【「教育論機関、教育問題」に関する記述一覧】
【「ゴイムの篭絡論、大衆堕落政策、愚民化教育」に関する記述一覧】

【「教育論機関、教育問題」に関する記述一覧】
 大学は我々のもの以外のなべての結束力を根絶するのを目的として機能しており、集産主義の第一段階であるが、これを新しい方向で再教育して去勢する。その学長や教授連、職員を精密な秘密教育計画に従って再訓練するが、断じてその一部分たりとも免除することはない。彼らの任命には特別の注意を払い、一人の例外もなく政府が掌握して配置する。(プロトコール16)
 全教育課程から、政府問題に関わる政治や国家問題に関わる法律を排除する。高等な政治や法律に関しては、予め許された者の中からさらに卓越した人物を選び、数十人という少数の人物にのみ教える。大学はもはや、喜劇や悲劇を書くようなつもりで法案や計画をこね上げたり、父親たちでさえも理解できなかった政策問題にくちばしを入れるような青二才を世の中に送り出してはならない。

 愚かな大衆が政治問題に関する頓珍漢な知識を持つことで、ユートピアを夢見る人間や不良市民を作るのである。

 もっとも、過去においては、諸氏は一般義務教育がゴイムをこの方向に導いてきた実例をよく御存知であろう。我々は彼らの教育の中に、彼らの社会秩序を見事なまでに弱体化させる原理を持ち込まなければならなかった。しかしながら、我々が権力を掌握した時には、秩序破壊の種になるような教科科目はことごとく教育課程から駆逐し、青年を官権当局に対し従順な子供に育て、支配者を敬愛させ、統治者を平和安寧の支柱であり頼みとするように育成する。 (プロトコール16)
 我々は、古典と歴史の研究を廃し、未来社会の研究に眼を開かせる。どんな形の歴史研究も皆そうであるが、範を過去に求める古典主義で行くと良い例よりも悪い例の方が多い。我々はそれに代えるに未来研究をもってする。我々は、我々にとって都合の悪い過去何世紀かの人類の記憶を一切消去し、ゴイム政府が犯した誤ちをのみ叙述する。 (プロトコール16)
 実際生活、秩序に対する義務、人民相互間の関係、悪を伝染する利己的な実例、その他教育の本質に関わる類似の問題の研究、これらが教育計画の最前線に置かれるだろう。その実施にあたっては職業ごと、あるいは生活状態によって別々にし、教育は決して画一的に行ってはならない。この処置は、極めて重要である。

 社会各層の教育は、それぞれの階層の本質と実際の仕事に応じて厳格に制限を加えなければならない。稀に天才的人物が出てうまくやって行くことがあったし、上の階層に滑り込むことが常であるが、このような極めて稀にしか出ない天才のために、生れや職業に特有であるべき階層に、その価値もない人間を入れてやるなどということは、愚行もはなはだしい。こんな目に余ることを許したゴイム社会がどうなったか、諸氏はよく御存知のはずである。

 人民の精神や心の中に決定的に君主を受け入れさせる為には、学校においても公開の場においても君主の行動の重要性とその企てることが善事であることを知らしめねばならぬ。 (プロトコール16)
 我々は全ての私立学校を廃止する。教育施設の中では、あたかもクラブのように、親たちとの集まりを持つことは許す。休日には、そういう集まりに教師が参加して、人間関係、見せしめの罰則、神の選民ではない者のいろいろな制約等々の問題、とどめには、まだ世界で明らかにされていない新たな哲学原理について、課外講義で読んで聞かせるだろう。その原理は、最終的に我々の信仰に従わせるための移行期の教理として、我々が提起するのである。(プロトコール16)


【「教育論機関、教育問題」に関する記述一覧】
 大学は我々のもの以外のなべての結束力を根絶するのを目的として機能しており、集産主義の第一段階であるが、これを新しい方向で再教育して去勢する。その学長や教授連、職員を精密な秘密教育計画に従って再訓練するが、断じてその一部分たりとも免除することはない。彼らの任命には特別の注意を払い、一人の例外もなく政府が掌握して配置する。(プロトコール16)
 全教育課程から、政府問題に関わる政治や国家問題に関わる法律を排除する。高等な政治や法律に関しては、予め許された者の中からさらに卓越した人物を選び、数十人という少数の人物にのみ教える。大学はもはや、喜劇や悲劇を書くようなつもりで法案や計画をこね上げたり、父親たちでさえも理解できなかった政策問題にくちばしを入れるような青二才を世の中に送り出してはならない。

