2.英米イスラエル側報道の本質
寡頭勢力は、資本主義という表看板(正)と、それに対抗する共産主義という裏看板(反)を作り、混沌とした状態を生み出した。本当の目的(合)は、資本主義でも共産主義でもない、世界統一政府(ワンワールド・一極独裁)の実現である。共産主義勢力は、寡頭勢力の膨大な資金と謀略により計画的に育てられた徒花である。第二次大戦終了時、表向きは反共産主義を唱えながら、米国はソ連にドルに交換可能なドイツ占領軍票の印刷用原版・用紙・特殊インキを飛行機数台分を、また、原爆用技術・資材を含む軍需物資を供給した。更に引き続く戦争の重要局面では米国の進撃を阻止し共産勢力を援護する命令を下し、米国本国で真剣に共産主義者と闘う愛国者は米国政府の手で抹殺されていったことを、どれだけの人が知っているだろうか。日本の反日・左翼の殆どは、そのことを全く分かっていない。しかし、共産主義国家のトップは、彼等の育て親が英米の背後にいる寡頭勢力であることを、充分に理解している。従って、共産主義国家が英米の諸政策や報道を非難するのは、多くの場合、単なるポーズに過ぎない。
実は、実際に行われたユダヤ人虐殺事件を深く探っていくと、その殆どはごく一部のユダヤ人トップ勢力の謀略によるもの、即ち、ユダヤ人によるユダヤ人殺しであることが分かってくる。このユダヤ人トップ勢力は寡頭勢力の重要な一角を占め、他のユダヤ人とは全く異なる動きをしている。彼らは極めて血縁を重視し、同族結婚を繰り返す。そして、一族であっても、他の血と交わった者や不適格者は容赦なく切り捨てていく。彼らは強烈なルシファー(悪魔)崇拝者である。また、彼等は、ユダヤ人が虐げられてきた被差別民族であることを、大がかりな捏造と共に殊更に強調し、一般のユダヤ人たちを自分たちの利益のために冷酷に利用してきた。彼らはユダヤ人を自称しているが、どうも、一般のユダヤ人とは宗教も血縁も全く異なる者たちと
見た方がよさそうである。
彼らがシオニストを動かして、現代イスラエル国家を作った。そして、古代イスラエル人の末裔であるスファラディは、アラブ民族の中で穏やかに暮らしていたにも拘わらず、果てしない血の戦場に、駆り出され、または自主的に移住してきた。また、パレスチナとは元々何の関係もないアシュケナジーも、ユダヤ教を受け入れたばかりに、実権掌握者側とはいえ、危険な戦場の地に移住してきた。
これは、どう見ても、「ユダヤ人を自称し、虐げられてきた民族であることを殊更に強調しつつも、自らは英米など安住の地で豪奢な生活を送る、特殊な悪魔崇拝者たち」と、「世界中から憎しみと嫌疑を向けられ、生死の境を彷徨う状態に貶められた一般ユダヤ人」
という構図である。寡頭勢力は、共産主義を生み出したのと同じ理由、即ち、世界統一政府(ワンワールド・
一極独裁)への道程において、戦争状態を生み出すための火種として、現代イスラエル国家をパレスチナの地に作ったのである。
なお、寡頭勢力側の自称ユダヤ人たちが、古代イスラエル国家と何らかの関係があるのかどうかは闇の中である。私は、この悪魔崇拝者たちは、カザール王国を改宗させたユダヤ人の血縁であり、古代イスラエル人(またはカナン人)の中の特殊な血を受
け継いでいるのではないかと考えている。また、この悪魔崇拝者たちの魂は、遙か昔、古代イスラエル人(またはカナン人)、及びユダヤ教の源流である古代一神教に取り憑いていたものではないかと思っている。
<参考文献>
『衝撃のユダヤ 5000年の秘密 ユースタス・マリンズ著 太田龍解説 歴史修正学会訳 日本文芸社刊』 |
4.第二次大戦中の「ユダヤ人ホロコーストとガス室」も真っ赤な嘘 |
4-1.ドイツでユダヤ人ホロコーストに異を唱えると刑務所に長期拘留
第二次大戦中、ヒットラーはユダヤ人の絶滅(ホロコースト)を画策し、アウシュヴィッツの「ガス室」等を利用して、(戦前のドイツ在住ユダヤ人口30万人の中から)600万人を虐殺したというのが定説になっている。定説になっているだけではない。ユダヤ人が実質的な権力を握っているドイツで占領政府が最初に行ったことの一つは、ユダヤ批判を有罪(バイエルン法第8号)とすることであった。また、東西統一後の1994年9月には「アウシュヴィッツの嘘」発言処罰法案が可決した。この法律は外国人にも適用され、異を唱えた米国の識者はドイツを旅行中に拘束された。この米国人を始め、多くの勇気ある人々が、今現在、ドイツの刑務所に長期間拘留されている。
第一次大戦の敗戦と歴史上かってない莫大な賠償金によって極度に疲弊し、天文学的なインフレに悩まされていたドイツにおいて、ユダヤ人は金融関係の実権を握り、吸血鬼の如く
ドイツ人から搾取していた。このような状況下で戦争が始まると、多くのユダヤ人は、信号灯を設置して英米軍によるドイツ民間人爆撃を誘導した。耐えきれなくなったヒットラーは、遂に全てのユダヤ人の国外追放(または戦争期間中のみの拘束)を決意した。しかし、あくまで追放・拘束であって、虐殺の指示は出していない。ユダヤ人絶滅(ホロコースト)もガス室も、全て嘘である。有名なアウシュヴィッツのガス室も、歴史捏造の為、戦後作られたものだ。ユダヤ人収容所において、ドイツ当局は、チフスによる死亡率が高いため、死亡率を必ず下げるよう指示している。また、ユダヤ人虐待を理由に、ドイツ当局により処刑されたドイツ人さえいる。
