と認めるように習慣づけられることになる。

 第二に、我々は策謀や工作を駆使して、政治的手段により、通商条約あるいは借款協定により、すべての国々の内閣の内部に伸ばしてあった糸という糸をもつれにもつれさせるであろう。このことを成功に導くためには、我々は交渉協定締結の際に狡猾さと洞察力を発揮しなければならないが、いわゆる「表向きの言葉」を使うときには、心とは裏腹に正直従順を装おい続ける。このようにして、ゴイムの個人や政府は、我々が見せてやることなら何でも上辺(うわべ)だけを見るように躾けられているので、我々を恩人とか人類の救世主と思い続けるのである。(プロトコール7)
 我々に反抗する国がある場合は、その隣の国から戦争を仕掛けさせ、反逆行動をことごとく叩き潰す位置にいなければならない。しかし、その隣国も束になって反抗するならば、その折には我々は世界戦争という手段に訴えて報復しなければならない。

 政治上で成功を収める秘訣は、腹の中を隠すことである。つまり、その企図を秘匿することにある。外交官は言行一致してはならないのである。(プロトコール7)
 我々は、敵対者が我々に向って使いそうな武器をすべて備えていなければならない。我々は、常軌を逸していると思われるほど大胆かつ不正な裁定を下さなければならない場合のために、言葉の微妙な綾を探し出し、こんがらがった法律用語を駆使して事態を正当化せねばならない。そして、この裁定が最も公正で理にかなったように大衆に見せかける法律用語を駆使する能力を磨かねばならない。(プロトコール8)
 ゴイムの諸制度を時期尚早に破壊しないようにするため、我々はきわめてソフト(巧妙)に事に取り掛かった。そして、彼らの機械を動かしているぜんまいバネの端をつまんで細工し、これらのバネはかっては精妙にしかも秩序正しく動いていたが、我々はそのバネを混沌放従のリベラリズムに代えることで不整脈を打つようにした。こうして我々は、裁判(訴訟手続き)、選挙法、新聞紙法(マスコミ)、個人の自由問題を、ことに人間の土台である教育と訓練、それは原理的にはどうにでも加工できるものであるが、それらのバネを操った。 (プロトコール9)
 分割された機関は人体の臓器に似た働きをするようになっている。もしも国家機構の一部を損傷すれば、国家は病気にかかり、死ぬこともまた同様である。

 我々は、国家機関にリベラリズムの毒液を注ぎ込んだ故に、政体が複合変化を来たし、今ではどの国家も敗血症的不治の病い(死に至る病)に冒され、あとは悶絶死という終焉を待つばかりとなっている。我々は ただゴイム国家の断末魔(だんまつま)の日が来るのを待てばよい。(プロトコール10)
 憲法廃止以前に我らの独裁が認められるかも知れぬが、その秋(とき)が来ればそれまでの支配者たちの無能無策に、それも元はといえば我々仕組んだことであるのだが、業を煮やした人民大衆は、大声で叫ぶだろう。「奴らを追放しろ、世界を治めるのは一人でいい。俺達をまとめて争いの種をなくしてくれ。永遠の争いの因である国境、民族、宗教、国債、そんなものはもう御免だ。平和と秩序をくれ、今までの支配者や議員が決してくれなかった平和と秩序を!」

 すべての国々でこのような叫びを挙げさせるには、諸君もご存知のように長い年月の工作が必要である。すべての国々で、人間性が疲労困憊の極に達するまで、人民と政府との関係を悪化させることが絶対不可欠である。紛争、憎悪、闘争、羨望、さらに拷問、さらに飢餓、伝染病の蔓延によって大衆を困り果てさせ、結局ゴイムは金銭その他すべてのことにわたって我々の支配下に入る他に手段を無くする。

 ただし、もしも世界の国民にホッと一息でも入れさせるならば、我々に都合の良い時機は九分九厘到来しないことになろう。(プロトコール10)
  時に、我々が用意している新憲法発布に至るまでの要項は次の如きものである。我々は、法、権利、正義を確立する。第一期段階は、立法府に働き掛ける。第二段階は、一般法令と見せかけた大統領令、上院の命令、ならびに内閣の命令であるかの如く装おった国家評議会の決議で処理する。第三段階は、格好の時到らば暴力政変(クーデター、革命)という形に訴える。

 クーデターのときこそ、我々の望む憲法を一挙に成立させる唯一の機会である。我々はクーデターで民衆が胆をつぶし、頭が混乱しているうちに統一性のある新憲法を彼らに強制しなければならない。(プロトコール11)
 それにつけても、なんと我らの古代の賢者長老たちには先見の明があったことか。長老がたは言われた、大事に達せんとせば手段を選ぶなかれ、犠牲を厭うなかれ、と。我々はゴイムという家畜の群にいかほど犠牲が出ようともさらさら厭うものではない。さりながら、わが民の犠牲も数多くに上ったが、今日我々はこの地上で夢見ることのできなかったような位置を獲得した。我々全体の数から言えば、我々の犠牲者の数は比較的少ないが、彼らのおかげで民族の破滅は免れたのである。(プロトコール15)
 我々は過去長い時間をかけて、ゴイム僧侶の信用を落とし、それによって、放っておいたら我々の大きな脅威となったやも知れぬ地上における彼らの伝道を凋落させるようにして来た。今や日一日と、世界の人民に対するかれらの影響力は低下しつつある。

