「語られないディズニー」考

 更新日/2017.2.27日

【ディズニーとハリウッド娯楽産業/今だかつて類を見ないサイズの詐欺の一つ ディズニー /「語られないディズニー(1)イルミナティ ディズニーのアジェンダ 」考】
 「★阿修羅♪ > マスコミ・電通批評15」のこーるてん氏の2017 年 2 月 26 日付投稿「語られないディズニー(1) (akazukinのブログ)」。
 http://ameblo.jp/ootadoragonsato/entry-10608585758.html
 2010-08-03 01:32:57   

 ウォルトディズニーの魔法の王国、サブリミナル(無意識)に作用するマインドコントロール、埋め込まれた性的な描写や悪魔崇拝的な描写は、隠そうとさえしていないように見える。ウォルトディズニーはスコティッシュライトの「33位階」のフリーメーソンである。ディズニーには「33メンバーズクラブ」という会員制のクラブがある。ここでは以下のサイトを参考に調べていきたい。

 参考サイト(原文)
*注 原文の中の著者とは「フリッツ スプリングマイヤー」

 http://www.theforbiddenknowledge.com/hardtruth/the_disney_bloodlinept1.htm

 参考ビデオ
 http://drfreemason.com/videos/child-mind-control/devil-inside-disney/

 イントロダクション

 長年、私は、多くのアメリカ人が、この国になにかものすごく問題があり、あらゆることが「だめになっていく」にもかかわらず、アメリカ人は「いったい何がそんなに悪いのか」を的確に指摘できないと言っているのを聞いてきました。ディズニーが関わるイルミナティのマインドコントロールの犠牲者からのレポートを受け取り始めていた頃、私は注意深く聞いていましたが、何らかの明確な証拠が欲しいと思っていました。その後私は調査を続けましたが、現在、ディズニー(人、映画、およびエンターテインメントパークなど)が非常に巧妙に構築され調整されている間は、ディズニーがアメリカの終焉への主要原因であるという私の結論に疑う余地はありません。本章では、あなたは、ディズニーがなぜイルミナティの最大の詐欺の1つであるかを学ぶでしょう。 (中略)

 ウォルトディズニーは道徳的にクリーンなイメージを保つために、スタジオには非常に厳しい規則があった。それは異常とも思われるような潔癖さであった。たとえば、男性社員が女性を好色な視線で見たと思われた場合や、悪態をつくときに使う言語などを使った場合は即、首になったのである。社員にはスタジオでのアルコールを飲む事は厳しく禁じられていたが、ウォルトは自室で大量に酒を飲んでいたという。また本人は口髭をしていたが社員には髭をはやす事を許さなかったなどはほんの一例である。ディズニーは公共ではこのような法的な道徳感、清潔さ、品行等を重視しているよう見せたが、その背後には多くの罪悪感と高いレベルでの悪魔的儀式を見いだす事が出来る。例えば、ヒットラー(彼は失敗した芸術家であり、人々より機械的なものが好きであった)は、罪悪感から1日に何回も取りつかれたように手を洗った。そして、ウォルト・ディズニーも一時間に何度も取り付かれたように手を洗ったという。そしてウォルトは人々より動物と彼の列車が好きだった。あらゆる細部に細心な注意を払う高級レストランの多くが、エリートのマインドコントロールと犯罪活動で結びつく事をこの著者は発見した。汚れた金はきらめくように清潔で美しく見える場所で取引されるものだ。

 今日ウォルトディズニースタジオが維持している多数のイルミナティの家、レストラン、ワイン醸造所、および他の団体がある。ディズニーは、世界一大きいメディアの大エンターテイメント会社になるように上昇して、トップ500の会社におけるNo.48であるとフォーブズ500によって格付けされた。

 ロナルド・レーガンはウォルト・ディズニーの友人だった。両方とも高い幹部のフリーメーソンで社会主義のバックグラウンドから来ている。(ロナルドの母親はエレノア・ルーズベルトの親友、ウォルトの父は社会主義のリーダーであった)FBIの通報者から報酬を得ていた、そして、両方とも重度にマインドコントロールされた奴隷の乱用にかかわっていた。ウォルトはレーガンの政治活動を助け、またレーガンもウォルトのためにカリフォルニアの知事として政治的便宜をした。例えば、ディズニーのMineral Kingの山岳リゾート地はSequoia Natへのアクセスルートが必要だった。当時は 最後のあか杉を守るための保存を訴える多くの議会圧力があったが、 知事のレーガンは友人ディズニーの為に道路を通過させた。レーガンは1990年7月17日のディズニーの開幕式の司会者をした。彼はイルミナティのTVホストであるArt Linkletterと35周年記念の為に戻った。レーガンもArt Linkletterも共にディズニーの宣伝のために働いた。ディズニーと共に時間を過ごした別の奴隷の虐待者は、ボブ・ホープだった。彼等はゴルフコースでも一緒に過ごしていた。開幕日の放映のときに、カメラはサミー・デイヴィス、Jr.(魔王の教会のメンバー)、およびフランク・シナトラ(マインドコントロール奴隷の操作者)が小型のDisney earsの車?をAutopia rideに運転してして来るのを映した。

 ディズニーが1991年5月20日の2時間の特別番組で50年-記念日を祝ったとき、プログラムは、オカルト信仰者ビル・キャンベルのような人々を含めて、「ディズニーのベスト、50年の魔法」とタイトルされた。

 1996年の10月、ディズニーワールドのシルバー記念日には15ヶ月に及ぶ祝賀を開くのを助けるためにクリントンが招待された。その祝賀のテーマは「魔法を忘れないで」であった。少年少女のクラブは ‘When you wish upon a star’ を歌った。(人気があるプログラミングの歌) ヒラリー・ロダム・クリントン(彼女自身イルミナティのGrand Dameでマインドコントロールプログラマー)は、彼女とビルクリントンが「4歳だった娘チェルシーを最初にマジックの王国に連れて来た」と聴衆に語った。

 ロイ・E.ディズニー(ウォルトの甥)は、ディズニーワールドとは「夢を持ち続け、決してそれを放さない男女のストーリーである」と宣言した。それには二重の意味があった。 トラウマベースのマインドコントロールされた多くの犠牲者は、彼らの心に、ディズニーによって秘かにプログラムされた幻想を持ち続けるので、その幻想、夢を決して放さないのだ。

 その他ディズニーランドへの訪問者はアイゼンハワーからクリントンまで、全てのアメリカ大統領であり、多くの国王、女王たち、日本の明仁天皇、アンワルサダト、ロバートケネディ、イルミナティのデンマーク、ベルギー国王、インドネシアの独裁者、イランのリーダーなど多くが訪れた。

 何年間も活発に新世界秩序のために働き貢献した組織が、早い時期のウォルトに大きな賞を与えた。若い頃ユダヤ人文化促進協会などもウォルトに大きい賞を与えた、B’nai B’rith(Man of the Year Award)、1936年に商工会議所からも賞を与えられた。(Outstanding Young Man)エスタブリッシュのエール大学とハーバード大学も名誉学位を彼に与えた。 ウォルトディズニーの自伝を書いたレオナルド・モーズリーは、長年ウォルト・ディズニーについて研究したが、(ディポン、ダレス兄弟、および昭和天皇などについても書いた)彼は本でウォルトについてこう書いた。「よくあるように、フィルムの植民地(ハリウッド)でのスタジオの宣伝マシーンによる、英国の新聞に強力な影響力を持つライターである私を説得する方法は度を越えていた。そこは法のない神と女神の都市だった、そしてクリーンで殺菌されたようなスターでいっぱいだった」。

 さらに脱臭されたようなウォルトディズニースタジオの宣伝マンは、彼のボスは完璧に欠点がなく、酒を多く飲んだ事もなく、ののしりの言葉を使う事もなく、決して短気を起こさず、決して妻や家族と言い争いをせず、決して友を失望させないと主張した。そして、悲哀は反対の事を示唆した者にはだれでも起りうる。あえてウォルト・ディズニーが横暴で、執念深く、情け容赦ないかもしれないと推論する記事を書いたなら、(例えば、1941年のスタジオストライキとその前後)、海外や、ローカルのプレスのメンバーは彼らの仕事を危険にさらした。

 ディズニーは編集者や、その媒体の所有者、宣伝広告のページなどで、ウォルトの「きれいによく洗われた(磨かれた)完璧な優しさをもつ典型的な人物」というイメージに反対を示したなら、重い圧力をかける事ができた。(Mosley, Leonard. Disney’s World. New York: Stein & Day, p. 10.) ディズニーとはイメージを創造するというイルミナティ能力の典型だった。彼等はウォルト・ディズニー、ディズニー映画、およびディズニーのアミューズメントパークなどの偉大なイメージを作り上げた。これらのものは時には過大評価されてきた。そして他の部分、不吉な側はとても巧妙に隠されてきた。

 ディズニーは典型的なハリウッドの淫らさ、セックスと暴力を含む映画を作るために、ディズニーが運営する子会社を作るという、ちょっとした手を使った。それは、彼等に良いイメージを保たせる事が出来た。何年も秘密裏にエリートたちのためにハードコアポルノを製作していたという事はけっして知られる事はなかった。ディズニーの良いイメージの裏には偽りのハードポルノ、スナッフフィルム、白人の奴隷売買、イルミナティのマインドコントロール、何世代にも及ぶ魔術への誘惑などがある。

 ディズニーの兄弟たちのようにアメリカを魔法に売った者は他にいない。次から次の映画で、非常に賢くアメリカ人の考えの中にオカルトを縦糸と横糸を織るように浸透させていく。それは全て娯楽という偽りの姿をとって。例えば、人肉風習を私たちにもたらし、それが「人間の精神の勝利」と言ったのはディズニーだ。(食人をした飛行機の墜落事故の生存者を描いたディズニーの映画「Alive(生存)」に関するディズニーのTouchtone(タッチトーン) のプロデューサー、ロバート・ワッツからの直接引用文)

 エンターテインメントという変装による、人間の精神がどのように「勝利を収めていたか」を私たちに示している下では、彼らは絶妙な巧みさで人肉風習を促進したのだ。ミッキーマウスは"The Sorcerer’s Apprentice."「魔術師の見習い」で主役を演じる。 この作者が、「ディズニーの映画は健全でない」と示唆した時、多くのクリスチャンの両親たちがこの作者に腹を立てた。 ディズニー映画が健全であるというあてにならないイメージはイルミナティの詐欺的勝利だ。両親は、何が漫画に滑り込んであるかに気がつけばさぞ驚くだろう。 ディズニー「リトルマーメイド」では、城の一部分は男性器だ。 これらのイメージはサブリミナルメッセージの一例 一番下は「ライオンキング」
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 ディズニーはそれらの子会社によって製作された映画の販売促進、分配、および格付けに関し、邪悪さを秘めた秘密のやり方で働いている。 つづく [部分翻訳 そら]


【ディズニーとハリウッド娯楽産業/今だかつて類を見ないサイズの詐欺の一つ ディズニー /「語られないディズニー(2)無意識に忍び込むディズニーの洗脳 」考】
 「★阿修羅♪ > マスコミ・電通批評15」のこーるてん氏の2017 年 2 月 26 日付投稿「語られないディズニー(2) 」。
 2010-08-09 12:00:00  
 参考サイト(原文)
 http://www.theforbiddenknowledge.com/hardtruth/the_disney_bloodlinept1.htm

*注 原文の中の著者とは「フリッツ スプリングマイヤー」

 ロスはディズニーの子会社ハリウッドピクチャーズの映画「エヴィータ」を監督した。エヴィータの主役は「マテリアル・ガール」のマドンナである。実際のマドンナとはマインドコントロールされた奴隷であり、多数の地下ポルノと儀式ポルノ映画に関わっていた。(この著者は、最近住所を変えたポルノ産業のアンダーグラウンドのカタログを持っている。このカタログは、マドンナが本物の血の儀式を行っていると提供している。)
また、彼女はディズニーの映画「ディックトレーシー」の主演女優だった。この映画はマインドコントロールに使用されていたと報告されている。テレビのArsenio Hall showにゲストとして出演した時、マドンナ(分裂気味のように振る舞った)はショーの間、彼女のバフォメット(悪魔)のリングにキスするところをカメラに捉えられた。ディズニーは全ての子会社の製作した映画を管理している。エヴィータの場合、彼等は帽子やその他のアイテムをマーケティングしている。それはディズニーの数えきれない、消費者キャンペーンの一環だ。中略

 またマドンナはインタビューでは繰り返し、同性愛、同性結婚、シングル家族について語っている。ウォルトディズニーはヘビーメタルバンド"DANZIG"(歌の中に邪悪なテーマがある)によるアルバムをリリースする予定だと発表した。また、「ミッキーマウスがヘビーメタルになる」とも発表した。続いて「ディズニーアルバム、BLACK ACID DEVIL」 が1996年10月30日のハロウィーンの期間中に音楽市場でヒットするように調整した。ディズニーによると、この音楽には、どんな悪魔的な要素もないが、「暗く、ゴシック的で性的な」響きがあるという。Glenn Danzigは、彼が悪魔崇拝者であることを否定している。

 ロゴに見られる666
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 AN OVERVIEW 概観

 ディズニーランドとディズニーワールドは世界的に有名であり、アメリカの誇りである。しかしまたそれらは、イルミナティのために完璧にマインドコントロールされた奴隷を創造する、非常に重要なプログラミングセンターだ。 そして、ディズニーランドは儀式、ポルノ、および他の悪魔的な活動に場所を提供する事に関わっている。ディズニー映画と遊園地は最も大きな詐欺の一つである。

 イルミナティのマインドコントロールを解かれた元奴隷は、1960年、イルミナティは彼等のプログラミングを軍事基地から移行させる必要があったと語る。なぜなら、過剰な発覚があったためという。彼等の目標は、世界中からのどのような人々からも、なんら疑惑も抱かせず、また彼らの犯罪活動の多くを完全に覆い隠す事が出来る場所を持つことだった。証人によると、イルミナティによる犯罪活動のベースとしてディズニーランドを使用する事は、イルミナティのプログラマーに大笑いをさせていた。世界を楽しませるという偽装の裏で、彼等はマネー洗浄、児童労働虐待洗浄、およびマインドコントロールが行われた。彼等はディズニーランドに「マインドコントロールの小さいシンジケート」とあだ名を付けた。