このホロコーストの代償として、ドイツは、イスラエルに莫大な補償金を支払っており、これがシオニストの活動資金にもなっている。その賠償額は1978年までに620億ドイツ・ マルク(約6兆円)で、1978年以降も継続中という。実際に死んだユダヤ人の大多数は、スターリンによって殺されたポーランドのユダヤ人である。特に1941年、接近中のドイツ軍に対するスターリンの防御をユダヤ人が切り崩すのを予防するために多数のユダヤ人が殺害された。しかし、ドイツにあれ程までに過酷なイスラエルは、不思議なことにロシアにはいかなる賠償も要求してはいない。
この事実は以前より指摘されていたが、医師である西岡昌紀氏がマルコポーロ誌(文芸春秋社、1995年2月号)に「戦後最大のタブー・ナチ『ガス室』はなかった」を発表して大騒ぎになったので、覚えておられる方も多いと思う。この記事掲載により同誌は廃刊を余儀なくされた。文芸春秋社の幹部はユダヤ勢力により徹底した歴史教育を施されたと聞いている。
この記事に対して抗議を行ったのは、イスラエル大使館と米国のシオニスト団体「サイモン・ウィーゼンソール・センター(SWC)」であった。SWCは「反ユダヤ主義」に攻撃を加える特殊な団体で、余りの激しさに一般的なユダヤ人からも批判が出ている。イスラエルやこのような団体を寡頭勢力が背後で操っていることについては、前3-3節で述べた。
なお、西岡氏は、アウシュヴィッツ(ポーランド)のガス室は、ポーランドの共産主義政権かソ連が捏造したものと断定したが、ポーランド政府は沈黙し、一切抗議をしていない。
<参考文献>
『アウシュウィッツ「ガス室」の真実 西岡昌紀著 日新報道刊』 『アウシュヴィッツの争点 木村愛二著 リベルタ出版刊』
上記著書で指摘されている内容の一端をご紹介しておく。
・ガス室大量殺人に物的証拠は一つもなし。
・使用されたとされる青酸ガスや一酸化炭素による死体は一体も発見されていない。
・押収した膨大なドイツ公文書の中に、ユダヤ人絶滅の指示書なし。
・ドイツ政府は、ユダヤ人絶滅のためにかかる筈の膨大な予算を全く計上していない。
・戦後ドイツを裁いたニュールンベルク裁判では、アウシュヴィッツの実地検証せず。
・戦後、連合国側は、拷問によってドイツ人から「自白」を引き出した。
・ユダヤ人絶滅の為、大量のユダヤ人を虐殺したというにも拘わらず、「ガス室」が現存するのは、ポーランド国内の2ヶ所のみ(アウシュウィッツとマイダネック)。
・猛毒ガスを頻繁に排気するガス室の目の前にドイツ人用病院。甚大な被害が出たハズ。
・密閉構造になっていない青酸ガスの処刑室。処刑側と近くの病院は極めて危険なハズ。
・青酸ガスの処刑室に換気装置なし。その痕跡すらなし。
・地下の処刑室には狭い出入口が1つあるだけ。多数の処刑死体の搬出など不可能。
・青酸ガス用のチクロンBを投入したする一部のガス室には、投入用の穴さえない。
・青酸ガスによる大量処刑が行われた筈のガス室跡からシアン化合物が全く検出されない。
・使用されたとされるディーゼルによる一酸化炭素、及び青酸ガス用チクロンBは、甚だ非効率で有毒ガスの排出に長時間が必要。大量殺人は、処刑時間上全く不可能。
・ガス室だけでなく、死体焼却施設も、大量殺人には全く能力不足。大量の燃料もなし。
・処刑者が満杯のガス室では、青酸ガス拡散用の装置が必要だが、装置の痕跡もなし。
・不合理を指摘されると、アウシュウィッツ博物館の説明は2転3転。
・ガス室による処刑は作業が煩雑、危険、かつ極めて高価。大量殺人には全く不向き。 |
4-2.日本で大人気の「アンネの日記」は低レベルの宣伝用フィクション
ついでに申し添えておくと、ホロコーストと組み合わせて宣伝されている「アンネの日記」は、嘘と真実をごちゃまぜにしたフィクション。宣伝材料としては余りにレベルが低いので、欧米のまともな研究者は全く相手にしていない。
・自筆原稿を徹底して隠蔽
・父親オットー・フランクは1980に死ぬまで、自筆原稿の公開を拒否。テレビに登場しても、自筆原稿にはフォーカスさせず。遺言でオランダ国立戦時資料研究所に寄贈された後も、実質未公開。
・原本は古い文体でアンネが書くことは不可能
・ユダヤ問題研究家の宇野正美氏によれば、小説家レビンが父親のオットー・フランクに頼まれて書いた小説であり、しかも、古典的ドイツ語で書かれており、オランダで
生まれ育ったユダヤ人のアンネがそのようなドイツ語を駆使して日記を書くことなどできる筈もないとう。
・内容的に自己矛盾だらけ
・例えば、物資が不足し、物音一つたてられない隠れ家の筈が、記載内容を良く調べると、富裕な家族の一般生活と何ら変わらない生活描写で満載。即ち、日記の内容自体が、裕福なフランク一家が事務所兼倉庫に寝泊まりした本当の理由は、ユダヤ人迫害とは全く関係なく、オランダ人やユダヤ人による窃盗を防ぐためであったことを明確に示している。 |
4-3.ユダヤホロコーストを鵜呑みにしている日本の有識者 |
■ホロコースト600万人鎮魂旅行
