「ホロコースト論争2、(高橋−木村)」考

 (最新見直し2008.4.7日)

 ここに「ホロコースト論争」を廻るインターネット上での貴重な遣り取りがある。「憎まれ口」主宰管理人木村愛二氏と「対抗言論のページ」主宰管理人高橋亨氏との論争である。その遣り取りは高橋氏の「発言録特別編 -- 木村愛二氏とのガス室論争」で記録保存されている。「『ガス室の嘘』オンライン論争の経験から」でこの時の論争を総括している。木村氏の見解は、「ホロコースト神話 掲載記事の一覧」「アウシュヴィッツの争点」の中で示されている。

 ここで再確認したくなったのは、れんだいこ主宰掲示板「左往来人生学院」に5004.6.17日付「まーしー」氏の投稿文で「くまの世界観測」「小泉レイプ裁判と木村愛二のホロコースト論」紹介を受けたことによる。それによると木村愛二氏の「小泉首相の失格訴訟」に言及しつつ関連するところが次のように述べられている。
 「さて、この裁判は今年3月に都内の男性が東京地裁に起こしたものだそうですが、その男性とは、あの木村愛二氏です。木村愛二氏について知っている方は、苦笑してしまう方も多いでしょう。木村愛二氏は、『アウシュヴィッツの争点』という本の著者です。この本の内容は、とある経緯で Web 上で公開されるようになったので、わざわざ買って読む必要はありません。そして読むまでもなく、木村愛二氏はホロコースト否定派です。木村愛二氏は、この本に対する批判を掲載した『週間金曜日』本多勝一編集委員らを相手取って、名誉毀損で裁判まで起こしましたが敗訴しています。ホロコースト否定論とは、ナチスによるユダヤ人の大虐殺は、実はなかったという説です。当然のことながら、この説には根拠らしい根拠が無く、多くの学者により否定されています。長くなるので、ここではホロコースト否定論について詳しく述べません。ホロコーストを否定する人々などをお読み下さい。(ってここにも木村愛二氏の名前が登場しますね。)木村氏のこれまでの発言などについては、木村愛二氏とのガス室論争などを参照して下さい。また、氏の著作はネオナチの資料をもとに作られていると検証している人もいます。 (木村愛二さんの典拠

 彼は木村書店というサイトを運営しており、ここで『真相の深層』なる雑誌を販売しています。この本には小泉レイプ裁判のことも取り上げられているためか、ここに来てかなり売れているそうで、木村氏も儲かっていることでしょう。小泉レイプ裁判に惹かれて彼の著作を買ったがために、ネオナチに傾倒していく人がいるのではないかと思うと心が痛みます。

 大手メディアがこの裁判の様子を伝えない理由の一つに、木村氏がホロコースト否定論者だからという理由があると思います。小泉レイプ裁判は木村氏が訴える前から、囁かれていたものなので、すべてが眉唾だとは思えませんが、木村氏の宣伝になるようなことは避けなければなりませんから。

 くまは別に小泉首相を擁護するためにこの記事を書いたのではありません。もちろんシオニストでもありません。ただ一部で木村愛二氏の負の面が取り上げられずに、「木村氏がんばれ」のように手放しで英雄視されているのを危惧しているのです」。


 一読して性格の悪い御仁のひねった文意が判明する。しかし、「まーしー」氏はどうやらこの一文に傾斜している観がある。そこで、れんだいこは「まーしー」氏に対するオルグを試みることにする。

 2004.6.18日、れんだいこ拝


Re:Re3:小泉レイプ裁判と木村愛二氏のホロコースト論 れんだいこ 2004/06/18
 まーしーさんちわぁ。西岡論文が原因で雑誌マルコポーロが廃刊されたという史実は、ごく普通の感性でこれを読み取れば、させた方に問題ありでせうね。右からのものであれ左からのものであれ百家争鳴こそ望むところでせうに、論文内容がけしからんという理由で廃刊運動起こす、それを当然だとする「正義論」などとても承服できません。

 ところで、ご紹介サイト「小泉レイプ裁判と木村愛二のホロコースト論」に目を通すと次のように記述されております。これにコメントつけながら読んでみたいと思います。

(引用原文)「さて、この裁判は今年3月に都内の男性が東京地裁に起こしたものだそうですが、その男性とは、あの木村愛二氏です。木村愛二氏について知っている方は、苦笑してしまう方も多いでしょう」。

(れんだいこボソボソ)「あの木村愛二氏です。木村愛二氏について知っている方は、苦笑してしまう方も多いでしょう」とは傲慢不遜非礼な書き方ですね。一般に先入観だけ与えるこういう書き方は慎むのが物書きのマナーだと思うけれどもね。

(引用原文)「木村愛二氏は、『アウシュヴィッツの争点』という本の著者です。この本の内容は、とある経緯で Web 上で公開されるようになったので、わざわざ買って読む必要はありません」。

(れんだいこボソボソ)「わざわざ買って読む必要はありません」なる「不買の勧め」もはしたないですね。

(引用原文)「そして読むまでもなく、木村愛二氏はホロコースト否定派です。木村愛二氏は、この本に対する批判を掲載した『週間金曜日』本多勝一編集委員らを相手取って、名誉毀損で裁判まで起こしましたが敗訴しています」。

(れんだいこボソボソ)「対本多裁判敗訴」についてですが、興味があります。どういう判決内容だったのでせう。単に勝訴敗訴では正確な理解ができなくなります。最近の木村氏のレポートでは、本多氏の方が煙たがって逃げ回っているとの記述が為されていました。判決内容調べて見ようと思いますので、どなたかご紹介ください。

(引用原文)「ホロコースト否定論とは、ナチスによるユダヤ人の大虐殺は、実はなかったという説です。当然のことながら、この説には根拠らしい根拠が無く、多くの学者により否定されています」。

(れんだいこボソボソ)「当然のことながら、この説には根拠らしい根拠が無く、多くの学者により否定されています」というのはかなり一方的な見方で、それこそ南京大虐殺事件同様に否定派の存在も無視できないというのが実相ではないですか。

(引用原文)「 彼は木村書店というサイトを運営しており、ここで『真相の深層』なる雑誌を販売しています。この本には小泉レイプ裁判のことも取り上げられているためか、ここに来てかなり売れているそうで、木村氏も儲かっていることでしょう」。

(れんだいこボソボソ)「かなり売れているそうで、木村氏も儲かっていることでしょう」も余計な嫌味な記述でせう。品性が疑われます。

(引用原文)「小泉レイプ裁判に惹かれて彼の著作を買ったがために、ネオナチに傾倒していく人がいるのではないかと思うと心が痛みます」。

(れんだいこボソボソ)「心が痛む」のは余計な思いやりでせう。

(引用原文)「大手メディアがこの裁判の様子を伝えない理由の一つに、木村氏がホロコースト否定論者だからという理由があると思います。小泉レイプ裁判は木村氏が訴える前から、囁かれていたものなので、すべてが眉唾だとは思えませんが、木村氏の宣伝になるようなことは避けなければなりませんから」。

(れんだいこボソボソ)大手メディアが裁判の様子を報道しないのを是認しているようですが、「木村氏の宣伝になるようなことは避けなければなりませんから」とはかなり政治主義的な発言です。メガネにかなうかなわないで報道が許されたり制限されたりすることを是認しているようですが、こういう対応こそ抗議すべきでせうに。かなり露骨な問題発言を平気でして居られる。

(引用原文)「くまは別に小泉首相を擁護するためにこの記事を書いたのではありません。もちろんシオニストでもありません。ただ一部で木村愛二氏の負の面が取り上げられずに、「木村氏がんばれ」のように手放しで英雄視されているのを危惧しているのです」。

(れんだいこボソボソ)サヨ感性丸出しですね。ヌルヌル気持ちが悪い。

 とまぁこういう感想になります。左派運動内部で、この手合いがもっともらしく幅を利かせている限りどうもならん。けちらす一手です。木村氏は「偽の友」と公言しておりますね。むしろれんだいこはその気持ちがよく分かります。

 付言すれば、それは労組運動の経験から悟った氏の貴重な体感でもあるようです。真剣に闘ったものならではの実感なのではないでせうか。


【「木村愛二氏対高橋亨氏のホロコースト・ガス室論争」考】
 「木村愛二氏対高橋亨氏のホロコースト・ガス室論争」が為され、これがインターネットサイト公開されている。発言録特別編 -- 木村愛二氏とのガス室論争がそれであるが、れんだいこも興味があることによりこれを転載する。願わくば、本件の趣旨に則り著作権棒を振り回されないことを。

 次のようにプロローグされている。
 歴史的事実に関する記憶を抹殺し、過去をねじまげようとしているのは、何も日本の右派勢力ばかりではありません。欧米には、「リビジョニスト」を自称する人々 -- ホロコーストに関する歴史の「見直し」を主張する勢力 -- がいます。驚くべきことに、彼らは膨大な証拠、証言に基づいて既に繰り返し検証されてきた明白な歴史的事実である、ナチによる組織的ユダヤ人大量虐殺(とりわけその象徴としての殺人用ガス室)の存在を何とかして否定しようと、執拗な試みを続けています。

 日本でこれらホロコースト否定論者の言説を輸入・宣伝している人物としては、あの「マルコポーロ事件」の西岡昌紀医師が有名ですが、同じようなことを行っている人物としてもう一人、「フリージャーナリスト」木村愛二氏がいます。この木村氏は、『マルコポーロ』に西岡氏の問題記事が載るよりも早く、『噂の真相』1994年9月号に『映画「シンドラーのリスト」が訴えた“ホロコースト神話”への大疑惑』なる記事を書いており(ただし、このときは媒体がマイナーだったせいかほとんど問題化せず)、その後も『アウシュヴィッツの争点』なる本を出版したり、彼を批判した『週刊金曜日』の本多勝一編集委員と執筆者の梶村太一郎氏、金子マーティン氏を名誉毀損で訴えるなど、この分野では「大活躍」を続けています。(この裁判はその後木村氏の敗訴で終結しました。当然の結果ですが。)

 ホロコースト否定論などというものは、相手の無知に付け込んで白を黒と言いくるめようとする醜悪な疑似科学・似非歴史学の寄せ集めに過ぎませんが、私にとってはもともと畑違いの分野ですし、私と西岡氏や木村氏との間にも何ら接点はありませんでした。ところが98年5月、私が長らく購読してきたamlというメーリングリストにこの木村氏が参加するようになり、さっそく「ホロコーストはシオニストがでっち上げたデタラメだ」といった類の記事を流し始めたのです。しばらくは静観していたのですが、なかなか正面からの反論が現れないため、やむを得ず10月半ばに私が反論記事を投稿し、その結果amlおよびamlに付属する議論用MLであるaml-stoveにおいて、私と木村氏との間で論争を行う結果となりました。

 以下に、この論争の記録を公開します。木村氏が素直に結果を受け入れるかどうかはともかく、客観的にはもはや結論は明白でしょう。幸いなことに、今回は木村氏との合意により、氏が投稿した記事も一緒に掲載してよいことになりましたので、論争の全過程を完全な形で示すことができます。更に、木村氏のホームページとの間の相互リンクも実現できました。(このページには、私と木村氏の他に、掲載許可を頂けた山崎カヲルさんの記事をも掲載しています。)

 備考
 木村氏のホームページは http://www.jca.ax.apc.org/~altmedka/にあります。なお、私が提案した記事掲載と相互リンクはすんなり合意できたわけではありません。その経緯についてはこちら を参照下さい。


 以下。れんだいこ風に咀嚼し要約してみる。なぜなら長文過ぎると議論の本筋が見えなくなるから。

(れんだいこ私論.私見) 「高橋亨」氏について

 高橋亨氏は、 「対抗言論」の主催者であり、そのサイト「インターネット発言録」の中の「百人斬り -- 『南京大虐殺のまぼろし』の嘘」で、ご自身が為した「百人斬り競争事件」ネット論争を公開している。れんだいこは、これを「百人斬り事件で考察している。

 
この時の印象で、近現代史の主流的思潮であるシオニズムのプロパガンダ戦略に即応した言論ご都合主義詭弁士であることが判明している。どうみても分の悪い本多勝一氏の「南京への道」記述を手品的に弁論することで勝ち誇り、得々としてこれをネット公開している。その高橋氏と木村氏の論争がどのように展開されるのかに注目して見たい。とりあえずは虚心坦懐に耳を傾けて見たい。

 ところで、「木村氏の週刊金曜日訴訟」を、「木村氏の敗訴で終結」としているが、この見解は正しいのだろうか。これを別サイトで考察してみたい。

木村氏の原見解1(4、ニュルンベルグ裁判以後、東西冷戦継続中の状況)
 次の文を「木村氏の原見解1」とする。
 木村氏のWebサイトに掲載されている「訴状その2」(http://www.jca.ax.apc.org/~altmedka/keisai.html) 

