ハマスの歴史

 (最新見直し2014.07.28日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、ハマスの歴史について研究する。「ウィキペディア(Wikipedia)ハマース」その他を参照する。

 2007.11.4日 れんだいこ拝


 「ハマース」(حماس、Ḥamās)は、パレスチナのイスラーム主義団体で、パレスチナ解放運動の諸派のうち、いわゆるイスラーム原理主義の代表的な組織、あるいは政党である。正式名称は「イスラーム抵抗運動」(حركة المقاومة الاسلامية、Harakat al-Muqāwama al-Islāmīya)といい、各単語のアラビア文字の頭文字ح(Ḥ)、م(M)、ا(Ā)、س(S)を取ってحماس(ハマース、アラビア語で「熱情」という意味)と通称される。

 本部はパレスチナ自治区のガザにある。イスラーム・スンニー派。アメリカ合衆国、欧州、サウジアラビア、ヨルダン(1999年にヨルダン当局により閉鎖。2008年再開)、シリア、レバノン、イラン等に支部や支持団体を有する。シリアとレバノンには、教育キャンプが存在する。資金などのバックアップはサウジアラビアとイラン。パレスチナの国外在住者、イラン並びにサウジアラビアその他のアラブ諸国の民間スポンサーから資金を受け取っている。資金集めとプロパガンダに関する活動は、西欧及び北米で行われている。


 1987.12.14日、ムスリム同胞団とイスラム・ジハードのパレスチナ支部に基づき、アハメド・ヤシン(Sheikh Ahmed Yassin)師によって創設された。(文化・啓蒙組織として、イスラエルにより公式登録)。日本の報道などでは「ハマス」と呼ばれる事が多い。 「イフヴォン・アル-ムスリモン」 パレスチナ支部から分離して設立された。ハマスの各種要素は、イスラエルの地にイスラム・パレスチナ人国家を創設する目的を追求しつつ、政治手段も、テロリズムを含む軍事手段も利用した。厳格な機構を欠き、ある部署は地下で、ある部署は、モスク及び社会サービス施設を通して、新メンバーを募集し、資金を集め、行動を組織し、プロパガンダ資料を流布しつつ、公然と行動している。ハマスの主力は、ガザ地区及び西岸の数地区に集中している。平和的な政治活動にも従事しており、特に西岸商工会議選挙に候補者を出馬させ、支援した。

 アハメド・ヤシン師の履歴は次の通り。

 1936年、アシュケロン市の近くのジュラ村で生まれた。アラブ人とユダヤ人間の衝突が始まった1947年、彼の家族は、ガザに転居し、シャチ難民キャンプに定住した。イスラームを猛勉強し、エジプトへ留学し教師の資格を取りガザで教壇に立つ。1950年代、青年のアフメドは、後にエジプト大統領ガマル・アブデル・ナセルにより禁止された「イフヴォン・アル-ムスリモン」(「ムスリム同胞団」)組織に加入した。ちょうどこの時、海岸で友人と遊んでいた彼は、 宙返りに失敗して、自分の首を痛め、終生不具となった。数年後、アフメドは、松葉杖で歩き始めた。二度目のエジプト留学の時、ムスリム同胞団とのつながりで国外退去となりガザに戻って来る。 ガザに戻った彼は、教師であると同時に、「ムスリム同胞団」の代表になった。1973年、ハマスの前進とも言えるイスラーム慈善団体 Mujamma Al-Islamを設立する。1979年、イランでイスラム革命が起こった後、彼は、ガザで最初の「イスラム協会」、「アル‐ジャマー・アル‐イスラミヤ」を設立した。協会は、パレスチナ人に宗教、教育及び娯楽分野のサービスを提供した。未成年者が一見無害なサッカーと卓球に従事していたクラブは、イスラエル当局により公式登録すらされている。

 1980年代の第1次インティファーダ時代に、ヤーセル・アラファートのパレスチナ解放機構(PLO)と一線を画した民衆レベルでのイスラエル抵抗運動を組織、パレスチナ解放運動を広めた。イスラエルは、当初はPLOに対抗する勢力となることを期待し、密かに援助したこともあった。14982年、彼の数千人の支持者達が、「非イスラム施設」、つまり、アルコール飲料を販売する店を破壊しつつ、 ガザ中を疾走した。1982年、Al-Majahadoun Al-Filastiniyunと言う反PLOのイスラーム組織に発展する。1984年、ヤシンは、武器の不法保管に対して、イスラエルの軍事裁判所により禁錮13年を言い渡された。しかしながら、1年後、彼は、レバノンでテロ組織の戦闘員により略取された3人のイスラエル兵とパレスチナ人囚人PFLP-GC1100人の交換の枠内において釈放された。


 1987年、ガザで爆発したパレスチナ人の蜂起、「インティファーダ」。12月14日、ハマスを設立する。運動は、「海からヨルダンまでの全パレスチナの解放は、我が戦略目的であり、これ以上の聖にして、重要な目的はない。イスラエルの支配からの解放後、パレスチナは、アラブとムスリム世界の中心地となるだろう」と宣言している。ハマスは、ユダヤ人の物理的除去を呼びかけ、キリスト教徒、世俗的発展の道を擁護する左翼活動家、イスラエルと協力するアラブ人を追求している。ハマスの最終目的は、イスラエルの殲滅である。ハマスは教育、医療、福祉などの地道な活動でパレスチナ人への支持を広げていった。1989年、ヤシン師がまたもイスラエルに逮捕され、ハマスの活動の責任に対して終身刑判決を下された。