 3、4歳の子供を誘拐すると、彼らは子供を拷問し、その後、彼の痛みから記憶を分離させるために、回転木馬などに乗せたり、また、何らかのおとぎ話のようなプログラミングスクリプトを聞かせたりした。誘拐された子供が、親ではなくイルミナティの1人の世話人から拾われるのを待つ間、誘拐された子供はゆったり過ごして、幸福でそらされるようにする事が出来た。

 長年、ディズニーランドはイルミナティの世界的な活動のための中心だった。 今、ディズニーは新たにパリから20マイル東にあるユーロディズニーランドや東京ディズニーランドなど、世界中に作られている。東京ディズニーランドには1991年に1600万人が訪れた。そのような大群衆は、イルミナティがまさしく人々の目の前で卑劣な犯罪活動をしているなどとは想像する事も出来ない。そしてすべての活動の最中でさえ公衆はそれを決して感知しない。

 トップレスのヌードが窓の中に見られる、性的なサブリミナルメッセージの例
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 ユーロディズニーランドは利益を失っているが、マインドコントロールで利益を得るサウジアラビア人によって報酬を受けている。ウォルトディズニーレコードは世界の最も大きい子供のレコード会社だ。 それらの映画、本、おもちゃ、記録などを通したディズニーは世界中の子供たちに物凄い影響を与えた。

 Witches Mountainは今まで作られた中で最強な魔法販売促進の1つだった。 ダックテールは作為的に支配者のマインドコントロールの引き金をスクリプトに書かせたものだ。それはポーランドとおよび前のソ連にも放映された。

 神秘宗教とヨーロッパの貴族を支配してきた、寡頭政治のリーダーシップであったローマ帝国(少なくとも、または以前)の時代から、彼等はパンとサーカスについて知っていた。「パンとサーカス」とは大衆に食料と娯楽を与えていれば、大衆は簡単にコントロール出来るという考えだ。ウォルトディズニーはイルミナティの支配を保つために大衆に娯楽を供給するという重要な役割を与えられた。

 ウォルトディズニーの友人でフリーメーソンの予言者H.G.ウェルズは、彼の本”A Modem Utopia”モダンユートピアの中でニューワールドオーダー、新世界秩序の中で多くのショーが見られるだろうと書いた。1993年、World Future Societyは彼等の出版物"Future Survey Annual"の書評で、(ed. Michael Marien, Bethesda, MD: World Future Soc., p. 91) ディズニーについて説明した。「エンターテインメントなどの商品のコントロールと商品へのアクセスは人々をコントロールするという事と同じになる」 。ポストモダンのアメリカは見放された商品(生産物)の大規模なラッシュであり、それらは私たちの注意を引くことを常に求めている。商品の世界は私たちそのものであり、エンターテイメントとは、「大衆が語ることのすべて」の現在の形なのである。ウォルトディズニーワールドは中央のフロリダ湿地帯と低木森林の2万7400エーカー以上に広がり、アメリカにとってイデオロギー上最も重要な土地である。

 ここでいったい何が起こっているのかというと、それはアメリカのやり方の典型である。1年あたり3000万人以上によって訪問され、米国の主要な中産階級の巡礼の旅のセンターとしてだけではなく、世界一断然に重要なエンターテインメントセンターでもあるのだ。それは明らかにOzなのだ。マーケティング装置としての「ユートピア」である。遊園地と人気があるディズニーフィルムの創造の中心にいたのは、2人のディズニー兄弟のウォルト(ウォルター・エリアス)とロイ ディズニーだ。より最近の時代に、他の2人の男性、アイスナー、およびKatzenbergがディズニーで注目に値する。 後でアイスナー、Katzenberg、および他のものについて議論する。

 少年に危害を加えて、性的な虐待を撮影した、ディズニーのディレクターのひとりVictor Salvaビクターサルバは有罪と宣告された。最近、ディズニーディレクターのサルバは、ディズニー映画「Powderパウダー」を制作した。(ビクターサルバの性的な虐待の有罪判決はLAタイムズのロバートW.Welkosなどの新聞記事で隠されていた、The Oregonian,1995年10月25日水曜日などの新聞)ディズニー兄弟への衝撃はとてつもなかった。

 ミッキーマウスのTシャツを世界中の人々が着ているのが見られる。ディズニーワールドとディズニーランドは世界中の大多数の人々が訪れたい場所なのだ。しばしば彼等は遊園地(に訪れる事が)が彼等の人生のハイライトだして尊重する。

 そこで何が人々の中で高く尊重されるかというと、神の言葉から言えば、神への憎悪だ。聖書はこう警告するが、悲しい事にこの著者の何年にも及ぶ調査によれば、ディズニーと人々が持つディズニーへの尊重は聖書の期待を弁護すると立証するとしている。言い換えれば、この記事の読者が、ディズニー兄弟と彼らの創造物の健全性の外観の後ろには、憎悪と世界が今まで見た事もないような最もグロテスクな、何代にも及ぶオカルト信仰の局面を見るだろう。

 ディズニーのマジックキングダム、魔法の王国は揺りかごから墓場まで世界中の人々に影響を与えるアメリカのインスティチュートになった。

 WHO WAS WALT DISNEY?  ディズニーとは誰か?

 The Art of Walt Disney from Mickey Mouse to the Magic Kingdom by Christopher Finch (N.Y.: HarryN. Abrams, 1975) という大書のP11には興味深くかつ何かを明らかにする事が書いてある。ディズニーは誰もが知っているような有名人であるが、にもかかわらず、何人かのディズニーの近くにいる人々にしたインタビューの後でさえ、「だれも本当に彼を知らなかった」という結論から逃れる事は不可能だった。まさしく計り知れない彼の人柄の何らかの局面がいつもあった。あまりに密接にウォルトと知り合った人からは、彼が「自己満足で、手に負えなく、横柄であった」と苦情がある。彼はスタジオアーティストを一瞬で泣かせたり怒らせたりする事が出来た。ディズニーの公共のイメージが偽物であると彼の読者に警告したライターはFinchだけではない。中略

 (Mosley. Disney’s World, pg. 9) Mosleyによれば、「ディズニーのパブリシストによって作成された神話の多くが、不愉快で、信じられなく、不十分であり、多くのディズニーの神話は故意にディズニーの本当の姿を隠してきた」、「もし世界がウォルト・ディズニーのイメージの表面の下にあった本当の姿を見る事が出来る目をもっていたなら、彼にタールを塗り羽毛で覆って、通りを引きずり回しただろう」と、イルミナティのグランドマスターのプログラマーの一人は述べた。 「もし人々がディズニーの真のゴール(目標)がなんであったかを知ることが出来たならば」。

 PERSONAL DETAILS 個人的な詳細

 ウォルトはアーティストにどうミッキーマウスの特徴を描くかの手掛かりとして、彼自身の顔の表情を見せてヒントを与えた。高級なスコッチウイスキーが好きで、一日で70本のたばこを吸った。軍隊にいた時喫煙の習慣を得たのだった。夕焼けを見る事や馬が好きだった。彼はSmoke Tree Ranchと呼ばれるパーム・スプリングズ(カリフォルニア)に別荘を持っていた。 彼はボブ・ホープとエド・サリバンと共にST Ranchでよくゴルフをした。 彼の家はHolmby Hillsだった。 その地所は多くの金持ちの芸能一家が住んでいた地域に位置した。 それはBel-Air(オカルトの単語で魔王のこと)とビバリーヒルズの間に位置した。

 ウォルトはディズニースタジオで幾晩も過ごした、そして、後にディズニーランドの中心に彼自身の個室を持った。 不眠症であった彼は、 (神経と不眠のために、彼はアルコールと精神安定剤を取っていた) Holmby Hills の家には帰らず、彼の家族を見ずに過ごす事が続いていた。異なった期間のスタッフによるスタジオの主な話題は、ウォルトの特異な行動だった--ウォルトがスタジオに現れるのは遅い午後で、彼が毎日、メインテナンスの技師とおしゃべりしているらしい地下の迷宮のトンネルから現れるまでは捕まえる事が出来なかった。

 彼が死んだ時の、彼の地所の値は3500万ドルで、彼の妻リリアンが半分引き継いだ。ディズニーが晩年に休暇を取ったとき、パリに3週間、AntibesではHotel du Capに3週間、ロンとダイアナディズニーと共に、Fritz Loew’s のヨットで過ごした。イギリスでは、イギリスのロイヤル家族と時間を過ごし、フリーメーソンの予言者H.G.ウェルズとはプラーベートで会った。ローマでは、ウォルトが法王と独裁者のムッソリーニにもプライベートで面会した。1966年にウォルト・ディズニーは死んだが、彼の生前、彼はcryogenesis(冷凍保存?)を調査した。彼の身体がカリフォルニアのどこかで凍っていると、ある人々には信じられているが、彼が火葬にされたと主張する人々もいる。 [翻訳 そら]

参考サイト

http://www.youtube.com/watch?v=ykhMA3J7tqw

http://www.texemarrs.com/122000/witin.htm

http://ja.wikipedia.org/wiki/クー・クラックス・クラン

http://www.youtube.com/watch?v=84XXoatW1ic&NR=1&feature=fvwp

http://www.youtube.com/watch?v=vR7StVpaZPw

ミッキーマウスのとんがった帽子とKKKの衣装との類似性

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ハリーポッターの"SS"、ヒットラーが使用した
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【ディズニーとハリウッド娯楽産業/今だかつて類を見ないサイズの詐欺の一つ ディズニー /「語られないディズニー(3)無意識に忍び込むディズニーの洗脳 」考】
 「★阿修羅♪ > マスコミ・電通批評15」のこーるてん氏の2017 年 2 月 26 日付投稿「 語られないディズニー(3) 」。
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 2010-08-14 12:09:45 

 参考サイト(原文)
 http://www.theforbiddenknowledge.com/hardtruth/the_disney_bloodlinept1.htm

 *注 原文の中の著者とは「フリッツ スプリングマイヤー」

 MICKEY MOUSE ミッキーマウス

 一つの情報筋によると、ミッキーマウスのアイデアがどこから来たのかはかなり多くの説があるが、ウォルトが失業していた時に溝にいたネズミを見たことが、彼にミッキーマウスを作るインスピレーションを与えたらしい。Ub Iwerksは、彼がハリウッドでのアニメーターのミーティングでミッキーを考え出したと主張した。(biographical article written by Elting E. Morison, p. 131)の中でウォルトは、「私の中にいっぱいネズミがいる」言った。実際、Ub Iwerksはウォルトに対しミッキーマウスが「本当にあなたと同じ鼻で、同じ顔、同じほおひげ、同じジェスチャー、表現などがそっくりだ」と言った。「彼が現在必要とするのはあなたの声だけだ」。

 1988年にウォルトディズニー社で出版された本は、ウォルト ディズニーが、「全く率直に言って、私は人々より動物を好む」とWard Kimballに言ったのを明らかにしている。 通常、ウォルトはミッキーマウスの声としてしばしば登場していた。(彼は芸術家ではなかったが)  彼の母親は ウォルトの仕事に寒気を感じていた。1940年頃、幾度もの懇願の後に、彼は母親にミッキーマウスを見させた。彼の支援的でない母親は(血の繋がりのない)彼にミッキーマウスの声が好きでないと言った。それについて、ウォルトはそれは自分の声だと言うと、彼女は「ひどい声だ」と返事をした。彼女がミッキーマウスに投げた「冷たいタオル」は、ウォルトにミッキーマウスの漫画を作るのを止めさせるようにさせたので、その後に出たものはあまり多くない。ディズニーから出たフルレングスのミッキーマウスの漫画はファンタジアで、ミッキーはほとんど音声なしになった。The Sorcerer’s Apprentice のアイデアのいくつかはウォルト自身のものだった。

 The Sorcerer’s Apprentice の中でミッキーマウスに「地球とその他の要素の完全なコントロール」をさせる事は彼の夢だった。ディズニーランドとディズニーワールドはコントロールという夢のための、部分的な実現だった。ウォルトの死ぬ直前の最後のプロジェクトは、几帳面に復元された魔法のフィルムのバージョンで、,,Bedknobs and Broomsticks." ベッドかざりとほうきだった。(Disney Magazine, Winter 96-97, pub. by Disney, p. 96 mentions this.)

 これはプログラミングの装置だった。潜在意識で女性がもつネズミへの遺伝学的に伝えられた恐怖をコントロールするのにミッキーマウスはよく作用した。ミッキーマウスが持つイメージは愛憎の関係を作り上げることを助け、それはマインドコントロールされた奴隷の「トラウマとプログラミング」ために非常に価値があった。

 ある筋によればウォルトの動物への愛はミゾーリのMarcelineの側に家族が農場を持っていた事によるという。彼はMarcelineで学校に行き始めたが、8歳の時から、カンザスのベントンスクールに行った。彼の父は重度のギャンブル癖があり、それはウォルトにも伝わった。ウォルトは高校を卒業しなかったが、アートへの自然な愛と能力があった。しかしそれは(公共のイメージとは裏腹に)彼を芸術に堪能には決してさせなかったが。

 第一次世界大戦の時、年齢を偽って救急車の運転手として軍に参加した。戦争の間、高官のお抱え運転手にもなった。またその間彼は非常に意義深いある事をした。彼は軍にいる間、ギャンブルと酒を楽しんだ。戦場で拾われたドイツ兵の私物を人々に売るという詐欺もした。戦争遺物は、それらから得られる可能な限りの金を得るためにいじり回された。

 ウォルトが得た勝利品、ーー例えば、ヘルメットの内部をグリース、髪、および血液でコーティングして、穴を開けたりして、それらを飾り立て、高価な記念品にそれらを見せかけたりした。これはウォルトがお金が支払われるためなら、進んで幻想を作り上げても良いと思っていたことの現れだ。彼はもし彼が利益と思うなら、人を欺く事も出来たという事だ。

 子供の時から彼は人生の闇の部分を見ていた。(例えば、彼の父は地下室で彼を殴る習慣があったなど)そして、魔術に興味を持っていた。ボブ トーマスは、「ウォルトは、彼の両親をだますという少年的な喜びを持っていた」、 「彼は手品に心を奪われた」と書いている。ーー(Walt Disney, An American Original, p. 35.)

