マルコポーロ論文補足

 (最新見直し2009.2.27日)

【西岡氏のその後における見解披瀝】
 西岡氏は後日、「戦後世界史最大のタブー。ナチ『ガス室』はなかった」執筆の経緯を次のように明らかにしている(アウシュヴィッツの嘘)。

  1996.5.11日、執筆経緯について次のように述べている。
 「私は、言うまでもなく、ナチスに共感など抱く人間ではありませんが、1989年頃からホロコーストについて実は深刻な論争が存在する事を知り、その両論を英文で読み、知る内に、この問題は公に論じられるべきだと考える様に成った者です。この問題は、単なる『歴史』以上の政治的意味を持った問題であり、その証拠に、欧米では、近年、ホロコーストに関する自由な議論が法律で規制されると言う、驚くべき状況が生まれています。又、日本では全く報道されていませんが、一部の心ないユダヤ人(シオニスト過激派)たちが、『ガス室』の存在に疑いを投じる人々に暴力を加えると云った事件も多発しているのです。

 その一方で、『ガス室』の存在に疑いを投げかける人々は、近年増え続け、その中には、ユダヤ人も含まれている事に注目して頂きたいと思います。そもそも、『ガス室でユダヤ人が殺された』と言う話に最初に疑いを投げかけた歴史家や知識人は、レジスタンスとしてナチスに抵抗した人々やユダヤ人だったのですが、この事が余りにも知られていません。こうした事を含めて、私がマルコポーロ1995年2月号に書いた事は、『ナチスの擁護』でも『反ヤダヤ主義』でもなく、真実が何であったのかを明らかにしたいと言う気持ちの現れ以外の何物でもありません」。

 「そこで私が歴史の真実として述べた結論は以下の様な物です」として次のように述べている。
 ナチスドイツが、ユダヤ人に不当な差別迫害を加えた事は、明白な史実である。しかし、そのナチスドイツですら、言われている様に「ユダヤ人の絶滅」などを計画した事は無かった。当時のドイツ政府が計画した事は、ヨーロッパの全ユダヤ人を戦後ロシアなどの「東方地域」に強制移住させる事だった。(それは、もちろん不当な事である)
 アウシュウィッツをはじめとする強制収容所の建設目的は、戦争中はユダヤ人を労働力として利用し、戦後はロシアなどに強制移住させる為の準備施設としての物だった。ところが、ソ連戦線でドイツが敗退した結果、ユダヤ人の東方への強制移住計画など全く不可能と成り、他方、戦争の影響で、それらの収容所の生活環境が悪化した。その為、強制収容所では特にチフスをはじめとする疾病が大発生し、多くのユダヤ人が悲劇的な死を遂げた。
 一方、連合軍は、戦争中から、戦時宣伝の一環として、ドイツが強制収容所でユダヤ人を大量に処刑していると言う宣伝を行ない、その様な宣伝の中で、「ガス室大量殺人」の話を流布していた。
 戦争末期から戦争直後にドイツの収容所を解放した連合軍は、そこで多くの病死者の死体を発見した。そして、それらの死体の山を、まるで「ガス室大量殺人」の犠牲者であったかの様に発表、宣伝した。

 「皆さんは、以下の事を今まで御存知だったでしょうか?」として次のような疑問点を列挙している。
 戦後、これだけ「ヒトラーはユダヤ人絶滅を命じた」と言われ、信じられていながら、ヒトラーもしくは他のドイツ指導者が「ユダヤ人絶滅」を命令した事を示す文書は、一枚も発見されていない。
 ナチスの収容所に入れられていた人々、即ち、ナチスの被害者の中には、「ガス室」の存在に否定的な証言をしている人々が少なからず居た。
 戦争中、連合軍の航空機が撮影したアウシュウィッツの航空写真を見ると、アウシュウィッツで「ガス室大量殺人」が行われていたと言う主張と両立しない様な事実が色々確認出来る。例えば、死体を焼却する煙が絶えず上がっていたと強調されているのに、アウシュウィッツの敷地内から煙は全く上がっていない。又、多くの死体を焼却するのに必要な石炭も写っていない。
 これだけ、「ガス室で多くの人々が殺された」と言われていながら、連合軍は、ヨーロッパの何処でも「ガス室」、即ち「毒ガス」で殺された死体など一体も(!)確認していなかった。
 ドイツが、「ユダヤ人絶滅計画」などという計画の為に予算を支出していない事が確認されている。
 「ガス室」の設計図も発見されていない。
 「ガス室」での処刑を記録したドイツ側文書も発見されていない。
 ドイツは、ポーランドに建設したトレブリンカ、ヘルムノ、ソビボル、ベルゼックの4つの収容所で、「ディーゼル・エンジンで一酸化炭素を発生させるガス室」を使っていたとされているが、そんな「ガス室」の「実物」は一つも「現存」しない。それどころか、ディーゼル・エンジンは、一酸化炭素を殆ど排出しない事が特徴であり、こんな事は科学的に考えられない。
 マイダネック収容所で「ガス室」として公開されている部屋は、1966年頃を境にして変わっている(!)。即ち、かつてポーランド当局が「ガス室」として公開していた部屋が、何故か今は「ガス室」として公開されていない。
10  アウシュウィッツに展示されている「ガス室」の一つは、かつては、「戦争中そのままの状態の物」として公開されていた。それが、今では、「復元された物」と説明されている。
11  アウシュウィッツとマイダネックでは、「ガス室」で青酸ガスが使われたとされている。しかし、青酸ガスが使われた筈のそれらの建物からは、青酸(シアン)化合物が多量に使われた形跡が無い事が、化学分析で確認されている。
12  青酸ガスによる処刑は、アメリカでは、最も高価な処刑法である。
13  ナチスは、アウシュウィッツなどで青酸ガスを発生させる方法として、チクロンBと言う殺虫剤を転用したとされている。しかし、チクロンBから青酸ガス(HCN)を発生させるには、何時間もの時間が必要である。又、青酸ガス(HCN)には、壁などに吸着しやすいと言う性質が有る為、使用後の換気にも長時間が必要とされた。こうしたチクロンBの性質から考えて、一日に大勢の人間をチクロンBで次から次へと処刑出来たとは到底考えられない。即ち、チクロンBは、「大量虐殺」などという目的には向かない。
14  チクロンBの使用効率を高める為には、チクロンBを加熱する事や、「ガス室」内部の空気を循環させる事が必要である。それは、当時の技術で容易に行えた事で、実際、チクロンBによる殺虫作業においては普通に行われていた。しかし、言われている説明には、そうした話が全く出て来ない。
15  「ガス室」を見たと主張した「目撃者」の多くが、後年、他者から追求されると、自分の「証言」を撤回している。

 「マルコポーロ論文」について次のように訂正している。
 「マルコポーロ」の記事の中で、私は、幾つか不正確な記述もしています。特に、チクロンBの物性に関して、上述の加熱の意義を誇張し、絶対必須の操作であるかの様に述べた事は、間違いでした。又、もっと本質的な事ですが、「ホロコースト」と言う言葉の定義が明快でなかった事は、あの記事を執筆した時を振り返って、最も自己批判している事柄です。
 ★阿修羅♪ > ホロコースト5 >」の2009.1.30日付け投稿「チクロンB(Zyklon B)について 西岡昌紀

(転載歓迎)

