れんだいこの歴史再検証主義論考 |
更新日/2023(平成31.5.1栄和/令和5).3.15日
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、「れんだいこの歴史再検証主義論」をものしておく。 2005年は、第二次世界大戦後の「ニュルンベルク裁判」より始められたユダ屋シオニズムの反戦平和プロパガンダつまり、ナチスによるユダヤ人毒ガス大虐殺ホロコースト論、それと併行してのアンネの日記的「ユダヤ人=悲劇の民の虚構」が瓦解する記念の年となりそうな気配である。それを誘引したのは、「9.11事件」以降のブッシュご一統の聖戦ないしはそのイデオロギーだった。ブッシュの歴史的偉業は実にここに求められるべきかもしれない。お調子乗りのおっちょこは、歴史に於いてそういう役目をすることがある。嘘はいずれの日か暴かれる。それが敗戦より60年目の節目にやってきたということだろう。 2008.4.7日、2014.03.23日再編集 れんだいこ拝 |
【「歴史修正主義」(historical revisionism, revisionisme historique)考】 |
西欧史学において「歴史の見直し」機運が生まれているようである。その嚆矢がいつであるのかは不明であるが、強力に台頭しつつあるとのことである。彼らは、「歴史修正主義」(historical
revisionism, revisionisme historique)的立場を標榜しており、右翼左翼を問わず発生している。その背景には、直近の問題では、第二次世界大戦をファシズム対民主主義の闘いとして映し出しているシオニズム的歴史観との確執があるように思われる。そういう意味では、「歴史修正主義」というよりは「歴史再検証主義」と評するのが正しいように思われる。その最大の論点が「ホロコースト問題」である。シオニズム的歴史観は、ナチスの蛮行を史上未曾有のそれとして確認し、人類が二度とこの災禍に見舞われないよう努力することが責務であるとし、この観点からの史実確認、歴史教育を推進してきた。 これに対し、「歴史再検証主義」的歴史観は、概ね「ナチスによる迫害の残虐史を希釈」し、シオニズム的歴史観によるホロコーストを否定しようとしている。その否定の様は、1・「ガス室はなかった」とする徹底否定派、2・「ガス室は確かにあった。だがそれはずっと小規模なものだ」なる中間派、3・「ガス室は残念ながらあった。だがドイツ国民は知らなかったし、戦争につきもののことであり過度に責任を負わされるものではない」とする希釈派の三派から構成されている。 「歴史再検証主義」は「ホロコースト問題」だけを取り上げるものではない。いわゆる「反ユダヤ主義」の震源地となっている。西欧にあって「反ユダヤ主義」の歴史は長く、これを理解することは、東洋の者にとっては気の遠くなる話から説き起こさねば理解できない。それは後日に譲るとして、ここでは「反ユダヤ主義とは何か」についてコメントしておきたい。 「反ユダヤ主義」は歴史上かなり昔から存在する。ユダヤ人の独特の祖法、宗教典、律法、タルムード、それらの基づく説法師ラビの言説に基づくユダヤ選民主義、その政治的陰謀主義、テロリズム、金融支配、言論支配等々が、アングロ・サクソン諸国家及びその共同体と絶えざる闘争に突入しており、「ヤッテやり返される」歴史を刻んでいる。してみれば、「反ユダヤ主義」は相当昔から存在していることになる。 近世になってユダヤ人は、押し込められていたゲットーから脱出していった。この時、ユダヤの民には二股の道が用意されていた。一つは、ユダヤ教からの決別であり、宗派抗争によらぬコスモポリタンの道であった。もう一つは、失われた祖国奪還に向うユダヤシオニズムの流れであった。史実は、次第にユダヤシオニズムを趨勢化させていった。2005年現在、彼らは世界を恣(ほしいまま)にしている。 してみれば、「歴史再検証主義」とは、ユダヤシオニズムの威勢に対するリアクションとして、それに敵愾(てきがい)する抵抗思想であり学問的検証の動きである、と云えるのかも知れない。反シオニズムは、シオニズムに対する抵抗思想であり運動である。1967年、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア博士は、「反シオニズムは本質的に反ユダヤ的である」と述べているが、歴史的経緯を踏まえればその通りである。爾来、西欧諸国家では、数千年の歴史に亘ってこの衝突が続いている。