「言論機関、マスコミ」に関する記述一覧

 (最新見直し2007.6.13日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 「シオンの議定書」(「シオンの議定書考」で公開している)には、「言論機関、マスコミ」に関する記述があり、これを一覧する。かなりの分量で言及しているところを見れば、それだけ重視しているということであろう。ととりあえず黙って耳を傾けてみよう。現在ではもっとはるかに進んでいようからして古典的言及として受け止めればよいように思われる。

 2005.1.28日 れんだいこ拝


 「プロトコール2」で、彼らの「言論機関の位置づけ」について次のように述べている。
 我々が一貫して、新聞マスコミを通じて、声を大にしてそれらの学説を盲信させるべく使う。それが言論機関の目的である。ゴイムの知識人たちは彼らの知識にいい気になり、論理的検証を行なうことなく科学から得た知識すべてを信じこむだろう。

 その知識たるや、我らの代理人団たる専門家が、ゴイムの心魂を手なづけて我々が望む方向に赴むかせんが為に、巧みに断片を寄せ集めたものなのである。

 つまり、マスコミの言論は、概要「我々が望む方向に赴むかせんが為に、巧みに断片を寄せ集めたものをいい気になって主張しているだけの代物」ということになる。れんだいこには、実に思い当たる節がある。

 その中でも「新聞の役割」が大きい為、彼らはこれを格別重視、手中に落とした、と云う。その過程は血みどろの闘いであったとして、次のように述べている。
 近代国家は、大衆の世論を創り出す強力な力をその手に持っている。即ち新聞がそれである。新聞が果たす役割は、必要欠くべからざると考えられることを指摘し、大衆の愚痴にはけ口を与え、不平不満を表明し作り出すことにある。

 言論の自由の勝利が具体的になるのは新聞においてである。だが、ゴイムの国家は、いかにこの力を効果的に使うかについては知っていたためしがなく、そういうこともあって新聞は我らが手中に落ちた。新聞を通じて、我々はその背後にあって、影響力を行使した。

 金力が我々の手中にあることを周知のことであるが、我々が新聞を手中にする過程も又実に、血と涙の海の中においてであった。我々は、あまたの同胞を犠牲にしてきた。けれども、今や十分に報いられている。わが方の犠牲の一人一人は、神の前においては千人のゴイムに相当する。

 「プロトコール3」で、言論人の性格を「あつかましい向う見ずなジャーナリストと厚顔無恥なパンフレット屋」と評しつつ次のように述べている。
 あとからあとから出てくるおしゃべり屋たちが、議場と行政会議の場を討論会場に変えてしまった。あつかましい向う見ずなジャーナリストと厚顔無恥なパンフレット屋(コラムニスト)が毎日のように政府当局を攻撃する。権力に対する悪口雑言はすべての制度を転覆させる最後の一太刀となり、ことごとくが狂乱した大衆のめった打ちに遭って空中に吹き飛ばされるであろう。

 言論人は更に次のようにけなされている。
 おしゃべり屋には無駄口をたたく権利があり、ジャーナリストには真面目なことも書くが阿呆なことを書きなぐる権利があるとして、生活の重荷に打ちひしがれ、重き犠牲に腰を二重に折り曲げているプロレタリア労働者には、何があるというのか。かってプロレタリアートは、我々が説きつけたことに賛成し、我々が権力の中に潜ませておいた我らが代理人団の手下に賛成して投票した見返りに、我らが食卓からパン屑を恵んでもらっただけで、憲法からは何の利益も得られなかった。

 言論人の無定見の悪作用について次のように述べている。
 現状の知識と我々が人民大衆を育成してきた方向からいえば、大衆は印刷されたものを鵜呑みにし、我々が彼らに誤りを吹き込んできたためと、彼ら自身の無知のおかげとで、これまでに考察した身分という身分に対して、全面的に憎悪を燃えつのらせる。それは各階級には常々相応しい重要な職務があるという身分の意味を全く理解していないことから来ている。(プロトコール3)

