西岡医師のホロコースト論れんだいこ考 |
(最新見直し2009.2.26日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、西岡医師のホロコースト論についてのれんだいこ見解を記しておく。 2009.2.26日 れんだいこ拝 |
【西岡医師のホロコースト論れんだいこ考】 |
西岡医師は去る日、雑誌マルコポーロ1995.2月号(1.17日発売)の「ホロコースト50周年」記念特集に「戦後世界史最大のタブー。ナチ『ガス室』はなかった」を発表し、話題を投げたことで知られる。これに、ナチス犯罪追求のユダヤ人組織Simon
Wiesenthal Center(サイモン・ヴィーゼンター略称「SWC」)が猛然たる抗議を仕掛け、雑誌マルコポーロ(編集長・花田和凱)は廃刊、花田編集長の解任に追い込まれた。マルコポーロ発行元の文芸春秋社の田中社長は辞任、同社は80名以上の大規模な人事異動を余儀なくされた。 西岡医師は、騒動の原因者としての責任を自覚してか、その後も精力的なホロコースト研究に向かった。事件から2年後の1997.6月、「アウシュウィッツガス室の真実 本当の悲劇は何だったのか 」(日新報道 )を出版し、ナチス批判の論拠としてのホロコースト定説批判にますます磨きをかけ、今日に及んでいる。 2009.2.23日、西岡医師は、ネットサイト「★阿修羅♪ > ホロコースト4 >」に自ら前掲著書を転載した。2008.年末から2009年初頭に繰り広げられたイスラエルのガザ攻撃に言及した後、「これは、私のインティファーダです」と述べ、「コピペによる転送、転載を歓迎します。以下の文章の一部分でも全体でも、自由に御利用下さい」としている。 れんだいこは、いつの時点であったか定かでないが、マルコポーロ掲載時点では知らなかった西岡論文「戦後世界史最大のタブー。ナチ『ガス室』はなかった」を知り、以来西岡医師の諸言説に注目するようになっている。こたび、「アウシュウィッツガス室の真実 本当の悲劇は何だったのか 」を読み、西岡医師関連のサイトを設けることにした(「別章【西岡論文考】」) れんだいこは、西岡医師の諸言説になぜ注目するのか。それは、学究的な意味で史実見直しの重要提言であると同時に戦後来の反戦平和運動の構図の改変を迫っており、そういう意味で世界を変える契機を秘めていると思うからである。以下、このことについて言及しておく。 西岡医師の論の中身に入る以前の問題として、次の二点を好評価しておく。冒頭で言及したが、西岡医師は、2008.年末から2009年初頭に繰り広げられたイスラエルのガザ攻撃に言及した後、「これは、私のインティファーダです」とコメントしている。これは存外大事なことで、学問を学問だけの世界に止めず、学問的果実を現実の政治問題に対する態度決定に資させているという陽明学的知行合一なところが素晴らしいと好評価したい。 次に、「コピペによる転送、転載を歓迎します。以下の文章の一部分でも全体でも、自由に御利用下さい」としているところも素晴らしいと好評価したい。西岡博士は、真実は真実自身が広まることを求めていることを感知しているようで、自らを真実の語り部として位置づけ、その成果を無償で惜しみなく伝えんとしている。今日び流行り病の著作権病に冒されていない。不思議なもので、良質労作ほど引用転載フリー、二級以下ないしは駄文労作ほど引用転載につき事前通知、要承諾制に拘る傾向が認められる。この法理に照らせば、西岡医師の引用転載フリー精神は、良質労作の必要条件を備えていることになる。 以上、西岡医師のホロコースト研究は、中身以前の構えからして評価されるに値するものである。れんだいこは、かく認めている。当然と云うべきか、構えからしてそうであるからして、中身もこれまた素晴らしいものになっている。以下、これを二点に於いて確認しておく。 れんだいこの見るところ、西岡博士のホロコースト研究は、第二次世界大戦後の反戦平和闘争の虚構のロジックを急所根本の所で撃っているところに値打ちが認められる。このことの持つ史的意義は存外大きい。西岡医師自身は、いわゆるホロコーストの定説に対する異議に限定して言及している。あたかもそういう弁えに踏みとどまることを自身の使命としている感がある。それは良しとしよう。ひとたびは、ホロコーストの史実検証に戻らねばならないのだから。我々は、これを正確無比に為す西岡医師の営為を称えよう。 付言しておけば、そういう西岡医師のホロコースト研究の革命性に対して、いわゆるウヨサヨが血相変えて噛みついている。あたかもウヨサヨの正体見たり枯れ尾花の感がある。れんだいこは、この生態について別章【ホロコースト論争考】、別章【言論、出版弾圧事件考】で確認している。通説の提灯野朗がひしめいていることが判明する。中には、三鷹板吉氏のように「当初は否定派に与していたが、調べるうちに肯定派に至った」として、粗雑なホロコースト論をぶつ者まで現われている。