近世になってシオニズムが現在のパレスチナの地に建国運動を強めたことにより、パレスチナ地域での「ユダヤ人問題」が勃発し始めた。第二次世界大戦後、パレスチナ地域にイスラエルが強権的に建国したことにより、パレスチナ紛争が新たな段階に突入した。この紛争は今猶続いており解決の目途さえ立っていない。この間、アラブ諸国にも、「反ユダヤ主義」が巻き起こることになった。 他方、ユダヤ人たちの地球的規模での政治経済文化の全領域における支配権がますます確立されつつある。彼らは、グローバル・スタンダードを生み出しつつワンワールド化を目指しつつある。しかし、その手法が、母斑的ユダヤ選民主義に拠っており、無慈悲なる聖戦イデオロギーに基づく世界戦争を仕掛けており、為に紛争が絶えない。こういう事情から、「現代的ユダヤ人問題」が浮上しており、これを根源から解き明かすためにユダヤシオニズム的反戦平和思想の論拠となっている「ホロコースト問題」の見直しが急がれつつある。「アンネの日記」の捏造的創作説が囁かれ始めている。これらを争点としつつ「現代的ユダヤ人問題」が問われ続けている。かく理解すべきではなかろうか。 2005.2.12日 れんだいこ拝 |
【「日本的歴史修正主義」考】 |
西欧における「歴史見直し主義」は「シオニズム的世界観及び史学」に対するそれであり、日本の場合はそこまで立ち入っていない。そもそもそういう風に位置づける視点も観点もなく、範囲を日本史に据えてその限りでの「戦前の大東亜戦争見直し論」という分野で「見直し」が進んでいるに過ぎないように思われる。 「ホロコースト問題」に匹敵するのは「南京大虐殺事件」であり、「ユダヤ人問題」に匹敵するのが、「戦前の大東亜戦争聖戦論」であるという構図のように見受けられる。それは特に、戦後の左派運動が護持してきた反戦平和的歴史観、運動論の虚構を撃つという観点から為されている。戦後の左派系反戦平和運動の論拠は、本来のマルクス主義歴史観及び運動論とは別種の、ネオシオニズム的国際主義に基づく「勝てば官軍」的在地権力批判の見地から構成されている。日本の「歴史再検証主義」は、それを在地権力側から「見直す」というスタンスで虚構批判している。 興味深いことは、日本の「歴史再検証主義」は、狭く特化された範囲の国内的問題としての「見直し」であり、視野を国際的に広げるものとなっていない。というか、西欧における「歴史見直し主義」が「ネオシオニズム的世界観及び史学」批判であるのに対し、日本の「歴史見直し主義」は、国際的問題に対してはむしろネオシオニズムに迎合する視点を持っているやに見受けられることである。つまり、日本の「歴史再検証主義」運動はねじれており、一筋縄では解けない面があり多様に混交している。 近時の歴史見直し主義者のこの作法つまり、東アジアの対中、鮮、台関係においては尊大不遜ぶり、国際関係においては西欧に卑屈になる、特に近年のシオニズムに対してはなし崩し的に迎合するという態度は、明治維新以来百年の間に形成された伝統となっており、戦前戦後も連綿と続いている。従って、「南京大虐殺事件」の虚説を暴き、「戦前の大東亜戦争聖戦論」を唱えはするけれども、同じ構図で「ホロコースト問題」、「ユダヤ人問題」には言及しない。仮にこれを為せばむしろ、ネオシオニズム学説の露骨な請け売りで汗を流す。時には、人類史を「ネオシオニズム的自由主義史観」でもって説教したりする手合いが出てくる。現代史の最強権力米英ユ同盟の諸政策を賛美し、日本をその配下に組み入れることが国家百年の大計などと嘯いている。これが、敗戦後に生み出された新型右派潮流の実態であり、注意を要するところである。 つまり、西欧における「歴史見直し主義」は、既にネオシオニズムに席巻された権力との緊張関係の下で営為しているが、日本の「歴史見直し主義」はその権力の懐に入り込み御用的融和関係の下で営為している。そういう違いがあるように見受けられる。そう、日本の「歴史見直し主義」は言葉の正確な意味では「歴史修正主義」に過ぎず、本当の意味の「見直し」のそれは緒についたばかりということになる。 滑稽なことは、新型右派潮流よりも早く変調左派運動が遠の昔よりネオシオニズム学説に篭絡されており、ネオシオニズム的国際主義、反戦平和運動を熱心にプロパガンダしてサヨぶっている。この構図を拒否しようとする新しい運動が勃興しつつある。れんだいこも含め草莽の士がこれに挑んでいるという構図になっている。れんだいこは、その違いをはっきりさせる為に、この流れを「歴史再検証主義」と名づけようと思う。 2005.2.12日 れんだいこ拝 |