 愚かな大衆が政治問題に関する頓珍漢な知識を持つことで、ユートピアを夢見る人間や不良市民を作るのである。

 もっとも、過去においては、諸氏は一般義務教育がゴイムをこの方向に導いてきた実例をよく御存知であろう。我々は彼らの教育の中に、彼らの社会秩序を見事なまでに弱体化させる原理を持ち込まなければならなかった。しかしながら、我々が権力を掌握した時には、秩序破壊の種になるような教科科目はことごとく教育課程から駆逐し、青年を官権当局に対し従順な子供に育て、支配者を敬愛させ、統治者を平和安寧の支柱であり頼みとするように育成する。 (プロトコール16)
 我々は、古典と歴史の研究を廃し、未来社会の研究に眼を開かせる。どんな形の歴史研究も皆そうであるが、範を過去に求める古典主義で行くと良い例よりも悪い例の方が多い。我々はそれに代えるに未来研究をもってする。我々は、我々にとって都合の悪い過去何世紀かの人類の記憶を一切消去し、ゴイム政府が犯した誤ちをのみ叙述する。 (プロトコール16)
 実際生活、秩序に対する義務、人民相互間の関係、悪を伝染する利己的な実例、その他教育の本質に関わる類似の問題の研究、これらが教育計画の最前線に置かれるだろう。その実施にあたっては職業ごと、あるいは生活状態によって別々にし、教育は決して画一的に行ってはならない。この処置は、極めて重要である。

 社会各層の教育は、それぞれの階層の本質と実際の仕事に応じて厳格に制限を加えなければならない。稀に天才的人物が出てうまくやって行くことがあったし、上の階層に滑り込むことが常であるが、このような極めて稀にしか出ない天才のために、生れや職業に特有であるべき階層に、その価値もない人間を入れてやるなどということは、愚行もはなはだしい。こんな目に余ることを許したゴイム社会がどうなったか、諸氏はよく御存知のはずである。

 人民の精神や心の中に決定的に君主を受け入れさせる為には、学校においても公開の場においても君主の行動の重要性とその企てることが善事であることを知らしめねばならぬ。 (プロトコール16)
 我々は全ての私立学校を廃止する。教育施設の中では、あたかもクラブのように、親たちとの集まりを持つことは許す。休日には、そういう集まりに教師が参加して、人間関係、見せしめの罰則、神の選民ではない者のいろいろな制約等々の問題、とどめには、まだ世界で明らかにされていない新たな哲学原理について、課外講義で読んで聞かせるだろう。その原理は、最終的に我々の信仰に従わせるための移行期の教理として、我々が提起するのである。(プロトコール16)


 「シオンの議定書」には、「ゴイムの篭絡論、大衆堕落政策、愚民化教育」に関する記述があり、これを一覧する。分量はそれほどでもないが、看過できない指摘をしている。ととりあえず黙って耳を傾けてみよう。現在ではもっとはるかに進んでいようからして古典的言及として受け止めればよいように思われる。

 2005.3.9日 れんだいこ拝

 「プロトコール1」で、彼らの「大衆操作論」について堂々と次のように述べている。
 我々の勝利をいっそう容易ならしめた事実がある。それは我々に必要欠くべからざる好ましい人物たちとの交際を通じて、我々は常に人間心理の琴線をくすぐり、即ち金銭欲、貪欲、人間のあくことをを知らない物質的欲望に働きかけた。云うまでもなく、これらへの耽溺はいずれも独創性を麻痺させる効果がある。これ故に、彼らの心と意思を、彼らに金を出してくれる人間に、自分の意志の最終決定をゆだねることになる。(プロトコール1)

 その重要な政策の一つに「性的堕落誘導」を仕掛けるとして、次のように述べている。
 その性的堕落は、我々の特別な代理人つまり富豪の邸宅の家庭教師、下男、家政婦、書記その他によって、しばしばゴイムの娯楽場にいる我らの女性たちによって手ほどきされる。かれら代理人の最後に、頽廃と奢侈に他の者たちを引き込む尖兵であるいわゆる「社交界の貴婦人たち」も入れておく。 (プロトコール1)

