れんだいこの歴史再検証主義論考

 更新日/2023(平成31.5.1栄和/令和5).3.15日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「れんだいこの歴史再検証主義論」をものしておく。 

 2005年は、第二次世界大戦後の「ニュルンベルク裁判」より始められたユダ屋シオニズムの反戦平和プロパガンダつまり、ナチスによるユダヤ人毒ガス大虐殺ホロコースト論、それと併行してのアンネの日記的「ユダヤ人=悲劇の民の虚構」が瓦解する記念の年となりそうな気配である。それを誘引したのは、「9.11事件」以降のブッシュご一統の聖戦ないしはそのイデオロギーだった。ブッシュの歴史的偉業は実にここに求められるべきかもしれない。お調子乗りのおっちょこは、歴史に於いてそういう役目をすることがある。嘘はいずれの日か暴かれる。それが敗戦より60年目の節目にやってきたということだろう。

 2008.4.7日、2014.03.23日再編集 れんだいこ拝


【「歴史修正主義」(historical revisionism, revisionisme historique)考】
 西欧史学において「歴史の見直し」機運が生まれているようである。その嚆矢がいつであるのかは不明であるが、強力に台頭しつつあるとのことである。彼らは、「歴史修正主義」(historical revisionism, revisionisme historique)的立場を標榜しており、右翼左翼を問わず発生している。その背景には、直近の問題では、第二次世界大戦をファシズム対民主主義の闘いとして映し出しているシオニズム的歴史観との確執があるように思われる。そういう意味では、「歴史修正主義」というよりは「歴史再検証主義」と評するのが正しいように思われる。その最大の論点が「ホロコースト問題」である。シオニズム的歴史観は、ナチスの蛮行を史上未曾有のそれとして確認し、人類が二度とこの災禍に見舞われないよう努力することが責務であるとし、この観点からの史実確認、歴史教育を推進してきた。

 これに対し、「歴史再検証主義」的歴史観は、概ね「ナチスによる迫害の残虐史を希釈」し、シオニズム的歴史観によるホロコーストを否定しようとしている。その否定の様は、1・「ガス室はなかった」とする徹底否定派、2・「ガス室は確かにあった。だがそれはずっと小規模なものだ」なる中間派、3・「ガス室は残念ながらあった。だがドイツ国民は知らなかったし、戦争につきもののことであり過度に責任を負わされるものではない」とする希釈派の三派から構成されている。

 「歴史再検証主義」は「ホロコースト問題」だけを取り上げるものではない。いわゆる「反ユダヤ主義」の震源地となっている。西欧にあって「反ユダヤ主義」の歴史は長く、これを理解することは、東洋の者にとっては気の遠くなる話から説き起こさねば理解できない。それは後日に譲るとして、ここでは「反ユダヤ主義とは何か」についてコメントしておきたい。

 「反ユダヤ主義」は歴史上かなり昔から存在する。ユダヤ人の独特の祖法、宗教典、律法、タルムード、それらの基づく説法師ラビの言説に基づくユダヤ選民主義、その政治的陰謀主義、テロリズム、金融支配、言論支配等々が、アングロ・サクソン諸国家及びその共同体と絶えざる闘争に突入しており、「ヤッテやり返される」歴史を刻んでいる。してみれば、「反ユダヤ主義」は相当昔から存在していることになる。

 近世になってユダヤ人は、押し込められていたゲットーから脱出していった。この時、ユダヤの民には二股の道が用意されていた。一つは、ユダヤ教からの決別であり、宗派抗争によらぬコスモポリタンの道であった。もう一つは、失われた祖国奪還に向うユダヤシオニズムの流れであった。史実は、次第にユダヤシオニズムを趨勢化させていった。2005年現在、彼らは世界を恣(ほしいまま)にしている。

 してみれば、「歴史再検証主義」とは、ユダヤシオニズムの威勢に対するリアクションとして、それに敵愾(てきがい)する抵抗思想であり学問的検証の動きである、と云えるのかも知れない。反シオニズムは、シオニズムに対する抵抗思想であり運動である。1967年、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア博士は、「反シオニズムは本質的に反ユダヤ的である」と述べているが、歴史的経緯を踏まえればその通りである。爾来、西欧諸国家では、数千年の歴史に亘ってこの衝突が続いている。近世になってシオニズムが現在のパレスチナの地に建国運動を強めたことにより、パレスチナ地域での「ユダヤ人問題」が勃発し始めた。第二次世界大戦後、パレスチナ地域にイスラエルが強権的に建国したことにより、パレスチナ紛争が新たな段階に突入した。この紛争は今猶続いており解決の目途さえ立っていない。この間、アラブ諸国にも、「反ユダヤ主義」が巻き起こることになった。

 他方、ユダヤ人たちの地球的規模での政治経済文化の全領域における支配権がますます確立されつつある。彼らは、グローバル・スタンダードを生み出しつつワンワールド化を目指しつつある。しかし、その手法が、母斑的ユダヤ選民主義に拠っており、無慈悲なる聖戦イデオロギーに基づく世界戦争を仕掛けており、為に紛争が絶えない。こういう事情から、「現代的ユダヤ人問題」が浮上しており、これを根源から解き明かすためにユダヤシオニズム的反戦平和思想の論拠となっている「ホロコースト問題」の見直しが急がれつつある。「アンネの日記」の捏造的創作説が囁かれ始めている。これらを争点としつつ「現代的ユダヤ人問題」が問われ続けている。かく理解すべきではなかろうか。

 2005.2.12日 れんだいこ拝

【「日本的歴史修正主義」考】
 西欧における「歴史見直し主義」は「シオニズム的世界観及び史学」に対するそれであり、日本の場合はそこまで立ち入っていない。そもそもそういう風に位置づける視点も観点もなく、範囲を日本史に据えてその限りでの「戦前の大東亜戦争見直し論」という分野で「見直し」が進んでいるに過ぎないように思われる。

 「ホロコースト問題」に匹敵するのは「南京大虐殺事件」であり、「ユダヤ人問題」に匹敵するのが、「戦前の大東亜戦争聖戦論」であるという構図のように見受けられる。それは特に、戦後の左派運動が護持してきた反戦平和的歴史観、運動論の虚構を撃つという観点から為されている。戦後の左派系反戦平和運動の論拠は、本来のマルクス主義歴史観及び運動論とは別種の、ネオシオニズム的国際主義に基づく「勝てば官軍」的在地権力批判の見地から構成されている。日本の「歴史再検証主義」は、それを在地権力側から「見直す」というスタンスで虚構批判している。

 興味深いことは、日本の「歴史再検証主義」は、狭く特化された範囲の国内的問題としての「見直し」であり、視野を国際的に広げるものとなっていない。というか、西欧における「歴史見直し主義」が「ネオシオニズム的世界観及び史学」批判であるのに対し、日本の「歴史見直し主義」は、国際的問題に対してはむしろネオシオニズムに迎合する視点を持っているやに見受けられることである。つまり、日本の「歴史再検証主義」運動はねじれており、一筋縄では解けない面があり多様に混交している。

 近時の歴史見直し主義者のこの作法つまり、東アジアの対中、鮮、台関係においては尊大不遜ぶり、国際関係においては西欧に卑屈になる、特に近年のシオニズムに対してはなし崩し的に迎合するという態度は、明治維新以来百年の間に形成された伝統となっており、戦前戦後も連綿と続いている。従って、「南京大虐殺事件」の虚説を暴き、「戦前の大東亜戦争聖戦論」を唱えはするけれども、同じ構図で「ホロコースト問題」、「ユダヤ人問題」には言及しない。仮にこれを為せばむしろ、ネオシオニズム学説の露骨な請け売りで汗を流す。時には、人類史を「ネオシオニズム的自由主義史観」でもって説教したりする手合いが出てくる。現代史の最強権力米英ユ同盟の諸政策を賛美し、日本をその配下に組み入れることが国家百年の大計などと嘯いている。これが、敗戦後に生み出された新型右派潮流の実態であり、注意を要するところである。

 つまり、西欧における「歴史見直し主義」は、既にネオシオニズムに席巻された権力との緊張関係の下で営為しているが、日本の「歴史見直し主義」はその権力の懐に入り込み御用的融和関係の下で営為している。そういう違いがあるように見受けられる。そう、日本の「歴史見直し主義」は言葉の正確な意味では「歴史修正主義」に過ぎず、本当の意味の「見直し」のそれは緒についたばかりということになる。

