「吉野作造『所謂世界的秘密結社の正体』」考

 (最新見直し2012.04.14日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 「オニド」の「所謂世界的秘密結社の正体 吉野作造」を転載しておく(れんだいこ文法に則り編集替えした)。これは、1921(大正10)年6月号の中央公論掲載の吉野作造(1878〜1933)の論文とのことである。読めば分かるが、この吉野論文は、1921(大正10)年当時の日本に於ける反シオニズムを批判している。しかもこれが一等最初の「シオニズム批判の批判」になる。興味深いことに、吉野氏は、学者的研究心で批判する余りに、当時の反シオニズムの言説及び風潮を逆にそれなりに伝えている。ここに本書の値打ちが認められる。そういう意味で貴重文献になっている。全体に吉野氏の反シオニズム批判、親フリーメーソンの姿勢が滲み出ており、吉野氏の学究的能力のお里が知れるのはおまけであろう。更に云えば、れんだいこが注目しているデ・グラッペ著、久保田栄吉訳編「世界撹乱の律法 ユダヤのタルムード」愛宕北山氏の猶太と世界戰爭」、大川周明氏の「米国東亜侵略史」は、吉野氏のこの論文に対する本格的反論と云う位置づけを持つことになる。してみれば、1921(大正10)年当時の反シオニズムに対して、吉野作造は、「所謂世界的秘密結社の正体」で反論した。これに対して、久保田、愛岩、大川氏らが再反論した。する再々反論が出ていないと云う状況のまま今日まで至っていると云うことになる。これは知の頽廃だろう。

 次の事も付け加えておく。吉野作造は大正期のデモクラシー運動のイデオローグとして登場しているが、「所謂世界的秘密結社の正体」により大正デモクラシー運動のお里をも知れることになる。東京帝大頭脳の質をも示して余りあると云うべきではなかろうか。吉野氏の反論にも拘わらず、その後の世界史は久保田、愛岩、大川氏らが危惧予見した通りの進行を見せ今日に至っている。仮に吉野氏が今現在生存していたとして、吉野氏はどう嘯くのだろうか。あるいは本書持論を撤回する勇気を持つのだろうか。それと、本書を読んで、吉野氏の所説に合点し、シオニズム批判の批判に知恵を得たとして精出す者が出たとしたら、どう評すべきだろうか。同席を良しとせずとして席を離れるのは無論であるが、漬ける薬はないだろうか、逆に薬を漬けられるのだろうかふふふ。

 2012.04.13日 れんだいこ拝


 所謂世界的秘密結社の正体 吉野作造

 (一)序言

 今年春、東宮殿下御外遊の御内諾が発表された際、一部真面目な人々の間に、これをお留め申そうと云う運動がかなり猛烈に行われた事は、今なお我々の記憶に鮮かである。中にも浪人会の如きはその中堅となって堂々と活動して居った。国民の大多数が急に御外遊と御決定遊ばされた理由の如何に拘らず、等しくこれを誠に喜ばしい事と考えて居ったのに、何故にこれらの人々のみがかくまで反対の見解を固執せられたのであろうか。それには天皇陛下の御不例と云う事や、不逞鮮人の跳梁と云うような事も数えられて居ったが、これと相並んで矢張り重大な原因の一つとしてユダヤ人の陰謀と云う事の挙げられて居った事は、特に我々の注目を惹いたのであった。現に東宮殿下御出発後に於いて、浪人会が発表した疏明書の中には、「世界に瀰漫(びまん)せるユダヤ人の陰謀が根底深く且つ辛辣を極め居り」云々の文字がある。そこで問題となるのは、ユダヤ人と云うものは、一般に今日右のような怖るべき陰謀を本当に企てて居るのであろうかと云う事である。

 その後注意して新聞雑誌の報道や論説を見て居ると、ユダヤ人の怖るべき秘密の陰謀と云う事がちよいちよい見える。ユダヤ人と云うものはおしなべて陰険なものであるとか、社会に迷惑をかけて喜ぶものであるとか、社会、秩序を破壊し、就中君主国を撲滅することを主義とするものであるとか、この目的を達するが為には全然手段を選ばないとか云うのである。しかし常識から考えても、ユダヤ人が一人残らずこう云う陰謀に関係あるとか、又こう云う陰謀の遂行の目的で、すべてのユダヤ人が固く結束して居ると云うような事は有り得べきこととは思われない。この種の陰謀を企んで居ると云うものがあると云うだけなら、そはただユダヤ人に限ったことではない。それにも拘らずユダヤ人については一種妙な考えの我が国の一部に行われて居ることは争われない。しからば特に我々日本人はユダヤ人について委しく研究して居るのかと云えばそうでもない。ユダヤ人について多く知る所なく、しかもユダヤ人には警戒せよ警戒せよと云うのだから可笑しい。これには何か由って来る所がなければならない。而して私の観る所によれば、これが原(もと)をなすものは、恐らく彼のマツソン秘密結社の流説ではあるまいかと思う。

 マツソン秘密結社の事については一昨年の暮頃一度本欄に於いて、一応その荒唐無稽なる旨を述べた事がある。しかるにその後この流説は消滅しないのみか、益々頭蔓延するの傾がある。その云う所の大要を聴くに、ユダヤ人は古来頗る堅い結束をなし、秘密の間に怖るべき陰謀を廻らして世界全体を転覆し、自己の掌裡(しょうり)に完全な支配権を握らんとして居る。これをマツソン秘密結社と云うのであるが、非常に巧妙に秘密な運動を続けて居った所から、久しく世間に知られてなかった。これが昨今吾々に知らるるようになったのであるが、ロシアの過激派の運動は即ちその露骨な現われの一つで、これを手初めに漸次世界を征服せんとして居る。実に戦慄に値する怖るべき陰謀であると。大本教などはこれをそのままとって、彼の予言せる日本の事変は即ちマツソンの襲撃によるのだと誠しやかに説いて居るそうだ。独り大本教ばかりではない。その外いろいろな方面にいわゆるマツソンなるものについての流説が持ち廻られて居るが、要するにこれが本となってユダヤ人に関する途方もない誤解が形造られて行くものと見える。

 しからばマツソン秘密結社なるものの演説は何処から来たか。一つの淵源は西洋にある。もともとこう云う演説の起りは西洋にあるので、恰度パリ講和会議のあった頃、これに関する或る本が西洋でも問題になって居ったとて、これを持ち帰った人がかなりある。その本の一つは「シオン長老決議録」(Protocols of the Learned Elders of Zion)であるが、これに基いて一篇のユダヤ人論を書いたものに「時事新報」の下田君がある(4月中旬頃所載)。3月15日発行の「外交時報」に出た今井帝大助教授の長篇は主としてこれと、「ユダヤ牧師のユダヤ民族に与えたる訓令」との紹介である。これらの材料を氏はヨーロッパに留学中、ロシアに於て手に入れられたものだと云う事である。何にしてもこう云う方面の紹介は極く最近の事で、日本の一部の人の間に深くこの流説の種を植えつけたものは恐らくシベリア方面から来た材料であろう。

 予の聴く所によれば、その頃シベリア出征軍の最高幹部に居った某将軍が、矢張り前記の書物を手に入れ、これを盲信せられたものと見えて態々翻訳して印刷に付し、多くの人にこれを頒ってこの怖るべき運動に対する警戒と覚醒とを促したとの事である。シベリア在住の将校官吏の間にはかなり広く布り撒いたたものと見えて、予の知れる青年中シベリアに居る親や兄から大事な又は有益な書類として送って来たと云ってこれを見せてくれたものが少からずある。而してこれを原として日本内地の或る筋で作った出版物で「過激思想の由来」と題するものがあるが、これがまた一部有力なる人々の間に、かなり弘く布り撒かれたので、そこで彼のいわゆる危険なるユダヤ人の陰謀と云う誤解が強く広く信ぜらるるようになったのである。

