【「ホロコースト(Holocaust)論争」とは】 |
(最新見直し2014.08.22日)
(れんだいこのショートメッセージ) | |
認識は進化する。「ホロコースト問題」も典型的なその一つであろう。これにつき太田龍氏は「時事寸評」で適宜、「ホロコーストはネオ・シオニズムの作り事」として一刀両断している。1995年初頭、文芸春秋社の月刊誌「マルコポーロ」2月号は、内科医師・西岡昌紀(まさのり)氏の10ページにわたる寄稿文「戦後世界史最大のタブー。ナチ『ガス室』はなかった」を掲載し物議を醸した。「帝国電網省」の主宰者竹下義朗氏は、西岡論を請け、「歴史再考」の「ナチスは『ホロコースト』等していない!! ─『ユダヤ人600万人虐殺』の真実」で、同様見解を発表している。 更に、「流布されてきた史実の虚構」を精力的に暴き続けているのがインターネット界の梟雄・木村愛二氏である。そのサイト「憎まれ口」に収録されている「ホロコースト神話」、「アウシュヴィッツの争点」、「偽イスラエル政治神話」に詳しい。 木村氏は、「史実偽造のホロコースト・プログラミング」を告発している。「件名 :Re: NHK戦争責任シリーズ」で次のように述べている。
れんだいこは、「ホロコースト問題」には疎い。なぜなら、原文は英独語であるからして、その能力の無いれんだいこは避けざるを得ないからである。こういう場合、庶民の知恵を発揮せねばならない。どなたか信頼に足りる方を見つけ、その人士の言に耳を傾けることである。れんだいこは、上述の人士の言に信を置き、その説を紐解く。他にこれより勝れた方法がありや。 2004.5月現在、思わぬところから「ホロコースト問題」がクローズアップされつつある。占領米英軍によるイラク人捕虜虐待の様子が露見しつつあるが、その虐待の様子がかってのナチス手法との近似性が注目されはじめ、否、ナチス手法というよりユダヤ人独特の他民族蔑視思想に基づく伝統的テロリズムそのものではないか、というところにまで発展しつつある。こうなると、改めて「ホロコースト問題」に言及せざるを得なくなるのも勢いであろう。 2005.12.8日、イランのアフマディネジャド大統領が、ホロコースト疑義発言をものし、同12.14日、「ユダヤ人の大虐殺(ホロコースト)は作り話だ」と断言した。2005.12.17日現在、国際世論が沸騰しつつある。 2004.5.25日、2005.12.17日再編集 れんだいこ拝 |
【「歴史修正主義」(historical revisionism、 revisionisme historique)考】 |
西欧史学において「歴史の見直し」機運が生まれているようである。その嚆矢がいつであるのかは不明であるが、強力に台頭しつつあるとのことである。彼らは、「歴史修正主義」(historical revisionism, revisionisme historique)的立場を標榜しており、右翼左翼を問わず発生している。その背景には、第二次世界大戦をファシズム対民主主義の闘いとして映し出し、ご都合主義的な反戦平和運動をプロパガンダし続けてきたネオ・シオニズム的歴史観との確執があるように思われる。そういう意味では、「歴史再検証主義」と命名するのが正しいように思われる。「歴史再検証主義」とは、ネオ・シオニズム的修正歴史観の再修正運動であり、その限りで「歴史の見直し」運動ということになる。こうなると、「歴史再検証主義」と云う方が適切であろう。 その最大の論点が「ホロコースト問題」である。ネオ・シオニズム的歴史観は、ナチスの蛮行を史上未曾有のそれとして確認し、人類が二度とこの災禍に見舞われないよう努力することが責務であるとし、この観点からの史実確認、歴史教育を推進しようとする。これに対し、「歴史再検証主義」的歴史観は、概ね「ナチスによる迫害の残虐を希釈」し、ネオ・シオニズム的歴史観に拠るホロコーストの実在を否定しようとしている。 その否定の様は、1・「ガス室はなかった」とする徹底否定派、2・「ガス室は確かにあった。だがそれはずっと小規模なものだ」なる中間派、3・「ガス室はあった。だがドイツ国民は知らなかったし、戦争につきもののことであり過度に責任を負わされるものではない」とする希釈派の三派から構成されている。 2005.12.17日再編集 れんだいこ拝 |
れんだいこのカンテラ時評№1233 投稿者:れんだいこ 投稿日:2014年 8月22日 |