 「ホロコースト」神話に対する疑問は、すでにニュルンベルグ裁判当時から出され ていたものであるが、近年の「ホロコースト見直し論」には、東西冷戦の終結にと もなう新しい状況がある。そもそも、大量であろうと少量であろうと、殺人には「凶器」と「現場」が必須の条件であるが、「ホロコースト」説の中心をなす「ガス室」は、この「凶器」と「現場」の二者を兼ねている。

 しかし、すでに東西冷戦へと動いていた国際情勢の下で行われたニュルンベルグ裁判では、「ガス室」と称される場所の現場検証はまったく行われずに、ひたすら「迅速」な判決が追及された。唯一、ニュルンベルグ裁判の法廷に提出されたのは、記録フィルムの上映によるドイツ南部のダッハウ収容所のシャワールームの水栓の表面的な映像のみであった。
 ところが、すでに1960(昭和35)年には、「ドイツにはガス室はなかった」という事実上の定説が成立していた。つまり、ニュルンベルグ裁判で採用された唯一の映像は、完全に虚偽の物的証拠だったのである。原告の判断によれば、この「事実上の定説」を新聞発表したミュンヘン現代史研究所の所員(のち所長)、ブロシャットの真の意図は、それまでに多数提出されていた「ホロコースト」神話への疑問に屈しながらも、その一方で、「ポーランドにはあった」という逃げ口上を流布し、神話の一時的な延命を計ることにあった。当時の西側諸国の研究者は、ポーランドの「ガス室」を実地調査することができなかったからである。

 (議論は、高橋亨氏が、上記「木村氏の原見解」に質問するところから始まる)
【高橋氏の質問1−1、「ダッハウにおけるガス室の存在」についての遣り取り】
 高橋亨氏が、上記の木村説に質問し、木村氏の回答があり、更に反論が為されている。
(高橋氏の質問1−1)

 あなたが上でダッハウのガス室について主張している内容は、正確には次のどちらの意味ですか?、 (a) ダッハウにはガス室そのものが(物理的に)存在しなかった、という意味ですか、と問う。

(木村氏の回答1−1)  存在しなかったのです、と答えた。
(高橋氏の反論1−1)  いいえ、ダッハウに殺人用ガス室は存在しています。1943年に完成した新しい死体焼却棟(通称「バラックX」)内に設置された五つのガス室のうちの一つがそれです。他の四つは駆虫用のもの、と反論した。

【高橋氏の質問1−2、「ガス室のBrausebad」についての遣り取り】
 高橋亨氏が二度目の質問をし、木村氏の回答があり、更に反論が為されている。
(高橋氏の質問1−2)  「ニュルンベルク裁判に提出されたフィルムは捏造されたものである」の意味及び根拠は?、と問う。
(木村氏の回答1−2)  フィルム自体は本物ですが、被写体は普通のシャワールームのシャワーの出口 の水栓です、と答えた。

(高橋氏の反論1−2)

 なるほど。問題の部屋はその入口の上に掲げられた"Brausebad"という標識のとおり、単なるシャワールームだった、とおっしゃるわけですね。それでは、その「シャワールーム」がなぜ次のような奇妙な特徴を備えているのかを説明して下さい、と問い次の質問をしている。

 天井のシャワーヘッドにはなぜ給水設備が接続されていないのか?(水の出ないシャワーヘッドの下でどうやってシャワーを浴びるのか?)
 なぜ単なるシャワールームが強力な換気装置を備え、屋根には排気用煙突まで付いているのか?
 なぜ単なるシャワールームに密閉型の金属製ドア(隣接する駆虫用ガス室と同種のもの)が必要なのか?

 なぜ単なるシャワールームに過ぎない部屋の外壁に、内部に何かを投げ込むための引き出し式投入口(金属の蓋付き)があるのか?

 なぜこの投入口の前面に木製の衝立て状構造物を置いて、投入口とその周辺部が見えないように隠さなければならないのか?

【高橋氏の質問1−3、「ガス室の使用」についての遣り取り】
 高橋亨氏が三度目の質問をし、木村氏の回答が為されている。
(高橋氏の質問1−3)

 あなたが上でダッハウのガス室について主張している内容は、正確には次のどちらの意味ですか? (b) ダッハウにガス室は存在したが、それは実際には使用されなかった、という意味ですか、と問う。

(木村氏の回答1−3)  (a)の回答通り。実際には使用されなかった≠ニいうのは、観光名所ダッハウの看板表示です、と答えた。

【高橋氏の質問1−4、「ガス殺は行われなかった、ガス室そのものがなかったのどちらの見解なのか」についての遣り取り】
 高橋亨氏が四度目の質問をし、木村氏の回答があり、更に反論が為されている。
(高橋氏の質問1−4)  あなたが1960年には「すでに」定説になっていたという「ドイツにはガス室はなかった」という説は、現在でも定説であり続けているのですか?、と問う。
(木村氏の回答1−4)  そうです。ただし、「定説」と言う表現は公式(もしくは御用)学者の表現ではなくて、「歴史見直し論者」の表現であって、私は詳しくは、それをさらに「事実上の定説」と言い換えています。「ドイツにはガス室はなかった」という表現を含む文章は、その後にミュンヘン現代史研究所の所長に昇格したブロシャット博士の個人的な新聞投書です。

 私はこの投書を、論争を避け、当時はソ連圏にあって調査不可能な東部への問題先送りの「移送」(ユダヤ人の東部移送と引っ掛けた皮肉 を狙った「隠微な官僚的策謀」であると主張しています、と答えた。
(高橋氏の反論1−4)  まず第一に、あなたの訴状にある「ドイツにはガス室はなかった」という表現自体が極めて不正確です。ブローシャト博士のDie Zeit紙への投書(1960年8月19日号掲載)に書かれていたのは、「ダッハウでもベルゲン・ベルゼンでもブーヒェンヴァルトでも、ユダヤ人やその他の囚人の*ガス殺*は行われなかった」ということであって、ガス室そのものがなかったなどということではありません。

 ちなみに、ブローシャト博士は同じ投書中で、「ダッハウのガス室は完全には仕上がらず、そのため“稼動”しなかったのだ」と述べています、と反論している。

【高橋氏の質問1−5、「ミュンヘン現代史研究所の現在の見解」についての遣り取り
 高橋亨氏が五度目の質問をし、木村氏の回答があり、更に反論、続いて補足が為されている。
(高橋氏の質問1−5)  この点に関するミュンヘン現代史研究所の現在の意見はどのようなものですか?、と問う。
(木村氏の回答1−5)  以上のように「研究所の」公式の「意見」という形式を踏まないのが、「隠微な官僚的策謀」なのであって、私は拙著「アウシュヴィッツの争点」では、同研究所の「若手」フライ著「総統国家」を論評の材料にしました。この本では、ニュルンベルグ裁判でドイツ国内のダッハウ収容所(これが唯一の映像「証拠」の場)をも「ガス室」のある「絶滅収容所」だったと判定した「誤審」の事実を、完全に抹殺しています。しかし、逆にいえば、歴史的事実の「抹殺」という形式で、上記の「事実上の定説」を引き継いでいることになります、と答えた。
(高橋氏の反論1−5)  というわけで、「ドイツにはガス室はなかった」などというのは1960年当時も現在も定説でもなければ「事実上の定説」でもありません。また、ザクセンハウゼン、ノイエンガンメ、ラーフェンスブリュック、シュトゥットホーフ、マ ウトハウゼンの各収容所ではガス室が実際に殺人に使われていたことが知られています。要するに、ドイツ本国にもガス室は存在し、使われてもいたというのが終戦直後から現在に至るまで変わっていない定説です、と反論している。
(高橋氏の補足1−5)

 急いで書いたせいか、昨日投稿した[aml-stove 93]の内容にはいくつか誤りがありましたので、訂正します。マウトハウゼンは現在のオーストリア北部に位置しているので、「ドイツ本国」の収容所の例としてあげてしまったのはいささか不適切でした。これは上記のリストから除外することにします。

 [3] http://www2.ca.nizkor.org/hweb/orgs/polish/institute-for-forensic-research/introduction.html

 上記のURLは、この文献の導入部ページのものでした。目次ページのURLは下記のとおりですので、こちらから見てください。

  http://www2.ca.nizkor.org/hweb/orgs/polish/institute-for-forensic-research/index.html

 更に付け加えれば、上記のとおり1960年当時の段階では、ダッハウのガス室は使われることなく終わったと考えられていたのですが、その後の研究の結果、これはもはや定説ではなくなっています。この点に関するミュンヘン現代史研究所の現在の見解は、「ダッハウのガス室では小規模な実験的ガス殺が行われた」というものです。



【木村氏の原見解2(5、東西冷戦構造崩壊後、急速に、科学的な法医学調査と鑑定が行われ、事情が一変)】
 次の文を「木村氏の原見解2」とする。
 この状況を一変させたのが、東西冷戦の終結であって、ポーランドの「ガス室」なるものの実態が研究者の目にふれるようになると、次々と疑問が提出されるようになった。その最終的な到達点をなすのが「ガス室」の法医学的調査と鑑定である。「ガス室」と称されてきた建物の構造、人員収容面積、密閉性、排気能力、ガス投入のための穴またはパイプの有無の調査、さらには壁面の素材と結合した「シアン 化水素」(気体を「青酸ガス」とも呼ぶ)の残留テストによって、現在では、歴史学における考古学的な発掘調査と対比し得る科学的な研究が可能になっているのである。

 原告が掌握しているだけでも、すでに八つの報告があるが、その中には、クラクフのポーランド国立法医学研究所の調査と鑑定結果が含まれている。同研究所は、日本ならば警視庁が鑑定を依頼するような最高権威であり、アウシュヴィッツ博物館の依頼に基づいて実地調査を行い、同博物館に鑑定結果を伝達したものである。原告は、クラクフの同研究所を訪問するなどして、それらの調査と鑑定の報告書を入手し、著書、「アウシュヴィッツの争点」の中で、法医学的調査と鑑定の意義を詳しく紹介している。
 以上のような法医学的研究によって、ほぼ決定的に、従来流布されたきた神話は崩壊せざるを得ない状態にある。これらの研究を無視する議論は、たとえて言えば、殺人事件の審理に当たって検察当局が、殺人に使用された凶器として自ら主張する物的証拠の提出及び専門的な鑑定と、殺人現場として自ら主張する場所の現場検証とを、いずれも拒否ないしは無視しながら有罪の判決を求めようとするような、横暴極まりない愚挙に他ならない。

(議論は、高橋亨氏が、上記「木村氏の原見解」に質問するところから始まる)
【高橋氏の質問2−1、「ポーランド国立法医学研究所の所在地」についての遣り取り】

 高橋亨氏が、上記の木村説に質問し、木村氏の回答が為されている。

(高橋氏の質問2−1)  上の文章中に出てくる「ポーランド国立法医学研究所」とは、 ul. Westerplatte 9, 31-033 Krakow所在のInstytut Ekspertyz Sadowych (Institute of Forensic Research) のことですか?
(木村氏の回答2−1)

 基本的にはその通りですが、ポーランド文字では、Krakowのoの上に左から右下への楔、Sadowychのaの下には右へくにゃりと曲がる尻尾が付いています。郵便物での記載の順序は、PL 31-003 Krakow, ul. Westerplatte 9となっています。


【高橋氏の質問2−2、「ポーランド国立法医学研究所の鑑定書」についての遣り取り】
 高橋亨氏が二度目の質問をし、木村氏の回答が為されている。
(高橋氏の質問2−2)  あなたの上記の説明は、ポーランドにおける法医学鑑定の最高権威である同研究所による調査・鑑定によって、アウシュヴィッツにガス室はなかったことが「ほぼ決定的に」明らかにされた、と読める(それ以外に解釈のしようがない)のですが、それは本当ですか?
(木村氏の回答2−2)  高橋さんの「解釈」は不正確です。「ほぼ決定的に」という字句は、私自身の文章の一部ですが、私は、「以上のような法医学的研究によって、ほぼ決定的に」と記しています。

 「以上」とは何かといえば、その前には「すでに八つの報告がある」と記しており、「クラクフ」の報告はその最後の一部にしかすぎず、この報告の内容と結論の付け方には疑義があるので、その点を「ほぼ」という字句に含ませたのです。詳しく は訴状と同時に拙著「アウシュヴィッツの争点」を提出していますので、そこへ譲っているのです。この「ほぼ」に関しては、後日、いささか長い地の文章をmailで送ります。  

【高橋氏の質問2−3、「同鑑定書のシアン化水素の残留量に関する調査と検討」についての遣り取り】
 高橋亨氏が三度目の質問をし、木村氏の回答が為され、更に反論、続いて総評が為されている。
(高橋氏の質問2−3)  同研究所の誰が、いつ、どのような調査を行い、その結果どのような結論に到達したのか教えてください。
(木村氏の回答2−3)