 滑稽なことは、新型右派潮流よりも早く変調左派運動が遠の昔よりネオシオニズム学説に篭絡されており、ネオシオニズム的国際主義、反戦平和運動を熱心にプロパガンダしてサヨぶっている。この構図を拒否しようとする新しい運動が勃興しつつある。れんだいこも含め草莽の士がこれに挑んでいるという構図になっている。れんだいこは、その違いをはっきりさせる為に、この流れを「歴史再検証主義」と名づけようと思う。

 2005.2.12日 れんだいこ拝

【栗原幸夫氏のレヴィジオニスト】
 ピエール・ヴィダル=ナケは、現代の歴史修正主義を包括的に分析した「記憶の暗殺者たち」(石田靖夫訳、人文書院刊)のなかで、概要「最初の『レヴィジオニスト』は、フランスで無実の罪を負わされたドレフュス裁判の『再審』を支持した人たちだった」と述べている(栗原幸夫氏の上記論評「歴史の再審に向かって―私もまたレヴィジオニストである―」)。

 栗原氏は次のように述べている。
 「このような『再審』というニュアンスで理解されたレヴィジオンであれば、私もまた、レヴィジオニストである」、「歴史はつねに『いま』から読み直されるべきものなのだ。そのような意味では、再審こそが歴史であり、人間の理念の歴史はこの再審をめぐる階級闘争の歴史だと言うこともできるだろう」。

【「『捏造された現代世界史』について」】
 「阿修羅」に「バルセロナより愛を込めて」氏より「『捏造された現代世界史』について」なる貴重な論考が為されている。これを転載する。
 「捏造された現代世界史」について

 「初めて投稿します」さんへ。お知り合いがイスラエルとパレスチナの両方におられるということで、気がかりになっておられることと思います。「なぜ?」という正確な理由もわからぬまま、憎み合い殺しあう悲劇だけは早く終わらせなければなりません。

 「現代世界史」については、各人、各集団、各国の直接の利害が絡むだけに、非常に複雑な情況があり、ある集団や国家に対して都合の悪い事実を暴いたり議論の元にしようとすると、殺人にまで及びかねないようなこともあります。例えば北朝鮮で「金日成・正日親子の無謬の歴史」に、ある事実の発見をきっかけにして北朝鮮の人が疑問を持ってそれを発表した場合、その人の安全は保障できないでしょう。北朝鮮ならあんな閉鎖的な国ですからしょうがない、とは言うものの、現在のいわゆる西側世界(日本を含む)は、北朝鮮とは程度の差はありますが、意外に閉鎖的なのですね。

 特にアラブ世界、アフリカ、中南米などに対しては。確かに「言論の自由」はあります。しかしそれも「ある一線」を超えた途端に、それが直接に人々の生命を脅かす「テロの勧め」のようなものでなくても、その個人は様々な形で社会的に、あるいは肉体的にすら抹殺されるようになっています。その「ある一線」は、現代世界で権力を握る国家や集団にとっての利害に関わることにまで及べば、作られてくるわけです。

 我々が「これが現代史だ」と、学校の教科書で勉強したり新聞・テレビなどを見て信じている「常識的」なものが、果たして本当のことなのか、現実に起こっていることとの不整合面はないのか、鋭く見分けていく必要があると思います。我々西側世界に住んでいる人間にとっては「常識」には逆らわず波風立てないほうが安全かもしれません。しかし「人はパンのみによりて生きるにあらず」で、物質的な条件だけで人間が生きるものではありません。私は、「本当の事を知りたい」という欲求は、食欲や性欲と同等に人間の本質だと思っています。

(私論.私見) 「バルセロナより愛を込めて」氏の「本当の事を知りたい」について
 「バルセロナより愛を込めて」氏の「本当の事を知りたい」は、意図的に混乱情報が振りまかれている現代にあっては知識人を自称する者に取っては必須の観点となるべきではなかろうか。れんだいこも、単に知識を増やすだけにより却って判断留保域を広げていくのは愚かというも憐れのように思う。

 2005.3.8日 れんだいこ拝
 前置きが長くなりましたが、「捏造された現代世界史」には様々な面があると思います。しかしその最大のものは、ナチスによるユダヤ人迫害からイスラエルの「建国」に続く歴史、つまりイスラエルという国家の「正統性」に関するものでしょう。いわゆるシオニズムについてで、これに関してはユダヤ人内部からも多くの疑問が寄せられています。

 しかし、歴史的な検討をする以前に、現在の実際のありさまに関して、それを見る人が「何かの疑問を感じるかどうか」が大きな鍵になるでしょう。何の疑問も矛盾も感じないような人が歴史を見たところで、「常識的な」歴史観で満足してしまい、自分にとっての新たな発見などできるわけがないからで、それに逆らうようなものの見方には眉をひそめ、場合によっては「陰謀論」としてロクに検討もせずに唾棄するだけに終わるでしょうから。私はそんな人とは話をする気は全くありません。

(私論.私見) 「バルセロナより愛を込めて」氏の「シオニズム考」について
 「バルセロナより愛を込めて」氏は、「シオニズムに対する歴史観」を正しく持つよう示唆しているように思える。「いわゆる陰謀論」について、「ロクに検討もせずに唾棄する」愚を叱責しているように思える。れんだいも同感である。

 2005.3.8日 れんだいこ拝
 まず、歴史的に迫害を受け続け、特に第2次世界大戦中に多くの犠牲者を出したユダヤ人が、現在パレスチナで実行している残虐なパレスチナ人迫害、自分たちが歴史的に受けてきた残虐行為をパレスチナ人に対してそっくりそのままやり返しているような現状を見て、重大な疑問を感じるのかどうか、です。

 また、ユダヤ人は実際に米国や欧州で巨大な経済的・政治的な権力を握っているのですが、そこまでの実力を持っている彼らがパレスチナの小さな土地に異常なまでの精力をつぎ込むことに、疑問を持つかどうか、です。そして、イスラエルには米国や欧州(特にドイツとオーストリアからの第2次大戦の『賠償』ですが)から巨額の資金が流れ込んでおり、イスラエルという国はその外国からの資金によって成り立っているのです。では、『賠償』としていやでも取られるドイツ・オーストリアはともかくも、どうしてアメリカがイスラエルの「財政係」「資金調達部」をしなければならないのか、この点に重大な疑念を抱くかどうか、です。
(私論.私見) 「バルセロナより愛を込めて」氏の「現在パレスチナで進行中のシオニズムの蛮行批判」について
 「バルセロナより愛を込めて」氏は、「現在パレスチナで進行中のシオニズムの蛮行」を批判している。「シオニズムの蛮行」を西欧列強諸国が資金的に支援している実態をも批判している。れんだいも同感である。

 2005.3.8日 れんだいこ拝
 またイスラエルとは直接は無関係でも、現在の社会の中で「常識」として信奉されていること、例えば「9.11同時多発テロ」や「イラク戦争」などに、何かしら胡散臭さを感じ、「なぜ世間ではそう言われているのか、そのように宣伝されているのか、本当のことは一体何なのか」という関心を持っているかどうか、そしてそれが胡散臭いのなら「誰が何のためにそのような『常識』を植え付けているのか」という点に、あなたが重大な関心を持っているかどうか、という点が恐らく根本的で決定的な分れ目になるでしょう。
(私論.私見) 「バルセロナより愛を込めて」氏の「9.11同時多発テロ」や「イラク戦争」に対する胡散臭さ考
 「バルセロナより愛を込めて」氏は、「9.11同時多発テロ」や「イラク戦争」に対して胡散臭さを感じ取っている。この観点を持つかどうかが「根本的で決定的な分れ目になる」と述べている。れんだいも同感である。事実、操作されている新聞、テレビ情報を鵜呑みにして米英ユ同盟の悪巧みを免責している者が多いだけに、「胡散臭さを感じる力」は必要と思う。

 2005.3.8日 れんだいこ拝
 以上の点について、もしもあなたが「なるほど」とお思いなら、下に挙げる様々な資料に眼をお通しください。(英語のものもあります。)しかし、もしあなたが「なぜそんなことが必要なのだ」とお思いなら、悪いことは言いません。何もお考えにならないことです。場合によっては周囲から白眼視され、極端にいけば身に危険が及ぶことすらありえます。しかし私は、先程も申しましたように、「本当の事を知りたい」という欲求は人間の本質だ、と思っておりますので、あなたが自ら納得のいくまで資料をお調べになり、「現代世界史」がいわゆる「常識」の範囲内の歴史といかに異なるか、をご理解いただけることを確信いたしております。
(私論.私見) 「バルセロナより愛を込めて」氏の「身の危険」考
 「バルセロナより愛を込めて」氏は、「本当の事を知る」ことが「身の危険」に及ぶことを示唆している。これは本当の警句だろうと思う。

