デイビィッド・ロックフェラー |
(最新見直し2006.9.26日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、デイビィッド・ロックフェラーを確認しておく。 2006.1.21日 れんだいこ拝 |
【デイビィッド・ロックフェラー死亡】 |
2017.3.20日、アメリカの大富豪ロックフェラー家の3代目当主(石油大手スタンダード・オイルの創業者で「石油王」として知られるジョン・ロックフェラーさんの孫にあたる)で銀行家のデイビィッド・ロックフェラーが米ニューヨーク州ウエストチェスター郡のポカンティコ・ヒルズの自宅で心不全のため死亡した(享年101歳)。ロックフェラー兄弟財団の広報担当が明らかにした。経済誌フォーブスによれば、デービッドさんの死亡時の資産は33億ドル。 |
【デイビィッド・ロックフェラーの履歴】 | ||||||||||||||||||||
ロックフェラー氏の履歴は次の通り。(「デイヴィッド・ロックフェラー/ウィキペディア」、ユダヤ陰謀論を展開するアメリカのウェブサイト「ユダヤ・ウォッチ」その他参照。その他参照) | ||||||||||||||||||||
ロックフェラーはオイルだけではなく、テキサス・インスツルメンツ、ジェネラル・エレクトリック、コダックを支配し、裏でボーイングもコントロールしています。フォード大統領の下、1974年から1977年まで副大統領を務めたネルソン・ロックフェラーはジョン・ロックフェラー二世の次男。父方の祖父がスタンダード・オイルの創業者ジョン・ロックフェラー、母方の祖父が共和党保守派の実力者、ネルソン・W・オルドリッチ上院議員。またアーカンソー州知事を務めたウィンスロップ・ロックフェラーはジョンの四男、チェース・マンハッタン銀行のCEOを務めたデイヴィッド・ロックフェラーは五男で末弟。ジェイ・ロックフェラー上院議員はジョン・ロックフェラー三世の子で、ネルソンの甥に当たります。 ネルソン・ロックフェラーの祖父は、彼の一族がトルコからフランスに移住し、最終的にアメリカに移住したと語っていました。その頃にロックフェラーがロスチャイルドから資金を得たと主張する説もあります。「The Grandees - アメリカのセファルディ・エリート」という本にはロックフェラー一族はセファルディ・ユダヤの末裔であると書かれているそうです(セファルディとはスペインとポルトガルのユダヤ人を意味する)。そしてネルソン&デイビッド・ロックフェラーは友人のヘンリー・キッシンジャーをニクソン政権時代の国務長官に押し上げました。そしてネルソンが副大統領に収まったフォード政権下でも、キッシンジャーは国務長官を務めました。 |
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1915.6.12日、ニューヨーク・マンハッタン生まれ。5男1女の6人兄弟の末っ子として生まれた。祖父は石油大手エクソンモービルの前身であるスタンダード・オイルを創業して巨財を築いたジョン・ロックフェラー。父親は、ジョン・ロックフェラー2世。 | ||||||||||||||||||||
1936年、ハーバード大学卒。ヨーゼフ・シュンペーターに師事し、卒業論文のテーマはフェビアン協会。その後、フェビアン協会が設立したロンドン・スクール・オブ・エコノミクス (LSE)に留学、同校で修士号を取得。また同時期にLSEのハロルド・ラスキのもとに留学していた後のアメリカ大統領ジョン・F・ケネディと出会う。 | ||||||||||||||||||||
1940年、シカゴ大学で経済学博士号取得。博士論文はハーバード時代の恩師シュンペーター、LSE時代のフリードリヒ・ハイエク、シカゴ大学時代のフランク・ナイト、そして祖父のジョン・D・ロックフェラーに影響を受けていた。 | ||||||||||||||||||||
1940.9.7日、マーガレット・マクグラス(Margaret McGrath、1915年9月28日 – 1996年3月26日)と結婚した。6人の子(2男4女)に恵まれたが1人に先立たれている。
父デイヴィッドの99歳の誕生日の翌日、13日の金曜日に自身の運転していた自家用機の事故により墜落死した。満65歳没。暗殺説もある。 |
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ニューヨーク市長フィオレロ・ラガーディア・ニューヨーク市長の秘書を務める。 | ||||||||||||||||||||
