【「言論機関、マスコミ」に関する記述一覧】 |
(最新見直し2007.6.13日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
「シオンの議定書」(「シオンの議定書考」で公開している)には、「言論機関、マスコミ」に関する記述があり、これを一覧する。かなりの分量で言及しているところを見れば、それだけ重視しているということであろう。ととりあえず黙って耳を傾けてみよう。現在ではもっとはるかに進んでいようからして古典的言及として受け止めればよいように思われる。 2005.1.28日 れんだいこ拝 |
「プロトコール2」で、彼らの「言論機関の位置づけ」について次のように述べている。
つまり、マスコミの言論は、概要「我々が望む方向に赴むかせんが為に、巧みに断片を寄せ集めたものをいい気になって主張しているだけの代物」ということになる。れんだいこには、実に思い当たる節がある。 その中でも「新聞の役割」が大きい為、彼らはこれを格別重視、手中に落とした、と云う。その過程は血みどろの闘いであったとして、次のように述べている。
「プロトコール3」で、言論人の性格を「あつかましい向う見ずなジャーナリストと厚顔無恥なパンフレット屋」と評しつつ次のように述べている。
言論人は更に次のようにけなされている。
言論人の無定見の悪作用について次のように述べている。
「プロトコール7」で、マスコミの「言論大砲」的位置づけが次のように述べられている。
「プロトコール9」で、彼らにとって有利なリベラリズムを浸透させんが為に、「新聞紙法(マスコミ)」も又道具として使われるとして、次のように述べている。
「プロトコール12」で、「新聞の利用」について次のように述べている。
彼らが手なづけた政府と新聞その他マスコミとの調整方法について次のように述べている。検閲、認可、罰金、発行禁止処分等々がその手段である、と云う。
彼らは、現在、あらゆる記事が全て彼らの統制する通信社を経由しており、各国の通信社はその傘下に組み込まれているとして、次のように述べている。
彼らは今や、各国政府の国家機密にも通じており、今後益々意のままにするとして次のように豪語している。
彼らの将来の言論対策として、「許可制、免許制にしておき、気に食わない記事を為せば即刻取り消し処分にする」として、次のように述べている。
それは、印刷対策にも及ぶと云う。気に食わない出版物は事前に察知して圧力をかけ、出版阻止すると云う。次のように述べている。
彼らは、出版と新聞を「最も重要な教育手段のうちの双璧」として位置づけ、巧妙に次のように活用すると云う。
特に新聞を重視し、政府系の御用新聞、半官半民の中立新聞、民間の疑似反対新聞の三列を上手く操り、最終的に彼らの思惑通りに利用していくとして、次のように述べている。
新聞社をコントロールする為、中央新聞局を設け、各社の責任者を寄せて、「問題の核心を避けて常に表面だけにとどめた議論討論をして、見せ掛けの政府政策批判や反対論を唱えさせ、決して核心に迫らせない」と云う。次のように述べている。
巧妙な統治策として、或る程度の反対論をふりまき世論の観測気球にする。常に世論の動向を機敏に察知しておく必要があるとして、次のように述べている。
我々は、三系列の新聞を巧みに操るとして次のように述べている。
今のところフランス新聞界のみではあるがフリーメーソンと深く繋がっており、すべての新聞機関はフリーメーソンの下で堅く結束している。全ては秘密裏に行われているとして、次のように述べている。
彼らが天下を取ったときには、新聞記事を統制し、社会腐敗暴露記事は載せない、「知らしむべからず、寄らしむべし」でいくという。次のように述べている。
「プロトコール13」で、「新聞の特殊利用価値」について次のように述べている。
「プロトコール17」で、彼らの世界政府樹立前の目下の「新聞の真の狙い」について次のように述べている。
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以上、「シオンの議定書に見るマスコミ篭絡謀略」を見てきたが、現代メディアを支配するネオシオニズムの威力を知れば、首肯できるであろう。「2005.9.11総選挙」も、ネオシオニズムに郵政民営化法案の手形を切っている小泉政権を勝利させるため悪智恵を働かせたに相違ない。彼らは、正面から弁護支援するような稚拙な手法を採らない。からめ手から様々な方法で世論を導く。既に歴史的経験も踏まえて、応酬話法さえ確立している。従って、あまりにオボコければ、いいように誘導される。この現実を知らねばなるまい。 あぁだがしかし、こう見立てる人士が少なすぎる。「シオンの議定書」そのものを偽書扱いしてサヨぶり、その癖「シオンの議定書」の記述に言及しない。この手合いを相手にするこのは時間の無駄だから、論戦を挑まれない限り無視するが、それにしても病膏肓ぶりが分かるというものだ。 2005.10.10日 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評304 | れんだいこ | 2007/06/13 |
【松岡農相変死事件を風化させない、れんだいこの意地その3】
