歴史再検証主義派の論点 |
(最新見直し2014.03.23日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、「歴史再検証主義派の論点」をものしておく。 2014.03.23日 れんだいこ拝 |
【「外野さんへ、そして肯定論支持者の皆様へ。史上最大の集団洗脳『ホロコースト』について」】 |
「阿修羅戦争66」の2005.2.7日付「バルセロナより愛を込めて」氏の「外野さんへ、そして肯定論支持者の皆様へ。史上最大の集団洗脳『ホロコースト』について」が非常に興味深い指摘を随所でしているのでこれから学ぶ。これにれんだいこコメントを付けながら対話する。 2005.1.7日 れんだいこ拝 |
外野さんへ、そして「肯定論支持者」の皆様へ。史上最大の集団洗脳『ホロコースト』について。
これは上に投稿した「大規模集団洗脳の現場報告(1)3.11判事、涙の名演技:被害者が加害者に作りかえられる瞬間」と一体のものです。非常に長文ですが、レスをいただく場合には、どうか最後までじっくりとお読みください。 [初めに] 私は、いわゆるガス室があったか無かったか、などといった論争に加わるだけの資格を持ちません。アウシュビッツとガス室に関して、自分の足と目を使って数多くの資料を集め、それを元に自分の思考で結論を見つける、といった経験を持っていないからです。 従って「ガス室に関する事実関係」については否が応でも他人の受け売りしかできません。「あった」派の研究にも「無かった」派の研究にも目を通していますが、日本語で書かれたり翻訳されているものだけでもほんの一部をかじった程度に過ぎません。また私の残りの人生で日本語資料はおろか膨大な英語資料のすべてに目を通すことなどできるわけも無く、超豊富な知識量を誇る人々との「有る・無し」論争など、到底かなわぬことです。 しかしながら、もしも私などには到底手の届かない知識量を誇る人たちから「知らない者は黙って俺に従え」と言われたとしたら、それは私のような非知識人にとっては脅迫でしかなく、私が主体的に感じ、考え、情報を選び取って、態度を決めていく、という私の人間としての最低の権利に対する圧殺でしかないわけです。少なくとも私は「疑う権利」を持っており、「何を信用しないのか」を自ら決める権利は持っていますし、それは死守します。 例えば現在私の住んでいる国で、目の前で繰り広げられている状況に関しては、上に書いた『大規模集団洗脳の現場報告(1)』で述べていますが、私は情報の多くをこちらのテレビや新聞(主にインターネット版)から仕入れており、その情報について「不自然じゃないか」「おかしいじゃないか」と思い「これはおかしい」と言い続けているわけです。 |
![]() |
バルセロナより愛を込めて氏は実に、れんだいこの云いたいことを代弁して下さっている。概要「『アウシュビッツとガス室論争』については、知識量が乏しく、軽々に定見を下せない。目下、他人の受け売りしかできない。しかしながら、あたたかも悉皆していると嘯く御仁により『この観点を受け入れよ』と押し付けられることには抵抗する。オカシイことにはオカシイと感ずる目線を保持したい」。こう述べているように思え、れんだいこはこの姿勢に共感する。 |
過去の歴史に関しましても、例えばメイン号事件ですね。これは以前私が阿修羅に投稿したこともありました。 私の書いているものなど、もちろん「学問的な資料」としては無価値でしょう。私はそれでかまわない。ただ「不自然なおかしなもの」を見て「おかしいじゃないか」と声を上げる人が増えることが、少しでもましな世界を作ることになるのではないか、と信じて、自分をさらし者にしているだけです。 |
![]() |
全くの同感だ。この科学的プロパガンダ時代に、権力派のそれにのっかかって正義ぶるなどおぞましい。そういう安上がりの正義派が跋扈しすぎており、れんだいこはこの連中が熱弁すればするほど気色が悪い。「不自然なことにオカシイと感ずる疑い精神を持とう」、それこそ文字通りの意味での学問ではないか。権力理論に盲従する勿れ。 |
[報道と裁判と洗脳] 上に投稿した『大規模集団洗脳の現場報告(1)3・11判事、涙の名演技:被害者が加害者に作りかえられる瞬間』でも書きましたが、一つの事件とその報道のされ方、そしてその結果生み出されるものについて、重大な疑問を持たざるを得ない場合が多々あるわけです。世界を揺るがす大事件ほどそこに「不自然なおかしなもの」を発見することが多いと言えます。メイン号事件などももちろんそうですが、湾岸戦争の際の油まみれの鳥の写真、バルカン・コソボ「紛争」での虚偽報道、そしてそれらに誘導されて「善」と「悪」をいとも簡単に決めてしまう「世論」なるものについて、これって要するに実に効率の良い洗脳じゃないのか?と考えざるを得ないわけです。 特にこれに裁判が絡みますと強烈な効果を発揮します。9・11については未だにロクな裁判も開かれずに、米国人による極めて一方的な断定だけが「社会による判決」として通用していますが、3・11はさすがに9・11の「完結編」だけあって、裁判所が『善悪』の判断を完全に決めてしまうでしょう。そしてこれは明らかに「対イスラム・テロ戦争」「一つの世界秩序作り」という政治目的に沿った世論操作、つまり大規模集団洗脳につながっていくものです。「おかしなことだらけ」が「おかしくない」として通用させられてしまう。『金力、権力、情報力の三位一体神』は、あらゆる嘘とデタラメを「真実」に作り変える。裁判所は一つの『神話』をでっち上げ、その『神話』の構造が繰り返し繰り返し人々の脳ミソに刷り込まれ、自ら考え疑う心を奪い取っていきます。 現在進行中のバルカン・コソボ「紛争」裁判でも同様で、「セルビア=悪、NATO=善」の方程式の中で、劣化ウラン弾を含めたNATO軍の暴虐が見事に正当化されていくわけで、この方程式が『神話』として定着させられていきます。今から始まるサダム・フセインの裁判でもそうですし、ピノチェットやビデラなどの南米の元軍事独裁者の裁判も同様ですが、『大規模集団洗脳の現場報告(1)』で私が書いたとおり、これらの裁判はとんでもない茶番、マヤカシ、ペテンに過ぎません。これらの裁判は、真相を隠すだけでなく、新たな『神話』を作り出して世界の人間に大規模集団洗脳を施す『司令部』なのです。そしてマスコミが『大規模集団洗脳媒体』として機能します。こういった裁判を、こそ泥や一般の傷害事件、あるいは民事での裁判と同一視するべきではありません。 |
![]() |
バルセロナより愛を込めて氏は、現代世界を牛耳る国際権力派の謀略的プロパガンダに対し、「金力、権力、情報力の三位一体神神話」と命名している。面白い造語だと思う。「『金力、権力、情報力の三位一体神』は、あらゆる嘘とデタラメを「真実」に作り変える。裁判所は一つの『神話』をでっち上げ、その『神話』の構造が繰り返し繰り返し人々の脳ミソに刷り込まれ、自ら考え疑う心を奪い取っていきます」、「これらの裁判はとんでもない茶番、マヤカシ、ペテンに過ぎません。これらの裁判は、真相を隠すだけでなく、新たな『神話』を作り出して世界の人間に大規模集団洗脳を施す『司令部』なのです。そしてマスコミが『大規模集団洗脳媒体』として機能します」と指摘している。慧眼な指摘だと思う。 |
[東京・ニュルンベルグ裁判の『神話』] さて第2次大戦後の裁判のうち、東京裁判がマヤカシ・ペテン裁判に過ぎないことは明らかでしょう。戦争の開始と遂行に最も責任のある天皇と皇族を有罪どころか被告リストからも外し、東条や広田などのごく一部の戦争遂行者だけを人身御供として血祭りに上げて「軍国主義の終了」を告げ、岸や児玉などの極悪人はすぐに釈放して「冷戦」遂行に利用する、そして、この点が最も肝心なのですが、東京裁判の結果作られたのが「平和天皇をシンボルとする平和国家日本」という『神話』の捏造です。実際には似非独立国家でしかないのですが、軍服姿の天皇と皇族がサッサと背広に着替えて「平和国家のシンボル」となっちゃうわけです。こんなマヤカシ・ペテンを出発点にした国家で、マッカーサーと皇室と吉田茂の掛け合いの果てに作られた『平和日本の神話』の中で、私は何十年も生きてきたわけです。現在、遠くはなれてやや冷ややかな目で祖国を眺めながら、改めてその観を強くします。 同様のマヤカシ・ペテンはニュルンベルグ裁判でも例外ではなく、ナチの重要幹部はすでに米国とバチカンの全面協力で世界各地に逃亡しており(ヒトラー自身も、という説もある)、ゲーレンなどの優秀な諜報員やフォン・ブラウンなどの科学者は米国から厚遇を受け、ごく一部の利用価値の薄い者だけが人身御供として供されたわけです。もちろんナチを作り育てたロスチャイルドやロックフェラー、フォード、ブッシュ、ハリマンなどの英・米・ユダヤの資本にはお咎めのあろうはずも無い。彼らと密接に結びつくドイツ資本家も同様。同時に、ナチと一緒に育ちナチと協力しお互いに利用しあって肥え太ったシオニストたちについても、一言の言及もありません。ちょうど東京裁判で天皇と皇族の戦争責任だけは避けたように、最大の戦争責任者とその同伴者に対する追及は一切無し。これがマヤカシ・ペテンといわずに何でしょうか。 【ナチとシオニストの関係については、どうかご自分のためにご自分でお調べください。さすがにこればかりは本物のネオナチなら一言も言えないでしょう。ただし、ADLとその同調者あたりによって無茶苦茶な「ネオナチ」キャンペーンをはられて個人攻撃され社会的抹殺を図られている人物もいます。誰がその人を「ネオナチ」と呼んでいるのか、注意深く観察した方が良いでしょう。ただシオニズムの成長がユダヤ人に対する迫害を必要としたことは、シオニスト自身がほぼ公式に認めていますし、シオニストがナチスと協力して一般ユダヤ人の迫害に狂奔したり、シオニストが自ら一般ユダヤ人を迫害・虐殺したことについては、非ユダヤ人だけでなくユダヤ人内部からの告発も多々あります。どうかご自分でお調べください。】 |
![]() |
バルセロナより愛を込めて氏が「東京裁判、ニュルンベルグ裁判、ナチズム観」について通説と異なる見解を持っていることが分かる。れんだいこも、細部では見解が異なるが、通説と異なる見解を持っており参考になる。 |