 『マルコポーロ』廃刊事件から14年が経ちました。今も、多くの方が、ネット上で あの事件に言及し続けておられます。そして、その中で、事件の切っ掛けに成った私の記事(『戦後世界史最大のタブー・ナチ『ガス室』はなかった』)に言及される事が有りますが、この記事には、当時の私の不勉強を反映した誤りや不正確な記述が有りました。特に、「ガス室」で殺人目的に転用されたと言はれる青酸系殺虫剤ツィクロンB(Zyklon B)の物性と毒性について、私は、同記事の中で、大きな誤りをおかして居ます。具体的には、『マルコポーロ』の記事の中で、私は、ツィクロンBが青酸ガスを遊離し終えるのに長時間を要する事と、同剤の毒性の強弱の問題を混同し、ツィクロンB(サイクロンB)の毒性が低いかの様な記述をして居ます。これは大きな間違いですので、この場で、再度訂正を重ねさせて頂きます。繰り返しますが、これは、当時の私の不勉強と不注意による物です。この誤りについて、私は、既に廃刊事件直後の1995年から、パソコン通信のPC−VANで自己批判と訂正を行なって居ます。又、1997年に発表した私の単行本(『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか?』日新報道・1997年)の中でも、そうした自己批判と訂正を繰り返して居ますが、『マルコポーロ』廃刊事件から14年が経った今も、そうした私の自己批判と訂正が十分に伝わって居ないと感じて居ます。『マルコポーロ』廃刊事件から14年目の日に当たって、この点について、あらためてお詫びを申し上げると共に、1997年の単行本(『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか?』日新報道・1997年)で私が述べたツィクロンB(サイクロンB)の物性に関する記述を以下に引用する事で、訂正を繰り返させて頂きたいと思ひます。

(「ナチのガス室」が実在した物証が存在せず、当時のドイツが、ユダヤ人を差別、迫害をした事自体は明白であるが、ユダヤ人を「絶滅」しようとまでした証拠は無い、とする私の見解自体は、当時も今も変はり有りません。)

 2009年1月30日(金)

 マルコポーロ廃刊事件から14年目の日に  西岡昌紀

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 チクロンBは、青酸ガスを遊離します。そして、青酸ガスは猛毒です。ですから、そのことだけを考えれば、「チクロンBによる大量殺人」という話は、何も不合理ではないように思われるかも知れません。しかし、こうしたこうしたことをするのに一体どれだけ時間が必要か、ちょっと定量的に考えてみたいのです。今、「定説」側が説明するように、「大量殺人」の目的で、チクロンBを「ガス室」に投げ込んだとしましょう。すると、投げ込まれたチクロンBは、先に述べたような原理で青酸ガスを遊離し始めます。ところが、ここで考えなければならない問題があるのです。それは、そうした青酸ガス遊離がどれくらい続くのか、という問題です。即ち、青酸ガスを吸収または吸着したパルプ片など(チップ)が「ガス室」に投げ込まれる。そして、その投げ込まれたチップから青酸ガスが遊離し始める。それは分かります。しかし、それでは、その青酸ガスの遊離が完全に終わるまでに、一体どれくらいの時間が掛かるのか。それを考えなければなりません。即ち、缶を開けてチクロンBの中身(パルプ片などのチップ)を出すと、それらのチップは青酸ガスを遊離し始めます。それを「ガス室」に投げ込んだのだと「定説」は言うわけですが、ここに重大な問題があります。それは、投げ込まれたチップからの青酸ガス遊離が終わらない内は、「ガス室」内部での青酸ガス遊離は続くということです。従って、その間は、「ガス室」を換気することは無意味ということになります。また、当然のことながら、その間は、「ガス室」の扉を開けることも、その中から死体を搬出することもできません。

 ですから、その「ガス室」での「大量殺人」に従事する作業員たちは、たとえ「ガス室」の中の人間が全員死んだとしても、「ガス室」内部でチクロンBが青酸ガスを遊離し続ける間は、「ガス室」の扉を開けることもできず、その外で待ち続けなければならなかったはずなのです。ところが、戦前チェコのプラハで発行されていたチクロンBの使用指示書(NI−9912)や、チクロンBの製造元が発行していた使用説明書を読むと、こう書かれてあるのです。チクロンBから青酸ガスが遊離し続ける時間(Einwirkungszeit)は、摂氏5度以下の場合で32時間、加熱すれば遊離は早まり、この時間を短縮できるが、それでも最低6時間にはなる、と。つまり、気温によって差はありますが、一旦チクロンBを缶から出したら、最低でも6時間は、青酸ガスを遊離し続けるということです。それどころか、気温が低ければ(摂氏5度以下の時)、32時間も青酸ガスが遊離し続ける場合もある、ということなのです。ですから、もしそのチクロンBを「ガス室」に投げ込んだら、投げ込まれたチクロンBは、5度以下では32時間、加熱した場合でも最低6時間は、青酸ガスを遊離し続けることになるのです。当然、その間は、たとえ「ガス室」内部の人々が全員死亡したとしても、「ガス室」を換気することも、扉を開けることもできない、ということになります。その上、プラハで発行されていた前述の使用指示書(NI−9912)や、チクロンBの製造元が発行していた使用説明書を読むと、こんなことも書いてあるのです。チクロンBを使って倉庫などの害虫駆除を行なった場合、その倉庫などの換気にどれくらい時間をかけるべきか、という記述があるのですが、それらによると、10時間から20時間の換気をしないと安全ではない、というのです。つまり、チクロンBが遊離する青酸ガスに、壁などに吸着し易いという物理的性質があるからだと思われます。(また、別の資料には、こうした吸着性の故に、強制換気をしてもあまり変わりがなく、それよりも長時間、自然の通風によって換気した方がよいという記述があるそうですが、この資料は、私自身は未入手で読んでいません) いつ、どんな場所でも、このような長時間の換気が必要だったとは思いませんが、今論じている「ガス室」の場合、中空の部屋などではなく、人間の体でびっしりと満たされた空間なのですから、普通の倉庫などよりも換気が困難なことは想像するまでもありません。そこで仮に、この数字をそのまま適用すると、チクロンBで「ガス室処刑」を行なった場合、これだけ時間が掛かることになります。前述のように、チクロンBの青酸ガス遊離が終わるまでに最短でも6時間、最長で32時間。そして、換気に10時間から20時間というわけですから、合計して、最短で16時間、最長で52時間。「ガス室」にチクロンBを投げ込んで「処刑」を開始してから、「ガス室」の換気を終了するまでに、これだけ時間が掛かるということです。これが、「民族絶滅」の方法なのでしょうか?