 現今では信教の自由ということが至る所で喧伝されたので、今やキリスト教が完全に破壊されるのはここ数年のうちに過ぎなくなった。ほかの宗教に至っては、骨抜きにするのは更に容易であるが、今この問題を論ずるのは時期尚早であると思う。

 我々は聖職者重視の教権主義や聖職者たちの力を、以前かれらが華やかなりし頃に持っていたのとは比べものにならないほど狭い枠に押し込めるであろう。(プロトコール17)
 決定的に法王庁を破壊する時が来れは、見えざる手の指が各国民に法王庁を指さすであろう。しかしながら、国民がそれに襲いかかろうとしたら、あたかも過度の流血を防がんとするかのように、我々は法王庁の擁護者を装って進み出る。この転換によって、我々は彼らの深奥にまで足を踏み入れ、間違いなくかの最強部を腐食し切るまでは二度と出て来ないであろう。(プロトコール17)
 我々が秘密の護衛措置の強化を講ずる必要が生じた際には、我々は人工的に見せかけの秩序混乱を引き起こし、腕利きの弁舌家に協力させて不平不満を騒擾させる。こういう弁舌家の回りにはその発言に共鳴する輩が皆集まってくる。それがあまたのゴイムの中から選んだ我々側の人員によって家宅捜査させ、それが新たなる取締法を創設していく口実となる。こうして警察権を強化していく。(プロトコール18)
 大多数の陰謀家というのは勝負事好きでおしゃべり屋であるから、そこで、かれらが明白な行動を起こすまでは、我々は指一本触れずに、ただ彼らの中に監視員を入れるだけにとどめておく。銘記しておくべきことは、陰謀摘発が度重なると当局の威信が落ち、弱みがあるからやっているんだろうとか、もっと悪いことには不正不法であるとか、余計な憶測邪推を生じさせるということである。

 御存知のように、我々は代理人を通じてゴイの王たちの生命を脅かして権威を失墜させたのであるが、この代理人たちは我々が飼っている群の中の盲目の羊であって、少々政治色をつけた自由主義的な言辞を弄して犯罪を攻撃すると、たやすく乗せられてしまう連中である。我々は秘密防衛措置を公然と暴いてやって、支配者たちにかれらの弱点を思い知らせてやってきた。これによって、権力を打倒する保証を手中にしたのである。(プロトコール18)

【革命論に関する記述一覧】
 国家滅亡の時こそわれらの出番である。 国家が内乱によって消耗するか,内部不一致のために外敵の手中に落ちるかでは・・どのみち,その国は回復できず滅亡するほかはない.その時こそ,われらの出番である.完全にわれわれの手中にある資本の専制力が,その国に救いの藁を差しのべると,否応なくかれらはそれに縋りつかなければならない.拒めば・・底に沈むのである。(プロトコール1 )
 飢えが引き起こす貧困と嫉妬と憎悪によって、われわれは群集を動かし、かれらの手を使ってわれらが行く手を阻む者すべてを掃討するであろう。(中略) この憎悪は、経済危機≠フ効果で数倍もの火の手を挙げるだろう。経済危機たるや為替取引を中止させ、工業を停止させるだろう。われわれは、自分たちが熟知している隠密な方法を総動員し、すべてわれわれの手中にある金力の助けを借りて、大規模な経済危機を作り出し、それによって全ヨーロッパ諸国の労働者群集をいっせいにまとめて路上に放り出すだろう。これらの群集は、ただ単に無知であるがゆえに、揺籃時代から羨み妬んでいた連中を喜んで血祭りにあげ、連中の財産を略奪できるだろう。(中略) かくて人民は正しいものを罰し、不正なるものを許し、前にもまして、望んだことは何でも実現できると信じ込まされるのである。このような事態のおかげで、人民はあらゆる種類の安定をくつがえし一歩一歩混乱を生み出している。(プロトコール3) 
 われわれはあと数歩で目標に到達せんとしている。 今日,われわれはあと数歩で目標に到達せんとしていると言ってよい.横切るべき空間はあとわずかを残すのみであり,われわれが歩んできた長い道のりは,今まさに象徴の蛇の輪を閉じようとしている.その蛇は,わが民を象徴している.この輪が閉じられるとき,ヨーロッパのすべての国家は強力な万力によって締め上げられるのである。(プロトコール3 )
 加えるに、巧妙に仕組まれた学説と詭弁により、社会生活の制約やその他ありとあらゆる方便により、あるいは、ゴイムにはまるで解らない手段を動員して群集や個々人を支配する技術は、他の技術と相並んでわれらが支配の中枢である専門家がもともと手中にしていたものである。(中略) われわれは、ゴイムを宗教的・人種的憎悪によって個人も国民も対立反目応報を繰り返すように仕組んだ。このことを過去二千年にわたって営々と積み重ねてきたので、手が付けられないほど劇しいものになっている。(中略) すべての国家機構を動かす車輪はエンジンが駆動する。エンジンはわれらの手中にある。国家機構のエンジンとは・・金である。わが学識ある長老たちが創造した政治経済学は、長期にわたって資本に君主のような威信を与えてきた。資本、それが束縛なく相携えて力を発揮するには、存分に工業と商業の独占がはかられねばならぬ。そのことはすでに世界のあらゆる隅々で、見えざる手によって実践に移されていることであり、そのことは人民を圧迫する助けとなろう。(中略)