れんだいこと丁度逆の事例であるので記しておく。 もう少し付言しておけば、インターネット上で、ホロコースト肯定派「高橋亨ー山崎山崎カオル」組、対する否定派「西岡ー木村愛二」組の論争が延ぜられた経過がある。前者に三鷹板吉が後者にれんだいこが加わっていると云う構図にある。この決着はまだつけられていないが、今すぐにでも追々にでも再開されるべきであろう。その際、西岡医師の「アウシュウィッツガス室の真実 本当の悲劇は何だったのか 」を叩き台テキストにすれば良かろう。 ここで、れんだいこの参戦経緯を説明しておく。れんだいこは、これまでホロコーストについて特段の関心を持ってこなかった。つまり、定説的なホロコースト論に与する陣営に位置していた。ところが、れんだいこがこれまで手掛けた宮顕に関係する「戦前日本共産党内の党中央委員査問致死事件」、田中角栄に関係する「ロッキード事件」、戦前軍部の犯行に関係する「南京大虐殺事件」、それに関連する「百人斬り事件」、A級戦犯処刑に関連する「国際軍事法廷東京裁判」等々の通説批判を経由して次第にこれらの背後に垣間見える隠然とした裏政府の存在と世界支配の構図に気づき始めた。その頃丁度、太田龍・氏のネオ・シオニズム研究の謦咳に接した。これにより、それまでボンヤリしていたものが次第にくっきりとし始めた。ネオシオニズム研究に向かうとホロコースト論に辿り着くのは必定である。 こうして、ホロコースト研究の道に入った。もっとも、れんだいこの場合、ホロコースト研究に於いては、れんだいこ自身が資料に目を通す営為はしていない。なぜなら、既に先輩の立派な研究があるから、これを糧にした方が良かろうと分別したからである。一般に、論争の中身と判断が分からない場合、信に足りる人の言説かどうかで判断するのも一法である。世の中一事万事で、信の置ける人は大概良い仕事をしたり言説しているものである。逆は逆である。こういう分別で、れんだいこは、西岡医師と木村愛二氏の見解に与している。 もとへ。西岡医師の立論は革命的であり、ホロコースト論、南京大虐殺論の二大巨根に立脚した第二次世界大戦後の反戦平和闘争に対して根本的疑義を生む。これは間接的に第二次世界大戦後の世界支配構造に対する疑義へと繋がる。西岡医師のホロコースト研究は、そういう作用を生む地雷原的働きを背負っている。 尤も、西岡医師自身は、あくまで学究的なホロコースト研究であり、ナチスがユダヤ人を絶滅せんとしてユダヤ人を隔離収容して最大600万人にも及ぶかも知れない毒ガス大量殺害したとする定説に対する見直しを迫ること自体を目的としているようである。つまり、非政治的な抑制を利かしているように見受けられる。 それはそれで良かろう。人はそれぞれ御身保全的に行き抜かなければならない環境下にあることを思えば。但し、皆が皆そうした弁えを分別するのが良いとは云えない。日本左派運動は、これを推進する主体の者にとっては、西岡医師的弁えに止まるべきではなかろう。西岡医師のホロコースト定説批判を受けて、我々の政治運動に資すべく活用せねばならないと思う。第二次世界大戦後の反戦平和闘争を、既成のホロコースト論、南京大虐殺論のマヤカシに立脚することなく、我々自身の観点からの反戦平和運動論を構築せねばならない。西岡医師の研究は、我々にそういう課題を突きつけていることになる。 且つ、我々は、博士が政治的に穏健に止めている垣根を越えて、忌憚無く表現せねばなるまい。これは、学問と政治運動のあるべき弁証法的関係の一つの範例に値する。日本左派運動はこれまで情緒的戦闘的な闘争分野に於いて革命性を証してきたが、理論と実践の高次な結合に則った運動を組織することも必要だろう。れんだいこ的な受け取りでは、西岡医師の研究は、我々にそういう課題を突きつけていることになる。 れんだいこは、西岡博士のホロコースト研究にもう一つの意義を認めている。それは、博士のホロコースト論に見せた学究的態度の素晴らしさである。西岡博士のホロコースト研究は、ホロコーストのみならずその他事象の研究の際の大いなる手引きとなる面を併せ持っている。西岡医師のホロコースト研究作法は、ある事象を解析する場合、問題をどのように位置づけ、どのように論証し、どのように議論していくべきかの模範例を示している。何事も、このような学問的態度でアプローチすることが望まれているとする基準を自ら開陳している。この功績や大と云うべきだろう。 れんだいこは、西岡博士の「アウシュウィッツガス室の真実 本当の悲劇は何だったのか 」でもって、ホロコースト論の決着がつけられたと思っている。定説派が、今後も定説を維持し唱える以上は、同書の水準を超えるものでなくてはならない、そういう域のものを手掛けたと思っている。残念ながら、定説派は相も変わらず罵詈雑言で報いてくるだろうが、それは知の貧困を自ら晒すだけの惨めさを証左することになろう。この後の流れを注視してみたい。 2009.2.26日 れんだいこ拝 |
(私論.私見)