 2005.3.8日 れんだいこ拝
 私自身は、結論から申しますと、シオニズムとナチズムは「双子の兄弟」であり、その「親」は欧米の巨大資本(とりわけユダヤ資本)、イタリア・ファシズムは彼らの「末弟」であると思っています。シオニストは、特に初期のころは、決してユダヤ人を代表する組織ではなくユダヤ人自身からも遠ざけられておりました。

 シオニズム運動を軌道に乗せるためには「ナチスによるユダヤ人迫害」が必要だったのです。もちろんイタリア・ファシズムでもそうです。そしてそのナチスを支えたのが欧米の巨大資本でした。その中には現米国大統領ジョージ・W・ブッシュの祖父もいます。第2次世界大戦は茶番劇であり、舞台上で華々しく戦った「主人公」たちの言動のみが「歴史」として学校で教えられていますが、決してその「演出家」については触れられません。なぜなら彼らは現在でもやはり「演出家」でありつづけており、歴史解釈については直接の利害を持っているからです。
(私論.私見) 「バルセロナより愛を込めて」氏の「シオニズムとナチズムの相関関係」考
 「バルセロナより愛を込めて」氏は、シオニズムとナチズムの関係を「双子の兄弟」と喝破している。れんだいこは、ここは当面見解留保しておく。

 2005.3.8日 れんだいこ拝
 当然ですが、私は「アウシュビッツ」「ホロコースト」は大嘘だと確信しております。もちろんナチスはドイツやポーランドなどにいたユダヤ人に凄まじい迫害を与え大量の虐殺を行ないました。それが絶望したユダヤ人たちをパレスチナに向かわせ「ユダヤ人国家を建設する」というシオニストのたっての願いをかなえるものだったからです。

 そして「アウシュビッツ」「ホロコースト」は、まず、ドイツ・オーストリアから大量の『賠償』をせしめる道具、次に、イスラエルとユダヤ資本の悪辣で残虐なやり方に対して世界中の人間の口を封じ積極的にイスラエルを応援させる(特に米英)ための武器、そして、「本当の事」を追求する人間に対して「ネオナチ」「陰謀論者」というレッテルを張って「ミソもクソもいっしょにして」葬り去るための手段として、第2次大戦後に発明されたものだ、と確信しています。
(私論.私見) 「バルセロナより愛を込めて」氏の「アウシュビッツ、ホロコーストの嘘」考
 「バルセロナより愛を込めて」氏は、「アウシュビッツ、ホロコーストの嘘」を確信していると云う。れんだいも同様の結論に達しつつある。

 2005.3.8日 れんだいこ拝
 しかし、私は別に「権威ある歴史学者」でも何かの「職業研究家」でもなく、ただ「本当の事を知りたい」と願う一個人ですので、あなたに私の考えを押し付けるようなことは一切したくありません。重ねて申しますが「本当の事を知りたい」という欲求は人間に本質的なものだ、と確信しております。したがって、「本当のこと」は、各個人の内部から出てきた欲求に従がって各個人が様々な情報を元に追求すべきものであり、他人の意見に付和雷同する種類のものではないと思うからです。ですから、私の考えていることはさておいて、どうか以下の資料に眼をお通しいただき、いわゆる「常識的な現代史」と比較されて、どうかご自分の感性と頭脳でお考えになり、ご自分で結論をお出しいただきたいと思います。
(私論.私見) 「バルセロナより愛を込めて」氏の「常識的な現代史批判」考
 「バルセロナより愛を込めて」氏は、「常識的な現代史批判」の必要を述べている。れんだいも同感である。

【「血と涙を大地に吸わせ続けた人類史」考】
 「Re:血と涙を大地に吸わせ続けた人類史、しかし嘘は最も許せない」を転載しておく。

 Re:血と涙を大地に吸わせ続けた人類史、しかし嘘は最も許せない
 http://www.asyura2.com/0406/war56/msg/959.html
 投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2004 年 6 月 21 日 07:03:02:SO0fHq1bYvRzo
 (回答先: ありがとう 投稿者 初めて投稿します。 日時 2004 年 6 月 21 日 00:44:10)

 血と涙を大地に吸わせ続けた人類史、しかし嘘は最も許せない

 バルセロナのような街に居ますといろんな人に出会います。

 私が最初スペイン語を学ぶために語学学校に通っていたころ、初老のアメリカ人がスペイン語を学びに来ていました。話をしますと、ハンガリー動乱(1956年)の際にソ連軍の戦車に終われて、家族で命からがらオーストリアに逃げ、そこで乞食のような生活をしてドイツに移り、最後はアメリカに渡ってやっと生きる術を見つけたそうです。なぜそんな年になってスペイン語を学びに来たか、と聞くと、ロサンゼルス市の委託で貧しいヒスパノ・アメリカンたちの面倒をみる、言ってみれば民生委員のような仕事をすることになったためだ、ということで、「自分と同じように異国で苦労している人の役に立ちたい」と語ってくれました。私は、こんな人がいる限りアメリカという社会も見捨てたものではないな、と思いました。(現在このようなアメリカを見捨てているのはブッシュとその一党ですが。)

 また、後になって知り合ったチリ人の老女がいるのですが、1973年のビノシェットの軍事クーデターの際に命がけで脱出し、亡命生活の果てにバルセロナに流れ着いたと言う人です。1998年12月に、元独裁者ビノシェットがロンドンの病院に来ていて、スペインのガルソン判事がクーデターの際のスペイン人殺害の容疑で起訴したわけですが、彼女は、数万人の同朋を虐殺した独裁者への長年の恨みが晴れる可能性に喜んでいました。しばらくして会う機会がなくなったのですが、2年後に米国の圧力によってビノシェットは犯罪者としてスペインに送られること無く、チリに戻ってしまいました。彼女の嘆きがどれほどだったでしょうか。

 内戦の打ち続くコンゴからやって来た人とも知り合いました。キンサシャの大学で助教授をしており、奨学金をもらってカタルーニャ工科大学で数学を勉強するために来たわけですが、戦乱で自分の生まれ育った村は荒れ果て、こちらでの勉強が済んだらキンサシャの大学に戻りたいのだが、その前に村に帰って再建の手伝いをしたい、と語っていました。アフリカの国々の内戦の背景には、欧米の大企業による地下資源を巡る利権争いがあります。金のためにある部族を煽り立てて殺し合いをさせるわけです。こちらのテレビでは日本では決して写さない残酷な場面を放映しますが、今まで見た中でも、コンゴの内戦中に命乞いをする反対派部族の男を、銃を持った民兵が橋の上から川に突き落として上から銃で撃ち殺している場面が、最もショッキングでした。また対立部族の村を襲って子供たちの手や足を切り取っていくのです。片手や片足を失った幼い子供たちの姿は目に焼き付いて離れません。あのコンゴ人は今ごろどうしているでしょうか。キンサシャの大学に戻れたのでしょうか。わかりません。

 アルゼンチン国籍のロシア系ユダヤ人とも知り合って今でも付き合っています。おじいさんがロシアでのボグロム(ユダヤ人集団虐殺)を避けてアルゼンチンに渡ったのですが、彼はまだ共産主義時代だった東ヨーロッパで音楽を勉強してプロのピアニストになっています。ユダヤ人同士の連絡網があったのでしょう。しかしあまり熱心なユダヤ教とでもなくこちらではシナゴーグにも行きません。またイスラエルには決して行こうとしません。シオニズムが何か、うすうす感じているようです。

 もっともっとあるのですが、言い出すときりがありません。このような現代だけでなく、昔から人間の歴史は血と涙を大地に吸わせ続けた歴史なのでしょう。そして世界がどれほど悲しみや憎しみに満ちていても、そこで必死に生きていこうとする人間たちの姿を見ることができます。バルセロナの下町には、物乞いか泥棒でもするしか生きる術を持たないジプシーたち、時には白い目で見られながらも小さな仕事を分け合って生きる北アフリカのイスラム教徒たち、各国のマフィアに搾り取られながら生きる東欧や中南米の売春婦たちの姿であふれています。

 私もその中で日銭を稼ぎながら懸命に生きる貧乏人の一人です。どこでいつ、くたばるかも知れませんが、まあ死ぬまでは生きるだろう、などと努めて楽天的に生きるようにしています。どれほどむごいことが起こっても、どうせ人間の歴史はこんなものでしょう。