 思い出せば一昨年の春頃の事であった。シベリアに居る一友人から書画を貰った。目下当地方でユダヤ人及びマツソン結社なるものについてかくかくの説が行われて居るが、これに対する御意見は如何、当地に流布さるる印刷物を送るからよく見た上で意見を聴きたいと云うのであった。右の印刷物は内地の或る官憲の手を通じて届けらるる筈と申して来たのであったが、遂に今日に至るまで僕の手元には届かない。同年夏の終り頃になってシベリアから帰って来たと云うもう一人の友達がシベリアに於ける印刷物に基いて内地で作った或る筋の出版物なるもの一冊を持って来て予の批評を求められた。これが予のマツソン結社に関する邦文の書き物を手にした初まりである。5、6頁繰り返して見ると、その荒唐無稽なる事がすぐに眼に着いた。そして少しでもかくの如きものを信ずる人の愚かさと、又こう云うものを利用して新思想圧迫の用に供しようと云う人々の浅はかさとを嘆ぜずには居られなかった。段々読んで行くと、これが西洋にその頃行われて居った或る種の運動を無反省に翻訳したものなることが分った。こう云うものを持て囃すことのむしろ大きな恥辱であることを話し合って別れたのであった。

 しかし、こんな見え透いた方法で新思想の圧迫を遣ろうとする浅はかな態度は、我が国の頑迷者流の間には珍しい事ではないから、その後それとなくこの問題に関して注意を怠らなかった。するとこれについていろいろの事を耳にした。マツソン結社の事はこの春以来随分隠密の間に内地の各方面で宣伝されて居ると云う事を聴いた。軍事に関する或る有力なる雑誌には春頃数回に亙って連載されたとか、中国辺りの或る新聞には同地某師団長の談として二、三回に亙る記事があったとか、又或る方面の或る筋では、急にユダヤ人の身分調べをやったとか、新たに来朝するユダヤ人には誰彼の区別なく尾行をつけたとか云う風説もあった。当局までが、この流説を信じてすべてのユダヤ人を猜疑の目を以て視ると云う説は恐らく誤りであろう。けれどもユダヤ人と云えばただ何となく世人が不安を感ずると云う風はちよいちよいと見えた。嘘から出た真も、こうまで発展してはユダヤ人こそいい面の皮だと心窃かに気の毒にも思ったのであった。

 同じく一昨年の10月末頃であったと記憶する。「東京朝日新聞」に東北の某県で、「過激派の陰謀」と題する出版物を広く県下の役場、学校、図書館その他民間の有志に配り、その中にあらゆる新しい運動を罵り論(あげつら)う文句が沢山あると云う批難の記事が載って居った。段々研究して見ると、県庁の肝煎りの下にできて居る民力涵養委員なるものが、中央の或る筋からの配布を受けたこの出版物を見て、極めて時勢に適切な有益なるものとなし、公費を以て多くの部数を複製し、態々推奨の書面を添えてこれを配ったと云う事が分った。これも後で聴いた話であるが、さすが東北の僻陬(へきすう)でもかかる荒唐無稽の説を流布するに公費を濫費するの失当を鳴らすものがあり、為にこれが表沙汰となって、民力涵養委員の代表者が出版法違反に問われ、罰金刑に処せられたとやら、何れにしてもかくしてこの流説はかなり広く伝わったものと見える。よく読んだ人は無論その荒唐無稽なるに気づく筈だけれども、世間には読まずにただ大きい声で叫びたてる方に馳せ集まるものが多いものだから、案外にまたユダヤ人に対する誤解が解けずして伝わって行くかも知れない。而してこれが単にユダヤ人の迷惑だけで済むならまだいいが、我々はかくの如き笑うべき手段によって、新思想対抗運動を講ぜんとするものが、今なお有力なる人々の間にあるのを見て、これによって仮に一時でも文化の開発が如何に妨げらるるかを思い、遂に黙視するを得ずと云う考えを起したのである。


 これより予は現に我が国に流布さるる流説の内容如何を明かにし、これと一時西洋に行われたその種本とを比較し、更にかかる流説の西洋に特に行われた所以と、又日本の頑迷者流がこれを悪用して、為にする所あらんとした魂胆を明かにし、更にこれが為に不当の冤罪を被ったフリー・メーソンリーについて一言弁明する所あらんとする。

 (二)マツソン秘密結社

 前掲出版物は「過激思想の由来」と題して居る。タイプライターで刷った140頁ばかりのものである。これによってマツソン秘密結社の何であるか、及びこれによってユダヤ人が何を計画して居るかの大要を有りのままに紹介しよう。

 マツソンとは云う迄もなく秘密結社の名称とせられて居る。これを中心としてユダヤ人の企てて居る陰謀は、「全世界を征服しユダヤ血統の王を立て世界にユダヤ人の主権を確立しよう」と云う事である(105頁)。この事の外国に知られたのは比較的最近の事で(この事後に詳説する)あるが、「陰謀その物は遠くユダヤ国滅亡の時に始まり、以て今日に至って居るのである。その間いやしくもユダヤ人が国家組織の中に深く喰い込んだ国は、いずれも崩壊して居るのを見る」(106頁)。何故に彼らはかくの如き陰謀を企つるに至ったかと云えば、二千年以来キリスト教国民に散々に苦しめられたからである。即ち陰謀の動機はキリスト教並びにキリスト教国民に対するユダヤ民族の復讐と云うにあるが、今日では単にそればかりではない。総ての国家に挑戦することになった。「もし今日までキリスト教との応戦に全力を傾倒したとすれば、そはキリスト教が各国に於て民衆の獣性を抑圧し、国家組織安康の基礎を形成して居ることを知って居るからである。マツソンの究極の目的とする所はキリスト教の撲滅ではない。更に進んで現世界に於てユダヤ血統の王の下にマツソンの主権を確立しようとするのにある」(113頁)。

 かくの如くユダヤ人は、すべての国家を滅ぼしてユダヤ人専制の下に世界を征服統一せんとして居るものと見られて居るが、かくの如き観察の真面目に受取らるべきものかどうかはしばらくこれを措く。予輩の特にここに注意せんとするは、西洋に於ける流説は、この秘密結社の挑戦せんとする対手をただキリスト教国のみ云って、すべての国家と云わないと云う点である。マツソン結社なるものを日本にとっても怖るべきものだと説く為には、この点に手加減をする必要を見たのであらう。

 マツソン秘密結社とは実はフリー・メーソンリーを指して居ることは、マツソン結社を注釈して「フリー・メーソンなり」と書いてあることによって分る(106頁)。ところが西洋に於てフリー・メーソンリーの事はかなり広く知られて居るが、その会員は実はユダヤ人に限って居るのではない。殆んど世界の人があまねく網羅されて居る。而して後にも説くが如く、これには三十有余の階級があって、上の階級の事は下の階級のものに秘密にされて居ると云う仕組になって居る。そこで我が流説は「入社するのはユダヤ人のみには限らぬ。32の階級があって……下級の●輩は、大工左官等と称する階級に属し、段々昇進して秘密を明かさるるのであるが、最後の秘密は最上級の社員たるユダヤ人の外誰も窺う事ができない」(8頁)と云って居る。そこで第二級以下の社員はすべて最後の秘密を知らず、何の為かを明かにせずして最上級のものに頤使せらるるのであるから、随分沢山のキリスト教徒なども社員にはなって居るが、結局ユダヤ人の為の運動に外ならない事になる。

 しからば、いわゆる最後の秘密とは如何なるものか。それは即ち前記の「シオン長老決議録」に記されて居ると云う。これだけを聴いても段々荒唐無稽の作り話しらしい臭いがして来るが、更にこの決議録が如何にして今日我々に知らるるに至ったかの説明を聞くと、紛う方なき妄説であることが明白になる。彼らは云う、ユダヤ人は実にこんな怖ろしい陰謀を企てて居る。又云う、彼らの運動の巧妙なる、この運動は二千年来殆んど外界に知られなかったと。又云う、今やこの陰謀の暴露に逢って我々はその陰険残虐なるに戦慄を禁じ得ないと。そこで問題になるのは、二千年も隠し了うせた陰謀が、どうして昨今急に知られたか、と云う事である。彼らの云う所によると、米国にある全結社の首領が同社総会の席上で述べた報告書の中に、秘密の条項を掲げてあるが、「この報告をした首領が自分の妻を捨て他の女と関係したので、その妻君が該報告の原稿を盗んでフランスに逃げて行って、当時フランスに住んで居たロシアの大地主なる某富豪にこれを売った。これは多分1880年乃至1885年の事であろうと思う。売却後二年を経て、この女はフランスで毒殺せられて了ったが、その下手人は遂に不明に終った」(124頁)と云うのである。その後右の原稿は或る裁判官に遺贈せられ、1895年露訳の上出版せられたが、秘密の手が忽ちこれを買い占めて焼棄し、一般読者の手に入らなかった。次いで1905年に第二版、1911年に第三版が出たが、その都度初版同様の運命に逢ったと云って居る(34頁)。重大事件の秘密を握って居るものが、他の女と関係した為に妻君の嫉妬に逢いそこから秘密が漏れたと云うような事は、この種の作り話によく出る手である。なまなかこんな来歴語を書いて居る為に、この流説は益々その真実性を失って行く。

