人間という名の禽獣を抑え、彼らを牽引してきたものは何であったか、それを思案せねばならない。社会の仕組みが始まった原始時代にはそれは暴力であった。その暴力の威圧の前に人々は盲目的に服した。その後には、法律に服するようになった。だが、この法律とて所詮仮面を被った暴力に他ならないではないか。これがありのままの法則であり、ここから推論すると、「正義は力の中に横たわっている」と結論したい。(プロトコール1)
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我々の誘導によって人民は、貴族階級を破壊させてしまった。貴族自身の利益は人民の厚生福利と密接に結びついていた。そういう意味で、貴族階級は人民の本当の保護者であり養い親であった。現今では、貴族階級の滅亡によって、人民は労働者の首に残酷無慈悲なくびきをつなぐ守銭奴の手中に落ちた。その支配が人民の上に重荷となって遠慮なくのしかかっている。(プロトコール3) |
貴族は、人民の労働から恩恵を蒙っていたから、労働者たちがよく食べ、健康で、強壮であるかどうかに関心を払っていた。我々は全く反対のこと即ち劣化、ゴイムから生命を奪うことに関心を寄せている。我々の権力は、労働者の慢性食料不足と肉体的虚弱を必要とする。まさにそうしておいてこそ、彼は我々の意のままに従うようになり、我々に敵対する強さも意志もなくなり、自分たちの権力を見つけ出そうとはしなくなる。(プロトコール3)
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フランス革命を想起していただきたい。それを「大革命」と名付けたのは我々であった。その準備が秘密裡に行われたことを、我々は熟知している。あの革命は全面的に我らの手で遂行した一大事業であった。
その時以来、我々は人民大衆を幻滅から幻滅へと導き、その帰結として最終的には、彼らは、我々が世界のために準備している、シオンの血を受けた専制君主に、我々にも頼らずして賛同するに至るはずである。(プロトコール3) |
あらゆる共和国はそれが出来上がるまでにいずれもいくつかの段階を経る。その最初は、かなたこなた、右に左に攪乱された盲目の大衆の狂瀾が猛威を振るってやまないことから始まる。次はデモゴギー、つまり民衆煽動の時代である。ここから無政府状態が生じ、無政府状態は必然的に専制に向う。(プロトコール4) |
人民大衆が、王は神の意志を純粋に体現した者だと見ていた時代には、なんの不平不満も鳴らさずに王の専制権力に従った。だが、人民には権利というものがあるという考えを我々が彼らの心に植えつけてからは、彼らは王座に座る者を単に普通の人間とみなし始めた。「神権による王」の聖油は人民が見ている前で王たちの額から消えうせてしまい、我々が人民から信仰心を奪った時に、権力の強力な力は飛び散って公共の場所へ移って行き、我々がそれを押収したのである。
加えるに、巧妙に仕組まれた学説と詭弁により、社会生活の制約やその他ありとあらゆる方便により、あるいは、ゴイムどもにはまるで解らない手段を動員して大衆や個々人を支配する技術は、他の技術と相並んで我々ユダヤ人の天才的政治力に属するものである。我らが支配の中枢である専門家がもともと手中にしていたものである。(プロトコール5)
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ゴイムの貴族は政治的勢力としては死んだので、我々はもはや彼らに考慮を払う必要はない。だが、土地所有者としての彼らは我々にとって警戒を要する存在である。それは彼らがその資産で自給自足していけるからである。それ故に、本質的な問題として、代価がいくらかかろうとも何としてでも、彼らからその土地を取り上げなければならぬ。
この目的達成の最も良い方法は、土地を所有していることがだんだん重荷になるようにすること、即ち土地税を高くして土地を抵当に入れさせる等々で圧迫することである。このために土地所有の状態を監視し、土地収入を最小限にさせねばならない。ゴイムの貴族は、生れつき足りることを知らないのでいろいろ試みるが、急速に燃えつきたり初めはうまく行ってもいずれ失敗に帰するだろう。(プロトコール6) |
リベラリズムは立憲国家を作った。それはゴイムにとっては唯一の安全装置であった専制国家に代るものであった。よく御存知のように、憲法は闘争と対立を駆り立て、混乱、誤解、争論、見解の相違、各党派の実りなき煽動等の一切合切の学校、言い換えれば、国家の機能を破壊する学校以外の何ものでもない。
議事堂も「おしゃべり屋」連中の手助けをする新聞も、それらが歩調をあわせて、国家権力者に怠慢無能の烙印を押し、国家の行動力を奪い、支配者を無用の長物にする。実にこのために多くの国々で支配者が退位させられたのである。その時であった、共和国時代到来の可能性が見えたのは。その時であった、我々が旧支配者に代えて我々の奴隷の中から拾い上げた大統領にを置き換えたのは。これはゴイ人民の地下に仕掛けられた地雷であった。敢えて申し上げるが、「ゴイ人民の地下に」である。(プロトコール10) |
国家評議会(国政会議、衆議院)は、いわば、政府権力につけた光背であり、立法府の見世物≠フ役割を持つ。それは一見立法機関の観もあるが、実は政府が出す法令案を編集する委員会と云ってもよい。(プロトコール11) |
その後光というのは、その表に神秘的なもの、例えば、神に選ばれた者達のみが示すことができる不可侵性を顕現する紋章をのような、不退転の威厳に満ちた力を発揮していることが要諦である。近年までは世界中では、ローマ教皇(法王庁)を数に入れなければ、帝政ロシアが我々の唯一の強敵であった。
諸君、古代ローマの独裁官シーラを思い出してみたまえ。彼は、イタリアを血の海と化したが、イタリア人は流血させたシーラの髪の毛一筋にも手を触れることができなかったのである。それは彼が無類に完璧な権力を確立したからである。彼は人民を虐げていたにもかかわらず、大胆不敵にイタリア帰還をやってのけ、不可侵性の網に囲まれ、人民大衆の目には神と崇められたのである。人民大衆は大胆勇敢な者には催眠術をかけられ魅了されてしまい、誰も反抗などできはしないのある。(プロトコール15) |
「貴族は、人民の幸福と密接な関係にある『自己の利益』のために、人民の自然的保護者となり、人民の扶養者であった。それを人民は
我々の指導の下に撲滅した。今や人民は無慈悲な成り上がり者や詐欺漢である、富裕農民の圧 追の下に坤
吟している」 |