 軍隊の後、ウォルトはアーティストとしてのキャリアを持つ事を望み、Pesman-Rubinの広告代理店に応募した。この代理店の銀行口座の仕事をしていた、ウォルトの兄弟のRoy,ロイは、彼のおかげでPesman-Rubinはウォルトを雇ったと主張している。広告代理店が彼の能力不足のため彼を解雇するのに1ヶ月かかった。

 Current Biography 1952によると、1923年、ウォルトとロイは合わせて290ドル持っていた。ロバート ディズニーという彼らのおじのひとりから500ドルを借りて、漫画を作ろうとし始めた。カリフォルニアのEdendaleという地域で成功していた採掘のキャリアを退職したロバートはウォルトの父親エリアスの近くにいつもいて、ウォルトとロイを助けた。ウォルトはチャーリーチャップリン(Collins一族の一人)を勉強するのに熱中した。

*コリンズ家については「イルミナティ悪魔の13血流」フリッツ スプリングマイヤー著、太田龍監訳 参照

 彼はチャップリンのボディランゲージ、顔の表情、ギャグの方法など走り書きした。また彼はアニメーションや漫画に関して読めるものは全て読んだ。仕事場は彼等のハリウッドの叔父の家の車庫であった。1928年、彼等はついにSteamboat Willie、スチームボートウィリーという良い漫画を作る事が出来た。それはすぐにヒットした。多くの出来事が人生にあるように、漫画だけが良かったのではなく、結局ウォルトに正しいコネクションがあったということだ。1928年の11月18日、「スチームボートウィリー」は全くの宣伝や広告なしで、小さな町の個人経営の劇場で上映された。しかし驚いた事に!、New York TimesやVarietyそして Exhibitor’s Heraldなどが翌日のマンガレビューで書き立てた。これは偶然だろうか? これらの名門の定期刊行物のジャーナリスト達が、ただたまたまこの小さい独立している劇場にいたのだろうか?否、それはコネクションだった。

 ディズニーがハリウッドの最新の"boy wonder"として、スチームボートウィリーを出した後、エリートたちがウォルトディズニーを昇進させると決断した理由は、株式市場の崩壊で、ユダヤ人の金融家に対して発生した莫大な批判から向きをそらすことだった。

 ハリウッドが発生した最初の20年間でさえ、ハリウッドはすでに「バビロン」とか「Sin City 罪深い都市」として知られていた。映画産業はユダヤ人によって経営されているという事はとても広く知られている事だった。そして、多くの人々が株式市場の崩壊をハリウッドがこの国に注入した道徳の退廃のせいにした。政府に対してハリウッドの淫らな映画を止めさせるようにと抗議の声が上がっていた。

 ロサンゼルスのユダヤ人文化促進協会の一部であった主要な映画制作会社の精神的指導者、エドガーマグニン(Edgar Magnin)はクリスチャンの「家族重視の価値観をもっている白馬の騎士」としてウォルト・ディズニーを導入し注目させることによって、我が身をかばう必要があったMishpuckaと他のユダヤ人文化促進協会映画制作会社を勇気づけた。(ところで、エドガーマグニンは「星(スター)のラビ」とあだ名されていた。なぜなら「ハリウッドラビ」であったからだ)

 エドガー マグニンの祖父の百貨店チェーンはイタリア銀行の最初の主要なアカウントの1つだった、そして、エドガーマグニンは彼の家族とイタリア銀行との近い関係を保った。 この親密さはイタリア銀行とユダヤ人文化促進協会とADLの親密な関わりから来る。

 1930年に、映画産業は、映画を子供にとって適切にするための特別な努力をしなければならないと述べた生産コードを作った。ハリウッドは映画産業がしたがっていたことに関する模範的モデルとして掛け値なしにディズニーを称賛した。ユダヤ人文化促進協会とADLの後ろ盾で、ウォルトは名声に向けて出帆し始めた。

 多くのセックスと暴力で汚れていたすべての映画撮影所は、ウォルトの清潔で健全な漫画を見せるために便乗した。ウォルトはアメリカ人が大恐慌のためにアメリカの品行について考えた後に、ハリウッドが必要としたフェイスリフトだった。通常の 多くの映画制作会社は道徳的な問題からかけ離れ、非常に腐敗していたのが、ウォルト・ディズニーは白も黒も知っていた。

 ユダヤの映画会社はキリスト教原理主義者として宣伝されていたウォルトを(ほとんど教会に足を踏み入れなかったフリーメーソンの”キリスト教徒”にもかかわらず)彼等の最高の希望として前面に押し出した。
(Walt Disney Hollywood’s Prince of Darkness, p. 50.) 奇妙な事に、伝記ではウォルトは1927年に、実際に図面を描くのをやめて、金の工面や漫画ビジネスの発展の方向へ完全に専念したと示している。ディズニーの漫画を作ったアーティストであるというウォルトディズニーの公共のイメージは間違っている。ディズニー兄弟は実際は多くのアーティストを雇い、彼等に仕事をさせた。もしウォルトが1927年に漫画を描く事を止めたのなら、彼等の市場で売れた最初の漫画は1928年なので、彼が実際に描いたのでない事は明白だ。彼自身の直感的な趣味に合うように仕事が行われているかどうかを、常に厳格に点検し、監督し続けた。

 実際にウォルトディズニーを成功させた天才漫画芸術家(アニメーター)は、ウォルトに何回も「世界一のアニメーターだ」と言わせた、Ub Iwerksだった。Ub Iwerksがウォルトのアイデアを現実にさせる事なしでは、ウォルトは決して有名になる事はなかっただろう。Ubは、線の感覚、ユーモアのセンス、忍耐、組織、およびウォルトが欲しかったものを察するすばらしい感覚を持っていた信じられない天才だった。 ウォルトは、彼を時には残酷に扱ったり、彼を遮ったり、だましたりした。そして彼への報酬は完全に正直であったとは言えなかった。それでもUbは数年間ウォルトのもとに滞在し、そしてウォルトを成功に導いた。(The books Disney’s World and Disney Animation: The Illusion of Life have information on the unheralded genius Ub Iwerks.)

 他の知られていない偉大なアーティストはフロイド Floyd Gottfredsonだ。Floyd Gottfredsonは1932年から1975年の10月まで全てのミッキーマウスを描いた。(ーーそれは45年半だ) Floyd Gottfredsonはモルモン教徒として1905年に駅で産まれ、ソルトレイクシティーから180マイルの小さなモルモン教徒の町、Siggurdで育った。1931年、フロイドが完全にミッキーマウスの描写をすることになるまで、彼はウォルトに何を描くべきか伺っていた。

 例えば、ウォルトがミッキーマウスが自殺する漫画シリーズを作ると主張した事はフロイドを当惑させた。彼は「冗談でしょう!」とウォルトに言った。しかし、ウォルトはその自殺のシリーズはおもしろいと思っていた。 何年もの間、ウォルトディズニー製品はフロイドの名前について決して言及しなかった。多くのファンがウォルト自身がミッキーマウスの漫画を描いていると信じているように導かれていた。(Walt Disney’s Mickey Mouse in Color. Ed. Bruce Hamilton, pub. The Walt Disney Co., 1988.) Fred Moore はプルートと他のキャラクター製作に関わった。プルートのアイデアはウォルトのものだったが、アイデアを実際の画像へと描いたのはNorm Fergusonの才能だった。ウォルトは彼のスタジオの仕事により、個人的に32のアカデミー賞を与えられた。ウォルトディズニーの有名なサインは実際には他の誰かがデザインしたもので、ウォルトへ教えられたものだ。(Schickel, Richard. The Disney Version: The Life, Time, Art and Commerce of Walt Disney. NY, 1968, p. 34.)

 ウォルトは粗雑なディズニーのサインしか書けなかったので、Bob Moore,を含む他の幾人かのアーティストをディズニーの宣伝アーティストとして派遣した。その後、ウォルトの度重なるサインの練習により、やっと宣伝でも使えるようになった。多くの人が彼に手紙で署名を頼んだが、実際にウォルトがしたものを受け取った人は、彼のスタッフがした偽物を受け取ったと思った。なぜならウォルトのサインが酷かったからである。見栄えの良いものの方が偽物だったのである。

 1940年にディズニーに加わったアーティストは、彼の最初の日にウォルトが彼に言ったことを思い出す。「あなたはここでは新しい、私はあなたにただ一つの事を理解してもらいたい。ここで何を売っているのかというと、ウォルトディズニーという名前だ。もしこのことを納得できて、いつも覚えていられるのなら、あなたは幸せだ。しかし、もしあなたが"Ken Anderson"というあなたの名前をどこかで見たいという考えが起こったら、ここから直ちに立ち去る事をお薦めする」。

 OCCULT PORN KING オカルトポルノの王

 ウォルトは虐待的な家庭環境でオカルトに魅惑されて育った。彼は漫画、自然、子供たちにも心を奪われた。彼は子供たちにアピールする上質な漫画についての直感的センス持っていた。ある時、シンジケートがウォルトに負債を負わせた。ある時点では彼は彼等のものだった。彼は彼等に借りがあり、それで彼等は彼を捕らえていた。秘密には、ウォルトはポルノ王になっていた。犠牲者は、彼がサディスト的であり、スナッフポルノ映画 (snuff porn films) を楽しんでいたと言っている。彼の子供への関心は愛他的とはほど遠かった。

 13番目のイルミナティの血統のハプスブルグはウィーンにセックスのサロン(客間)を持っていた。そこでは、フェリックス ザルテンFelix Saltenというポルノ写真家が働いていた。フェリックス ザルテンはバンビの本を書いた。(次に、バンビは、悪名高い共産主義ホイッテイカーチェンバースによって英語に翻訳された)エリートたちは今日の環境保護運動の元、ルーツを作り始めていた。この本はディズニーの好みにあった。なぜならディズニーは動物が人間より好きだったからだ。本の中では、飼いならされた動物は、人間を神とみなし、自由な野生の動物は人間をただ「彼」と呼び、悪魔とみなす。本は飼いならされた動物と野生の動物が、「人間が彼等に対し同じくらい確かに支配権をふるっている」と認識しているという事から始まる。最後では、悪質な動物は殺されるのに値し、人間も単純に動物と同じレベルであるという動物たちの考えを示す。

 ディズニーは漫画家たちに動物を「人間として」作らせるように命令した。「私は人々に動物を見ているという事を忘れてほしいのだ」。バンビはキリストのように動物たちが「王子」と拝めて、飼葉桶出生を受けるようになっていた。彼の性的な問題から、ウォルトは、1度に数時間続けて氷の中に彼の性器を凍らせて固めることを自分自身に許可した。(Elliot, Walt Disney Hollywood’s Dark Prince, p. 83.)

 子供たちにはウォルトを「ウォルトおじさん」と呼ぶように命令した。この例はMouseketeersより。

 マインドコントロールのプログラマーが、彼らの子供の犠牲者に「叔父」と呼ばれるのが伝統的にどのように好きであったかを知っている人々にとっては、「叔父」として知られていたウォルトの主張は不快だった。この著者が、ウォルトの隠されたサディスト的なポルノ王としての知られていない非公共生活に関する何人かのソースから学んだことから、彼の人生の他の部分に関する疑問が湧いて来た。

 例えば、ケネスアンガーの本、「ハリウッドバビロン」"Hollywood Babylon II, p. 192" では、「何人かのアニメーターが、ボスのウォルトディズニーが、少年と恋に落ちたように思えたと述べた。それには何らかの真実があるのかもしれない、、」ウォルトと恋に落ちた少年は1946年にディズニーと契約したボビー・ドリスコル Bobby Driscollという若くて小さな魅力的な少年俳優だった。彼は「南部の歌、Song of the South」「宝島」で演技した。ピーターパンの声も彼だった。

 ボビー・ドリスコルは、非常に知的で魅力的だった。 ディズニーは、彼を助けたのだろうか?それとも虐待したのだろうか? もしディズニーがそんなに発展した健全な雰囲気をもっていて、この子役が彼に全てを貢献したなら、なぜボビーは17歳の時にメタンフェタミン中毒者になり、たった数年後に死ななければならなかったのか?なぜ彼の才能と早期のキャリアは、彼の人生でなにか良い方向に彼を行かせなかったのか?

