盲目的な大衆にとっては一日たりとも指導者なしには済まされないからである。(プロトコール1) |
大衆は、うわべのことにしか理性の力が働かない。愚にもつかぬ表面的なものへの反対とか批判にうつつを抜かし、反対ということを喜ぶ習性を持つ。かかる場合に、健全で論理的な精神が、道理の通った助言や議論の助けを借りて上手に大衆を導くことができるだろうか?
彼らは、もっぱら軽佻浮薄な情熱、迷信の類、風習的習慣、伝統、感傷的な理論に同調し易く、それらに囚われている間違いだらけの者達であり、故に党派の争いに巻き込まれがちである。
故に、筋の通った議論を基にして出来上がっている調停案でもその妥協が潰され、合意が妨げられることになる。大衆の決議というのはどれも偶然の結果か、表向きの多数決によるものであるのだが、それは政治の裏面を知らずに、みすみす不条理な決議をさせられ、政治の中にアナーキーの種子を蒔き奇妙な芽を兆させるのである。(プロトコール1) |
満足すべき行動を練りあげるためには、大衆の狡猾さ、だらしなさ、情緒不安定、軽薄さを考慮に入れ、彼ら自身の生活状況、あるいは彼ら自身の福利を顧慮する必要がある。大衆の力は、盲目的であり、愚かしく、何かからの暗示にかけられるがままに衝動的に動き、判断力が弱く道理を弁えないということを踏まえておかねばならない。(プロトコール1)
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大衆は野蛮人であり、ことごとくの機会にその野蛮さを発揮する。下層民大衆が自由を手にすると途端にアナーキー(無政府状態)に転ずる。そのアナーキーさこそ野蛮の極みであろう。
飲酒で馬鹿になりアルコール漬けになったゴイム(獣類動物)どもを見よ。自由がかれらに節度なき飲酒の権利をもたらしたのである。それは我々及び我々一族の歩む道ではない。ゴイムの畜生どもはアルコール飲料に酔いしれ、彼らの若者たちは因習陋習とごく若いうちからの性的堕落に痴呆状態となって成長する。(プロトコール1) |
いつの時代でも世間の大衆というものは、個人も同様であるが、言論と事実とを混同してきた。競技場で見た通りのように直に自己の感覚に現れてくるもので満足し、社会生活の中で約束されたことが実行されているかどうかを検討しようとする者は稀である。もっぱらショーを見るだけで満足している。そこで我々は、大衆の利益が進歩に向っていると声高く証明するショー団体を作るだろう。
我々は、あらゆる政党に自由主義的な綱領や主張を吹き込む。我々の弁士はリベラルな顔つきを装おって全政党に入り込み、聞き手が聞き飽きて辟易するようになるまで喋り立てる。(プロトコール5) |
大衆には一種特別な癖があり、政治力のある天才を尊敬し、そのような人物の悪徳行為に対しては賞賛をこめてこう云う。「ずるい! 実にずるい。しかし、頭がいい! ペテンではあるが、なんだな、うまいことやるもんだな、どえらいこと仕出かすもんだ、むしろそれにたまげる。大胆極まりないぜ! 」
。(プロトコール10) |
ゴイムは羊の群であり、我々は狼である。狼が羊の群に入ったらどういうことが起こるか、御存知であろう。羊はただ目を閉じてしまう。大衆も同然である。我々の羊が目を閉じるのは、別の理由もある。我々が平和の敵を打ち破り、あらゆる反対党派を黙らせたならば直ちにあらゆる自由を返してやると約束するからである。(プロトコール11) |