 (西岡昌紀『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』 (日新報道・1997年)217〜220ページより)

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 (転送、転載を歓迎します。)


【「その後の西岡見解」】
 「阿修羅ホロコースト板」が創設され、そこに西岡氏が登場し、いずれも貴重な次のような投稿をしている。これを転載しておく。
「ナチ『ガス室』はなかった」における私の誤った記述等について
 http://www.asyura2.com/0502/holocaust1/msg/279.html
 投稿者 西岡昌紀 日時 2005 年 2 月 27 日 15:58:25: of0poCGGoydL.
 「マルコポーロ」廃刊事件から10年が経ちました。あの事件の切っ掛けと成った、マルコポーロ」1995年2月号の記事「戦後世界史最大のタブー『ナチ・ガス室』はなかった」の筆者として、一言御挨拶をさせて頂きます。

 数日前、木村愛二さんから、阿修羅にホロコースト板が立ち上げられた事を聞きました。そこで、早速覗いてみると、こんなにも多くの方がこの問題を議論しておられるので、非常に驚かされました。皆さんの活発な議論を期待し、私自身、時々覗いて、大いに勉強させて頂きたいと思ひます。

 さて、折角の機会ですので、あの事件について、幾つか述べたいと思ひます。先ず、既にパソコン通信や1997年に出版した自著「アウシュウィッツ『ガス室』の真実・本当の悲劇は何だったのか?」(日新報道)などにおいて、繰り返し述べている事ですが、私が「マルコポーロ」に寄稿した記事(「ナチ『ガス室』はなかった」)の文中には、誤った記述や曖昧な表現が幾つも有りました。

 特に、サイクロンB(チクロンB)の物性について、私は、青酸ガス(シアン化水素)の遊離に長時間を要する事を毒性の低さと誤解し、又、加熱を必須の操作の様に述べるなどし、誤った事を書きました。この事については、既に「マルコポーロ」廃刊直後から、何度も訂正とお詫びを申し上げて居ますが、今回立ち上がったこの板においても指摘が有るので、改めて、当時の私の誤りをここで明らかにし、お詫びを申し上げます。その上で申し上げますが、私は、「マルコポーロ」廃刊事件(1995年)から2年後に、そうした自分の誤りを訂正する事をも目的の一つとして、単行本(「アウシュウィッツ『ガス室』の真実」)を発表しておりますので、私の見解については、この1997年の単行本の記述に即して、御批判等下されば、と思ひます。
Re: 了解しました。西岡様には訂正本を読んでから質問いたします
 http://www.asyura2.com/0502/holocaust1/msg/297.html
 投稿者 西岡昌紀 日時 2005 年 2 月 28 日 01:29:45: of0poCGGoydL.

 (回答先: Re: 了解しました。西岡様には訂正本を読んでから質問いたします。 投稿者 木田貴常 日時 2005 年 2 月 28 日 01:07:41)

 一番申し訳無く思う事は、サイクロンBの物性に関する記述です。もう一度言いますが、青酸ガス(シアン化水素)の遊離し終わるまでに長時間要する事と、蛾を殺すのに長時間要する事から、サイクロンBの毒性が低いかの様に書いてしまった事、加熱を必須の操作の様に書いた事などです。又、他にも曖昧な記述が多々有りますが、後は、細かい点に成りますので、さほど「ガス室の真実」をお読み下されば幸いです。(ヒトラーによる「ユダヤ人絶滅」の命令書が発見されていない事とか、ヒムラーが、アウシュヴィッツ収容所に対して「死亡率は絶対に低下させなければならない」と命じた事などは間違っていません。又、「ホロコースト」の内容が、戦後、二転三転して居る事などは、あの記事の通りです)


ナチスドイツがユダヤ人を差別、迫害した事自体は明白

 http://www.asyura2.com/0502/holocaust1/msg/288.html
 投稿者 西岡昌紀 日時 2005 年 2 月 28 日 00:18:46: of0poCGGoydL.

 言うまでも無い事なのですが、私は、ナチスドイツがユダヤ人を差別、迫害した事自体は明白だと言う認識に立ってこの問題を論じて来ました。今更繰り返す必要は無いと思いますが、念の為、自著の一節を引用しておきます。

 ・・・以上の事から、私が言いたい事は、あの大戦中ユダヤ人が悲劇を体験しなかった、等と言う事ではないのです。そうではなくて、ユダヤ人たちには、これまで言われて来た話とは全く別の悲劇があったと言う事なのです。ですから、もし、誰かが、このように、多くのユダヤ人が差別され、収容所で病気に苦しみながら生命を落としていった事や、ソ連領内などで非戦闘員が大量に殺された事を「ホロコースト」と呼ぶのであれば、私はためらう事なく「ホロコースト」はあった、と言います。

 しかし、既にお話して来た事からお分かり頂ける様に、ドイツが「ユダヤ人絶滅」を計画し、その目的で「ガス室大量殺人」を行なった、というこれまでの主張には、私は、現状では、全くもって同意出来ません。そんな証拠は何もありませんし、証言は不合理に満ち満ちて居るからです。又、そうした主張と両立し得ない客観的証拠や証言が多数存在するのですから、そうした事柄全てに合理的な説明がなされ、証拠が示されない限り、私は、これまでの「定説」には全く持って同意する事が出来ません。

 当然、その様な主張が「ホロコースト」と呼ばれるなら、私は、その「ホロコースト」を信じる事は出来ません。「否定する」と言う言い方はあえてしませんが、それは、先程も述べた様に、証拠が示されるなら信じよう、と言う意味です。又、これだけ不合理な話であっても、信じる人が他者に信じる事を強制しない限り、信じる事は自由だと思うからです。ただし、それは、最早、事実ではなく、信仰と呼ぶべき物ではないかと私は思います。皆さんは、そうはお思いにならないでしょうか?

  (西岡昌紀「アウシュウィッツ『ガス室』の真実」(日新報道・1997年)240〜241ページより)
  http://zenkoji.shinshu-u.ac.jp/mori/dohc/dohc9708.html


病死したユダヤ人を冒涜する人々

 http://www.asyura2.com/0502/holocaust1/msg/291.html
 投稿者 西岡昌紀 日時 2005 年 2 月 28 日 00:39:59: of0poCGGoydL.
 (回答先: ナチスドイツがユダヤ人を差別、迫害した事自体は明白。 投稿者 西岡昌紀 日時 2005 年 2 月 28 日 00:18:46)

 続きです。

 ・・・この章の最後に私は、皆さんに或る事を考えて頂きたいと思います。それは、次の様な事です。「マルコポーロ」廃刊事件以来、一部の人々は、私のこうした見解に猛反発をし続けていますが、そうした反発の多くは、非常に感情的な物です。彼らの多くは、私がユダヤ人犠牲者を冒涜したとでも言う様な「批判」を加え続けて居ますが、あえて皆さんに考えて頂きたいと思います。一体、死者を冒涜して居るのは、どちらの方なのでしょうか?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ・・・戦争と言う物は、ただ単に戦闘によって尊い人命を奪うだけでなく、病気という形でも、多くの罪の無い人々の生命を奪うものなのです。こう言う事を忘れたか、或いは知らない人々が、「ガス室」に固執し、私が述べた様な議論に反発するのです。そこで、私は、その人たちにあえて問いかけたいと思います。チフスで死んだユダヤ人たちは、悲惨ではなかったのでしょうか?即ち、そう言う反発の根底には、「ガス室」で殺される事は悲惨だが、チフスで死ぬ事はそれほど悲惨ではない、とでも言う様な、奇妙な前提が無意識の内に横たわっている様に思えるのですが、これは、全くおかしな事ではないでしょうか?そういう人たちは、あのアンネ・フランクもチフスの犠牲者だったと考えられている事を、忘れているのではないでしょうか?

  (西岡昌紀「アウシュウィッツ『ガス室』の真実」(日新報道・1997年)241〜243ページより)
  http://zenkoji.shinshu-u.ac.jp/mori/dohc/dohc9708.html


チフスの悲劇

 http://www.asyura2.com/0502/holocaust1/msg/299.html
 投稿者 西岡昌紀 日時 2005 年 2 月 28 日 03:59:36: of0poCGGoydL.