 「プロトコール7」で、マスコミの「言論大砲」的位置づけが次のように述べられている。
 我々が練り上げた大規模な計画は今や成功を収めんとする域にあるが、我々はこの計画に従って更にゴイムの政府を誘導せねばならぬ。何によってかといえば、いわゆる「言論大砲」と称する手段を使う。これによりひそかに我々が吹き込んだ世論というものを作り出し政府を砲撃する。「言論大砲」とは新聞である。新聞は、ごくわずか例外はあるが、すでに完全に我らの手中にある。
  • 新聞は「強国」である.
      ゴイムの政府は,すでに完成の域に達しつつある,われわれが練り上げた大規模な計画に沿うように行動させなければならない.何によってかといえば,いわゆる「強国」と称する手段を使い,ひそかにわれわれが吹き込んだ世論というものによってである.「強国」・・それは新聞である.その中には,ごくわずか例外はあるが,すでに完全にわれらの手中にある.<七>

 「プロトコール9」で、彼らにとって有利なリベラリズムを浸透させんが為に、「新聞紙法(マスコミ)」も又道具として使われるとして、次のように述べている。
 ゴイムの諸制度を時期尚早に破壊しないようにするため、我々はきわめてソフト(巧妙)に事に取り掛かった。そして、彼らの機械を動かしているぜんまいバネの端をつまんで細工し、これらのバネはかっては精妙にしかも秩序正しく動いていたが、我々はそのバネを混沌放従のリベラリズムに代えることで不整脈を打つようにした。こうして我々は、裁判(訴訟手続き)、選挙法、新聞紙法(マスコミ)、個人の自由問題を、ことに人間の土台である教育と訓練、それは原理的にはどうにでも加工できるものであるが、それらのバネを操った。

 「プロトコール12」で、「新聞の利用」について次のように述べている。
 新聞については次のように扱う。今日の新聞の役割とは何か? それは我々の目的に有利な激情を爆発させ燃え上らせることに役立つ。さもなければ、諸党派の利己的な目的に役立つ。

 新聞は多くは浅薄、不当、虚つきであり、大多数の人々は新聞が本来何の役に立つのか考えようともしない。が、我々は新聞に鞍を置き馬勒を付け、しっかりと轡をはませる。

 彼らが手なづけた政府と新聞その他マスコミとの調整方法について次のように述べている。検閲、認可、罰金、発行禁止処分等々がその手段である、と云う。
 他の印刷物についても同様である。我々が新聞の攻撃から免れても、小冊子や書籍で攻撃されては何にもならぬからである。出版物の刊行は、今日ではそれを検閲するとなると大変金のかかることであるが、我々は我々の政府にとって有用な財源になるようにする。

 新聞等の発行団体や印刷所に許可を出す前に、特別印紙税と[損害に備えての]保証金(保険金)を納めさせるのである。これをやっておくと、言論機関からのいかなる攻撃からも政府を守ることができる。我々に対する新聞等の攻撃などがあろうものなら、我々は仮借なく罰金を科して対応する。

 保証の形をとるこのような印紙税、保証金、罰金といった方法は、政府の重要な財源となるであろう。政党の機関紙は多額の罰金を取られても平気であろうが、重ねて我々を攻撃し続ける場合は断乎発行禁止処分に付する。

 我らが政府の不可謬性の後光たる権威に指一本でも触れようものなら、何びとも無事ですむことはありえない。発行を禁止するには次の口実を用いる。発行禁止にされた印刷物は、何らの理由も根拠もなく、いたずらに世論を煽動したという申立て理由を使う。

 御注意申し上げたいのは、我々を攻撃するものの中には、我々が設立した機関も含まれるということである。だが、彼らは、我々が予め改正しようと決めた部分のみを攻撃するのである。

 彼らは、現在、あらゆる記事が全て彼らの統制する通信社を経由しており、各国の通信社はその傘下に組み込まれているとして、次のように述べている。
 一片の記事といえども我々の検閲抜きには公表されることはない。現在ですらすでにこのことは達成されていて、すべてのニュースは少数の通信社に世界中から集められそこから各新聞社、諸官庁に配信されるようになっている。現在ある程度まではそうなっているが、通信社は追って完全に我々の傘下に入り、我々が許可したものだけが供給され一般に公表されるようになるだろう。

 彼らは今や、各国政府の国家機密にも通じており、今後益々意のままにするとして次のように豪語している。
  今日すでに我々ゴイム社会の思想界を牛耳っており、人心をうまく掌握しているので、彼ら全員は世界の出来事を、我々が眼の先にかけてやった色眼鏡で眺めるようになっている。また、我々には、ゴイの阿呆どもが国家の機密≠ニ呼んでいるものは今でもすべて筒抜けである。我々がそれらに立ち入るのに障碍のある国家なぞ一つも存在しない。今でさえこうなのだから、我々が全世界王という最高の統治者として認められた暁には、更に我々の意のままになることは明らかであろう。

