【ネオコンとシオニズムとの接合ぶり】

【ネオコンとシオニズムとの接合ぶり】

 ネオコンは、「ユダヤ・ロビー」の押し進めるシオニズムと結合して急成長し始めた。かくて当然、親イスラエル政策と結合しており、イスラエルを中心とした中東地域の再編成を画策するという青写真を掲げて活動している。万事においてこの政策を最優先し、この範囲で国連を活用する。よって国際協調は次善策でしかなく、国連が従わないときは国連をも恫喝するという軽視ぶりで、「ユニラテラリズム(unilateralism、単独行動主義)による力の政策(パワーポリティックス、北風政策)」を採用する。

 ネオコンが政界に姿を現したのは70年代。パール氏は反ソ強硬派でワシントン州選出の民主党ジャクソン上院議員の有カスタッフとして、 第二次戦略兵器制限交渉 (SALTU)阻止に走った。

 国防族として力をつけたのは1981年からのレーガン政権時代である。国防次官補だったパール氏らはイスラエルとのパイプからイラン、レバノンの米国人人質解放を狙った非合法作戦を計画し、遂行。これが政権を揺るがした「イラン・コントラ事件」に発展し、パール氏は「暗黒の王子」と呼ばれ政権を去るが、国防総省に人脈、金脈を構築する。

 レーガン革命はネオコンを一気に共和党主流へと押し上げる働きをした。「レーガンは、FDRに敬意を表した最初の共和党大統領だったし、セオドア・ルーズベルト以来、過去へのノスタルジアではなく、未来への前向きの姿勢を取った最初の共和党大統領だった」。

 ネオコンはこの間言論界をリードしてきた。反核運動を批判したり、エイブラムズ国家安全保障会議中東上級部長の義父ポドーレツ氏が、大虐殺を伴ったイスラエルのレバノン侵攻への非難を「テロリスト黙認を覆い隠す」と逆批判してきた。 ネオコン派が再び、脚光を浴びるのは前回の米大統領選終盤の2000年夏。 同派は「イラク分裂もフセインよりまし」とする「現在の諸脅威-米国の外交、 国防政策の危機と機会」を発表、これがブッシュ政権の外交方針の基礎となっている。2年後には、米国を頂点とする世界戦略を推し進めるため、欧州に決別を告げるという「力と弱さ」を発表、欧州に衝撃を与えた。

 1996年、エルサレム。「土地(占領地)と平和の交換」を原則にパレスチナ和平を掲げたイスラエルの故ラビン首相が凶弾に倒れ、右派ネタニヤフ政権が発足する前夜、「先端政治戦略研究所(IASP S)」というシンクタンクが「完全な断絶・領土保全の新戦略」と題した報告蓄を発表した。

 書かれていたのは「平和のための平和」。交渉を拒み、アラブを力でねじ伏せよという提言で当時、地元記者ですら「極右のたわ言」と見向きもしなかった。 その提唱者数人の名が現在、ブッシュ政権の外交安全保障チームにある。パール国防政策諮問委員長、国防総省のファイス次官、国 務省ボルトン次官のウェムザン特別補佐官…。

 クリントン民主党政権下の翌1997年、米国でほぼ同じ人脈で別のシンクタンクが発足した。保守系の政治週刊誌編集長のクリストル氏を中核とするネオコン・グループは、冷戦後に唯一の超大国となった米国の外交・軍事政策が「腰が定まらない」と見て、政策集団「新アメリカ世紀計画」(PNAC)を発足させた。その発足声明は、「米国の原理を大胆に世界に広める外交と、全地球的責任を引き受ける指導者層をつくる」。「危機が差し迫る前に脅威に対処する」という先制攻撃戦略を訴えた。 


【米大統領ブッシュのイスラエルの右派論客・ナタン・シャランスキー理論への傾倒ぶり考】
 2005.1.28日、毎日新聞が「イスラエル:右派論客に米大統領も傾倒?」なる興味深い記事を掲載しているので、これを転載しておく。

 毎日新聞 2005年1月28日 3時00分【ワシントン中島哲夫】

 ブッシュ米大統領が2期目の就任演説で「世界の圧政に終止符を打つ」と宣言したのを機に、この演説を貫く自由拡大思想の提唱者であるイスラエルの閣僚、ナタン・シャランスキー氏(エルサレム・離散問題担当相)に米メディアの関心が集まっている。同氏への大統領の傾倒は激しく、今後の米外交が影響を受ける可能性も高い。