 (回答先: 病死したユダヤ人を冒涜する人々 投稿者 西岡昌紀 日時 2005 年 2 月 28 日 00:39:59)

 チフスの悲劇

 先ず第一に、チフスという病気は、前述の様に、コロモジラミと言うシラミによって媒介されるのですが、そのコロモジラミが最も繁殖し易いのは、冬なのです。その為、一般にチフスは冬に発生し易いのですが、ナチスの収容所がドイツの敗退によって混乱し、衛生状態が特に悪化したのは、まさしく1944年から45年にかけての冬の事でした。つまり、本来チフスが発生し易い季節に、戦争の最悪の時期が重なったと言う事です。

 第二に、アウシュヴィッツなどが在ったポーランドは、歴史的にチフスが濃厚に浸潤して居た土地であり、それ以前にも、度々チフスの発生を繰り返して居た場所であった事に注目して頂きたいと思います。例えば、19世紀にナポレオンの軍隊がロシアに遠征した際にも、ポーランドではチフスが発生して、多くの死者を出して居ます。そうした土地に、アウシュヴィッツをはじめとするポーランド領内のナチス収容所が在った事に注意して頂きたいのです。

 そして第三には、大戦中アウシュヴィッツやトレブリンカに移送されたポーランドのユダヤ人の中には、移送される前に、既にワルシャワ・ゲットーなどで、チフスに感染して居た人々が多数居たと言う事、そして、第二次大戦末期にドイツが、そのアウシュヴィッツをはじめとするポーランド領内の収容所から、ドイツ本国のダッハウ収容所やベルゲン・ベルゼン収容所に、あのアンネ・フランクを含めた多くのユダヤ人を移送した事に最大の注意を払って頂きたいのです。

 ソ連軍がアウシュヴィッツに迫った時、ドイツは、アウシュヴィッツに収容したユダヤ人を殺さず、西方のダッハウやベルゲン・ベルゼン収容所に改めて移送したのですが、この事には、最大限注目する必要が有ります。即ち、この事実は、先ず、ドイツが、それらのユダヤ人を殺す為にアウシュヴィッツに収容した訳ではなかった事の傍証と言えます。その意味でもこの事実は注目に値しますが、それはともかくとして、戦争末期のこの大規模なユダヤ人の移送が、多くのチフス患者をドイツ本国に送り込む結果と成った事の意味は、このチフスの問題を考える上で非常に重要なのです。即ち、ユダヤ人たちが逆移送された結果、それまで以上の過密にさらされ、しかも、ポーランドの収容所で既にチフスに感染して居た人々が多数送り込まれる事に成ったのです。

 しかも、そこに前述した様に、冬と言う季節的要因までが加わった訳ですから、チフスの発生について言えば、これ以上の例はちょっと考えられないくらい、悪条件が重なったと言えるのが、大戦末期のナチス収容所の状況だったのです。これは、悲劇としか言いようの無い物です。そして、ベルゲン・ベルゼンやダッハウを解放した連合軍の兵士たちが目にしたものは、まさしく、そうしたチフスによる犠牲者が大部分を占める被収容者たちの死体の山だったのです。

 ところが、そうしたチフス患者などの死体の映像が、「ガス室」の犠牲者ででもあったかの様に利用されて来た事は、既に述べた通りです。情報操作その物ですが、今、私がこの章でお話して居るのは、そうした情報操作の問題ではなく、チフスこそが、収容所に入れられたユダヤ人たちの最大の悲劇だったと言う事です。

 あの大戦中、ユダヤ人たちが体験した悲劇は、もちろん、これだけではありません。前にも触れましたが、ドイツが侵攻したソ連領内では、ユダヤ系の市民が非戦闘員であるにも拘らず、パルチザンなどと混同されて、多数、殺害されて居ます。また、ワルシャワ・ゲットーなどでも、ユダヤ人は非常に悲惨な経験をして居ます。

 しかし、あえて収容所に入れられて居た人々について言うならば、彼らが体験した最大の悲劇は、私たちが戦後マスメディアなどによって刷り込まれて来た様な事ではなく、こうしたチフスなどによる病死であったと言う事なのです。それを語る事は、「ユダヤ人に対する冒涜」なのでしょうか?

 (西岡昌紀「アウシュウィッツ『ガス室』の真実・本当の悲劇は何だったのか」日新報道・1997年 237〜240ページより)

 http://zenkoji.shinshu-u.ac.jp/mori/dohc/dohc9708.html
 http://macky.nifty.com/cgi-bin/bndisp.cgi?M-ID=zakkan


【ユダヤ人絶滅指令書考】
 西岡氏は、「ユダヤ人絶滅指令書」が見当たらない不審について次のように述べている。
 2005.3.2日付け「ユダヤ人絶滅を命じた文書は発見されていない(1)
 ・・・連合軍は、戦後ドイツで大量のドイツ政府文書を押収した。それによって、戦争中ドイツが何を検討し、何を命令したかが明らかになるからだが、その押収されたドイツ政府文書の量は、アメリカ軍が押収したものだけでも千百トンに及んでいる。ところが、戦後、連合軍が押収したそれらのドイツ政府公文書の中に、ヒトラーもしくは他のドイツ政府指導者が『ユダヤ人絶滅』を決定、命令した文書は、一枚も無かったのである。実際、連合国は、ニュールンベルク裁判において、ドイツの指導者が『ユダヤ人絶滅』を命令した文書を提出していない。これに対しては、『ナチが証拠を隠滅したから文書が残らなかったのだ』とか、『ユダヤ人絶滅は極秘事項だったので、命令は口頭で為されたのだ』とかいう反論が予想されるが、そうした主張は、あくまでも『仮説』でしかない。事実として、そのような文書は、今日まで、一枚も発見されていない。もし、証拠となる命令文書はあったが隠滅されたとか、命令が口頭でなされたとか主張するなら、その証拠を提示するべきである。・・・

 (「マルコポーロ」1995年2月号・西岡昌紀「戦後世界史最大のタブー・『ナチ『ガス室』はなかった』より)

 2005.3.2日付け「ユダヤ人絶滅を命じた文書は発見されていない(2)

 連合軍が戦後ドイツで押収した膨大なドイツ政府公文書の中に、ヒトラーもしくは当時のドイツ指導者が「ユダヤ人絶滅」を命じた文書は、一枚も有りませんでした。私が、「マルコポーロ」1995年2月号の記事(「戦後世界史最大のタブー・ナチ『ガス室』はなかった」)の中でこの点を指摘した事について、マルコポーロ廃刊事件の後、「定説」側の歴史家が何と言ったかと言うと、「ユダヤ人絶滅に関するヒトラーの命令書が存在しないのは事実である」(学研『歴史群像シリーズ』42/アドルフ・ヒトラー[権力編] 栗原優「わが闘争」も深き傷痕「ヒトラーと民族社会主義/ナチズムのイデオロギーとその現実」より)

 「この大号令(西岡注「ユダヤ人絶滅」を指す)が文書によって発令された事はない」(村瀬興雄「ヒトラー体制とドイツ(4)最新ナチス編/次第に明らかにされて来た第三帝国」より)等と言っておられます。

 2005.3.2日付け「ユダヤ人絶滅を命じた文書は発見されていない(3)
 私の本(「アウシュウィッツ『ガス室』の真実」)からの引用です。

 つまり、もう一度言いますが、これだけ「ドイツはユダヤ人絶滅を計画した」と言われながら、そのような決定や命令を裏付ける文書は、実は一枚も発見されていないのです。あるのは、ただ、そんな命令が出されたに違いないという「定説」側歴史家の想像だけなのです。