 高橋さんの上記の質問への答えは、やはり長文になるので、これも後日、いささか長い地の文章をmailで送ります。簡単にいうと、シアン化水素(気体を日本語では青酸ガスと呼ぶ)の成分の残留テストの結果、アウシュヴィッツのメイン・キャンプの「ガス室」には「消毒室」(これは誰しもが本物と認定)よりも残留が少ないことを認めるが、それは「殺人に要した時間が短かったから」などと主張する矛盾に満ちた報告なのです。

 同研究所から直接入手した13頁の抜き刷りの英語の論文は三人の連名になっています。こちらもポーランド文字で、いちいち説明を付けないとならないので、読んでみたい方は送り先を記してmailで申し込んで下さい。コピーを無料でお送りします。もちろん、その入手の経過をも記した拙著「アウシュヴィッツの争点」の特価 での注文と一緒であれば、なおのこと歓迎します。訳したい方の出現をも望んでいます。

(高橋氏の反論2−3)

 この報告におけるシアン化水素の残留量に関する調査と検討が、果たして木村さんが「それは『殺人に要した時間が短かったから』などと主張する矛盾に満ちた報告なのです」と評されているような粗雑なものかどうかも、報告書の内容をよく読んでみれば明らかだと思います。簡単にポイントだけ指摘しておくと、

 この報告で調査されているガス室は、アウシュヴィッツ基幹収容所にあるもの(1941年に最初のガス殺が行われた第11ブロック内の一室および第一焼却棟内のもの)だけではない。アウシュヴィッツ-ビルケナウにあるガス室(第二、第三、第四、第五焼却棟内)も同様に調査の対象となっている。
 基幹収容所第11ブロックのガス室は確かにシアン化水素残留量が他のガス室やシラミ駆除室に比べて少ないが、これはこのガス室が初期のごく短期間しか使われなかったことによって説明できる。

 平均値で見ると第一〜第五焼却棟の残留量もシラミ駆除室に比べて少ない が、それほど極端な差があるわけではない。残留量はサンプルごとに大きく異なり、焼却棟の場合は0〜640ug/kg、シラミ駆除室では0〜900ug/kgの範囲に分布している。

 平均的に見てシラミ駆除室より焼却棟の残留量が少ないのは、使われたアン化水素ガスの濃度が低く、1回当たりの処理時間も短かったこと(注:シアン化水素は昆虫に対してより人間に対してのほうが遥かに殺傷力が大きい)、これらの焼却棟は解放前に爆破され、後に展示用に再建された一つを除き、廃虚のまま風雨に曝されてきたこと、などから説明できる。

 この報告書(A STUDY OF THE CYANIDE COMPOUNDS CONTENT IN THE WALLS OFTHE GAS CHAMBERS IN THE FORMER AUSCHWITZ AND BIRKENAU CONCENTRATION CAMPS)は既にWeb上で公開されていますので、わざわざ木村さんの手を煩わせるまでもありません。HTML版が、プレーンテキスト版があります。木村さんによる評価とは異なり、私は非常に優れた研究だと思います。平易な英文ですので、興味のある方はぜひご自分で読んで判断してみてください。

(高橋氏の総評)

 いやあ、驚きました。すると、木村さんが訴状に書かれた:(木村氏の原見解2)という文章の中で「日本ならば警視庁が鑑定を依頼するような最高権威」として紹介されているポーランド国立法医学研究所は、「アウシュヴィッツ博物館の依頼に基づいて実地調査を行」った結果、確かにガス室の壁面にシアン化水素が残留していることを確認して報告をまとめたのだが、それはあなたの該博なる知識から見ると矛盾に満ちた取るに足りない代物であって、同研究所の鑑定結果の存在にもかかわらず、「法医学的研究」の結果としては、アウシュヴィッツにガス室などなかったことが「ほぼ決定的に」明らかになっているというわけですね。

 私もずいぶんいろんな人と議論してきて大抵のレトリックには驚かなくなっているのですが、これほど理解困難な文章に出会ったのは初めてです。あなたの訴状を特別な予備知識なしで読んで、今回あなたが示されたような「正しい」 解釈が出来る人など恐らくどこにもいないでしょう。

 訴状のこの部分は至急訂正されることをお勧めします。万一裁判官があなたの著書を細心の注意を払って隅々まで読む作業を怠った場合、「日本ならば警視庁が鑑定を依頼するような最高権威」であるポーランド国立法医学研究所自身がガス室は「神話」だという鑑定結果を出したと誤認して、とんでもない誤判を招いてしまう恐れがあります。

 また、あなたのホームページも至急訂正されることをお勧めします。訴状を理解するための予備知識としてあなたの『アウシュヴィッツの争点』が必要だということであれば、少なくとも訴状に関連する部分はすべてホームページにも引用掲載して注意を喚起しておく必要があるでしょう。そうでないと、あなたのページを訪れた「純情なインターネットの若者」たちが皆とんでもない誤解をしてしまう恐れがあります。そういう事態は決して木村さんの本意ではありませんよね。



【高橋氏の質問3−1、「木村氏の『映画シンドラーのリスト が訴えた“ホロコースト神話”への大疑惑』内容」についての遣り取り】
 高橋亨氏が、次のように質問し、木村氏の回答が為されている。
(高橋氏の質問3−1)

 木村さんは「噂の真相」1994.9月号に「映画『シンドラーのリスト』 が訴えた“ホロコースト神話”への大疑惑」なる記事を書いていますが、この記事に書いた内容は現在でも正しいとお考えですか?

(木村氏の回答3−1)

 基本的には「現在でも正しい」と考えています。「基本的に」と断ったのは、第1に、これはごく細部ですが、77頁上段で「『ホロコースト』は本来、獣を丸焼きにして神前に捧げるユダヤ教の儀式の呼び名」としたのは、英和辞典の引き写しで不正確でした。その後、NEDで調べ直した結果、ギリシャ語源だったことが分かったので、「偽イスラエル政治神話」の訳注に入れました。

 第2に、これもごく細部ですが、82頁中段の「ユダヤ人の最終的解決」は「ユダヤ人問題の最終的解決」の誤りで「問題」が脱落しています。脱落の原因は不明。( 今後も少しは冗談を交えますが)わが幻想のモサドではなくて、おそらく東芝製ワープロに仕込まれたヴィールス謀略によるものでしょう。

 第3に、「チクロンB」から「沸騰点の二五・六度以上で青酸ガスが遊離する」と 記しましたが、低温でも速度は遅いが遊離するので、不正確でした。その点は拙著『アウシュヴィッツの争点』でさらに正確に記しています。


【高橋氏の質問3−2、「木村氏の西岡見解に対する態度」についての遣り取り】
 高橋亨氏が、二度目の質問を為し、木村氏の回答が為されている。
(高橋氏の質問3−2)  また、あなたのWebサイ トには西岡昌紀氏の主張が掲載されていますが、これはあなたもその内容を支持している、という意味ですか?
(木村氏の回答3−2)  基本的には、その通りです。ただし、十人十色、まずは、表現のニュアンスの 違いがあります。ですから、わざわざ、西岡さんの「文責」についての注釈を載せたのです。


【木村愛二氏の高橋氏に対する独白(一)】

 とりあえず指摘しておくと、高橋さんが参考に挙げた唯一の日本語文献、「アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘」は、マルコポーロ廃刊事件のあとに出たもので、その時期以後、私は超多忙となったため、まだ見ていません。ですが、 別途pmnMLで渡辺武達教授が送ってきたmailによると、その本では、「ロイヒター報告」を否認する根拠の一つとして、シアン化水素がそんなに長く残っているかなどという理屈をこねているようです。そうだとすれば、高橋さんは、そのへんの矛盾をどうお考えなのでしょうか。

 もうひとつ、私はアウシュヴィッツとマダネクしか見ていませんが、そのどちらにも戦後の細工の跡があり、私が見た当時にも、あちこちで工事中でした。今、何かがある、または見えるということだけでの判断は危険です。

 私は、この問題を極右イスラエルの戦時宣伝として位置付けています。イスラエルの侵略に終止符が打たれるまでは、謀略、デッチ上げは継続され、ますます巧みになるでしょう。

 また、高橋さんは、いくつかのサイトを参考に挙げていますが、これも私にはまだ見る時間がありません。マルコポーロ廃刊事件の当事者、西岡さんが、いくつか見ているようですが、そのようなサイトの対極としての私のホームページの一 部を、試しに「シオニスト『ガス室』謀略の城」として、ヤフー登録を申し込んだところ、拒否されています。言論の封殺者をこそ疑うのが、高橋さんの「対抗言論」なのではないでしょうか。この問題で一番大事な観点は、犯罪操作の基本と同様、「ガス室」神話で一体誰が得をしているのか、なのです。  

 しかし、「ガス室があった」との文章が今回の引用によって、二度流されたので、その問題点だけを簡単に指摘しておきます。高橋さんの「あった」という根拠が定かではありませんが、ドイツにはなかったという趣旨の譲歩は、マルコポーロ廃刊事件の引き金を引いたセンターがその名を頂くサイモン・ウフィゼンタールですらが余儀無くされているのです。このことは私のホームページの彼とその組織にかんするリーフレットの訳にも入っています。彼の表現は、「絶滅収容所はなかった」ですが、私はブロシャットの投書の「ダッハウのガス室は完成しておらず」も、「ガスによる殺人はなかった」も、ダッハウ収容所跡の同趣旨の掲示も、すべて実際には「ガス室はなかった」事実の承認への、渋々ごまかし譲歩として分類しており、問題点を分かり易くするために、そう表現しています。

 最大の問題は、出たばかりの拙訳・解説、ロジェ・ガロディ著「偽イスラエル政治神話」で、おそらくイスラエルの反主流派学者の協力によって2版に追加したものと思われる「公式の歴史学者」(les historiens officiels)の代表格、イェフ−ダ・バウア−(Yehuda Bauer)への批判です。私はofficielsを一応、「公式の」と訳しましたが、この単語の本音は「御用」でしょう。このバウアーは、ドイツにもオーストリアにも「ガス室はなかった」という見解を示しています。それはまた、イ スラエルの「公式の」ホロコースト博物館、ヤド・ヴァシェムの見解でもあるのです。高橋さんに絶対の自信があるのなら、まずは、私と論争する前に、これらのイスラエルの体制側見解を「正す」べきでしょう。

 高橋さんが頼っている文献は、現在の厳しい国際論争の最前線の争点から見ると、非常に遅れたものだといわざるを得ません。文献を見る時には、そこに含まれている情報のすべてを一応疑って、特に、それとは反対の立場の文献と比較対照して、さらに調べ直す必要があります。先入観念に捕らわれて、細部の表現の揚げ足取りをするのは、本多勝一だけに任せておくべきです。

【木村愛二氏の独白(一)に対する高橋亨氏の反論】
 高橋亨氏が、木村氏の独白(一)の逐条に、種々質問、感想、反論を述べている。
(木村見解)  なお、高橋亨さんの質問は、拙著「アウシュヴィッツの争点」を読んで頂ければ、すべて解決する性質のものですが、それでは失礼なので、mailだけでも分かるように努力します。
(高橋見解)  と自信満々におっしゃってましたよね。「調べ直して回答」するということは、結局あなたの「アウシュヴィッツの争点」だけでは私の疑問に答えられないこ とをお認めになった、ということですね。木村さんは「アウシュヴィッツの争点」を裁判所に証拠として提出されたそうですが、これではその証拠能力にも大きな疑問を抱かざるを得ません。
(木村見解)  とりあえず指摘しておくと、高橋さんが参考に挙げた唯一の日本語文献、「アウ>シュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘」は、マルコポーロ廃刊事件のあとに出たもので、その時期以後、私は超多忙となったため、まだ見ていません。ですが、別途pmnMLで渡辺武達教授が送ってきたmailによると、その本では、ロイヒター報告を否認する根拠の一つとして、シアン化水素がそんなに長く残っているかなどという理屈をこねているようです。そうだとすれば、高橋さんは、そのへんの矛盾をどうお考えなのでしょうか。
(高橋見解)

 またもや前回同様な指摘をしなければならないのですが、この本で、シアン化水素に関してロイヒター報告に反論している内容は、「シアン化水素がそんなに長く残っているか」などという単純なものではありません。この本が言っているのは、

 ナチはアウシュヴィッツのガス室に大勢の犠牲者を鮨詰めに押し込んだ。  (犠牲者の体温で空気を暖め、ガスを気化しやすくするため)
 泣き叫び、空気を得ようともみあう人々は呼吸により大量の青酸ガスを 体内に取り込んでしまった。