ホロコーストの原義考 ここで「ホロコースト(holocaust)の原義考」をしておく。「ホロコースト」は現在、「ナチスによるユダヤ人迫害」を指して使われている。ホロコーストの史実性詮議はさておき、ここでは何故に「ナチスによるユダヤ人迫害」にホロコーストなる概念が被せられているのか、その不自然さに対する解を求めたい。 その為にまず「ホロコーストの原義」を確認しておく。どうやら旧約聖書の創世記の章での「ユダヤ民族の直接の父祖・アブラハムとエホバ神の問答」に端を発している。それによれば、アブラハムは晩年にようやくにして初めての子としてイサクを授かっていたが、或る日、「イサクを山上の聖壇で焼き殺せ」との神示を受けた。この場合の「焼き殺せ」をホロコーストと云う。 アブラハムが逡巡したのかしなかったのかは分からないが、神の命令を絶対として指示通りにイサクを祭壇の上でホロコーストしようとした。その刹那、「待て待て、もう良い。お前の信仰の深さはよくわかった。神の命令とあらば、ようやくにして授かった一人息子さえ犠牲にするその覚悟を見届けた。もうイサクをホロコーストするには及ばない」との天の声があって、めでたしめでたしとなった云々。この神話は、神の意思が絶対であること、神の意思を第一とするのが信仰であること、この信仰者に対して神の恩寵がもたらされるとする三段論法説話になっている。 この「アブラハムとエホバ神との問答」からホロコーストが始まっている。元々は「全燔祭」と訳されている。「日の出とエルサレム神殿と燔祭(ホロコースト)」(ピーター・コノリー・パトリック・レステリーニ著「イエス・キリストの時代」(東京書籍、1989年)参照)が次のように解説している。 概要「エルサレム神殿では、日の出の時、祭儀として犠牲の燔祭が東に向けて捧げられた。聖所が東向きに建てられており、一対の幕が下がり、白い大理石の床にT字帯(月経帯)型の溝が掘られている。ちょうど聖所が太陽を出産しているようなかっこうとなっている。ユダヤ教の律法の書に従って、日の出の時、T字帯の床に犠牲の血が注がれる。血を抜いた犠牲の内臓とその脂肪を聖所の前で焼き、その煙を天に届ける。この祭儀を燔祭(ホロコースト)と云う。その祭儀は、西暦70年、神殿の聖所が焼き討ちに遭い、立て篭もっていたユダヤ人が焼き殺されるまで毎朝続けられた」。 これが「ホロコーストの原義」である。それは、「信仰の真性を証す為に人身御供(生け贄)を聖壇で焼き尽す」儀式であり、その儀式を通して共同体の意思と結束を固め、「災厄の除去、贖罪、隆盛を祈願する」祭りとなっている。特に新年祭で盛大に行われ、様々な生け贄が供犠所に捧げられる。その最大の生け贄が人間で、その究極が新婚夫婦の「初子のお供え」であったと云う。この祭り全体を総称してホロコーストと呼ぶ。 しかしながら、どう見てもこのような教義、儀式、祭りは一般的なものではない。恐らく世界中捜しても例がない。例えば日本神道と比較してみよう。日本神道では神と人とは和楽的且つ談じ合い的であり、間違っても「アブラハムとエホバ神との問答」的な厳罰的なものはない。神は人の親であって、慈悲は掛けても、親が子に過酷な命令をすることはない。これを人から見れば、神は人にとっての理想であり、人が好んでその能力にあやかりたいと思うのが神であり、その神が人に対して酷い命令をすることはない。要するに、ユダヤ教と日本神道では神と人との関係が全く逆なものになっている。 よって、日本神道の教理にはホロコースト的教義は全く見出せない。そういう意味でホロコーストはユダヤ教独特の教義であり、ユダヤ教義の異質性を象徴している。日本神道から見れば、ユダヤ教の狂気性を物語る教義が多々認められるが、ホロコースト譚もその典型的な一つであり、それでしかない。 もとへ。以上で「ホロコーストの原義」を確認できたとして、「ナチスによるユダヤ人迫害」にホロコーストの名を被せるのにはどういう理由があってのことだろうか。見てきたように普通には繋がらない。それを敢えてホロコーストと命名しているからには、然るべき理由があってのことではなかろうか。 但し、ここが曲者なのだけれども、彼らは特有の二重基準で「内向けのホロコースト」、「外向けのホロコースト」の両刀使いをしており、「内向けのホロコースト」の意味を明かさない。「内向けのホロコースト」の意味は隠したままで、「外向けのホロコースト」即ちナチス糾弾論を流布させている。そういう訳で、「内向けのホロコースト」の意味を詮索せねばならない。彼らが、「ナチスによるユダヤ人迫害」にホロコーストなる命名を宛がった理由と真意を探らねばならない。思うに、「ホロコースト」には自律的積極的肯定的宗教的な「生贄の犠牲思想」が媒介している。であるとするならば、「ナチスによるユダヤ人迫害」にどのような犠牲思想性が認められるのだろうか。こう問う人は滅法少ないであろうが重要な問いである。 参考までに確認すると、「三省堂大辞林のホロコースト」は次のように記している。