 そういう命令文書がないので、何か代わりの文書を提示しなければ、ということなのでしょう。「定説」側論者の中には、「ヴァンゼー会議議事録」と呼ばれる文書とか、ゲーリングが1941年7月31日に書いた手紙、またはヒムラーが43年10月4日に行なった演説の「筆記録」とされる文書などを引用して、それらの中で「ユダヤ人絶滅」が間接的な形で言及されている、と主張する論者もいます。しかしながら、原文を読めば分かることですが、これらの文書の内容は、「ユダヤ人絶滅」を語ったものなどでは全くないのです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・(中略)

 ここで、前出の栗原優教授の説明をもう一度聞いてみましょう。「ユダヤ人絶滅に関するヒトラーの命令文書が存在しないのは事実である。しかし、ヒトラーがこの時点でユダヤ人絶滅を決定したことを立証する資料は存在する。おそらくそれは口頭で命令されたのであろう。」  (学研『歴史群像シリーズ』42)

 「おそらくそれは口頭で命令されたのであろう」とは、想像に過ぎないではありませんか(!)しかも、その「ヒトラーがこの時点でユダヤ人絶滅を決定したことを示す資料」とは一体何を指すのでしょうか?(もしや「ヴァンゼー会議議事録」のことでしょうか?)栗原教授は、何故か、この一番大事な点を言っておられないのです。

 (西岡昌紀「アウシュウィッツ『ガス室』の真実」日新報道・1997年 62〜64ページより)

 http://zenkoji.shinshu-u.ac.jp/mori/dohc/dphc9708.html
 2005.3.2日付「ユダヤ人絶滅を命じた文書は発見されていない(4)
 ・・・さらに重要な事は、戦後、連合軍が押収したドイツ政府の公文書の中に、どう読んでも、「ユダヤ人絶滅」とは両立しない命令や決定を明記した文書が、多数、発見されているという事実です。即ち、ただ「ユダヤ人絶滅」の命令文書がないだけではないのです。「絶滅」とは両立しない決定や命令が為されていた証拠が、押収されたドイツ政府公文書の中に多数、存在しているのです。

 例えば、1942年8月21日のドイツ外務省の文書には、総統(ヒトラー)は、ユダヤ人を戦後、ソ連領内に強制移住させる事を決めている、という意味の記述があります。「絶滅」ではありません。強制移住なのです。それは、もちろん、不当な差別政策ですが、その上、この文書には、アウシュウィッツをはじめとするポーランド領内の収容所は、そうした戦後のユダヤ人強制移住計画のための準備施設だという意味の記述まであるのです。これがどうして、「ユダヤ人絶滅」などという計画と両立するというのでしょう?

 他にも、マダガスカルとかロシアなどにユダヤ人を強制移住させる事を当時のドイツ政府が計画していたことを示す文書は幾つも発見されており、「定説」側も、ナチスドイツが、少なくともその初期においては、ユダヤ人を「絶滅」させるのではなく、マダガスカルなどに強制移住させる計画であったことは認めているのです。「定説」側は、それが或る時期から「絶滅」に変更されたと「説明」するのですが、そのような変更が為された証拠は提示されていません。

 それどころか、例えば、ドイツ外務省の高官フランツ・ラーデマッヒャー(Franz Rademacher)などは、42年の2月10日に、次のような文書を発しているのです。「ソ連との戦争は、一方において、最終的解決(Endloesung)のための別の土地を得る可能性を生み出している。その結果、(ヒトラー)総統は、ユダヤ人はマダガスカルにではなく、東方に移住させられるべきであると決定した。マダガスカルは、最早、最終的解決との関係に於いて考慮される必要はない」(訳・西岡 原文は以下の通り)

 Der Krieg gegen die Sowjetunion hatinzwischen die Moeglichkeit gegeben,andere Territorien fuer die Entloe−sung zur Verfuegung zu stellen.Demgemaess hat der Fuerer entschie−den dass die Jueden nicht nach Mad−agaskar, sondern nach dem Osten ab−geschoben werden sollen. Madagaskar braucht mithin nicht mehr fuer die Entloesung vorgesehen zu werden. (Nurenberg document NG−3933)

 繰り返して言いますが、このような強制移住計画が、差別に基ずいた不当な政策であったことは明白です。しかし、そうした道徳的判断とは別に、事実の問題として、これは、どう読んでも、ドイツのユダヤ人政策の目標が、言われて来たような「絶滅」ではなく、(ロシア等への)強制移住だったことを示す文書ではないでしょうか?


 (西岡昌紀「アウシュウィッツ『ガス室』の真実・本当の悲劇は何だったのか?」日新報道・1997年 68〜70ページより)
 http://zenkoji.shinshu-u.ac.jp/mori/dohc/dohc9708.html
 2005.3.2日付「ユダヤ人絶滅を命じた文書は発見されていない(5)
 ・・・しかも、この文書が書かれた日付け(1942年2月10日)が、前述の「ヴァンゼー会議」があったとされる(同1月20日)の後である事も重要です。もし、その「ヴァンゼー会議」が本当に開かれ、そこで「ユダヤ人絶滅」が討議されていたとしたら、どうして、その会議より後に書かれたこの文書に、ユダヤ人の「東方」への強制移住計画が、「最終的解決」を意味するものとして述べられているのでしょうか?

 こうした文書は他にも幾つも有るのですが、「定説」側論者たちは、何故かこういう文書の存在には殆ど言及しようとしません。そして、ただ自分たちの想像だけで、ドイツが当初抱いたマダガスカルへのユダヤ人強制移住計画は、或る時期から「絶滅」に変更された、などと一方的に述べるのです。しかし、例えばこの文書がそうですが、連合軍が戦後、押収したドイツの内部文書には、「マダガスカル」を「東方」(ソ連領内と取れる)に変更したという、ユダヤ人強制移住計画の内容が、具体的に書かれてあるのです。一体どこに、「民族絶滅」が命令された証拠があると言うのでしょうか?

 (西岡昌紀「アウシュウィッツ『ガス室』の真実・本当の悲劇は何だったのか?」日新報道・1997年 70ページより)
 http://zenkoji.shinshu-u.ac.jp/mori/dohc/dohc9708.html

 2005.3.2日付「ユダヤ人絶滅を命じた文書は発見されていない(6)
 ・・・また、この年(1942年)の12月28日には、アウシュウィッツ収容所でのチフス等による死亡者が多いことから、同収容所の死亡率を減らすよう命じた文書が、強制収容所の統括司令部から、アウシュウィッツの責任者に宛てて出されています。この命令書には、ヒムラーの言葉を引用して、何とこう書かれてあるのです。「死亡率は絶対に低下させなければならない」

 一体これが、「ユダヤ人絶滅」と両立する命令かどうか、考えて頂きたいと思います。こうした命令は、ドイツがユダヤ人を労働力として利用しようとしたから出されたものだと思いますが、こうした命令に符合するかのように、アウシュウィッツ=ビルケナウには、「絶滅」される筈のユダヤ人他の被収容者のための病院もあったのです。一体、ユダヤ人を「絶滅」するための収容所に、何故そのユダヤ人他の被収容者用の病院があったのか、私は、「定説」側の歴史家が納得のいく説明をしているのを、読んだことがありません。

 (西岡昌紀「アウシュウィッツ『ガス室』の真実・本当の悲劇は何だったのか?」日新報道・1997年 71ページより)
 http://zenkoji.shinshu-u.ac.jp/mori/dohc/dohc9708.html


「ユダヤ人絶滅」のための予算は計上されていない(1)
 http://www.asyura2.com/0502/holocaust1/msg/371.html
 投稿者 西岡昌紀 日時 2005 年 3 月 02 日 23:20:55: of0poCGGoydL.  