 また、ナチは米国の刑務所における死刑の場合とは異なり、「人道的」  配慮から致死量の11倍の青酸を投与する必要など認めていなかった。

 その結果、犠牲者たちの死後、壁面から採取されうるほどのガスは空気中に残留しなかっただろう。

 従って、44年もの後にロイヒターが壁面から青酸残留物をほとんど検出できなかったとしても不思議はない。

 ということです。私はpmnには加入していないので、上記の「理屈」の不正 確さの原因までは分かりませんが、いずれにせよそのような曖昧な論拠で文献を批判すべきではないと思います。

 次に、上記の反論の内容ですが、資料上の制約を考慮すれば、極めて妥当なものであると思います。バスティアンによるこの本の原著は1994年に出版されたものなので、執筆段階ではまだポーランド国立法医学研究所(IFRC)の報告書は読んでいないでしょう。(IFRC報告は1994年5月30日に論文として受付けられており、掲載誌の出版はもっと後。)IFRC報告によって、ガス室にもシラミ駆除室同様確かにシアン化合物が残留していることが確認された訳ですが、このデータを入手していないバスティアンとしては、ロイヒター報告に記載されているデータそのものは一応正しいものと仮定して書いているわけです。後に明らかになった事実から見て訂正すべき点が含まれているからといって、「矛盾」 しているなどとは言えないでしょう。

(木村見解)  もうひとつ、私はアウシュヴィッツとマダネクしか見ていませんが、そのどちらにも戦後の細工の跡があり、私が見た当時にも、あちこちで工事中でした。今、何かがある、または見えるということだけでの判断は危険です。
(高橋見解)

 アウシュヴィッツを始めとする収容所跡は、ナチの史上類を見ない残虐行為を 記憶に留め、未来に警告するための戦争遺跡として整備されているので、改修のために手が加えられている部分があるのは確かですが、それをただちに「細工」だなどと言うのは憶断が過ぎるというものです。

 確かに、現在見えるものだけから判断すべきでない、というのはその通りですが、そのような批判は私などよりもむしろロイヒター氏に対してこそ相応しい と思います。例えば、ロイヒター報告には次のような一節があります。

  The author personally inspected and photographed the burning pits at Birkenau. Most remarkable about those pits is a high water table --
  perhaps as high as 1.5 feet from the surface. The historical description of these pits is that they were 6 meters (19.55 feet) deep. It is not possible to burn corpses under water, even with the use of an artificial accelerant (gasoline). All pit locations officially designated on museum maps were inspected and as anticipated, since Birkenau was constructed on a swamp, all locations had water within 2 feet of the surface. It is the opinion of this  author that no burning pits existed at Birkenau.

 つまり、アウシュヴィッツ一帯は湿地帯で地下水位が高いので、穴を掘ってそこで死体を焼くことなどできるはずがない(従ってそのような死体焼却を示す記録や写真は怪しい)と主張しているわけですが、実際には当時、敷地内の地下水は囚人の強制労働によって張り巡らされた排水網を通じてヴィスワ河に放流されていたので、死体焼却は十分可能だったのです。

 この排水設備は1945年以降放置されて来たため既に機能を失っており、その結果現在では地下水位が上昇してしまっています。これなどまさに、「今、何かがある、または見えるということだけ」に頼って判断を誤った好例と言えますね。

(木村見解)  私は、この問題を極右イスラエルの戦時宣伝として位置付けています。イスラエルの侵略に終止符が打たれるまでは、謀略、デッチ上げは継続され、ますます巧みになるでしょう。
(高橋見解)  ホロコーストがシオニストによるデッチ上げだと言いたいのなら、まずその謀略の存在を示す明白な証拠を押え、次いで誰が、どのようにしてガス室「神話」 を作り上げていったのか、その過程を具体的に解明していくべきでしょう。残念ながら木村さんの論理の立て方は完全に順序が逆だと思います。
(木村見解)  また、高橋さんは、いくつかのサイトを参考に挙げていますが、これも私にはまだ見る時間がありません。マルコポーロ廃刊事件の当事者、西岡さんが、いくつか見ているようですが、そのようなサイトの対極としての私のホームページの一部を、試しに「シオニスト『ガス室』謀略の城」として、ヤフー登録を申し込んだところ、拒否されています。言論の封殺者をこそ疑うのが、高橋さんの「対抗言論」なのではないでしょうか。
(高橋見解)  奇遇ですねぇ。私の「対抗言論のページ」も、立ち上げ当時さっそくYahoo! Japanに登録を申し込んだのですが、何の応答もなく無視されてしまいました。 担当者の見る目のなさには苦笑せざるを得ませんが、少なくとも私のページが登録されなかったのはシオニストの陰謀のせいじゃないと思いますよ。
(木村見解)  この問題で一番大事な観点は、犯罪操作の基本と同様、「ガス室」神話で一体誰が得をしているのか、なのです。
(高橋見解)  その通りですね。ぜひホロコーストという歴史的事実をデッチ上げだと主張し、「神話」化することで一番得をするのは誰なのか、木村さんにもじっくり考えて欲しいと思います。
(木村見解)

 in "http://www.jca.ax.apc.org/~altmedka/keisai.html" 木村さん wrote:
 ところが、すでに1960年[昭35]には、「ドイツにはガス室はなかった」という 事実上の定説が成立していた。つまり、ニュルンベルグ裁判で採用された唯一の映 像は、完全に虚偽の物的証拠だったのである。原告の判断によれば、この「事実上 の定説」を新聞発表したミュンヘン現代史研究所の所員(のち所長)、ブロシャッ トの真の意図は、それまでに多数提出されていた「ホロコースト」神話への疑問に 屈しながらも、その一方で、「ポーランドにはあった」という逃げ口上を流布し、 神話の一時的な延命を計ることにあった。当時の西側諸国の研究者は、ポーランド の「ガス室」を実地調査することができなかったからである。

 in [aml-stove 92] 木村さん wrote:
  「ドイツにはガス室はなかった」という表現を含む文章は、その後にミュンヘン現代史研究所の所長に昇格したブロシャット博士の個人的な新聞投書です。私はこの投書を、論争を避け、当時はソ連圏にあって調 査不可能な東部への問題先送りの「移送」(ユダヤ人の東部移送と引っ掛けた皮肉 )を狙った「隠微な官僚的策謀」であると主張しています。

(高橋見解)

 上記の文章で木村さんがブローシャト博士の投書を根拠に主張しているのは、「実はガス室などどこにもなかった」ことを隠し切れなくなった「定説」側学者たちが、西側諸国についてははそれが存在しなかったことを認めつつ、共産圏内にあって調査のできない「ポーランドには」あったと主張することによっ て「神話」の延命を図った、ということです。

 前回私は、ブローシャト書簡の内容そのもの、およびミュンヘン現代史研究所の現在の見解から、「定説」側学者たちの言動に関するあなたの説が成立しないことを示しました。この点に何ら答えることなく論点をそらされては困ります。

 マウトハウゼンはオーストリアにあります。オーストリアは一度も共産圏に組み入れられたことはありません。マウトハウゼンがドイツ本国にあろうがオー ストリアにあろうが、それはあなたの言う「隠微な官僚的策謀」が事実かどうかには何の関係もありません。

(木村見解)  しかし、「ガス室があった」との文章が今回の引用によって、二度流されたので、その問題点だけを簡単に指摘しておきます。高橋さんの「あった」という根拠が定かではありませんが、ドイツにはなかった という趣旨の譲歩は、マルコポーロ廃刊事件の引き金を引いたセンターがその名を頂くサイモン・ウフィゼンタールですらが余儀無くされているのです。
(高橋見解)  収容所跡に残る実物、生き残った被収容者による目撃証言、ガス殺を実行した 加害者自身の証言……ガス室の存在を示す証拠はいくらでもあります。「ガス室はなかった」なる自説の根拠を示さなければならないのは、木村さん、あなたの方です。
(木村見解)

 高橋さんが頼っている文献は、現在の厳しい国際論争の最前線の争点から見ると、非常に遅れたものだといわざるを得ません。文献を見る時には、そこに含まれている情報のすべてを一応疑って、特に、それとは反対の立場の文献と比較対照して、さらに調べ直す必要があります。先入観念に捕らわれて、細部の表現の揚げ足取りをするのは、本多勝一だけに任せておくべきです。

 in [aml-stove 94] 木村さん wrote:
 とりあえず指摘しておくと、高橋さんが参考に挙げた唯一の日本語文献、『アウ シュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』は、『マルコポーロ』廃刊事件のあとに出 たもので、その時期以後、私は超多忙となったため、まだ見ていません。
 ..snip..
 また、高橋さんは、いくつかのサイトを参考に挙げていますが、これも私にはま だ見る時間がありません。

(高橋見解)

 私が示した文献を見てすらいない木村さんが、なぜそれを「非常に遅れたもの」 だなどと言えるのか、私にはまったく理解できません。少なくともそういうことは私の指摘に対して一つでも反証を挙げてから言うべき事ではないでしょうか。



【木村愛二氏の高橋氏に対する独白(二)】

 管理人の小倉さんから新しい提案が出たので、下記のような経過の自主投稿停止宣言を解除し、この投稿を送ります。  

 先日、このaml-stoveMLで「pmn潜入」と表現したところ、その表現に対する質問が、このaml-stoveMLへではなくて、pmnMLの方へ投稿され、つまりは私が「飛び火」の始末に追われるという不測の事態が発生しました。

 私は、1960年安保闘争以来、ほぼ30年、いつ公安警察の違法な労組書記局捜査を受けてもおかしくない状況の下で、覚悟を決めた活動を続けていました。逮捕された経験もあります。その後はさらに、いつCIAやモサドに命を狙われるか分からない著述を続けており、特に、本件論争の主題「シオニスト『ガス室』謀略」の暴露に取り組み始めて以後は、まさかの時には死亡保険を拙著の広告費に当てるという遺言を出版社に託している状況ですから、今更何が起きても一向に驚きません。

 上記の事態がルール違反だとしても、別に怒るとかいうこともありませんし、むしろ面白い現象だと思っているくらいです。しかし、これも自分勝手なこととはいえ超多忙でもあり、子供相手のモグラ叩きゲームに熱中する暇は当然ありませんので、とりあえず、その経過と仕組みが判明するまでは投稿を停止するとの宣言をしたところ、その宣言と差し違えに、管理人の小倉さんから新しい提案がなされました。 

 何はさておいても、ML管理人の提案というML空間社会では決定的な問題ですし、 せっかくの機会ですから、あえて以下のような非常手段に訴えて三次元空間を歪め 、ないはずの時間を捻り出し、小倉さんの提案についての私見を申し上げます。

 同志社大学の渡辺武達教授が、このaml-stoveメーリングリストで私が使った「 pmn(民衆のメディア連絡会メーリングリストのこと)潜入中」という渡辺教授に関する表現をとらえて、このaml-stoveメーリングリストにでもはく、このaml-stoveへの「ガス室」論争の移行を発表したamlメーリングリストにでもなく、 pmnメーリングリストに質問を寄せました。

 私は、先にamlの方に管理人の小倉さんにaml-stoveへの登録手続きをして頂いた謝辞を送っています。つまり、自分が志願して手続きしたのではないので、その際には、aml-stoveの約束事を確認していません。しかし、今年の春、pmnに中宮さんが参加申込をされた際に、いわゆる論争の取扱いの経過が、民衆のメディア連絡会 のスタッフ会議で話題になり、その時に、aml-stoveでは内部の議論を外に出さないことになっているという説明を聞きました。これは国内の例としては日本共産党の「党内の問題を外部に出してはならない」との「除名条項」に似ていると思いましたし、国際的な例としてはローマ法王の後継者を決める枢機卿の秘密会議を思い出しました。

 枢機卿の秘密会議は、完全な秘密会議で結論が出るまでは外部と遮断し、中から外へは出られず、結論が出たら何かを燃やして煙を上げるのだそうです。

 この会議のことをラテンでconclaveといい、元の意味は「小さい教室」とありますが、その発音は、私がこだわって「ヴェ」とするveを、字数減らしを眼目とする新聞式の「ベ」とすると「コンクラーベ」になり、日本語では「根比べ」と同音になりますので、日本語とラテン語も同根説の冗談のネタともなっています。  

 さて、aml-stoveについては、そういう記憶で参加したので、上記のような外部 への情報漏れが生じた事態は、非常に理解し難く、興味深いのです。

 まずは、どなたが情報を漏らしたのか、それとも渡辺教授自身がaml-stoveに参加しているのか、そのことを、ご自身から明らかにして頂きたいのです。そうでな いと、何時闇討ちに会うか分からないのに無防備で暗い夜道を歩くようなもので、子供向きのお化け屋敷ではありまいし、これはもう暇人ではないので御免です。