 彼らの将来の言論対策として、「許可制、免許制にしておき、気に食わない記事を為せば即刻取り消し処分にする」として、次のように述べている。
 話を新聞の将来に戻そう。何人も新聞、雑誌、書籍といったいわゆるジャーナリズムはすべて許可制にし、出版社、書店、司書、印刷業を営もうとする者は、その資格免許証を取得せねばならないことを義務づける。その免許証は何か過失があれば即刻取り消しとなるようにする。こうしておくと、ジャーナリズムがいろんな思想を発表したとしても、我らの政府の意向に添ったものとならざるを得ず、そういう意味で政府による教育手段の一種となるのである。よって、人民が埒もない進歩の白昼夢に憧れることもなくなるだろう。

 それは、印刷対策にも及ぶと云う。気に食わない出版物は事前に察知して圧力をかけ、出版阻止すると云う。次のように述べている。
 定期刊行物の問題に移ろう。我々は、新聞を始めすべての印刷物という印刷物に、一頁につきいくらという印紙税と保証金を課す。3百頁(30枚、60頁)以下の書籍はその額を2倍の税を課すことにする。はやりのパンフレットはその部類に入れる。一方で、印刷物の中では最低の有害雑誌の数を減らす。他方、著作人たちは、分厚く値段もはりほとんど誰も読まないような本を書かざるをえないように仕向ける。他方、我々の利益に適うように世論を導く我々の側の出版物は廉価にするので、為に貪(むさぼ)るように読まれる。

 課税圧力で思想的作家は尻込みし始め、処罰が恐くて文筆家は我々の軍門に降る。それにも拘らず我々に文筆で抵抗する者が現われたとしても、著作物の印刷を引き受け手がいない。出版社が印刷してくれる前に、出版業者や印刷業者が官憲の許可を得なければならない為である。これによって、我々は我々に対して向けられた奸計をすべて事前に知ることができるので、それが世に現われないうちに先手を売って反駁する。出版阻止することもできる。

 彼らは、出版と新聞を「最も重要な教育手段のうちの双璧」として位置づけ、巧妙に次のように活用すると云う。
 出版と新聞は、最も重要な教育手段のうちの双璧である。それゆえに、我が政府はこれらほとんどの定期刊行物の所有権を獲得する。このことは、独立系新聞の有害な影響を緩和し、大衆の精神に甚大な影響をもたらすだろう。仮に十の新聞に発行許可を与えたとすると、我々は三十に及ぶ新聞社を設立する。独立系新聞と我々の息のかかった新聞との比率を1対3にする。

 しかしながら、大衆はそんな事情はゆめ知らず考えてみようともしない。我々が発行する新聞はすべて、見た目には反対の傾向や意見をもち、それ故に我々に対する信頼を集め、我々にとっては全き疑うことなき反対者を呼び寄せる。このようにして、我らの敵対者は罠にはまり、牙を抜かれるのである。

 特に新聞を重視し、政府系の御用新聞、半官半民の中立新聞、民間の疑似反対新聞の三列を上手く操り、最終的に彼らの思惑通りに利用していくとして、次のように述べている。

 最前列に位置するのは、政府機関紙の性格をもった新聞であろう。この種の新聞は、常に我々の利益を擁護するが、それゆえに比較的影響は弱い。 第二列に位置するのは、半官半民の刊行物で、その役割はなまぬるい無関心層及び中立の者を我々の方へ惹き寄せることにある。

 第三列に位置するのは、見た目には全く我々の反対者として設立されたもので、少なくともその紙上では、まさに我々とは逆の立場に立つように見える論説を掲載するであろう。そこで我々の本当の敵対者は、この疑似反対論を真説と思い込み、自分の手の内のカードを見せてしまう。

 我々の新聞は全て様々な違った主張を持っている。もちろん、憲法が存続する間での話だが、ある新聞は貴族政治的であり、他のものは共和主義的又は革命的、さらには無政府主義擁護的なものまでも持っている。インドのヴィシュヌ神の像のように、これら諸新聞は百本の手を持っていて、その一本一本の手が世論の各層に影響を与える。