 かくして、マツソン結社の本当の中堅はユダヤ人だとなって居る。ユダヤ人以外の社員も沢山ある。がそれらは本当の目的を知らずして盲動して居るものに過ぎない。一番奥にあって操って居るのはユダヤ人だから、この結社は即ち時代人の秘密結社と云っていい。マツソン結社は即ち「ユダヤ人を結束せる団体である」(5頁)。而して「彼らは一定の領土を有せず、一地に固着せず、世界の隅々到る所に散在して居るから、仕事が為し易い。彼らは世界に散在して居るが、結束鉄の如くで、互に気脈を通じて世界革命の計画の実行に努めて居る」と云って居る。これによって見ると、世界中のユダヤ人が悉く一つになって、同一の目的を意識して熱心に活動して居るように見えるが、これなども事実を飛び離れた飛んでもない独断である。

 こう云う怖ろしい陰謀のあると云うだけで、かなり世界の人が脅かされる訳であるが、更に進んで該書はこの結社と露国革命との関係を説き、ボルシエヴイズムの運動が即ちこの陰謀の最も雄弁な現われだと云うて居る。この書の標題が「過激思想の由来」としてあるのを観ても、その趣意は明かであらう。

 彼らは云う。露国革命の先鋒たるリボフ公やミリユーコフ公は窮極の目的を意識せざる第二級以下のマツソンである。彼らは民意に副う政府を作ろうとして君主政治を倒した。豈に図らんや、これユダヤ人の操る所なることを。やがてケーレンスキーが出て来た。「兵卒は将校に敬礼するを要せず」との命令に次いで「兵卒は将校を監視すべし」との命令を発して軍隊の破壊を企てたのは彼であって、而してこれはマツソンがなさしめた仕事に外ならない。しかし彼はマツソンの旨を徹底的に奉ずる事を躊躇したが故にやがて排斥され、レーニン、トロツキーの徒がこれに代って出て来た。この両人によってボルシエヴイズムは初めて徹底された(14−17頁)。「以上、革命の経路を一覧しただけでもマツソンの分子が加わるに従って破壊の程度が濃厚になった事が窺われるではないか」(17頁)と。「彼らは先づ軍隊に入り込み、非戦論を鼓吹し軍隊の解散を主張した。彼らは実に露国に於ける革命の扇動者である。彼らは今日なお依然として印刷物や流説によって盛んに下層民を扇動して居る。─要するに露国革命はユダヤ人の陰謀の実現である」(18−19頁)。かくして過激派は即ちユダヤ人の怖るべき世界顛覆の陰謀の有力なる発現であるから、我々はあくまでこれが撲滅を期せなければならない。過激派の侵略は如何なる形に於て来るものでも、我が国にとって最も怖るべきものである。これ容易にシベリア撤兵を断行し得べからざる所以で、又厳しく過激派かぶれの思想の横行を抑圧せざるべからざる所以であると云うのである。

 (三)世界征服の方法

 しからば、ユダヤ人がマツソン秘密結社を通じて世界を征服する方法は如何。彼らの云う所によると、第一には、自由平等博愛の思想を鼓吹することによって、民心の社会的秩序を紊乱することである。第二にユダヤ人の有する広大なる金力によって世界の人の物質生活を極度に苦めることである。第三には更に種々の手段を講じて人心頽廃の勢を助長することである。第四にはこの種の運動の遂行に最も邪魔になる君主制を何よりも先に打破することである。第五にかくしてなお世界征服の功を完うし得ざる時は、遂に最後の大々的革命手段に出づると云うのである。これらの点が「決議録」とユダヤ民族に与えたる訓令とに詳しく説かれてあるが、更にこれを簡単に要約したものが前掲出版物の二箇所に出て居る。

 フリー・メーソンリーが自由平等並びに四海同胞の人道主義の基礎の上に立って個人的道徳修養を専らとする団体であり、又一つには人種宗教等の差による各種族の抗争を排し、純乎たる四海同胞の大義の上に完全なる人類和親を主張するものであることは公知の事実である。而してこれが危険なる世界顛覆の陰謀の巣窟だと云うのだから我々には不思議である。何故かくの如き団体が世界顛覆の陰謀を企てて居るのだと伝えるか、と云えば、彼らは云う。自由、平等、平和の思想によって民心を荼毒(とどく)弛頽し、主権と国家とを崩壊せしめ、暴民の台頭を促し、これを以てこれをユダヤ人の支配下に置かんとすると。自由平等と云うと一寸見ると人道的だと云って人は喜ぶ。「而してその後ろの陰謀を知らぬから、自分が人道の為に盡して居ると思うて居るが、何ぞ知らん、その陰には破壊、革命、暴動、ひいては国家の滅亡と云う怖ろしいものが絡んで居るのである」(8頁)。彼らは自由平等の主張によって先づ君主独裁制を破り、盲目な群集の手に政権を移す。立憲君主制になったと云う事はそれ自身己に主権を弱めることになる。何故なれば、これは「主権者が政治の一部を臣民に与うることになる。即ち主権を弱めたものである」(10頁)から。更に進んで彼らは立憲政体を共和政体に導き更に無政府状態に引張って行く。この点に至って、天下は全くユダヤ人のものになる。「各国が無政府状態とまで行かなくとも、民主政体まで崩れた時は、彼らの目的が達せられたのである」(10頁)。かくして彼らは今日自由とか平等とか、四海同胞とか真面目になって唱えて居るものは、皆人道の為、世界平和の進歩の為に盡して居る積りであろうが、その努力の為に何物が現われ来るかと云えば、ユダヤ人の陰謀の遂行に便利な状態に外ならない。かかる状態を来さんが為に初めから悪意を以て自由平等を唱えて居るものも少なくないが、善を以てこれを唱うるものと雖も、畢竟マツソンの傀儡に過ぎぬから、我々はウッカリこれらに雷同してはならないと云うのである。

 自由平等の思想を鼓吹する事が、政治方面から壬申の頽廃を誘致するばかりでなく、又宗教の方面からも混乱を導こうと云うのである。「キリスト教会は吾人の最も怖るべき敵の一つであるからして、吾人はその勢力を失墜させる為不断の努力をしなければならぬ。即ちこれが為キリスト教を信ずる知識階級の間に極力自由思想(懐疑思想)を注入し、宗派教派の分裂を来たさしめ、その間の争闘を激烈ならしめるように力めなければならぬ」(99頁)と、前記「ユダヤ牧師の訓令」中に述べて居る。

 かくして人心を頽廃し、国家的精神を打破する事が隠れたる最後の目的であるから、この為には自由思想の鼓吹の外、どんな手段でも取る。戦後頻りに「国際」と云う文字を使うが、これもその震源はここにある。「彼らは盛んに国際という言葉を振廻して居る。曰く国際連盟、曰く国際警察、曰く何々など。いずれも国際と云う形容詞付きで、要するに国家と云う境界を取除いて世界の人心を統一し、金力によってユダヤの主権を全世界に樹立しようと云うのである」(11頁)。又曰う、「彼のウイルソンが主張して居る国際連盟や国際警察なんどという事は、ユダヤ人の政策をそっくりそのまま提議したものと云ってよい」(12頁)と。

 要するに「自由・平等・同仁なる語は盲従的な吾人の諜者によって世界の隅々まで喧伝せられ、幾千万の民衆は吾人の陣営に投じ、この旗幟を担ぎ廻って居る。しかるに実際をいうと、この標語は到る処平和安寧一致を破壊し、国家の基礎を顛覆し、非ユダヤ人の幸福を侵蝕する獅子身中の虫であって、従って吾が党の幸福を大いに増進し、事は諸君の直ちに首肯せらるる所であろう」(41−42頁)と「決議録」第一に述べて居る。荒唐無稽の作り話であるという面目は、ここに於いて遺憾なく発揮されて居る。

