ユダヤ・サイドからのみの称賛
ADLはフグ計画を公にしたが、そのこと自体、特定の日本人を彼らの側に取り込む手段としている。フグ計画を「例外的な日本人の態度」の見本とすることにより、彼らはこれを日本人社会の中で鍵を握る人物を募る手段として利用している。そしてADLやADLをコントロールする人物たちに反対する人々に、彼らをして対抗させようとしているのである。
この種の工作がどのように行われたかを示す典型的な例は、故杉原千畝氏の場合である。氏は一九四○年、リトアニアのコヴノにあった日本領事館で働いていた。この人物はドイツ軍が電撃進行中のさなか、外務省に相談することなく個人的理由だけで通過ビザを発行して、五千人に上るリトアニアとポーランドにいたユダヤ人を救出した。ユダヤ人たちは鉄道で極東に向かい、神戸や中国の上海に住みついた。一九八五年一月、イスラエル政府は杉原氏を日本人の中では最初で唯一の「善き異邦人」だと認定した。
この後の章(第五章)で、ナチス・ドイツから逃れてきた難民の一部が、第二次世界大戦後のアジアでどういう活動を行い世界的な諜報網を作るようになったかを述べてみたい。モサド(イスラエル情報機関)の中で最も重要な人物の一人であるショール・アイゼンバーグは、日本で戦争中を生き延びたばかりか今日の世界的な経済情勢の中で、日本の敵の一人になった。そしてアメリカの情報当局が、これらの勢力とぐるになって日本の弱体化を図っているのである。