 しかし嘘だけは許さない。なぜなら「本当のことを知りたい」という欲求は食欲や性欲と同じく私の本性だからです。人を騙すやつらだけは、どんな権力者であっても金持ちであっても許せないわけです。嘘を教育やマスコミなどを使って多くの人間に信じ込ませるような悪魔どもは命にかけても許せない。そんな覚悟の無いヘナチョコが、ネットの書き込みで無責任な戯言を書いてみたり、他人の投稿にいちびってちょっかいを出すようなレスをつけたりします。阿修羅にもその手合いが時々訪問するようです。私はそんな連中は頭から無視するようにしています。

 「初めて投稿します」さんは非常にまともで真正直な方だと思います。どんな結論を見出されても良いと思いますが、よく一部の左翼的な連中が口にするような「弱い者の味方」ヅラをする「正義感」ではなく、あなたの本性から発するお考えを持っていただければ、と遠くで願っています。

 (ご面倒でしょうから、この文章に対するレスは必要ありません。)


【愚民党氏とバルセロナより愛を込めて氏の往復書簡考】
 2015.3.13日、4ネット検索で出くわした「愚民党氏とバルセロナより愛を込めて氏の往復書簡」を確認しておく。れんだいこが間に入っていることが快感である。ここで両者に謝しておく。

 「 阿修羅HOME > Ψ空耳の丘Ψ38 >」の愚民党氏の2005 年 2 月 18 日付投稿「歴史再検証論(主義)考  れんだいこ」を転載しておく。
 歴史再検証論(主義)考

 rekishisaikenshoco/top.htm

 (れんだいこのショートメッセージ)

 世に「歴史見直し主義」が台頭しつつある。れんだいこは当然の流れと観る。問題は、「歴史見直し主義」が世俗権力とのとめどない野合に向かっていることにある。そうではない、逆だろう。言い伝えられて来た歴史観を再検証し、それは同時に権力派のプロパガンダのウソを暴くことこそ任務となるべきだろう。よって、れんだいこの歴史再検証主義は、右派的潮流のそれと鋭角的に対立することになるだろう。そういう意味で、待望久しいサイトにしたい。

 2005.2.5日 れんだいこ拝

 「阿修羅戦争66」の2005.2.5日付「竹中半兵衛」氏の投稿「歴史の再審に向けて――私もまたレヴィジオニストである(栗原幸夫評論集・1 20世紀を読み直す)」により栗原幸夫氏の上記論評「歴史の再審に向かって―私もまたレヴィジオニストである―」を知った。 れんだいこは、栗原氏についてはかねてより、戦前日共の宮顕派による党内査問事件に対する言及で、細部は別としても当時の水準に於いて極めて適切な構図を示していたことに敬意を抱いている。その栗原氏の言及であるから興味を持って読んでみた。 その時、れんだいこにひらめいた。れんだいこ論文集の中に「歴史再検証論(主義)考」を取り上げ、れんだいこ観点と史観による歴史の見直しをしたい、と思った。「れんだいこのショートメッセージ」でも述べたが、既成のそれはれんだいこのそれと「ちと違う」のだ。どちらが正邪か、問うことにした。

 2005.2.5日 れんだいこ拝


【愚民党氏とバルセロナより愛を込めて氏の往復書簡考】
 「阿修羅HOME > Ψ空耳の丘Ψ38 」の バルセロナより愛を込めて氏の2005 年 2 月 18 日付投稿「貴重サイトご紹介、感謝。ある意味で、ショックを受けております」を転載しておく。
 貴重サイトご紹介、感謝。ある意味で、ショックを受けております。 愚民党さん、非常に興味深い貴重なサイトをご紹介いただき、ありがとうございます。ホロコースト問題について様々な角度からの見解を比較検討でき、発展途上の身である私などにとりましては実にありがたいサイトです。また、主催者のれんだいこ氏の幅広い視野と深い造詣、一つの物事を決していい加減に捉えない誠実な論旨の進め方には、敬服いたしております。

 氏のいくつかの考証の中で、私が今まで阿修羅に投稿いたしました拙い文章を転載していただいており、赤面の至りです。もちろん私は専門の研究者でもなく、ガス室論考については、それこそ他人の文章の引き写し以外にはできない立場の人間です。このことは「あった」「無かった」を叫ぶ大多数の人間の立場でもあるでしょう。

 しかし、私には「誰の言うことの方が信用できないのか」を判断する権利がある、そしてそれを公言する限りは「専門家で無い私がなぜそのように判断するのか」の理由をできる限り解りやすく説明する義務がある、と考えています。

 これが先日の私の2つの投稿

 http://www.asyura2.com/0502/war66/msg/1169.html
 投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2005 年 2 月 07 日 07:01:40:
 外野さんへ、そして「肯定論支持者」の皆様へ。史上最大の集団洗脳『ホロコースト』について。
 http://www.asyura2.com/0502/war66/msg/1254.html
 投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2005 年 2 月 09 日 00:28:31:
 外野さんへご返答、『ホロコースト』と現代世界について思うこと:あわれな方だ

 でした。これには読み返してみて自分でも恥ずかしいくらいに様々な未熟で粗雑な表現や思考が各所に表れているのですが、しかし私の基本的な立場や考え方は表現できている、と思います。れんだいこ氏にその点をご評価いただいたことは感謝いたします。

 これに対して、「あった」支持派の方からは、何一つ誠実な「自分はなぜ肯定論を信用し否定論を信用しないのか」の筋道の一貫した説明がなされておらず、揚げ足取りや部分的なケチ付け、レッテル貼り、挙句の果てに、他人の筋を通した論考をまともに読みもせずに、「論証せよ」としか言えないわけですね。そして一部の人は、相変わらず他人の文章の引き写ししかしない状態です。これでは、妨害専門に動員された某組織の手先、と考える以外に無いわけです。

 もし日本の様々な言論の場で「自分はなぜ肯定論を信用し否定論を信用しないのか」の誠実な考察を誰かが行っているのなら、れんだいこ氏は必ずそれこそ「対抗論争」として取り上げておられるはずでしょう。ということは、この程度の非専門家同士による多くの角度からの論考すらいまだに行われていない、ということになります。これはある意味で私にとってはショックです。日本はこんな情け無い状態なのか、と。  

 まあこれでも、インターネットですら話題にすることすらタブー、場合によっては犯罪とされる欧州に比べればマシですが、まだこれがネットでは本格的なパージの対象とされていない(出版ではとうにパージの対象となっておりネットでも今後の保証は無いが)日本でこそ、本当に真剣にこのような現代史のタブーをえぐっていく必要がある、と考えます。(3・11事件について私が一連の報告を送り続けているのも、その一環です。) 阿修羅と共に、このれんだいこサイトの活躍を祈っております。


 「阿修羅HOME > Ψ空耳の丘Ψ38」の愚民党 氏の2005 年 2 月 19 日付投稿「在野精神
を転載しておく。
 バルセロナより愛を込めてさん。ありがとうございました。戦争版ではいつも読ませていただき、感謝をしております。

 れんだいこさんが主宰をしております人生学院にはじめてアクセスしたのは2003年でした。豊饒な論文集におどろきました。ねばり強い思索の方であると感じ入りました。自分はれんだいこさんに批評精神のダイナミックな現在進行形を感じております。在野思想史家です。

 敗戦後の日本におきましては、「日米安保体制と平和憲法」の絶対論理矛盾下において庶民の自我は制御コントロールされてきたと思っております。「日本では思考ができない、思考することが苦しくなる」とはフランス演劇を媒介に、演劇批評の仕事をしてきた佐伯隆行さんが80年後半に出版しました「最終演劇の誘惑」で書いておりました。たしか1987年頃、自分は読んだのでありますが、その頃の自分は敗北主義ではないのか、などと思ってきました。

 しかし90年代から現在までを生きてきまして、「日本の批評装置は弱体化している」と思いこみが激しくなってきました。絶対論理矛盾体制こそが現代日本の空気でありまして、その空気に抗して独自的な思考を建設していく作業は困難であると感じております。論理はつねに、絶対矛盾の現実の空域に中毒を起こして、占領軍基地をみたくないといいますか・・・占領軍基地前の道路を歩きたくないといいますか・・・