 少なくとも、拙著を読まずに、そこらじゅうに溢れているデタラメ本の引用だけで議論を仕掛けてくるという口喧嘩マニアが、このMLの世界には溢れているようです。もう子育ても終わったのに、またもや見ず知らずの他人の子供を辛抱強く相手にするだけでもしんどいのに、さらには、あちこちのメーリングリストに無料出張を強要される羽目に陥ったのでは、いくら時間があっても堪りません。 

 とりあえず、面食らった方も多いでしょうし、これまでにも私のホームページに入れていた発端の記事を見ていない方、またはmailだけでホームページを見ることのできない環境の方もおれれるので、以下、渡辺教授との論争の発端となった記事の全文とイラストを紹介します。

 記事だけでも長いので、特に論評はせず、最後に簡単な注釈を記すだけとします。 

 以下が記事とイラストの説明ですが、ホームページでは私が挿入していた注釈仕方に、渡辺教授が異議を唱えたり、意地悪く感じた方もいたようなので、それは全部省き、すべてママとしました。  

 『月刊パンプキン』(1997.12)「MEDIAウォッチング」12(この回の題):「血みどろ写真」掲載は表現の自由か

 渡辺武達、イラスト/山県和彦  

 イラストに関しては、この回のみのものと思われる部分を「文字」のみで説明し ます。 登山では進行方向を指示する「道標」の上に、「言論」の矢印が左を向き、その下に続く「の自由」の矢印が下向きの右を向き、その上の階段を右下へと、 ネクタイを首に引っ掛けた記者が駆け降りています。左側の指先にはペン。右側の手には昆虫取りの竿付き手網。手網の口の右下には「蝶」の代わりに「銭入れ袋」 が空中に浮いています。つまり、「言論」とは反対方向の「銭」を追う「記者」が堕落への道を転がり落ちるという構図です。

 以下が本文です。

 …………………………………………………………

  表現の自由は市民を守るためのもの  

 最近、『湾岸報道に偽りあり』などの著者として知られる木村愛二氏がジャーナリズム関係者のあいだでしばしば話題になる。反権力を売り物にしてきた氏がナチの虐殺を否定するかのような本を書いたのと、そのことに関連して『週刊金曜日』 の関係者からドイツ司法当局へ告発されたからである。

 私がメディア研究者としてはっきりいえることは、現在の日本の主流メディアのほとんどが言論・表現の自由ということを「意図的」に誤解、ないしは曲解しているため、その弊害が一般にも出てきているということだ。

 大学で私のゼミに登録した学生たちも、日本国憲法第21条における「言論・出版の自由」と「検閲の禁止」規定を知っているから、『フォ−カス』や『週刊新潮』(ともに新潮社刊)が神戸事件の少年容疑者の顔写真を掲載し、『週刊現代』などがインタ−ネットからの転載でダイアナ妃の事故直後の血みどろ写真(実はニセ合成写真)を掲載しても、それらも表現の自由のうちではないかと思いがちだ。

 しかし半年も現代ジャーナリズムについて勉強をすると、言論・表現の自由はメディアが市民の知る権利を守る忌憚のない権力批判報道を行うことであり、(1)他人を傷付ける言論を許すものではないことがわかってくる(プライバシ−と人権侵害の禁止)。また、最大風速50メ−トルの巨大台風が近づいているのにもしテレビやラジオで、備えなど必要ないといえば、小型漁船などの物損や乗組員の被害は甚大なものとなるから、(2)メディアに意図的な「うそ」をつく自由は許されるはずもない。さらに、(3)一人ひとりの人間の平等性と男女の共生社会に向かう方向性に対立するような社会差別助長の言論もだめである。くわえて(4)女性の身体を切りきざむだけといった残虐暴力表現やレイプを肯定し、女を男の慰みものとしか見ないようなポルノとセックス表現も、言論・表現の自由の範疇に入れない

………………………………………………

      問われる“メディアのふるまい”  

 数年前、文藝春秋発行の『マルコポーロ』誌が「ナチにガス室はなかった」とい う記事を掲載、問題となり、廃刊となった(95年2月号)。この虚偽表現について 心からの反省のない「メディアの犯罪」はSGI(創価学会インタナショナル)によってもウォールストリート・ジャーナル、アジア版への意見広告として告発された(96年12月)。理由は、毒ガスの製造工場、運搬手段、運搬者、ガスの管理者・使用者、そして殺害された人びとのおよその数と名前まで明らかになっていることをを「ソ連とユダヤ人がつるんでおこなった捏造」であるという論を、日常会話ならともかく、一般市販メディアで主張すること、またそうした主張をさせるメディアの責任が問われたのであった。

 私は商売と政権政党への奉仕のために何でもする新潮社や文藝春秋を反人権出版社と断ずる。しかし、日本のメディア関係者が日本人による「誤解表現」をドイツ の司法当局に訴えるやり方にも賛同できない。

     …………………………………………………

 わたなべ たけさと 1944年、愛知県生れ。同志社大学文学部教授。「なるほど! ザ・ワールド」など、テレビ番組制作にも参画。著書も、『メディア・レトリックの社会学』、『テレビ〜「やらせ」と「情報操作」』など多数。近著『メディア・ リテラシー』(ダイヤモンド社)は、市民が「賢い視聴者、読者」になるためのノ ウハウを具体的に提示していて好評。

 記事は以上で終り。 

 以上の記事に関して、「イラストは編集者責任で掲載したのではないか」との意見もありますが、渡辺教授自身は、この記事構成に関して何らの弁明もしていません。私が「誤解表現」をしていると断定する根拠の誤りについては別途、「誤解だらけのガス室論争」でも指摘しました。詳しくはホ−ムペ−ジまたは拙著を参照して下さい。

 特に問題なのは、たとえ編集者責任であろうと、私が「銭袋」を追って堕落する記者だと主張するのは、全く事実に反する誹謗中傷であって、私に対する最大限の侮辱です。それをあえて主張するであれば、その判断根拠を示すべきです。

 事実はまったく逆であって、私は、この問題に関して欧米では極右シオニストによる殺人まで発生していることを熟知しており、だからこそ、国際的には第三者でありながら湾岸戦争でアメリカとイスラエルに荷担し、現在もイスラエルの不法占領地帯のゴラン高原に出兵している日本の国籍を有する一員として、事実関係を確信した以上、「たとえ火の中、水の中」の決意で、出費計算を度外視して取り組んでいるのです。

 この問題に関して私と基本的に同意見のロジェ・ガロディは、元フランス共産党政治局員で、日本語訳の本も9冊あります。この10月15日発売、拙訳・解説『偽イ スラエル政治神話』のフランスでの原著出版を理由として、著者ガロディは、約250万円の罰金刑に処せられましたが、その判決を報じた朝日新聞(1998.2.28夕刊 記事の最後には、「ガロディは[中略]アラブ諸国の知識人はイスラム教徒の間 では英雄視されている」とありました。それだけの強烈な政治問題なのです。 以上。


【木村愛二氏の独白(二)に対する高橋亨氏の反論】
(テーマ) 論争相手に対する態度について
(木村見解)

 in [aml-stove 103] 木村さん wrote:
 しかし、これも自分勝手なこととはいえ超多忙でもあり、子供相手のモグラ叩きゲームに熱中する暇は当然ありませんので、とりあえず、その経過と仕組みが判明するまでは投稿を停止するとの宣言をしたところ、その宣言と差し違えに、管理人の小倉さんから新しい提案がなされました。

 in [aml-stove 104] 木村さん wrote:
 少なくとも、拙著を読まずに、そこらじゅうに溢れているデタラメ本の引用だけで議論を仕掛けてくるという口喧嘩マニアが、このMLの世界には溢れているようです。もう子育ても終わったのに、またもや見ず知らずの他人の子供を辛抱強く相手にするだけでもしんどいのに、さらには、あちこちのメーリングリストに無料出張を強要される羽目に陥ったのでは、いくら時間があっても堪りません。

(高橋見解)

 私には、その「デタラメ本の引用」に対してさえまともに反論できないあなたから、それもMLという公共の場において、「子供」だの「口喧嘩マニア」だのと呼ばれる筋合いはありません。そのような物言いには強く抗議します。

 どの程度の言動をもって「侮辱」「中傷」と判断するかは人によって評価の度合いも違うのでしょうが、少なくとも本多勝一氏から私信で「取材不足」と指摘された程度のことまで「侮辱的言動」に数え上げる木村さんご自身の基準に照らして、上記の発言が果たして私に対する侮辱に当たらないのかどうか、上記発言が行われた場である本MLにおいて明確に説明する責任があなたにはあると考えます。(↓下記参照)

 in "http://www.jca.ax.apc.org/~altmedka/tyokusetu.html" 木村さん wrote:
  四、被告・本多勝一自身が直接原告に対して行った主要な侮辱的言動
 1996年[平8]6月30日付けの被告・本多勝一(代)署名による手紙…… 「木村さんの湾岸戦争の時のルポや読売新聞社問題に関する仕事は高く評価するものですが、このアウシュヴィッツ問題については取材不足で支持しかねます」

 ..snip..
 1997年[平9]3月10日付け手書き署名入りファックス通信……「2年ほど前の片言隻句をとらえているようです」
 1997年[平9]3月18日付け手書き署名入り手紙……「(原告の実地)調査 は非常に短期間であって、すぐ帰ってきたのには驚きました」

(テーマ) 木村さんの「超多忙」について
(木村見解)

 in [aml-stove 103] 木村さん wrote:
 実のところ、上記投稿停止宣言には、その時にも記したように、今月中に対『週刊金曜日』裁判の本人証言の台本となる陳述書の改訂増補版を裁判所に提出する約 束をしていたという事情もありました。裁判の次回口頭弁論は11月24日13:20からですが、非常に穏やかな態度の裁判長に交替したばかりなので、法廷における約束を守らずに心証を害するのは都合が悪いのですが、本日早朝、書記官に電話をして、予定外の追い込み作業が次々に発生した事情を説明し、一週間の猶予をお願いしました。

 in [aml 9880] (10.25「ガス室」live論争相手募集) 木村さん wrote:
 pmnMLでは私が「留守番」をするというmailがBOUNCEもあって二度流れましたが、私は交通費も食事代も出ないのに「志願でくるよな馬鹿もいる」という立場ですから、せめてものリップ・サーヴィスで「店長」と呼んでほしいものです。どうせ無給で、客が立て込む心配は残念ながらないようですから、私も退屈しのぎ、そちらは冷やかしで結構。ついでのことに、気に掛かっている方は「ガス室」論争でも吹っかけに来て下さい。

(高橋見解)  本当にお忙しいということでしたら、返答はゆっくりで構わないと [aml-stove 100]で提案したはずですが、それすらできない木村さんに、わざわざ「志願」して店番をやり、「退屈しのぎ」にお客さんと「ガス室」論争をするほどの暇があるとは、私には理解できない奇怪な事態と言わざるを得ません。
(テーマ) aml-stoveの趣旨について
(木村見解)  in [aml-stove 104] 木村さん wrote:
 私は、先にamlの方に管理人の小倉さんにaml-stoveへの登録手続きをして頂いた謝辞を送っています。つまり、自分が志願して手続きしたのではないので、その際には、aml-stoveの約束事を確認していません。しかし、今年の春、pmnに中宮さんが参加申込をされた際に、いわゆる論争の取扱いの経過が、民衆のメディア連絡会のスタッフ会議で話題になり、その時に、aml-stoveでは内部の議論を外に出さないことになっているという説明を聞きました。これは国内の例としては日本共産党の「党内の問題を外部に出してはならない」との「除名条項」に似ていると思いましたし、国際的な例としてはローマ法王の後継者を決める枢機卿の秘密会議を思い出しました。

 枢機卿の秘密会議は、完全な秘密会議で結論が出るまでは外部と遮断し、中から外へは出られず、結論が出たら何かを燃やして煙を上げるのだそうです。
 ..snip..
 さて、aml-stoveについては、そういう記憶で参加したので、上記のような外部への情報漏れが生じた事態は、非常に理解し難く、興味深いのです。
(高橋見解)

