「ホロコースト論争1、木村氏の立論」考

 (最新見直し2008.4.7日)

 れんだいこのインターネット畏兄・木村愛二氏は、「阿修羅ホロコースト版1」の2005.3.7日付投稿「目撃・体験証人・フランクルの証言はガス室の存在を否定している」で、「以下は、1995年発行の拙著の一節である。これを論破できずに、私の主張を罵倒する者は、完全に気が狂ったホロコースト狂信者か、シオニストの手先以外の何者でもない。さあ、掛かって来い!」と述べた後で、「アウシュヴィッツの争点  第6章:減少する一方の「ガス室」(その49)前線発表報道の「ガス室」は「発疹チフス」予防の消毒室だった」を全文転載している。これを再転載し、木村氏の見解を確認する。

 「ガス室」の存在については「物的証拠」の発見以前に、第二次大戦中から「戦時宣伝」がはじまっていた。ところが不思議なことに、戦争末期、または戦後の、「物的証拠」の発見の経過をまとめた資料が、どこからも発見できないのである。どの資料を見ても、いきなりニュルンベルグ裁判からはじまっている。

 仕方がないので、国会図書館で当時の『ニューヨーク・タイムズ』のマイクロフィルムを検索してみた。本来ならば、アメリカの図書館や公文書館に長期間通って、可能なかぎりの情報を収集すべきところなのだが、本書では中間報告にとどめざるをえない。

 関連記事をいくつか発見できたが、これがまた不思議なのである。死体の山の写真があったり、「ドイツの恐怖の収容所」とか「ドイツの残虐行為の証拠」とかいう見出しや、写真説明があるのに、「ガス室」という言葉はでてこないのである。「アウシュヴィッツ収容所が“もっとも恐ろしい”」(45・4・29)という見出しのベタ記事もあったが、その内容は「元アウシュヴィッツ収容者」のラジオ放送の談話の再録であって、「犠牲者が焼き殺された」ことが“もっとも恐ろしい”経験の具体例になっている。これも「ガス室」ではないのだ。この記事の日付は、アウシュヴィッツ収容所がソ連軍によって解放されてから三か月後である。

 すでに本書の八四ページに載せた写真(web公開では省略)の説明で、ダッハウ収容所の「消毒室」を「ガス室」と間違えていた経過を紹介した。この写真のような「物的証拠」がたどった経過も調べなおす必要があるだろう。

 『世界大百科事典』の「発疹チフス」の項目では、「シラミが寄生するような衛生状態の不良なところに流行が発生し、〈戦争熱〉〈飢饉熱〉〈刑務所熱〉〈船舶熱〉などの別名でも呼ばれた」とし、「第二次世界大戦でも発疹チフスは将兵をおそい、多くの日本軍兵士の命を奪った。さらにアウシュヴィッツなどのナチスの捕虜収容所でも大流行」したと説明している。

 ユダヤ人の強制収容それ自体も残虐行為である。だが、わたしにも、戦後の中国からの引き揚げ家族の一員としての、ささやかな収容所経験がある。当時の衛生環境の収容所で、発疹チフスが発生したら大変な騒ぎになっただろうと思う。日本に帰国して上陸したとたんに、大男のアメリカ兵に頭から袋をかぶせられ、DDTの噴射で全身真白にされたものだ。

 となると大量の死体だとか、はだかの人の群れだとか、衣服や髪の毛の山だとか、これまでに何度も見た写真などの各種の資料についても、つぎのような説明が自然に思えてくる。

 「発疹チフスの流行下でユダヤ人を大量に強制移送したドイツ軍は、かれらを収容所にいれる前に、それまで着ていた衣服を全部ぬがせ、シラミの卵がうえつけられている可能性のたかい髪を刈り、シャワーを浴びさせた。衣服は別室にまとめ、殺虫剤チクロンBで薫蒸することよってシラミを駆除した。チクロンBと薫蒸室には、毒物の危険を知らせるために、どくろマークがつけられた」