1946年、旧チェース・ナショナル銀行入行し金融業界に入る。(チェース・マンハッタン銀行は1955年、バンク・オブ・マンハッタンとチェース・ナショナル銀行が合併して誕生した。現在は、JPモルガン・チェース銀行)。 | ||||||||||||||||||||
デイヴィッド・ロックフェラーは、銀行マンだった時代、世界中に人脈を構築し、世界の政治に深く関わった。キッシンジャーを部下にしている。デイヴィッド・ロックフェラーのオフィスには150000人の名刺を納めたローロデックス(Rolodex、名刺ホルダー)がある。世界の政財界の要人4万人と親交のある「銀行外交官」と称された。 デイヴィッド・ロックフェラー自身がロックフェラー回顧録で次のように語っている。
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1949年、アメリカでもっとも影響力があるといわれるシンクタンク「外交問題評議会」の理事に史上最年少34歳で選出された。1970年~1985年、議長。その後、名誉会長。 | ||||||||||||||||||||
1954年、世界の超エリートが年に一回集結する「ビルダーバーグ会議」に初回から参加した。 | ||||||||||||||||||||
1961年、チェース・マンハッタン銀行会長に就任する。 | ||||||||||||||||||||
1969年、チェース・マンハッタン銀行(現JPモルガン・チェース)の会長兼CEO(最高経営責任者)に就任した(1981年まで務める)。銀行経営者として海外事業を拡大し、世界の政界や経済界に広い人脈を築き、民間外交に活躍した。同行は数々の買収を経て現在の金融大手JPモルガン・チェースに。芸術や文化などを通じた慈善事業にも力を入れ、母親が設立に関わったニューヨーク近代美術館(MoMA)の理事として長く運営に関与した。 | ||||||||||||||||||||
1972年、リチャード・ニクソン大統領が旧ソ連と中国を訪問した後の1973年、モスクワと中国本土にそれぞれ米銀として初となる支店を開設した。 | ||||||||||||||||||||
1972(昭和47)年、オランダ王室にビルダーバーグ会議への日本の参加を打診したが断られたため、ズビグネフ・ブレジンスキーに日本が加わる会議の創設を提案した。宮沢喜一、大来佐武郎らを招待した勉強会が開催され、翌年の1973年10月に「三極委員会」が誕生した。 | ||||||||||||||||||||
1973年、日米欧の民間有識者で構成する政策協議グループ「三極委員会」をブレジンスキーと共に創設した。 | ||||||||||||||||||||
1978(昭和53)年、日本文化を伝える非営利団体「ジャパン・ソサエティー」の名誉会長に就任。 | ||||||||||||||||||||
1980年、チェース・マンハッタンのCEOと会長の座から退いていた。 | ||||||||||||||||||||
1988(昭和63)年、高松宮殿下記念世界文化賞を創設し、当初より1990(平成2)年までの国際顧問を務め、その後名誉顧問に転じた。 | ||||||||||||||||||||
1989年10月、三菱地所が、デビッド氏の父、ジョン・ロックフェラーJr氏が建てたニューヨークのランドマーク、ロックフェラーセンターを2200億円で買収した。デビッド氏が米国民からの批判が巻き起こったが、デイヴィッドがその矢面に立った。その後の不動産不況により三菱地所はこのビルを手放すことになった。そして残ったものは日本バッシングという反日感情だけなのです。 | ||||||||||||||||||||
1991(平成3)年、勲一等瑞宝章を受勲した。 | ||||||||||||||||||||
1994年、親日家としても知られ、天皇、皇后両陛下のニューヨーク訪問時には歓迎委員会委員長を務め、自宅での晩餐会にも招いた。ニューヨーク近代美術館(MoMA)などに、日本円で計2250億円相当の寄付を行う慈善家としても知られていた。ニューヨークの日米親睦団体、ジャパン・ソサエティーはデビッド氏の兄で故ジョン・ロックフェラー3世が会長を務めた。 | ||||||||||||||||||||