 自分は昨年、横浜深谷米軍通信基地そばの工場で働いたのでありますがバスで基地前の道路を通るたび、空域には独自な緊張感がありました。通信基地でありますか、異常なアンテナがいくつも建っております。電磁波のせいか、精神的身体的にも、自分には異常空間でありました。日本で独自的な思考ができないのは、占領軍と下請け自衛隊が日本列島に電磁波のバリヤーでドームを生成しているのかもしないない・・・などと疑っております。

 日本ドーム、それが敗戦後の大経済主義唯一価値観でありまして、「別に現実の米日安保ガイドラインと日本国憲法が絶対矛盾で体内中毒を起こしていても、よかんべ、おら、知ったことじゃねえよ」と近代法国家の憲法である国是を日々、自己否定している営為こそ現代日本でありますから近代論理といいますか法論理が破産しているわけであります。

 またまた自分の思いこみなのですが日本で論理が建設できるのは、市場経済生活のみではないかと思ってしまいます。論理が徹底して貫徹された日本ドームの市場経済生活は競争が過激で過酷であると思っております。ゆえに日本の現実は市場経済生活において過酷です。敗戦後の国民的価値観が大経済主義唯一であったからです。

 市場経済生活の外に出ますと、一服できるのでありますが今度はマスメディア様がつくってくれます日本ドームとなります。ここは論理を中毒させますトレンド疾走地帯であります。全体主義スピードです。独自な思考を論理で建設していく人には苦しくなります。 それゆえに自分は京都に遷都しなければ、日本は閉塞してしまうと思っております。 日本におけます論理リアリティを日々剥奪します自我制御装置につきましては、今年の自分のテーマです。

 90年代は演劇批評も面白くなくなり、柄谷行人などに発見を感じてきたのですが今では読んでおりません。日本語での批評精神の健在を感じるのは、現在の自分にとってインターネットのモニターでの読書です。

 「近代」を世界中みんなで問い直すという価値観論争が求められます。これは、近代国家(=
先進国)国民の歴史的使命です。 それができなければ、イスラム世界にとてつもない大災厄を
振りまき、信仰篤きムスリムたちの命がけの戦いを通じて「近代」を問い直すというとんでもない歴史過程を招来することになります。

 「寄生性」&「知的謀略」が国際金融家や国際商人の“危険因子” - トヨタなど日本の国際商人(輸出優良企業)も“危険因子”を持ちつつある -
 http://www.asyura.com/2003/dispute8/msg/737.html
 投稿者 あっしら 日時 2003 年 3 月 06 日

 あっしらさんが提示されましたように近代の問い直しは必要であり、問い直せるか、それともできないのか、の岐路地点が今であると思っております。 れんだいこさんは近代史・現代史総体を問い直して行こうとしております。れんだいこさんのタブーに挑戦していく、あり方には、ダイナミズムを感じております。それはやはり68年~72年という怒涛の時期を身体の経験によって思考してきたからであると思います。覚悟が腹にあり柔らかい思索フットワークがダイナミズムをつくりだしているのではそう思っております。豊饒な問題意識をもっている方であると思っております。 バルセロナより愛を込めてさんに読んでいただいたことが、れんだいこさんとの言説流通の回路を開いていく契機になりますれば、素晴らしいと思っております。自分といたしまして、今後もれんだいこさんの論文集をそのつど転載投稿していきたいと願っております。 近代史・現代史総体を問い直している在野思想史家の存在を求めて、ネットで発見して行こうと思っております。

 自分が強制収容所をめぐる論議にはなかなか参加できず申し訳ないと思っております。ユダヤ人600万犠牲者説は、これまでの阿修羅の投稿言説において、嘘であることが、証明されたと思っております。ジオン兵士さんの投稿に確実性を感じました。

 ゴルバチョフが公表したアウシュヴィッツの「死亡リスト」──実際には7万4千人。うちユダヤ人は3万人。
 http://www.asyura2.com/0502/war67/msg/408.html
 投稿者 ジオン兵士 日時 2005 年 2 月 17 日
 バルセロナより愛を込めてさんの欧州報告を読みながら、欧州におけるシオニストによる言論封殺とその空気に危機感をいつも覚えております。 バルセロナより愛を込めてさんの欧州報告は、日本において貴重です。そこに批評精神の健在と批評装置の軌跡を感受している在野の人々は、日本に確実おります。読者はバルセロナより愛を込めてさんの読み手であり、その欧州報告は読み手に欧州の今から日本の今を見つめさせてくれます。読む行為とは発見であり、わが面を洗い、また精神の細胞は産まれていきます。

 言説には必ず流通性と応答性があります。それを実証したのが、れんだいこさんであると思います。自分は新聞もとっておりません。また最近は本もあまり読んでおりません。ほとんどインターネットで、モニターで文章を読んでおります。

 モニターは活字体で表示されます。71年の春に自分は印刷工になったのでありますが、それはガリ版のミニコミとか1冊しかない同人マンガ誌を、マンガ研究会の仲間とつくっていた自分にとって、印刷会社はあこがれでした。 軽印刷所でしたので、活字は清打ちといいまして、直接タイプ原紙にタイピストの女性労働者が打っておりました。それが自分の所に版として回ってきまして、印刷機にかけ、印刷しておりました。仕事をしながら活字へのうらやましさが情念としてわいたものです。

 日本のインターネット文化には、60年代後半から70年代のミニコミ運動の精神がダイナミックに流れております。高校とか大学そして、全国を横断する文学研究会やマンガ研究会の、そしてさまざまな住民運動とかのミニコミ発行の思いと記憶が大河として流れております。 80年代から90年代はマンガ同人誌がミニコミ文化を形成していったのであると思います。

 マスコミ・マスメディアに対抗する庶民のツールであるミニコミとは60年代からの伝統があったわけです。否、それは謄写版印刷が活躍した戦前からであるかもしれません。敗戦後におきます「つづりかた運動」は謄写版印刷が活躍いたしました。 吉本隆明も批評を書きガリ版でロウ原紙を鉄筆で切り、謄写版で印刷し、ひとりで発行していた「孤立を求めて連帯を恐れず」の執念の時期たる「試行」があったそうであります。 70年代後半とか80年代は神田のミニコミを置いてある書店とか新宿の模索舎に行くのが楽しみでした。

 一太郎を産み出したジャストシステムは謄写版印刷、そのガリ版形態から研究をしていったそうであります。電子において活字を生成させていく情念です。 活版印刷はやはり文字が美しかったです。 おそらく欧州と米国はタイプ文化史からインターネットに流れていったのであると思います。 日本の場合はガリ版からインターネットへの流れであると思います。

 絶対論理矛盾体制の空気で、独自的な思考による論理建設は、日本で困難なのですがガリ版ミニコミの蓄積が、おのれの手と指に記憶装置感覚として、いまだあるのかどうかが日本におけます庶民インターネットの今後を決すると判断しております。 ドームのなかでいつのまにか刷りこまれた物語を落として行く行為こそ、からだの自然であり近代史から現代史の問い直しから、新たな細胞が産まれる、これもからだの自然です。風呂に入るとからだがリラックスします。からだが疲れから再生するかのようです。

 バルセロナより愛を込めてさんの欧州報告を読むと、自分はなにかを発見したという読書の達成感があります、そしてからだに新たな細胞が誕生しております。 阿修羅の読者のひとりであるおらにとって、精神活動における風呂でもあると思っております。 自分は転載投稿ばかりで申し訳ないのですが、ひとり鉄筆で鉄版の上のろう原紙をその桝目に文字をあるいは絵を書いていた行為こそおのれの原点であると思っております。

 同時代精神は継承されております。そしてバルセロナより愛を込めてさんの言葉の作業は、日本において同時代として流通していくのです。これが現在進行形としてある批評の営為であり健在であると思います。

 世界権力はおのれが批評されることを恐れております。彼らの偉大なる詐欺が、「大王様は詐欺師でまるはだか」と言われましては、祭典が崩壊してしまいます。

 亡くなった自分の親父は百姓の農家に生まれ、百姓で育ちましたので、おらも百姓の遺伝子があります。阿修羅への投稿は大地におのれが立つ原態かもしれません。実存による根源への旅、その身体と精神活動は世界権力といえども、封じこめることは不可能であると思います。

 大王様の詐欺はいつかはばれるのです。少年が一言「大王様はまるはだか」と発すれば、暗転になり、観客の見る世界舞台は更新され、次なる世界が出現しております。それが人間の精神活動ではないでしょうか。細胞は死滅し、しかし同時に新たな細胞は誕生しております。人間の細胞は兆単位であり、兆単位の身体活動であります。言葉の流通がここにあります。言説はまた身体活動でもあると思います。