数年前、何十冊も著書を出している高名な僧侶が大勢の弟子を連れて、ユダヤホロコーストで殺された600万人を鎮魂するイスラエル旅行を行った。この旅行の壮行会が都内最高級のホテルで催されたが、訳あって代理出席する羽目になった。ありもしない魂をどうやって鎮魂するのかと全く気が進まなかったが、仕方なく出かけた。この僧侶については、人格・見識共に極めて優れた方だと日頃聞かされている。壮行会は肉食中心の料理で、途中で有名な国会議員の挨拶もあり、中々豪華な雰囲気で行われていた。私は隅の方に一人で座っていたが、遅れて入ってきたご婦人方と同席になった。目の前に座った女性は開口一番、「なーに、この料理、会費にしてはしょうもないわね」。弟子の僧侶たちは、場の雰囲気に全くそぐわない袈裟を着て、コンパニオンみたいなことをしている。しばらくして、かの僧侶に挨拶に行くと、アイスクリームを片手に持ったまま、「イヤー、僕はアイスクリームが大好きでしてね」。私は気分が悪くなって早々に退席した。
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■歴史教科書をつくる会
歴史教科書をつくる会の活動には大いに賛同し、陰ながら応援しているが、ホロコーストの扱いを始め、歴史の視点に関して異なる点も少なくない。数年前、つくる会の中心となって活動しておられる高橋史朗氏の講演を比較的少人数で聞く機会を得た。そこで、東京裁判史観については大変良く調べられておられますが、ニュールンベルグ裁判に関してはどうお考えでしょうかと質問してみた。高橋氏は、「そちらの方は軍事的なことで専門ではないので、機会があれば調べてみたいと思っています」と答えられた。私の歴史感覚では、東京裁判とニュールンベルグ裁判とは同次元の問題であり、片方のみの研究で歴史教科書を見直すことなど全く考えられない。まして軍事研究などと思ったこともない。それ以上質問する気は起こらなかった。 |
5.報道されない英米イスラエル側の虐殺行為 |
5-1.第二次大戦における虐殺事件
英米イスラエル側に対する虐殺事件やテロ行為は盛んに報道されているが、それらを良く調べるとプロパガンダ(悪意のある宣伝)であることが少なくない。一方、英米イスラエル側による虐殺行為がマスコミで報道されることは殆どないが、勇気ある人々によって信憑性の高い情報がリークされている。それらの情報によると、隠蔽されている英米イスラエル側の虐殺行為は、巨大な陰謀の一貫として用意周到に準備された極めて残虐なものが多い。 |
■キーホール計画
米アイゼンハワー大統領は、英米軍に投降したロシア自由戦士100万人~200万人を、ソ連奴隷キャンプで集団殺害させるべく強制送還した。アイゼンハワーは寡頭勢力のエージェントであり、さしたる業績もなしに異常な速度で階段を登り詰めた。その間、数々の異常な作戦や虐殺行為を指示すると共に、1960年代に黒人暴動を助長させ、米国社会荒廃の大きな要因を作り出した。1938
陸軍中尉 1941 陸軍中佐 1943 陸軍大将・欧州軍総指令官 1948 コロンビア大学総長 1950 NATO最高指令官 1953~1961
米国大統領 |
■野ざらしの死のキャンプで消えたドイツ人捕虜100万人
1945年4月末のヨーロッパ。西部戦線は投降した何百万のドイツ兵で溢れ、東部戦線ではソ連軍との最後の戦いが続いていた。西部の大量投降と東部の必死の抵抗は、ドイツ軍最高司令官デーニッツの戦略だった。デーニッツは、人道的な取り扱いが期待できるアイゼンハワー麾下の連合軍に、一兵でも多く投降させようとしていた。だが、その試みは絶望的な結果に終わった。婦女子を含む500万人をこえる捕虜は野ざらしで立錐の余地もない鉄条網の囲いに入れられ、最小限の食料や衛生施設にも事欠いた。指令者のアイゼンハワー将軍はテントと衣食住の提供を禁止したのである。米軍の他、仏軍の手にあったものも含めて、約100万の捕虜が次々に命を落としていった。
<参考文献>
『ドイツ人捕虜収容所、死のキャンプへの道、消えた100万人 ジェームズ・バクー著、申橋昭訳 光人社刊』
アイゼンハワーがドイツへの単なる恨みでこの虐殺行為を行ったのではないことは、前述したキーホール計画や下記の事件が物語っている。1945年、ドイツを占領し万全な体勢を固めた米国パットン将軍にアイゼンハワーから
占領停止命令が出る。パットン将軍はこの命令を無視し、共産主義・ソ連によるベルリン、東ドイツ占領を阻止。パットン将軍は不慮の死を遂げ、米兵は引き上げ、ソ連軍は東ドイツを略奪。取り残されたベルリン駐在米兵はソ連軍に包囲され、物資補給、通信網なしの絶望的状態に陥った。1955年、キューバでカストロの共産主義革命が発生。すると米国政府およびマスコミはカストロが共産主義者であることを徹底して伏せ、『現政権のバチスタ大統領
=悪玉。腐敗した暴君』、『カストロ=善玉。自由・民主主義者の正義漢』の大キャンペーンを展開。米国がバチスタへの武器輸出を禁止する一方、カストロにはソ連等から軍需品が輸送された。1958年12月17日、アイゼンハワー大統領はバチスタに辞任を要請。バチスタ政権は崩壊し、カストロ共産主義政権が成立した。1956年10月末、ソ連圧政下のハンガリーはソ連軍の一時的追い出しに成功し、ラジオ放送で米国アイゼンハワー大統領に軍事支援を必死に要請。これに対し11月2日