[私がなぜ『ホロコースト』を否定するのか] さてところで、このニュルンベルグ裁判だけは、ごくごく例外的に『神話』を作らなかったのでしょうか。これについて何も触れない人の言うことなど、どれほど精緻を極めどれほど理論的に正しくとも、私は一切信用しません。 私の「おかしいじゃないか」という直感を誤魔化すことは無理です。いわずもがなの『ホロコースト』です。というより、もっと大きな意味で『人道に対する罪』という「悪」の規定です。私は、ニュルンベルグ裁判のマヤカシ・ペテンの最たるものはこの『人道に対する罪』の規定で、そのシンボルが『ホロコースト』だ、と考えます。ちょうど『平和国家日本』のシンボルが『平和を愛する天皇』であるように。 当然ですが、私はユダヤ人に対する大規模な組織的迫害が無かった、などとデタラメを言うつもりはありません。財産の略奪はもちろん、奴隷労働、無差別な殺害、強姦と陵辱、さまざまな人体実験、集中キャンプの中での過酷で不潔な生活による大量の病死など、これはジプシーや共産主義者、社会主義者、自由主義者、同性愛者なども同様の運命をたどったのですが、人非人の所業としか言いようの無い残虐行為であったと断定します。 しかしこの『人道に対する罪』という言葉は、一体何なのでしょうね。ヒロシマやナガサキで使われた形跡は無い、イスラエルのパレスチナ人に対する略奪・虐殺に対しても使われたことは無い、米国のベトナムでの大虐殺にも使われなかったし、現在のイラクやグアンタナモでも使われる予定はなさそうです。(個人、あるいは小規模な団体による使用は別として。)ただし米国系団体と米国のスーダン政府への非難に使われたようですし、どうやらミロセビッチには使われるようです。何なのでしょうか、これは。 |
![]() |
バルセロナより愛を込めて氏が「人道に対する罪観」について通説と異なる見解を持っていることが分かる。特に恣意的な適用のされ方を問題にしている。れんだいこは、事後法による適用自体がナンセンスと思っている。恣意的な適用のされ方にも同感である。 |
私は、これは明白にそのシンボルである『ホロコースト』に根本的な理由があると考えています。天皇が軍服を背広に着替えて『平和日本』のシンボルとなったように、ナチスとシオニストによる大規模なユダヤ人への組織的迫害が、スルリと衣替えして『人道に対する罪』=『ホロコースト』として作り変えられ、シオニストユダヤとその同調者のみにその使用権が与えられている、これが第2次大戦後の最大のマヤカシ・ペテンとして世界を呪縛している、としか考えられません。 |
![]() |
バルセロナより愛を込めて氏が「ホロコースト観」について通説と異なる見解を持っていることが分かる。「ホロコースト問題」が、「シオニストユダヤとその同調者のみにその使用権が与えられている、これが第2次大戦後の最大のマヤカシ・ペテンとして世界を呪縛している、としか考えられません」との指摘は鋭く傾聴に値する。 なお、バルセロナより愛を込めて氏は、「ホロコースト問題」を「ナチスとシオニストによる大規模なユダヤ人への組織的迫害事例」とみなしている。れんだいこは、そこまでは断定していないが、これも傾聴に値しよう。 |
ナチと協力して一般ユダヤ人を迫害・虐殺し、あのマヤカシ・ペテン国家であるイスラエル建国の野望を果たしたシオニスト(およびそれを支える米・英・ユダヤの資本)が、ナチがユダヤ人に対して行ったのと同様にパレスチナ人を迫害・虐殺することは、極めて筋が通り極めて自然のことです。そしてそれに対する世界中の非難を封じ、欧米各国を逆らえないように縛り付け、ドイツとオーストリアから資金を巻き上げる目的で、ナチとシオニストによるユダヤ人迫害を、変容させ捏造した『神話』こそが『ホロコースト』に他ならない、と私は確信します。その結果世界各地で「ホロコースト産業」が大いに潤う、という副産物も生んでいます。 |
![]() |
バルセロナより愛を込めて氏は、「イスラエル建国過程」に疑義を提起している。これは至極当然の歴史観であろう。この経緯の不正が「パレスチナ人の迫害・虐殺」を生み出しているとの見方も提起している。これも至極当然の歴史観であろう。 |
たまたまホロコーストがあったからうまくそれを利用している、などという理屈は信用できません。ロスチャイルド、英米政府、シオニストにとってイスラエルの建国は第2次大戦前からの事実上の決定事項であり、シオニストとそれを支える英・米・ユダヤ巨大資本(ナチを産み育てた!)が、アラブ人が大勢住んでいる所に国を作ればどうなるのか、そこに人工的に国を作り維持することがどれほど困難で費用がかかる大事業であるのか、を予想できなかったほど頭が悪かった、とでもいうのでしょうか。
実際に『ホロコースト』を否定されて最もヒステリックになるのは、こういった「受益者」たちでしょう。これがこのペテンの最たる証明です。彼らはこのマヤカシ・ペテンがばれてイスラエルの存在理由と利益を失うことを心底恐れているのです。それを守るためには謀略でも社会的抹殺でも人殺しでも何でもやるでしょう。冷静に彼らの言動をご観察ください。彼らが「正直者」だと思いますか。シオニストと深い親交がありアウシュビッツを最も良く知るアイヒマンを、全力をあげて探し出しさっさと殺してしまったことが、逆に彼らの正体をさらけ出しています。 |
![]() |
バルセロナより愛を込めて氏は、「ホロコースト神話の受益者」について指摘している。この観点も鋭い。 |
もちろん、「これではガス室が無かったという根拠にはならないじゃないか」「数多くのガス室の証拠があるじゃないか」と言われることは分かっています。ただ、はっきり言いまして、証拠や証言などは『金力・権力・情報力』を手にする者にとっては造作も無く作り上げることができる、『金力、権力、情報力の三位一体神』は、あらゆる嘘とデタラメを「真実」に作り変える、このことは現在私の目の前で繰り広げられている事態の中で、私の神経に刻み込まれていることです。 「そんな乱暴な!」と言われることも覚悟しています。しかし「証拠があって筋が通っているから信じる」というのもまた同様に「乱暴」ではないですか。その「証拠」なるものが本当に信用できるものかどうか、私には確かめようがありません。私は何に対しても疑います。歴史の探求は自然科学とは異なり実験によって確認できるものではありません。一つの事柄がどのような意図によってどのように成し遂げられたものか、は、その以前にどのような動きがあり、それ以降誰によってどのようにそれが利用され、どのようなことが流布され、どのようなことが隠蔽されてきたのか、の検証によってしか、判断できないものである、と思っています。 知性や論理というもの自体はニュートラルであり、優れた知性や論理は強力な武器になります。だから「理屈と膏薬はどこにでも張り付く」というのです。問題は、その知性や論理を信用するかしないか、ではなく、その知性や論理という武器がどこに置かれてどこに向けられているのか、ということです。私は、数々の証拠を挙げて精緻を極めた理論で武装している、というだけで、それを信用するようなお人好しではありません。 シオニスト=イスラエルという基地の中に置かれ、世界中の人間に向けられる「知性や論理という武器」を私は決して信用しない。同様の方向性を持つ世界中の非ユダヤ人の知性や論理を私は絶対に信用しないし、憎悪し軽蔑します。(ただし参考にはします。)そしてそれに警告を発する人の知性と論理は尊重します。(信じるのではありません!ご注意を!あくまでも自分の頭で考える参考にするだけです。) |
![]() |
バルセロナより愛を込めて氏は、「ホロコースト神話の数々の証拠」に対して、「金力、権力、情報力の三位一体神」側による捏造プロパガンダの可能性を指摘している。「全てを疑う精神」において、「勝てば官軍論理による理屈」の可能性に対する詮議をせねばならない、「私は、数々の証拠を挙げて精緻を極めた理論で武装している、というだけで、それを信用するようなお人好しではありません」と云う。なかなかの指摘である。 |
再度申しますが、世界を揺るがし歴史的な動きに影響を与えるような裁判を、こそ泥や一般の事件における裁判と同一視してはなりません。こそ泥事件での証拠と、そのような政治的意図が絡む裁判での「証拠」は全く意味が異なるのです。これがどうしても分からないような人とは、私は話しもしたくありません。 以上のことから、私は「このホロコーストこそは、ナチ・シオニスト連合によってなされたユダヤ人迫害が、ニュルンベルグのペテン裁判で変容させられ『神話化』された、史上最大の大規模集団洗脳である」と確信します。 |
![]() |
バルセロナより愛を込めて氏は、「ホロコーストこそは、ナチ・シオニスト連合によってなされたユダヤ人迫害が、ニュルンベルグのペテン裁判で変容させられ『神話化』された、史上最大の大規模集団洗脳である」と確信します、と云う。確かにその可能性が強い。ちなみに、ホロコーストが西洋のそれであるとするなら、東洋のそれは南京大虐殺事件論かも知れない。この二事例は構図と仕掛けが酷似している。 |
[被害者?加害者?] 「被害者」を強調するのは、何もユダヤ人だけの特徴ではありません。ずいぶんと昔の話ですが、私はカトリック系の中学に通っていました。バチカン第2公会議の以前ですので「近代化されたカトリック」以前の伝統的な姿をよく覚えています。その学校でカトリック布教のための行事が行われたのですが、そこで「な、何だ、これは!」と肝をつぶした事がありました。一つの部屋で日本でのキリスト教の歴史を紹介していたのですが、そこにあるのは、キリスト教徒がいかに数多くむごたらしく弾圧され殺されてきたのか、を強調する数多くの絵と説明が、これでもかこれでもかと貼られていたのです。「我々はこれほどにひどい弾圧を受けてきた被害者なのだ。異教徒どもよ。お前たちは野蛮な弾圧者、加害者の子孫なのだ。悔い改めて改宗しないと地獄へ堕ちるぞ。」とでも語っているかのような、目を剥くような強烈な絵ばかりでした。 さすがに現在ではこのような手を使っての布教はしないでしょうが、当時はこれがローマ教会の方針だったようです。確かにキリスト教徒たちは日本で非常に激しい弾圧を受けました。しかし、実際には彼らは植民地化の尖兵であり、数多くの日本人を奴隷として、特に性の奴隷として欧州や植民地に売り飛ばし、神社仏閣を焼き払い僧侶を殺害してきたわけです。世界規模で見た場合には何の説明の必要も無いでしょう。 自分たちが歴史の、加害者であることを隠して、「被害者」であることだけを強調し、「加害者」の子孫を支配し従属させるこの卑劣な手法は、伝統的カトリックの特徴なのでしょう。その行事では日本での迫害以外に、ローマ帝国の数々の弾圧を描いた絵と解説、それにもめげずに信仰を広めたキリスト教徒の姿を紹介した資料などが、所狭しと並んでいました。スペインの教会の宝物館や美術館の中世美術の部屋には、「こいつら、SM趣味か」と思うほどのカトリックの聖人たちに対する拷問と殺害の絵であふれています。 |
![]() |