 ・・・まだ、あります。これまでお話ししたように、「ガス室」で殺された死体も、「ユダヤ人絶滅」を命じた文書も全く発見されていないのですが、それに加えて、当時のドイツ政府は、何と「ユダヤ人絶滅」の予算を計上していないのです。つまり、仮にそんな大計画があったとしたら、当然、大変な額の予算が計上される筈なのに、それが全く計上されていないのです。一体、これでも、「ユダヤ人絶滅計画」は実在したのでしょうか?

 (西岡昌紀「アウシュウィッツ『ガス室』の真実・本当の悲劇は何だったのか?」日新報道・1997年 73ページより)
 http://zenkoji.shinshu-u.ac.jp/mori/dohc/dohc9708.html


ガス室の設計図は発見されていない(1)

 http://www.asyura2.com/0502/holocaust1/msg/377.html
 投稿者 西岡昌紀 日時 2005 年 3 月 02 日 23:53:48: of0poCGGoydL.

 ・・・それから、ポーランドが管理するアウシュウィッツ博物館は、アウシュウィッツ収容所の敷地内にある博物館で、戦争中ドイツが残して行ったアウシュウィッツ関連の文書や図面を多数、保存している事で知られています。又、ロシアにも、ソ連軍がアウシュウィッツで押収したドイツ側文書が多数残っていますが、それらの中に、「ガス室」の設計図とか見積り書といったものは、結論から言うと、一枚も発見されていないのです。

 例えば、アウシュウィッツ=ビルケナウで今日「ガス室」として公開されている地下室の設計図を見ると、たくさんある図面のどれを見ても、それらの地下室には「死体安置室(Leichen−keller)」という書き込みがあるばかりで、それらの地下室が処刑用ガス室として設計された事を示す図面は無いのです。そのため、「定説」側論者の一人は、「これらの部屋は、当初はただの死体安置室として設計され、後からガス室に転用されたのだ」等と説明しているのですが、そんな証拠は何もありません。(後述)

 それに、仮にその仮説が正しいとすると、その収容所が建設された当初は、その「ガス室」を作る予定がなかったという事になります。つまり、「ガス室」を作る計画がない段階で収容所そのものは建設されていたことになるわけですが、これはおかしくはないか。何故なら、二つに分かれたアウシュウィッツ収容所の内、後から建設された第二アウシュウィッツ(別名ビルケナウ収容所)の方は、最初から「ユダヤ人絶滅」の目的で作られた、とするのが、「定説」側のこれまでの説明だったからです。それなのに、もし第二アウシュウィッツ収容所に、建設当初は処刑用ガス室を計画自体がなかったというのなら、この収容所(第二アウシュウィッツ)が建設された目的が、「ユダヤ人絶滅」ではなかった、ということにもなりかねないわけで、これは、「定説」側が、これまで主張してきたアウシュウィッツ(ビルケナウ)に関する説明を根本から書き変えるものです。それどころか、問題の「ユダヤ人絶滅計画」の実在にすら疑問が投げかけられかねない話なのです。

 この設計図の問題については、プレサック(Pressac)という反見直し論者の研究に触れる形でもう一度触れたいと思います。なお、「定説」側の本の中には、こうした第二アウシュウィッツの地下室(死体安置室)の設計図や、マイダネックの殺虫用ガス室の図面を処刑用ガス室の図面ででもあるかのように載せている本があります。悪質なトリックですが、日本の歴史家たちは、こういう事に気が付かないのでしょうか?

  (西岡昌紀「アウシュウィッツ『ガス室』の真実・本当の悲劇は何だったのか?」日新報道・1997年 74〜75ページより)

 この文中の「『定説』側論者の一人」とは、プレサック氏の事です。又、末尾の部分で私が批判したのは、みすず書房の「夜と霧」です。
 http://zenkoji.shinshu-u.ac.jp/mori/dohc/dohc9708.html

訂正

 http://www.asyura2.com/0502/holocaust1/msg/378.html
 投稿者 西岡昌紀 日時 2005 年 3 月 03 日 00:03:42: of0poCGGoydL

 (回答先: ガス室の設計図は発見されていない(1) 投稿者 西岡昌紀 日時 2005 年 3 月 02 日 23:53:48)

 マイダネックの図面に関してインチキ資料を掲載しているのは「夜と霧」ですが、第二アウシュウィッツの地下室の図面を処刑用ガス室の図面の様に掲載しているのは別の本でした。(今、名前が浮かびませんが、そういう本を見ました)                   西岡昌紀


私も厚生省から弾圧を受けましたよ

 http://www.asyura2.com/0502/holocaust1/msg/379.html
 投稿者 西岡昌紀 日時 2005 年 3 月 03 日 00:09:30: of0poCGGoydL

 (回答先: 「ホロコーストは嘘」論者に対する弾圧の大きさに何を見るか? 投稿者 ワヤクチャ 日時 2005 年 3 月 02 日 23:52:14)  

 私も、マルコポーロ廃刊事件の際、厚生省(当時)から弾圧を受けましたよ。記者会見をするな、とかね。すさまじい脅迫でした。西岡昌紀 http://zenkoji.shinshu-u.ac.jp/mori/dohc/dohc9708.html


 お笑いアウシュヴィッツ(1)
 http://www.asyura2.com/0502/holocaust1/msg/475.html
 投稿者 西岡昌紀 日時 2005 年 3 月 08 日 18:22:15: of0poCGGoydL.

 第二アウシュヴィッツ(別名ビルケナウ)で「ガス室」として公開されて居る地下室の一つについて、フランスの見直し論者フォーリソン博士は、驚くべき事を指摘しています。

・・言われている「定説」側の説明によれば、「ガス室」だったとされる第二死体焼却棟の地下室には天井に小穴が四つあり、その小穴から例のチクロンBが投入されたという話になっています。ところが、この点について、見直し論者の一人であるフランスのフォーリソン教授は、驚くべき事を指摘しているのです。それは、現在ビルケナウに現存する第二死体焼却棟に足を運んでその実物を見ると、「ガス室」だった筈の地下室の天井、即ち、その地上部分に、肝心の小穴が一つしかない(!)という事なのです。しかも、その一つしかない小穴も、フォーリソン博士によれば、非常に新しい物で、戦後開けられた物だとしか考えられない、というのです。穴が無ければ、チクロンBを投げ込めないではありませんか!(私もここに足を運んでいますが、その時は、不覚にも、この事には気付きませんでした。これは、フォーリソン教授に電話で指摘された事です)そして、フォーリソン教授によると、ビルケナウを管理するアウシュウィッツ博物館は、この事について、何も説明していないと言う事です。これは、説明出来無いからではないでしょうか?