 ウォルトを個人的に知っていた人々は彼が解剖学の尻の部分に取り付かれていた事を学んだ。彼は彼のスタッフに頻繁に解剖学のこの部分に関する冗談を言って楽しんでいた。スタッフは漫画のスクリプトから彼の下品な臀部のジョークの多くを削除していた。

 エディターたちによって得た二つの例は小さい男の子がパジャマのボタンが出来ずに、彼のパジャマの尻当てを落とすというクリスマススペシャルで、彼の慎み深さを維持しようとする彼の問題が、漫画の中の連続するギャグになった。結局は、サンタがchamper potを彼に与える。2番目の例は、3匹の子豚でオオカミに使用される体罰の機械だ。 多数のディズニー漫画で、挑発的に引きつるキャラクターの臀部を特集している。

 参考サイト

 http://www.jordanmaxwell.com/articles/questions/questions7.html

 $akazukinのブログ
 Walt Disney visits with NASA head Werner Von Braun.
 ウォルトとNASAのヘッド、ナチの科学者だったWerner Von Braunと。
 http://ameblo.jp/ootadoragonsato/image-10619222906-10692796234.html
 http://ja.wikipedia.org/wiki/ヴェルナー・フォン・ブラウン

 [翻訳 そら]


【ディズニーとハリウッド娯楽産業/今だかつて類を見ないサイズの詐欺の一つ ディズニー /「語られないディズニー(4)不可解な歴史 」考】
 「★阿修羅♪ > マスコミ・電通批評15」のこーるてん氏の2017 年 3 月 01 日付投稿「 語られないディズニー(4) (akazukinのブログ)」。
 参考サイト(原文)
 http://www.theforbiddenknowledge.com/hardtruth/the_disney_bloodlinept1.htm

 *注 原文の中の著者とは「フリッツ スプリングマイヤー」

 AS A WITNESS BEFORE CONGRESS

 議会での目撃者として

 第二次世界大戦の後、強い共産主義の影響が見られたハリウッドを懸念していた国会議員によって行われた、Un-American hearings の傍聴のときにウォルトディズニーはハリウッドにより、彼等のディフェンスのため証言するように要請された。ウォルトはハリウッドは共産主義の影響はほとんどないと議会で証言した。しかし面白い事に、 ウォルトの父親は、社会主義の新世界秩序を支持した合衆国の強力な社会党のリーダーだった。彼は定期的に社会主義の大統領候補者ユージン・デブスEugene Debsに投票した。ウォルトが少年の時に最初に描いた絵の1つは、父親が取り寄せていた、社会主義の定期刊行誌"Appeal to Reason" で見つけた社会主義の政治マンガをコピーすることだった。

 参考サイト
 http://en.wikipedia.org/wiki/Eugene_V._Debs

 ウォルトが、1930年代に彼の父親が社会主義の成功に関してどのように感じたかを尋ねたとき、「早い時期から、私が苦労して戦って得た事は、両方の大政党の中に吸収された。今、私はそれに関してかなり良い気分でいるよ」と、彼の父親エリアスは言った。(Thomas, Bob. Walt Disney, An American Original, pg. 147-148) ウォルトの映画、 Alice’s Egg Plant(1925)は、赤い雌鳥(共産主義者)が労働者のニワトリ達を率いて、農場経営者のジュリアス(シーザー、資本家)に対して対抗するという、純粋な共産主義の教義についての話だった。

 1940年のディズニーのストライキ、労働組合化は、共産主義へ傾斜したウォルトを気難しくさせた。
ウォルトはディズニーの労働者たちによる公的なウォルトへの言葉による個人的な攻撃と、彼への屈辱を決して許さなかった。

 ウォルトが公共で見せる共産主義への嫌悪にもかかわらず、彼のマジック帝国(ウォルトが王であった彼の城)はNWO(ニューワールドオーダー、新世界秩序)が計画していることとよく似て、社会主義の独裁のように経営されていた。

 ディズニーの従業員は皆タイトルを持っていなかった。 それは強力な独裁者であるディズニーがトップに君臨し、それ以下は全て顔のない人類平等主義だったからだ。また、それは人種的な精鋭主義だった。

 ウォルトの生涯で、ディズニーの唯一のアフリカ系アメリカ人の正規従業員は、靴の輝きの黒人男性だけだった。

 ウォルトは国家社会主義(ナチ)の社会主義者だったのだろうか? Arthur Babbittは「ウォルト・ディズニーとGunther Lessing ガンサー・レシグとをナチのミーティングで一回以上見かけた」、「それは他の多くのナチで悩んでいる顕著なハリウッドの人種と共に」とクレームした。「ディズニーは、絶えず、ミーティングに行っていた」。ガンサーレシグGunther Lessing はギャングのWillie Bioffの親友だった。 Bioffはギャングとしてハリウッドに来る以前は売春宿を経営していた。 ーー*Gunther Lessing ガンサー・レシグはディズニーのコーポレイト弁護士だった。

 参考サイト
 http://www.skewsme.com/nazi.html

 1940年6月19日のミッキーマウス漫画の最終的なパネルでは、卍が現れた。ある人々の疑問は、ディズニーの仕事の中の「秘密の合図」が何を意味しているのか?という事だ。

 ディズニーはイルミナティではなかった。力のあるエリートは独立的に裕福になり始めている個人と交際する事、そして彼等をコントロールする事においては非常に熟練している。例としては、彼らはロバート・モリス、米国独立戦争の偉大な金融家を滅ぼした。彼らはウォルト・ディズニーで単にヘーゲルの弁証法を使用した。彼等の労働組合とギャングはディズニーのスタジオを彼らの主要な目標の1つにした。ウォルトを共産主義者であると見なしていた組合から、我が身をかばうようにするために、ウォルトはFBIとギャングから助けを得た。ウォルトは組合から攻撃されやすかった、それは彼が労働者を長時間労働や、低賃金、繰り返し彼らの威厳を傷つけ、労働者をひどく扱ったからである。 ウォルトの多くの労働者たちは、彼等の何年にも及ぶ、創造的できつい仕事についても、どんなクレジットや評価を受け取る事は出来なかった。それらのきつい仕事は、本質的には盗まれて、ウォルトのイメージの設立に利用された。(誰かが何らかの不鮮明な例外を見つけるかもしれないので、私は「本質的には」と書きますが、全面的に、ウォルトのクリエイティブなスタッフが作り出した仕事の全てが、ウォルトのクレジットになったのです。)

 ウォルトは「偉大なアニメーター」という公共からの称賛を、自尊心の高揚のために必要としたのだろう。しかしその人々の賞賛はウォルトがスタッフから盗んだものであるのだが。なぜなら、彼は芸術家あるいは漫画家になりたかったのだが、失敗したからだ。賞賛は彼の傷を癒すのを助けた。

 あるスタッフは思い出して、こう語る。「ウォルトは、本当に図法に関する知識もなく、音楽に関する知識もなく、文学に関する知識もなく、何に関する知識でも全く持たなかった、でも彼は偉大なエディターだった。」
多分これは誇張ではないだろう。なぜならウォルトは高校を落第して、ミズーリ農場で貧困の中で成長したからだ。

 ウォルトが初めて映画を監督した公式の試み(そして最後の)は1935年のフィルムThe Golden Touchだった。 フィルムは困惑したものだった。 そのためウォルトは分配するのを打ち切らなければならなかった。もし、ウォルトがアニメーションの能力がなく、監督出来ないのなら、何が彼の才能だったのだろう?

 ウォルトは原動力、言わばディズニーの背後にある精神だった。 彼は彼の労働者から、彼等が与えることができると思っている能力(仕事)以上に要求する事が出来る独裁者だった。そして、それを得る事が出来た。中略

 彼は、自分が何が欲しいかをよく知っており、他人にそれをやらせることができる猛烈な天才だった。彼は衣装を着させられた衛生従業員の軍隊に几帳面にディズニーランドを掃除させる原動力だった。 平年の間、ウォルトは、ディズニーランドで80万の植物を取り替えさせて、植物を踏みにじらないように「お客様」(訪問者)に頼むサインを取り付けるのを拒否した。

 A possible CHRONOLOGY OF EVENTS surrounding WALT DISNEY'S ILLEGITIMATE BIRTH

 ウォルトディズニーの違法な出生にまつわる出来事についての可能な年表。

 ディズニーが私生児であったというのは疑いの余地はないが、しかしその事実は不可解な出来事の長いリストをもたらした。また、それは飢えた男達にウォルトディズニーをゆする格好の材料になった。 これらの「大きい少年」がディズニーを適切に利用するのにゆすりを使用したので、この情報は的を得ている。

 以下の年表はこの著者が信じている出来事であり、ほぼ確実に起こった事のようだ。遺伝子検査なしでは、ウォルトの実の親がだれであったかという疑いを払いのけ、ウォルトディズニーの本当の歴史はどうであったのかを決定するのは難しい。いくらかの人々は、彼の出生について、本当の事実を調査するのに何年も費やした。 多くのおもしろくてじれったい手がかりが見つけられた。この作者は、以下の年表が証拠によって示されると信じている。( 何百ページもの証拠なしでこの著者の年表を提供します、なぜなら人々がどんな言い訳をしてもウォルトディズニーの出生の秘密は疑いの余地はなく、この著者はこの章の本来の目的から外れたがっていないので。)

 これは、ウォルトディズニーは、私生児出生の秘密があったのを示している。それにはジョン.エドガー・フーバーJohn Edgar Hooverが関わり、および彼と彼の上司たちがウォルトディズニーをゆすったのだ。

 http://ja.wikipedia.org/wiki/ジョン・エドガー・フーヴァー

 $akazukinのブログ
 http://ameblo.jp/ootadoragonsato/image-10630039549-10713637512.html

 また、彼のギャンブル負債と異常な性欲が、わなにかけられるのを助けたかもしれない。より多くの証拠と事実が欲しい人は、こちらを推薦します。

 Almendros, Mojacar, Corner of Enchantment, p. 83; Interview magazine, no. 242, ""Walt Disney Was from Almeria"", and last but not least Eliot, Marc. Walt Disney, Hollywood’s Dark Prince, chapter 11.)

 1890年ーーマヨルカ(Mojacar)の魅力的なスペイン人女性、イザベルZamora Ascensloはカリフォルニアへ、続いてフランシスコ会の修道院へと旅に出た。同じ年、1890年の終わり頃、ウォルトの将来の父親エリアス(自分自身で女好きだと思っている)が、金鉱地で出世の道を求めて家を出た。 ここで他の新来者のイザベルと出会い、カリフォルニアの新来者によくある事で、二人は恋に落ち性的関係を持つ。

 1891年ーーエリアスは、財産を作れずシカゴに戻ったが、彼はイザベルを忘れなかった。

 1893年ーーイザベルとエリアスの間に男の子ができる。そして、エリアスは家族の評判と結婚が壊れるよりも、赤ん坊を自分たちの子として認めるように彼の妻を説得した。息子は最初の2人の少年に全く似ていなかった。

 1901年ーーイザベルとエリアスには、別の嫡出でない息子ができた。エリアスは、その子を連れて来て、彼が通う教会の牧師にちなんでその嫡出でない息子をウォルターと名付けた。

 2人の嫡出でない息子はエリアスのより年取った息子に似ていなかった。兄弟たちは決して多くの関係はなかったが、兄弟としてお互いに執着した。

 1903年ーーエリアスが通う教会の牧師が、私生児たちに関して気がついたのでエリアスはスキャンダルが秘密のままになるように、すばやく州から引っ越した。 また、エリアスにはギャンブル負債があった。

 1905年ーーミズーリ州のMarcelineに引っ越した後、イザベルは、疑いをかけられる事なく彼等の所へやってくる言い訳として、ディズニーのお手伝いとして雇われた。彼女は多分二人の男の子の世話し育てた。

 1918年ーージョン.エドガー・フーバーは第一次大戦での徴兵忌避者の起訴にかかわった状態で忙しかった。そして、それは軍人になるために彼の両親の署名を鍛造するという犯罪を犯すウォルトディズニーのケースと机上で交差していた。ウォルトのようなケースは注意が向けられた。なぜなら、将来ゆすることができる人々はフーバーにとって資産だからだ。その年、ウォルトは彼の出生証明書がない事に気がついた。ウォルトは出生証明書についてと、他の質問を両親にしたが、彼の両親のおかしな反応を見て、彼の父について深く疑いを持ち始めた。

 1938年11月ーーウォルトの母親はガスで死んで、ディズニーのお手伝いはエリアスを煙から引き離すが、ウォルトの母親は死亡した。

 1939-40年ーーフーバーは、もしウォルトがFBIで働くなら、ウォルトが彼の本当の両親の居場所を見つけるのを助けると提供する。フーバーは、ウォルトが私生児であることを既に知っていたか、またはすぐ調査から真実を学んだかどちらかだ。このことは、フーバーにウォルトディズニーをゆする力を与えた。そして、ウォルトをフーバーに忠誠にさせることができた。フーバーは、ウォルトディズニーに真実を知らせて、次に、気前よくディズニーと彼の父親の評判を保護するために動いた。2人のFBIの男がマヨルカ、スペインに1890年にイザベルに生まれたホセJose Guiraoと命名された子供、洗礼の情報を作り上げる。この日付は、ウォルトの生年月日から10年離れていて、それは人々を問題からそらすためだった。 彼らは1901年の記録にウォルトのためににせの出生証明書を偽造する事ができなかった。なぜなら皆が、第一次世界大戦からなにも存在しないのを知っていたからだ。それゆえ、彼らはウォルトのために1890年、イリノイ州記録ににせの出生証明書を作る。 彼らは、人々が、どういう訳かファイリング誤りが発生したと考えることを望んでいた。この方法が、もし何かが発覚して、最悪な事態が起きても、ウォルトは少なくとも彼が違法な私生児ではなく、養子であるというふりができたからだ。 彼らは、マヨルカの町民に特定の話をさせるために、彼等を買収した。 町民はたぶん支払いを受け取った。

 1941年ーーウォルトは彼の父親に真実を突きつけて、彼の父親は自殺した。そして彼の本当の母親は彼のお手伝いとして彼と同居するようになった。

 1954年ーーウォルトがスペインで生まれたという神話を補強するために、フランシスコ会修道士のグループは、Mojacarに行って、明らかにホセGuirao、そして/または、ウォルト・ディズニーの出生歴について問い合わせをした。彼らは、市長と時間を過ごして、皆がウォルトディズニーがホセと繋がることを確実にした。ホセは、FBIが記録を作成した架空(名目上の)の人物である。

 1967年ーーウォルトの死の1年後の1967年、大人数のアメリカ人が、(彼らが1940年の2人のFBIの男たちのように熟練していなかったので、大きいグループが必要だった)アメリカの政府のための「公式」のビジネスであるふりをして、ウォルトディズニーの財産へのスペイン人の主張者が全くいないのを保障するために、ホセGuiraoのすべての記録を破壊するためにスペインのマヨルカに行った。その後、この架空の物語がしっかりと保証され、ウォルトディズニーの秘密への疑いを持つかも知れない少数を欺くため、スペイン政府はある力を持った人々へのために協力し、ウォルトディズニーのスペインでの出生を調査させるために捜査官に資金援助した。 村の人々は、いかほどの恐怖も誇示もなしで、ウォルトディズニーが彼らの村で生まれたと人々に進んで言ったが、村はディズニーの出生場所に関するどんな記念碑も、印も、全く示したことがなかった。 村人の幾人かは、それが偽りであることをたぶん知っていたので、彼らはたぶん長年そういう事をしてこなかったのだろう。より歳をとった人々がいなくなり、偽りはたぶん真実としてより確立されるようになり、そして、たぶん、ウォルトディズニーへのある種のメモリアルが存在するようになるだろう。

 WALT DISNEY’S CHARACTER  ウォルトディズニーの性格

 なぜなら、ディズニーの詐欺が世界中の主要なイルミナティの詐欺であり、ウォルトディズニーがすべてのディズニーテーマパークや映画やその他の背後の主要な触媒だったので、彼の性格を調べる事は重要である。歴史上の人物を研究する際に、この著者はどん底の真実を得ようとした。どうしてそれが可能だったのか?、と聞く人がいるかもしれない。特に、彼等のメディアとエスタブリッシュメントによって、何十年もの間広められた神話があったのに?