【栗原幸夫氏のレヴィジオニスト】 | |
ピエール・ヴィダル=ナケは、現代の歴史修正主義を包括的に分析した「記憶の暗殺者たち」(石田靖夫訳、人文書院刊)のなかで、概要「最初の『レヴィジオニスト』は、フランスで無実の罪を負わされたドレフュス裁判の『再審』を支持した人たちだった」と述べている(栗原幸夫氏の上記論評「歴史の再審に向かって―私もまたレヴィジオニストである―」)。 栗原氏は次のように述べている。
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【「『捏造された現代世界史』について」】 |
「阿修羅」に「バルセロナより愛を込めて」氏より「『捏造された現代世界史』について」なる貴重な論考が為されている。これを転載する。 |
「初めて投稿します」さんへ。お知り合いがイスラエルとパレスチナの両方におられるということで、気がかりになっておられることと思います。「なぜ?」という正確な理由もわからぬまま、憎み合い殺しあう悲劇だけは早く終わらせなければなりません。 「現代世界史」については、各人、各集団、各国の直接の利害が絡むだけに、非常に複雑な情況があり、ある集団や国家に対して都合の悪い事実を暴いたり議論の元にしようとすると、殺人にまで及びかねないようなこともあります。例えば北朝鮮で「金日成・正日親子の無謬の歴史」に、ある事実の発見をきっかけにして北朝鮮の人が疑問を持ってそれを発表した場合、その人の安全は保障できないでしょう。北朝鮮ならあんな閉鎖的な国ですからしょうがない、とは言うものの、現在のいわゆる西側世界(日本を含む)は、北朝鮮とは程度の差はありますが、意外に閉鎖的なのですね。 我々が「これが現代史だ」と、学校の教科書で勉強したり新聞・テレビなどを見て信じている「常識的」なものが、果たして本当のことなのか、現実に起こっていることとの不整合面はないのか、鋭く見分けていく必要があると思います。我々西側世界に住んでいる人間にとっては「常識」には逆らわず波風立てないほうが安全かもしれません。しかし「人はパンのみによりて生きるにあらず」で、物質的な条件だけで人間が生きるものではありません。私は、「本当の事を知りたい」という欲求は、食欲や性欲と同等に人間の本質だと思っています。 |
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「バルセロナより愛を込めて」氏の「本当の事を知りたい」は、意図的に混乱情報が振りまかれている現代にあっては知識人を自称する者に取っては必須の観点となるべきではなかろうか。れんだいこも、単に知識を増やすだけにより却って判断留保域を広げていくのは愚かというも憐れのように思う。 2005.3.8日 れんだいこ拝 |
前置きが長くなりましたが、「捏造された現代世界史」には様々な面があると思います。しかしその最大のものは、ナチスによるユダヤ人迫害からイスラエルの「建国」に続く歴史、つまりイスラエルという国家の「正統性」に関するものでしょう。いわゆるシオニズムについてで、これに関してはユダヤ人内部からも多くの疑問が寄せられています。
しかし、歴史的な検討をする以前に、現在の実際のありさまに関して、それを見る人が「何かの疑問を感じるかどうか」が大きな鍵になるでしょう。何の疑問も矛盾も感じないような人が歴史を見たところで、「常識的な」歴史観で満足してしまい、自分にとっての新たな発見などできるわけがないからで、それに逆らうようなものの見方には眉をひそめ、場合によっては「陰謀論」としてロクに検討もせずに唾棄するだけに終わるでしょうから。私はそんな人とは話をする気は全くありません。 |
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「バルセロナより愛を込めて」氏は、「シオニズムに対する歴史観」を正しく持つよう示唆しているように思える。「いわゆる陰謀論」について、「ロクに検討もせずに唾棄する」愚を叱責しているように思える。れんだいも同感である。 2005.3.8日 れんだいこ拝 |