バルセロナより愛を込めて氏は、「キリスト教世界における殉教論」の報復的加虐構造を指摘している。これもまた傾聴に値する。 |
そもそも教祖のイエス・キリスト自身が「人類の罪」を背負って貼り付けにされた「神の子」、歴史最大の「被害者」。その教祖と迫害の「被害者」である聖人たちに帰依し一体化することは、その「被害」を自らのものにしていくことでもあります。子供のころから無言のうちに刷り込まれる被害者意識は、団結の元になると同時に異教徒に対する残虐さに容易に転化していきます。そして地獄へ堕ちる恐怖がもはやそこから離れられなくさせてしまうのでしょう。 |
![]() |
バルセロナより愛を込めて氏は、「キリスト教世界における殉教論」の始発を「イエスキリスト殉教論」に求めて根拠としている。れんだいこの見解は少し違う。「イエスキリスト殉教論」の本来の意味は、イエス在世当時の宗教的支配権力であったユダヤ教の神殿教学に対する殉教であり、今日的にはまさにネオコン的論理に立ち向かい捕捉され処刑されたものではなかったか。 イエスのひながたは、異教徒に対して加虐的に向うものではなかった、むしろこの方面では諸民族の絆としての「愛の平和」を説いた、それを妨げ報復主義を公然と掲げ説法するユダヤ教義と全面的に対決し果てた、と思料している。 ということは、考え抜かねばならないことは、そういうイエス教義の変質過程であろう。この「イエス教義の変質過程」の解析抜きに、イエスキリスト教が報復性加虐論理を内包していると見立てることにはれんだいこは反対である。 |
「被害者」を強調するこのような手口は、ユダヤ教徒というよりはむしろキリスト教徒にこそ、その起源を求めるべきでしょう。2001年の9・11の直後、たまたま読んだ日経新聞欧州版の記事に、一人のアメリカ女性が「おお神よ。どうしてアメリカだけがこんなに苦しまなければならないのでしょうか。」と叫んだ、という内容の記事が載っていたことを思い出します。アメリカだけが!!?? 自分たちがベトナムに対して、パレスチナに対して、イラクに対して、ユーゴスラビアに対して、紛れも無い加害者であったことはケシ粒ほども心に無く、「自分たちだけが被害者なのだ」と叫ぶこのド神経! しかしこれこそがキリスト教の深奥に隠された秘密なのでしょう。 シオニストたちは、ユダヤ教の教義もあったのでしょうが、むしろこのキリスト教徒の手法を学んだのかもしれません。あるいは、ひょっとしたら本当の『神話作り』の仕掛け人はキリスト教徒なのかもしれません。 |
![]() |
バルセロナより愛を込めて氏は、「イエスキリスト教義の報復性加虐論論」について、ユダヤ教義よりもより根源的であり、「シオニストたちは、ユダヤ教の教義もあったのでしょうが、むしろこのキリスト教徒の手法を学んだのかもしれません。あるいは、ひょっとしたら本当の『神話作り』の仕掛け人はキリスト教徒なのかもしれません」とまで云う。ここは転倒しているように見える。れんだいこは逆に、キリスト教がいつの間にかユダヤ教的報復性加虐論論に親疎していった経緯をこそ踏まえたい。 |
大規模な集団洗脳を施す際には、まず被害者を作ること、次に恐怖と怒りを掻き立てて被害者以外の人間を被害者の回りに誘導し従わせることが続くでしょう。そして、最もたちが悪いことは、「被害者の味方」となることによって自分の立場を作り強化し、他を屈服させようとする人間の登場です。最初は単純な恐怖と義憤からなのでしょうが、それによって自らの立場を作り上げた瞬間、それを失うことへの恐怖感も伴って、もはやその地位から離れることが不可能になる。 そして次々と洗脳作業に従事する以外にできなくなる。いま私の目の前で繰り広げられていることです。そして日本でもこの種の人間たちが大学教授や評論家として社会的地位を作り、懸命に新たな洗脳作業に突っ走るわけです。これが、私が最も軽蔑する種類の人間なのです。 |
![]() |
バルセロナより愛を込めて氏はここで、安上がりの正義を説く「ホロコースト洗脳作業の従事者」達を批判し、「日本でもこの種の人間たちが大学教授や評論家として社会的地位を作り、懸命に新たな洗脳作業に突っ走るわけです。これが、私が最も軽蔑する種類の人間なのです」と述べている。同感である。 |
私は以前いわゆる「左翼」と呼ばれる範疇に属していましたので、「抑圧される人民」の「味方度」を競ういやらしさには反吐が出るほど付き合わされました。「もう二度と御免だ」とそこから離れ、最終的には日本を飛び出しました。だから今のスペインと世界の状況については非常に敏感にその異常さを感じ取ることができるのです。 言うまでも無く、『ホロコースト』が「歴史的事実である」と信じて疑わない人たちは上記の人たちです。この人たちは他の出来事に関しても驚くほどマスコミの誘導に乗ってきますね。例えば、この種の人たちが9・11や3・11を根本的に疑う発言をしているのを、私は見たことが無いのですが。まあ、真っ先に洗脳されて、他人に強制的に同じ洗脳を施すような生き方しかできないのでしょう。これが私の言う「脳細胞を破壊された田吾作知識人」です。(知能指数だけは高い。だから余計たちが悪い。) ただし、阿修羅投稿者の中には、このような人は少ないでしょう。「肯定論支持者」といっても、その多くがこんなたちの悪い知識人の理屈をうかつにも信じ込んでいるだけだと思います。 |
![]() |
バルセロナより愛を込めて氏はここで、「田吾作知識人」について言及している。この表現は的確で面白い。 |
[ユダヤ人] 私はユダヤ人には大きく分けて3種類いると思います。一つ目はロスチャイルドを筆頭とする支配者たちです。日本にかかわりが深いとすれば、例えば日露戦争で日本に多額の「援助(実際には投資)」をしたヤコブ・シフが有名ですね。ユダヤ人を敵視するロシアに被害を与えるため、という面もあったでしょうが、その資金力と政治力で戦争をたきつけ、その結果、多数の両国の兵士たちが命を落としたわけです。これが日本にとって良かったのか悪かったのか、の議論はさておき、彼らは政治あるいは経済的目的のために、国々を誘導し戦争を煽ることを普通のことと心得ています。私は残念ながらまだこの種のユダヤ人とは知り合っていません。 第2には、被支配階級で、迫害に対する怯えを常に心の奥に持ち続け、実際には何の関わりの無いことにでも細かく反応して「人種主義者のユダヤ人に対する嫌がらせだ」と叫ぶタイプです。私が知り合った中にもいます。こういう人は苦も無く囲い込まれ誘導されていくでしょう。この人たちに対しては、今の所、何もしてやることはできません。ある地点からはもう筋道など通らなくなってくるからです。 第3に、やはり被支配階級ですが、被害者意識は薄くできる限り現在住んでいるところに溶け込もうとして努力するタイプで、ユダヤ教にもほとんど関心が無い、一人の人間として誠実に生きることを心がける人々です。私の知り合いにもいます。ただ彼らにしても「ユダヤ人だ」ということでの圧迫に対する恐怖が無いわけではなく、私が日本人だからかなり安心してユダヤ人であることを明かして付き合っています。しかし私はできる限りあまり微妙な話はこっちからはしないようにしています。彼らが自ら言い出せば別ですが。 しかし私は、「私はあなた方かわいそうな人たちの味方だ(思ってもいませんが)」などという態度は、決して彼らには取りません。第2のタイプの人たちはここを先途とばかりにこっちを巻き込みにかかりますし、第3のタイプの人たちにとっては迷惑な話でしょう。彼らは自立していますから、逆に「何か意図があるんじゃないのか」と疑うことになると思います。お互いにここでは「異邦人」の立場ですから、助け合うときには助け合いますし、他のことにはお互いに一切入り込みません。これでいい、と思っています。 |
![]() |
バルセロナより愛を込めて氏はここで、「ユダヤ人三タイプ論」について論じている。第一型は「ロスチャイルドを筆頭とする支配者たち」、第二型は「被支配階級で、第一型を取り巻く支持者たち」、第三型は「被支配階級で、ノンポリ派の者たち」という風に仕分けしている。これも傾聴に値する。 |
[最後に] 以上です。それにしても、日本とイスラエルは第2次大戦後に作られた『神話』で支えられているペテン・マヤカシ国家という共通点を持っているようです。そういえば報道の自由度も同じくらいに低いようですし。(イスラエルの方がもうちょっと低かったかな。)国家はみな『神話』を持ちマヤカシの部分があるのですが、この二つの国は特に強烈だな、という感じがします。 私は根っからの個人主義者ですから、他人に考えを押し付けられることは大嫌いですし、自分の考えを他人に押し付けることもしません。ただし他人から触発を受ける事はあります。私から触発を受ける人がいてもいなくても、それで結構。私に対して何をどう思っていただいてもそれはそれで結構で、私は私の発言をするのみです。自分が何を発見し何を思い何を語りそれがどう変わっていくのか、は、結局はすべて個人の作業であり責任ですから。(まあ、こんな自分勝手な性格しているから、日本人の中よりもスペイン人の中での方が住みやすいのですがね。) |
![]() |
バルセロナより愛を込めて氏は、「日本とイスラエルは第2次大戦後に作られた『神話』で支えられているペテン・マヤカシ国家という共通点を持っているようです」と云う。「言論の自由」の低さも指摘している。言論に対する個々の自律した責任発言を求め、それの保障される世の中を是としている旨を開陳している。 |
【「大規模集団洗脳の現場報告(1)3.11判事、涙の名演技:被害者が加害者に作りかえられる瞬間」】
バルセロナより愛を込めて氏の2005.27日付投稿「大規模集団洗脳の現場報告(1)3.11判事、涙の名演技:被害者が加害者に作りかえられる瞬間」から学ぶ。 |