 ガリ版からインターネットへ、インターネットはたしかにUSアメリカの国防省が発明し、マイクロソフトが1995年から世界中に普及させました。しかし、日本のパソコンまでの流れは、西欧のようにタイプ機器からでなく、ガリ版の音をひきずっております。思考と論理そして記述において身体で<書く>、そこから言葉を選択し文章の<節>を、かたまりとして構築していく、思考と身体のダイレクトな双方向性、思考と身体の同時一体性として展開していくと思います。日本語<節>生成には身体性があると思っております。

 バルセロナより愛を込めてさんの作業は、れんだいこさんをはじめ、日本の在野思想史家の身体に届いており、各個人による探求と応答していることは間違いありません。 自己言及してしまい、すいませんでした。 バルセロナより愛を込めてさん。ありがとうございました。自分はこれからもひとりの読者として読ませていただきます。お体をご自愛されますことを願っております。 今後もご指摘ご批判よろしくお願いします。


 「 阿修羅HOME > Ψ空耳の丘Ψ38 」のバルセロナより愛を込めて氏の2005 年 2 月 19 日付投稿「Re: 「捨てた」ものと「得た」もの」を転載しておく。
 「捨てた」ものと「得た」もの

 心のこもったレス、ありがとうございます。 私こそ愚民党さんの書かれた文章を読ませていただいて、その度に、心が洗われ落ち着き、自分の至らなさを気付かされると同時に、自分の中に何かの新たな情念の胎動の予感が芽生えるような、そんな新鮮さを感じ、救われた気持ちにさせられます。時としては、私が幼いころに歩き遊び小さな祠に手を併せた山の中で全身で感じていた、日本列島の大地に潜む精霊からの声を聞く、このような感覚すら受けさせていただくこともあります。

 一見すると一神教に押しつぶされているかのように思えるスペイン社会ですが、しかしその下にやはり大地はちゃんと生きています。先日友人の田舎の別荘に招かれました。別荘といってもそんなに贅沢なものではなく、バルセロナの平均クラスの収入の人でも田舎に家を持っている人は大勢います。  

 ユーロ経済になって以来、地価が猛烈に値上がりして今では難しいのですが、以前は日本円で150万円も出せば田舎にある廃屋を買うことができました。バルセロナにはカタルーニャの田舎から出てきた人が多いため、少し収入に余裕が出てくると出身の村にある廃屋を安い値段で買って、週末になると出かけて行っては壊れた箇所の修理、壁の漆喰塗り、タイルの張替え、家具の積み込みなどを数年かけて行います。

 家具といっても高級住宅街の道路に捨ててある大型ゴミを拾ってくるわけで、お金を使わずに、自分の家を自分の手で作っていくことを楽しみにして、週末や連休の時を過ごすわけです。

 その友人が持つアーモンド畑で、何十年ぶりかで鍬を握って土を耕し、手鍬で雑草を取る作業を手伝いました。土の匂いは日本のものと少し異なりましたが、その匂いの奥底にある深い香りは同じでした。ホッとしました。どのような宗教でも思想でも、大地を否定することはできません。

 スペイン人だけではなく、多くの国の人間たちの心のはるか奥底には「大地の精霊」としか名付けようの無いものが横たわっているのではないのか、と思うことがあります。以前に私は阿修羅にこのような投稿をいたしました。ご覧になったかもしれませんが。

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 http://www.asyura2.com/0311/war44/msg/440.html
 日時 2003 年 12 月 10 日 09:16:16
 Re:カタルーニャ名物、ウンコタレ人形

 もうじきクリスマスで、バルセロナのカテドラル(カトリック大聖堂)付近ではさまざまな出店でにぎわっています。そこで売っているものの中にちょっと面白いものがあります。陶器製の、伝統的には農夫のなりをした男がズボンをめくってしゃがみこんでいて、そのむきだしの尻の下には、金茶色に光る巨大なウンコがとぐろを巻いているのです。この人形をカタルーニャ語で「カガネー」つまりウンコタレ人形といいます。中には女性の姿も各界の有名人を模したものもあり、大きく開けた目を空中に向けて必死に腹の中にたまったものを出し尽くそうとしている表情で、思わず吹き出してしまいます。

 クリスマスの時期に神聖なるカテドラルの前で何たる下品な!、と思って地元の人に聞くと、「これこそ、大地の恵みと来年の豊作を保証してくれるカタルーニャの『聖なるウンコ』である」と神妙な顔で教えてくれました。

 つまりこういうことです。化学肥料の無かった昔は、洋の東西を問わず、人間の排泄物は土壌の栄養分の供給源として使用されていました。そもそもクリスマスの起源は、ヨーロッパ各地にあった冬至のお祭りで、最も乏しくなった太陽の光が再び成長を開始する時期を祝ったのですが、これがやがてキリストの誕生祝いに変わったわけです。その時期に、太陽の光だけでなく大地の豊かさも増すように願うことは、実に自然なことでしょう。

 人間が土から取れたものを消化してまた土に返す、これは自然界の物質循環の中ではごく当たり前のことでしょう。自分の出したものを水に流してそれがどこに行くのかすら意識に上らない現代の生活の中で、土から生まれたものは土に返す、こんな世界中の人間が太古から持っていた感性を、カタルーニャ人たちは実におおらかに、そして実に下品に「カガネー」にたくして表現しています。

 私も、子供のころ、便所の下の甕からウンチやオシッコを、今は亡きオヤジが大きなひしゃくでドボドボと肥え桶(私の地方ではコエタゴと呼びます)に入れて、竿の両側にかけて畑まで運んでまいていたのを思い出します。もちろんあたり一面すばらしい臭いが立ち込めるのですが、しばらくすると鼻も慣れてきて、別に飯を食うのに困ることはありませんでした。その畑から採れた豆やキュウリやキャベツを食って育ってきたわけで、カタルーニャ人が「聖なるウンコ」をたたえる気持ちは非常によく分かります。

 ついでに、ですが、昔はトイレットペーパーなどというものは無く、新聞紙を切ってお尻を拭いていました。ですから畑にまいたウンコにはコゲ茶色に染まった新聞紙の切れっ端が混じっており、それが育ちかけの豆の茎や野菜の葉っぱに絡みついて、そのままになっていました。それが2週間たち3週間たちすると、太陽の光と雨風によって白くさらされてきて、書いてある文字まで良く見えるようになるのです。「お天道様が清めてくれる」とはこのようなことか、と子供心ながら納得したことが思い出されます。

 まことに汚い話で、ご飯を食べている人には申し訳ないことをしました。すいません。
 【引用終わり】

 このような感覚は、私が日本に様々な利害を捨て人のしがらみを断ち切ってバルセロナに移り住み、ゼロから自分の人生を作り直しつつあったときに、私の心の奥底から再び湧き出し、ある意識の形をとり始めてきたものです。

 米軍か自衛隊の電磁波が日本列島をくるんでいるのかどうか、まではわかりませんが、確かに日本を捨てて何もかも異なる世界に身を置き続けることで、逆に日本を取り戻したような、そんな思いがすることがあります。私の部屋がインターネットに接続したのが一昨年の夏ですので、それまで長期間にわたってほとんど新しい情報を入れませんでした。地元のテレビやたまに買う新聞で、それも半分も理解できない状態で、まして日本についての情報などはほとんどゼロに等しく、インターネットで洪水のような情報に接したときに、もう浦島太郎状態でした。しかしそこで、この捨てて空白になっている期間を過ごす前と過ごした後とで、明らかに物事の受け取り方もイメージの仕方も異なっている自分を発見したわけです。

 それは恐らく、自分の肉体と肉眼の感覚でものを見る、という、はるか以前にはあって以前には忘れていたものでしょう。愚民党さんの『日本の場合はガリ版からインターネットへの流れであると思います。』というご観察には敬服します。ハッとしました。確かにそういわれてみますと、はるか昔、がりがりという音を指の骨に響かせながら原紙を削っていき、修正液が無くなってマッチの燃えカスで蝋のかすかな匂いをかぎながらあわてて修正し、手をヌメヌメの真っ黒けにしながら次第に原紙がくたびれてずれてくるのを直しては謄写版をこすっていた、あのしつこさでキーボードを叩いているのだな、と思い当たるわけです。これは眼からウロコでした。