まず、歴史的に迫害を受け続け、特に第2次世界大戦中に多くの犠牲者を出したユダヤ人が、現在パレスチナで実行している残虐なパレスチナ人迫害、自分たちが歴史的に受けてきた残虐行為をパレスチナ人に対してそっくりそのままやり返しているような現状を見て、重大な疑問を感じるのかどうか、です。 また、ユダヤ人は実際に米国や欧州で巨大な経済的・政治的な権力を握っているのですが、そこまでの実力を持っている彼らがパレスチナの小さな土地に異常なまでの精力をつぎ込むことに、疑問を持つかどうか、です。そして、イスラエルには米国や欧州(特にドイツとオーストリアからの第2次大戦の『賠償』ですが)から巨額の資金が流れ込んでおり、イスラエルという国はその外国からの資金によって成り立っているのです。では、『賠償』としていやでも取られるドイツ・オーストリアはともかくも、どうしてアメリカがイスラエルの「財政係」「資金調達部」をしなければならないのか、この点に重大な疑念を抱くかどうか、です。 |
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「バルセロナより愛を込めて」氏は、「現在パレスチナで進行中のシオニズムの蛮行」を批判している。「シオニズムの蛮行」を西欧列強諸国が資金的に支援している実態をも批判している。れんだいも同感である。 2005.3.8日 れんだいこ拝 |
またイスラエルとは直接は無関係でも、現在の社会の中で「常識」として信奉されていること、例えば「9.11同時多発テロ」や「イラク戦争」などに、何かしら胡散臭さを感じ、「なぜ世間ではそう言われているのか、そのように宣伝されているのか、本当のことは一体何なのか」という関心を持っているかどうか、そしてそれが胡散臭いのなら「誰が何のためにそのような『常識』を植え付けているのか」という点に、あなたが重大な関心を持っているかどうか、という点が恐らく根本的で決定的な分れ目になるでしょう。 |
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「バルセロナより愛を込めて」氏は、「9.11同時多発テロ」や「イラク戦争」に対して胡散臭さを感じ取っている。この観点を持つかどうかが「根本的で決定的な分れ目になる」と述べている。れんだいも同感である。事実、操作されている新聞、テレビ情報を鵜呑みにして米英ユ同盟の悪巧みを免責している者が多いだけに、「胡散臭さを感じる力」は必要と思う。 2005.3.8日 れんだいこ拝 |
以上の点について、もしもあなたが「なるほど」とお思いなら、下に挙げる様々な資料に眼をお通しください。(英語のものもあります。)しかし、もしあなたが「なぜそんなことが必要なのだ」とお思いなら、悪いことは言いません。何もお考えにならないことです。場合によっては周囲から白眼視され、極端にいけば身に危険が及ぶことすらありえます。しかし私は、先程も申しましたように、「本当の事を知りたい」という欲求は人間の本質だ、と思っておりますので、あなたが自ら納得のいくまで資料をお調べになり、「現代世界史」がいわゆる「常識」の範囲内の歴史といかに異なるか、をご理解いただけることを確信いたしております。 |
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「バルセロナより愛を込めて」氏は、「本当の事を知る」ことが「身の危険」に及ぶことを示唆している。これは本当の警句だろうと思う。 2005.3.8日 れんだいこ拝 |
私自身は、結論から申しますと、シオニズムとナチズムは「双子の兄弟」であり、その「親」は欧米の巨大資本(とりわけユダヤ資本)、イタリア・ファシズムは彼らの「末弟」であると思っています。シオニストは、特に初期のころは、決してユダヤ人を代表する組織ではなくユダヤ人自身からも遠ざけられておりました。 シオニズム運動を軌道に乗せるためには「ナチスによるユダヤ人迫害」が必要だったのです。もちろんイタリア・ファシズムでもそうです。そしてそのナチスを支えたのが欧米の巨大資本でした。その中には現米国大統領ジョージ・W・ブッシュの祖父もいます。第2次世界大戦は茶番劇であり、舞台上で華々しく戦った「主人公」たちの言動のみが「歴史」として学校で教えられていますが、決してその「演出家」については触れられません。なぜなら彼らは現在でもやはり「演出家」でありつづけており、歴史解釈については直接の利害を持っているからです。 |
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「バルセロナより愛を込めて」氏は、シオニズムとナチズムの関係を「双子の兄弟」と喝破している。れんだいこは、ここは当面見解留保しておく。 2005.3.8日 れんだいこ拝 |