米国国務省はユーゴのチトー大統領にソ連に好意的である旨を打電。ソ連工作員のチトーはソ連に伝達。11月4日 ソ連軍の大戦車隊はハンガリーに再侵略した。この間、ハンガリーに共感したスペイン人飛行士が物資空輸を計画し、西ドイツでの燃料補給を申請。しかし米国政府は、燃料補給許可取消をドイツ政府に直ちに要請した。冷酷なアイゼンハワーは寡頭勢力のエージェントとして、その命令を忠実に実行しその褒美に、英雄という虚像と名誉を与えられた。 |
■カチンの森事件
ソ連軍が巨大な墓穴にポーランド将兵を生き埋め。死亡者数1万2千人。第二次大戦は名目上、ポーランドをドイツから救うことで始まった。しかし戦争が終了してみると、ポーランドはソ連が占領していた。この事件は、英米イスラエルが直接手を下したものではないが、ソ連を作ったのは英米イスラエルの背後にいる寡頭勢力であるから、直接か間接かの違いだけである。
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■英米空軍によるドイツの無防備都市ドレスデンの空爆
この攻撃は戦闘行為ではない。攻撃対象は主に老人と子女であり、虐殺行為そのもの。計画立案は英戦略爆撃調査部長官クルト・レウィン。死亡者数は13万~39万人。
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■日本への原爆投下
広く流布されている戦争早期終了の為というのは全くの欺瞞。まして日本責任論など論外。虐殺そのものが目的であり、悪魔崇拝者による儀式殺人以外の何物でもない。エノラ・ゲイの永久展示がその本質を良く示している。
・広島はともかく、何故長崎なのか、疑問に思っていたが、報道されない重要な理由があった。ジョン・コールマン博士は、キリスト教(特にカトリック)の破壊を狙っている寡頭勢力はカトリック教徒の多かった広島と長崎を選んだと指摘している。十分にあり得る話である。死亡者数は1950年までに33万人。
・日本は独立回復後の1964年、原爆攻撃の実施責任者である米空軍司令官ルメイ大将に勲一等を授与した。悪魔への隷属の証しである。
(参考HP)
1509047 米 復元のエノラ・ゲイ、新設の博物館で永久展示 100823 「被爆は天罰」本島等前長崎市長が妄言 長崎市民猛反撥 |
5-2.湾岸戦争(1990.8.2 ~ 1991.4.11)における虐殺事件 |
■イラクを挑発しクウェート侵攻へ誘導すると共に、戦争準備を行っていた米国
前年の1989年より、米国はイラクへの挑発行為と戦争準備を矢継ぎ早に行った。クウェートが、OPEC石油生産協定違反、イラクと共有する石油資源からの過剰な石油採掘、イラン-イラク戦争時における対イラク借款の返済要求、対イラク交渉打ち切りを行うように誘導。(地域紛争に備えて)湾岸諸国からの輸入石油を急増。
・1989年12月、ステルス爆撃機を含む新兵器を実験的に使用して、パナマを奇襲攻撃。(この奇襲攻撃により、イラクに殺されたクウェート人以上の人数
のパナマ人が米国軍に殺害された)
・イラクのクウェート侵攻の直前、1990年7月、米国は、コンピュータを駆使して対イラク戦の詳細な図上演習を実施。
・イラクのクウェートへの脅迫行為に全く異議を示さないばかりか、イラクに対する事業契約、農業貸付補助金付与、武器売却を促進。 ・一方で、イラクが米国からのみの輸入に依存しいる米、とうもろこし、小麦等基本的作物の食糧供給に対する貸付を1990年春に打ち切り。
これにより、イラクでは食糧不足が発生。
・クウェート侵攻に関するサダム・フセインの質問に対して、エイプリル・ グラスピー在イラク米国大使は容認発言。
<参考文献>
『被告 ジョージ・ブッシュ有罪 国際戦争犯罪法廷への告訴状 ラムゼイ・クラーク著 日本国際法律家協会訳 柏書房刊』 |
■戦争中のイラク国民に対する虐殺行為
米国の爆撃中、元米国司法長官のラムゼイ・クラーク氏はイラクを広範囲に見て回った。そこで見たものは、広島の原爆の7倍に相当する8万8千トンの爆弾を投下し、一般市民生活の系統的破壊を行う米国軍の姿であった。どこにも水の流れはなかった。あらゆる市町村の給水・電話・動力(送電線を含む)
・燃料・食糧関係施設、そして無数の居住地区・公益地区・商業地区が標的にされ、基本的市民サービス網(医療施設を含む) が破壊された。米国に殺されたイラク人は15万人を越えた。
・米国陸上部隊は、降伏しようとしたイラク兵やバラバラに逃亡しているイラク兵を殺害。停戦後も、無差別にかつ気まぐれに、イラク兵を殺害し物資を破壊。この不当行為により、少なくとも10万人のイラク兵が死亡した。
・米国は無差別殺害と不必要な苦痛を与えるために使用を禁止されている兵器を使用。
・広範囲に及ぶ火災と殺害が可能な気体爆弾(FAE) (気体爆弾には、数百ヤード以内にあるものならなんでもバラバラにしてしまう 1万5千ポンド爆弾BLU-82が含まれていた)
・ナパーム弾(米軍爆撃機は、ナパーム弾その他の強力な熱兵器によって、意図的に、イラクとクウェートの油田火災を起こした。イラクの石油精製所の80%は米軍機爆撃によって破壊された。この結果、甚大な環境汚染が引き起こされた)