2001年の911アメリカ同時多発テロの時も日本人24名が巻き込まれた。この世界貿易センタービルの設計に関っていたのもロックフェラーである。 ハリウッド映画を見ていると911テロが起こることを予告している模写がいくつも存在している。日本も例外ではなく、911テロを予告する映像が存在している。1998年4月にブラックビスケッツが『Timing』という曲をリリースしたが、そのプロモーションビデオの撮影現場があのテロに遭った世界貿易センタービルである。世界貿易センタービルサウスタワーの屋上でプロモーションビデオが撮影されている。撮影にあたりヘリコプターをチャーターしたりとなかなか経費が掛かっている。ブラックビスケッツというグループは『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』というバラエティ番組から誕生した。その番組の中では悪者役のキャラクターを演じていた。プロモーションビデオ製作から3年後に911テロでこのビルは倒壊する。これは、「悪者が世界貿易センタービルに舞い降りてビルが倒壊する」という予告をしたプロモーションビデオである。 |
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2007(平成19).11月、来日。回想録(日本語版)の出版記念会が都内のホテルで催され、出版記念サイン会がMoMA Design Storeにて催された。デイビッド・ロックフェラーの来日はシティグループがサブプライム問題で大きな損失を被ったことと関係があるとする報道が見られた。来日時の出版記念パーティには、発起人の緒方貞子ほか、日枝久(フジテレビジョン(CX)代表取締役会長)、川口順子らが出席した(週刊新潮 2007年11月15日)。 | ||||||||||||||||||||
新生銀行の社外取締役を勤めた。 | ||||||||||||||||||||
デービッドさんは慈善活動でも知られた。ロックフェラー大学やハーバード大学、ニューヨーク近代美術館などに約20億ドルの寄付を行った。民間有識者による政策協議の場「三極委員会」の創設にも尽力した。100歳の誕生日を迎えた2015年にはメーン州シールハーバーなどの土地約413ヘクタールを寄付している。 |
デイビィッド・ロックフェラーは世界の経済・医療・マスコミ等を裏から牛耳る人物としてその名が知られている。世界中を巻き込んでハザール人(ニセユダヤ人)の地位向上に貢献した。 大幹部に当たるのがロックフェラーやロスチャイルド。ロックフェラーやロスチャイルドの配下にビルダーバーグ会議・三百人委員会・CFR等がある。そのメンバーである政治家や各国王族。末端にショッカー戦闘員。現実社会では医者や製薬会社、遺伝子組み替え食品会社の社員あるいは新聞・テレビ局の社員等。ロックフェラーはその功績により、裏社会の大幹部からさらに出世することを約束された。本当の裏社会の仲間入りが出来た。 |
デイヴィッドが亡くなった後、ロックフェラー家でもっとも力があるのはジェイ・ロックフェラー(=ジョン・ロックフェラー4世)。彼は、ウェストバージニア州の上院議員。ジェイ・ロックフェラーは、デイヴィッド・ロックフェラーのお兄さん(長男)の子供。「世界皇帝」と呼ばれたデイヴィッドさんほどの力はない。
ロックフェラー家は「子だくさん」で、どんどん増えている。ジョン・ロックフェラー1世には5人子供がいた。デイヴィッドさんのお父さんジョン・ロックフェラー2世には6人子供がいた。デイヴィッドさんにも、6人子供がいる。ジェイさんには、4人子供がいる。 |
石油王ジョン・D・ロックフェラーのひ孫、デービッド・ロックフェラーの次男であるリチャード・ロックフェラー氏が13日(金)に自家用機で墜落死した。
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「ロックフェラー氏の死去で終わった陰謀論とアメリカの時代」
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デイヴィッド・ロックフェラーの死
ご存知の方も多いと思いますが、デイヴィッド・ロックフェラーさんが3月20日、亡くなられたそうです。デービッド・ロックフェラー氏が死去 101歳 産経新聞 3/21(火)1:08配信 米国の富豪ロックフェラー家の三代目当主で銀行家のデービッド・ロックフェラー氏が20日、米ニューヨークの自宅で死去した。101歳だった。死因は心不全。ロイター通信などが伝えた。 デイヴィッド・ロックフェラーさんというと、「陰謀論」の主人公ですね。陰謀論にもいろいろありますが。秘密結社でいえばフリーメーソン、イルミナティ。一族でいえば、ロスチャイルド、ロックフェラー。しかし、ロスチャイルドの場合、あまり「具体名」は出てきません。漠然と「ロスチャイルド【家】が世界を支配している」などと言います。一方、ロックフェラーの方は具体名が出てきます。そう、デイヴィッド・ロックフェラーが、「世界皇帝」である! と。 |