当然ですが、私は「アウシュビッツ」「ホロコースト」は大嘘だと確信しております。もちろんナチスはドイツやポーランドなどにいたユダヤ人に凄まじい迫害を与え大量の虐殺を行ないました。それが絶望したユダヤ人たちをパレスチナに向かわせ「ユダヤ人国家を建設する」というシオニストのたっての願いをかなえるものだったからです。 そして「アウシュビッツ」「ホロコースト」は、まず、ドイツ・オーストリアから大量の『賠償』をせしめる道具、次に、イスラエルとユダヤ資本の悪辣で残虐なやり方に対して世界中の人間の口を封じ積極的にイスラエルを応援させる(特に米英)ための武器、そして、「本当の事」を追求する人間に対して「ネオナチ」「陰謀論者」というレッテルを張って「ミソもクソもいっしょにして」葬り去るための手段として、第2次大戦後に発明されたものだ、と確信しています。 |
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「バルセロナより愛を込めて」氏は、「アウシュビッツ、ホロコーストの嘘」を確信していると云う。れんだいも同様の結論に達しつつある。 2005.3.8日 れんだいこ拝 |
しかし、私は別に「権威ある歴史学者」でも何かの「職業研究家」でもなく、ただ「本当の事を知りたい」と願う一個人ですので、あなたに私の考えを押し付けるようなことは一切したくありません。重ねて申しますが「本当の事を知りたい」という欲求は人間に本質的なものだ、と確信しております。したがって、「本当のこと」は、各個人の内部から出てきた欲求に従がって各個人が様々な情報を元に追求すべきものであり、他人の意見に付和雷同する種類のものではないと思うからです。ですから、私の考えていることはさておいて、どうか以下の資料に眼をお通しいただき、いわゆる「常識的な現代史」と比較されて、どうかご自分の感性と頭脳でお考えになり、ご自分で結論をお出しいただきたいと思います。 |
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「バルセロナより愛を込めて」氏は、「常識的な現代史批判」の必要を述べている。れんだいも同感である。 |
【「血と涙を大地に吸わせ続けた人類史」考】 | |
「Re:血と涙を大地に吸わせ続けた人類史、しかし嘘は最も許せない」を転載しておく。
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【愚民党氏とバルセロナより愛を込めて氏の往復書簡考】 | ||
2015.3.13日、4ネット検索で出くわした「愚民党氏とバルセロナより愛を込めて氏の往復書簡」を確認しておく。れんだいこが間に入っていることが快感である。ここで両者に謝しておく。 「 阿修羅HOME > Ψ空耳の丘Ψ38 >」の愚民党氏の2005 年 2 月 18 日付投稿「歴史再検証論(主義)考 れんだいこ」を転載しておく。
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【愚民党氏とバルセロナより愛を込めて氏の往復書簡考】 | |
「阿修羅HOME > Ψ空耳の丘Ψ38 」の バルセロナより愛を込めて氏の2005 年 2 月 18 日付投稿「貴重サイトご紹介、感謝。ある意味で、ショックを受けております」を転載しておく。
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「阿修羅HOME > Ψ空耳の丘Ψ38」の愚民党 氏の2005 年 2 月 19 日付投稿「在野精神」 を転載しておく。
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「 阿修羅HOME > Ψ空耳の丘Ψ38 」のバルセロナより愛を込めて氏の2005 年 2 月 19 日付投稿「Re: 「捨てた」ものと「得た」もの」を転載しておく。
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【歴史論見直し派の台頭必然性考その1】 | |||
