はじめに
この一書を、ナチスに反逆した芸術家 パウル・ヒンデミット(1895−1963)に捧げる
−−初めに、この本は、皆さんに大変なショックを与える本であることを申し上げておきます。それは、この本が、皆さんの多くが信じて疑ったことのなかった或る「歴史」について、正面から疑問を投げかける本だからです。私は、この本において、その「歴史」を結論として「否定」はしません。ただ、疑問を投げかけるに過ぎません。しかし、その疑問の数々に納得できる答えが得られない現状では、私個人がそれを信じることもできないことは、はっきり言っておかねばなりません。そして、何よりも、その「歴史」について自由な議論が封じられていることについて強く異議を唱えたいというのが、この本を著わす私の意図に他なりません。
では、その自由に議論が行われていない「歴史」とは何かというと、「ホロコースト」なのです(ただし、ここでえ言う「ホロコースト」とは、第二次世界大戦中、ドイツがヨーロッパの全ユダヤ人絶滅を企て、主に「ガス室」という手段で、実際に何百万人ものユダヤ人を殺害したとする「歴史」を指し、ナチスドイツのユダヤ人迫害全般とは区別します)。
ナチスドイツが、ユダヤ人を差別迫害したことは明白です。しかし、日本や欧米の「権威」ある歴史家やマスメディアは、それに留まらず、以下の二点を主張、強調しています(本書では、これを「定説」と呼ぶことにしますが、これは便宜的な呼び方です)。
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第二次世界大戦前または大戦中、ドイツは、ユダヤ人を「絶滅」しようと計画した。−−「絶滅」である。 |
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その目的で、ドイツは、アウシュヴィッツ他の収容所に処刑用のガス室を作り、その「ガス室」で現実に大量殺人を行なった。
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即ち、「定説」は、先ず、ドイツは、ユダヤ人をただ殺したのではなく、「絶滅」しようとしたというのです。ここは非常に重要な点なので、よく、ご記憶下さい。皆さんの多くは、「アウシュヴィッツ」についてしばしば読んだり聞いたりする機会はありながら、今までこの点にはあまり注意してこられなかったことと思います。しかし、後で論じるように、これは非常に重要な点なのです。ドイツは、あの大戦中、ポーランド人も殺したし、ロシア人も殺した。しかし、「絶滅」の対象とされたのは、ユダヤ人だけだった、というのが、この主張の意味なのです。この違いは非常に重要です。「定説」側歴史家たちは、この点に固執し、一歩も譲ろうとしませんが、その理由は何なのか?それは、本文でゆっくり考えたいと思います。
そして、そのような「ユダヤ人絶滅」の手段として、色々なものが採られたが、特に、「ガス室」が使われたという主張を「定説」側は非常に協調してきました。しかし、本当にそんなもの(処刑用ガス室)が存在したのでしょうか?
こんなことを言うと、皆さんの多くは、「えッ?」と言って驚かれるに違いありません。こうした「歴史」は一点の疑いもない「事実」だと思っている方が、大部分だからです。しかし、これからお話しするようん、この「歴史」には重大な疑問が多々存在するのです。「信じられない」とおっしゃる方が大部分だと思いますが、とにかくこの本を手にしたら、どうか最後までお読みになって下さい。私は、歴史の専門家などではなく、一介の内科医にすぎません。しかし、この本を読む皆さんは、これから、人生に何度も経験することのない大変な驚きを経験するはずです。「ホロコースト」という言葉とともに語られてきた二つの主張−−ドイツがユダヤ人を「絶滅」しようとしたという主張、および、その手段としてドイツが「ガス室」で大量殺人を行なったという二つの主張−−は、実は、信じがたいまでに多くの不合理と矛盾に満ち満ちているのです。ですから、私は、しれらをお話しし、疑問を提出し、「定説」を擁護する人々の回答を待ちたいと思います。そして、それに対する答えが得られない限り、私個人は、先の二つの主張を到底信じることができないことを、ここではっきりと言っておきたいと思います。その二点をもう一度繰り返しましょう。
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第二次世界大戦前または大戦中、ドイツは、ユダヤ人を「絶滅」しようと計画した。 |