 ハマスの活動は、ガザ地区だけではなく、ヨルダン川西岸にも広がった。特別部隊「アズ・アド‐ディン・エル‐カセム」が創設され、その戦闘員は、占領当局との協力が疑われるパレスチナ人を殺害した。彼らは、イスラエル兵に対する襲撃を実施した。イスラエルは、当初、「イスラム協会」の創設を歓迎したのと同じ理由で、ハマスを大目に見た。しかし、この運動の武装活動が警告を引き起こすことになる。

 ハマスは、1990年代にはPLOが進める中東和平に反対した。ファタハは、オスロ合意によってパレスチナ国家を認められたのと引き替えに、イスラエルの国家主権を認めたが、ハマスは、オスロ合意はパレスチナ人を弱い状態に押し込めておくためのものであるとして反対し、イスラエルが消滅するまで戦うことを組織目標として掲げている。

 1993年のオスロ合意によってパレスチナ暫定国家が作られた以来、ファタハは欧米と協力し、イスラエルと交渉しつつ、パレスチナ国家の建国と発展を実現しようとしてきた。1996年、オスロ合意に基づく初めての選挙が行われた。ハマスはオスロ合意に反対して1回目の選挙に出馬しなかったパレスチナ議会(評議会)は任期は4年。

 ヨルダンに潜入したモサド要員がハマスの政治部門の指導者ハレド・マシャリの暗殺に失敗し逮捕されたことにより、1997.10.1日、彼らとの交換でヤシン師は8年ぶりに釈放される。

 1998.3月月初め、師は、アラブ諸国の長期旅行に向かった。4ヶ月間、彼は、サウジアラビア、ペルシャ湾諸国、シリア、スーダン及びイランを回った。この間、アラブ筋の情報によれば約3億ドルを集めた。同年6月末、ヤシンはガザに戻った。

 和平がイスラエル側の推進者イツハク・ラビンの暗殺をきっかけに崩壊に向かった後、2000年、右傾化したイスラエルによってパレスチナへの圧力が強まるとその抵抗運動の中心組織となり、第2次インティファーダが始まる。ハマスは活発に活動を始める。自爆テロ(Suicide bombing,直訳すると「自爆攻撃」だが、日本の報道では「テロ」と訳されることが多い)により多数のイスラエルの兵士・入植者に加えて一般市民を多数殺傷し始める。


 2003.6.10日、ハマス№2のランティシ氏の乗る車に対し、イスラエル国防軍のアタックヘリが対戦車ミサイルを発射し、気づいたランティシ氏は車から飛び出し九死に一生を得た。但し、同乗していた彼の息子は重症を負う。

 2004.3.22日、早朝の礼拝を終えて車で移動中にイスラエル国防軍のアタックヘリが発射したミサイルが車に命中し、ボディーガードと共に暗殺される。翌日、最高幹部の一人で広報担当のアブドゥル・アジズ・ランティシ(Abdul Aziz Rantisi)が後継者を宣言し、ハマスの抵抗闘争は受け継がれた。同年4.17日、イスラエル軍ヘリによるミサイル攻撃を受け暗殺された。


 イスラエルや欧米側からは、ハマースは自爆テロばかりやる過激な連中であるという印象が広まっているが、パレスチナ住民にとっては、機能不全に陥っている自治政府にかわって、貧困層のために病院、孤児院、学校などの経営を行うといった医療・教育等福祉をおこなっている自助組織の意味合いが強い


 機構

  合法部門

 ハマースは、当局の干渉を避けるために、4つの独立的な部門に分かれている。

  • ダヴァフ:インフラ拡張、メンバーの募集、宗教裁判、資金調達及び配分
  • 街頭行動の組織・調整部門
  • アマン:イスラエルの協力者に関する情報の収集
  • ア=アリャムプロパガンダ用のビラ、出版物の配布、テレビ・ラジオでの活動

 ハマースの指導機関は、マジリス・アル=シューラ(評議会)である。政治局は、総合戦略を立案し、各部門の活動分野と機能を決定する。ラビタート・ウリャマ・フィラスティン(パレスチナ・ウラマー協会)は、イスラームの観点からハマースの活動に合法性を与える。

  非合法部門

 武装闘争のための非合法部門は、以下の2つのグループに統合されている。

  • アル=ムジャーヒディーン・アル=ファリスティニウン(パレスチナ聖戦士):1987年のインティファーダ以来勢力を拡張し、反イスラエル闘争のリーダー的存在となった。
  • ジェハズ・アマン(保安部門):配下に執行機関であるマジドを有し、イスラエルの協力者の暗殺に従事している。

ハマースの機構には、シャヒード(自爆テロ)部隊も存在する。隊員は、イスラエルから被害を受け、ユダヤ人を憎悪する18歳から27歳の住民から選抜される。ハマースの宗教指導者は、イスラエル撃滅という聖なる目的で死ねば、天国に行けると彼らを納得させている。

ハマースの軍事部門には、イッズッディーン・アル=カッサーム旅団が存在し、イスラエル人及びその協力者の誘拐・暗殺に従事している。1992年以降の大規模なテロ活動、ロケット弾攻撃の大部分は、同旅団の仕業とされている。ハマース内部でもっともサラフィー主義の影響が濃い部門で、アル=カーイダのシンパも多数いるとされ、ハマースの他部門との路線対立が存在するとされる。





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(私論.私見)