私は、対イスラムテロ戦争が進行中の、「イスラムテロリスト」と「反ユダヤ主義」に対する『異端審問』『魔女狩り』が本格化しようとするヨーロッパで、ニュースに接するたびに身の毛のよだつ思いを禁じえません。この現状を少しでも多くの日本人に知ってもらいたく、以後、『大規模集団洗脳の現場報告』というシリーズを阿修羅に投稿し続けたいと思います。 このシリーズの命名は今までの私の投稿をご覧の方はピンと来られるでしょう。「なんと大げさな!」「何たる妄想!」と笑う人は、どうぞご自由にお笑いください。将来にその笑い顔が引きつっていく姿が目に浮かびます。(ただしもしその人が多少とも自分の目で見て自分の頭で考える力のある人なら、ですが。) ******************************************************************************** (1)3.11判事、涙の名演技:被害者が加害者に作りかえられる瞬間 ●まずは2005年2月3日付のエル・ムンド紙(電子版)の記事からである。3・11事件担当判事フアン・デル・オルモは「3・11被害者の会」と直接の対話をした。この記事の主要部分を翻訳してお伝えしよう。(無論、TVニュースでも取り上げられた出来事である。) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『デル・オルモ判事、3.11被害者の前で感涙、「裁判所が多くのことに対して返答するだろう」』(エル・ムンド:2005年2月3日付) マドリッド : 「ラウラ、裁判所は多くのことについて返答するでしょう。このことについてあなたに疑問を抱かせないように。我々が個人的に、ではなく、総力を挙げてやり遂げるつもりです。あなたのために、そして未だ苦しんでいるすべての人のために。」ここで3・11事件捜査主任判事フアン・デル・オルモは声を詰まらせた。あの虐殺事件の被害者の一人に対して、イスラムテロについての討論会での発言の最中に、である。 車椅子に座ったラウラ・ヒメネスに加え、そのときには大勢の人々が判事の話を聞いた。その中には同様にこのテロ攻撃の犯行責任の解明を行う裁判担当の判事オルガ・サンチェスがいた。 判事はこみ上げる思いのために数秒間話を中断せざるを得なかった。そして次のように続けた。「我々は感情的になることに耐えなければなりません。そして続けなければなりません。(…)スペインのシステムは3・11の前も後も機能していました。同じ方法と専門家で、そして同じ法と裁判のシステムでです。かつても機能していたし今も機能中です。我々は保障を与え法を適用します。好むと好まざるとに関わらず、法を適用しこれを行い続ける準備ができています。」 【後略】 身の毛のよだつ瞬間である。「可愛そうな人たちの味方」ほど強いものはいない。こうやって「被害者の味方」が『9・11=3・11=イスラム・テロ』の「聖なる方程式」の守護者となっていく。こうやって被害者が、でっち上げられた「イスラム・テロリスト」と何も知らない下層イスラム教徒に対する加害者に、変身していく。 情報の力によって「イスラム・テロ」「イスラム・テロ」の刷り込みが何百回、何千回となく人々の脳みそに施されていく。それに疑問を持つ者には「可愛そうな人たちの味方」によって「可愛そうな人たち」の敵対者というレッテルが遠慮容赦なく貼られていくだろう。この3・11担当主任判事フアン・デル・オルモの打った「涙の名演技」は、司法・捜査当局をスペインの絶対権力者に仕立て上げていくだろう。 数年前アスナール国民党の下で「テロ被害者の会」が結成された。これは主としてETAのテロで傷ついた人々と死亡した人々の家族によって構成されるものである。今までのテロ被害者には国家から見舞金が支給されたが、その中にはフランコ独裁政権を長年にわたって支えたカレロ・ブランコも含まれる。もちろんのことだが、国家(ゴンサレス社労党政権と諜報機関)が組織した反ETA組織GALによって殺されたETAメンバーは含まれていない。 これに加えて「3・11被害者の会」が結成され、一応「テロ被害者の会」には属しているが、ここでは社会労働者党の側が主導権を握る。左右両派が「被害者」を味方につけるのに懸命なのだ。「被害者の味方」が水戸黄門の御印籠にも等しい絶対的な力で論争相手を説き伏せる武器になることを知っているからである。 『金力・権力・情報力』の三位一体神は、あらゆる嘘とデタラメを本物で聖なる『神話』に作り変える。この『神話』がまず「被害者」を囲い込み、それを通してその他の人間集団を理性も観察力も失った羊の群れとして動かす万能の武器となる。まさに現代の錬金術、現代の黒魔術に他ならない。 ●19人(あるいはそれ以上)の武器を持ったテロリストがあらゆる検査を潜り抜けて一人もチェックされること無く飛行機に乗り込んで乗っ取りに成功し、飛行機操縦免許取立てのド素人が大型旅客機を極微小の標的に3機たて続けに命中させ、ニューヨーク上空はおろか国防総省上空すら防空体制が空っぽになり、高層ビルの鉄骨を破壊するまでに高温になったはずのWTCビルの残骸から発見された「テロリストのパスポート」が証拠として採用された、あの9・11。 満員の駅で十数名の大きなカバンを持った男を目撃した者がほぼ誰もおらず監視カメラにも映らず、「携帯電話起爆装置」についての捜査当局の説明はコロコロ変わり、『証拠見せびらかしの一軒家』が「犯人」が出た後になって捜索され、爆死事件で「実行犯」がすべて抹消されて口が封じられ、「もう一つの盗難車」「3年前の密告テープ」などの捜査当局の都合が悪くなったときに「偶然に」新たな『証拠』が登場する、などなど、通常の刑事事件なら捜査当局への告発と疑問が続出するはずの3・11。 そしてこの2つのインチキ事件をつなぐ一本の筋が「イスラム・テロ」なのだ! その裏でつながる筋は石油利権と「一つの世界秩序」へ向けての社会再編成の意図である! 3・11マドリッド列車爆破事件は、9・11「連続テロ事件」を『対イスラム・テロ十字軍神話』として定着させるために仕掛けられた、大規模国際謀略に他ならない。9・11の「完結編」、『金力・権力・情報力』を総動員した大量集団洗脳に他ならない。この点については、昨年来私が阿修羅投稿を通して具体的にその経過をお知らせしてきたとおりであり、いまここで一つ一つを繰り返すことはしない。 しかしこのような理性的な筋道は、心情的に「テロ憎し」に凝り固まった被害者の多数派に受け入れられることはあるまい。そして「テロ」の恐怖におびえるばかりの無知で従順な人間たちの関心を引くことはあるまい。人間は自分が信じたいことを信じるのだ。恐怖と怒りを刷り込まされ心を閉ざした人間たちにとっての唯一の救いは、その恐怖から逃れさせてくれる、と信じさせてくれる「権威ある人々」を信じることだけである。その「テロ」の正体が何であれ、その「権威ある人々」の正体が何であれ。 洗脳は、恐怖・怒り(義憤を含む)・欲望(救いを求める願望を含む)・無知をベースにして、実行されていく。洗脳された人間がどれほど知的な装いをみせていようと、その根底にあるのは、恐怖・怒り・欲望・無知に他ならない。 フアン・デル・オルモの「涙の名演技」は、これらの人々にとってまさに「救世主」の姿として映ったはずだ。「何があっても裁判所を信じる」「イスラム・テロ憎し以外は受け付けない」強烈な信念が、こうやって被害者の中に形作られていく。 そして、恐怖からか義憤からか欲望からか、その「被害者」の味方をすることによって自らを権威付け、真実を排斥し、「イスラム・テロ」を否定する人間を「被害者の敵」として、現代の異端者・魔女として狩っていく人間集団もまた同時に形作られる。 このようにして『9・11=3・11=イスラム・テロ』の方程式が、『現代の神話』として確立されていくのだ。私はいまその現場に立っている。 ●スペインにはもう一人、バルタサル・ガルソンという名物判事がいる。2001年の9・11直後からスペイン(例のモハメド・アタが、3・11の「司令塔」とされるアメル・アズィズィやラムズィ・ビナルシブと「最終打ち合わせ」をしたと言われる場所)での「イスラム過激派狩り」に狂奔してきた現代の異端審問官である。 ガルソンは同時に、ETAのテロリスト、およびその周辺の人物を次々と逮捕・起訴し、常に「テロ」と戦い続ける現代スペイン最大の英雄なのだ。 そのガルソンがこの2月4日に自らの「ETAとの闘い」の歴史を著した『恐怖の無い世界』(原文"Un
mundo sin miedo")を出版し、すべてのマスコミ総動員で宣伝を始めた。ところがこれに判事の一人エドゥアルド・フンガリニョが「最高裁判所の秘守事項を明らかにしてしまっている」とクレームをつけた。すると間髪いれずに国家判事総長のコンデ-プンピドが「根も葉もないこと」と激しくフンガリニョを叱責し、口を封じてしまったのである。 このような大切なことは通常なら2、3日でもかけて調査してから結論を出すべきことと思うが、英雄ガルソンに対する批判は一切許されない。このコンデ-プンピドという判事局最高責任者こそ、現代欧州社会の深奥につながる人物である。(スペイン語でコンデとは伯爵を意味する。欧州社会を裏で支配する貴族階級の一員かもしれない。) ガルソンは元々社労党筋の人間である。そしてゴンサレス政権の終盤に、ゴンサレスに自分を法務長官にするように(将来の首相の地位を狙う野望もあったと思われる)自己推薦したのだが、ゴンサレスに冷たくあしらわれて古巣の判事局に戻った。そして、ゴンサレス政権が諜報機関や国家防衛隊と組んで右派テロリスト組織GALを作り操っていたことを暴露した。これが、経済政策の失敗などで国民の支持を失いつつあった社労党政権の命取りになった。 そのガルソンが再び左派の支持を得た(とは言わないまでも少なくとも敵意を消した)のは、1998年の「ピノチェット起訴」において、である。しかもヘンリー・キッシンジャーを参考人として要請する、という離れ業までやってのけたのだ。なお、いったん英国政府の「超法規的処置」で帰国を許されたピノチェットは、現在チリで過去の悪業を裁かれようとしている。アルゼンチンのビデラにしても同様だが、しかしこれがトカゲの尻尾切り、茶番に過ぎないことは、本物の極悪人であるキッシンジャー、ニクソン、サッチャー、オプス・デイが決して起訴されないことを見ればすぐに分かることだろう。いい加減ボケのきたピノチェットの頭では自分の傀儡子を暴露するだけの知恵も浮かぶまい。このガルソンによる「ピノチェット起訴」が彼らの許可を得て行われたことは言うまでもないことだろう。 ガルソンとデル・オルモのいる判事局こそ、現在のスペインの英雄であり『神話』の主人公なのだ。そしてサパテロがそのチンドン屋を務め、アスナールが珍妙な「自作自演テロ」説で道化役として側面援助に励んでいる。 ●その一方で逮捕された「テロ容疑者」たちは、グアンタナモにも勝るとも劣らない悲惨な境遇に置かれている。自らの弁護士を呼ぶことはおろか、当局に割り当てられた国選弁護人に接見することすら許されない。劣悪な環境の下で肉体的・精神的に追い詰められる。次の新聞記事の見出しだけでも見てもらいたい。 弁護士を呼ぶことが可能な一般犯罪での囚人ですらこの状態である。昨年11月に9・11で最初の判決を受けた16才の少年がどれほどの精神的拷問と洗脳を受けたのか、知りようも無いが、この子供を一切の正当な裁判手続きを省略して判決第一号に選び、その後に続く他の逮捕者の裁判の結論を早々と決定づけた狡猾で残忍な知恵が、この事件の奥深さをよく表している。 