 具体例を有名なベストセラーの『夜と霧』の記述にもとめてみよう。『夜と霧』には予備知識にもとづく想像による記述が非常におおい。だが、そればかりではない。著者の精神医、フランクルは、自分自身の直接の実体験をもくわしくしるしている。かれは、「アウシュヴィッツ到着」の直後に「消毒浴場」にむかい、親衛隊員から「二分間でお前達は全部衣類を脱がなければならん」と命令された。「他の部屋」で「毛をそられた。頭髪ばかりでなく、身体中残らず毛をそられてしまった」。「それからシャワー室に追いこまれた。われわれは整列した」。フランクルは恐怖をおぼえる。だが、「シャワーの漏斗から実際に」、(毒ガスではなくて!)、「水が滴り落ちてくるのを認めて喜んだ」のである。さらにフランクルは、シャワー室で「冗談を言いかわし」た理由として、「もう一度言うが、シャワーの漏斗から実際に水が出てきたからである」とまで、くりかえし書いている。フランクルはこのように、「消毒浴場」が本物であることを証言しているのだ。

 さらには、もう一つの謎もこれで一挙にとける。その謎とは、なぜ、これらの「衣服や髪の毛の山」とか、「どくろマーク」つきの「チクロンB」とか、おなじく「どくろマーク」つきの部屋とかが、そのまま強制収容所にのこされていたのかという謎である。それらの遺留品や設備はこれまですべて「ホロコースト」の物的証拠だと主張され、世界中の「ホロコースト記念展」などで写真や実物の展示までされてきた。

 だが、本当にそれだけの凶悪な犯罪の物的証拠ならば、なぜドイツ軍は、日本軍の七三一細菌部隊がそうしたように、撤退にさいしてそれらを破壊または焼却しようとしなかったのだろうか。この破壊作業は、要塞なみに頑丈につくられた鉄筋コンクリートの建物を相手にした七三一部隊の場合よりも、はるかに容易だったはずである。

「髪の毛」にはとくに、古今東西で「遺髪」としてあつかわれてきた性格があるから、微妙な感情的問題をはらむ。さきに紹介した『レクスプレス』(国際版95・1・26)にも、アウシュヴィッツ博物館の国際評議会内に、その展示の是非についての異議があるなどという経過がしるされている。ソ連軍による「発見」以来の経過も複雑なようである。

 わたし自身には、アウシュヴィッツ博物館で大学教授のヴォランティア案内役の説明をうけたときの、予想外の経験がある。わたしは、展示されている「髪の毛」について、人形の髪の毛用の「繊維」ではないかという説があるのを知っていたので、ガラス窓ごしにしげしげと眺めていた。外観はたしかに、その説の通りで、まったく同じ亜麻色、まったく同じ太さである。さまざまな人々の髪の毛が混在しているという感じはしなかった。すると、わたしが質問したわけでもないのに案内役の大学教授は、「ガス室で殺された人の髪の毛なので、ガスの影響で変質して同じ色になっている」と説明したのだ。

 そうなのかもしれない。わたしには、これ以上の知識はない。だが、その場合、「シラミ取りの消毒をするからという口実で髪の毛を刈った」という従来の説明とは、完全に矛盾してくる。「生き証人」、たとえばすでに紹介した映画『ショア』にでてくる理髪師アブラハム・ボンバなどの証言は、どう解釈すればいいのだろうか。かれは、「ガス室」にはいる前の裸の女の髪の毛を刈ったと語っている。「女の髪の毛の注文があった。ドイツに送られたのだ」というのが、かれの説明だった。

 現存の「ガス室」については、すでにアウシュヴィッツIとビルケナウの、たったふたつの実物に疑問があることを紹介した。ビルケナウには、「ドイツ軍が撤退にさいして爆破した」という説明の廃墟がある。これも『ロイヒター報告』の調査対象にはいっているが、「爆破」についてのくわしい経過や、元の設計図が残っているのかどうかなどの状況が、よくわからない。

 『ロイヒター報告』では、現在の廃墟の規模から計算して、もしもそれが「ガス室」だったとしても、最大に見積もって「一〇万人」そこそこを殺すのがやっとだろうと主張している。この数字は、すでに紹介したニュルンベルグ裁判の証拠「L・022」が主張する二年間で「一七六万五〇〇〇人」の一〇分一にもならない。