 ユダヤ人がどれ程恐ろしい陰謀を企てて居るとしても、彼らは差し当り領土を持って居ない。又兵隊も持って居ない。しからば吾々から見て少しも恐るべき理由はないではないか。と云うに、否、そうではない、彼らは実に何よりも恐るべき金力を擁して居る、金力の巧妙なる利用によって武器以上の効果を収める事を知って居ると云うのである。ユダヤ人は今日まで金の力でキリスト教国民を虐めたという事は、殆どヨーロッパ人の迷信と云ってもいい位だから、ユダヤ人はその有する金力の方面から恐ろしいものと説くのは、少くとも彼らの間には十分の効き目があるのである。そこで「決議録」の第22には、ユダヤ人をしてこう云う事を云わしめて居る。曰く、「吾人の掌中には現代の一大威力なる金力がある。吾人は如何なる巨額の金であっても、これを二日間に取出す事ができるのである」(86−87頁)。彼らは如何に金力を利用してその目的を達せんとするのであるか。自由思想の鼓吹によって小作人を地主に背かしめ、労働者を資本家に背かしめ、遂に労働者をして工場を奪わしめ、小作人をして土地を奪わしめる。しかしながら「農民の地主から奪った土地は、地主が経営したように開拓発展せしむる事ができるであろうか。労働者は工場主の様に企業を経営し得るであろうか。今の彼らの教育程度をもってしては到底できようがない。とどのつまりは土地なり工場なりの経営、少なくともその利益は、秘かに手を拡げて持って居るユダヤ人の手に落つるのである」(13−14頁)。かくして先づ各国に於ける産業の根本要素をユダヤ人の手に収めると云うのである。

 次に彼らは各国政府の財政の鍵を握ろうとする。今や欧米諸国の大都市に於ける経済界の中堅は、殆ど例外なくユダヤ人である。しかも各国の政府は軍備の競争の為に財政上大いに苦んで居る。そこで仮想的平和の下に各国を滅亡の淵に進ましめる為に、「吾人に残されて居る問題は、各国の国債の成立を容易にし、かくして世界財政の支配者となる事である。そうすれば遂には各国の鉄道を奪い、森林を奪い、大工場を奪い、同時に他の不動産の形に於いて関税並びに国税を手にする事を得るに到るであろう」(98頁)。

 それでもまだ完全に各国各民族を従える事はできない。そこで「なお騒乱を続け、平和を与えずに国民を苦しめる。即ち生活難で苦しめるのである。彼ら(ユダヤ人)の手で金融界を左右する事ができる以上、極めて容易に生活難を惹起する事ができると彼らは信じて居る」(11頁)。即ち広大なる金力を以って生活必需品の買占めによって一般人民を苦しめるのである。「生活難の為、一般人民は奴隷制度の下に於けるより以上の苦を嘗めて居る。既に国によっては擾乱が起ったのもある。やがて到る処に蔓延するのであろう」(45頁)。餓え「苦しめ抜いた揚句に、彼らのいわゆる一片のパンを人民に与えてその主権に帰属させるのである。……非ユダヤ人を奴隷のように労働さしてその金を絞り上げ、そして時々パンを与えつつ人心を緩和し、世界を支配しようと云うのである」(12頁)。言葉を換えて云えば「各国民の経済を破壊し、自己の掌中に富を収め、各国民間の和平を奪い、民衆を飢餓と失望との極度まで到らしめ、困窮疲弊の極、遂に世界の経済的優越権を掌握するユダヤ王に頼り、随喜の涙を流すに到らん時機を待つ」(114頁)と云うのである。随分人を食った話である。

 右のような方法で、武力によらずして世界を征服しようと云うのであるから、非ユダヤ人に対しては自由平等の思想を鼓吹すると同時に、淫靡・贅沢・虚偽凡ゆる悪徳の注入を憚らず、殊に文学の鼓吹によって少しでも多く人心の頽廃を謀らんとする。「決議録」の第14に、「いわゆる一等国と云う国々に、吾人は馬鹿な淫靡な実に唾棄すべき文学を作り上げた。吾人が政権獲得の後、暫時はこれを奨励する」(66頁)と云って居る。又曰う、「マツソンが文学美術の方面から風俗破壊を企てて居る事は、マツソン自身之を自白して居る。……現に一時ユダヤ人が根拠を据えた仏国に於ける文学の如きはその適例である。モウパツサンやゾラの作、その他有象無象の小説、一つとして然らざるはなしだ。……しかるに日本の文士は社会を荼毒すべくユダヤ人が故意に流し込んだ排泄物が入って居るのを知らずに、西洋文学をそっくりそのまま日本に紹介するから堪らない。……近来頻々起る裸体画問題なども亦然りである」(26−27頁)と。

 そうすると昨今世界に淫靡の風の流れて居るのは、ユダヤ人の為す所である事になる。そうするとミイラ取りがミイラになると云う譬えの通り、ユダヤ人自身も亦一緒に頽廃する事がないか。この点について本書の作者は「彼ら自身は如何に己を持し、又如何に彼らの主権を擁護しつつあるか」の点につき大いに学ぶべき点があるとして、次のような事を云って居る。「彼らは非ユダヤ人に対して自由・平等を鼓吹し、代議制を慫慂(しょうよう)し、民権伸長勧告して居るが、彼ら自身はカガル(秘密結社長)に対しては絶対の服従を為して居る。一例を挙ぐれば彼らは自ら餓えてもカガルに納付を怠らない。又非ユダヤ人民に対しては階級の軋轢を助長して居るが、自らは階級制を遵守して居る。又、非ユダヤ人に向っては贅沢を鼓吹するに反し、自身は如何に富んで居っても極めて質素で虚栄に走らぬ。夫婦の関係の如きも、非ユダヤ人に鼓吹するのと反対で頗る厳格である。彼らは人前に於ては一見淫靡の如く見ゆるが、実際は必ずしも然らずである。そして彼らの結束と相助の観念とは鉄の如くであって、非ユダヤ人をば欺きもし、苦しめをもするが、ユダヤ人がユダヤ人を欺き又は見殺しにする事は稀である。又子弟は最も厳重な監督と制裁との下に教育し、いわゆるユダヤ魂の涵養に努めて居る。それであるから殆んど二千年間流浪の生活を送りながら、彼らの民族性は今も昔も変らないのである」(29−30頁)と。酔払いの道楽親爺が自分の小供にだけ品行方正ならん事を求むると同じ様に、他人を散々堕落せしめて自身だけ一人厳格な生活を送ろうと云うのは、無論初めからできない相談ではあるまいか。もしそれ「貴族富豪の家庭に入り込んで居る男女の家庭教師、奴婢、番頭、執事及び非ユダヤ人の歓楽場に出入せるユダヤの女性、就中この最後のものは……非ユダヤ人の淫楽贅沢を故意に幇助して居るものであって」(40頁)、これ取りも直さず殉教の精神に富む吾が党の諜者であると云うに至っては呆れて物が云えない。ユダヤ人で妾を持つものがあるか、その女は非ユダヤ人に限るとか、又ロシアでは婦人共有法律を作って居る所もあるが、この法律の適用を受くるものは事実上純露国婦人に限られ、ユダヤ婦人に及んで居ない、これ皆非ユダヤ人を堕落せしむる為の魂胆に出づると云うに至っては、人を馬鹿にするも程があると云いたくなる。

 以上のような方法で、ユダヤ人は結局世界を征服先として居るのであるが、それがすらすらと目的が達成られるかと云えば、そこに一の大いなる障害がある。「ユダヤ人の世界掌握の陰謀の邪魔は、勲章を戴いた国家である。何となれば聡明なる君主は彼らの跋扈や主義の実行を許さないからである」(9頁)。「決議録」の中にもマキアヴエリ流の独裁君主制を謳歌し(39頁)又「政治問題とは社会の指導者が知ってさえ居ればよいのであって、社会一般民衆が容喙すべきものでではない」(52頁)などと云って居る。そこで世界の表面から君子国を絶滅すると云うのが彼らの最大の急務になる。「××××××××、×××××××××××××××××××」(××)。×××××××××××××××××××××××××××××××××××××。

 君主制を打破するには君主と民衆とを離反せしめなければならぬ。これが為に自由平等を説くのだ。而して君主に背いた多数の民衆は常にこれを友としておく必要がある。それが為には「凡ての社会問題殊に労働者の運命を改善しようとするような問題に対しては熱心な見方であるかのごとく仮面を冠る事」(103頁)が必要である。かくして暗に最近労働問題など担ぎ回るものは皆マツソンの手先であると云うような意味を仄めかして居る。何れにしても、「柔順にして且つ無智なる民衆の大部分は吾人の味方になって居るから大丈夫である」(101頁)。勝利は疑いないと云って居る。けれども万一計画の破れる事あらんか、その際は「吾人は如何なる勇敢な人間でも、これを聞けば直ちに縮み上ってしまうような準備をなしつつある。準備とは何ぞ。地下道の開設これである。吾人の計画の一般に感づかれる頃迄には、各国の首都に於いて地下道の完成を見るであろう。そうなれば一朝事ある時は、吾人は国家の重要機関を爆破する事ができる」(68−69頁)と云って居る。