 非難によって大衆を意気阻喪させること、抵抗心をかき立てるまじめな思考をさせないようにすること、心の力を空理空論の論争にそらさせること。 いつの時代でも世間の人民は、個人も同様であるが、言論と行動とを混同してきた。競技場で見ることに満足しているが、約束されたことが実行されているかどうかを考えてみようとする者はめったにいなくて、もっぱらショーを見るだけで満足している。そこでわれわれは、人民の利益が進歩に向っていると声高く証明するショー団体を作るだろう。 

 われわれは、あらゆる問題について、リベラルな顔つきを装おって全政党に入り込み、聞き手が嫌になるほど喋り立てて、弁論に対する嫌悪を植え付けるだろう。 世論をわが方に引き寄せるには、あらゆる角度から意見続出させ、相反する説をいくつも並べ立て、ある期間、十分ゴイムの頭を迷路に迷い込ませて、一番いいのは政治上のことには何も意見をもたないことだと思い至らせなければならない。政治のことは一般大衆には解らない。なぜなら、大衆は自分たちを導く者を通じてしか理解できないからである。これが第一の秘訣である。統治に成功するのに必要な第二の秘訣は、次のことにかかっている。すなわち、広い範囲にわたり国民の欠点、習慣、情欲、市民生活の状態を増殖させ混沌に陥れ、その中にあっては自分がどこにいるのか見当がとれない有様にさせると、その結果、人民相互の理解ができなくなる。(プロトコール5)
 フランス革命を「大革命」と名付けたのはわれわれであった。 フランス革命を想起していただきたい.それを「大革命」と名付けたのはわれわれであった.その準備が秘密裡に行われたことを,われわれは熟知している.あの革命は全面的にわれらの手で遂行した一大事業であったのである。





(私論.私見)

 われわれの到達目標。 軍事力増大と警察力強化・・この二つを欠いては,前述の計画を完成させることは全くできない.われわれの到達目標は,われわれを除いては,世界のすべての国家には,プロレタリアート群集とわれわれの利益に奉仕する少数の百万長者と,警察官と兵隊たちだけがいればよろしい。(プロトコール7 )

 群集の解決というものは偶然の結果か表向きの多数決によるものである。 群衆の解決というのはどれも偶然の結果か,表向きの多数決によるものであり,政治の裏を知らずに管理の中にアナーキーの種子を蒔くという奇妙な解決を出航させる.<一>

 人民の政治は自滅するのが関の山である。人民が人民に任せれば,すなわち人民の中から出た成上り者に任せれば,権力と名誉を追うあまり党派間の軋轢とそこから生ずる無秩序状態に自滅するのが関の山である.人民群集がおだやかに,つまらぬ嫉妬を交えた非難を言いたてずに,個々人の関心をごちゃまぜにしている国の諸問題を処理することが可能だろうか?外敵に対して自分自身を守ることが可能だろうか?それは考えられない.群集の頭数と同じだけバラバラになった計画が,一切の同質性を失って理解を絶し,実行不能となるからである.<一>

 政治の奥義を授けられた者でなければ政治はできない。 群集が盲目であること,支配を頼むためにその中から選挙された成り上がり者は,政治に関しては群集と全く同じく盲人であること,政治の奥義を授けられたる者は多少愚かであっても統治ができるが,反面,大天才であったとしても奥義を授けられない者は政治に関しては無知蒙昧であることを,決して考えようとはしなかった・・これらのことを,ゴイムは一切顧みなかった.<一>

 絶対的な独裁なしには文明の存在はありえない。 全体を適切に国家のいくつかの部分に割り当てるといったふうに,大規模かつ明確な諸計画を念入りに練れるのは独裁支配者だけである.このことから,どんな国でも申し分ない統治形態は,一人の責任ある人間の手に全機能を集中したものであるという明白な結論が得られる.絶対的な独裁なしには,その人が誰であろうとも,群集によってではなくかれらを指導することによって遂行される文明の存在はありえない.

 政治上で成功を収める根本原則は企図を秘匿するにある。 政治上で成功を収める根本原則は,企図を秘匿するにある.外交官は言行一致してはならないのである.<七>

 系図上の貴族に代えるに金力の貴族を樹立した。 唯一,人民と国とを守るこの階級[貴族]は,われわれに敵対したのである.ゴイムの血統的な,系図上の貴族階級を滅亡させた所に,われわれは,金力の貴族が主導する,われらの教育を受けた階級を貴族として樹立した.われわれはこの貴族政治の特徴を,われわれ自身のものである富と,われらが学識ある長老たちが備蓄した知識とによって確立した.<一>