 シャランスキー氏は1948年、旧ソ連時代のウクライナ生まれ。ユダヤ民族運動に携わり9年間収監された後、86年にイスラエルに移住した。旧ソ連地域からのユダヤ人移住を推進して政党も結成したが、今はシャロン首相率いる右派政党リクードに合流し90年代から閣僚を歴任している。

 米メディアの報道によると、同氏は昨年11月、ブッシュ大統領の再選後ホワイトハウスに招かれ、昨年刊行した著書「民主主義論−−圧政とテロに打ち勝つ自由のパワー」の論理について大統領に説明した。それ以来、大統領は会う人に同書を読むよう勧めている。

 保守系の米紙ワシントン・タイムズによると、1月11日の会見でブッシュ大統領は同氏を「英雄的人物」、同書を「すごい本だ」と絶賛。これを読めば「これまでと今後の(大統領の)多くの決定について説明する助けになる」と話しているという。

 このインタビューは当時さほど注目されなかったが、(1)新国務長官の就任承認を審議した18日の上院外交委員会でライス氏が突然、シャランスキー氏の自由に関する考え方を採用すべきだと主張した(2)ブッシュ大統領の20日の演説が同氏の考え方を強く反映していることが判明した−−ことで関心を集めた。

 しかし同氏は故レーガン元大統領の政権時代から米国のネオコン(ネオコンサーバティブ=新保守主義者)人脈と親交があり、ブッシュ大統領が02年6月の演説で新中東政策を打ち出した時から既に、ライス氏を通じて強い影響を与えていたという。

 問題は同氏の自由拡大論がイラク戦争を主唱したネオコンの考え方と酷似しており、パレスチナに対する姿勢がイスラエル首相より強硬だと指摘されることなどだ。イスラエル紙によると同氏は、自分の理論がブッシュ政権に「そのまま採用された」と喜んでいるという。

 2005.1.31日、読売新聞もこれを取り上げた。これを転載しておく。

 ブッシュ大統領就任演説にイスラエル政治家の“原典”

 【ワシントン=貞広貴志】ブッシュ米大統領の就任演説の核である「世界の圧政打倒」ドクトリンに、“原典”があったことがわかり、関心を集めている。

 イスラエルの右派政治家ナタン・シャランスキー無任所相が著した「民主主義擁護論」で、大統領自身、「私の信念に理論的裏付けを与えてくれた著書」と公言する傾倒ぶりだ。

 昨年出版されたこの本は、副題でずばり「圧政とテロに打ち勝つ自由の力」とうたう。旧ソ連の反体制派活動家だったシャランスキー氏が、9年間の獄中生活を経て移民先のイスラエルで政治家になるまでの経歴を縦糸に、中東をはじめ世界各国で自由を実現すれば、圧政から市民を解放できるという持論を展開している。

 「世界には自由社会と恐怖社会があり、その中間はない」といった主張は、ブッシュ就任演説の世界観と完全に重なる。

 出版元パブリック・アフェアーズの社長が昨秋、大統領の友人に校正刷りを送り、それが大統領に届けられたのがきっかけという。感激した大統領が、ホワイトハウスにシャランスキー氏を招待し、1時間以上、話し込んだ。

 昨年末、イラク問題で意見をたたかわせたカナダのマーティン首相に勧めたのに続き、今年1月にはメディアとの会見で「私の外交を理解したければ、ぜひ読みなさい」と語る心酔ぶりだ。

 ブッシュ大統領は、あまり本や新聞を読まないとされ、逆にたまに感銘した本の影響力が絶大なものになるらしい。

 ナタン・シャランスキーの履歴。旧ソ連時代のウクライナ生まれのユダヤ人。「ソ連の水爆の父」と呼ばれ、後に反体制知識人の象徴となったサハロフ博士の支援者として活躍。「米国のスパイ」の罪名でシベリアなどに9年間収監される。1986年にイスラエル移住を許される。2004.秋、米国で「民主主義論ー圧制とテロに打ち勝つ自由のパワーー」を出版。




(私論.私見)