・集束対人炸裂爆弾 ・スーパー爆弾(2.5トン爆弾) |
■戦争終了後のイラクの惨状・・続々と死んでいく子供達
米国はイラク国民から、不可欠な医療品、飲料水、食料その他生活必需品を意図的に奪った。これは停戦後も、世界各国を巻き込んで継続された。
・必要な医療品、浄水装置、乳児用調整ミルク、食料その他生活用品の禁輸処置。(日本もこの経済封鎖に加担している)
・米国海軍による海上封鎖。
・世界各国におけるイラク資産の凍結(イラクの生活用品購入能力の収奪)。
・送電線の破壊等による病院の閉鎖、医療品、輸血用血液の不足。
・食料、肥料、種子貯蔵施設破壊に起因する食料不足。
・イラクの惨状に関する情報の徹底した統制。
・イラクに対する賠償金請求。
米国の真の愛国者であるジョン・コールマン博士は、このイラクの惨状に関して次の記事を 『ワールドイン・レビュー誌(World In Review,1995.4) 』に掲載している。 (<紫霄閣> 湾岸戦争疾病群とその隠蔽 より引用)
『いかなる国家であろうとも、戦争に敗北した国家に対するより憎むべき行動の一つは、 倒れた国家を足蹴にすることである。これは西洋の風習にはない。しかし、どういう訳か米国はそそのかされて、ひれ伏したイラクを土足で踏みにじっている。米国は「オルブライト女史を国連の職位から除籍すること。米国内にいる新世界秩序機関のメンバーと言われている人々を排除すること。そして何の米国憲法上の裁可もなしにペルシャ湾に駐留している米国軍隊を引きあげさせること」という決議案を下院で直ちに通さなければならない。3月の終わりに、私はイラクの現状についての諜報概況を受け取った。以下にそれを要約して紹介する。
食料品:小麦粉、米、砂糖、料理用油の毎月の配給の平均は、2週間分を満たすのみである。価格は徐々に高騰していき、ディナール(イラク、ヨルダンの貨幣) はドルと等価から700分の1ドルにまで暴落した。戦前のレートで、魚1ポンドは200ドル、卵1ダースは1000ドル近くもする。戦前にはなかった街の乞食は増え続けており、食料の危機的状況を証明している。子供達は栄養失調で数百人単位で死んでいっている。
医療品:病院に抗生物質はなく、医療品の供給は人々の記憶の中で最低のレベルにある。医者は麻酔薬の欠乏で手術ができない。国連による軍需品の絶え間のない爆破による黒い煙幕と悪臭の粘着物は病気を引き起こし、イラクの半数以上の都市は極端に不健康な場所と化している。この国連による爆破行為は時々居住地区においても行われている。
イラクの公式文書は、「彼ら(国連)は決して満足していないようだ。彼らは全てのものを爆破し続け、人々を病気にさせ続けたいと願っている」と報告している。米国の仕打ちは、学校でより小さく弱い少年を叩き続け、蹴飛ばし続ける弱い者いじめに似ている。米国のこのような状況には、何かしら特別に憎むべきものがある。バグダットの市民はそばを通りかかったAP通信員に、「これ程の仕打ちをうける何を我々は米国にしたというのか?」と質問したという。米国の飛行機がバクダッドに膨大な量の爆弾を投下しただけでは十分でなく、今我々はさらに犠牲者を窒息させ死にいたらしめようとしている。このような米国の咎むべき行動は、米国憲法上何の権限にも基づいていない。我々の国家(米国)をある特定の人物たちの国家ではない、本来の法治国家に戻さなければならない』
|
■国連軍兵士に対する虐殺行為・・湾岸戦争疾病群(GWI)
寡頭勢力が牙を向くのは、ドイツ、日本、イラクなど(表面上の)敵国民だけではない。寡頭勢力にとって一般民衆は使い捨ての「物」にしか過ぎない。世界大戦後休む間もなく、米国の若者たちは朝鮮戦争やベトナム戦争に駆り出された。しかし、これらの戦争は勝ってはならない戦争であった。朝鮮戦争において共産軍の攻撃を真剣に阻止しようとしたマッカーサー将軍は解任された。ベトナム戦争では交戦規約により米軍は勝てないように定められており、泥沼の戦いの中で希望を失った若い米国兵たちの多くは麻薬漬けにされていった。
その後も絶え間なく戦争が繰り返されているが、湾岸戦争では、歴史上類を見ない形で 兵士たちに牙が向かれた。イラクのフセイン大統領は国連軍兵士に対し、生物化学兵器
を大量に使用し、スカッド・ミサイルには様々なウィルスが詰められていた。それらは米国がサダムに売却し、かつ教育したものであった。その代表は、空気伝染するマイコプラズマに強力な毒性を持たせた人造ウィルスで、エイズウィルスの遺伝子の一部も組み込まれていた。
・更に奇怪なことに、参戦各国の兵士たちに予防と称して実験的な薬物とワクチンが強制的に投与され、戦場で散布された生物化学兵器による被害を大幅に悪化させた。
・終戦後、母国に帰還した兵士のなかに人類がこれまで知らなかった奇怪な疾病が発現。それは妻や子に伝染し、生まれた数千人の子供たちには、かってのサリドマイド児を上 回る重篤な奇形が現れた。動員された27カ国、70万人の兵士たちのうち、20万人以上がこれらの人工毒物により致死性の疾病に罹患し、すでに(1997年時点で)1万 5千人以上の帰還兵が死亡。また、この疾病は戦争には無関係の不特定多数に伝染し つつある。