 研究論文には、巻末に紹介した「ビルケナウの火葬場IIとIII」などがある。なお、フォーリソンからの耳情報によると、ビルケナウの火葬場については絶滅論者のなかで、最初から「ガス室」として建設されたという説と、別の目的だった建物を改造したという説の、ふたつに割れているそうである。刑事裁判でいえば、検察側の意見がまとまっていないことになる。これでは、反論のしようもない。
 木村氏は、2005.3.4日付ニュルンベルグ裁判では拷問・偽証人・証拠偽造が横行:拙著・拙訳参照されたしで次のように述べている。

 下の方でゲッペルスの日記の信憑性が問題になっているが、ニュルンベルグ裁判では、拷問・偽証人・証拠偽造が横行したのである。

電網無料公開、

拙著『アウシュヴィつの争点』
http://www.jca.apc.org/~altmedka/aus.html

拙訳『偽イスラエル政治神話』
http://www.jca.apc.org/~altmedka/nise.html

参照されたし。

 木村氏は、2005.3.7日付けホロコースト否定論に傾く投稿者が激増中だが念のために歴史認識の狂いを正すで次のように述べている。

 この阿修羅ホロコースト掲示板では、ホロコースト否定論に傾く投稿者が、激増中だが、念のために歴史認識の狂いを正す。私は、アウシュヴィッツ収容所跡の記念館に行った際、管理人のポーランド人に、記念館の壁に掲示してある沢山の写真について、「あれは皆、ユダヤ人か」と聞いた。管理人のポーランド人は、実に不愉快そうな顔で、「ポーランド人だ」と答えた。

 収容されていたのは、最初はポーランドの兵士だった。戦争中には、ドイツが捉えたソ連兵も収容された。

ホロコースト(ニュルンベルグ裁判ではジェノサイドという単語が発明された)問題では、ユダヤ人のことばかり考えるから、ユダヤ人だけが特に不当な待遇を受けたと書いて、一般受けを狙う腰抜けの「偽の友」が輩出する。

 ヒトラーも、ユダヤ人のイスラエル建国の狂信のための傀儡なのであり、ユダヤ人のシオニストが、収容所入りを組織したのである。ナチスドイツが、ユダヤ人を特別に狙って、迫害したというのは、真っ赤な嘘である。中途半端な妥協の議論は、誤解を許し、不適当である。

 木村氏は、2005.3.78付けホロコースト狂信者に再度問う:私にガス室を見せるか描くかせよで次のように述べている。

 ここ阿修羅掲示板でも、ホロコースト狂信者に再度問う: 私にガス室を見せるか描くかせよ

 私は、1999年の元旦に、以下の通信を発した。見せることも描くこともできない装置を、実在し、機能したと信ずる者は、狂信以外の何者でもないのである。
 
 この阿修羅の掲示板でも、同様の質問を発したが、答えた者はいないのである。
------------------------------------------------------------
http://www.jca.apc.org/~altmedka/glo-1.html
連載:シオニスト『ガス室』謀略の周辺事態
(その1)「私にガス室を見せるか描くかせよ」
(Show me, or draw me, a gas chamber)

 この小見出しは、昨年の1998年1月、ホロコースト見直し論の国際的な最高権威のフォーリソン博士が、いかにもフランス人らしい力を込めた手振り身振りを交えて、私に教えてくれた論争用の台詞である。

 昨年10月15日にやっとのことで出版に漕ぎ着けた拙訳・解説『偽イスラエル政治神話』の原著者、ロジェ・ガロディが、ユダヤ人の大量殺人用ガス室の存在を否定したことを有罪とされた裁判は、1998年1月の8,9,15,16日と、 4日にわたってパリ地裁で行われたののだが、その傍聴取材の際、フォーリソン博士は、安宿の契約まで面倒を見てくれた。

 日本に帰って早速、何人かを相手に、この台詞を試してみたが、まだまだ、決定的な効果があったとは言えない。

 たとえば、ある法律事務所のベテラン事務局員、つまり、かなりの法律的手続きの経験があり、しかも、長らく地域の労働組合の協議会で幅広い活動もしてきた中年男性の反応は、その典型の一つだった。彼は、湾岸戦争報道などに関する私の著述や活動を知っているから、私を、嘘付きとは思わず、いい加減なことを書くとも思ってはいないようだ。