2005年に入っても3・11関連の逮捕ラッシュはとどまる気配を知らない。2月1日にはブリュッセルで指名手配中の「欧州アルカイダのスポークスマン」ユーセフ・ベルハジ(Youssef Belhadj)が逮捕された。同じ日にマドリッド近郊レガネス市でモロッコ人一家四人が逮捕された。うち子供二人が拘置所に送られている。翌日の2月2日にはマドリッドで新たなモロッコ人ラチド・ベンドウダ(Rachid Bendouda)が逮捕された。そして3日にはアフリカ大陸にあるスペインの都市メリリャで市内に住むモロッコ人ラチド・モハメド・カッドゥル(Rachid Mohamed Kaddur)が逮捕されたのだが、警察発表によると、彼は3・11の前日に先ほどのラチド・ベンドウダと一緒にマドリッド市内で、レガネス市で爆死した「実行犯」の一人アブデンナビ・コウンジャア(Abdennabi Kounjaa)と会合を開いた、ということである。 それにしても、いつものことではあるが、逃げも隠れもせずにのんびりと「犯行現場」近くに住み続けるノーテンキな「テロリスト」もいたものである。ラチド・モハメド・カッドゥルなどマドリッドからメリリャ市の実家に帰って住んでいたところ「逃亡を図った」として逮捕されたのだ。「テロリスト」を逮捕するのではない。逮捕されたから「テロリスト」とされるのである。 ●繰り返す。『金力、権力、情報力の三位一体神』は、あらゆる嘘とデタラメを「真実」に作り変える。まず戦争やテロ事件や騒乱等々を引き起こして「被害者」を作り、「被害者」を囲い込むことによって、世界中の愚か者たちが、恐怖と怒りと欲に突き動かされて、情報メディアの指示するままに、集団的に洗脳されていく。「ホロコースト」しかり、湾岸戦争しかり、バルカン紛争しかり、9・11しかり、3・11しかり。 私は今後、バルセロナから日本に向けてこの大規模集団洗脳の進行状況を実況中継し続けよう。日本が同じ運命をたどらないように。 |
外野さんへご返答、『ホロコースト』と現代世界について思うこと:あわれな方だ 外野さんへご返答、『ホロコースト』と現代世界について思うこと:あわれな方だ これは下のほうにある私の投稿に対する外野さんからのレス に対する、私からの返答です。例によってはるか下に吹っ飛んでしまいましたので、稿を改めまして、ご返答させていただきます。 ●私は常に、人間の思考パターン、思考方法を意識しています。人間の歴史を作る最大の要因は「法則」でも何でもありません。人間が恐怖・怒り・貪欲・無知といった弱さをかかえ、またそれを逆に手放そうともしないからこそ、その弱さを利用するための最も適した「法則」が作られる。マインドコントロールを簡単に受けてしまう人間の弱さ、その思考パターンが克服されない限り、世界は少数の権力(政治、経済、軍事、知識)を握る者たちによって良いように操られ動かされていくだけでしょう。彼らはそれを「科学的な歴史法則」とのたまう。 外野さんの「感想」を読んでいて、思わず、近代ヨーロッパ医学(幅広い意味で近代科学)を支えている思考パターン(パラダイムの方がいいかもしれない)を連想しました。近代ヨーロッパ医学では、原則として、胃が悪ければ胃を切り取り、肝臓が悪ければ肝臓を直す。咳が出れば咳止めを飲み、熱が出れば熱さましで熱を下げる。挙句の果ては臓器移植。要するにフランケンシュタインの医学です。(シェリー夫人は私とは逆にもっと古い中世的な感覚の名残をベースにして近代的思考に対する恐れを表現していますが。)東洋的に言えば「群盲象を撫づ」の哲学です。 私は優れた中国人の医者と親しくしています。中国医学にも西洋医学にも通じ、骨折の治療に関してその論文が米国でも評価されている、と聞きます。彼は、例えば、腎臓や肝臓を治療するのに、耳、手、足などに針を打ちます。人体が一つの「全体」であり、単なる部分の寄せ集めでは無いことを、伝統と経験と直感を通して知っているからです。今の日本の医学ではどうか知りませんが、例えば、こちらでは捻挫をしたり腱鞘炎にかかるとギプスをはめて上腕を動かないように固定します。私は以前スポーツをやっていましたから、その経験から、こんな方法ではますます症状を悪化させるだけで、むしろ痛くない範囲で動かしながら直すべきだ、と思っていましたが、その中国人の医者も私と全く同じように言い、こちらの病院ではどうにもならない患者に対して即刻ギプスを外させ、針とマッサージでわずかの期間で直してしまいます。腎臓を手足と耳や顔などへの針治療で直してしまいます。 「癌があるから切り取れ」では決して「癌」の撲滅はできません。「足と肝臓障害は無関係だ」では、足に針を打って肝臓障害を治療する東洋の伝統医学は、永久に理解できないでしょう。近代西洋医学で凝り固まった人ならある種の忌々しい「魔術」のように感じるでしょうね。 歴史と世界は決して部分の寄せ集めでは無い。現在生きる我々を包みながら一つの統一された全体として常に動き変化している。「群盲象を撫づ」の哲学ではやがてその全体を巨大な怪物へと変化させ、死に追いやるだけでしょう。 いつもながら前置きが長くて申し訳ないのですが、この点は根本的な問題です。
私の投稿中でも申しましたが、第2次大戦前からイスラエル建国は、それにかかわる米・欧・ユダヤの巨大資本とシオニストにとっては既定事項でした。あらゆる抵抗と批判を排除して人口国家を建設し、維持し、拡大することが、どれほどの難事業であるのか、が分からないほど彼らがノーテンキだった、と考える方なら頭がどうかしています。それを可能にするための最大の武器として作り上げたのが「ガス室」であり「ホロコースト神話のシステム」です。ナチスのユダヤ人(だけではないのだが)に対する大規模な迫害と虐殺という事実の上に、人間の弱さを最高限度にまで利用して集団マインドコントロールを図り身動きの取れない状態を作り上げるために、決定的な駄目押しとしてでっち上げられたのが、このニュルンベルグ裁判の『神話』です。 ナチスの蛮行が事実であるだけに極めて強力な説得力を持ちえます。「ガス室」の話を「事実」として語った上で、例のデタラメ「人間石鹸」を含めて、死体や眼鏡や義足の山の写真、アンネの日記等々を示せば、ほとんどの人間が恐怖と怒りに駆られて(私も以前はそうでした)もはや疑う精神を失い、この神話体系を支える信者へと化していきます。大学教授や評論家などの「神官」がそれらを取り仕切り、アウシュビッツで亡くなった人々(普通の人々にとってはなぜかユダヤ人しか意識されない。特に米国では。)が「聖人」へと化していく。それを疑うこと自体が罪悪とされる。そしてあえて疑いを発言すれば犯罪者とされ、社会的に抹殺され、そう規定する法律の無い場所ではADLの暴力団が乗り込んで脅迫し社会的に抹殺する。 このようなシステム全体を疑う場合、その要を疑うのは当然ではないでしょうか。 外野さんが 『イスラムを持ち出していますが、たとえばパレスチナの問題は「ホロコーストの有無」がはっきりしなければ解決しない問題なのですか? とおっしゃるのを読んで、おもわずため息が出ました。哀れな方だ。まるで、西洋医学を信じ切って効きもしない薬を飲み悪化させるばかりの治療に専念する患者さんを見る思いです。病気よりも怖いのは誤った治療法です。 『911事件もそうです。911事件と「ホロコースト」が何の関係があると?これも「ホロコーストの有無」がはっきりしないと解決不能な事件なのですか?』 不能です。現代史のペテンを根本的に疑う精神の無い人には無理です。ある一線で行き詰ります。ナチスを育て上げニュルンベルグのペテン裁判を演出した人間が現在の米欧イスラエル中枢部とバチバチの網の目でつながっているからです。 そしてもっと肝心なことは、その土台に、いとも簡単に洗脳されて『神話』に嵌められてしまう哀れな人間の巨大な塊が有るからです。それが彼らの戦略を可能にする「科学的法則」を保証するものである以上、この簡単に大規模洗脳を施されてしまう人間の塊を解体する以外に、戦いようが無いでしょう。「馬を射る」ことが「将を射る」ための最大の戦術だ、と思います。『ホロコースト』も9・11も3・11も、同じ「馬」の上に乗っているのです。 3・11に関しては日本では余りにも情報が無いでしょうから、ある意味で仕方が無いですが、3・11は9・11の「完結編」で、二つあわせて「対イスラムテロ戦争」遂行のためにでっち上げられた「テロ事件」です。ここでは詳しい説明は省きますが、疑う目、自分が固く信じてきたことすら疑う、という目を持たない人には、この辺は理解しにくいでしょうね。 それが証拠に、『ホロコースト神話』の神官たる大学教授や評論家たちの中に、「9・11は米国中枢部とイスラエルの演出・実行によるでっち上げ『テロ』だ」と断言している人を、私は見たことがありません。こういったことのすべてが、同じ「将」と同じ「馬」によって作られているからです。 高橋哲哉氏が「反シオニスト」とおっしゃるのであれば、ではその高橋氏がどれほどシオニストについてご研究かな? 特にシオニストとナチス、ファシストとの関係を。そしてそれを一般に公表しておられますかな?(まあ、できるわけはないけど。)東京裁判のペテンを非難する人がニュルンベルグ裁判のペテンについて語らない(まあこれを言っちゃ「人類に対する罪」も疑わなくてはならなくなるから決して触れないだろうけど)のに、「心と戦争」など無いんじゃないか、と思いますが。 ナチを育てた米・英・ユダヤ資本や、ナチ戦犯をニュルンベルグ裁判の主体であった者たちが逃がしかくまっていたことをいくら非難したとしても、そのインチキ裁判で作られた「人類に対する罪」=「ホロコースト」に疑惑の目を向けない、私はこのような態度に対しては「ペテンだ」と申します。「知的怠惰」などというおとなしい問題ではない。はっきりと「詐欺ペテン」と申します。「心」と言うのなら、いとも簡単に洗脳されコントロールされ続ける人間の弱さをこそ何とかするのが知識人の務めでしょう。 日本では、有名な知識人の中には、太平洋戦争終結までは熱狂的な天皇崇拝者、戦争協力者で、終わった途端に平和主義者、民主主義者にサッサと衣替えした者が大勢います。あまり知識人は信用なさらないほうが良いと思いますが。まあ、マユにつばでもつけながら、の方が無難でしょう。