 以上、述べたような方策を更に数箇条に要約して、次の如き行動計画なるものを掲げて居る(22頁−28頁及び114)。(一)、自由平等の思想の鼓吹により、個人的権利の拡張の名義の下に漸を以て主権を薄弱にし、愛国心を弱め、就中君主国の打倒を図る事。(二)、貧富の格差を大ならしめ、階級闘争助長し、下層民の手を借りて貴族富豪の撲滅を図る事。(三)、非ユダヤ人の間に隠微放縦の風を助長し、人間の劣情を発達せしめ、殊に人倫上最も大切なる貞操の如きは迷信として嘲笑するの風を流行し、殊に青年の気風を薄弱ならしむる事。(四)、ユダヤ教以外のあらゆる宗教の撲滅を図る事、殊にキリスト教撲滅の為には最も慎重なる方法を講ずる事、これが為には表面から露骨に攻撃する事を避け、キリスト教の仮面を被ってキリスト教の根底を覆す手段を執る事。(近頃、キリスト教が社会主義や危険思想の根源となって居るのは、実はマツソンがキリスト教を利用して居るのだと云って居る)。(五)、以上の計画の実行の為に新聞雑誌の言論機関を盛に利用する事。(世界の新聞の8割はユダヤ人の手に帰して居るとか、いわゆる世界の大勢などと云うものはこれらの新聞が国家思想破壊するが為に扇動するものだなどと云って居る)。(六)、かくして非ユダヤ人の民心の退廃を極度に進めた後、徐ろにその膨大なる金力を利用して確実に世界の制服の地位を占むる事。

 (四)マツソン結社の組織

 マツソン結社は全ユダヤ人の固い団結で、彼らは全世界に散在して居るが、その結束鉄の如く、互に気脈を通じて熱心に計画の実行に努めて居る。如何にして気脈を通じて居るかと云うに、77の支部を全世界に設け、北米合衆国南カロライナ州のチャールストンに設けられてある本部に於てこれを総括して居ると云う。支部はアジア方面にもあるが日本にも4箇所あると云うて居る(6頁)。

 マツソン結社は前に述べた如く表面は正義人道の標語を掲げて居る所から、その本当の魂胆を知らない者は、世界の平和の為だ、正義人道の為だと考えて入会して居るものが多い。かくしてその「組織は一寸見当がつかぬ程複雑である。即ち社会階級の総てを包括したもので、宗教、政治、経済、総ゆる方面に亘っており、学者、政治家、論客、芸術家、俳優、番頭、給仕等に至るまで総ての階級を網羅して居る。而して入社する者はユダヤ人とは限らない。32の階級があって、社員はその一階級に属する。下級の雑輩は、大工、左官等と称する階級に属し、段々昇進して秘密を明かさるるのであるが、最後の秘密は最上級の社員たるユダヤ人以外誰も窺う事ができない」(8頁)。これは即ちフリー・メーソンリーを眼中に置いたものである事が明白であるが、而もフリー・メーソンリーの事を知らずして恁んな事を云って居る所に無邪気な滑稽が表われて居る。

 そこで彼らの云う所によるとマツソン結社の社員は32の階級に分かれて居るが、これを大別して二つの階級に分ける事ができる、即ち一つはマツソンの悪辣陰険の真の目的を意識して居る最上級の者で、他の一つはただ正義人道の看板に眼が眩み、その陰に潜む陰謀を知らずして善意を以て世界破壊の運動の手先きとなって居る者即ちこれである。決議録の第9に曰く、「目下世界各国に於ては、我が党の作った種々の意見を鵜呑みにした連中が吾人の為に犬馬の労を取って居る。曰く君主制復興家、曰く専制政治家、曰く社会主義者、曰く共産主義者云々」(57頁)。かくしてこの種の正直なる愚民を使ってマツソンの最高幹部は着々として世界顛覆の陰謀の遂行に努めて居るのである。

 しかしながらマツソン結社は、如何にして本来馬鹿正直なる青年輩を自分らの陰謀に一致する事を得るか。非ユダヤ人の征服の為にその非ユダヤ人の子弟を使うと云うのだから余程巧みな手段をとらないと底が割れる恐れがある。これについては次のような事を云って居る。「一例を挙ぐれば最高秘密結社がキリスト教の権威を失墜せしめようとする時は、キリスト教的教育又は訓練を施して幾多の人民を牽き着ける。……表面ではキリスト教的道徳の涵養を以てその社の根本目的と揚言しながら、実際に於てはキリスト教の根本義を迷信なりとして排斥し、次いでキリスト教道徳の破壊に手を伸すのである」(106−107頁)。又云う、「最高秘密結社が●道人心を●●せしめんとする時は、適当な人士を選んで青年会を設けしめ、青年の気質に統合するような説を餌として徐々に目的を達せんとする。譬えば、子たる者は父母の要求が正当なる時に於いてのみ服従すべき者であるなどと説いて、子女をして父母を批評するの位置に立たしめながら、父母に背くの習慣を助長し、遂には親子の破壊を来さしめんとする。その他の政治的、文化的事業に至っても一として然らざるものはない」、「彼らが国民の政治思想涵養の目的を以て社を●す事があらば、そは如何なる愚者にも主権の活動に対し絶えず批評を加える特権を与えて、主権の権威を堕し、国家組織の解体に導こうとする陰謀からこれを為すに外ならぬ」(107−108頁)と云って暗に社会党や労働党もしくは急進党を呪うて居る。

 こう云う目的を達する為に特にマツソン社の骨を折る所は、飽く迄天下の耳目を欺く為に世界各国に亘って増設さるべきマツソン社には現在及び未来の大家を網羅すると云う事である。フリー・メーソンリーには、後にも述べる如く今日の政界で云うならロイド・ジョージとか、ウィルソンとか云う第一流の人物が皆這入って居る。それだけで見てもこの結社がユダヤ人の世界顛覆の陰謀の手先きなどになる筈はない。況んや知らずしてこれを助長して居ると云うが如きおや。けれども何処までもフリー・メーソンリーをユダヤ人の陰謀たるマツソン結社に結び着けようとするには、ロイド・ジョージも、ウィルソンも皆マツソンの徒と云わなければならない。かくして彼らは云う、できるだけ世間の耳目を瞞着する為に我々は一流の大家を網羅するのだと。こうなると馬鹿も休み休み云えと云いたくなる。

 (五)「シオン決議録」の内容

 二千年来ユダヤ人の抱いて居った陰謀、而して久しく秘密の中に隠れて居ったのが前に述べたような不図した事から最近やっと世界に暴露された陰謀計画の内容は、いわゆる「シオン長老決議録」に列挙されて居る。前に述べた事とは重複するがその大要を次に示そう。決議録は全体で24の項目がある。けれどもこれを系統的に分けると三大綱目になると思われる。

 第一に掲げて居る事は、マキアヴェリー流の独裁君主制の謳歌である。政治と道徳とは全く没交渉のもので、徳義を基礎とする為政家は政治家でないとか、いやしくも政治家たらんとせば偽善を旨として奸策を弄さなければならぬ、公明と正直とは政治家にあってはむしろ罪悪であるとか、吾人が今日止むを得ず行いつつある所の罪悪は後日善となるの日があろう、吾人の計画は、是非善悪の点よりもむしろ必要、不必要、利害得失の観点より判断されなければならぬとか云って、「政治の本領は幼少より専制政治の訓練を受けた者に限りてこれを発揮する事ができる。独裁君主のみが諸計画を概括し、国家機関の間にこれを案配し、秩序を立ててこれを処理して行く事ができるのである」(39頁)。これはマツソンの政治理想が如何に現代欧米の自由主義と相容れないものであるかを明かに示すものである。