 眼耳鼻舌身意のうちで意のみが肥大化し、他の五感が偏った方向以外にはほとんど抹消されている現代の社会であることもまた、少なくとも欧米および日本などの世界では共通でしょうが、日本にもどこの国にも、皮膚の感覚、目の感覚、大地を踏む足の裏の感覚を保っている人が大勢いるはずです。これだけが、パンドラの箱の底に残った唯一の希望です。

 私は肉体感覚――大地・自然界と通底する物質としての肉体の感覚――の喪失した論理を信用しません。それは悪魔の論理であり悪魔の言葉です。愚民党さんの書かれた文章には、これは木村愛二さんの文章にも感じることなのですが、この肉体感覚があるのですね。これはもう「なに」という理屈ではなく、私の皮膚が直接感じることです。したがって逆に悪魔の言葉も私の皮膚で直接感じるわけです。日本語であるとスペイン語であると英語であるとを問いません。

 逆に言えばこのことが、あらゆる言語や習慣を超えて、人間の中には世界を破局から救える何かがあるのではないか、という予感につながってくるわけです。

 『自分は転載記事ばかりで・・・。』いえいえ、私は愚民党さんの直接書かれた文章を知っており、転載記事の奥にある肉体の目をいつも感じています。今後も愚民党さんの文章に接して心を洗わせてください。こちらこそ、ご批判、ご指導、ご鞭撻のほど、よろしくお願いします。


【歴史論見直し派の台頭必然性考その1】
 ここで「歴史論見直し派の台頭必然性考」をものしておく。目的は、歴史論見直し派の歴史検証に対して、国際ユダ屋の息のかかった御用学派による罵詈雑言を斬り返す為である。契機は、「★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK163 >」の赤かぶ氏の2014.3.23日付け投稿「安倍首相への批判の言葉「歴史修正主義」とは?(THE PAGE)」を目にしたことによる。転載元は「安倍首相への批判の言葉「歴史修正主義」とは?」のようである。これを参照する。但し、れんだいこ流に焼き直す。

  2014年3月頃の時節柄、安倍首相の従軍慰安婦問題に関する歴史認識について海外メディアの批判が相次いでいる。その多くの批判記事のなかで「歴史修正主義」という批判がなされている。例えば、米ニューヨーク・タイムズは、「安倍氏の危険な歴史修正主義」と題する社説を掲載し、英フィナンシャル・タイムスも「歴史修正主義者」と批判している。米議会調査局が2月下旬に公表した日米関係に関する情勢分析の報告書にも、「安倍首相は(略)歴史修正主義者の視点を持っている」と書かれている。この言葉を使って安倍首相を批判する海外メディアが多い。

 それでは、「歴史修正主義」とはいったいどういうものなのか。これに対しての既成の解説が全く恣意的であるので、れんだいこが訂正しておく。次のように解説されている。

 「歴史修正主義とは、すでに確定している“歴史的事実”について異議を唱え、存在しなかったかのように主張したり、修正を迫ったりすることです。歴史の『見直し=リビジョン』を提唱するため、こうした人たちは『リビジョニスト』とも呼ばれています」。

 この解説の不正なところは、「歴史修正主義が“歴史的事実”に対して異議を唱えている」としているところにある。ここには二つの詐術がある。一つは、「歴史見直し(リビジョン)派」を「歴史修正主義」と言い換えていることである。「見直し」を「修正」と言い換えていることになるが勝手に言い換えぬ方が良かろう。「見直し(リビジョン)」とは正確には「再検証」と云う意味である。こう訳すのなら良いが、「修正」と言い換えるのは、論理学的に見て批判し易いように前提を加工していることになろう。

 次に「“歴史的事実”」なる記述が臭い。「“勝者の歴史的事実”」と表記するのならまだしも良い。単に「“歴史的事実”」と書けば確定したものになり、そもそも検証、議論の余地がない。「歴史の見直し(リビジョン)派」は「“勝者の歴史的事実”」に異を唱えているわけで、「“歴史的事実”」に対してはこれから探ろうとしている。これが真相であるのに、「“歴史的事実”」と単に表記することにより、「歴史の見直し(リビジョン)派」に対して「“歴史的事実”に修正をせんとする不逞な輩」とする裏意味評が込められている。こういう悪論法作法は国際ユダ屋ネオシオニズムの得意とするものである。

 この国際ユダ屋ネオシオニズムの論理論法は論理学的に見て怪しいことは普通に分かることである。「歴史の見直し(リビジョン)派」は、「“歴史的事実”」とされているものに対して、それが、「勝てば官軍式の“勝者の歴史的事実”に過ぎない」として再検証を機としている訳である。これに対応すべき態度は、「まずは相手の言い分を聞く」ところから始めねばならない。その上で反論するというのが学問的作法であろう。そうであるのに、議論の前提に「“歴史的事実”」なるものを据えると、それから先は問答無用になるか罵詈雑言しかあるまい。これが普通の気づきであるところ、何と器用に国際ユダ屋テキストに沿って口を回す者が多いことか。これを自称インテリがやるものだからインテリレベルのお里が知れよう。

 もとへ。続いて次のように解説している。

 「しかし、時代を経て新たな事実などがわかった場合、それまでの歴史がいろいろな角度から検証され、『修正』されるのは本来当然のこと。この歴史修正主義が否定的な意味で使われているのは、それこそ歴史的な経緯があるのです。その大きな理由は、ナチス・ドイツによるホロコースト(大虐殺)の否定論者が自分たちのことを『歴史修正主義者』としたからです。かつてドイツが国家をあげて推進したユダヤ人への抑圧政策、とりわけアウシュビッツ強制収容所でのホロコーストは、人類史上最悪の惨劇といわれています。ところが、第2次世界大戦後、欧州では一部の人がホロコーストを疑問視するようになり、1970年代にはたくさんの否定論が登場しました。こうした人たちが『歴史修正主義者』と名乗ったため、欧州や米国でこの言葉が批判的な意味で使われるようになったのです。日本でも90年代以降、日本軍による南京事件がなかったなどとする人に対して使われるようになっています」。

 ここで、「歴史の見直し(リビジョン)派」がナチス・ドイツによるホロコースト(大虐殺)の否定をしていることが明らかにされている。その「歴史の見直し(リビジョン)派」が自らを「歴史修正主義者」と名乗ったと解説しているが解せない。実際には、「国際ユダ屋ネオシオニズム派」が「歴史の見直し(リビジョン)派」に対して浴びせる罵言が「歴史修正主義者」であるに過ぎない。仮に「歴史の見直し(リビジョン)派」が自らを「歴史修正主義者」と名乗っているとしたら、その人の脳内が変調であり語彙感覚が乏しいことになる。この辺りは翻訳能力も絡んでいるように思われるので、まずは原文の原意を確認し適訳すべきであろう。補足しておけば、2006.2月にドイツの歴史家・作家デイヴィッド・アーヴィングがホロコースト否定を理由にオーストリアで有罪判決を受けた時、イギリスのニュースメディアはアーヴィングに対して「修正主義者」という用語を頻繁に使用しているとのことである。これは、日本のみならず「世界的」にメディアが国際ユダ屋の支配下にあることから来る風潮であるに過ぎない。

  続いて次のように解説している。

 「欧州などのキリスト教徒が多い社会ではユダヤ人に対する根強い偏見と差別がありました。なにか大きな社会的混乱が起こると、そのたびにユダヤ人がスケープゴートにされることも少なくありませんでした。ホロコーストの背景には、そうした偏見や差別があり、欧州各国にもホロコーストを防ぐことのできなかった反省があるといわれています。そのため、ドイツやオーストリア、フランス、スイス、ベルギーなどではホロコーストを否定する行為を違法としている国も多く、リビジョニストの歴史学者や運動推進者が逮捕されたり、書籍が発禁になる事件がたびたび起きています。 かつて小泉元首相の靖国参拝も仏リベラシオン紙などが『修正主義』と批判したことがありました。ホロコーストを否定するかのようなイランのアフマディーネジャド大統領の歴史認識は、国際社会でのイランの孤立の一因になりました。『歴史修正主義』という言葉が否定的な印象を与えるためのレッテル貼りに使われることがあるのも事実ですが、国のトップの歴史観はそれだけ世界から注視されているのです」(真屋キヨシ/清談社)。

 ここで窺うべきは、流浪の民ユダヤ人が、かっての悲劇を受ける立場から逆転して、ホロコースト否定論、ひいてはユダヤ人批判を許さない法律を作り取り締まっていることであろう。ホロコースト否定論等は「ヘイトスピーチの一種」と認識され違法行為とされている。ここでは「ドイツやオーストリア、フランス、スイス、ベルギーなど」とあるので西欧諸国一帯にそういう法網が敷かれているのであろう。その際の批判の用語が「修正主義」、「反ユダヤ主義」、「ネオナチ」なる用語である。