「大虐殺。特にナチスによるユダヤ人の大量殺戮(さつりく)をいう」。「小学館大辞泉のホロコースト」は次のように記している。「大虐殺。とくに、ナチスによるユダヤ人の大虐殺」。他も似たり寄ったりで、原義の「ユダヤ教に基づく燔祭的意味」をすっかり外していることが分かる。これでは「ナチスによるユダヤ人迫害」にホロコーストなる命名を宛がった理由が解けない。 「ホロコースト」はユダヤ教独特の用語であり、「祭儀の際の人身御供生け贄」を指している。「ナチスホロコースト」命名者は当然その語義に基づき命名している。となると、解し方は、「ナチスホロコーストの犠牲者」を「ホロコースト的生け贄」と受け取るしかない。あるいは「ナチスホロコーストの実行者」を「報復的生け贄」にするとの意思を込めたものと受け取るしかない。これ以外の理解の仕方は難しい。 こうなると、「シオン長老の議定書」に濃厚に表れている近代シオニズムのユダヤ王国再建思想を媒介せずには解けないのではなかろうか。即ち、「ナチスホロコースト」を、彼らの世界支配計画に政治的に供えられた生贄と位置づけ、彼らのイスラエル建国運動に資せる形で利用して行くものとする。これが「ナチスホロコースト」が歴史的に持つ使命であり地位ではないのか。 こう考えると、「ナチスホロコースト」は徹頭徹尾宗教性のものであり政治主義的なものであることが分かる。然しながら、ホロコースト命名者たちは、そのシオニズム的意味を隠して単に戦後反戦平和運動の誓いの起点としてプロパガンダさせていった。これにより「ホロコーストの教訓」が戦後反戦平和運動のリトマス試験紙の役割を担うことになった。お調子乗りが、ホロコーストに纏いつく宗教的政治的意味を理解せぬまま追随し今日に至っている。南京大虐殺事件には疑義を挟むがホロコーストは絶対の真なりとして講釈する自称インテリが身近にいるが、そういうユダ屋ナイズインテリばかりが登用されている。 ここまではまだ良い。問題は、「ナチスホロコースト」が偽史であった場合にどうなるか。これにつき西岡医師が精力的に論証しているのは周知の通りである。仮に「西岡医師のホロコースト虚構説」が真ということになると、一体どういうことになるのか。話がこういう風に続いていくことになる。この辺りでいったん筆を置くことにする。 |
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「take_tk 」さんからのレス(2014.8.23日)
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2014.8.23日現在の「ウィキペディア・ホロコースト」は冒頭を次のように記している。
「語源および語の使用の変遷」の項で概要次のように記している。
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【「ホロコーストの原義考」】 | ||
ホロコーストの原義は一般に、「焼き殺す」という意味を持つ用語とされている。「阿修羅議論・雑談5」の2002.11.20日付けあっしら氏の「『ホロコースト600万人誇張説』について」に貴重情報が開示されているのでこれを紹介しておく。「ホロコーストという呼び方」と題して次のように述べている。
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これは貴重な指摘である。「ホロコースト」の原義について、れんだいこは知りたかったけれども知らなかった。ここではっきりと教えられたことになる。それによれば、「ホロコースト」の本来の意味は、ユダヤ教世界における祭儀の際の「人身御供(生け贄)」を指しており、その「人身御供(生け贄)」という犠牲を払うことにより共同体の災厄の除去、贖罪、隆盛を祈願する行為を総称して「ホロコースト」と呼ぶ、ということになる。 さて、こうなると、「ナチスによるユダヤ人大量虐殺」を指して、宗教上の「ホロコースト」の原義を正しく踏まえて「ホロコースト」と命名した命名者の意識が詮索されねばならないことになる。命名者は、「ホロコースト」の原義に基づいて「ナチスによるユダヤ人大量虐殺」に対して「ホロコースト」と命名しているからには、「ナチスにより大量虐殺されたユダヤ人が何の犠牲に供されたのか」という意味が詮索されねばならないことになる。ここが問われないままにナチスのユダヤ人迫害及び虐殺をホロコーストと呼んで済ますのは片手落ちであろう。 「ナチスにより大量虐殺されたユダヤ人は何の犠牲に供されたとみなされているのか」。これは、シオニズムのユダヤ王国再建思想を媒介せずには解けないのではなかろうか。即ち、ネオシオニズムの世界支配計画に政治的供えられた生贄と窺うべきではなかろうか。こういう風に考えると、ユダヤ教におけるホロコーストの原義を知らずに「ナチス犯罪ホロコースト」をプロパガンダされ、操られることこそ危険ということになろう。 2004.10.21日 れんだいこ拝 |