ここで「歴史論見直し派の台頭必然性考」をものしておく。目的は、歴史論見直し派の歴史検証に対して、国際ユダ屋の息のかかった御用学派による罵詈雑言を斬り返す為である。契機は、「★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK163 >」の赤かぶ氏の2014.3.23日付け投稿「安倍首相への批判の言葉「歴史修正主義」とは?(THE PAGE)」を目にしたことによる。転載元は「安倍首相への批判の言葉「歴史修正主義」とは?」のようである。これを参照する。但し、れんだいこ流に焼き直す。 2014年3月頃の時節柄、安倍首相の従軍慰安婦問題に関する歴史認識について海外メディアの批判が相次いでいる。その多くの批判記事のなかで「歴史修正主義」という批判がなされている。例えば、米ニューヨーク・タイムズは、「安倍氏の危険な歴史修正主義」と題する社説を掲載し、英フィナンシャル・タイムスも「歴史修正主義者」と批判している。米議会調査局が2月下旬に公表した日米関係に関する情勢分析の報告書にも、「安倍首相は(略)歴史修正主義者の視点を持っている」と書かれている。この言葉を使って安倍首相を批判する海外メディアが多い。 それでは、「歴史修正主義」とはいったいどういうものなのか。これに対しての既成の解説が全く恣意的であるので、れんだいこが訂正しておく。次のように解説されている。
この解説の不正なところは、「歴史修正主義が“歴史的事実”に対して異議を唱えている」としているところにある。ここには二つの詐術がある。一つは、「歴史見直し(リビジョン)派」を「歴史修正主義」と言い換えていることである。「見直し」を「修正」と言い換えていることになるが勝手に言い換えぬ方が良かろう。「見直し(リビジョン)」とは正確には「再検証」と云う意味である。こう訳すのなら良いが、「修正」と言い換えるのは、論理学的に見て批判し易いように前提を加工していることになろう。
ここで、「歴史の見直し(リビジョン)派」がナチス・ドイツによるホロコースト(大虐殺)の否定をしていることが明らかにされている。その「歴史の見直し(リビジョン)派」が自らを「歴史修正主義者」と名乗ったと解説しているが解せない。実際には、「国際ユダ屋ネオシオニズム派」が「歴史の見直し(リビジョン)派」に対して浴びせる罵言が「歴史修正主義者」であるに過ぎない。仮に「歴史の見直し(リビジョン)派」が自らを「歴史修正主義者」と名乗っているとしたら、その人の脳内が変調であり語彙感覚が乏しいことになる。この辺りは翻訳能力も絡んでいるように思われるので、まずは原文の原意を確認し適訳すべきであろう。補足しておけば、2006.2月にドイツの歴史家・作家デイヴィッド・アーヴィングがホロコースト否定を理由にオーストリアで有罪判決を受けた時、イギリスのニュースメディアはアーヴィングに対して「修正主義者」という用語を頻繁に使用しているとのことである。これは、日本のみならず「世界的」にメディアが国際ユダ屋の支配下にあることから来る風潮であるに過ぎない。
ここで窺うべきは、流浪の民ユダヤ人が、かっての悲劇を受ける立場から逆転して、ホロコースト否定論、ひいてはユダヤ人批判を許さない法律を作り取り締まっていることであろう。ホロコースト否定論等は「ヘイトスピーチの一種」と認識され違法行為とされている。ここでは「ドイツやオーストリア、フランス、スイス、ベルギーなど」とあるので西欧諸国一帯にそういう法網が敷かれているのであろう。その際の批判の用語が「修正主義」、「反ユダヤ主義」、「ネオナチ」なる用語である。 なるほどユダヤ人は祖国を持たない流浪の民として歴史的に生態して来た。しかしながら第二次世界大戦後はイスラエルを暴力的に建国し、今日では圧制の民として君臨している。その強権統治手法は「流浪の民としての悲劇」を何十倍にも裏返ししたものとなっている。「ユダヤの悲劇」は今や「パレスチナ難民の悲劇」となっているにも拘わらず、「ユダヤの悲劇論」でもって免責するのは公平ではなかろう。こういう問題もある。 2014.3.25日 れんだいこ拝 |
れんだいこのカンテラ時評№1143 投稿者:れんだいこ 投稿日:2013年 5月14日 |