・米国政府は生物兵器の開発と使用、そしてこのGWI(湾岸戦争疾病群)と名付けられた奇怪な疾病の存在を否定するばかりでなく、GWIに対する治療方法の開発を妨害。そのため罹病した帰還兵士たちは適切な治療も医療補助も受けられず、絶望と貧困のドン底に喘いでいる。GWIは重大な問題として世界的に浮上しているが、日本で報道されることは殆どない。
<参考文献>
『湾岸戦争は人類大虐殺の実験だった ドナルド・S・マッカルバニー著 加賀昭彦訳・監修 第一企画出版』
・上記の本の内容は、未収録の監修分も含めて、全文を本HPで公開しているので、参照されたい。 <紫霄閣> 湾岸戦争疾病群(GWI)とその隠蔽
--- 深層から見たGWI問題
・本の訳序で加賀昭彦氏は日本国内への伝搬を危惧している。この本が出版(1997)された頃、私の知人の奥さんは原因不明の病気を患ったが、その症状はこの本に出てくる若い帰還兵と大変良く似ていた。最初は軽い口内炎から始まり、しばらくすると皮膚炎が身体中に広がっていき、全身の皮膚移植を行った。その後小康状態を保ったものの病状は回復せず、最後は帰還兵と同様、白血病を発病して亡くなられた。いくつもの病院を転院したが、どの病院でも原因は全く分からなかった。 |
6.民衆を騙して戦争に駆り立てる手口・・ルシタニア号、真珠湾、9.11
これまで英米イスラエルの背後にいる寡頭勢力の恐るべき所業のごく一端を見てきた。第一次 大戦から今日まで、常に戦争(と人々の苦しみ)を渇望して止まないのは彼らである。本補足の最後に、彼らが民衆を戦争に駆り立てる手口をご紹介したい。その上で9.11テロ事件とは何かを考えてみたい。
6-1.第一次大戦に米国を参戦させるための手口・・ルシタニア号撃沈
1914年8月、イギリスとドイツの間で戦いが開始されたが、ドイツは戦争拡大を欲してはいなかった。アメリカの国民も戦争を欲してはおらず、むしろドイツに同情的であった。戦争を熱望していたのは英米の背後にいる寡頭勢力であり、彼らはドイツを誘い出すために囮を放った。北大西洋航路上の浮かぶ宮殿として知られた英国の豪華客船ルシタニア号である。1915年、ルシタニア号は米国の火器弾薬を登載し、警告を発していたドイツを逆撫でするような航路を進み、ドイツ潜水艦の攻撃を誘った。通常はアイルランド沖を巡回していた英国の駆逐艦隊は、ルシタニア号が近付いてくるこの期間、撤収させられていた。そして、94人の子供たちを含む1095人以上(内、米国人123人以上)が生け贄となった。この事件により米国世論を覆すことに成功。この大戦によって彼らはドイツを疲弊させ追いつめた。
第一次大戦はそれまでの戦争とは全く性格を異にする。その戦後処理の非情さは極めて異常だ。しかも彼らは、ドイツにもう一度戦わせてより徹底的に叩くために、ドイツ人魂に火を付けるような火種を養成した。ヒットラーである。疲弊しきったドイツに資金などある筈もない。ヒットラー自身は気付いていなかったが、彼の資金は寡頭勢力から出ていた。 |
6-2.第二次大戦に米国を参戦させるための手口・・真珠湾攻撃
■戦争を欲してはいなかったヒットラー
今日、ヒットラーは悪魔の如くに言われているが、それは戦後作られた虚像である。牛山火壱氏は、戦争を欲してはいなかったヒットラーの実像を明らかにしている。少し長くなるが引用したい。(表現は一部変更)
<参考文献>
『日本に忍び入るユダヤ 牛山火壱著 第一企画出版』
『ヒットラーは決して自らすすんで第二次大戦を起こしたのではない。米英仏に入った悪しき者たちの手によってポーランドとの戦争に押し込まれた。事実、ヒットラーは戦車による電撃作戦でポーランドを制圧したものの、以後半年間フランス戦線においては何らの軍事行動もとっていない。これは、ヒットラーが英仏と何らかの妥協に達する可能性を模索していたことと、英仏を相手に戦争するだけの軍備が整っていなかったことの両方があるだろう。そしてヒットラーが英仏に対して嫌々ながら戦争をしたことは、色々の点から今日これを立証することができる。ヒットラーは常々英国を大変尊敬していたのであって、立派なイギリス人の兵隊を戦場で殺すことに苦痛を感じていた。そのことは、ヒットラーが英仏軍をダンケルクに追いつめた時の行動によく表れている。英仏軍はあらゆる舟艇を動員してダンケルクから英国本国へ逃げ帰ったのであるが、不思議にも独空軍はこれらを爆撃しなかった。これは当時から不思議なことと思われていたが、逃げるままにさせておくよう、ヒットラーが命じたのである。ヒットラーとしては立派な英国の兵隊を大量殺人するに忍びなかったからである。