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「★阿修羅♪ > ホロコースト6 」の飯岡助五郎氏の2013.12.10日付け投稿「ホロコーストやられたの、日本じゃねーかよ。ホロコーストはユダヤ教徒がやる「犠牲を丸焼きにする祭事」の意味だよな」を参照する。 英語の「holocaust」、日本語の「ホロコースト」は、フランス語の旧約聖書に記されたユダヤ教の「燔祭」という意味の「オロコースト(holocauste)」に由来している。このユダヤ教の祭事「オロコースト(holocauste)」が英語や日本語の旧約聖書に記載されていない。英語旧約聖書には、その部分が「バーント・オファリング(burnt offering)」と記され、日本語旧約聖書には「燔祭」と記されている。日本語旧約聖書レビ記1章9節 「燔祭」は次のように訳している。
英語旧約聖書レビ記1章9節 「バーント・オファリング(burnt offering)」は次のように訳している。「You are to wash the internal organs and the legs with water, and the priest is to burn all of it on the altar. It is a ★burnt offering, a food offering, an aroma pleasing to the LORD」(http://biblehub.com/leviticus/1-9.htm)。 フランス語旧約聖書レビ記1章9節 「オロコースト(holocauste)」は次のように記している。「Mais il lavera avec de l'eau le ventre et les jambes, et le Sacrificateur fera fumer toutes ces choses sur l'autel; c'est un ★holocauste, un sacrifice fait par feu, en bonne odeur à l'Eternel.」(http://mar.saintebible.com/leviticus/1.htm)。イタリア語旧約聖書レビ記1章9節は「オロカウスト(olocausto)」(http://biblehub.com/rb/leviticus/1.htm )、スペイン語旧約聖書レビ記1章9節は「オロカウスト(holocausto)」(http://lbla.bibliaparalela.com/leviticus/1.htm )、ドイツ語旧約聖書レビ記1章9節は「バーントオプファ(Brandopfer)」(http://l12.bibeltext.com/leviticus/1.htm )と訳している。 これによれば、「ホロコースト」とは、ユダヤ教に基づく「燔祭(丸焼きにして神前に犠牲を供える祭事)」であることが分かる。これを、「三省堂大辞林のホロコースト」では「大虐殺。特に,ナチスによるユダヤ人の大量殺戮(さつりく)をいう」、「小学館大辞泉のホロコースト」では、「 大虐殺。とくに、ナチスによるユダヤ人の大虐殺」、「オックスフォード現代英英辞典のholocaust(ホロコースト)」では、「1[C] a situation in which many things are destroyed and many people killed, especially because of a war or a fire、2(the Holocaust)[sing.] the killing of millions of Jews by the Nazis in the 1930s and 1940sと記し、原義の「ユダヤ教に基づく燔祭」的意味を外していることが分かる。 「★阿修羅♪ > 戦争b11」の飯岡助五郎氏の2013.8.19日付け投稿「第二次世界大戦中にホロコースト(犠牲を焼き尽くす祭儀)が行なわれたのは日本ですよね?」は、「ホロコースト」(ユダヤ教に基づく燔祭(丸焼きにして神前に犠牲を供える祭事)を次のように説明している。