 然るべき扇動期に入り脈拍が早くなると、これらの手は我々の目的に沿って世論を導くことになる。熱に浮かされた患者は理性の判断力を失い、暗示にかかり易くなる。自分たちの陣營の新聞の意見を述べていると思い込んでいる阿呆どもは、誰ぞ知らん、我々の意見や我々が望んでいる見解をオウム返しに唱えているだけなのである。自分の党派の意見に従っていると虚しくも信じつつ、実際には我々が彼らに広げている旗に従っているだけのことなのである。


 新聞社をコントロールする為、中央新聞局を設け、各社の責任者を寄せて、「問題の核心を避けて常に表面だけにとどめた議論討論をして、見せ掛けの政府政策批判や反対論を唱えさせ、決して核心に迫らせない」と云う。次のように述べている。
 以上の意味で、我らが新聞軍団の指導にあたっては、格別細心の注意を払ってこの問題を組織しなければならない。中央新聞局という名称のもとに、我々は文筆者の会合を設け、そこに我々の覆面の代理人を送り込み、指令と当日の標語を示す。問題の核心を避けて常に表面だけにとどめた議論討論をして、見せ掛けの政府政策批判や反対論を唱えさせ、決して核心に迫らせない。

 彼らは、政府機関紙とも公然と華々しい論戦をしたりするが、我々が見せかけの一斉射撃を浴びせることで、政府政策のプロパガンダを補足する材料を提供するようになり、政府機関紙が第一報で意を尽くせなかったことを、詳しく補足して報道することになる。

 巧妙な統治策として、或る程度の反対論をふりまき世論の観測気球にする。常に世論の動向を機敏に察知しておく必要があるとして、次のように述べている。

 しかし、これらの方法は必要な場合以外には用いない。新聞の我々に対する攻撃は、新聞がまだ言論の自由を失っていないという印象を大衆に与えるのに役立つ。それは又我らが代理人が、反対者たちは意味のない反対論をぶっている、実のある反対意見をこれっぱかりも示していない、政府政策を批判する本当の根拠が示されていないではないか、我々に反対する機関はみな空騒ぎしているだけではないか、と説きまわる機会を与える。

 このトリック方法は、大衆の目に感知されないようにして大衆の政府信頼を増させるのに最高の方法である。この方法のおかげで、我々は大衆がどう受け取るかによって、必要に応じて時折、政治問題に対する感情を刺激したり鎮静したり、説得したり混乱させたりすることが可能になる。

 我々は、ある時は真実、ある時は虚偽を振りまき、ある時は事実に即して立論し、ある時はの反論を掲げたりする。それは大衆にどんな印象を与えようとするのかによって異なり、その為に常に我々が足を踏み出す前に地面の様子を細心の注意をもって調べねばならない。

 
 我々は、三系列の新聞を巧みに操るとして次のように述べている。
 我々は常に理屈では敵に勝つ。それは、我々の敵対者は、前記の方法で新聞を操作することができず、十分かつ決定的な意見を開陳する新聞という最終的な手だてを欠いているからである。我々の勝利は確実この上もない。よほどのことでもなければ、我々が新聞界に押し付けた制度のお陰で、反論の必要もないくらいである。

 我々が新聞の第三列に放つ試射は、必要があれば半官半民の紙上を通じて精力的に駁論する。 我々が反対新聞に掲げさせた世論の観測気球的記事をも必要なときに強く否定することができる。
 
 今のところフランス新聞界のみではあるがフリーメーソンと深く繋がっており、すべての新聞機関はフリーメーソンの下で堅く結束している。全ては秘密裏に行われているとして、次のように述べている。
 フランス新聞界のみではあるが、今日でもすでにフリーメーソンの連帯行動が成立しており、合言葉標語ももっている。すべての新聞機関は、結束して職業上の秘密で結ばれている。 古代の卜占官さながらに、その成員は、過去に解決ずみの問題でない限り、情報源を漏らしたりはしない。ジャーナリストならただの一人もこの秘密を暴露するような愚挙を犯しはしない。

 というのは、どの一人をとってみても、かねて過去に不行跡な事などをしない限りは、文筆仲間に入れて貰えないからである。(中略)秘密を漏らしたりしようものなら、直ちに過去の不行跡が暴露される仕掛けになっている。秘密が少数の間でだけ知られている限りは、ジャーナリストの権威は大多数の人々に行きわたり、群集は熱狂的に彼に従う。彼は名声を博す。
 