更にパリ陥落後コンピーニュの森で、第一次大戦でドイツが屈辱の降伏文書に署名した同じ列車の中で、今度は逆にフランスに対して戦勝国として降伏文書に署名させた。しかし、ヒットラーは十分に力があったにも拘わらずフランス全土を占領することは避け、それまで軍隊が入っていた所までで占領を止め、残りの部分はペタン元帥を首領とするフランス政府に統治を任せた。フランスとの停戦協定も甚だ穏和なものであって、一般のフランス人もドイツ軍に対してさして抵抗した形跡はない。むしろドイツ将校はレストランに入って一般のフランス人と仲良く食事などをし、フランスの婦人に対しては親切にコートをかけてやる等のドイツ将校が目立った。このようにしてドイツ人は少なくとも占領下のフランスにおいては極めて紳士的に振る舞ったのである。これは古きよきヨーロッパ社会の風習であって幾多のヨーロッパの戦争において行われたのと同じことだ。これを第一次大戦当時のヴェルサイユにおける米英仏の過酷な対独制裁の様相に比べると、ヒットラーは遙かに人道的な紳士であったということができよう。今日このようなことはさっぱり書く人がないが、ここに明らかにしておく必要を私は認める。さて、では何故、米英仏がポーランドを使ってドイツを戦争に引きずり込んだのか、ここに極めて大きな謀略が潜んでいる』 |
■和平交渉に命を捧げたルドルフ・ヘス
ポーランドへの侵攻後、ヒットラーは戦争の拡大を望んでおらず、英国と和平協定を結ぶべく必死の努力をしていた。しかし英国はヒットラーの提案を悉く退け、寡頭勢力はまたしてもドイツに対して卑劣な挑発行為を再三行った。米国は交戦国でもないドイツの潜水艦を撃沈する暴挙にまで出た。それでも、第一次大戦の苦い経験を持つドイツはじっと堪え忍んだ。
このような情勢下の1941年5月、ナチスの副総統ルドルフ・ヘスが、交戦中である英国のスコットランドへ単身メッサーシュミット機で飛び、パラシュート降下するという事件が起きた。ルドルフ・ヘスは「チューレ・ソサイエティ」の仲間で友人でもある実力者ハミルトン公爵を頼って来たのである。しかしチャーチルはヘスを捕らえ、公爵に会わせなかった。ヘスの計画は、戦争開始以降にドイツが占領した領土を返還し、イギリスと和平を結び、
英独が協力してソ連を攻めるというものであった。ジョン・コールマン博士によると、英国の実権を掌握していたユダヤ系のセシル一族は、ヘスの計画を知ると即座に射殺を命じたという。だがチャーチルは終身刑が妥当とし、結局ヘスは獄中で死を迎えた。
この事件はその後、英米に都合が良いように様々な脚色が加えられた。しかし、上記の視点で静かに眺めた時、ヒットラーの意を酌み、死を覚悟で和平交渉に赴いたヘスの毅然たる姿が浮かび上がってくる。また、寡頭勢力の重要な一角を占めるセシル一族の配下で動いてはいたものの、一面ではヒットラーを高く評価していたチャーチルの複雑な心の内面を垣間見
ることができる。 |
■チャーチルとルーズベルトを大喜びさせた真珠湾攻撃
執拗な挑発に乗ってこないドイツと日本、および厭戦的な米国世論に寡頭勢力は苛立った。しかし彼らは米国世論を一気に覆す陰謀に成功した。山本五十六率いる日本軍の真珠湾攻撃である。この攻撃ほど米国世論を覆すのに適したショーはなかった。真珠湾攻撃の報を聞いて最も喜んだのは、英国のチャーチル首相と米国のルーズベルト大統領である。
・真珠湾攻撃の夜、ルーズベルトは家族で祝宴のパーティーを開き、チャーチルは『救われし者の安堵感と感謝の念を持って眠りについた』。
・当時日本の外務省が使用していた『紫暗号(パープル・コード)』は米国により解読され、少なくとも攻撃の3週間前には、寡頭勢力は日本の真珠湾攻撃計画を知っていた。その後、この攻撃を成功に導いて米国参戦に利用すべく種々の陰謀が巡らされたことは今日、多くの本で指摘されている。
<参考文献>
『真珠湾 日本を騙した悪魔 ジョン・コールマン著 太田龍監訳 成甲書房刊』
しかし欧米側の動きが解明される一方で、日本側の動きの裏面については一向に解明される気配がない。真珠湾攻撃は数ある作戦計画の一つであり、決して有力な候補ではなかった。この計画が採用されたのは、山本五十六に対する陛下の信任が厚かったためとする説が有力であるが、それだけではなかろう。明治維新は寡頭勢力による革命という性格が強く、維新以降、日本の中枢には寡頭勢力の息のかかった者たちが潜んでいる。彼らが欧米側とコンタクトを取りつつ、日本に真珠湾攻撃を選択させ成功に導いたことは十分に考えられる。彼らの後継者たちは、今日も寡頭勢力の指示に従って日本をコントロールしている筈である。 |
6-3.アフガン、イラク戦争の願ってもない口実・・9.11同時テロ
■崩れ落ちる世界貿易センタービルを見た瞬間、寡頭勢力の罠と確信
2001.9.11、崩れ落ちる世界貿易センタービルをテレビで見た瞬間、私は 「ルシタニア号、真珠湾と全く同じ、奴ら、またやった!」と思った。何故なら、この攻撃は米国中枢に何の損害も与えないばかりか、米国民の戦意を高め、反米勢力へ世界中の憎悪を集めるという効果しか生まない。攻撃の作戦としては余りに幼稚すぎる。民間人への攻撃は本来、相手の戦意喪失を狙うものであるが、この攻撃は正反対の効果しか生まない。コスト対効果を考えると、こんなものは作戦とさえ呼べない。一方、攻撃される側、即ち、寡頭勢力側にとってこれ程最高のショーはない。戦争の開始、及び反テロ名目で権力集中の為の法律を通すには、まさに絶好の口実である。同様のことは、過去、何度となく繰り返されてきた。寡頭勢力は一般民衆の命など歯牙にもかけない。古ぼけた貿易センタービルなど壊してくれた方が何かと都合がいい。彼らの高笑いが聞こえてくるようである。