長崎への原爆投下の日である8月9日は、ユダヤ暦でいうとアブ月(西暦7~8月)の9日、ユダヤ教最大の悲しみを記念する祭日「アブの9日」と符合している。この日は、「ユダヤ戦争の最中、ユダヤ暦アブ月(西暦70年7~8月)9日に、エルサレム神殿の聖所に火が放たれ、立て篭もっていたユダヤ人とサドカイ派の祭司たちが生きたまま焼き殺された日」であり、「ユダヤ戦争の西暦70年の悲劇を記念するユダヤ教の祭日」となっている。焼き討ちをしたのは、ヨセフス著「ユダヤ戦記」 によると、ローマの同盟軍になったレビ人の軍であった。その軍を率いたのは、レビ人の祭司王が統治したハスモン王朝の、その母系末裔にあたるアグリッパ2世である。レビ人とは、レビ族という祭司族の中でも、アロンに連なる家筋ではなく、モーセに連なるの血筋である。レビ人にとってエルサレム神殿聖所の焼き討ちは、77年目のリベンジだった。アグリッパ2世の曾祖母にあたるハスモン皇女のマリアムネは、身内を皆殺しにしたユダヤ王ヘロデによってアリストブロス王子を産むが、彼女もその王子も、ユダヤ王ヘロデの命令で処刑された。アリストブロス王子が処刑されたのが紀元前7年、その子孫アグリッパ2世たちがエルサレム神殿でユダヤ人を焼き殺したのが西暦70年、ちょうど復讐の数77年目にあたる云々。 |
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「ホロコースト」は、ユダヤ教の正式な教義用語であり、「祭儀の際の人身御供(人の生け贄)」を指している。命名者は当然その語義に基づき「ホロコースト」を認識している。然しながら、異教徒に対してはその宗教的隠喩を隠して単に戦後反戦平和運動の誓いの起点としてプロパガンダされることになった。そのことにより、「ホロコーストの教訓」がリトマス試験紙の役割を担うことになった。 問題は、「ホロコースト」がナチスによるユダヤ人600万人の組織的虐殺という伝えられる内容が偽であった場合にどうなるかである。当然、「ホロコーストの教訓」は偽リトマス試験紙の役割を担うことになる。こちらの方が真相ということになると、世のホロコースト論者は、その偽リトマス試験紙に則って阿諛追従していることになる。この阿諛追従の出来映えで博士号が授与され、その博士号の権威で更なるホロコースト論プロパガンダが流布されているということになる。これが実相だとしたらネオ・シオニズム教学に基づく学問の世界のお粗末さが見えてこよう。 2005.4.4日 れんだいこ拝 |
【通説「ホロコースト」の定義】 | ||||||||||||
通説「ホロコースト」は次の通りである。上記の「宗教的生贄犠牲説の真意」を顧慮することなく専ら「虐殺被害の実態」についてのみ注目し論述している。 「ホロコースト記念館について」では、ホロコーストを次のように説明している。
しかしこれでは漠然としすぎている。「帝国電網省」の主宰者竹下義朗氏は、「歴史再考」の「ナチスは『ホロコースト』等していない!! ─『ユダヤ人600万人虐殺』の真実」で次のように要領よく纏めているので参照する。概要次のように云える。
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【竹下氏の「通説ホロコーストへの疑義」とからくり解析】 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
「帝国電網省」の主宰者竹下義朗氏は、西岡論文(「南京とアウシュビッツ、『マルコポーロ事件』、ナチ『ガス室』はなかった」に掲載されている)、「アウシュウィッツ『ガス室』の真実 本当の悲劇は何だったのか?」(西岡昌紀、日新報道、1997年)を参考にしつつ「歴史再考」論文「ナチスは『ホロコースト』等していない!! ─『ユダヤ人600万人虐殺』の真実」で、上述のような「ホロコーストの概略定説」に対し、次のように述べている。
概要次のように疑義を呈している。
以上を踏まえて次のように述べている。
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【木村氏の「通説ホロコーストへの疑義」とからくり解析】 | |||||
インターネット界の梟雄・木村愛二氏もほぼ同様の疑問と見解を示している。「偽イスラエル政治神話」(その22)で、次のように記述している。
木村氏は、「イラク拷問惨劇にユダヤ人関与の疑い濃厚で原因にホロコースト神話の怪物的被虐・加虐深層心理」で、次のように述べている。