 しかし、こう言うのである。

「いくら木村さんでも、これだけ、教科書とか、あらゆるところで何十年も書かれてきたことを、いきなり嘘だと言うのは、にわかに信じ難い」

 そこで、「なぜ信じるのか。ヨーロッパで地動説が信じられるようになるまでには長いこと掛かった。それまでは天動説が何世紀も信じられていたのだ。信じるには科学的な証拠が必要だ。実物を見せるか描くかできるか」と言うと、彼は、「うーん」とうなったまま、「しかし、やっぱり」と頑張るのである。それほどまでに「信じ込んでいる」のである。

 自分の力で「実物を見せるか描くか」できないものの存在を「信ずる」のは、私の考えでは、非常におかしいのだが、アッラーの具象化を禁ずるイスラム教などの実例を考え合わせれば、人類社会の歴史上では、それほど奇妙な行為とは言えない。

『ガス室』の場合には、さまざまな形の手のこんだ偽情報が溢れている。アウシュヴィッツ博物館には粘土細工が展示されていて、その写真が出回っている。NHKが衛星放送で流した9時間にも及ぶ愚作、映画『ショア』にも、その映像が出てくる。ある程度の具象イメージは植え付けられているのである。

『ショア』については、わがホームページでも簡単にふれているから、下記のリンクで参照されたい。先方にも、この頁に戻れるリンクを貼ってある。

イスラエル国策映画『ショア』の欺瞞

教え込まれたホロコーストの「記憶」

 アウシュヴィッツの「ガス室」の法医学的調査を行って、それが大量虐殺には適さないし、従来主張されてきたようなシアン化水素ガス(青酸ガス)使用の痕跡はないという報告をまとめ、カナダのツンデル裁判の証人となったアメリカ人、フレッド・ロイヒターは、この調査旅行以前の自分について、こう書いている。

「私は、第二次世界大戦中またはその後に生まれたすべてのアメリカの子供と同様に、ナチ党がユダヤ人に対して犯した民族虐殺について教えられた」

Like all American children born during and after World War2, I was taught about the genocide perpetrated by the Nazis on the Jews.

(Inside the Auschwitz “Gas Chambers”)

 つまり、多くの人々は「教えられた」から、信じているのである。むしろ、「教え込まれた」という表現の方が正確であろう。

 私には、不当解雇争議の特殊な事情があって、額も少ない年金が64歳になるまでは出ないのだが、それ以後なら何とか生計が立つので、本拠地アメリカに住込んで、シオニスト・ロビーによる「教え込み」の実態調査をしようかと思っている。

 ところが最近、思わぬところで、その実態の一部に関する面白いデータの存在を知ったのである。以下は、私が昨年の1998年12月21日に送った「です調」のmailの文章を、「である調」に直した改訂増補版である。

NHK放送文化研究所のアメリカ報道調査結果

 昨日、英語の演説の即時通訳ができる人、つまりは普通の日本人よりも英語使用国の事情に通じていそうな方から、今回のアメリカでのイラク爆撃60%支持率などという状況についての考えを聞かれた。それに答えながら、その方でも驚いているぐらいだから、普通の日本人にはなおさらと思い、以下の情報と分析を拙速で送る気になった。

 基本的には、アメリカの与論がアラブ嫌いに誘導され続けているということである。

 第1には、60%支持率という報道そのものへの疑問が必要だということである。

 湾岸戦争の時にも、ニューヨーク近辺で60台%でも、同じニューヨーク近辺でも黒人は30台%、サンフランシスコなどの地域も同様とか、地域・人種による違いがあった。

 最近のML情報で面白かったのは、アメリカのある地域の放送局のアンケートで、大統領の弾劾と関係ありが60%だということだったが、日本でもアンケート調査に地域による差があり、アメリカでは、それがさらに激しいようである。その一方で、アメリカの新聞も放送局も、日本よりは地域的だから、それぞれが行うアンケート調査の結果には日本よりも大きな差がありそうだ。