 第二の項目にはかくの如きユダヤ人の独裁的主権を確立する前提として、先づ如何にして世界の擾乱を来すべきかの方法を論じて居る。ユダヤ人には武力がない。従って世界征服の事業を全うするためには、いろいろ特殊の方法を講ずるの必要があるのである。これについて彼らの最も得意気に主張して居る所は「世界各国至る所に数百万の諜者を配置し」(43頁)、「金力を以て言論機関を左右するのみならず、更に行政官を左右し」(48頁)、「各国の国家機関の運転を彼らの手に収め」(52頁)、「次いで又大統領の地位を自分の思うがままに左右する」(60−62頁)。かく国家の政治権力を掌中に収むる方策を講ずるの他の一方に於いて、又盛んに民心を混迷させる方法を怠らない。彼らは「刊行物の力を借りて科学に対する盲従を絶えず鼓吹し、ダルウイニズムやマルキシズムやニイチエズムらの成功によって思想界を混乱したのは我々の力である」(43−44頁)と云って居る。「表面飽く迄も労働階級を助けるような顔をして資本主義攻撃の経済学説を流布したのも我々だ」(54頁)と云って居る。

 自由の看板の下に政党を作らしめ、政権争奪の為に争わしめたのも我々だ。生活難の為に彼らを苦しめたのも我々だ。「かかる状態の所へ持って行って、我が党の士は人道とか四海同胞とかを標榜して、社会主義や無政府主義や、共産主義を我々が援助を与えて居る労働者に勧説するのであるから」、彼らは期せずして我々を救済者と仰ぐ。かくして我々は民衆を唆かし、「その手を借りて吾人の前途を妨げる者を撲滅すべきである」(45−46頁)。こう云うとつまり貧乏人が金持に反抗するのは自ら手を下さずして貴族富豪を撲滅せんとするユダヤ人の陰謀に基くと云う事になるが、しかし金持の大部分はユダヤ人である部の何う説明するか。そこで彼らは云う。「しかしながら彼らは吾人に猶太人の富豪には手を触れないだろう。何となれば吾人には彼らの攻撃の時までに事情が分かって居るから、予め適当の予防手段は講ずる事ができるからである」(46頁)と。

 この方法を以て進むに当り、「現今吾人を倒す事のできる勢力は国際間には何もない。何となれば一の勢力が吾人を攻撃すると他の勢力が吾人を防護するからである」(47頁)。要するにユダヤ人はこう云う悪辣な方法で世界を苦しめる。昨今世界を騒がして居るいわゆる危険思想や乃至その運動は皆猶太人に淵源する事だと云う意味がよく表わされて居る。

 終りに第三の項目には、ユダヤ人がいよいよその目的を達して世界を掌握した時には、どう云う風にこれを治めるかと云う事が述べられて居る。「吾人の天下となったならば……法律により世間に対して絶対的服従を要求する」(70頁)。これまで大いに擾乱されて愛国心も、宗教心も滅却して居るのだから、そう云う社会を治めるには圧制の外にないと。「吾人は社会の一切の勢力を掌握するため極度の中央集権を取り」、彼らを治むる法律は極度の圧制的なものでなければならぬと云って居る(50頁)。そうしておいて段々人民に服従の徳を教えて行く。

 この目的を達する為には「主要官庁から一切の自由主義者を駆逐し、これに代うる吾人が行政教育を施した者を以て」しなければならない。「我が党の裁判官は詰らない慈悲寛恕は正義の法則に違反する者なる事を知らねばならない」(71頁)と。弁護士の制度は「無責任な放縦な人間を養成するものである。弁護士は……ただ管被告のみを弁護する習慣を持って居る。……この故に吾人はこの職業を極限する必要がある」(75頁)。「更に吾人は大いに言論の取締りを厳重にする必要を認める。免状を持たずして出版業者、印刷業者たる事ができない。総ての刊行物に保証金を徴し、一頁毎に課税し且つ20頁以上のものには倍額の税を課する。雑誌の如きは大半これを国有にしなければならぬ」(64−65頁)。「かくして厳重に取締った上広く諜者や密告者を放って秘密の探偵をするから、殆んど不穏の陰謀の企てられようがない。それでももし警戒を厳にする必要な出来事が起った場合には、紛擾診断なるものをやる」(77頁)。それは雄弁家に頼んで不穏の演説をさせる。もしこれに共鳴する者多かった時には、直ちに警察の力を以てこれが一掃を図るのである。

 次に宗教については「ユダヤ教以外の他の一切の宗教破壊するとか、その為の過渡的の現象としては無神論者など跋扈させる」(65頁)とか、教育については「総合大学を吾人の方針通りに教育して無害のものにする必要がある。この目的を達する為には、総長や教授に詳細な秘密教程を授け、少しでもこれに違反したら処罰する事とする」(73頁)。「今までは非ユダヤ人の国家組織を覆すために故意に政治法律の課目を設けて来たが、我々の時代になればこれらは悉く省いて了う事にする。本当に我党の機密に参与して居る少数者だけにこれを授ければ好い。一般の人にはむしろ為政者の善い事計りを教える事にする」(73−74頁)。

 財政並びに公債政策についても詳細に述べてあるが●々しいから今は省く。要するにユダヤ人の天下になれば、如何に現代の世界が苦しまねばならぬかを特に欧米の下層階級の神経を悩ましめるように説明してある。

 以上を以て「決議録」の内容を大体述べ終った事にする。もっと詳しい紹介は、3月15日発行の「外交時報」紙上に乗せた今井文学士の論文に詳しいから、ついて参照せられん事を希望する。唯ここに一言付け加えておきたい事は、この「決議録」を振回すものが、このユダヤ人の陰謀の計画がその通り今日の世界的擾乱に表われて居る、予言のかくまで的中して居る所から観ても、現代の世界的擾乱は取りも直さずユダヤ人の為す所に相違ないと云う風に見て居る事である。我々から見れば、ユダヤ人の希望するような状態は一つも現われていない。現に現われて居る事は、ユダヤ人の予言を俟たなくとも予想され得るべき事柄である。これを予言の的中などと云うのが分らない。且つ又予言の的中だとしても、今日の世界的擾乱を見ていかにこれをユダヤ人の計画に帰して、彼らを陥れんが為に本書を拵えたものでないかと云う疑いもある。その為にや「決議録」の発行者はこれは最近に作ったものではない、1905年に出版されたもので、現に大英博物館には1906年8月10日の日付けで17門3926号として一本が保存されてあると態々断ってある。そんな事を弁じ立てて居るだけけこの本の下らないものであると云う真相が益々明白になるような気がする。

 (六)マツソンの余毒

 我が「過激思想の由来」は更にマツソン結社の秘密陰謀が古来幾度も世界の擾乱を企てたと云う事実を立証せんとして居る。その滑稽な立証方法の一つ二つを御目に掛けよう。

 第一に来るのがフランス革命である。フランス革命は正にマツソンの起したものだと断言して居る(115頁)。それからナポレオンとマツソンの関係の説明が面白い。ナポレオンはフランスの帝位に即くまではマツソンの徒で、又その指示を受けて居たが、皇帝となってからはつとにその勧告に従わざりしのみならず、国内に在るユダヤ人を公然敵視したので、遂にマツソンは種々の画策を廻らしてナポレオンを仆した。即ち一方に於いてマツソンの徒が多数を占めて居る当時の英、露、墺(おう、オーストリア)諸国の政治家を動かして欧州連盟を造り、他方に於てはナポレオン腹心中のマツソンを唆かして陰に陽にナポレオンの虚栄的野心を煽り、遂に滅亡的の事業を決行せしめたと云って居る(119頁)。

 次に露国を倒したのも亦マツソンだと云って居る。露国にマツソンの入ったのは余程以前の事で、アレキサンドル一世時代には既に廷臣の多くがこれに加わり、皇帝自身又その真目的を知らずしてこれに帰依し、為にその勢力は益々張って来た。しかるに1895年、最高幹部の総会は、露国の勢力を弱むる為に全力を注ぐ事を決議したが、当時のロシアは実にこの陰謀の為に絶好の機会であった。何故ならば政権は剛毅果断なアレキサンダルから優柔不断のニコライ二世に移ったのみならず、帝は即位の当初より露国マツソンの首魁たるウイッテの薬籠中のものであったからである。日露戦争を起したのは露国の転覆を希望するウイッテ一味のマツソンがやったのである。この戦争にロシアが敗けたので、マツソンの一味は一時私かに喜んだが、その後露国の国力回復が案外●かなるを見て、これではならぬと直ぐに又革命運動を起したが、●、国民多数のまだマツソンにかぶれて居ないのと、外、ドイツ皇帝の来●あって、運動は忽ち鎮定せられた。けれども彼らはこれに屈せず、言論機関を利用して盛んに破壊思想を注入した。露国に代議制を設けしめたのが即ちこの運動の一大成功であると云って居る(118−120頁)。