 この点については別途管理人さんからも説明があると思いますが、それは木村さんの誤解でしょう。97年1月にaml-stoveが開設された際、amlにおいて、次のような趣旨説明がなされています。

 in [aml 3243] 小倉さん wrote:
| *****************************
| ディスカッションのためのメーリングリスト aml-stoveのご案内
| *****************************
| 最近のamlのメッセージのfjへの転載に関して、議論が続いています。amlの本来の目 的は、市民運動や様々な民衆運動などの情報交換であり、議論は極力避けていただき たい旨、最初のご案内に書いてあります。 しかし、今回議論になっている問題は、議論せずにすますべきことではないと考え ますし、議論を続けたいと考えていらっしゃる方もおられますので、下記のように、 ディスカッションのためのメーリングリストaml-stoveをつくりました。今回の問題に限らず、amlでとりあげられた情報に関して議論をしたいという場合 は、この新しいメーリングリストaml-stoveをご活用ください。
 ..snip..
  **aml-stoveのメッセージの転載について**
 なお、このメーリングリストは、ディスカッションのためのものです。議論の過程で 、様々な誤解や行き違いなども含めて錯綜した投稿がありえます。従って、ここに投稿されたものについては、このメーリングリスト以外への転載は原則としてお断りします。転載したい場合には、投稿者の許可をあからじめとってからお願いします。

 aml-stoveにおける制約は、原則転載自由なamlとは異なり、原則として(投稿者本人の許可がない限り)記事の転載は不可、というだけのことであって、ここでの情報を一切外部に漏らすな、などという超秘密主義ではありません。

(木村見解)  in [aml-stove 104] 木村さん wrote:
 まずは、どなたが情報を漏らしたのか、それとも渡辺教授自身がaml-stoveに参加しているのか、そのことを、ご自身から明らかにして頂きたいのです。そうでないと、何時闇討ちに会うか分からないのに無防備で暗い夜道を歩くようなもので、子供向きのお化け屋敷ではありまいし、これはもう暇人ではないので御免です。
(高橋見解)

 よって、このような詮索は有害無益と考えます。そもそも、木村さんが私との間の議論の内容には何の関係もない渡辺さんの言動をわざわざ引き合いに出したりしなければ、何ら問題など生じなかったはずのことです。

 なお、木村さんはダイジェストのAMLへの転載については既に同意されていますが、私が提案したpmnおよびホームページへの転載についてはまだ態度 を表明されていません。念のため確認しますが、これらについてはOKでしょうか? いくら「超多忙」でもこれくらいは返答できますよね。

(テーマ) まとめ
(高橋見解)  以上概観してきたとおり、大変残念なことですが、主張されている内容だけでなく論争に取り組む態度においても木村さんには誠実さが欠けていると言わざるを得ません。今回の議論にはいささか期するものがあったのですが、木村さんには深く失望させられました。


【木村愛二氏の高橋氏に対する独白(三)】

 高橋亨さんは、私の「子供」「口喧嘩マニア」という表現に激昂しておられるようですが、これはなにも高橋さん個人を指して使った表現ではありません。年の順 に言えば実は私よりも年令は上ですが精神的には子供の本多勝一、全共闘世代とか言われる彼の子分格の梶村太一郎、金子マーティンや、渡辺武達教授、前田朗助教授(歴史の事実を視つめる会主催者)などをまとめて表現したものであって、高橋亨さんはその末尾の一番最近の事例にしかすぎません。

 高橋亨さんの「口喧嘩マニア」振りは、私のpmnMLでの冗談半分mailの引用に典型的に現れています。私が10.25.こくろう祭りに自主ヴィデオ流通組織VIDEOACT!一日店長を「志願」したから、「超多忙」は「口実」だとするものですが、これはまったく冗談では済まされません。VIDEOACT!は、私が湾岸戦争反対の運動に参加して以 来、営々と続けてきた民衆のメディア連絡会の運動の新しい画期をなすものであって、しかもそれが、私の人生の最大の危機だった争議時代に花咲き始めた「労働争 議運動の祭り」の場に出店するともなれば、まさに「超多忙」の中でも最優先すべき日程だったのです。

 ついでに一言だけしておきますが、高橋さんは私の「調査して」という言葉尻を 捉えて鬼の首でも取ったように『アウシュヴィッツの争点』を読めば分かるとの私 の言葉に嘘があるというのですが、私が密かに予測していた通りに、高橋さんのmailは単なる「質問」ではなくて、拙著は読まないのに別の様々なデタラメ資料に接しておられ、『アウシュヴッツとアウシュヴィッツ嘘』を参考文献に挙げられましたので、その本のデタラメ振りを、この際、一応調べようかと思ったまでのことです。

 この本については、私とは『マルコポーロ』廃刊事件以前から協力関係にある西岡さんが読んだというので、どうかと聞いたところ、まるで寄せ集めの目新しい材 料がないシロモノで読むに値しないというので、当時準備中でさる!0.15発行の拙訳『偽イスラエル政治神話』の訳者解説に入れる必要もないと判断して無視することにしたのでした。

 ところが、その間、結構いい大人がまんまと騙されている状況を知り、いずれコ テンパンにしてやろうかと思っていたところへ、高橋さんの「からみ」がはじまっ たので、これを一つのきっかけに仕方なしに斜め読みしようかと考えたのでした。しかし、高橋さんの一部引用を見ると、最早、そのデタラメ振りはどうしようも ないものだと断定できるので、その点だけを指摘し、今後については、こういう資料に簡単にマインドコントロールを受ける高橋さんとの論争は打ち切ります。

 高橋さんの引用によると、

 1.「ガス室」が「満員列車」のようになるから、シアン化水素の沸騰点以下の気温の場合でも体温で温度が上がる。
 2.以上により、満員の収容者が青酸ガスを吸ってしまうから、残留がなくなる。

 という主旨になりますが、これはもう全く荒唐無稽な新発明の子供の口喧嘩です 。

 いわゆる「ガス室大量殺人」と称するものは、三日三晩の拷問で本人が「何が書 いてあるか知らない」と死刑直前にポーランドで書き残したホェス元アウシュヴィ ッツ収容所司令官の「証言」に基づいて、現場検証の反対尋問もなしにニュルンベルグで判決が出たものです。

 ホェスの「証言」自体が矛盾だらけのシロモノですが、のちに御用学者たちが、それを仕上げて、シャワールームと偽って連れ込むという場面を定式化しました。 つまり、大量のユダヤ人を反抗させずに殺すための手段としてのシャワールームという説明です。これと似た状況はフィクション映画『シンドラーのリスト』にも出 てきます。私はマイダネクのしか見ていませんが、前後左右に約1mの十分な間隔を取ったシャワー栓が上部の数本のパイプに並んでいました。

 ところが、ここへ「満員」というのですから、それでは元々「ガス室」デマを BBCなどを通じて聞かされ、シャワーを拒否して病気になった実例さえあるという状況の下でのことですから、すぐさま命懸けの暴動が起きます。

 元々、なぜ大量のユダヤ人が従順に収容所入りしたのかという点についても、す でに、ユダヤ人のアンナ・ハーレントが、長老のユダヤ人評議会の対ナチ協力を『 イェルサレムのアイヒマン』(みすず書房)で明らかにしています。

 もう一つ、高橋さん自身がすでに見ている資料だけからも、矛盾点が明らかです。クラクフ報告では、消毒室よりもシアン化合物の残留が少ないのは、「人間を殺 すのは短時間」としています。これも大変なデタラメなのですが、少なくとも、従来のシャワールーム連れ込み型説明の範囲内で論じており、満員で全部吸ってしまったなどとは主張していないのです。

 なお、青酸ガスを発生するチクロンBが元々殺虫消毒剤でったこと、その使用法の説明書には中毒危険を避けるために一日以上の間隔を置く必要があることなどが記 されていることは、証拠上、誰も否定していません。逆にホェス証言を根拠とする説では、約30分ごとに入れ替えの連続大量殺人と主張されているのです。それなのに「短時間」とは何ごとでしょうか。

 以上のように、高橋さんは、自分が見たデタラメ資料の相互の矛盾にも気付かないようなので、これでは正常な論争の成立する条件がないと判断します。もちろん、この問題は別途、私なりにあらゆる形式の「メディア批判」として報道します。二度あることは三度あるとか、拙著を読まずに口喧嘩を仕掛けてくるような方には、これからも応答しないことにしましょう。学術論争では、すべての関係文献に目を通してから自説を展開するのが当然のことなのですが、それを「教授 (私の表現では「アカデミー業者」)でさえしないのが現状なので、高橋さんだけを責める積もりはありません。  


【木村愛二氏の独白(三)に対する高橋亨氏の反論】
(高橋見解)

 確かに、木村さんの「超多忙」に関する詮索は余計なお世話でした。この点についてはお詫びして取り消します。

 さて、木村さんは論争終結を宣言されてしまったので、もはや返答が頂けるかどうか分かりませんが、私からの一応の回答を示します。木村さんの文章は曖昧で分かり難いので、本来は一段階ずつ確認しながら議論を進めたいのですが、回答が頂けないのではやむを得ませんので、私なりに推測しながら書くことに します。

(木村見解)  in [aml-stove 108] 木村さん wrote:
 この本については、私とは『マルコポーロ』廃刊事件以前から協力関係にある西岡さんが読んだというので、どうかと聞いたところ、まるで寄せ集めの目新しい材料がないシロモノで読むに値しないというので、当時準備中でさる!0.15発行の拙訳『偽イスラエル政治神話』の訳者解説に入れる必要もないと判断して無視することにしたのでした。

 ところが、その間、結構いい大人がまんまと騙されている状況を知り、いずれコ
テンパンにしてやろうかと思っていたところへ、高橋さんの「からみ」がはじまったので、これを一つのきっかけに仕方なしに斜め読みしようかと考えたのでした。しかし、高橋さんの一部引用を見ると、最早、そのデタラメ振りはどうしようもないものだと断定できるので、その点だけを指摘し、今後については、こういう資料に簡単にマインドコントロールを受ける高橋さんとの論争は打ち切ります。
(高橋見解)  自分の著書についてはあれほど「読まずに批判するな」と繰り返される木村さんが、なぜ自分の見解に反する文献については読みもせずに「デタラメ」 だなどと断定できるのか、このへんの二重基準が私には全然理解できません。
(木村見解)  高橋さんの引用によると、
  1.「ガス室」が「満員列車」のようになるから、シアン化水素の沸騰点以下の気温の場合でも体温で温度が上がる。
  2.以上により、満員の収容者が青酸ガスを吸ってしまうから、残留がなくなる。
 という主旨になりますが、これはもう全く荒唐無稽な新発明の子供の口喧嘩です
(高橋見解)

 最初の「シアン化水素がそんなに長く残っているか」([aml-stove 94])よりは 多少ましですが、まだまだ不正確です。勝手に「主旨」を発明しないで下さい。

(木村見解)  いわゆる「ガス室大量殺人」と称するものは、三日三晩の拷問で本人が「何が書いてあるか知らない」と死刑直前にポーランドで書き残したホェス元アウシュヴィッツ収容所司令官の「証言」に基づいて、現場検証の反対尋問もなしにニュルンベルグで判決が出たものです。
(高橋見解)

 はい、出ましたね。それでは、ガス室での大量虐殺に関するホェッスの証言は拷問によって作り出されたデタラメ(あらかじめデッチ上げられたシナリオ)だとする根拠を示して下さい。……と言ってもお答えはないんでしょうから、 私が知る範囲で「根拠」らしきものを書いてみます。

 「ポーランドで書き残した」ということになると、ホェッスがポーランドに移送された後、処刑までの約1年間に書き溜めた回想録ということになります。この回想録には、ホェッスが逮捕された直後、英国公安警察の係官から殴られ、酒に酔わされて自白調書をとられたこと、またホェッス自身、その調書に何が書かれていたか思い出せないことが述べられています。しかし、この回想録は上記主張の根拠にはなり得ません。何となれば、この回想録には、彼がアウシュ ヴィッツで行わせたガス室による大量虐殺の状況が、彼自身の筆によって、より詳細に記述されているからです。おまけに、(逮捕当初の殴打を除けば)彼 に対する扱いが全般に温和であり、裁判官たちが公正であったことへの驚きまで表明されています。

 ホェッスの回想録が駄目だとなると、次はRupert Butlerが英国で1983年に出版したペーパーバック"Legions of Death"でしょうか? この本では、確かに5人の英国人係官が、自白を得るためにホェッスを殴打したと書かれています。しかし、この本の描写によれば、殴られた後ホェッスは自分でしゃべり始めたのであって、教え込まれたシナリオに沿って自白させられたのではありません。それとも、ホェッスは拷問への恐怖から「ガス室大量殺人」というシナリオを 自分で発明したのでしょうか? 残念ながらこれも考えられません。ホェッス が思いつきで嘘をしゃべったという仮説では、ガス室に関する彼の証言が他の多くの目撃証言(例えば、ホェッスとは面識のない親衛隊員ペリー・ブロードの証言)と極めて良く一致するという事実が説明できないからです。