 以下の手順はウォルトディズニーと他の歴史上の人物と一緒に行われた。この著者の手順の最初の部分は、他の著者がどんな偏見と有利な地位から来るのかを特別な注意を払いながら、一人の人間について見つけられる事全てを調査する事だった。また特別な注意はむしろ、お世辞を言ったり、神話や平凡な説を繰り返し伝えたりしている、認証されている伝記作者たちより、見つけられる真実の全てを伝えようと試みている別の伝記作者に払われた。研究者は他の伝記作者たちに注意深くなければならない、なぜなら彼等は序文で「自分は何のつながりもない研究者だ」と宣言し、「痛みを伴うほど、正直なレポートだ」言っておきながら、実際は彼等が書いている人物について非常に巧みに真実を覆い隠すからだ。中略

 この著者は、専門的に筆跡鑑定をした有資格の筆跡鑑定家である。 Graphoanalysis/筆跡学を使用するのは、歴史上の人物への公正で深い一見(理解)を得るすばらしい方法なのだ。それは、すべてのプロパガンダと神話を回避させる方法だ。しかしながら、歴史的な外観と様々な歴史上の人物の筆跡鑑定はいつもお互いにマッチした。それはこのケースについてもだった。 見つけられたものとは、 以下のパラグラフは1920年代に、ウォルトはどのようであったか、という事だ。ディズニープロダクションズの微細管理のプレッシャーと財政難の伴う生活のプレッシャーから、1940年代には、ウォルトは彼の妻を手荒く扱い、二人の子供たちにも手荒く尻をたたいていたという、激怒した状態であったとわかる。 彼はプレッシャーに対処するため精神医学のカウンセリングに行った。そして、残念ながら、時間の進行で、1960年代までには、ウォルトはサディスティックで利己的なアルコール中毒患者になってしまった。

 一人の伝記作者が彼についてこう説明した、「暴漢で知ったかぶりである」 (Disney’s World, p. 220)
その時でさえ、ウォルトは人々を彼のために働かせた、ウォルトを崇拝していたビルウォルシュ(子供の時は孤児であった)などのように。 しかし、1920年代に彼はどうであったかがわかる。ウォルトは絶えず商品の販路を探していたエネルギッシュで自己を動機づける人物だった。(人々は彼のこの特色に関して多くを書いた。) 人との付き合いで彼は受け取るより与える人だった。(最初の頃の数年間は、彼はビジネスの契約法を作るのに責任があった。彼はしばしば利益のための価格設定なしで彼の仕事を与えたりした。彼は彼のボスに手紙で最優先は利益ではなくて、良い漫画だと書いた。しかし彼は彼の仕事に感謝が欲しかったのだ。(それは彼の繊細な部分を見せていた)ウォルトは誰かのアイデアや、または誰かが実行するのを待たなかった。彼は最初にそこにいたのだ。彼は彼のアイデアと明快かつ容易に連絡する事が出来た。そしてアイデアからアイデアに動くことが出来た。(彼は、ディズニープロダクションに乱入して、彼のスタッフの耳に次から次へとアイデアと吹き込むだろう。) 彼は競争を楽しんでいた。 彼には、迅速な考えと鋭い直観力があった。 彼は頻繁にリスクを負って彼自身の安全を危険にさらして、直感と衝動にしたがって行動した。(彼は彼の貯蓄とかき集めることができるすべてを使用してプロジェクトのために賭けをした。)

 長いプロジェクトは彼を退屈させた。 (幸い、漫画の本当の忍耐のいる退屈な仕事はスタッフのアーティストたちによって行われた。) 家の雑事と、繰り返される雑用は彼を退屈させた、そして、彼はそれらを避けていた。 (独身時代、彼の家の周りは本当にだらしなかった。) 彼はあいまいな哲学には忍耐がなく、具体的な現実が好きだった。彼の人柄には遊び好きな面と、 (時に残酷な悪ふざけにも及ぶ)達成したいという攻撃的で偏狭なせっかちな面の両方があったので、彼とうまくやっていくのは難しかった。当然、ウォルトの周りの人々は、潜在意識のレベルでウォルトの性格のどちらの側面と対処するのか混乱させられた。 私たちはスタジオの周りで‘芸術'という単語を使用さえできなかった。(Current Biography "Disney" article p. 248 )「だれかが芸術家を気取るようになり始めるなら、それらを打ち倒す。」 中略

 彼は挑発されると爆発しそうだった。 (昔のスタッフは彼の爆発的気性を覚えている。)彼は、ダイナミックなエネルギーを持ち、好色で(感覚的で)、鋭い考えを持つ人物だった、そして快楽主義の使徒だった。なぜなら、彼の父親がとても虐待的であり、権威の地位を誤用したので、ウォルトは権威に対して根深い反抗的な状態で成長した。(彼のフィルムのテーマは繰り返して権威に反逆する人に同情して、警察と他の権威者はとんでもないものと一貫して示されている。 彼が示した一つの例として、活気があるダンスシーンで無責任を表現した。これは20世紀を通してティーンエイジャーの反逆の顕著な特徴になった)。

 ーー(*しかし彼自身が権力を振りかざす人間になったのだが。)

 (漫画の中のアナーキーは"Alice Rattled by Rats"で最高潮の表現に達成した。それは猫たちが逃げて行くとき、ネズミたちが同じ事をしたのだ。)ウォルトは「規則」とは彼以外の人々が従わなければならないものであると感じた。(これは彼が法律の外にはみ出し、不法な行為を犯した理由の一つである。)

 また、ウォルトは細かく監督されるのが好きではなかった。彼はまるでそれが彼自身の王国であるかのようにディズニーマジックの王国を管理したがっていた。彼は、権威者でありたかった、そして実際に彼のマジック王国の独裁者になった。ウォルトの従業員がウォルト自身の視点と異なっていた時は、彼等が個人としてウォルト自身の不可譲の権利を侵害したと感じた。) 彼はいくぶん鬱病的であり、人生をまだ楽しんでいる完璧主義者のタイプの人間だった。彼は他者との親密さに対して自分自身をかばう必要性を感じていた。彼はほとんどの時間は家で過ごすと決めていた。ウォルトには、幹部社員の特色があった。ウォルトは彼の最も奥深い気持ちを表に出すのが遅かったということであり、確実に彼自身の目標を設定していた。

 彼は事態が困難になると、耐え忍ぶタイプの人間だった。同様に彼の考えやプラン、および所有物にしがみつくタイプだった。(彼の兄弟、ロイがディズニーランドの創造を止めるのを許す事を頑固に拒否し続けた事は、兄弟を分かれさせた。成功しようとする彼の強い決意は、何らかの負債と共にウォルトををゆするのに暴力団によって利用された。ウォルトは彼の夢を得るためには、シンジケートが欲しかったものを進んで与えようと思っていた。)

 ウォルトの時には墓場のユーモアのセンスというような、ぞっとするようなユーモアのセンスや、他者が受けている痛みを見ていられる高い忍耐性は、医療従事者として働いていた第一次世界大戦が終わった後で、バルカンの戦いでボランティアが必要だった時、ウォルトはまた従事しようかと真剣に考えたという手がかりになる。

 ウォルトは人々より動物を愛していた。彼が農場で成長している間に心を通わせた関係を持っていた唯一の人間が彼のエドEdおじさん(彼がElfおじさんと呼んだ)だった。その叔父は小妖精とプルーン?との中間のような容姿だった。エドおじさんは動物の音声や鳥のさえずりをするのがうまく、ウォルトを喜ばせた。ウォルトは農場と自然の魅力をとても愛していた、そして、彼は王権と壮観、フリーメーソンが提供するような厳しい社会の階層制度を愛していた。

 彼はしばしば「納屋の前庭」に「王のパレード」と「他の王の衣装」と言う具合に、相反する組み合わせを使って織物を織るように物語を織った。 例えば、「アリスパイパー(Alice the Piper)」では王ハムリンHamlinは、農家で眠る農業者だった。 「長靴をはいた猫」では、地元の王はちぐはぐな村に建てられた正統の宮殿で生活していた。 彼の初期のフィルム、「Alice’s Day at Sea」では王立の法廷とアメリカのサーカスの両方の特徴を含ませた。 権威に対する典型的なディズニーの軽蔑で、彼はAlice & the Dog Catcher, Alice Foils the Pirates, Alice’s Mysterious Mysteryで犯罪友愛グループの儀式、パスワードを入れて、彼等をからかったりした。

 そして、秘密のFBIのエージェントでもあったウォルトは、フーバーの願望に反して、FBIの権威をからかった。 ウォルトは、彼が信じていたことに忠誠であり、彼の忠誠にふさわしいと考えたそれらの個人に忠誠であることはあっても、彼は、誰にも彼の上で権限をふるって欲しくなかった。(ウォルトは320フリーメーソンでオカルト信仰者であり、その哲学に忠誠であって、若い頃は父親的存在だった兄のロイ ディズニー Roy O. Disneyに忠誠だった。)

 スタジオの誰かが、ウォルトが兄のロイに怒っていた時、ウォルトに同意したなら、その人は、彼らの仕事を失う危険を冒した。両方の兄弟は、お互いに保護し合っていた、もう片方を批評できる唯一の人間は兄弟だけであると感じていた。[翻訳 そら]


【ディズニーとハリウッド娯楽産業/今だかつて類を見ないサイズの詐欺の一つ ディズニー /「
語られないディズニー(5)闇の紳士達」考】
 「★阿修羅♪ > マスコミ・電通批評15」のこーるてん氏の2017 年 3 月 02日付投稿「語られないディ
ズニー(5) (akazukinのブログ)
」。
 2010-09-03 11:15:52   

 参考サイト(原文) 
 http://www.theforbiddenknowledge.com/hardtruth/the_disney_bloodlinept1.htm

 *注 原文の中の著者とは「フリッツ スプリングマイヤー」

 WHO WAS ROY O. DISNEY? ロイ.O.ディズニー は誰だったのか?

 ロイ.O.ディズニーは1893年に、彼の兄弟ウォルトは1901年に生まれた。 他の3人の兄弟がいたが、ロイとウォルト(1901-1966)の二人は他の兄弟とは違い、非常に近い間柄だった。中略 ディズニー家はアイルランドからカナダにそして米国へ移住した。3人の兄弟の母はスコットランド系で結婚以前の名前はFlora Call、ウォルトとロイの実母ではないと思われる。ロイはウォルトディズニーワールドのオープニングセレモニーのすぐ後、1971年に亡くななった。中略

 1930年代、ロイは北ハリウッドに住んでいた。ロイの家族は後、イルミナティの中心人物たちに関係していた、ナパバレーNapa Valley, CA, に移った。Napa Valleyは「王の谷」と愛称で呼ばれていた。この「王の谷間、Napa Valley」は本章で明らかにされた汚れた活動で大きな役割を果たす。ロイはディズニースタジオで人々が思っている以上に大きい役割を果たした。 例えば、ウォルトの長年暖めてきた計画を映画館に分配できるように、ファンタジアから45分を切り取るという決定をしたのはロイだった。何人かのインサイダーによれば、 2人の兄弟のうちロイの方がより不吉であると考えられている。

 彼は何年間もにわたってディズニーの財政記録を管理した。1950年代の間、二重帳簿が付けられたのは承知のことだったので、どのようにディズニーに資金が運ばれたかという事について、ロイは完璧に知っている事だった、この理解なしに、何かを信じるの非常に難しい。「大きな少年たちは」(ゆすりをしていた連中)は常にウォルトとロイの財政を巻き上げていた。大きい少年たちは、それらのお金を取るためにしばしば詐欺を考えだした。ディズニー兄弟がハリーコーンHarry Cohnが経営するコロンビアスタジオとの契約があったとき、7,500ドルがそれぞれのアニメに先払いされたが、制作費に利益の出ない13,500ドルというコストがかかっていた。さらに、ハリーコーンは彼等にお金を送らなかったり、彼が支払うべきお金に対して、ばかばかしいほど長い時間をかけて送ったりしてだますのが好きだった。また、ディズニー兄弟の資金難は、技術を改良して、アップグレードさせ続けたいというウォルトの願望から来ていた。ウォルトがロイの反論に怒ったとき、ディズニーの利幅は破損し、そして、スタジオは現金不足に陥った。1937年、漫画制作上の繰り返されるウォルトのギャンブルは、ロイに「私たちはいまいましい賞金レースを掴まされた。」と言わせた。

 1940年から1946年まで、ディズニーは、毎年お金を失った。46年には2万3000ドルを失った。 やっと1947年には、いろいろなことが回り始め、ディズニースタジオは$265,000の利益を上げた。テレビで古い映画が放送可能になるまで、 漫画と映画はディズニー兄弟のために本当に大きな利益を上げるものではなかった。全体的に見て、20年代から50年代までのディズニーはアニメーションがあっても一文無しだったかもしれない。これが、1931年のクリスマスでは、ディズニースタジオは給料を支払うことができなかった理由だ。ピノキオは1930年代の終わり頃、制作費に260万ドルもかかり、興行収入をその当時取り戻す事は大変困難な金額だった。そして、40年のファンタジアのオリジナルのリリースが惨たんたる財政的な失敗だった。眠れる森の美女が1960年にリリースされたとき、それはひどいしろものだったので、映画の常連客はまったく感動しなかった。 1930年から1950年の間、ディズニー兄弟によって作られた本当の収入はディズニー製品、地下ハードコアポルノの生産、マインドコントロールプログラミング、およびマネーロンダリングにディズニーを使用した様々なグループからのリベートから来た。ウォルトが死んだとき、ディズニーの彼の株は1800万ドルの価値があった。
彼の全家族はウォルトディズニープロダクションズでストックの34%を保持した。ロイディズニーの娘ドロシーディズニーPuderと夫のエピスコパル教会、監督制教会員、グレンGlen Puder牧師はラザフォードの東で1677Sage Canyon通り、ナパバレーで資産を購入した。(これはVoL1で言及されたロスチャイルドのオプス ワン テンプルOpus One Templeの近くにある。)

参考サイト
http://www.dieweltderwahrheit.de/0BB/SOS/TheRothschildHorrorPictureshow/
Eng/11-20PagesSOS/SOS13Uranium.htm

http://ameblo.jp/ootadoragonsato/image-10637052402-10727532508.html
Baron and Baroness Phillipi de Rothschild, in a joint venture with Robert Mondavi, begin the construction of a pyramid in the Napa Valley in California.
where the
Anton LaVey, the leader and founder of the Church Of Satan, an Ashkenazi Jew, is based there.
This is known as Opus 1, meaning the first work.
The front for this temple is a
pretend winery.