現代史と歴史探訪の相関考 現代日本政治はお粗末極まり、俗に云うところの「お話しにならない」。全く面白くない。これの論拠を挙げればキリがないが、例えば原発対応能力が筆頭だろう。他国の原発事故ならいざ知らず、我が国で起り現に解決に向けての何らの進展がないどころか益々窮地に陥りつつあると云うのに、事故直後より政界要人の原発続投論が相次ぎ、安倍政権下では首相のトップセールスで原発輸出商談が調印されつつある。憲法は改正だが原発は護持と云う逆さま政治では「お話しにならない」。 そういうちぐはぐぶりが目立つ現代日本政治であるのに、与野党はいつの時代にも増して大政翼賛会化している。何しろ、唯一の抵抗勢力化している小沢派に対しては自民党から共産党までがバッシング一番手争いをしている。異論、異端、非主流派をよってたかって叩くので政治が育たないこと夥しい。日本政治がこういう仕掛けに嵌まったのはいつの頃からだろうか。これを問えば紙数を増すので、ここでは触れない。 れんだいこは、こういう折には不思議と歴史探訪に向かう。いわば歴史に遊ぶ。お粗末な現代日本政治に背を向け逃げているのかも知れないが、心情的には現代日本政治への関心が被(かぶ)さっている。何しろ、歴史探訪により、現代に繫がる政治の型が確認できるし、ある程度は現代日本政治の行き先が見えてくるからである。歴史探訪には、こういう果実がある。故に、単なる逃避ではないと思っている。 但しこれは、れんだいこ史学特有のものかも知れない。れんだいこ史学は、上古代史であれ古代史であれ中世史であれ近世史であれ近代史であれ現代史であれ、常に今の政治状況の道しるべとする緊張感で何か益するところを探そうとしている。歴史学はこうあるべきとまでは云わないが、殊のほか歴史の縦の線を重視しているところに特徴がある。 以上を前座として以下、ふと閃いたことを書きつけておく。歴史を見れば、いつの世でも体制派と反体制派と中間派の三派から構成されていることが分かる。これによれば、体制派と反体制派と中間派のどれが良い悪いと云うものではない。問題は、護持成育発展せしめて行くべき政治状況下の場合には体制派になれば良いし、逆の場合には反体制派になれば良いし、判断留保の場合には中間派の立場もあるだろうと云うことになる。れんだいこが育った戦後日本の場合には、戦後から1970年代半ばの田中角栄政権時代までは、体制派で良かったのではなかろうかと思っている。角栄がロッキード事件でトラ挟みに遭い、政治的能力を殺がれて以降は反体制派で行くべきではないかと思っている。興味深いことに、日本左派運動は、これを逆に漕いで今日まで至っている。即ち、戦後から1970年代半ばまでは日本左派運動が隆盛し、それ以降は全く逼塞したまま今日に至っている。こんなバカな話しがあって良いだろうか。こう思うたびに憤然とせざるを得ない。 歴史にはこういうチグハグがまま起る。故に、もっと幅広く歴史を学び道筋を見いださなければならない。これに失敗すると、本人は精一杯正義運動しているつもりながらも、実際には逆の位置で奮闘しているだけのことになりかねない。特に今時は、国際金融資本帝国主義ネオシオニズムの陰謀陽謀が盛んな時勢であるからして余計に警戒せねばならない。アンネの日記に涙する傍らシオン長老の議定書を偽書扱いし、ホロコーストや南京虐殺事件となると口角泡を飛ばしてナチス及び日本軍の蛮行を詰(なじ)り抜くなぞは典型で、国際ユダヤお誂(あつら)えのテキストを良く学びました、御苦労さんと頭を撫でられて、テキスト通りの文句を口から吐いているだけのことと思わねばならない。 しからば、どう学を形成すべきか。尤も手っ取り早く云えば、脳のしわを増す史学、史観を学べばよい。さすれば本当の歴史が見えてくる。もちろん、れんだいこ史学はそれを目指しているがまだまだ完成途上のものでしかない。この先は寿命との相談になっている。よって、観点を共有する他の有能士によって更に切り開かれねばならない。こうして得た知識、学問によって、現代日本政治のレベルを挙げなければならない。 話しを元に戻せば、福島原発事故の始末ができぬ裡の原発輸出政策なぞ歴史犯罪であり、これ又国際ユダヤの陰謀によって誘われている度し難い愚行政治と見なした方が良い。後で高過ぎる国際的賠償問題が必至であり、日本がそれほどおバカにされていることを悲しまざるを得ない。 そういう連中による政治は一事万事であり、他の施策も同様にせぬ方が良いことを為そうとしていると思った方が良い。こうなると、そういう日本政治に立ち向かうには容易な改造改良では追いつかないと心得るべきである。時代は回天運動を要しており、革命が欲せられていると思うべきだろう。但し問題がある。国際ユダヤ仕込みの自由化運動、民主化運動、革命運動に巻き込まれてはならない。日本式の世代を継ぐ回天運動を推進すべきである。そのコツを会得する為にも、歴史を学ばねばならない。学んだものは実践せねばならない。日本式陽明学の哲理で時代をこじ開けねばなるまい。思いつくまま。 |
(私論.私見)