 今次の世界大戦とマツソンとの関係については次のような事を云って居る。「マツソン秘密結社は欧州大戦の準備に着手した。この決議は1898年になされて居る」(120頁)。これが為には、ドイツをして世界政策を取らしめ、これとイギリスとを●●せしむるに努めた。而して最初の計画では●●●問題で世界戦争を勃発せしめようと云う予定であったが、1906年に至って多少計画を変更し、三国同盟にはトルコ、ブルガリア等を加盟せしめ、又露仏同盟にはイギリス、日本を加え、この二大同盟を争わしめて欧亜の大国を疲弊せしめ、やがてこれらの国内に革命を起さしめようと云うのであった。而して米国は既に著るしくマツソン化して居るから、将来欧亜を併せてマツソンの世界的主権を樹立する時に策源地とする必要もあるから、二大同盟のいずれにも加わらしめなかった。この目的の為にマツソンはロシアに入っては英露同盟の必要を説き、フランスに入っては英仏同盟の必要を論じ、ドイツに入っては英仏露対戦準備が急務なる事を力説した。これらの国がうまうまとこの議論に乗ったのは、彼らの為に考えて見れば誠に危険な事であった。しかしマツソンは果してこの計画通りに行くかどうかを多少懸念して居ったが、愈々大戦が勃発すると予期以上の成功で、有●強大を謳はれた露国も見る影も無く崩壊したのでマツソンは大いに狂喜した。所がこれが為にドイツの勢が馬鹿に強くなり、自国の君主制を益々堅固にするので、これではマツソンの計画の進行に邪魔になると云う所から、更に改めてドイツ圧迫の新方針を執る事になった。これが為にマツソンは先づ以って米国を利用した。従来首鼠両端《しゆそりやうたん》を持し、多少ドイツに同情を有するかに見えて居た米国が、忽ち豹変してドイツの敵となったのはこれが為であると云って居る(120−123頁)。

 次にパリの平和会議に於いても亦マツソンが大いに活躍したと云うて居る。彼らは国際連盟や民族自決主義などは共にマツソンがこれを説かしめたものだと云って居るが、国際連盟の方はこの「美名の下に各国家の経済的政治的境界を取除き、各国の戦後の疲弊に乗じ全力を以て世界の覇権を握り、その盟主になろう」(121頁)と云うのであり、民族自決の方は「列強の多くは植民地又は多数の民族から成立って居るから、各民族が独立を宣言主張する事になると、列強が自然に崩壊しないまでも紛擾が絶えない事になる」(12T頁)。畢竟米国以外の列強を弱める手段であると云って居る。

 彼らは又云う。「もし欧州大戦前に日露独の如き純粋な君主国がなかったならば、マツソンはそのかねてより準備して居った社会革命運動を12ケ月以内に勃発せしめ、無政府状態を現出せしめて、遂に彼らの陰謀の目的とする所を達する事ができたであろう」(117頁)。故にマツソンの何よりも撲滅せんとする所は君主国である。そこで「露独の君主制を倒した今日、マツソンの徒は全力を挙げて×××××××を企てて居る」(123頁)。1906年以来、多数のマツソン結社が日本に設立せられたが、昨今普通選挙運動や労働運動や、その他日本固有の伝統に知られてなかったいろいろの新運動の起って居るのは皆その陰にマツソンの魔の手が潜んで居るのだと云うような事が仄めかされて居る。×××××××××××××××××××××××××××××××××××××× ×××××××××××××××××××××××××××××××××××(123頁)と云って、盛んに米国の対日脅威を説いて居る。かくして該書の結論に曰う「××××××××××××××××。×××××××××××××××××××××××××、×××××××××××××××××××××××××××」(125頁)と。

 (七)前記出版物の正体

 以上述べる所によって当該出版物の荒唐無稽を極めて居る事が、最早や極めて明白であろう。もしこれが民間射利の徒の手によって作られたものであったなら、殆ど識者の知る所とならずして終っただろうが、或る方面の有力なる筋よりに非常な大発見でもしたかの如く勿体をつけて頒布されたので、意外にもそれからそれへと伝唱され、遂に動かすべからざる一世界的事実として受取らるるに至ったのは、不思議と云うよりもむしろ滑稽の沙汰である。而してかくの如き事になったのは、畢竟人々が単純な伝聞によって軽率に信ずるという所から来るので、もしその半分でも又は三分の一でも精読したなら、恐らくは直ちにその途方もない出鱈目である事が感知せられたであろう。予の前段に照会した所はそれだけでもその荒唐無稽なる事を証明するに十分であると信ずる。

 更に当該出版物が如何なる拠り所があってできたか、又これを作る時の考はどういうものであったか等を考察して、該出版物の正体を解剖して見ると、その出鱈目なものである事は益々明白になる。予輩の観る所によれば、作者も云って居る通り、これには西洋の種本(たねほん)がある。而してその種本はフリー・メーソンリーとユダヤ人とに対する西洋人伝来の反感を利用して、ボルセイズムに対する不信を煽らんが為に作った、いわゆる為にする所ある●様本に外ならない。しかるに我が国の読者は恐らくフリー・メーソンリーの事も又アンチ・セミチズムの事も余り能く御存知なく、従って種本の真意を諒解せず、漫然これを卒読して、自分達の頑迷な思想の宣伝に利用しようとしたものだと考える。次に簡単にこれらの点を説明しようと思う。

 マツソン結社とは即ちフリー・メーソンリーの事だと云う事は読んでも分るが、又明白に断って居る所もある。而して読者はフリー・メーソンリーについて殆ど何ら知る所なかったと見えて、到る所にその無智を暴露して居る。例えば、「久しき以前より世界を擾乱し、遂には世界を支配しようとする組織立った秘密の結社がある。その名称は時代によって異って居るが、目下はマツソン結社と云って居る」(5頁)とあるが、しかしフリー・メーソンリーは時代によって名称を異にした事はない。一体マツソン結社と云う名から可笑しい。フリー・メーソンリーは時としてマソニツクと云う形容詞で呼ばるる事はある。現に「決議録」の中には、ジユーウイツシ・マソニツク・コンスピラシイ(ユダヤ人のマソニツク陰謀)などと罵倒して居るが、しかしどうもぢって読んでもマツソンと云う発音は出て来ないのである。甚だしきは英国ではこの結社をフリー・メーソンの名称で呼ぶが、ドイツ、フランス方面ではマツソン結社と云うなどと出鱈目を云って居るものもある。ドイツではフライ・マウラライ、フランスではフラン・マソンヌリーで、マツソンとはどうしても読めないのである。又該書はこの団体の総本山を「全世界最高バトリアーク社」(他の一本に、社の代りに座の血を用いたものがあった)(8頁)と書いてあるが、バトリアークを社だの座だのと訳した丈でも甚だしき無学を暴露して居るではないか。

 ついでに訳者のもっともひどい無学の一例を示しておこう。該書の18頁にこう云う注釈がある。「目下吾人はボルセオキを称してタワ゛ーリシチと云うて居るが、これはユダヤ人たる煽動者が群衆なり軍隊なりに向って演説する時にこの言葉を用いるのである。タワ゛ーリシチとは朋友、同輩の義で、諸君の代りである、ユダヤ神話の中にある該●である」(18頁−19頁)と。タワ゛ーリシチがユダヤ神話と関係があると云う事は、ロシア語学者に聞いても明かではないが、唯この言葉は純粋のロシア語で同輩の義であり、昔から社会主義者の好んで使った言葉である事は何人も知って居る。社会主義者が普通日常の会話に用いる君、僕と云う言葉の起源が、封建時代の主従の階級的意味を帯びるを不快とし、全然同列の人格だと云う意味を表わす為に、殊更に同輩と云う言葉を用いて居る事は、今に初まった事ではない。英人がお互にカムラードと呼び合い、ドイツ人がコレーグ、フランス人がコンフレールと呼ぶと同じく、ロシア人は多年タワ゛ーリシチと呼び合って来た。聞く所によれば日本の社会主義者の間にも、お互に呼び合う時にはカムラードと云う言葉を使うそうだ。これだけの事を知って居れば、シベリアに於けるロシア人がタワ゛ーリシチと云う新しい呼び方をするからとて、少しも怪しむべき理由はなかったのである。これをユダヤ神話に出るものなどと云うのに、随分人を馬鹿にした牽強付会ではなかろうか。