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デイヴィッド・ロックフェラーの経歴 デイヴィッド・ロックフェラーさん、どんな経歴なのでしょうか? 1915年6月12日生まれ。おじいさんは、スタンダード・オイル創業者で、「石油王」「世界一の金持ち」と言われたジョン・ロックフェラー。父親は、ジョン・ロックフェラー2世。デイヴィッドさんは、5男1女の末っ子でした。1936年、ハーバード大学卒業。その後、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)で修士号を取得。さらに、シカゴ大学で経済学博士号を取得。1946年、チェース・ナショナル銀行に就職。1969年~1981年、チェース・マンハッタン銀行・最高経営責任者(チェース・マンハッタン銀行は1955年、バンク・オブ・マンハッタンとチェース・ナショナル銀行が合併して誕生した。現在は、JPモルガン・チェース銀行)。 デイヴィッド・ロックフェラーは、銀行マンだった時代、世界中に人脈を構築していきました。また、世界の政治に深く関わってきた。たとえば、アメリカでもっとも影響力があるといわれるシンクタンク「外交問題評議会」。1949年、史上最年少34歳で、理事に選出された。1970年~1985年、議長。その後、名誉会長。1973年、ブレジンスキーと共に「三極委員会」を創った。世界の超エリートが年に一回集結する「ビルダーバーグ会議」に初回(1954年)から参加していた。これらは、全然秘密でも陰謀論でもなく、デイヴィッド・ロックフェラー自身が『ロックフェラー回顧録』で書いていることです。 もちろん、自分で自分の本を書けば、「美しく書く」に決まっていますが、知らない事実が後から後から出てきて、とても面白いです。是非ともご一読下さい。本当に興味深い本ですが、もっとも面白いのは、彼が「陰謀論者」への「反論」を書いている部分でしょう。引用してみます。
デイヴィッド・ロックフェラーは、「『一つの世界』をつくろうとしてきたし、そのことを誇りに思っている」と。 |
ロックフェラー陰謀論は下火になる
デイヴィッド・ロックフェラーさんが亡くなった。それで、これからは、「ロックフェラー家が世界を支配している」というような陰謀論は無くなっていくでしょう。デイヴィッドさんが亡くなった後、ロックフェラー家でもっとも力があるのは、ジェイ・ロックフェラー(=ジョン・ロックフェラー4世)です。彼は、ウェストバージニア州の上院議員。ジェイ・ロックフェラーは、デイヴィッド・ロックフェラーのお兄さん(長男)の子供。とても影響力のある人ですが、「世界皇帝」と呼ばれたデイヴィッドさんほどの力はありません。そして、ロックフェラー家は、「子だくさん」で、どんどん増えている。ジョン・ロックフェラー1世には5人子供がいた。デイヴィッドさんのお父さんジョン・ロックフェラー2世には、6人子供がいた。デイヴィッドさんにも、6人子供がいる。ジェイさんには、4人子供がいる。子だくさんは、めでたいことですが、別の言葉で「パワーの源泉」である「資産」が「分散していく」ということでもあります。そして、これだけ増えると、「ロックフェラー家が一体化して○○プロジェクトを行う」ということが、難しい。 |
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デイヴィッド・ロックフェラーと共に終わるのは… | |
デイヴィッド・ロックフェラーは、「回顧録」でこう書いています。
ところが、デイヴィッドさんが亡くなった時、アメリカ大統領は、「孤立主義者」のトランプさん。デイヴィッドさん、部下のキッシンジャーをトランプさんに派遣して、トランプ大統領を「承認した」という話があります。ホントかどうかわかりません。ホントだったとしても、「国際主義者」「グローバリスト」の彼がトランプを承認するのは、本意ではなかったことでしょう。デイヴィッドさんは、「一つの世界」を目指し、奔走してきた。しかし、その人生の終わりに、祖国アメリカは、「ナショナリズム」「孤立主義」「保護貿易主義」の大統領を選んだ。どんな気持ちだったのでしょうか? 101年生き、「世界皇帝」とも呼ばれたデイヴィッド・ロックフェラーさんが亡くなりました。「一つの時代が彼と共に終わった」と言えるかもしれません。彼と共に終わったのは……、アメリカの時代……? |
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