昔は確かにそうだっただろうが20世紀の近代人がそんなことをするはずは無い、と思うならば、それは、「歴史は進歩する」「人類は進歩する」などという迷妄にとらわれているせいでしょう。人間の本質など、2千年や3千年では変わりませんよ。 また、強制収容所(集中キャンプ)の目的は、主に、政治・思想犯を始末すること、ユダヤ人の財産を巻き上げること(これは日系人に対する米国も同様)、ドイツ国内にいてほしくない人間たちをソ連崩壊後に奴隷として使役することであった、と思います。第2次大戦の最大の犠牲者はソ連国民であり、ソ連国民(スラブ民族)こそ「絶滅」の対象でした。 ただそのソ連にしても、米国資本家からの支援で作られ強大化していましたから、「雲の上」ではつながっていた、と見ることもできます。私は独ソ戦についても公式発表の歴史には眉につばをつけて冷ややかに見ています。ナチス憎さのためにガス室の話を誇大に広めた、という説もありますが、初めから出来合いの話だった可能性もあると思っています。 以上、長々となりましたが、私の発言を「晒し者」にしておきます。 |
木田貴常さん、読者諸兄へ:「歴史的事実」と「歴史観」について(ホロコースト観を含む) http://www.asyura2.com/0502/holocaust1/msg/150.html 投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2005 年 2 月 22 日 23:58:17: SO0fHq1bYvRzo 木田貴常さん、読者諸兄へ:「歴史的事実」と「歴史観」について(ホロコースト観を含む) 【この投稿の内容でいえば、本来なら論議板に貼るべきものでしょうが、ホロコーストに関連するやり取りの中から出てきたものですので、こちらに貼らせていただきます。】 私の今までの「ホロコースト問題」に関する投稿には具体的な事実の検証が全く無いではないか、という疑問は、恐らくどなたもがお持ちだろうと思います。もちろん私とて、きちんと論陣を張る場合に、一つ一つの「事実」の検証を踏まえての論証が必要なことくらいは百も承知していますし、やれと言われれば、専門的に研究してきた人々の成果を引用することならいくらでもできるわけですが、どうして私が今現在あえてそれをしないでいるのか、この点について、私には、阿修羅に来訪するすべての人に明らかにしておく責任があります。 これは同時に、単にホロコースト問題のみならず、「歴史的事実」および「歴史観」そのものを再検討し再構築することに関する、私からの意見提示でもあります。例によって長々とした文章ですが、筋を通すためにはいたしかたありません。ご容赦を。
歴史から学ぶに際して、個々の「事実」の検証は通常、我々には極めて困難であり、どうしてもそれを専門に長年かけて追及している研究者の分析・研究の成果に頼らざるを得なくなります。「物証、記録」の実物を我々自身が手にとって調べることは難しく、たとえそれが可能でも科学的な分析手段を持たない身ではどうにもなりません。公表されている記録と記録、それが作成された状況や、他の科学的で合理的な判断との比較検討を通して見落とされている点を発見することはあり得ますが、これとて一朝一夕でできるような作業ではないでしょう。 では歴史の「全体の構図」は、というとこれも単純にはいきません。物理的な3次元空間と時間に、物と価値の流れと変化、人間の利害や意図や幻想まで加わって複雑怪奇にからみ合い、過去から現在への様々な物事の流れが網の目のようにつながり、それだけを独立させて取り扱えるような事項など一つとして存在しません。さらにそれを研究し解釈する者もまた利害関係や意図や幻想を持った人間です。その部分は愚か、全体像を捕らえることも決して容易なことでは無いようです。 ところで、人々の共通の認識という土台を必要とする社会や国家においては、教育や宗教、啓蒙活動などを通して一つの「歴史観」が子供のうちから各人に植えつけられることになります。教科書や参考書にはその「歴史観」に沿わせて細部の事柄の情報が組み込まれ、学ぶ者はそれを「歴史的事実」として繰り返して覚えこみ、それを通してその「歴史観」の枠組みが脳に埋め込まれていき、それなりの「全体の構図」が各人の意識の中に形作られます。これが私の言う「受験勉強」です。いったんこの「歴史観」が作られますと、各人の脳はその枠組みに適合する情報のみを受け入れ、それに合わない事柄は偽物として自動的に排除されます。 この排除が意図的・組織的に行われることもありえます。例えば第2次大戦前に日本の考古学者たちは1万年以上前の地層に突き当たると「無駄だから」という理由で発掘を中止し、旧石器時代の遺跡発掘の可能性を封じていた、と言われます。こうして彼らは「起源は2千6百年」の『歴史観(=神話)』作りに加担していたわけでしょう。 このようにして作り上げられた頭脳は、その「歴史観」と矛盾しない、あるいはそれをますます打ち固める性質を持った出来事や情報、見解などに対して、極めて簡単にマインドコントロールを受けやすいものとなります。いってみれば、我々は誰でも大人になるまでに「教育」という名の集団洗脳を受けてきているわけです。 これが現在および未来の我々自身にとってさほど重大な危機をもたらさないのなら、大した問題は無いでしょう。どのみち人間は幻想や思い込みなしでは生きていけない動物なのでしょうから。しかしこれが危機と破滅に我々を導きかねないものであるなら、何としてもその「洗脳状態」にある我々の脳をそこから解放していかねばなりません。ではそのような判断と洗脳を解く鍵はあるのか。私は、それは「現在の世界に対する危機感」しかない、と思います。いま現在生きる我々自身にとって歴史認識こそ最重要の課題です。 私がことあるごとに9・11を引き合いに出すのは、これが現在に最も近い「大規模集団マインドコントロール」の実例だからです。(私にとっては3・11ですがここでは申しません。)私はこれを「リトマス紙」として用います。あの事件に対して、少なくとも「イスラム・テロにしてはおかしな話だ」「どうも当局やマスコミの言うことは信用できん」と表明しない人が語る「歴史」には信用が置けないわけです。 それはその人の論のディーテイルではなく全体の構図に対する不信感です。もし9・11を根本的に疑うなら同時に今までそれにしがみついてきた「歴史の全体の構図」そのものをも疑わなければ矛盾になる、ということに気付いているからこそ、9・11への疑念を持てない、持っても表明できない。そんな人の「各論」がどれほど詳細を極め厳密な検証がなされていようと(その研究自体の努力と個々の成果は尊重します)、それで結局は何を言いたいのだ!ということになります。 自ら構築することの極めて困難な「歴史の全体の構図」でも、逆に、「現在の世界に対する危機感」をきっかけに今まで与えられてきた「歴史観」を見直し作り直していく作業の中から、徐々に明らかにされうるものである、と考えます。
私も以前はホロコーストの存在を疑いませんでした。発表される死者の数が減ったとか「人間石鹸」が話題に上らなくなったとかを、どこかから聞きかじり「はて、奇妙な?」と感じても、それでアウシュビッツを疑う気にはなりませんでした。しかしそれがパレスチナ人に対する虐殺や破壊や残虐行為とどう繋がるのかどうにも説明がつかず、要するに、ユダヤ人というのはホロコースト被害者であったことを武器にして資金を集め今度は加害者となって誰にも文句を言わせない、その程度のさもしい根性のやつらだったのだ、と考えることで自分で自分を納得させていました。 そのような見方が崩れたのは2001年9月11日がきっかけです。そんな馬鹿な!大勢の人間がこんなに簡単に誤魔化されてしまうのか! どんな脳ミソしとるんだ? ひょっとするとひょっとして、今までもこんなペテンの歴史だったのか? 自分が今まで信じてきた「歴史」は正しかったのか? 誰かに脳ミソをいじくられていたのではないか? 「奇妙な」と思っても植えつけられた『歴史観=神話』に合うように恣意的な解釈をして無理やり納得してきただけではなかったのか? もっとも実際には、ここまではっきりと「正史」に対する疑念が形になるまでにはその後2年くらいかかりました。しかし、一つ一つを取り出して「本当は何だ?」と問おうにも情報があまりにも少ない。私が自分の部屋にインターネットを引いたのが、イラク戦争がなし崩しの「アメリカ勝利」に終わって数ヶ月たった、わずかに1年半ちょっと前のことです。私の本格的な勉強のし直しはそこから始まりました。
しかしそのようなとらえ方は本当に正しかったのか? いま実際に「自由」と「民主主義」の名の下に重大なペテンと大虐殺が展開されているではないか! そして世界がそれに成すすべも無く引きずられているではないか! 何か重大なことが見逃されてはいなかったのか? その自分の歴史観に対する見直しの過程で出会ったのが阿修羅でした。 私は現在、20世紀の「自由vs独裁」「民主主義vs全体主義」「共産主義vs資本主義」等々の構図を根本から疑い、個々の「歴史的事実」と今まで「正史」から無視されてきた記録を比較・検討しながら認識の組み建て直しをやっている最中です。そのうちスペイン近代史と現代カトリック史の一部については現時点でまとめてみたことをすでに文章化し公表しています。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ http://www.asyura2.com/0406/bd37/msg/541.html http://www.asyura2.com/0401/war48/msg/134.html 『真相の深層』誌 2004年 第3号 もちろん私が延々と阿修羅誌面に送り続けている3・11に関する報告も、すべてこういった「歴史の全体の構図」そのものの見直し作業の一環なのです。(お断りしておきますが、ホロコースト問題のみならず、私の作業の一つを否定しようとするならば、上記の作業全体を否定してかかる覚悟でお臨みください。すべては一体のものです。) そして言うまでも無く、「ファシズムvs自由の闘い」の延長線上に必然的に「ホロコースト」が立ちはだかってます。私が木村愛二さんや他のレヴィジオニストたちの情報に出会うまでには、私の中のアウシュビッツはすでに崩れていたのです。では本当はどうだったのかは見当がつきませんでしたが、それまでの歴史観の構図とともにホロコースト観も「仕切り直し」状態になっていたことに間違いありません。 延々と私自身のことを引き合いに出してきましたが、私は「現代の大嘘」に気付いたことがきっかけで様々な「過去の大嘘」にたどり着きました。逆に「過去の大嘘」から「現在の大嘘」に眼を向けた人もいるかもしれません。どっちにしても、現在に対する意識が鍵になるはずです。