 彼らが天下を取ったときには、新聞記事を統制し、社会腐敗暴露記事は載せない、「知らしむべからず、寄らしむべし」でいくという。次のように述べている。
 新体制とは我々が完全な主権を手中にするまでの過渡期のことであるが、我々が新体制の時期まで進んだ時には、もはやどの種類の新聞にも社会腐敗を暴露する記事は載せさせない。新体制下では万人が完全に満足しているから犯罪を犯す者はいないと信じさせることが必要である。犯行の真相解明は、被害者とたまたま目撃した者だけに留めておくべきであって、それ以外に知らせる必要がない。

 「プロトコール13」で、「新聞の特殊利用価値」について次のように述べている。
 日々のパンの手当ての必要から、ゴイムは余儀なく沈黙を続け、我々の従順な召使になっている。我々の新聞がゴイムの中から選んだ代理人に、公文書であからさまに触れるのは都合の悪い問題を議論するようにさせる。その間、我々は論議の渦の真中で静かに聞いていて、我々に必要な部分を取り込み、それから公衆に既定事実として提示するのである。いっそう改善したものを説明するのだから、何びとも一度定めたことを撤回せよとは言わない。

 そして間髪を入れず新聞は世論を新しい問題の方に向けさせる(我々は人民を何か新しいものを求めるようにずっと馴らして来たではないか)。頭が足りない運命の小売屋≠スちは自分の議論する問題が髪の毛一筋も解っていないということさえも理解できずに、新問題に飛びついてしまう。

 「プロトコール17」で、彼らの世界政府樹立前の目下の「新聞の真の狙い」について次のように述べている。
 一般的には、我々の現代の新聞はゴイムの国家問題、宗教、ゴイムの無能さを断罪し続けるが、常に、我が民天与の才能を振い、あらゆる手段を駆使して彼らの威信を剥奪すべく、罵詈雑言を浴びせ百方中傷する。

(私論.私見) 【「シオンの議定書に見るマスコミ篭絡謀略」考】

 以上、「シオンの議定書に見るマスコミ篭絡謀略」を見てきたが、現代メディアを支配するネオシオニズムの威力を知れば、首肯できるであろう。「2005.9.11総選挙」も、ネオシオニズムに郵政民営化法案の手形を切っている小泉政権を勝利させるため悪智恵を働かせたに相違ない。彼らは、正面から弁護支援するような稚拙な手法を採らない。からめ手から様々な方法で世論を導く。既に歴史的経験も踏まえて、応酬話法さえ確立している。従って、あまりにオボコければ、いいように誘導される。この現実を知らねばなるまい。

 あぁだがしかし、こう見立てる人士が少なすぎる。「シオンの議定書」そのものを偽書扱いしてサヨぶり、その癖「シオンの議定書」の記述に言及しない。この手合いを相手にするこのは時間の無駄だから、論戦を挑まれない限り無視するが、それにしても病膏肓ぶりが分かるというものだ。

 2005.10.10日 れんだいこ拝

Re:れんだいこのカンテラ時評304 れんだいこ 2007/06/13
 【松岡農相変死事件を風化させない、れんだいこの意地その3】

 2007.5.28日、「松岡農相の議員宿舎変死事件」が発生した。この事件は、松岡農相の変死のみならず、これを報ずるべきメディアが緘口令を敷かれたと理解するしかない報道管制ぶりを見せつけ、二重の意味で変事となった。れんだいこは、「現代世界のマスコミ管制ぶり」を如実に知らされることになったが、これの古典的教本とも云うべき「シオンの議定書」での「言論機関、マスコミに関する記述」を確認したくなった。これについては、「シオンの議定書に見るマスコミ篭絡謀略」(ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/mascomiron_giteisyoco.htm)で論及しているが、「松岡農相の議員宿舎変死事件」に絡む記述を要点整理してみることにする。

 「プロトコール2」で、ロスチャイルド派が、新聞を始めとするマスコミメディアの効用を見極め、血みどろの戦いで言論機関を掌握してきたことが明かされている。「プロトコール3」で、言論人の性格を「あつかましい向う見ずなジャーナリストと厚顔無恥なパンフレット屋」と評しつつ、これを上手に利用することの必要が語られている。

 「プロトコール7」で、新聞が「言論大砲」的役割を担うことが告げられている。「プロトコール9」で、ロスチャイルド派の世界支配政策に有利なように言論機関を手なずけ、新聞紙法等々の法律で縛り、「我々は新聞に鞍を置き馬勒を付け、しっかりと轡をはませる」とテクニックが披瀝されている。