 与論調査については、そもそも、与論誘導の効果が問題になっていた。

 アメリカでは、ユダヤ人口が多くて「ジューヨーク」の異名すらあるニューヨークの与論調査が先行すると、それが全国の与論を誘導することになる。

 ニューヨークタイムズもワシントンポストも、ユダヤ人所有のメディアである。映画もテレヴィも、ほとんどがユダヤ人の支配下にある。

 さて、第3には、これからが取って置きの情報と分析の拙速提供であるが、イラク爆撃の9日前、12月8日夜、NHK3チャンネル、ETV特集「メディアと戦争」2「第2次世界大戦をアメリカはどう伝えたか」は、日本人向けに「真珠湾攻撃」「原爆」に重きを置いていたが、ここには別の実に面白い情報が潜んでいた。

 NHK放送文化研究所は、1968年以後のアメリカ3大ネットワークのイヴニングニューズに含まれていた907本の第2次世界大戦に関する報道の「内容」と「印象」、つまりは視聴者に与える効果を分析した。放送直後に電話をすると、その分析結果は12月10日発行の『NHK放送文化調査研究年報43』1998年度版に収録されているのことだった。ただし、1冊4700円とのことなので、近所の図書館に取り寄せ依頼中した。

「複数の専門家」が見た「内容」と「印象」の項目別の数字は、以下のようなものである(以下、数字は取り寄せ後に正確に訂正増補)。

 ユダヤ人迫害    159
 ノルマンディ上陸  132
 原爆投下       99
 ナチスの犯罪     70
 ドイツとの戦闘    56
 真珠湾攻撃      50
 ドイツ降伏      37
 日本の降伏      30
 日本軍との戦闘    30
 日本の戦争犯罪    10
 捕虜収容所問題    3

 つまり、アメリカ人の頭の中の「第2次世界大戦」の「印象」の最大のものは、「ユダヤ人迫害」であり、「ナチスの犯罪」と合計すると「229」にもなる。

「第2次世界大戦」で、「民主主義の擁護者」たるアメリカは、世界の覇者となった。

 これはアメリカ最大の現代神話である。この神話教育を徹底的に叩きこまれたアメリカ人、特に白人、アングロ・サクソン、プロテスタント、いわゆる「WASP」の頭の中には、その後さらに、アラブ人を「民主主義の破壊者」として憎む「正義の味方」=「ユダヤ人擁護者」の心理構造が、継続して植え付けられている。過去の「ナチス」「ドイツ」が、現在の「テロリスト」「アラブ」に入れ替わっているのである。

 日本人の心理構造にも、そのようなアメリカ人、特に白人の心理構造の亜流の傾向が見られるのではなかろうか。

 以上で(その1)終わり。/2)に続く。

その(2)へ

連載:シオニスト『ガス室』謀略周辺事態一括リンクへ

週刊『憎まれ愚痴』創刊号の目次へ

「ガス室」謀略へ戻る / ホロコースト神話 掲載記事一覧に戻る


(私論.私見) 【「ホロコースト論争1、木村氏の立論」考】

 木村氏の立論と西岡氏の立論に対し、これに頷く者と頷かない者が居る。いずれの存在も結構であろうが、立論のそれぞれを論理学的に耐え得る論法で議論して行かねばならない、というのがれんだいこの立論である。

 しかしながら、公平に見るところ、「ホロコースト肯定派」の議論の方が常軌を逸している。罵詈雑言を並べつつ、長々と小論文を書き連ねることによって一見精緻そうな体裁にしているが、これを読み進めていけばまともな議論にならない雑文ばかりでしかない。分かりやすく云えば、石ころの山となっている。

 これに比して、「ホロコースト否定派」の議論の方が実証的であるように見える。尤も、限られた情報の中で詮索しているので、時にオーバーランしていることもあるだろう。しかしながら、読むに足りる論を提起しているように思える。

 というのが、「ホロコースト問題争論」に対するれんだいこ見解である。

 れんだいこは、しかしながら、「ホロコースト否定派」の議論に満足している訳ではない。同じその論法と検証法でもって何故国内問題にアプローチしていかないのか、という不満がある。国内問題とは、「ロッキード事件を通じての田中角栄政界追放史の胡散臭さ」のことを指している。この問題に対しては、「ホロコースト否定派」が分裂するやに見受けられる。れんだいこは、そこがオカシイと思う。

 「角栄政界追放事件」は「日本のホロコースト問題」であるように思われる。外国のホロコーストに目が行くならば、国内のホロコーストに目を向けて欲しい。それがれんだいこの願いである。

 2005.3.7日 れんだいこ拝




(私論.私見)