(木村見解)  ホェスの「証言」自体が矛盾だらけのシロモノですが、のちに御用学者たちがそれを仕上げて、シャワールームと偽って連れ込むという場面を定式化しました。
(高橋見解)  個人的な記憶に頼ってなされる証言が、時として誤りや矛盾を含むことは不思議でも何でもなく、かえってその証言の核心部分の真実性を補強する場合さえあることは、オーラル・ヒストリーを扱う上での常識の一つでしょう。例えば、 あのフォーリソン教授が書いた「論文」"How the British obtained the confessions of Rudolf Hoess" ("Journal of Historical Review", Winter, 1986; vol.07 no.4) は、ホェッスが"Wolzek"という《実在しない》収容所に ついて証言していることを、ホェッス証言のデタラメさを示す証拠として槍玉 に上げていますが、ホェッスの証言全体を慎重に検討すれば、この"Wolzek"が、重要な絶滅収容所の一つでありながらホェッス証言ではなぜか言及されていな いもの…"Sobibor"…を指していることが分かります。恐らく、ホェッスの記憶違いか、あるいは最初から誤った名前でホェッスに報告されていたのでしょう。この件は、フォーリソンの主張とは逆に、ホェッスが自らの意志で自分の記憶に従って証言していることを示しています。[4](そもそも、「ガス室大量殺人」をデッチ上げるためにあらかじめ用意されたシナリオが、ありもしない収容所名を使うほど間抜けなはずがありません。)
(木村見解)  つまり、大量のユダヤ人を反抗させずに殺すための手段としてのシャワールームと いう説明です。これと似た状況はフィクション映画『シンドラーのリスト』にも出 てきます。私はマイダネクのしか見ていませんが、前後左右に約1mの十分な間隔を取ったシャワー栓が上部の数本のパイプに並んでいました。ところが、ここへ「満員」というのですから、それでは元々「ガス室」デマをBBCなどを通じて聞かされ、シャワーを拒否して病気になった実例さえあるという状況の下でのことですから、すぐさま命懸けの暴動が起きます。
(高橋見解)

 まるで見てきたみたいな描写ですが、武器も持たない一般人の集団が、抵抗すれば即座に殺されることが明白な状況下で容易に暴動など起こせるものかどう か、例えば中国戦線において日本軍の捕虜となった中国兵たちが並べられて順番に殺されていった状況と比べてみれば明白だと思いますが。

(木村見解)  もう一つ、高橋さん自身がすでに見ている資料だけからも、矛盾点が明らかです。クラクフ報告では、消毒室よりもシアン化合物の残留が少ないのは、「人間を殺 すのは短時間」としています。これも大変なデタラメなのですが、少なくとも、従来のシャワールーム連れ込み型説明の範囲内で論じており、満員で全部吸ってしま ったなどとは主張していないのです。
(高橋見解)

 IFRC報告の論点が「人間を殺すのは短時間」などという粗雑なものでないこと は既に[aml-stove 93]で述べたので繰り返しませんが、バスティアンの本にも「満員で全部吸ってしまった」などという馬鹿げたことは書かれていませんので念のため。

 さて、IFRC報告によって、ガス室の壁面にも確かにシアン化合物が残留していることが確認されたので、[aml-stove 100]で私が示したバスティアンの論点のうち(4)「その結果、犠牲者たちの死後、壁面から採取されうるほどのガスは空気中に残留しなかっただろう。」は修正しなければならないのですが、に もかかわらず、バスティアンの論点の(5)「従って、44年もの後にロイヒターが壁面から青酸残留物をほとんど検出できなかったとしても不思議はない。」 は実に正確なのです。IFRCの研究者たちは検出限界がサンプル1kgあたり3〜4 ?gという高精度の検出法を用いて、ガス室の壁面から最大640?g/kgのCN-イ オンを検出しました。しかし、この残留量は、ロイヒターが用いた低精度の手 法(検出限界1mg/kg)ではほとんど検出できない値です。確かに、「ロイヒター には」検出できなかったのです。

(木村見解)

 なお、青酸ガスを発生するチクロンBが元々殺虫消毒剤でったこと、その使用法の説明書には中毒危険を避けるために一日以上の間隔を置く必要があることなどが記されていることは、証拠上、誰も否定していません。逆にホェス証言を根拠とする説では、約30分ごとに入れ替えの連続大量殺人と主張されているのです。それなのに「短時間」とは何ごとでしょうか。

(高橋見解)

 いまだにこんなことを書いているところを見ると、木村さんのZyklon Bに関する認識は、以前『噂の真相』[5]に書いた:

  …「チクロンB」は、木片などに青酸ガスを吸着させ、カンに密閉したもの である。…指定の使用方法では蛾を殺すのに24時間かかる。人体実験の報 告はないが、ニュールンベルグ裁判で証拠とされた収容所長の自白などのよ うに、数分とか数十分で人間を死に至らせるのは、とうてい不可能である。

 というあたりからほとんど進歩していないようですね。

 Zyklon Bの本来の使用目的は殺虫用ですが、その主成分であるシアン化水素(HCN)は、昆虫よりも哺乳類(当然人間を含む)に対しての方がはるかに殺傷力が大きいという特徴を持っています。(だからこそ戦後低毒性の殺虫剤が開発されると危険な青酸系殺虫剤は使われなくなった。)通常、殺虫用にはHCN濃度16,000ppmで20時間という方法が用いられますが、人間の場合、わずか 150ppmのHCNに30分から1時間さらされただけで生命の危険を生じ、300ppmの場 合、数分で死に至るとされています。これは、通常の化学辞典("The Merck Index"等)にも記載されていることです[6]。当然、殺人ガス室の壁面がさら されるHCNガスの量(濃度×時間)は、シラミ駆除室の場合よりはるかに少なくなります。

 なお、1日以上の間隔を置いて使えというのは、自然換気の通常の建物に対して殺虫目的で使う場合の話で、しかも民生用の説明書として十分な安全係数を織り込んで書いてあるのです。使用濃度が低く、換気装置も備えているガス室にはまったく当てはまりません。

 更に蛇足ですが、1回のガス殺は30分から1時間程度で終わるものの、その後換気と死体の搬出作業が必要ですから、30分サイクルで連続殺人ができるわけではありません。

(木村見解)  以上のように、高橋さんは、自分が見たデタラメ資料の相互の矛盾にも気付かないようなので、これでは正常な論争の成立する条件がないと判断します。
(高橋見解)

 以上のように、これほど木村さんの認識が低レベルでは、確かにまともな論争にするのは難しいですね。それから、複数の文献をベースに検討を進めていく場合、特に推測・仮説部分に食い違いが出てくるのは何ら不思議なことではなく、文献の信頼性を損なう ものでもありません。そうした部分については、最も妥当な説明はどれなのかを自分で判断すればいいだけのことです。木村さんはそういう作業をなされないようですが。

(木村見解)  もちろん、この問題は別途、私なりにあらゆる形式の「メディア批判」として報道します。
(高橋見解)  そうですか、ついこの間([aml-stove 104])、「枢機卿の秘密会議」がどうとかおっしゃって「情報漏れ」を問題にしていたことと比べると、180度の方針転換ですね。まあ、それは構いませんが、せっかく記録に残る形で議論をしたのですから、外部に発表される場合には木村さんの一方的要約などではなく、論争の全記録を公表されるよう希望します。
(木村見解)  二度あることは三度あるとか、拙著を読まずに口喧嘩を仕掛けてくるような方には、これからも応答しないことにしましょう。
(高橋見解)

 ということですので、この議論における私の発言も、これで一応終結とします。もちろん、木村さんの気が変わってこの記事に応答される場合には、私の方も お相手します。

 なお、木村さんが「口喧嘩」に応答しようがしまいが、今後もAMLその他でホロコースト否定論を流されるような事態が生じた場合、それなりのフォローを 付けさせて頂きますのでご承知置き下さい。
*参考文献*
[1] http://www.nizkor.org/ftp.cgi/people/h/hoess.rudolf.ferdinand/hoess.intro.01
[2] http://www.nizkor.org/ftp.cgi/people/h/hoess.rudolf.ferdinand/hoess.02
[3] http://www.nizkor.org/ftp.cgi/people/h/hoess.rudolf.ferdinand/on-torture
[4] http://www.nizkor.org/ftp.cgi/people/h/hoess.rudolf.ferdinand/wolzek.01
[5] 木村愛二:映画「シンドラーのリスト」が訴えた“ホロコースト神話” への大疑惑,『噂の真相』1994年9月号
[6] http://www.nizkor.org/ftp.cgi/people/l/leuchter.fred/leuchter.faq1

(高橋見解)

 木村さんの論争終結宣言を受け、私の方も一応の最終回答をaml-stoveに投 稿致しました。ここまでの経過はいずれ管理人さんによってダイジェストが 流されるでしょうからここでコメントはしませんが、果たしてホロコーストがシオニストによるデッチ上げかどうか、理性ある読者にはもはや明白だと 思います。

 さて、私にはたった一つだけ、木村さんのご意見に全面的に賛成したいことがあります。それは、インターネットが実に便利な情報の宝庫だという点で す。今回の論争でも、下記のサイトにある豊富な資料を利用させて頂きました。なぜホロコーストという自明な歴史的事実を否定しようとする勢力があ るのか、彼らはどのような疑似科学的「証拠」や資料事実の歪曲によって一見もっともらしい否定論を展開しているのか、これらの点に興味を持たれた方は、ぜひ下記のサイトを訪問してみて下さい。

(1) The Holocaust History Project
    (http://www.holocaust-history.org/)

    The Holocaust History Project is a free archive of documents,
    photographs, recordings, and essays regarding the Holocaust,
    including direct refutation of Holocaust-denial.

(2) The Nizkor Project (http://www.nizkor.org/)

    Welcome to Nizkor, a collage of projects focused on the Holocaust,
    or 'Shoah,' and its denial, often referred to as Holocaust
    "revisionism.", a label we reject out of hand as being misleading   and dishonest.




【「高橋亨氏のマルコポーロ廃刊事件総括」考】
 
高橋氏は、『ガス室の嘘』オンライン論争の経験からで次のように総括している。れんだいこがこれにコメント付ける。

1.はじめに

 1995年の『マルコポーロ』事件を記憶しておられる読者も多いことと思う。あのときは、国外からの激しい抗議にあって掲載雑誌の回収・廃刊という安易な対応がとられた結果、問題の論文[1]のどこがどのように間違っていたのか(実際にはほとんど徹頭徹尾デタラメだったのだが)が充分明らかにされることなく話題が収束してしまった。

 そのせいか、いまだに「ガス室」の存在には何らかの疑惑があり、その解明を試みた論文がユダヤ人団体の「圧力」によって潰されたのではないか、というような誤解が払拭されずに残っており、そのような誤解に乗じてホロコースト否定論を広めようとする動きも消えていない。

 私は、ひょんなことからこのガス室の存否をめぐって「フリージャーナリスト」木村愛二氏と約半年間に渡る論争を行うことになった。ここではこの論争の経緯と、この経験から私なりに学んだ事柄について報告する。

(私論.私見) 「雑誌マルコポーロ廃刊事件」に関する高橋氏の見解について

 高橋氏は、雑誌マルコポーロの回収・廃刊に対して「安易な対応」と述べ、単に廃刊するのではなく問題の論文のデタラメを明らかにすべきだった、と云う。それは結構なことである。ならば、西岡論文のデタラメぶりを論じて聞かせてくれれば良かろう。以下、楽しみにしておく。

 2005.4.1日 れんだいこ拝

2.論争の経緯

 事の発端は昨年5月、私が数年来購読してきたAML(オルタナティブ運動情報メーリングリスト[2])というメーリングリストに木村氏が参加してきたことにさかのぼる。AMLはその名前のとおり、様々な市民運動団体や個人が、一般マスコミでは報道されない各種情報を交換するための「オルタナティブな」媒体を提供することを目的としている。ところが、氏はAMLに加入すると、ただちにこれをホロコースト否定論を満載した自著やホームページを宣伝するための手段として利用し始めた。

 AMLを貴重な情報源としてきた私にとって、米軍基地問題や日本軍性奴隷問題を追求する抗議声明や集会案内が日々流されているその同じ場に、こともあろうに史上最悪の大虐殺・人権蹂躙の事実を否定し、その免罪化を図るインチキ情報が流されるなどというのは、耐え難い苦痛以外の何物でもなかった。

 単にゴミ記事が流れてくるだけなら読まずに捨ててしまえばいいのであるが、例えばイラクへの空爆を非難し、アメリカの恣意的な中東政策を糾弾する記事(それ自体はまったく正当なものであるが)の間に、ホロコーストはイスラエルの政治的立場を有利にするために仕組まれた巧妙な嘘であり、イスラエルはナチス・ドイツ以上に悪辣なのだ、などと決め付ける主張が混ざり込むと、困ったことにそこには一定の奇妙なもっともらしさが生じてしまう。

 これを放置しておいてはならない。一種の危機感に駆られた私は、この問題についてはまったくの素人(マルコポーロ事件後に出版された『アウシュヴィッツと<アウシュヴィッツの嘘>』[3]を読んだことがある程度)に過ぎない立場ではあったが、にわか勉強をしつつあえて反論を投稿し始めた。