 「プロトコール3」で、公教育で、社会には分業、人々間には階級及び身分の違いがあることを徹底して教え込む必要を指摘している。
 公教育の場においては、唯一単純かつ真実の知識、全知識の基礎を教えることが肝要であるということである。 それは、人間生活の構造に関する知識、社会存在のあり方に関する知識、労働には分業が必要であり、従って、人々は階級と身分に分かれなければならないということであるが。(プロトコール3)

 「プロトコール4」で、ゴイムの頭脳を啓発させない為に、私利的利益追求に目を向けさせ、特に投機に夢中にさせる必要を説いている。
 ゴイムに物事について考えたり留意観察したりする暇を与えないためには、彼らの気持を工業や商業に向けさせ引き付けなければならない。そうしてこそ、国民という国民が国家・社会など眼中(がんちゅう)になくなり、ただひたすら私利的利益追求に没頭し始め、その結果として彼らの共同の敵に注意を払わなくなる。

 重ねて述べるが、自由をしてゴイム社会をきっぱりと崩壊滅亡させんが為には、投機を産業の基礎にしなければならない。その結果、産業が国土から引き出したものは、いくつかの手を通り抜けて投機に手渡される、即ち、我らがユダヤ階級の金庫の中に転り込んでくるであろう。(プロトコール4)

 更に、拝金教徒にさせねばならないと説いている。
 経済生活で他人よりも優位に立とうとする激烈な闘争と、市場での不断の投機とが、薄情冷酷きわまりないな社会を生み出すだろう、いや、すでに生み出している。その社会は、本来高等な政治・宗教などのものに対して無関心どころか嫌気、反発を強めるだろう。彼らの生きがいは唯一、利益、すなわち金を集めることだけになる。彼らは金があれば手に入る物質的喜びを求めて、まぎれもなく貨幣を偶像視し始め拝金教徒と化すだろう。(プロトコール4)

 更に、ゴイム間の競争で落ちこぼれた貧乏人を扇動して、時機至ればゴイムの支配階級及び体制攻撃に利用することを公言している。
 次いで時至れば、ゴイムの貧乏人どもは、高邁な目的のためでもなく、また、富を得んがためですらなく、ただひたすら特権上流社会への嫉妬にかられ、ゴイム憎しのために我々に付き従い、権力をめぐるわれらの競争相手、ゴイムの知識人たちに逆らって我らの指導に従うことになるであろう。(プロトコール4)

 「プロトコール5」で、ゴイムを無気力、疲労困憊させ、主体的に思索したり活動する能力を与えず、議定書派に従わざるをえなくさせる云々と述べている。
 我々はゴイム社会の教育を指導する際には、彼らが何か創意を示す徴候があれば、いつでも気力を失って絶望してしまうように仕向けなければならない。自由奔放な活動というものは、別の自由奔放さに出会うと無力になる傾向がある。衝突すると、容易ならぬ精神的打撃、失望、意気消沈が起こる。これらありとあらゆる手段を駆使して、我々はゴイムを疲労困憊させたあげく、国境を越えた現実の力を我々に提供せざるをえなくなるだろう。(プロトコール5)

 更に、「大衆操作の要諦」について言及している。後段の「非難によって大衆を意気阻喪させること、抵抗心をかき立てるまじめな思考をさせないようにすること、心の力を空理空論の論争にそらさせること」は味わい深い。

 今日では、人民大衆を武装解除させることは、戦争に赴かせることよりも重要である。さらに重要なことは、我々の都合からいえば、我々の考えを実行しようとする大衆の焔を抑えることよりも燃え上らせることである。さらに重要なことは、他人の考えを根絶するよりは、その考えをすばやく掴みとり我々に都合がよいように翻案することである。他人の意見を知らずにいるのは愚かである。

 我々の役員会が採択している原理に次のことがある。非難によって大衆を意気阻喪させること、抵抗心をかき立てるまじめな思考をさせないようにすること、心の力を空理空論の論争にそらさせることである。(プロトコール5)