ーー*ロバートモンダヴィ(カリフォルニアワインの父といわれる)とロスチャイルドはジョイントベンチャーでナパバレーにピラミッドを建て、サタンの教会のリーダーであり、創設者であるユダヤ人、アントンラヴィーはここをベースとした。オプスワンとは"first work"という意味である。(たぶん、第一の仕事か?)このテンプルの正面はワイナリーのふりをしている。O.J.シンプソンのケースで陪審が結論に達したとき、O.J.シンプソンの弁護士だったジョニーコクランJr.弁護士は、入るのが困難なロスチャイルドのオプス ワン テンプルにいた。) それは南ボストンのマフィアの一家にとって、家族のメンバーの一人にフルタイムで組織犯罪と関わる者と、聖職者がいるというのはとても典型的な事だ。(エピスコパル教会(英国聖公会、監督制教会員教会)については著者の "Be Wise As Serpents"を参照。エピスコパル教会は明らかにフリーメーソンのブランチです)マフィア、イルミナティ、およびボヘミアングローブ(Bohemian Grovers)関係者などのすべてのタイプのおもしろい人物たちがSage Canyon通りに住んでいる。

 ーーー*ボヘミアングローブ(Bohemian Grove)はディヴィッドアイクやアレックスジョーンズのビデオ等が有名だが、広大な私有地の中でイルミナティなどのグローバルエリートたちが儀式殺人などをしているとされる場所。

参考サイト

http://www.youtube.com/watch?v=tdtSj40y_hc

http://www.archive.org/details/DSIBG

 この地域はペットのための大きく手入れが行き届いた墓地がある領域だ。フランクウェル Frank Wellの姉妹とリッチ・フランク。(彼等については後で本章ですべて議論するが、彼等もまたSage Canyon通りに住んでいた)

 WHO WAS ROY E. DISNEY? ロイ.E.ディズニーとは誰だったか?

 ロイ・エドワード・ディズニー(ウォルトの甥)はロイ・オリバー・ディズニー(ウォルトの兄弟)の息子である。
時々彼は二世と呼ばれた。 ディズニーの魔法の王国に関する1994年9月5日のニューズウィークの記事は、彼を「炎の番人」と呼んだ。 ロイはウォルトディズニー社(500 5. Buena Vista St., Burbank, CA 91521.)の幹部社員だ。 彼はアシスタントプロデューサーとしてウォルトディズニー社で、1954年から1977年まで働いた。 彼はウォルトディズニー社の副社長で、またBurbankのロイ E ディズニー社の社長である。Shamrock Broadcasting社の会議の議長でもある。あたかもそれでは足りないというように、彼はセント・ジョセフMed(St. Joseph Med. Ctr., fellow U. Ky.)のための理事会の一員である。 "Mysteries of the Deep"でアカデミー賞受賞した。 彼はギルドアメリカンウエスト、ライターズギルドのディレクターだ。(Writers Guildは重要である)また、100Club、Confrerie des Chevaliers du Tastevin、およびセントフランシスヨットクラブにも属している。スピードボートの競走が好きで、 ロイ.E.ディズニーはロイ.O.ディズニーの生意気な息子だった。彼はパトリシアという女子と結婚した。ウォルトがディズニーランドのプロジェクトを個人的に開始させるまで、彼と彼の父親はウォルトの計画に反対していた。そして、ロイ.E.ディズニーがその計画についていくつかの意地悪な意見を述べた後は特に、 彼は叔父のウォルトによって単に大目に見られていたにすぎない。ロナルド・ミラー(ロン ミラー、ウォルトの娘の夫)は、ロイE.に耐えることができないディズニー一族のひとりだ。二人はお互いが決して好きになれなかった、ウォルトの死後の彼等の間の政権争いはロイ.E.ディズニーが勝ち、ディズニーを引き継ぐ。

 人々は、ロイE.を「ウォルトの馬鹿な甥」と呼んだが、彼は、ウォルトが死んだ後に、結局ディズニーで(彼の父親と部外者の助けで)様々な政権争いに勝った。現在ではかなりパワフルだ。 ロイ・E.ディズニーとスタンリーStanley P. Gold は共にいろいろ働いているが、二人は現在のディズニーのデイレクターである。1984年には、 二人はディズニーの敵対的買収を防ぐために友人として、働いていた。 スタンリーがShamrock Holdings Inc.を担当していた。

 The battle between the two Disney factions 2つのディズニー派閥の間の戦い

 1953年、ウォルトがRETLAW社を創設したとき、2人の兄弟と彼らの家族は分断された。それ以来ずっと、2つの側は戦ってきた。 ウォルト・ディズニーがRETLAW(彼の名前ウォルターを逆につづった)を作成した時、これは彼の兄弟ロイO.とその家族を遊離させた。

 ーー*文字や言葉を逆に綴るのは悪魔主義でよくやる事だ。ロック音楽などで逆に録音するなどもそのひとつでマイケルジャクソンのムーンウォーク等後ろに歩く事等もサタニズムと関係しているらしい。細部まで調べる事なくしても言えるのは、RETLAWがなにをしたかというと、ロイ側のお金をカットした事だ。ロイの側も失われたパイの取り分をただ見てはいなかった。彼等は戦ってそれらを取り返した。マイケルミルケン,Michael Milkenと彼のジャンクボンドの芸術家仲間がディズニー社にグリーンメール"greenmail"を送ったとき大きなチャンスがきた。ほんの少しのインサイダーがどのようにグリーンメールが働いたかを知っている。
それは法的な形式のゆすり、ブラックメールだった。

 http://ja.wikipedia.org/wiki/グリーンメーラー

 ミルケンは彼の友人ソール スタインバーグ、ジェームズ ゴールドスミス卿、およびカール アイカーン(Saul Steinberg, Sir James Goldsmith, Carl Icahn)と共に働いた。

 Saul Steinberg
 http://iflizwerequeen.com/?p=4140

 ミルケンは、目標として選定した会社を買収できるという財政上の能力があるように彼ら(自分たち)を見せるため、財政的な勢力を彼等に提供した。インサイダーによると、ミルケンはうまくいった「グリーンメール」の報酬の40%も得た。 狙われた会社は、ソールスタインバーグのような人間が彼等を買い取るつもりだったと学ぶだろう。狙われた会社は、買い占めを防いで、自分たちの仕事を確保するために、躍起になるだろう。そして、自滅的な再融資をするか、ミルケングループが支払ったよりはるかに高い価格で潜在的買収者のストックを買うだろう。 「グリーンメール」の芸術家たちは、彼らの戦利品を得て、さらに彼等の行く道を進むだろう。狙われた会社の株主が「グリーンメール」の本当の敗者(被害者)である。なぜなら、会社の管理は株主のお金を使って、彼らに融資するために株主のお金を使って、新しい負債を引き受けて、株主から彼らのシェアの何らかの利益を上げる可能性を奪うからだ。 マイケル ミルケンのグループは、ウォルトディズニー、フィリップス ペトロリアム、およびAvcoを含む多くの会社を買収するふりをした。ソール スタインバーグは始まりは誠実そうに見えるウォルトディズニーの敵対的買収をRelianceを通してした。この時点で、Relianceはディズニーの筆頭株主になった。スタインバーグはディズニー社の25%を取得するつもりであると言う修正された13Dをファイルした。ウォルトディズニーの最高経営責任者はウォルトディズニーの娘の夫のロンミラーだった。ソール スタインバーグはロンドンのジェイコブ de ロスチャイルドJacob de Rothschildの親しいビジネスパートナーであった。

http://ameblo.jp/ootadoragonsato/image-10637052402-10727468044.html
Warren Buffett, Arnold Schwarzenegger and Jacob Rothschild

http://ameblo.jp/ootadoragonsato/image-10637052402-10727713609.html
 元々、ウォルトディズニーの管理のロンミラー(スタンフォード大学卒)とレイ ワトソンRay Watson(スタンフォード大学からのボヘミアングローブのメンバー)は、をソール スタインバーグの乗っ取りに対処するために助っ人としてBass兄弟Bass Brothersを呼んだのだ。また土地の購入と開発を(特にフロリダで)助けてもらうためでもあった。レイ ワトソンは、ロンミラーの仕事のための主要な右腕の部下だった。 Bass兄弟はマフィアである。 ディズニーは、Bass兄弟のArvidaを買収して、Bass兄弟をディズニーの管理に引き込んだ。Bass兄弟が彼らの掛け金をTexacoのオイル会社に戻るように売り、そのお金をディズニーの強化に使用した。シドBassSid Bass とチャック・コッブChuck Cobb(Arvidaの主要な幹部)はディズニーとの取引を解決した。 Arvidaは(200億ドルでディズニーに買われた)フロリダのディズニーランドとディズニー開発から利益を得て、そしてディズニーはArvidaが分配する新しい財務力から利益を得て支えられていた。Arvida は、油田とテーマパークを所有していて、計画された共同体を創設するのを助けた。 ロンミラーは、半面はイルミナティであり、もう半分はマフィアだった。ロンはどちらも(スタインバーグもBass兄弟も)信用しなかったが、スタインバーグの乗っ取りはディズニーをマネージメントから排除するかもしれず、彼(とロイEディズニー)はスタインバーグの乗っ取りからディズニーを助けたかった。初めに、ロイEはArvida によるディズニーの管理についての彼の心配を述べる手紙をロンミラーと他の役員へ書いた。少なくともBass兄弟はウォルトディズニーに彼らのファミリー映画を作ることは継続させたのだが。

 Bass 兄弟がディズニーの管理に加わった後(そして、ディズニーの主要な株主の一つとなった)ディズニーがGibsonGreeting Card社を買うべきであるかどうかに関し彼等はすぐロイEと管理に加わった。重役会で十分な票が得られ、彼等はロンミラーを追い払った。ロンミラーとウォルト側の家族の管理者たちは追い払われ、最高経営責任者マイケルアイスナー、フランクウェルズ、リッチフランク、ジェフリーKatzenberg、および他の何人かが現代のウォルト・ディズニー社を作ったのだった。 先に言及したディズニーのタッチトーンスタジオが関係した、映画"Alive"は1984年にウォルト・ディズニーの娘の夫ロンミラーによって創設された。ロンミラーの管理スタイルは活気がなかった。新しいマネージメントは破壊するギャングに取って代わった。ウォルトの家族側によるディズニーの管理は終わり、外されていたが、彼らは様々なディズニー企業から金銭的な報酬をまだ受け取っている。 Bass兄弟はフロリダでより多くの土地をディズニーのために購入した。 しかし、彼らの監督で、現在ディズニーは土地を掴むテクニックに長けたマネージメントチームがある。Bassの財産はBassエンタープライズと呼ばれる会社を創設したが、それはペリーバスPerryBassと共に始まった。1969年に、ペリーは、退職して、彼の長男シド リチャードソン Bassに経営を引き渡した。 シドには、エド、ロバート、およびリーという3人の弟たちがいた。Bassはかなり大きい不動産や油田の持ち株と27%のプライムコンピュータを所有していた。Bass兄弟はテキサスのFt. Worthにローカルの大学進学予備校を設立したり、多くのモダンアートなども所有している。Bass兄弟はディズニーと非常に賢い取引をした。 Arvida への彼らの14ドルの投資と引き換えに、彼等は(一定期間で)9億5000万ドルの価値のあるディズニー株を手に入れたのだ。1985年に、彼らは、Bassブラザースエンタープライズを清算して、4人の兄弟の間で資産を分割した。 シドは彼の興味を経済から文化とハイソサエティに移行させることができた。他の Bass兄弟のひとりはナパバレーのワイン醸造所に関係している。Bass兄弟の財政的な戦略家は現在、ビバリーヒルズのアルフレッドチェッキAlfred Checchiだった。(彼はMishpuckaのメンバー、ダイアンファインスティン上院議員Sen. Dianne Feinstein の支持者だ)。

参考サイト
http://en.wikipedia.org/wiki/Jewish-American_organized_crime

http://wakeupfromyourslumber.blogspot.com/2009/08/hillary-said-mishpucka.html

ーー*Mishpuckaとはイディッシュ語で「家族」の意味、ユダヤマフィアが使う言葉で特にシカゴイリノイでよく使われる。イリノイにはエマニュエル、オバマの事務所がある。ヒラリークリントンはパークリッジ イリノイ出身。参考サイトによるとヒラリーもよく言葉をよく使ったそうだ。

For those unfamiliar with the term, Mishpucka is Yiddish for "family" and is a term used to refer to the Jewish Mafia. The Mishpucka is well-represented in the Chicago area and Illinois, where Rahm Emanuel and Barack Obama have held office. Hillary Rodham is from Park Ridge, Illinois.