後者の中には「左派」「右派」などの派閥があり、いずれもそれぞれの立場から「自由vs独裁」「民主主義vs全体主義(あるいは共産主義、帝国主義、等々)」といった対決を唱え、そのどれもが自分を「抑圧を受ける人々の味方」と称して他を敵と見なすわけですが、中にはもはや何かに取り付かれた「信者」としか言いようが無いほどその「信念」を凝り固めた人も大勢います。私に言わせればどれも皆同じ掌の上でタコ踊りを踊っているだけなのですが、私は欧州でイヤというほどその実態を見せ付けられています。こういった「歴史観」の狂信者が「右」も「左」もことごとく「ホロコースト信者」であるのは当然のことです。 注意しなければならないことは、一見するとそれとは逆に見える「裏-近代史観信者」とでもいうべき人々がいる事実です。英国などのスパイが組織したネオナチなどがその実例で、これは上の「近代史観」教の補完物に過ぎません。これと同様の例に、私が昨年以来お知らせし続けていますが、3・11に関してスペインでサパテロが組織した「イスラム・テロだった」教信者に対して、アスナールが主導して「謀略テロだった」教をつくりあげ、力をあわせて「9・11=3・11=イスラム・テロ」の神話をでっち上げている事実があります。彼らの共通の目的は、その背後にある利権と「新たな世界秩序」を作り上げようとする大掛かりで邪悪な意図の隠蔽です。私がほとんど孤立無援の状態でこのような情報を日本に送り続けているのは、このような「歴史観」のワナに気付いてもらいたいからです。 このような謀略と、「歴史観の再検討」つまり「歴史の全体の構図」そのものの見直しを進めようとする人たちの動きとを峻別しなければなりません。これにはそれぞれの人脈や金脈に関する研究の他にその微妙な差異をかぎ分ける「鼻」を持つことが必要でしょう。2重、3重に仕掛けられた狡猾なワナを見抜いて突破していかなければなりません。これは本当に自分のすべてをかけた闘いなのです。
個人的に悪意が有る無しの問題ではありません。これがこの「歴史観」自体にかけられた狡猾なワナなのです。このことは決してホロコーストに限りません。私はこちらのネット意見交換サイトで3・11に関して散々に同様の例を見ています。 だからこそ私はまず最初に、私の歴史(および世界と人間)に対する私自身のものの見方や考え方を提示しているわけです。「自分はこうなのだけど、アンタはどんなものの見方や考え方、歴史のとらえ方をする人なのですか?それで良いのですか?」と。「私は私の正体を明らかにする。で、アンタの正体は?」と。これが済まない限り、各論に入っても無意味なだけです。 こうやって私が正々堂々と自分を晒し者にして「自己紹介」をする以上は、相手にもそれに相当する「自己紹介」をする義務がある。これに応答できない人間は、単なる「無礼者」という以上に、何かこれに応えられないやましい理由を持っている、と判断せざるを得ません。私がある人々を「ホロコースト教信者」と、意図して罵る場合、以上に延々と述べてきたような背景があることをご理解ください。 私は、「本を出版してからものを言え」とまでは言いませんが、現在の世界に鋭い危機意識を持ち、従来の「歴史観」に少しでも疑問を持ち、自分が勉強し研究したことに関して筋道の通った責任の持てる長文の文章を、阿修羅なり他のサイトなりで常に公表しているような人がいるなら、現時点での意見や立場の相違に関わらず、議論と呼ぶ価値のある対話ができるのではないか、と考えています。結局、対話や議論は理屈が作るものではなく人間が作るものです。そのような対話・議論の中でなら、他人の研究成果を引用しつつも「歴史的事実」が少しずつでも論証されていけるのではないか、と考えます。
以上です。今後ともよろしくお願いします。 |
新:『:ホロコースト狂信者』 とのレッテルこそ、歴史的事実の検証という態度からかけ離れます。 http://www.asyura2.com/0502/holocaust1/msg/167.html (回答先: 木田貴常さん、読者諸兄へ:「歴史的事実」と「歴史観」について(ホロコースト観を含む) 投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2005 年 2 月 22 日 23:58:17) バルセロナより愛を込めて さん わたしの書き込み 私の1~6までの疑問に逐次お答えいただいてはおりませんが、 あなたがお若い方で、かつ誠実な紳士であることも良く分かりました。 私はいま、 どうかイライラせずに、お待ち願います。
あなたが言うところの20世紀の巨悪、 あたしは、これまでにあなたのような人に何人か会い、 最初は学生時代です。 「世界観ひいては人生観の問題だ。ここで決断するかどうかが君の一生を決めるのだ」 私がその党派に抱いている個々の疑問には答えず、こう括られてしまいます。 古い観念の組織? いやいや、当時の私にはピカピカの新車でしたよ。
「ここでサインをしないと君のあしたはないよ」 つい最近、 こうした、 私と同世代の連合赤軍「兵士」の手記を読んでも どうやら、 では、 生まれたままで変わらなければ人間は、自我も自己も獲得できない。 邪なものが行うから悪いので、 わたしにはその答えがみえません。 「新しい世界観を獲得した者が、高みから見ようとするから不幸が増幅する」 ソ連で起きたこと、カンボジアでおきたこと、
※ もしかしたら桃源郷のような世界観は、絵に描いた餅かもしれないのですから むかし、タイムやライフの米人カメラマンが撮った バルセロナより愛を込めて さん 話がいろいろ脱線してもうしわけありません。 引用をお許しください。 そして言うまでも無く、「ファシズムvs自由の闘い」の延長線上に必然的に「ホロコ 延々と私自身のことを引き合いに出してきましたが、私は「現代の大嘘」に気付いた ●ところで、湾岸戦争、9・11などの出来事の衝撃は、どうやら2種類の人間を次 わたしは、あなたがバルセロナからというよりも、水泳監視員の脚立の上から私たち >私の作業の一つを否定しようとするならば、上記の作業全体を否定してかかる覚悟 >いずれもそれぞれの立場から「自由vs独裁」「民主主義vs全体主義(あるいは共産 ここまでは、あなたは、あなたが否定してやまない既成概念で洗脳されている人たち わたしの昔の友人に、個人主義者だがあまりにも誠実な勉強家がいました。 ************************************************************************** 『自分はこれほどまでに努力している、私に話し掛けられたかったら、その100分の1 善意と誠意から来るあせり、その裏返しからくる奇妙な選良意識。 おわりに 阿修羅は自由な掲示板です。匿名でなんでもいえる掲示板です。 バルセロナより愛を込めて さん そして、外野さん、投稿を続けてください。 |
木田貴常さんへ。 http://www.asyura2.com/0502/holocaust1/msg/171.html (回答先: 新:『:ホロコースト狂信者』 とのレッテルこそ、歴史的事実の検証という態度からかけ離れます。 投稿者 木田貴常 日時 2005 年 2 月 23 日 14:28:47) 木田貴常さんへ。 ご指摘、ご忠告、ありがとうございます。 私は、私自身、私の罵倒してやまない「歴史観の洗脳状態」にいまだがんじがらめに縛られており、ちょうど海に沈んでいくような自分に気付いて脱出を試み、死に物狂いでもがいている最中の人間です。 決して、自分はもう「安全地帯(?)」にいて、水中の人たちに向かって「この馬鹿めどもめが。早くここに来い!」などと言っているのではありません。(例えば太田竜などがそのような好例で、私はこのような人物は信用しません。彼はどちらかと言うと麻原に近いでしょう。あなたが接した新左翼の者も同様です。私にもあなたと同様の経験がありますので、これは私も嫌悪しています。) あなたとは少々見方が違うかもしれませんが、木村愛二さんもやはり死に物狂いで脱出を試みている人の一人だと思います。しかし、アップアップしてようやく時々水面に顔を出すのがやっとの私などよりも、はるかに強く確実に水を蹴っておられるようです。 私の残された人生の中で脱出できるとも思えませんが、そんなもがきの最中に、またしても水の底から私を引きずり込みそうな(本人の自覚はないでしょうが)声に接すると、たまらず激怒してしまいます。これはもう、先ほどの太田竜や麻原ショウコウ(およびその信奉者)とは方向が正反対なだけで、私のもがきを無にしようとしているとしか思えません。「信者」という言葉にはそのような意味が込められています。「誰だ!俺を海の底に引きずり込もうとしているヤツは!」 許すことはできませんが、私には私でやるべき事がある。中立的な立場で読む人を不愉快にさせるような言葉はひかえたい。だから無視するしかない。まあこれがもう少し余裕を持って対応できるようになるためには、もう少々時間が必要です。一生このままかもしれません。しかし私は私の居る位置から、ようやく吸えた新しい空気を阿修羅を通して吹きかけていくつもりでおります。 たとえ話を多用しましたが、真意をお汲み取りください。 以上です。 |
言い忘れたことがありました。 http://www.asyura2.com/0502/holocaust1/msg/175.html (回答先: 木田貴常さんへ。 投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2005 年 2 月 23 日 20:21:27) 言い忘れたことがありました。
私が上の投稿に挙げましたものの他に、3・11事件とその関連のものもご参照いただければ、と思います。特に最近始めました「大規模集団洗脳の現場報告」です。私にはスペイン語圏の情報を通して、近代・現代史の詐欺を暴き告発していきたい、という意思があります。自分が深く関わってもいないホロコースト問題に思わず突っ込んでしまったのかも知れませんが、しかし現在の世界の中ですべてが一つにつながっているものであるため、姿勢だけは明らかにする必要がある、と考えたまでです。余計な爆発をしてしまったかもしれませんが、おかげで誰がどんな思考の構造を持って現在の世界を見ているのか、実によく分かりました。 ですからこれを何かの「神学論争」「信念の問題」のように曲解する人がいるとすれば極めて心外なことです。まあ言っても始まりませんから、私のやろうとしている作業を通して、明らかにしていきたい、と考えています。 木田さんがお挙げになった一つ一つの質問事項については、決して無視しているわけではありませんが、早急に稚拙な「結論的意見」を出すのではなく、もう少し私自身の作業が進んでから、再考すべきものだ、と思っています。もしも私の作業に関しましてご意見がございましたら、論議板にでもお貼りください。長い時間がかかってもかまいませんので。その対話の中から一つ一つお答えできると考えています。 以上です。 |