 昨年10月から始まったこのオンライン論争は、木村氏が最終的に論争の継続を拒否する(今年3月)に至って完全に決着が付き、氏が認めるかどうかはともかく、客観的には結論は明白となった。ただし、議論の内容そのものを繰り返すのは本稿の趣旨ではないので、興味を持たれた方は私のホームページ[4]に掲載してある論争記録を参照して頂きたい。また、この論争を契機として、ホロコースト否定論者たちの手口を徹底的に暴く情報ページ[5]を東京経済大学の山崎カヲルさんが開設されているので、そちらもご覧頂きたい。

(私論.私見) 「論争の経緯」に関する高橋氏の見解について

 高橋氏は、「論争の経緯」と銘打つもののさっぱり要領を得ないことを書き付けている。「困ったことにそこには一定の奇妙なもっともらしさが生じてしまう。これを放置しておいてはならない。一種の危機感に駆られた私」とあるのみである。「客観的には結論は明白となった」、「ホロコースト否定論者たちの手口を徹底的に暴く情報ページ[5]を東京経済大学の山崎カヲルさんが開設されているので、そちらもご覧頂きたい」と書き付けているが、れんだいこが読んでみてさっぱり要領を得ない代物でしかない。よって、何やら釈然としない「論争の経緯」ではある。

 2005.4.1日 れんだいこ拝

3.ホロコースト否定論とは何か

 ホロコースト否定論とは、ナチス・ドイツが約600万にものぼる膨大な数のユダヤ人をガス室その他の手段を用いて殺害し、ヨーロッパにおけるユダヤ民族の絶滅を図ったという歴史的事実を否定し、それは戦中から戦後にかけて捏造された嘘であり、巧妙に仕組まれた陰謀である、と主張する言説のことである。論者によって多少ニュアンスは違うものの、この「陰謀」の裏にはイスラエルがいるとする点ではほぼ共通しており、いわゆるユダヤ謀略説の一種と見なすことができる。(実は、ホロコーストの犠牲となったのは決してユダヤ人だけではなく、それに匹敵するほどの数の「忘れられた」非ユダヤ系犠牲者が存在した[6]。この点だけをとってもユダヤ謀略説など成立しようがないのだが、否定論者たちはこのような不都合な事実は一切無視している。)

 ホロコースト否定論の起源はフランスやドイツの極右勢力に求めることができるが、現在その中心はカルト的言論に対する規制が緩い北米に移っており、特にカリフォルニアに本拠を置く疑似アカデミー組織IHR(The Institute for HistoricalReview)がその総本山的役割を果たしている。代表的論者としてはロベール・フォリソン、マーク・ウィーバー、ブラドレー・スミスなどがいる。彼らの主張と比較してみると、日本の否定論者は欧米の言説を直訳輸入しているに過ぎないことがよく分かる。

(私論.私見) 「高橋流ホロコースト否定論とは何か」について

 「高橋流ホロコースト否定論とは何か」として拝聴しておく。

 2005.4.1日 れんだいこ拝

4.嘘とその見分け方

 重大な歴史的事件の中でも、ホロコーストほど大量の証拠、証言(被害・加害両側からの)によって裏付けられ、戦争犯罪法廷の場や多数の歴史学者の研究によって繰り返し検証されてきたものは他にほとんど例がない。複雑で大規模な事件であるだけに解明すべき謎はまだ多数残されているものの、ナチスによるユダヤ人大量虐殺という事実そのものに疑問の余地はまったくない。否定論者たちもさすがに事実としてのホロコーストを正面から攻撃することの困難さは理解しており、従って様々なトリックを使って搦め手から攻めようとする。その戦術をひとことで要約すれば、一般人の無知につけ込む、ということに尽きる。

 体験者でも専門研究者でもない我々にとって、ホロコーストは結局のところ「教えられた歴史」の一部でしかない。「アウシュヴィッツ」、「ガス室」、「チクロンB」といった断片的な知識は持っていても、絶滅収容所で用いられた殺人ガス室がどのような構造を備えており、ガス殺とその後の死体焼却がどのような手順で行われたのか、あるいは「殺虫剤」チクロンBがどのような毒性を持ち、なぜ大量虐殺手段として採用されるに至ったのか、といった細部についてはほとんど何も知らないと言ってよい。だからこそ、例えばフォリソンは「ガス室の設計図を描いて見せよ」というような突飛な要求を突き付けて相手の動揺を誘おうとする。否定論者たちがとりわけ「アウシュヴィッツのガス室」について語りたがるのは、その存在がいわばホロコーストの象徴として広く知れ渡っていると同時に、ガス室の詳細について知る者など専門家以外にはほとんどおらず、いくらでもごまかしが効くからに他ならない。

 彼らの正体を理解した上で眺めてみれば、ホロコースト否定論なるものが断片的事実の上に嘘と歪曲と恣意的引用を積み重ねてでっち上げた疑似科学と似非歴史学の混合物に過ぎないことは容易に分かる。しかし、ホロコーストに関する専門的な知識がなくても、否定論の嘘を見抜くことは必ずしも不可能ではない。次に示す例を見て欲しい。

  • ナチスの支配領域に600万ものユダヤ人はいなかった。従って600万人の大虐殺など不可能である。
  • あのような構造のガス室で大量殺人を行うことはできない。これは専門家によって確認されている。
  • 戦後の法廷で元親衛隊員たちが行った加害証言は拷問によって引き出されたものであり、信用できない。

 どこかで見たようなパターンではないだろうか? 例えば「ナチスの支配領域」を「南京」に、「600万ものユダヤ人」を「30万もの人口」に置き換えてみたらどうだろう?「ガス室」を「日本刀」、「専門家」を「軍隊経験者」に置き換えるのでもよい。あるいは、「元親衛隊員」を「日本人戦犯容疑者」、「拷問」を「洗脳」に入れ換えてみたら?そこに出来上がるのは我々にもおなじみのプロパガンダではないだろうか。

 歴史上の事件にまつわる真実は驚くほど多様であり、時として我々の想像力を遥かに上回る。しかし、嘘はいつも似通っている。それは、嘘をつく人間の卑小さを鏡のように正確に反映する。

(私論.私見) 「高橋流嘘とその見分け方」について

 「高橋流嘘とその見分け方」として拝聴しておく。しかし、同じ論法で「ホロコースト肯定論」を精査した時に、「一般人の無知につけ込む」、「断片的事実の上に嘘と歪曲と恣意的引用を積み重ねてでっち上げた疑似科学と似非歴史学の混合物に過ぎない」つうことはないのでせうね。気になるところです。

 2005.4.1日 れんだいこ拝

5.なぜそれを許してはならないか

 一部の反ユダヤ主義者や極右グループ内部の言説に留まっているかぎり、ホロコースト否定論など取るに足りない存在に過ぎない。「地球平面協会」の主張にいちいち目くじらを立てても仕方がないのと同様である。しかし、どれほど明白な歴史的事実でも、そのリアリティは体験者たちが減少し、教えられたこととしてしか知らない世代が増えるに従って必然的に薄れていく。そしてホロコーストに限らず、否定論者たちはこうしたリアリティの希薄化に乗じて過去を改竄し、歴史を自分たちの都合のいいように捻じ曲げようとする。

 もしも、かつての朝鮮植民地支配の過酷な内実や、中国侵略に伴っていたホロコーストにも匹敵するような残虐行為が実は事実ではなく、巧妙な「反日宣伝」によって植え付けられた嘘だったとしたら日本人でいることがどれほど気楽になることか、これは容易に想像してみることができるだろう。しかし、どんなに魅力的に見えてもそのような歴史の改竄は許されることではない。どれほど醜悪で受け入れ難い過去であっても事実は事実として正確に認識し、その克服(取り返しのつかない行為をしてしまっている以上「清算」はもはや不可能であるにせよ)に努めなければならない。歴史に学び、同じ過ちを二度と繰り返さないことは、その歴史の果実を享受して生きている我々が理性ある人間として振る舞おうとする限り避けられない最低限の義務である。

 だからこそ、ホロコースト否定論は絶対に許してはならない。それは、単にそれが誤った、愚かな妄説だからなどではなく、過去を改竄することによって歴史から学ぶ可能性を奪い、かけがえのない記憶を抹殺し、ついには未来を奪い去るものだからである。

 周囲にユダヤ人の知人の一人もいない平均的日本人にとって、ホロコースト否定論はあまり深刻な問題には感じられないかもしれない。しかし、これが世界的に大きな勢力を占めるようなことになればどれほどの災厄が生み出されるか、それは「自由主義史観」を名乗る日本版否定論の脅威にさらされている我々の方が、むしろ容易に想像できるのではないだろうか。

(私論.私見) 「高橋流なぜそれを許してはならないか」について

 「高橋流なぜそれを許してはならないか」として拝聴しておく。

 2005.4.1日 れんだいこ拝

6.否定論への有効な対抗手段

 「真実は作り話より脆い」という言葉がある。実際、その場その場の口からでまかせで言いつくろえる嘘と比べて、ひとつひとつの資料事実に基づく実証によって真実を維持していくのははるかに困難な作業であり、また膨大なコストを必要とする。否定論は容易であり、その安易さゆえに何回論破されてもしぶとく生き残る。

 では、このような否定論に対して、いったいどのように抗していけばいいのだろうか。ドイツやフランスでは、ホロコースト否定論のような反社会的言論を法的に規制するという直接的手段がとられている。しかし、このような手法は言論の自由という貴重な市民的権利と対立するだけでなく、思ったほどの実効性も得られていない。ホロコースト否定論をばらまくような人々は軽微な処罰など恐れないし、法的規制は「言論弾圧」にさらされる被害者という免罪符を彼らに与え、最悪の場合、法廷を彼らのための宣伝の場として提供する結果にさえなりかねない。

 実は、今回の木村氏との論争において、私の主張を支えてくれたほとんどの資料は、インターネットを介して入手することができた。とりわけ、カナダ人のケン・マクベイを中心とするスタッフにより、ホロコースト否定論への反撃を目的として運営されているウェブサイト“The Nizkor Project”[7]は、詳細かつ豊富な資料を提供してくれている。ここには、ホロコーストに関する貴重な一次史料から否定論者たちが持ち出す各種論点への逐条的反論、主要な否定論者たちの正体に関する情報、更にはUsenetニュースグループ上で繰り広げられた彼らとの論争記録など、実に膨大な資料・情報が集積されている。また、同様な目的を持つもう一つのウェブサイト“The Holocaust History Project (THHP)”[8]も、否定論者たちがガス室否定の「証拠」と称して持ち出す疑似科学文献を粉砕する専門家による論文など、極めて貴重な資料を提供している。

 私のような素人がホロコースト否定論の「プロ」に対抗できたこと自体、NizkorやTHHPの方針の正しさを示していると言える。謬論に対する反撃をその場限りのもので終わらせてしまうのではなく、他の心ある人々が再利用できる形で記録や資料を公開し、できる限り広く情報を提供していくこと、そのようにして次々と理性的な反論の輪を広げていくことが、例えば日本版否定論に対する反撃手段についても貴重なヒントを与えてくれているのではないか、これが今回の論争を終えての私の実感である。

 最後に、有益な情報を与えてくれたこれらのサイトのスタッフの皆さんと、今回の論争に際して暖かい声援をお送り下さった方々に感謝するとともに、その死後半世紀を経た今もなお精神的暴力に晒され続けているホロコースト犠牲者たちの魂の平安を祈りつつ本稿を終えることにする。(たかはし・とおる/ソフトウェアエンジニア)

(私論.私見) 「高橋流否定論への有効な対抗手段」について

 「高橋流否定論への有効な対抗手段」として拝聴しておく。しかし、全体を通じて云える事はさっぱり中身の無い批判言辞オンリーの駄文だったな。論に自身があるなら実証的の述べれば良いのに。拍子抜けとはこのことを云うのだろう。それにしても、この程度の駄文の評価が高いとはこれ如何に。連中の読解力のお里が知れる。

 2005.4.1日 れんだいこ拝

*参考*
[1] 西岡昌紀「戦後世界史最大のタブー ナチ『ガス室』はなかった」マルコポーロ1995年2月号
[2] http://www.jca.ax.apc.org/~toshi/aml/intro.html
[3] ティル・バスティアン著、石田勇治・星乃治彦・芝野由一編訳『アウシュヴィッツと<アウシュヴィッツの嘘>』白水社、1995年
[4] http://village.infoweb.ne.jp/~fwjh7128/genron/index.htm
[5] http://clinamen.ff.tku.ac.jp/Holocaust/index.html
[6] http://www.holocaustforgotten.com/index.htm
[7] http://www.nizkor.org/
[8] http://www.holocaust-history.org/





(私論.私見)