   (西岡昌紀「アウシュウィッツ『ガス室』の真実・本当の悲劇は何だったのか?」日新報道・1997年 124ページより)

    http://zenkoji.shinshu-u.ac.jp/mori/dohc/dohc9708.html

 お笑いアウシュヴィッツ(2)
 http://www.asyura2.com/0502/holocaust1/msg/477.html
 投稿者 西岡昌紀 日時 2005 年 3 月 08 日 18:51:06: of0poCGGoydL.

 ・・何度か触れている通り、今日アウシュウィッツを管理しているのは、ポーランド政府の意向を反映した、アウシュウィッツ博物館という組織です。この組織は、二つのアウシュウィッツ収容所をともに管理していますが、博物館それ自体は第一アウシュウィッツに在り、その収容所の建物の中で、色々な物品を展示したり、アウシュウィッツに関する資料を管理したりしています。その第一アウシュウィッツに、今、お話している「第一死体焼却棟」が在る訳ですが、二つのアウシュウィッツ収容所に「現存」する複数の「ガス室」(またはその残骸)の内、最も良く建物の形態が「保たれている」のは、この第一死体焼却棟の「ガス室」なのです。ところが、この第一死体焼却棟に関するアウシュウィッツ博物館の説明には、根本的な問題が有るのです。それは、この建物が当時そのままの物なのかと言う点について、博物館側が矛盾する説明をして来たと言う事なのです。つまり、先に挙げた様々な不合理全てに目をつぶったとしても、この建物が当時そのままの状態になければ、この建物に「物証」としての価値など有りません。当然、と言うべきでしょう。

 アウシュウィッツ博物館は永年、この第一死体焼却棟はドイツ人がアウシュウィッツに居た頃のままの状態に在ると説明し続けて来ました。ところが、そのアウシュウィッツ博物館は、この建物が持つ様々な不合理について追求されると、「この建物(第一死体焼却棟)は復元された物です」等と言って、弁明する事を繰り返して来たのです。一体、この「ガス室」は、当時そのままの物なのか、それとも後から「復元」された物なのか?この根本的な問いに対するポーランド当局自身の答えが、こんな物なのです。そして、1990年代には、博物館の責任者がはっきりと、この「ガス室」は「再建された物」だと言い、戦争中そのままの物ではない事を認める様に成っています。しかし、かつては、「当時のままの状態に在る」と言っていたのですから、これは、話が変わったとしか言い様の無い変化です。譬えて言えば、再建された金閣寺を京都市が「当時のままの建物」と説明していた様な物です。そして、それを観光客に問い詰められて、「実は再建した物です」と認めた様な物ですが、こんな「説明」をしたら、誰であれ、信用されなく成るのは、当然です。

 その上、この建物の場合は、その「再建」が信用出来ると言う保証は何も無いのです。それどころか、戦争直後の写真を見ると、明らかに現状と違う事が分かるのです。例えば、前頁の写真を御覧下さい。これは、「定説」側のプレサックと言う論者の著作に載っている、1945年のこの建物の写真(上)ですが、私が94年に撮った写真(下)と比較して下さい。あの煙突は、戦争直後には立っていなかったではありませんか。

   (西岡昌紀「アウシュウィッツ『ガス室』の真実・本当の悲劇は何だったのか?」日新報道・1997年 109〜112ページより)
    http://zenkoji.shinshu-u.ac.jp/mori/dohc/dohc9708.html

 お笑いアウシュヴィッツ(3)
 http://www.asyura2.com/0502/holocaust1/msg/478.html
 投稿者 西岡昌紀 日時 2005 年 3 月 08 日 19:07:44: of0poCGGoydL.

 ・・アウシュウィッツは二つの収容所から成る訳ですが、先に作られた第一アウシュウィッツにも、後から作られた第二アウシュウィッツ(別名ビルケナウ)にも、それぞれ「ガス室」が有ったとされています。より多くの人間が殺されたのは、後者(第二アウシュウィッツ)の複数の「ガス室」においてだったと説明されていますが、先に作られた第一アウシュウィッツ収容所にも、一つ「ガス室」があったとされています。

  その「ガス室」の「実物」とされる建物が、第一アウシュウィッツで公開されていますが、これは、火葬場と一緒に一つの建物の中にあるので、「第一死体焼棟(Kremattorium 1)」と呼ばれるのが普通です。これは、アウシュウィッツで最初に作られた「ガス室」と言う事に成る訳ですが、この建物は、マスコミなどで非常に頻回に紹介されて来た物です。・・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 この「ガス室」では、天井に開いた幾つかの「投入孔」から、そのチクロンBが投げ込まれたと言う事に成っています。つまり、天井(屋根)の小穴から投入され、「ガス室」の床に落ちたチクロンBが青酸ガスを発生する事で「処刑」が行なわれた、とアウシュウィッツ博物館などは説明しているのです。しかし、その様な事が行われたと信じるには、余りにおかしな事が幾つも有るのです。
 
 (西岡昌紀「アウシュウィッツ『ガス室』の真実・本当の悲劇は何だったのか?」日新報道 1997年  100〜102ページより)

  http://zenkoji.shinshu-u.ac.jp/mori/dohc/dohc9708.html

 お笑いアウシュヴィッツ(4)
 http://www.asyura2.com/0502/holocaust1/msg/479.html
 投稿者 西岡昌紀 日時 2005 年 3 月 08 日 19:16:11: of0poCGGoydL.

(回答先: お笑いアウシュヴィッツ(3) 投稿者 西岡昌紀 日時 2005 年 3 月 08 日 19:07:44)

 ・・先ず、この建物(「第一死体焼却棟」)は、ドイツ人用の病院の真ん前にあります。(前頁参照)距離は、大体20メートルくらいです。こんな場所に 「ガス室」を作ったのでは、「ガス室」での処刑後、内部を換気するために「ガス室」内部の青酸ガスを排気した時、一体、どんな事が起こるか想像して 頂きたいと思います。そうです。向かいの病院に居るドイツ人たちが、生命の危険にさらされてしまう筈なのです。この建物が処刑用ガス室だったとしたら、その位置は、こんなにも馬鹿げたものなのですが、それにも拘らず、ポーランド当局は、戦後ずっと、この構造物を「ガス室」だと言い続けて来たのです。

 (西岡昌紀「アウシュウィッツ『ガス室』の真実・本当の悲劇は何だったのか?」 日新報道・1997年 102〜103ページより)


  http://zenkoji.shinshu-u.ac.jp/mori/dohc/dohc9708.html

 お笑いアウシュヴィッツ(5)
 http://www.asyura2.com/0502/holocaust1/msg/480.html
 投稿者 西岡昌紀 日時 2005 年 3 月 08 日 19:29:14: of0poCGGoydL.


 第一アウシュヴィッツの自称「ガス室」、第一死体焼却棟の不合理に関する私の指摘の続きです。(文中の「この建物」とは、第一死体焼却棟(クレマ1)を指します)

 ・・又、先ほどの話に関係しますが、この建物の「ガス室」とされる部分の天井には、「投入孔」が有ります。つまり、ここから問題のチクロンBが投げ込まれた、と言う訳です。しかし、この「投入孔」を見ると、奇妙な事に気が付きます。この建物の屋根天井の内、これらの「投入孔」の周りだけが、コンクリートの質が違うのです。(次頁参照)つまり、これは、これらの穴が後から開けられた事を意味すると思うのですが、一体なぜ、後からこの穴が開けられたのでしょうか?その上、この「投入孔」は、非常に粗雑なくり抜き方で開けられている事にも注目しなければなりません。これが何を意味するかと言えば、この穴には気密性が無いと言う事です。ところが、これは、処刑用ガス室の構造としては、決定的におかしい事なのです。即ち、青酸ガスによって処刑を行なうなら、その「ガス室」には、極めて高度な気密性が要求される筈ですが、この「投入孔」を見れば、この「ガス室」(?)にそんな気密性が無い事は余りにも明らかです。

 (西岡昌紀「アウシュウィッツ『ガス室』の真実・本当の悲劇は何だったのか?」日新報道 1997年  103ページより)
  http://zenkoji.shinshu-u.ac.jp/mori/dohc/dohc9708.html

 お笑いアウシュヴィッツ(6)
 http://www.asyura2.com/0502/holocaust1/msg/488.html
 投稿者 西岡昌紀 日時 2005 年 3 月 09 日 01:46:45: of0poCGGoydL.