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ここが木村氏の秀逸なところであるが、現に進行中の米英ユ連合軍による残虐行為を指弾する目線を保持しつつ、その為に「ホロコーストの大嘘」を告発する責務を感じている。この緊張感のない「ホロコースト神話信奉者」が多すぎる。米英ユ連合軍による残虐行為を指弾する論拠にならないような「ナチズムオンリー万年攻撃ホロコースト論」なぞ何の意味があろう。せいぜい教養主義の産物でその類のものは飾り物でしかなかろう。 2005.3.2日再編集 れんだいこ拝 |
【初期ホロコースト見直し論者にして元レジスタンス派のポール・ラッシニエのホロコースト論考】 | ||
木村愛二氏は、「アウシュヴィッツの争点 (その68)終章:核心的真実~または人類史の最後にしてほしい情報操作の本音の真相~ 」(http://www.jca.apc.org/~altmedka/aus-68.html)の中で、「ホロコースト見直し論の父」と称されるフランスのポール・ラッシニエについて言及して次のように述べている。
西岡昌紀氏の「戦後世界史最大のタブー。ナチガス室はなかった」の「ガス室による大量虐殺に疑問を呈した最初の知識人はフランス左翼知識人。戦争中はレジスタンスに参加して、ナチの弾圧まで受けた人物であった」は、ポール・ラッシニエについて次のように述べている。
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【「元フランス共産党政治局員ロジェ・ガロディ裁判」考】 | ||
木村愛二氏の「イスラエル兵をナチスに例えた9年前のイスラエルの新しい歴史家」は、ロジェ・ガロディのホロコースト批判を紹介している。ロジェ・ガロディの履歴は次の通りである。
そのロジェ・ガロディは、ホロコースト批判の政治責任が問われ、当局により提訴された。「偽イスラエル政治神話」(その35)は、その「ガロディ裁判」を次のように紹介している。
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ポール・ラッシニエ、ロジェ・ガロディらが「云われるところのホロコースト否定論」を主張している政治的意味は大きい。今日、多くのいわゆる自称左派は、「云われるところのホロコースト論」を強く大きく主張すればするほど左派だと思い込み、プロパガンダに加担している。しかし、
ポール・ラッシニエ、ロジェ・ガロディら真性の左派は、そういう態度を採らなかったというのが重要である。即ち、エセ左派、サヨは、ネオ・シオニスト教学に則りホロコースト論を主張しているに過ぎないという姿態が透けて見えてくるという訳である。 2006.9.11日 れんだいこ拝 |
【V・E・フランクル著「夜と霧」のホロコースト論考】 | ||
「阿修羅議論20」のたけ(tk) 氏の2005.2.5日付投稿「『夜と霧』について。如往さんへ」が、V・E・フランクル著「夜と霧」(霜山徳爾訳)を紹介している。それによると、V・E・フランクルは自身が収容所体験者であり、次のように述べている。
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これを仮に「V・E・フランクル証言」とすると、「V・E・フランクル証言」は、明瞭にではないが「巷間で云われるようなホロコーストの否定」をしていることになる。 2005.3.2日再編集 れんだいこ拝 |
【ホロコースト否定派の受難史考】 | |||
木村愛二氏は、「『偽イスラエル政治神話』(その32)イスラエルの“新しい歴史家たち”[付録]」(http://www.jca.apc.org/~altmedka/nise-32.html) で、イスラエル国内でのホロコースト論批判の存在と、批判者受難の様子を紹介している。これを要約すると次のようになる。 1995.4.28日、イスラエルの「ヤルシャライム」紙は、エルサレムのヘブライ大学でゲルマン研究学科の主任にして、ユダヤ人・第三帝国・ホロコーストなどのドイツ問題の専門家であるモシェ・ツィムメルマン教授とインタヴューした。その時、同教授は、公認通説の歴史観と食い違う次のような発言をした。
79人の教授(リクード党員または宗教的な統一主義者)が、「ツィムメルマン教授の教壇追放請願運動」を開始した。これに反対する議論も為されたが、イスラエルの「ハアーレツ」(1995.5.10日号)紙は、「ツィムメルマン教授をヘブライ大学の教壇から追放せよ」と威嚇する記事を掲載した。 |
【ホロコーストの意味と用例考】 | |||||
「ホロコーストの意味と用例」を転載する。次のように尋ねている。
これの答えを確認しておく。
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(私論.私見)