2007.5.28日、「松岡農相の議員宿舎変死事件」が発生した。この事件は、松岡農相の変死のみならず、これを報ずるべきメディアが緘口令を敷かれたと理解するしかない報道管制ぶりを見せつけ、二重の意味で変事となった。れんだいこは、「現代世界のマスコミ管制ぶり」を如実に知らされることになったが、これの古典的教本とも云うべき「シオンの議定書」での「言論機関、マスコミに関する記述」を確認したくなった。これについては、「シオンの議定書に見るマスコミ篭絡謀略」(ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/mascomiron_giteisyoco.htm)で論及しているが、「松岡農相の議員宿舎変死事件」に絡む記述を要点整理してみることにする。 「プロトコール2」で、ロスチャイルド派が、新聞を始めとするマスコミメディアの効用を見極め、血みどろの戦いで言論機関を掌握してきたことが明かされている。「プロトコール3」で、言論人の性格を「あつかましい向う見ずなジャーナリストと厚顔無恥なパンフレット屋」と評しつつ、これを上手に利用することの必要が語られている。 「プロトコール7」で、新聞が「言論大砲」的役割を担うことが告げられている。「プロトコール9」で、ロスチャイルド派の世界支配政策に有利なように言論機関を手なずけ、新聞紙法等々の法律で縛り、「我々は新聞に鞍を置き馬勒を付け、しっかりと轡をはませる」とテクニックが披瀝されている。 「プロトコール12」で、新聞その他出版物に関して、検閲、認可、罰金、発行禁止処分、保証金、免許取消制等々で規制することの必要が指示されている。そして、次のように豪語している。 一片の記事といえども我々の検閲抜きには公表されることはない。現在ですらすでにこのことは達成されていて、すべてのニュースは少数の通信社に世界中から集められそこから各新聞社、諸官庁に配信されるようになっている。現在ある程度まではそうなっているが、通信社は追って完全に我々の傘下に入り、我々が許可したものだけが供給され一般に公表されるようになるだろう。 その免許証は何か過失があれば即刻取り消しとなるようにする。こうしておくと、ジャーナリズムがいろんな思想を発表したとしても、我らの政府の意向に添ったものとならざるを得ず、そういう意味で政府による教育手段の一種となるのである。よって、人民が埒もない進歩の白昼夢に憧れることもなくなるだろう。 課税圧力で思想的作家は尻込みし始め、処罰が恐くて文筆家は我々の軍門に降る。それにも拘らず我々に文筆で抵抗する者が現われたとしても、著作物の印刷を引き受け手がいない。出版社が印刷してくれる前に、出版業者や印刷業者が官憲の許可を得なければならない為である。これによって、我々は我々に対して向けられた奸計をすべて事前に知ることができるので、それが世に現われないうちに先手を売って反駁する。出版阻止することもできる。 (引用以上) そして、このように形成された御用機関を、大衆教育と世論操作に利用すべしと云う。特に新聞を重視し、政府系の御用新聞、半官半民の中立新聞、民間の疑似反対新聞の三列を上手く操り、最終的に彼らの思惑通りに利用していくと云う。次のようにも述べている。 新聞社をコントロールする為、中央新聞局を設け、各社の責任者を寄せて、「問題の核心を避けて常に表面だけにとどめた議論討論をして、見せ掛けの政府政策批判や反対論を唱えさせ、決して核心に迫らせない」。 我らが新聞軍団の指導にあたっては、格別細心の注意を払ってこの問題を組織しなければならない。中央新聞局という名称のもとに、我々は文筆者の会合を設け、そこに我々の覆面の代理人を送り込み、指令と当日の標語を示す。問題の核心を避けて常に表面だけにとどめた議論討論をして、見せ掛けの政府政策批判や反対論を唱えさせ、決して核心に迫らせない。 彼らは、政府機関紙とも公然と華々しい論戦をしたりするが、我々が見せかけの一斉射撃を浴びせることで、政府政策のプロパガンダを補足する材料を提供するようになり、政府機関紙が第一報で意を尽くせなかったことを、詳しく補足して報道することになる。 しかし、これらの方法は必要な場合以外には用いない。新聞の我々に対する攻撃は、新聞がまだ言論の自由を失っていないという印象を大衆に与えるのに役立つ。それは又我らが代理人が、反対者たちは意味のない反対論をぶっている、実のある反対意見をこれっぱかりも示していない、政府政策を批判する本当の根拠が示されていないではないか、我々に反対する機関はみな空騒ぎしているだけではないか、と説きまわる機会を与える。 我々は、ある時は真実、ある時は虚偽を振りまき、ある時は事実に即して立論し、ある時は反論を掲げたりする。それは大衆にどんな印象を与えようとするのかによって異なり、その為に常に我々が足を踏み出す前に地面の様子を細心の注意をもって調べねばならない。(引用以上) 他にも確認しておきたい内容が多々記述されているが、もういいだろう。問題は、現代言論機関がこの通りになっているのかどうか吟味することであろう。「シオン長老の議定書」を捏造書として批判する前に、中身の確認の方がより大事であろう。れんだいこには、現代マスメディアがこの通りに利用されている気がしてならない。「松岡農相の議員宿舎変死事件緘口令」がこの筋から出され、ものの見事に言論封殺されていることを知らされるばかりである。 以上の批評はそれだけのことである。何事も批判だけではつまらない、ならばどうすべきかの処方箋まで思いを馳せねばならない。ここにこそ真の能力が要求される。そしてそれを実践して試行錯誤させ次第に高次なものにしていかねばならない。それを思えば、我々の自由自主自律的な言論空間としての和製アルジャジーラ放送局、出版局創設こそ急がれているのではなかろうか。ここに目がいかない政府批判運動は生産的でなく、単なるアリバイ闘争の羅列にしかならない。 まもなく党派の垣根を越えた共同戦線闘争として実にまさに歴史的な待望の6.15集会が挙行されるが、大きな実りとなりますように。これが、れんだいこの決意表明である。 2007.6.13日 れんだいこ拝 |
【太田龍・氏の指摘考】 | |
太田龍・氏は、2007.11.5日付けの「時事寸評bQ229」の「シオニストユダヤが、アメリカのマスコミを完璧に支配し所有している(テックス・マーズ)、と」で次のように述べている。これを転載しておく(れんだいこ文責で任意に編集替えしている)
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(私論.私見)