 ・・又、この第一死体焼却棟(「クレマ1」)の「ガス室」には、換気装置の痕跡が見られません。そもそも、この「ガス室」は、ドイツ人用の病院の真ん前に在り、これでは、「ガス室」を換気する際、ドイツ人たちの生命に重大な危機を生じてしまう事は既に述べました。しかし、その点に目を瞑ったとしても、仮にこの建物のこの部屋が「ガス室」だったとしたら、処刑後、この「ガス室」をどう換気したのか、と言う問題は、全く未解決のままなのです。・・
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 アメリカの処刑用ガス室では、処刑後、その青酸ガスを煙突(stack)を通して徐々に排気するという方法が取られているのですが、これは、青酸ガスが空気より軽い事に関係の有る方法だと思われます。・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・・・・・・・・
 ところが、この様な背の高い煙突を含めて、「ガス室」を換気する為の装置が、この自称「ガス室」には無いのです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・・・・・・・・
 他にも、このこの建物には、色々な不合理が指摘されていますが、例えば、この煙突はどうでしょうか。「ガス室」の隣りの死体焼却室の煙突とされている物ですが、この通り、建物とつながってすらいないのです。(前頁参照 写真西岡)

 (西岡昌紀「アウシュウィッツ『ガス室』の真実・本当の悲劇は何だったのか」日新報道 1997年  105〜107ページより)
  htt@://zenkoji.shinshu-u.ac.jp/mori/dohc/dohc9708.html

 お笑いアウシュヴィッツ(7)
 http://www.asyura2.com/0502/holocaust1/msg/489.html
 投稿者 西岡昌紀 日時 2005 年 3 月 09 日 01:57:40: of0poCGGoydL.

 ・・この様に、その位置と言い、気密性が欠けている事と言い、換気装置の痕跡が無い事と言い、この「ガス室」はおかしな事だらけなのです。しかし、もっと決定的な事を言いましょう。最近、この「ガス室」が偽物だと言う事を、何と「定説」側の論者が言い出したのです。それは、エリック・コナン(Eric Connan)と言う「定説」側の論者ですが、彼は、もちろん、第二アウシュウィッツ(ビルケナウ)に在る「ガス室」については、何ら疑問を投じては居ません。しかし、事この第一アウシュウィッツの「ガス室」に関しては、「そこに在る全ては偽物である(Tout y est faux)」と、アウシュウィッツ解放50周年を特集した、フランスの週刊誌「レクスプレス(l’Express)」誌上の記事で、ついに認めているのです。

 (西岡昌紀「アウシュウィッツ『ガス室』の真実・本当の悲劇は何だったのか」日新報道 1997年  107〜109ページより)
  http://zenkoji.shinshu-u.ac.jp/mori/dohc/dohc9708.html

 「ガス室で殺された人間は、名前も記録もされずに処刑された」と言う説明は、そう言う記録は無い、と言う意味です(笑)
 http://www.asyura2.com/0502/holocaust1/msg/593.html
 投稿者 西岡昌紀 日時 2005 年 3 月 14 日 06:46:23: of0poCGGoydL.

(回答先: 公開された「アウシュビッツ死亡台帳」6万9千人分は全てではない-年間死亡率150%? 投稿者 無駄一 日時 2005 年 3 月 14 日 03:52:47)

 アウシュヴィッツ博物館は、「ガス室で殺された人々は、名前も記録されずに殺された」と言っていますよね。この「説明」は、私自身、アウシュヴィッツ博物館で聞かされました。でも、これって、要するに、そんな処刑記録は発見されてない、と言う意味なんですよね。(笑)

1)「ユダヤ人絶滅」の命令書は発見されていない

2)「ユダヤ人絶滅」の予算は計上されていない

3)「ガス室」の設計図は発見されていない

4)「ガス室」による処刑の記録は発見されていない

5)「ガス室で殺された死体」は発見されていない

6)アウシュヴィッツ、ビリケナウの「ガス室」とされる部屋からは、予想される様な高濃度のシアンは全く検出されない

  これが、現実です。これで「ガス室」が有ったと言うなら、ネッシーだって存在するのではないでしょうか。


 西岡氏は、「阿修羅ホロコースト2」の2006.3.2日付投稿「私の見解を引用される方へのお願い」で次のように述べている。これを転載しておく。
 最近、ホロコーストに関するブログや掲示板が増えて居る事に驚いて居ます。非常に結構な事ですが、それらのブログや掲示板で、私(西岡)の見解を論評される場合にお願いしたい事が有ります。

 周知の通り、私は、文芸春秋が発行する月刊誌「マルコポーロ」1995年2月号に「戦後世界史最大のタブー・ナチ『ガス室』はなかった」と言ふ記事を寄稿しましたが、その2年後に、「アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか?」(日新報道)と言ふ単行本を出版して居ます。

 最近のブログや掲示板を拝見すると、前者(「ナチ『ガス室』はなかった」)を引用される方が多く、逆に、後者を引用される方が少ない様に思はれます。

 「マルコポーロ」廃刊事件の資料として前者を引用、批判される事は全く構はないのですが、私としては、あの記事の2年後に、苦労して書いた単行本が有るにも関わらず、前者ばかりが取り上げられる事に、少々失望しております。

 特に、前者(「ナチ『ガス室』はなかった」)には、サイクロンBの物性に冠する明白な誤りや、その他、誤解や混乱を招く記述が有りました。その為、私は、1995年に、パソコン通信の場でそれらの誤りや不正確な記述について訂正と自己批判をして居ます。そして、それらの誤りや不正確な記述の訂正の意味もこめて、「アウシュウィッツ『ガス室』の真実」(日新報道)を発表しております。ですから、繰り返して申し上げますが、前者を批判するのは結構ですが、その2年後(1997年)に、誤りの訂正を兼ねて発表した単行本が有るのですから、ネット上で私(西岡)の見解を論じられる場合は、この単行本の記述に即して、論評、批判を頂けます事を、再度、強く要請致します。

 議論を深める上で、私が書いた誤りが再び伝えられる事は最も避けなければなりませんし、既に訂正した事柄をいつまでも繰り返し訂正するために時間を費やす事は、著者の本意ではありません。

 なお、拙著「アウシュウィッツ『ガス室』の真実」(日新報道)をスキャナーによってネット上に紹介なさる事は全く構ひません。むしろ歓迎致します。

 以上、御留意頂ければ幸いに存じます。

 平成18年3月2日(木) 西岡昌紀(にしおかまさのり)
 
http://blogs.yahoo.co.jp/nishiokamasanori/





(私論.私見)