 「プロトコール6」で、「投機事業の奨励」について言及している。
 そうなったらすかさず、我々は無条件に商業と工業の保護者にならなければならないが、特に投機事業を奨励せねばならない。それは産業の成長に重しをつける役割がある。投機産業がないと個人資本を増大させ、為に土地銀行が地主に貸付けたせっかくの債務を返済され、工業に出資した地主の運命が持ち直すことになるだろう。

 我々が欲するのは、産業が土地から得る富を吐き出させることであり、投機という手段で世界の金すべてを我々の手に移すことである。そうしてこそゴイムは、無一文となって無産階級の列に落とされ、何とか生きていこうとすれば我々の前にひざまづくほかはなくなるだろう。(プロトコール6)

 更に、「適正な労働者賃金」、「生活必需品価格操作」、「労働者酒浸り政策」について言及している。
 我々は、労働者には好都合にならない程度に賃金の上昇をはかるだろう。同時に、農業や家畜飼育の収穫が駄目になったから上がるのだという理屈を付けて、生活必需品の価格をあげるだろう。

 我々はさらに進んで、労働者を酒漬けにして酩酊させ、それに加えるに、ゴイムの頭の良い者たちをすべてこの世から根絶すべくあらゆる処置を講じ、生産の根源力を巧みに深く蝕むだろう。(プロトコール6)

 「プロトコール9」で、「嘘ないし誤りの主義、学説の注入」について言及している。
 我々は、我々が教え込んだことではあるけれども、ゴイムの若者たちに、我々には百も承知の嘘と解っている主義や学説を注入することによって、彼らを翻弄し愚鈍にし堕落させてきた。 (プロトコール9)

 「プロトコール10」で、「大衆従順化政策」について言及している。
 我々が操る大衆は、彼らを第一線に立たせないし証言の機会すら与えてやらない。大衆は、従順に応待すれば見返りがある我々の話を聞くことだけに慣らされる。このようにして、大衆の指導者として我々が彼らの頭に据えてやった代理人の指導なくしては、どんな方向へも一歩も足が踏み出せないほど総員を一大盲目力に仕上げるのである。人民大衆は新しい指導者たちが自分たちの生計、報酬、あらゆる種類の利益になることを握っていることが判るから、この方式に服従する。 (プロトコール10)

 「プロトコール13」で、「大衆的政治活動の意義と抑制」について言及し、大衆を政治から遠ざける為の代替物として商工業、娯楽その他諸関心へ誘導させる云々と述べている。
 政治活動は、ゴイム政府と一戦交えさせるために、我々が彼らに施した訓練であった。が今日においては逆のことをしなければならない。厄介になるかも知れない連中に政治の諸問題に首を突っ込ませないようにするのに、我々は政治に代わるものを熱心に勧めている。すなわち商工業の問題である。この分野でなら、彼らがどれほど騒いでもよろしい! 

 大衆を政治問題から離れさせるには他の楽しみを与えなければならない。政治に代わって何か没頭できるものがあれば、大衆は政治活動の類いから手を放して一服することに異存はない。

 商工業問題においては、我々は政治そっくりの事をやっているかのように思うように処方してある。彼らがかかずらわっていることを解き当てさせないように、我々は娯楽、競技、ゲーム、色事、遊び場をあてがって、更に政治から遠ざける。そのうち、我々は新聞を使って芸術、スポーツなどありとあらゆる種類の競争を始める。こういうことに関心が向けられれば、我々が彼らと争わなければならない諸問題から、彼らを完全に遠ざけるだろう。

 こうしてゴイムは次第に自律的に思索する能力を失う。ますます彼ら自身の意見を反映したり形にしたりすることが難しくなるに従って、人民大衆は我々と同じ口調で語るようになる。なぜならば、我々だけが彼らの考え方に新しい方向付けを示しているからである。もちろん、我々とは表面的には無関係の人々を通じてであるが。(プロトコール13)

 「プロトコール16」で、「愚民化の為の視覚反応教育の意義」について言及している。

 思考力を抑制する手段はすでに、いわゆる視覚反応教育という方法で実行されている。この方法によりゴイムは、脳を働かせることなく目に見えるものだけを頼りにして理解し、絵を見なければ何も理解できない従順な動物にさせられている。フランスでは、我々の最良の代理人である市民階級(ブルジョアジー)諸氏が、すでに視覚反応教育の新しい計画を実地に移している。(プロトコール16)





(私論.私見)