 「プロトコール12」で、新聞その他出版物に関して、検閲、認可、罰金、発行禁止処分、保証金、免許取消制等々で規制することの必要が指示されている。そして、次のように豪語している。

 一片の記事といえども我々の検閲抜きには公表されることはない。現在ですらすでにこのことは達成されていて、すべてのニュースは少数の通信社に世界中から集められそこから各新聞社、諸官庁に配信されるようになっている。現在ある程度まではそうなっているが、通信社は追って完全に我々の傘下に入り、我々が許可したものだけが供給され一般に公表されるようになるだろう。

 その免許証は何か過失があれば即刻取り消しとなるようにする。こうしておくと、ジャーナリズムがいろんな思想を発表したとしても、我らの政府の意向に添ったものとならざるを得ず、そういう意味で政府による教育手段の一種となるのである。よって、人民が埒もない進歩の白昼夢に憧れることもなくなるだろう。

 課税圧力で思想的作家は尻込みし始め、処罰が恐くて文筆家は我々の軍門に降る。それにも拘らず我々に文筆で抵抗する者が現われたとしても、著作物の印刷を引き受け手がいない。出版社が印刷してくれる前に、出版業者や印刷業者が官憲の許可を得なければならない為である。これによって、我々は我々に対して向けられた奸計をすべて事前に知ることができるので、それが世に現われないうちに先手を売って反駁する。出版阻止することもできる。 (引用以上)

 そして、このように形成された御用機関を、大衆教育と世論操作に利用すべしと云う。特に新聞を重視し、政府系の御用新聞、半官半民の中立新聞、民間の疑似反対新聞の三列を上手く操り、最終的に彼らの思惑通りに利用していくと云う。次のようにも述べている。

 新聞社をコントロールする為、中央新聞局を設け、各社の責任者を寄せて、「問題の核心を避けて常に表面だけにとどめた議論討論をして、見せ掛けの政府政策批判や反対論を唱えさせ、決して核心に迫らせない」。

 我らが新聞軍団の指導にあたっては、格別細心の注意を払ってこの問題を組織しなければならない。中央新聞局という名称のもとに、我々は文筆者の会合を設け、そこに我々の覆面の代理人を送り込み、指令と当日の標語を示す。問題の核心を避けて常に表面だけにとどめた議論討論をして、見せ掛けの政府政策批判や反対論を唱えさせ、決して核心に迫らせない。

 彼らは、政府機関紙とも公然と華々しい論戦をしたりするが、我々が見せかけの一斉射撃を浴びせることで、政府政策のプロパガンダを補足する材料を提供するようになり、政府機関紙が第一報で意を尽くせなかったことを、詳しく補足して報道することになる。

 しかし、これらの方法は必要な場合以外には用いない。新聞の我々に対する攻撃は、新聞がまだ言論の自由を失っていないという印象を大衆に与えるのに役立つ。それは又我らが代理人が、反対者たちは意味のない反対論をぶっている、実のある反対意見をこれっぱかりも示していない、政府政策を批判する本当の根拠が示されていないではないか、我々に反対する機関はみな空騒ぎしているだけではないか、と説きまわる機会を与える。

 我々は、ある時は真実、ある時は虚偽を振りまき、ある時は事実に即して立論し、ある時は反論を掲げたりする。それは大衆にどんな印象を与えようとするのかによって異なり、その為に常に我々が足を踏み出す前に地面の様子を細心の注意をもって調べねばならない。(引用以上)

 他にも確認しておきたい内容が多々記述されているが、もういいだろう。問題は、現代言論機関がこの通りになっているのかどうか吟味することであろう。「シオン長老の議定書」を捏造書として批判する前に、中身の確認の方がより大事であろう。れんだいこには、現代マスメディアがこの通りに利用されている気がしてならない。「松岡農相の議員宿舎変死事件緘口令」がこの筋から出され、ものの見事に言論封殺されていることを知らされるばかりである。

 以上の批評はそれだけのことである。何事も批判だけではつまらない、ならばどうすべきかの処方箋まで思いを馳せねばならない。ここにこそ真の能力が要求される。そしてそれを実践して試行錯誤させ次第に高次なものにしていかねばならない。それを思えば、我々の自由自主自律的な言論空間としての和製アルジャジーラ放送局、出版局創設こそ急がれているのではなかろうか。ここに目がいかない政府批判運動は生産的でなく、単なるアリバイ闘争の羅列にしかならない。