 なるほどユダヤ人は祖国を持たない流浪の民として歴史的に生態して来た。しかしながら第二次世界大戦後はイスラエルを暴力的に建国し、今日では圧制の民として君臨している。その強権統治手法は「流浪の民としての悲劇」を何十倍にも裏返ししたものとなっている。「ユダヤの悲劇」は今や「パレスチナ難民の悲劇」となっているにも拘わらず、「ユダヤの悲劇論」でもって免責するのは公平ではなかろう。こういう問題もある。

 2014.3.25日 れんだいこ拝

 れんだいこのカンテラ時評№1143 投稿者:れんだいこ  投稿日:2013年 5月14日
 現代史と歴史探訪の相関考

 現代日本政治はお粗末極まり、俗に云うところの「お話しにならない」。全く面白くない。これの論拠を挙げればキリがないが、例えば原発対応能力が筆頭だろう。他国の原発事故ならいざ知らず、我が国で起り現に解決に向けての何らの進展がないどころか益々窮地に陥りつつあると云うのに、事故直後より政界要人の原発続投論が相次ぎ、安倍政権下では首相のトップセールスで原発輸出商談が調印されつつある。憲法は改正だが原発は護持と云う逆さま政治では「お話しにならない」。

 そういうちぐはぐぶりが目立つ現代日本政治であるのに、与野党はいつの時代にも増して大政翼賛会化している。何しろ、唯一の抵抗勢力化している小沢派に対しては自民党から共産党までがバッシング一番手争いをしている。異論、異端、非主流派をよってたかって叩くので政治が育たないこと夥しい。日本政治がこういう仕掛けに嵌まったのはいつの頃からだろうか。これを問えば紙数を増すので、ここでは触れない。

 れんだいこは、こういう折には不思議と歴史探訪に向かう。いわば歴史に遊ぶ。お粗末な現代日本政治に背を向け逃げているのかも知れないが、心情的には現代日本政治への関心が被(かぶ)さっている。何しろ、歴史探訪により、現代に繫がる政治の型が確認できるし、ある程度は現代日本政治の行き先が見えてくるからである。歴史探訪には、こういう果実がある。故に、単なる逃避ではないと思っている。

 但しこれは、れんだいこ史学特有のものかも知れない。れんだいこ史学は、上古代史であれ古代史であれ中世史であれ近世史であれ近代史であれ現代史であれ、常に今の政治状況の道しるべとする緊張感で何か益するところを探そうとしている。歴史学はこうあるべきとまでは云わないが、殊のほか歴史の縦の線を重視しているところに特徴がある。

 以上を前座として以下、ふと閃いたことを書きつけておく。歴史を見れば、いつの世でも体制派と反体制派と中間派の三派から構成されていることが分かる。これによれば、体制派と反体制派と中間派のどれが良い悪いと云うものではない。問題は、護持成育発展せしめて行くべき政治状況下の場合には体制派になれば良いし、逆の場合には反体制派になれば良いし、判断留保の場合には中間派の立場もあるだろうと云うことになる。れんだいこが育った戦後日本の場合には、戦後から1970年代半ばの田中角栄政権時代までは、体制派で良かったのではなかろうかと思っている。角栄がロッキード事件でトラ挟みに遭い、政治的能力を殺がれて以降は反体制派で行くべきではないかと思っている。興味深いことに、日本左派運動は、これを逆に漕いで今日まで至っている。即ち、戦後から1970年代半ばまでは日本左派運動が隆盛し、それ以降は全く逼塞したまま今日に至っている。こんなバカな話しがあって良いだろうか。こう思うたびに憤然とせざるを得ない。

 歴史にはこういうチグハグがまま起る。故に、もっと幅広く歴史を学び道筋を見いださなければならない。これに失敗すると、本人は精一杯正義運動しているつもりながらも、実際には逆の位置で奮闘しているだけのことになりかねない。特に今時は、国際金融資本帝国主義ネオシオニズムの陰謀陽謀が盛んな時勢であるからして余計に警戒せねばならない。アンネの日記に涙する傍らシオン長老の議定書を偽書扱いし、ホロコーストや南京虐殺事件となると口角泡を飛ばしてナチス及び日本軍の蛮行を詰(なじ)り抜くなぞは典型で、国際ユダヤお誂(あつら)えのテキストを良く学びました、御苦労さんと頭を撫でられて、テキスト通りの文句を口から吐いているだけのことと思わねばならない。

 しからば、どう学を形成すべきか。尤も手っ取り早く云えば、脳のしわを増す史学、史観を学べばよい。さすれば本当の歴史が見えてくる。もちろん、れんだいこ史学はそれを目指しているがまだまだ完成途上のものでしかない。この先は寿命との相談になっている。よって、観点を共有する他の有能士によって更に切り開かれねばならない。こうして得た知識、学問によって、現代日本政治のレベルを挙げなければならない。

 話しを元に戻せば、福島原発事故の始末ができぬ裡の原発輸出政策なぞ歴史犯罪であり、これ又国際ユダヤの陰謀によって誘われている度し難い愚行政治と見なした方が良い。後で高過ぎる国際的賠償問題が必至であり、日本がそれほどおバカにされていることを悲しまざるを得ない。

 そういう連中による政治は一事万事であり、他の施策も同様にせぬ方が良いことを為そうとしていると思った方が良い。こうなると、そういう日本政治に立ち向かうには容易な改造改良では追いつかないと心得るべきである。時代は回天運動を要しており、革命が欲せられていると思うべきだろう。但し問題がある。国際ユダヤ仕込みの自由化運動、民主化運動、革命運動に巻き込まれてはならない。日本式の世代を継ぐ回天運動を推進すべきである。そのコツを会得する為にも、歴史を学ばねばならない。学んだものは実践せねばならない。日本式陽明学の哲理で時代をこじ開けねばなるまい。思いつくまま。

【資料】
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ナチスとシオニストの協力関係
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Auschwitz Museum Director Reveals ‘Gas Chamber’ Hoax
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アウシュビッツ博物館の館長、「ガス室」のペテンを打ち明ける(Rense.com)
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ベルルスコーニを罵倒する:(3)シオニズム=イスラエルとのクサ~イ関係
http://www.asyura2.com/0401/war48/msg/845.html
ユダヤ人の真の敵はこんなシオニスト応援団だ!
http://www.asyura2.com/0401/war48/msg/848.html
ひとこと言い忘れた。『ホロコースト』は「金のなる木」。だから否定する者を攻撃する。
http://www.asyura2.com/0401/war48/msg/882.html
『ホロコースト』は超巨悪のプロパガンダ:私も「無かった」と断定します

【米国資本、ブッシュ家とヒトラーのつながり関連】
http://www.soshisha.com/books/1153.htm 
アメリカはなぜヒトラーを必要としたのか
http://www2.starcat.ne.jp/~delphyne/guerre0.htm
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http://www.tupbiosystems.com/articles/bush_nazi.html
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【現代イスラエル・ユダヤ関連】
http://www.asyura2.com/0403/war49/msg/357.html
イスラエル、スーダン、リビア秘密会談
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イスラエル応援企業
http://www.asyura2.com/0403/war53/msg/194.html
モサド、偽造ニュージーランド・パスポート、アル・カイダに?
http://www.geocities.jp/wss4653/rjudakokuhaku01.html
ユダヤの告白(宇野正美)
http://www.asyura2.com/0403/war51/msg/103.html
イスラエル諜報機関モサド元職員が告白「モサドはインドネシアや日本ですっかり地歩を固めていますよ」。
http://www.asyura2.com/0403/war55/msg/107.html
パウエルはユダヤ系(フォロー:ブレアー政権はユダヤ政権)
http://www.diplo.jp/articles04/0405-6.html
パレスチナの大義の普遍性
http://www.asyura2.com/0403/war55/msg/175.html
クリントンにイラク空爆をさせた精鋭シオニストユダヤ工作員モニカ・ルウィンスキー
http://www.asyura2.com/0403/war55/msg/211.html
テルアビブで十万人を超えるイスラエル人がガザ地区からの撤退を要求(エル・ムンド)
http://www.asyura2.com/0403/war52/msg/381.html
「大中東構想の脅威」
http://www.asyura2.com/0403/war53/msg/470.html
先ほどその場面をTVニュースで見ました





(私論.私見)