In it, Hillary states her family often used the word "mishpucka".

 ロイは犯罪活動に関係していた、そして彼を調査している数人は、ロイがもし犯罪活動を続けるなら子供たちが殺害されると無遠慮に警告した。ナパバレーのイルミナティの活動はCIAの活動とも関係していた。ナパバレーのイルミナティは皆、CIAとコネクションがある。例えば、イギリス人の大金持ちケネス・アーミテージ(窃盗、詐欺、および不正会計の多数の告発で逮捕を避けるためにイギリスから逃げなければならなかった)にはDr. John Duff、Johnny Beckなどの何人かの良い友人がナパバレーにいた。犯罪と関わるインテリジェンスたちと関係があったアーミテージは、イギリスで獄中で謎のうちに死んだ。 また、彼の会社が中米の公文書を人々に提供するのが認可された。 ロイディズニーには非常に多くの卑劣な事柄がまとわりついている。ディズニー家の多くのメンバーが住んでいる ナパバレーにはロスチャイルドが所有するイルミナティのオプスワンテンプルがある。またイルミナティの中心人物によって所有されている細かく手入れがされているワイン醸造所が立ち並ぶ二つの道路があり、それは秘密の地下トンネルと接続している。この信じられないイルミナティのワイン醸造所のコレクションは(Rothschild’s, Mondavi’s, Rutherford’s, Christian Brother’s, Sattui’s etc), ワイン醸造所の北の端、ハイウェイ29にはCIAの中世のような外観のCulinary Institute of America Greystoneがある。(at 2555 Main St., St. Helena, CA 94574)ここは数知れない人々が拷問に苦しんだ場所だ。
http://www.conspiracycafe.net/forum/index.php?/topic/19258-a-few-historical-rothschild-estates/
http://ameblo.jp/ootadoragonsato/image-10637052402-10727450237.html

Waddesdon Manor - built between 1874 and 1889 for Baron Ferdinand de Rothschild.
(ヨーロッパにあるロスチャイルドの城のひとつ)
[翻訳 そら]


【ディズニーとハリウッド娯楽産業/今だかつて類を見ないサイズの詐欺の一つ ディズニー /「語られないディズニー(6)マインドコントロール 」考】
 「★阿修羅♪ > マスコミ・電通批評15」のこーるてん氏の2017 年 3 月 01 日付投稿「語られないディズニー(6) (akazukinのブログ) 」。
 参考サイト(原文)
 http://www.theforbiddenknowledge.com/hardtruth/the_disney_bloodlinept1.htm

 *注 原文の中の著者とは「フリッツ スプリングマイヤー」

 WHAT DO WE KNOW ABOUT THE DISNEY FAMILY IN GENERAL?
 ディズニーの家族について。

 ーー*この部分は少し省略して紹介します。

 ウォルトの妻はリリアンLillianで二人の娘がいた。ダイアンDianeとシャロンSharonである。ダイアンは実子であるが、シャロンはもらわれて来た。シャロンはダイアンの遊び相手が必要だったので養子にした。しかし彼等は世間に公表せず、長い間秘密にしておいた。(ウォルトは息子が欲しかったのだが、リリアンが娘をもらいたいと主張した) 最初、ウォルトはシャロンの名前さえ覚えず興味をしめさなかったが、シャロンはソフトなブロンドで魅力的な少女に成長し、12歳になった頃、ウォルトは父として何年も無視していた娘に、突然取り憑かれたようになったのだ。そして娘とアラスカ旅行に2ヶ月ほど行ったりした。この期間はほぼ二人きりだったようだ。ウォルトが彼女の世話を全てした。旅行中は毎晩お風呂に入れてあげて、髪を梳いてあげたり、洗濯をしたり、高級レストランに連れて行く時は頭からつま先まで、注意深く着付けした。彼は彼女が夢遊病で夜歩く後をついて歩いたりした。

 なぜシャロンは分裂症の人だったのだろう? 彼女は比較的若くして死んだ。ディズニー現象を知るにはウォルトだけ理解するだけでなく家族を知る事は重要である。例えば、彼の妻リリアンは、1958年に、ウォールストリートジャーナルは、リリアンディズニーが一般的なディズニー株の10%以上の受益株主であると言及した。リリアン(ウォルトの未亡人)は、ナパバレーに静かに資産を購入して、60年代後半、そこに移った。 彼女はウォルトのRetlawエンタープライズとリリアンディズニーTrustを通して土地を購入した。 リリアンと彼女の2人の娘が長年Retlawを運営した。 中略

 ディズニー家のこちら側(妻の側)およびロイO.ディズニーの家族側はナパバレーのイルミナティのインサイダーに避けられている。非常に個人的だが、ダイアンディズニーミラーからしばしば宣伝されたことがある。それは、ディレクター/プロデューサーのフランシスフォードコッポラによって所有されていた地所、Niebaum-コッポラで行われた、"Planned Parenthood Shasta Diablo"(プランド ペアレンツ シャスタ ディアブロ)のための資金集めの催しのためにワインを寄贈した、などである。フランシスフォードコッポラは古いマフィアの家族から来る。 彼は大きいワイン醸造所とディズニーのキャプテン EOフィルムを所有している。ナパバレーの地域の地元住民はディズニーの誰をも、特にロイO側の家族を信じていない。他の一人、オカルトの世界と結びつくディズニーがいる。 ウエスリー アーネスト ディズニーで、32位階のフリーメーソンでShrinerであり、国会議員であり、カンザスの職員で弁護士だった。彼にはリチャード レスター ディズニーという兄弟がいて、ローズ奨学生でありフリーメーソンである。

 ところで、 ウエスリー アーネスト ディズニーはマスコーギカウンティー、Muskogee County(悪魔主義がコントロールするカウンティー)で弁護士としてスタートする。そしてクリスチャンサイエンスの信者だった。 彼はタルサTulsaに住んでいた。そこはイルミナティの階層構造の強力な都市である。ドリス マイルス ディズニーはオカルトのフィクション作家で、The Magic Grandfather the Chandler Policy (1972) と Trick or Treat (1972) 、その他多くを執筆した。

 A HISTORY OF DISNEY ディズニーの歴史

 アニメーションの最高の才能を持ったアーティスト達を集める事が出来たディズニーは目覚ましい成果を獲得し始めた。 1924年から1927年の間に、ウォルトディズニーは、3人の異なった6歳ぐらいの少女たちを使用した、56回のシリーズのアリスのコメディーを制作した。願い事を叶えるというマンガの世界で彼女ははしゃぎ、遊戯するというようなコメディーである。これらの漫画は実写とアニメーションの組み合わせであった。 このシリーズが終わった時、ウォルトディズニーはアニメーションだけで制作してみたくなった。ニューヨークのマーガレットウィンクラーが(チャールズ ミンツと結婚した)ディズニーのアリスのコメディーを配給した。最初から、子供たちはウォルトが制作したものの全ての中心だった。ウォルト自身、およびウォルトを支持したオカルト世界は、彼らが「子供」(様々な心理学者によって呼ばれる、人の中にある「子供」である部分)を持ち出すことができるなら、大人がもつ「子供」の部分の好奇心と感情にアピールする事ができると信じてた。 もしそれが大人たちに効果があるなら、子供にも同じように効果があるはずだと知っていた。

 彼らは、1920年代、30年代でさえ、何が新世界秩序のために秘密の偉大な計画が達成されなければならないかを知っていた。イルミナティの偉大な計画は、家族生活を破壊し、子供が彼らの両親に反逆して、世界がより乱暴になるようすることだった 。子供達は、暴力的な社会を作り出すために、暴力のイメージで浸す必要があった。例えば、1925年のフィルム、"Alice Stage Struc" はログに縛られたアリスが騒音をたてるのこぎりに切られそうになる様子を描いている。また、彼らはアメリカ国民の通説的なオカルト、神秘信仰や魔法を作りたかった。イルミナティは、彼らがすべての大人の中にある子供のような好奇心にアピールするなら、魔法を持ってくる事が出来ると感じた。例えば、ドナルド・ダックの漫画コーンチップス(1951年)は、ドナルドがポップコーンの箱を盗んで、ポップコーンを庭いっぱいにまき散らしてチップとデールを悩ませる話だ。(チップとデールは後でドナルドに仕返しをする)

 このような漫画は、子供たちに何を教えるのだろう? それは、恨みを返すために盗んでもオーケー、冗談(悪ふざけ)をすることはおもしろおかしいことを教える。ディズニーの1920年代のフィルムでは、万引きして、学校をさぼって、ホッケーで遊ぶ事を見せている。彼はアリスが冒険をするために責任から逃れようとするのを見せる。 彼は、囚人が逃げ出すのを、浮浪者が仕事から逃れるのを描く。 彼のフィルムは、不正行為が成功するのを表現しているのだ。 これは何を子供に教えるのだろう? 1951年の漫画では、ゲットリッチクィックではグーフィーはポーカーで勝ってお金を手に入れるが、ギャンブルがきらいな彼の妻は初めは怒ったが、彼がどれほど勝ったかがわかると彼を許すのだ。 グーフィーは、彼等が彼の妻に「得られやすいものは失いやすい!」と言う事で消費景気をもつことが出来ると示している。 「ギャンブルへの傾倒」とは、イルミナティがこの国(アメリカ)にしみ込ませたがっている非常に強力な精神だ。

 ギャンブルを促進する漫画が、子供のために健全であるなんてことがあるだろうか?  中佐のデーヴ・グロースマンは兵士が人を殺すようにするためにはどのような状態にするべきかという軍事の専門家だ。彼は彼が執筆した優れた本、On Killing (Boston, MS: Little Brown & Co., 1996)の中でこう書いた。$akazukinのブログ「政府が兵士たちに殺しをさせるようにするための条件のプロセスと同じ方法が娯楽産業によって行われている」。唯一の主要な違いは軍では、兵士が殺すという行動をとるのは、上官に「命令された」という理由だけだ。それとは別に、我々の子供たちは殺したければいつでも殺す事ができるとテレビのエンターテイメントを通して教えられるという事だ。

 グロースマンは308ページでこう述べる、「殺す調節は漫画で始まる 」。「それは漫画から無邪気に始まり、次に、子供の成長に従い、テレビで表現される無数の暴力の行為に進んで行く、そして両親の無関心か意識的な決断で、ナイフが体に突き刺さったり、血が吹き出す長いショットや、銃弾が体を貫くと脳みそや血が炸裂したりする、R ratedの(低俗な)映画を見る事を許可し始める」。「彼等がこの恐ろしい死をテレビで見る間、彼等はこの苦しみが、エンターテイメントと喜び、彼等の大好きなソフトドリンクやキャンディーバーと親密な彼等のデートと関連づける事を学ぶのだ」同 P302。

 ーーー*残虐な殺人の場面などを盛り込んだ「娯楽」映画を見る行為は、同時においしいお菓子や家族、恋人、友人、居心地の良いシアター、部屋などという心地よいものとセットになっているというのは、ちょっと考えただけでも不気味な効果があるだろうと思われる。

 ディズニーには、表面的には健全の外観がある。 しかしこの外観は偽りである。ディズニー漫画の厳密な研究は、ディズニーの漫画の多くの暴力が漫画の中ではなく、実際の本物の生活の中の暴力でなければ表現する事が出来なかったことを暴く。健全という見かけは欺瞞の一つであり、ディズニーの漫画と映画を非常に危険なものにする。漫画が健全であるということがディズニーのイメージだった。イルミナティのマインドコントロールプログラマーが、アメリカの一般市民がディズニーに対してどれくらいナイーブであるかと笑っている訳である。ディズニーのガーゴイルスGargoylesの漫画は純粋な悪霊学のテレビシリーズである。 筋は、悪霊の人種がニューヨーク市を保護するということだ。 ガーゴイルスの1つはDemonaとさえ命名される。(Demon、デーモン悪魔) イルミナティーのプログラマーは、群衆がどれくらい愚かで、容易にだまされるかに驚かされている。ディズニー映画がプログラムのスクリプトとしてどのように利用されたのか、本章の終わりで1つの詳細例を紹介しよう。イルミナティーとマフィアは、ウォルトにはイルミナティの偉大な計画が必要とした仕事を成し遂げる能力があったのを知っていた。 彼らは、彼に協力させるための「あめと鞭」を持っているのを知っていた。ウォルトが働き者であったというのは疑いの余地はない、そしてその見返りに、彼の従業員からは高い規格を期待した。 中略

 アリスシリーズの後に、ディズニーは、ラッキーなウサギのオズワルドOswald the Lucky Rabbitと呼ばれる完全にアンメーションだけのシリーズを始めた。ここで、私たちは幸運についてのオカルト的意味をかすかに促進させているのを見ることが出来る。ディズニー漫画は娯楽かもしれない、しかしまた、彼らは漫画を楽しませている間、同時に教義を刷り込むのだ。 1926年、ウォルト ディズニーは、Mintz and Film Booking Offices (EBO)と契約を結ぶ。 フィルムブッキングオフィスはイルミナティの中心人物でマフィアのボスのジョゼフ ケネディの会社だった。 少なくとも次の数年間、ディズニーはイルミナティの中心人物のケネディのコントロール(援助)の下で働いた。 全てのディズニーの映画は、ケネディのFBOの親会社の1つR-C Pictures社によって登録された。また、ジョゼフケネディは他の大きいスタジオと共に働いていたRKOスタジオを支配した。それはどんな小さいスタジオも競争相手として発展させないようにするためだった。1937年までには、20センチュリー、パラマウント、MGM、ワーナーブラザース、コロンビアピクチャーズ、ケネディのRKO、(20th Cent., Paramount, MGM, Warner Bros., Cohn’s Columbia Pictures ,Kennedy’s RKO)などのすべての大きいスタジオはマフィアにお金をかすめとることを許したのだ。中略