 まもなく党派の垣根を越えた共同戦線闘争として実にまさに歴史的な待望の6.15集会が挙行されるが、大きな実りとなりますように。これが、れんだいこの決意表明である。

 2007.6.13日 れんだいこ拝

【太田龍・氏の指摘考】
 太田龍・氏は、2007.11.5日付けの「時事寸評bQ229」の「シオニストユダヤが、アメリカのマスコミを完璧に支配し所有している(テックス・マーズ)、と」で次のように述べている。これを転載しておく(れんだいこ文責で任意に編集替えしている)
 テックス・マーズのニューズレター「パワー・オブ・プロフェシー」二〇〇七年十一月号、「シオニストマスメディア。歴史と真実のハイジャック」。この記事は、現在のアメリカの支配者は、シオニストと、シオニストが所有し、支配するマスコミであることを論証する。 「誰がアメリカを動かしているか?」、「アメリカの人民か?」、「我々は知っている。アメリカの人民はイラク戦争に反対していること、警察国家に反対して居ること、グローバリズムに反対していること、北米連合に反対していること、非合法な移民の侵入に反対していること、……を」。しかし、アメリカのマスコミはアメリカ人民の要求など一切無視する。アメリカの政治家は、マスコミの言うがままに行動する。その通りにしないアメリカの政治家はブラックリストに登録され、マスコミによって中傷され、名誉を棄損される、……。

 マスコミが王様であるとしたら、マスコミを動かしているのは誰か? それを発見することはきわめてやさしい。それはユダヤである。更に正確に言へば、アメリカを嫌っているシオニストユダヤである! マスコミ専門学者フランク・フェルトナーは、最近、マスコミ企業の九十六パーセントは、大金持のシオニストユダヤによって所有されていることを発見した。CBS、ABC、NBC、FOX。どのテレビ局も、シオニストプロパガンダをたれ流している。ミート・ザ・プレスと言う番組のホスト、ティム・ルサートは、三人の米国、上院議員をゲストに迎えた。その三人は、シューマー、フェインシュタイン、ボクサーであった。そしてこの三人は、みんなユダヤである。ある日の夜のテレビトーク番組に登場した重要な人物のリスト。バーガー、エマニュエル、コッペル、グリーンスパン、フランケン、タッチョイ、キング、オルブライト、ルービン、ブリッツァー、シュースター、コーヘン……。この十二人はみんなユダヤである。

 アメリカのマスコミがアメリカ人民に注入する意見は、反米国憲法、プロイスラエル、反パレスチナ、プロユダヤ、プロリベラル、プロ社会主義、プロホモセクシャル……である。アメリカ人民の間で最も人気のある政治家、ロン・ポール。アメリカのマスコミは、ロン・ポールなど全く存在しないかのように行動する。…………… ……………と言う具合である。

 テックス・マーズは、「シオン長老の議定書」を特筆大書する。ここに、ユダヤ(シオニストイルミナティ)が、フランス革命前から、マスコミを掌握するために全力を投入して来たことが、示されている。

 シオニストユダヤは、「ニューズウィーク」誌、「タイム」誌、「USニュース・アンド・ワールドレポート」誌を、所有している。彼らは、ハリウッドの主人(マスター)である。シオニストユダヤは、コンピューターとインターネットの王である。マイクロソフトのビル・ゲーツ。彼はユダヤである。デル・コンピューターのマイケル・デル。彼もユダヤである。グーグル、ヤフーの所有者。彼らもユダヤである。…………… …………… テックス・マーズの言う通りである。日本民族有志は、このテックス・マーズの語っていることくらいは、常識にしなければならない。(了)

 【参照】

 「シオン長老の議定書」 四王天延孝著、太田龍監訳(成甲書房、二〇〇四年)

 「ロイター・ABCとCBS放送・ワシントンポストはロス・ロスチャイルド、AP通信・NBC・ウオールシトリートジャーナルはロックフェラーの傘下誘導マスコミであること公知の事実である。政権は巨大権力に操られ、権力とカネに平伏す官僚及びマスコミはその僕に成り下がる。こうした状況下ゆえに不正選挙は実行される」。




(私論.私見)