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■9.11同時テロに関する指摘事項
私はこの9.11同時テロは寡頭勢力が仕掛けたものと確信しているが、 確たる証拠はまだ出てきていない。明確な証拠類や証言が出てくるのには、数十年以上かかるのかも知れない。現時点でも不可解な問題点が指摘されているので紹介しておきたい。
<参考文献>
『9.11アメリカは巨大な嘘をついた ジョン・コールマン著 太田龍監訳 成甲書房刊』
<参考HP>
<紫霄閣> ジョージ・ランボーン・ウェスト博士 特別寄稿 「極暑の長日」
(前記2節で紹介した「国際秘密力」のG.L.ウェスト博士から、格別のご厚意により、9.11同時テロ寄せて書かれた特別起稿を頂きました。是非、ご参照下さい)
・山岳地帯のビン・ラディンが携帯電話で本事件を指示したというのが本当なら、事前に傍受と居場所の特定が可能であった筈。
・国務省がFBI捜査員によるビン・ラディンの捜査継続を妨害。捜査員は怒りで辞職。
・攻撃の3週間前、FBIはビン・ラディンの仲間とおぼしき2人について通報を受け、行方を追っていた。その2人は報告された19名の自爆ハイジャッカーに含まれている。また、この通報にからんで、世界貿易センタービルでは急遽、保安体制を強化すると共に、爆薬をかぎ分ける警察犬を使ったチェックも行っている。その後、これらの措置については一言も言及されていない。
・これ程大規模な攻撃計画を事前に全く把握できなかった(ていたらくな)諜報機関が、48時間以内に驚くべき精緻な情報を提供。
・ビン・ラディンらを捕らえる機会を米国は何度も故意に逃している。
・ビン・ラディンとその一派が犯人だとする証拠は、お粗末なつくりものの合成ビデオ。
・犯人とされる操縦士は単発訓練機での簡易訓練のみ。大型ジェット機の操縦は全く不可。
・サウスタワーに衝突した大型ジェット機は、狙いを外し建物の一角をかすめそうになり、460mの低空で、ベテラン機長でも至難な60度旋回を敢行したあげく、建物の中心を外れた一角に衝突。見通しの良い日に不可解な飛行。犯人とされる中にこのような極めて高度の操縦ができる者はいない。(地上より遠隔操縦されていた疑いが濃厚)
・コックピットのボイスレコーダーに接続されたブラックボックス内の30分録音テープ (エンドレス)には何も録音されていなかった。(地上からの操作で切られていた?)
・貿易センタービルの鋼鉄がジェット燃料で溶けたとされるが、科学的にあり得ない。(鋼鉄の梁を溶かすには、梁全体を1370℃以上で長時間加熱することが必要。実際には何が燃えていたのか?)
・後でサウスタワーに衝突した大型ジェット機は、建物の中心を外れた一角に衝突し、建物の外に殆とのジェット燃料を撒き散らした。しかしサウスタワーは先に崩壊。ビルの鋼鉄がジェット燃料で溶けたとする説と符合せず。
・崩壊したビルの瓦礫の中にコンクリートの塊も破片もなし。気化した理由が不明。(一体、何が、コンクリートをこれ程完璧に気化させたのか?)
・ペンシルバニア州内に墜落した飛行機の残骸状況は、ミサイルによる撃墜状況と類似。
・第三のジェット機が国防総省上空に侵入するのを防ぐための戦闘機が全く派遣されず。
・犯人が残したとされる車が通報され、ご丁寧に細かな情報を得る遺留品まで車内にあり。
・ハイジャッカーの一人のパスポートが瓦礫の側に(奇跡的に)舞い落ちていたとの報告。
・連邦航空局は当初、コックピット内の荒々しい口論を受信したと報告したが、その後の追及で、そのような口論の記録は一切なかったと、最初の報告を撤回。
・5、6人の男がビルの屋上から貿易センタービルの攻撃を撮影している旨の通報あり。第一次の攻撃に歓呼している男たちを警察は逮捕したが、この件は全く公にされず。(イスラエルの諜報組織モサドと密接な関係のグループではないかという。なお、モサドの中には、外見はアラブ人と変わらず、アラブ方言を自由に操り、アラブ諸国に何世代も暮らしている者たちがいる)
・ニューヨーク市長は、事件当初、死者の予想数は1万人以上と話していた。この人数は貿易センタービルに勤務する人数に相当する。実際の死亡者は約2800人。約7000人のユダヤ人は当日欠勤しており、難を免れた。この欠勤の情報は一部のテレビ局から流されたが、まもなくマスコミから消えた。
・サウスタワーが攻撃されて間もなく、CNNニュースにイスラエルのシャロン首相が現れ、ビン・ラディンの逮捕とアフガニスタン、イラクへの侵攻を訴えた。シャロン首相は会議に向かう途中とのことであったが、何故か、濃紺の背広姿で現れた。イスラエルでは、夏は半袖の気軽な服装で会議に出席するのが通例となっている。
・シャロンから5分ばかり後、ヘンリー・キッシンジャーかCNNテレビ局からインタ ヴューを受け、シャロンと同様の主張をした。しかし、その朝、キッシンジャーが、正しく目の前で崩壊しつつある貿易センタービルにある自分のオフィスに、何故、出勤しなかったのかは話題にならなかった。
(完) (平成16年8月13日)
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「紫霄閣(ししょうかく) 歴史の底流と人間の本質を探る 」。 |