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その目的で、ドイツは、アウシュヴィッツ他の収容所に処刑用のガス室を作り、その「ガス室」で現実に大量殺人を行なった。
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誤解のないように言っておきますが、ナチスドイツが、ユダヤ人を差別、迫害したこと自体には、一点の疑いの余地もありません。そして、そうした差別政策の一環として、ドイツが大戦中、ユダヤ人を収容所に入れたことも事実です。また、ポーランドやソ連の戦場で、当時多くのユダヤ人系非戦闘員がドイツによって殺害されたことなど、「虐殺」と呼ぶべき事件が多々あったことも、細部の検証は必要だと思いますが、私は全く否定などしません。ですから、アウシュヴィッツをはじめとする強制収容所の存在や当時のユダヤ人たちの苦難がなかったなどと言っているのではないのです。当然、私は、当時のドイツのそうした行為を支持するつもりも全くありません。こういう点は決して誤解なさらないで頂きたいと思いますが、こうした誤解をする方が非常に多く、かつ、そうした方がしばしば感情的に反応されるため、真意が伝わらないことが、まま、あります。しかし、どうか冷静に、この後の本文を読んで頂きたいと思います。
もう一度言いますが、ナチスドイツがユダヤ人を差別迫害したことには、一点の疑いの余地もありません。そして、その「迫害」の中には、「虐殺」と呼ぶべき例も、多々含まれています。しかし、今日、多くの「歴史学者」やマスメディアは、それに留まらず、ドイツは、「ユダヤ人絶滅」を計画したと主張します。ただ「虐殺」したというのではないのです。「絶滅」しようとしたと、断言しているのです。そして、皆さんもよくご存知の通り、彼らは、ドイツが、その目的で、「ガス室大量殺人」を行なったと言います。皆さんの多くは、そんな「歴史学者」やマスメディアの主張を全面的に信じておられることと思います。ところが、驚くべきことに、これから述べるように、「ユダヤ人絶滅」も「ガス室」も、実は、それらが実在したことを示す客観的証拠は何もないのです。それらは、驚くべきことに、ただ、戦後の「証言」で語られているだけなのです。その上、その「証言」は、不合理に満ち、或いは、相互に食い違っていたりもします。ですから、そんな「ユダヤ人絶滅計画」と「ガス室」の実在には疑問が上がって当然なのです。ところが、本文で述べますが、そうした疑問を語ることが、今日、欧米の多くの国々でタブーとされ、法律で混じられているという状況すら生まれています。これは、ファシズムと呼ぶべきものです。
それなのに、このような言論規制が世界的規模で広がりつつあることを日本のマスコミはきちんと報道しません。また、それを批判もしません。何が真実であれ、歴史に関する自由な討論を国家が規制するというのは、民主主義に対する挑戦であるにも拘らず、です。そして、本文を読めばご理解頂けると思いますが、現代史に関してこれだけ大きな問題が存在するにも拘らず、「専門家」を自称する日本の「歴史学者」たちは、それをろくに調べようともしないのです。即ち、この問題は、基本的には歴史の問題ですが、日本では、外国の一部から流される情報が、何ら検証されぬまま、無責任なジャーナリストや学者によって流布され続けていることの一例ということもできます。
この本は、こうした状況に異議を提出し、歴史の真実が何であったの議論に迫ろうとする本に他なりません。そして、こうした状況の背後に何があるのかを探ろうとするものに他なりません。
ただし、私は、何が歴史の真実であるかについての最終的な結論は、読者の皆さんの一人一人に委ねることと致します。即ち、はじめに申し上げた通り、私は、この本において、「ガス室」にしろ「ユダヤ人絶滅計画」にしろ、最終的に何も「否定」はしないということです。ですから、私は、ただ不合理を指摘し、疑問を投げかけるだけですが、それは、私が、皆さん一人一人に、この問題を自分の頭で考えて頂きたいからに他なりません。皆さんに自分の頭で考えて頂くという部分が残らなければ、この本を書くことには意味がないとすら思うからです。
一体、「ホロコースト」とは、何だったのか。そして、私たちにとって歴史とは何なのか。この本を読み終わった時、皆さんがこの問いに直面していることを私は確信しています。
1997年5月1日 西岡昌紀
(西岡昌紀『アウシュウィッツ『ガス室』の真実・本当の悲劇は何だったのか』
(日新報道・1997年)2〜8ページより)
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