バルセロナより愛を込めてさん、(多分)はじめまして、こんにちは。 http://www.asyura2.com/0502/holocaust1/msg/197.html 投稿者 如往 日時 2005 年 2 月 24 日 06:28:11: yYpAQC0AqSUqI (回答先: 言い忘れたことがありました。 投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2005 年 2 月 23 日 21:44:25) バルセロナより愛を込めてさん、こんにちは、横レスにて失礼します。日頃の精力的な投稿を楽しみにしてい 「ホロコースト」に関しては、2,3の人にレスした内容が私の認識の現状を表わしています。ただし、事実認識がそこから進展しないことについては、客観的史料の入手が難しいこと等からも、少なからず苛立ち感があります。けれども、最初から(ポーランドにおける収容所建設時)ナチスが「ホロコースト」を計画していた、あるいはシオニストによる「ホロコースト」捏造の謀略があったと双方共に断言するのは難しいのですが、第二次大戦末期には政治的シオニストを中心に彼らと利害が一致する一群が「ホロコースト」のフレームアップを策し、イスラエル建国のために最大限に利用したことはかなりの確度で推断できると考えています。 さて、バルセロナより愛を込めてさんの問題意識の中核は以下の個所に表出していると感じます。 >このような謀略と、「歴史観の再検討」つまり「歴史の全体の構図」そのものの見直しを進めようとする人たちの動きとを峻別しなければなりません。これにはそれぞれの人脈や金脈に関する研究の他にその微妙な差異をかぎ分ける「鼻」を持つことが必要でしょう。2重、3重に仕掛けられた狡猾なワナを見抜いて突破していかなければなりません。これは本当に自分のすべてをかけた闘いなのです。 こうした問題意識を持つことにたいし他者はどう思うか、計り知れないものがあります。しかし、当人(私も含めて)にとっては自身の知的営為の線上において、一たび今までとは違う歴史のContextの尻尾に触れてしまったならば、それまでの認識をひっくり返されないとも限らない状況が想定されても、ある程度までは真実を追求せざるを得ないものでしょう。それは、『「歴史観の再検討」つまり「歴史の全体の構図」そのものの見直しを進めようとする』当為であり、極自然な知的営為であると思います。けれども、人々の多くがそうした思考の傾向を持っているとはかぎらないことを口惜しくも感じます。 事実が隠蔽されたまま、また少ない史料の中から歴史的蓋然性もしくは整合性について考察していくとき、一定のKey-word(=Function&Parameter)を措定することは手続上必要であると思っています。検証され得ぬ過去の隙間の部分を拡大援用して歴史の修正を図ろうとするが所謂歴史修正主義の所作であり、一方、Key-wor |
相互信頼が骨身に染みついている日本人には欧米人の陰謀の怖さは解らない (回答先: 外野さんへご返答、『ホロコースト』と現代世界について思うこと:あわれな方だ 投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2005 年 2 月 09 日 00:28:31) 貴方のように、シオニストがホロコーストにかこつけて世界中の人を騙していることを正しく理解しているのは欧米人でも少数派です。ましてや他民族に比べ更にに騙されやすい日本人には想像を絶する事で、外野さんの様な意見が出るのは仕方ない事です。日本人が欧米人のサタニズムの真髄を肌で感じる様になるには欧米に何十年も住まなくては解りません。つまり、日本に住んで心優しい日本人に取り囲まれて居る限り、欧米人の陰謀は到底理解できないと思います。 ここからは外国に長期滞在された経験の無い方々へのお話です。 日本人の穏やかさは世界中の人種の中でも異常としかいえません。欧米人や中国人に比べ日本人は信じられない程お人好しで、他人を無条件で信頼する傾向があります。その様な日本人の習性が国際化された現代でも未だに存在するのは他国人から本当に酷い目に会わされた事がないからです。 他国人が如何に酷いことをやるかを知らないから、少数の日本兵が第二次大戦で行った蛮行を知って被害者に平身低頭で謝らねばならないと思いこんでしまうのです。良心的な日本人の中には、日本が誠心誠意悪いことをしたと謝らない限り、世界の国々に仲間として受け入れて貰えない、と思いこんでいる馬鹿げた世間知らずが沢山居ます。 他国人の残虐さをよく知っていたら、日本兵のやったことは悪いとはいえ、彼らに比べれば大したことでは無いと解る筈です。だから旧宗主国は植民地で行った暴虐に対し全く謝罪しないのです。彼らに取っては、悪いのはお互い様、という事です。日本は外国に対し戦争中に起こった事を謝罪する必要は全くありません。お前達だって悪いことをしたのだからお互い様だ、ときっぱり言い切って、何を言ってこようが取り合わない事です。それがグローバル・スタンダードというものです。日本人だけがしきりに反省するものだから相手は益々図に乗って針小棒大に事を大きくし、日本人からもっと巻き上げようと欲の皮を突っ張らせる結果になるのです。 日本人も、ユダヤやアングロサクソンの様に、他民族に対して行った悪事を絶対に反省しないという決意をしたとき始めて一人前になったと言えるでしょう。それなら一人前になりたくない、と言うのならそれも良いのです。問題は価値観の違いです。欧米人はサタニズムに価値を認めているだけで、そんな価値観は認めないというのなら日本は鎖国すべきです。 |
「相互信頼」を装うことの出来る日本人には、独特の怖さがあると言える。 (回答先: 相互信頼が骨身に染みついている日本人には欧米人の陰謀の怖さは解らない 投稿者 岩住達郎 日時 2005 年 2 月 09 日 08:36:25) 何と言いましょうか。自国民の国民性の欠点を書く事には、気が引けるのですが…。 2 81 +- |
日本の資本主義「お役様は神様だ」、欧米の資本主義「客からはふんだくれ」 (回答先: 相互信頼が骨身に染みついている日本人には欧米人の陰謀の怖さは解らない 投稿者 岩住達郎 日時 2005 年 2 月 09 日 08:36:25) 日本の資本主義「お役様は神様だ」、欧米の資本主義「客からはふんだくれ」
日本の第2次大戦後の資本主義的発展の基本精神は、やはり松下幸之助の名言「お客様は神様だ」だったような気がします。もちろんこれが文字通り実行された、とは思いませんが、作る側と売る側は客のためを考えて客に尽くす、客もそれを当然のこととして受け取り、それが買う側と売る側の言わずもがなの信頼関係を維持する、こんなことが、たとえ名目上のこととしても、普通のこと(しなければならないこと)として通用するのは、おそらく日本列島の内部だけでしょう。日本列島以外でこんなことを言ったら物笑いの種になるだけです。 岩住さんは私以上にお分かりでしょうから、日本の皆様に申し上げます。 スペインには通信の世界的大手テレフォニカがあるのですが、ここはネオリベラル経済の権化オプス・デイに握られている会社で、街にはテレフォニカの携帯電話の広告が貼りまくられ代理店があふれています。契約料や使用料金は馬鹿高く、例えばADSL回線を使用するのに日本円で1ヶ月7千円以上かかります。携帯電話は中級クラスで日本円で1万5千円から2万円。スペイン人の月収が日本の60%程度ですので、これがいかに高いか、ということです。 これだけなら良いのですが、例えば何かトラブルが起こった場合にはもうどうしようもない。販売代理店はテレフォニカの人間ではなく、全く話をしても無駄、会社の建物はあるのですが社員以外立ち入り禁止で、苦情や問い合わせがあっても客は中に入れない。顧客専用の電話回線があるのですが、通じたためしがない。何かトラブっても文句があっても、訴えたり文句を言ったりする手段が事実上閉ざされているわけです。それでも法的には顧客用の電話を一応設置してあるのでOK。 要するに、買え、買え! 買ったら文句言わずに金払え! ということです。頭にきてインターネットと電話の回線は、事務所に客用の窓口があってせめて直接問い合わせや文句の言える別の通信会社に切り替えたのですが(高いことやアフターサービスの欠けていることはテレフォニカ同様)、テレフォニカは他の通信会社に政治的な圧力で様々に妨害工作をする(テレフォニカのバックであるオプス・デイはスペインの政治をも裏で支配している)ため、いつつぶされるかな、とヒヤヒヤしています。 これでネオリベラル経済がどんなものか、肌で分かりました。ふんだくって投げ捨てるのが当たり前。まあこれが世界的な「スタンダード」というものなのでしょう。これはほんの一つの経験であって、言い出したらきりがありません。実際に何度もひどい目に 銀行にしても、地方の信用金庫などはまだマシなのですが、スペイン最大で中南米の経済も支配しているサンタンデール銀行など、預金しに銀行に入ると(銀行のドアを押しても開きません。中から顔や身なりを確認して鍵を開けてくれます。強盗が多いせいでもありますが。)「おう、金持ってきたか。よし、預かってやる。」と、まあ、そんなことはモロには言いませんが、態度にありありと出ています。 要するに、客を見たらカモと思え、客からはふんだくれ、が、基本的な資本主義の精神です。資本主義、というよりも、もっと広く言えば、これが世界の基本的なあり方なのでしょう。騙すのが当たり前なのです。馬鹿は騙されるだけなのです。 だから、こちらも騙されないように思想武装するしかない。お分かりでしょうか。 親しくしている外国勤務の長いある日本の大会社のエライさんが、9・11の直後に私にボソリと語ってくれました。「イヤー、何せ軍需産業の連中が戦争したくてしょうがないのでねぇ。」よく世界の現実を分かっていますね。まあ。こんな人は少数派なのでしょうけど。 資本はそれが本性なのだから、こっちもさまざまな対抗手段を編み出すしかないのですが、最も腹に据えかねるのは、それを理想世界のごとく言いつらう、あるいはペテンを真実のごとく言いふらす多くの知識人の存在です。こいつらは許せない。こいつらはそれで自分の社会的立場と収入を作り、それを維持するために、ますます多くの人間をだましにかかる。 どの国にもこんなヤツはいます。一人でも多くの人に、こんな卑劣漢の犠牲者にだけはなるな、と叫びたいわけです。 |
(私論.私見)