 1929年、漫画ハウンテッドハウス、The Haunted Houseが登場した。それはミッキーマウスが嵐にあって、気味の悪い音楽会にミッキーを強制的に引き込む幽霊たちでいっぱいの幽霊屋敷に逃げ込む、という話である。

 1930年、スタジオをコントロールしていた最も無情で芳しくない人間のひとり、ハリーコーンはディズニーのお金を盗んでいた詐欺師パットパワーズのウォルトの問題からウォルトディズニーを保釈した。

 ハリーコーンは、シカゴの投資家によって、彼らのコロンビアピクチャーズへの投資のためとスタジオを経営させる目的で呼ばれた元ニューヨークのビリヤードのやり手ギャンブラーだった。 ハリーコーンはシカゴマフィアのジョニーロッセリJohnny Roselliが彼に与えたサファイアリングをはめていた。後にロッセリはCIAの凶暴な資産になって、彼に手渡されたCIAの契約について議会の前で証言した。(the Church Committee on Assassinations in ‘74)

 ロッセリはアンソニー アッカルドとサム ジアンカーナAnthony Accardo,Sam Giancanaを含むマフィアの「カウンシル9」Mafia Council of 9のために働いた。 ある人々によれば、 ハリー コーンはハリウッドで最も嫌われている男であると言われた。 彼のお金は「皇帝の権力」を彼に与えた。 その金は彼の欲望、快楽を満たすために、利用可能な最高の女性の肉体を提供した。 彼はいつも新しいドル紙幣の束と一緒にラスベガスから帰ってくるように見えた。彼に近い関係の人間たちに、ハリーがラスベガスに旅行するたびいつも持って変えるその「新しい金」がどこから来るのか不思議がらせた。

 1931年に、ウォルトは長い自殺的なうつ病に入った。それは1932年まで続いた。1932年夏には神経衰弱から回復するために休暇を取った。 1932年に、インガソルIngersollはミッキーマウス腕時計の初版を売り出す。ディズニー製品は世界への消費者運動のモデルとして登場する。 中略

 ディズニー腕時計は絶え間なく作られていく。 80の米国の主要企業(ゼネラルフーズや、RCAやNationalディリーなど)が、ディズニー製品を売り出し始めるのだ。エド サリバンは定期的にディズニーの仕事に関してほらをふく小説を書き始めた。 フリーメーソンのKleinsmid博士は、Dr. Rufus B. von Kleinsmid, pres. of the Univ. of So. Cal.,ウォルトの「子供との仕事」の業績に対し、ペアレンツという雑誌から賞を与えた。中略

 1932年に、ロイは、コロンビアからUnited Artistsにディズニーを切り換えた。

 [翻訳 そら]


【ディズニーとハリウッド娯楽産業/今だかつて類を見ないサイズの詐欺の一つ ディズニー /「
語られないディズニー(7)」考】
 「★阿修羅♪ > マスコミ・電通批評15 」のこーるてん 氏の2017 年 3 月 02日付投稿「語られないディズニー(7) (akazukinのブログ)(彼女は性的奴隷としてCIAによって使用された。)」。
 2010-10-11 12:17:57  

 参考サイト(原文)
 http://www.theforbiddenknowledge.com/hardtruth/the_disney_bloodlinept1.htm

 *注 原文の中の著者とは「フリッツ スプリングマイヤー」

 マインドコントロールされた有名人奴隷たちとディズニーに関わる人間たち
 (ここでは1部有名人たちを紹介する)

 Warren Beatty and Shirley MacLaine ウォーレンべイティとシャーリー マクレーン

 ウォーレンベイティ Warren Beatty. (b. 1937 in VA)この俳優は、イルミナティのビーティ家から来ていて、ディズニーの「ディックトレイシー」で主役になった。 ディックトレーシーのフィルムは特別な方法で色を使用した、そして、これはマインドコントロールのための色のプログラミングと結びつく。完全に制御された奴隷の中には、彼らが「目標」(人間)を捜し出して、殺すようにするために、 ディズニーのディックトレイシー映画に基づいてプログラミングされた人々もいる。ウォレンの姉は有名な(悪名の高い)シャーリー マクレーンだ。 シャーリー"MacClaine" は公共のイメージとはかけ離れている。彼女の父親はCIAにとっての資産となるような教授だった。 彼女は性的奴隷としてCIAによって使用された。的確な人間たちとベッドを共にしたので、彼女はスタジオで人気が出るようになっていった。彼女の才能は、知性奴隷として、明白なスパイが行くことができなかった場所に彼女を送り込むのに使用された。 およそ20年間、彼女はNSA(国家安全保障局 National Security Agency)の男性と結婚した。彼女の採用された名義のMaclaine(伝えられるところによれば彼女の母親の旧姓)がMcLainに関するだじゃれであるらしく、ヴァージニアでCIAにより彼女はプログラムされた。彼女はCIAによりオーストラリアのMP(Military police、軍警察)であるアンドリューピーコックと妥協するために性的奴隷としてオーストラリアの活動に利用された。彼等が汚れた金を洗浄するためなどにNugen-Hand 銀行を設立できるようにするためである。サタニストのスティーブン ナンスStephen Nanceは彼女にいくつかの教えを提供した友人である。ローウェル マクガヴァンLowell McGovernは彼女の材料を書いた。CIAは、彼等の多くのニューエイジ奴隷に、シャーリー・マクレーンを崇拝するようにプログラムした。 この例は彼らの洗脳された奴隷のひとりで、人生の大部分をオクラホマで過ごした、ボーンアゲインクリスチャンの「クリスタ ティルトン」がインタビューで、いかに神秘的にシャーリー マクレーンに引きつけられたかを告白している。クリスタはある事を行ったり、ある場所に行かなければならないという、どこから来るのかわからない強い衝動である「精神の要請」を繰り返し経験したという。 催眠の後に、クリスタは、彼女をプログラムした医師の絵を描いた。クリスタは連邦官に絶えずモニターさせられていた。彼女の夫は玄関に現れては彼女へ電話をかけるこのエージェントを見て知っていた。 彼女はエージェントをジョンワリス(たぶん偽名)と呼んだ。 このエージェントは、彼女の人生に関する完全な知識をもっていた、そして、政府職員は彼女の推定上の「宇宙人による誘拐」を経験している間、彼女の写真を撮っていた。クリスタは、シャーリーマクレーンを崇拝するようにプログラムされた何百人もの犠牲者の中のひとりにすぎなかった。(彼女のケースがこの著者が詳しい1つのケースであるので、ここで紹介している)

 ウォーレンベイティは四文字単語を連発しながらスピーチをする、ニューヨーク市のステラ アドラー シアター スタジオ Stella Adler Theater Studioの学生だった。ーーー*シャーリーマクレーンはニューエイジ思想を推進するためにイルミナティよって作り出されたアイコンである。ニューエイジは「ワンワールド」への新世界秩序NWOの道具であり、日本でも映画、漫画などのエンターテイメントだけではなく、経済界など至る所での影響を見る事が出来る。

http://ameblo.jp/ootadoragonsato/image-10673178011-10794196161.html
 Shirley Temple Black  シャーリー テンプル ブラック

 シャーリー テンプル ブラックはディズニー理事会(1974-1975)にいた。 彼女のフィルムは40年代、50年代の前期にプログラミングと体の動き、ダンスを奴隷に教えるのに使用された。彼女はサンフランシスコのエリートのネットワーク家系である、チャールズAブラックと結婚した。 チャールズは、ベセスダ(MD)に住んでいた米国国防総省の中佐だった。 シャーリーは、天才を得るために行われた脳幹の傷跡の初期の例だったのだろうか? (*注 brain stem-scarringについては、詳しくわからないので、興味のある方は調べてみてください)

 参考サイト
 http://www.theforbiddenknowledge.com/hardtruth/if_chapter8.htm

 シャーリーの兄弟は、脳の軸傷跡からの「多発性硬化症」を開発したように見える。 「多発性硬化症」Multiple Sclerosis Societiesの国際連邦を共同設立したのが、シャーリーテンプルであり、幹部の委員会のメンバーだった。シャーリーは、1969年に国連総会で米国を代表して、シエラクラブSierra Clubに属し、マルタ十字と共に叙勲されていた。シャーリーはイルミナティのマインドコントロールされた子供の被保護者であるかもしれないという手がかりを示している。

 Warren Buffett ウォレン バフェット

 ウォルトディズニーの大株主。 彼はまた、ディズニー株の多くを所有しているバークシャー・ハサウェイ株式会社(Berkshire Hathaway Inc.)の40%を所有している。S.F.Examinerによると、バフェット自身はディズニーの2400万株を所有しているという。 ウォレンバフェットは、ネブラスカ セービング&ローン スキャンダル(Nebraska Saving & Loan scandal)でさらされたAk-Sar-Ben fraternityとモナーク奴隷の虐待者でもある。 彼はおそらく、だれも触れることができないくらいパワフルなこの国の第二位の金持ちである。エリート対エリートの戦いにおいて、内部の人間たちの幾人かはバフェットを良い人であるとみなす人々もいる。読者は、このディズニー株主に関する詳しい情報を得るためにはリンカーン セービング&ローン スキャンダルとこのスキャンダルと関係するボーイズタウン"Boy’s Town"のプログラムされた子供の奴隷について勉強する必要がある。ウォルトディズニーの株を持つミューチュアル ファンド フォーカス トラストのポートフォリオマネージャーであるロバート G.ハグストローム (Jr.)Robert G. Hagstrom, Jr.はThe Warren Buffett Way(ウォレンバフェットのやり方)という本を書いた。この本にはディズニーの章がある。ハグストロームはウォレンバフェットがCapital Cities/ABCへのディズニーの合併に関して非常に熱心であるとバフェットの言葉を引用する。 「この合併により、私たちに大量のディズニー株が持たされる可能性が非常に高いだろう」

 http://ameblo.jp/ootadoragonsato/image-10673178011-10794264932.html

 ーーーー*"Boy’s Town"ボーイズ タウン スキャンダルについてはここでは触れられないが、参考サイトをランダムに選んだものをリンクしておきます。(全てチャックしていないので悪しからず)

 参考リンク
 http://www.francesfarmersrevenge.com/stuff/archive/oldnews2/boystown/

 ーーー*一部引用

Lawrence King was no stranger to President Bush. And Lawrence King was no stranger to Craig Spence. Several of the Omaha child prostitutes testified that they had traveled to Washington, D.C. with King in private planes to attend political events which were followed by [CHILD] SEX PARTIES. King and Spence had much in common. Not only were they both Republican Party activists but they had gone into business together procuring prostitutes for Washington's elite.

Bush's name had repeatedly surfaced in the Nebraska scandal. But his name was first put into print in July 1989, a little less than a month after the Washington call boy affair had first made headlines. Omaha's leading daily newspaper reported, "One child, who has been under psychiatric care, is said to believe she saw George Bush at one of King's parties."

 ローレンス・キングとブッシュ大統領は見知らぬ関係ではなかった。そして、クレイグ・スペンスとも同様であった。数人のオマハの子供の売春婦が、政治的イベントに出席するために自家用飛行機でキングと共にワシントンDCに旅行したと証言した。それは子供たちを含めたセックスパーティーへの参加のためだった。キングとスペンスは共通点が多かった。 彼らの両方が共和党の活動家であっただけではなく、彼らはワシントンのエリートに売春婦を調達するビジネスをともにしていた。ブッシュの名前はネブラスカスキャンダルで繰り返して表面化した。 しかし、1989年7月に最初に彼の名前が印刷に現れ、1ヶ月もたたずにワシントンの少年売春事件が最初に大ニュースになった。 「1人の子供(精神科医療を受けていた)が、彼女がキングのパーティーでジョージ・ブッシュを見たと信じていると言われている。」と、オマハの主な日刊新聞は報告した。

http://www.jesus-is-savior.com/Evils%20in%20Government/boys_town_abuse.htm

http://www.youtube.com/watch?v=9O4YbnSmdMU


 ーーーー*pedophileー小児愛者はキーワードである。エリート達による小児愛犯罪についてはデーヴィッドアイクの「大いなる秘密」太田龍監訳 三交社などを参照。多くのアニメーション、マンガにもその傾向は見られるはずだ。

 The Osmond Brothers. オズモンドブラザース

 メリルのオズモンド兄弟は彼らが1962年にディズニーランドを訪れていた時に「発見された。」 メイン通りのディズニーの人々は、偶然のようにただちに5人の少年の才能を認め、彼らの最初のプロのための歌の契約をかわした。オズモンドブラザースは"Meet Me at Disneyland" や "Disneyland after Dark"のようなディズニーランドのテレビにしばしば出演した。(マインドコントロールがこれらのオズモンドの子供達に行われたプログラミングであると考える場合、これらのテレビ番組は残酷な冗談だった。) ドニーは二番目に若い子供だった、そして、彼の妹マリーは最も若かった。ドニーと彼の妹マリーの二人が多くの乱用された奴隷でありプログラムされた多重人格だった。彼等は表面ではよく見えた。 彼らの父親は、ドラッグ、ポルノ、および白人奴隷の売買から数百万を作った、モルモン教徒のイルミナティのフロントだった。イルミナティのモルモン教徒フロントはオズモンド一家から多くの良い宣伝を得た。彼らは、かつて殺人罪で罪状の認否を問われたフランス人の妻をもつアンディ ウィリアムスのために歌った。 その後、彼らは、悪魔的なネットワークNetworkのローレンス ウェルクショーLawrence Welk showのために歌った。 スウェーデン人のアクセントをつけられたローレンス ウェルクはNetworkの一部だった。

 マリー オズモンドが成長してからは、彼女はマフィアが支配しているアトランティックシティーのような場所で年間あたり約200回もショーで歌うという忙しいスケジュールにもかかわらず、彼女の5人の子供のうちの3人は養子だった。オカルトの家族に関して言えば、もらい子がしばしばプログラムされた子供であるので、それは彼女の子供がプログラムされていたという手がかりになるだろう。

 ピノキオの密教的解釈 By Vigilant December 28th, 2009  

 参考サイト
 http://satehate.exblog.jp/

 [翻訳 そら]






(私論.私見)