 当該出版物が「過激思想の由来」と題するも、全体四部よりなって居る事は前にも述べた。この第一の「世界革命の陰謀」はあと三篇の翻訳に与った日本人たる「某憂国の士」への起稿に懸ると断ってあるが、予の観る所では、最後の「マツソンの陰謀」も亦日本の作ではないかと疑わるる。第二「シオン長老決議録」と第三「ユダヤ牧師のユダヤ民に与えたる訓令」の二つは、共に明かに翻訳である。前者は僕の手許にもある。そこで第二第三の両篇は、余り正確ではないが西洋の種本の翻訳であり、第一第四の両篇はこれを翻訳せる某日本人の註解と見てよい。而して少しく精密に研究して見ると、その注釈がまた全然原書の真意を取違えて居るから面白い。最初僕がこの本を読んだ時、日本人の起稿と断ってある第一篇の趣意と、第二第三両篇の趣意とまるで違って居るのに驚いた。やがて第四篇を見ると、これが又全然第一編と同趣意でできて居るから、これは翻訳とは云うものも、恐らく日本製の偽物であろうと考えたのである。それにしても本書は過激思想の由来を説いてユダヤ人の陰謀の怖るべきを警告せんとしたものであろうが、西洋の種本の作者の着眼点と、日本でこれを利用せんとするものの着眼点とまるで違う。そこで予は故らに第二と第三とよりの引用は洋字、第一と第四とよりの引用は日本字で頁数を示しておいたから、読者に於いて少しこの点を注意して読まれたなら、直ちに矛盾のある所が明白になるであろう。

 先づ日本の訳者は何の目的にこれを利用せんとしたかと云えば、極端に頑迷な保守思想の擁護にある事は疑を容れない。尤も表面はロシアの過激思想と云うものはこういう恐ろしいものである、これが日本に入っては大変だからどうしても喰い止めねばならぬと云うて、或いはシベリア駐兵の口実にしたり、又支那に於ける新運動排斥の論拠としたりする点はある。これにもかなり重大な誤解はあると思うが、それでも単にユダヤ人の陰謀と云う恐るべきものが我々を脅かして居ると云う事実だけを紹介するのならよい。作者はここに止まらず、更に労働運動を初めその他凡ゆる社会的の運動より、普通選挙運動、否、立憲政治その物までを罵倒し、更に国際聯盟や平和運動の如きまでをも呪い、自由、進歩、平和等の目的を有する凡ゆる運動を皆マツソンの為す所だと云って排斥して居る。即ち日本に於けるこれらの文化的新運動の凡てをマツソンの汚名と共に排斥せんとするのがその根本目的であるようだ。驚くべき頑迷な反動思想で一貫して居る事は、前段の紹介によっても分るだらう。この点が又実にこの書がその傾向の頑迷者流に喜ばれ、秘密の間に大いに広く持囃された所以である。東北の或県では県庁の役人の肝煎りで民力涵養委員なるものが数万部を複製し、時勢に適切な極めて有益な読み物として、各郡市町村公館、学校、図書館、青年団、婦人会より誰れ彼れの有志にまで配って、一時大いに物議を醸した事は前にも述べた。そう露骨に反動思想を宣伝して居るだけ、また少しく心あるものが見れば荒唐無稽を極めて居る事が直ぐ分る。唯ロシアの過激派が引合いに出て居るだけ、而して過激派に対する疑惑不信の念は今日一般識者の間にも相当に強いだけ、鳥渡これに迷わさるる事はある。

 しかし西洋の種本も亦同じやうな目的で書かれたものかと云うに、そうではない。西洋の原書はユダヤ人の決議とかユダヤ牧師の訓令とか云う謂わばユダヤ人自身の書いたものと云う形で書かれてあるから、一見すると日本の訳者と同じように、極端な反動思想の宣伝のように見ゆるけれども、実はこれは非ユダヤ人が書いたもので、ユダヤ人がこんな不都合な事を考えて居るから、我々は自由と進歩と平和と人道との為にこれに警戒し、又これと戦わなければならないと云う趣意を述べたものである。即ちこの本の原作者の結局に於いて擁護せんとするものは、日本の訳者の極力排斥せんとするものと同一なのである。日本の訳者は自由と平和とを呪い、更に進んでこの種の思想並に運動の策源地としてキリスト教会及び青年会を罵倒して居るが、原作者はユダヤ人の陰謀の怖るべきを説き、キリストの光りと教会のそれとのみが能くこの魔手を抑える事ができると説いて居る(「シオン長老決議録」英文原書95頁)。西洋の作者はユダヤ人はこういう不都合な事を考えて居るから、真の自由の為に起てと云い、日本の訳者は自由進歩などと云う奴らは皆マツソンの手だからこれを排斥せよと云う。単純な利用の方法としては鳥渡巧妙のようであるが、能く読んで見ると、まるで真意を取違えて居るから可笑しい。

 「能く泳ぐものは水に溺る」の譬えで、能く利用したがるものは兎角飛んでもない誤りをする。日本の頑迷者流は日進月歩の自由平和の大潮流に、なかなか正面から抵抗する事ができない所から、とかく裏面から凡ゆる手段を弄してその陰険なる目的を達せんとする。西洋の本などで鳥渡都合の好さそうなものがあると直ぐこれを利用したがる。昔、山縣公が内務大臣であった時、ロシアのボビエドノスチエツフの本を翻訳して物議を醸した事があった。しかしこれは正面から立憲政治を呪い、民主主義を罵倒したものであった。今度又同じ目的の為に「シオン長老決議録」を利用したのであるが、なんぞ知らん、これは立憲政治や民主主義や並にその根底となる思想の擁護の為に書いた本である。唯書き方がユダヤ人が盛んにこれを罵倒すると云う形を取った所から西洋人なら直ぐにこれに唆かされてユダヤ人に対する反感を催すだけであるのに、これらの点に諒解のない日本人は、浅墓にも直ちにこれを取ってボビエドノスチエツフの本と同じように利用し得ると考えたのであらう。

 右の如く日本の方では飛んでもない読み損いをして居るから益々荒唐無稽なものになって了ったが、しかしそうでなかったにしろ西洋の原書その物が既に途方もない出鱈目である。そこで問題は何故又何の目的の為にこんな出鱈目が西洋で白々しくも説かれて居るかと云う点に集る。これにはその由って来たる理由があるのである。

 第一に何の為にこの本が作られたか。と云うにこれは欧米の民衆をボルセイズムから引き離さんが為のものである。これは予輩一人の考えではなくして西洋の批評家も既にこれを喝破して居る。ボルセイズムが独りロシアの天下を風靡して居るのみならず、欧州一般の下層階級に伝播して、政府当局者は勿論一般ブールジョア階級を非常に苦しめて居る。尤もブールジョアジーの立場が正しいのか、或いはこれに対抗する過激派感染(かぶ)れの民衆の立場に立つのが正しいのか、これは一つの大いなる問題であって、又人によって各々その観る所を異にするであろう。これについての議論は問題外だから特に之を避くるが、唯疑いのない点は、各国の政治家、資本家、その他中産以上の階級が過激派感染れの流行を非常に苦として居る事である。而して如何にかしてこれを撲滅せん事に心を砕いてゐる事も公知の事実だ。彼らは各自国の民衆の過激化を防がんが為にいろいろの手段を講じたのみならず、何よりも先づその源を一掃するのが先決問題だと云うので、ロシア本国に於いて反過激派勢力の勃興を助けた事も既に人の知る所である。けれどもこの目的は容易に達せられない。レーニン政府はロシアの民衆の間になかなか堅い根底を有って居る。のみならず、自分達の国に於いてもプロレタリアート階級は動もすればレーニンに加担して自国の政府の反過激派●●の行動を妨害せんとする。これには政府も資本家も手古摺った。又現に手古摺って居る。何とかして一般の民心をレーニン一派に●かしめんと苦心するけれども効果が揚らない。そこで最後の窮策としていわゆるマツソン結社の説を作り出したのである。何となれば欧州の人民の大半はフリー・メーソンリーとユダヤ人とに対して歴史的に特別な反感を有し、この二者の為す所だと観ゆれば、訳もなく民衆の反感を唆るに都合が好いと考えられるからである。かくして吾々は遂にフリー・メーソンリーとユダヤ人とについて少しく考えて見る必要がある。

 
フリー・メーソンリーの事は今詳しくこれを説明して居る暇がない。いずれ他日を期してこれを紹介して見たい。唯簡単にその輪郭だけを述ぶるなら、これは名称の示す通り建築石工の組合から発達したものである。起源については色々説があるが、広くヨーロッパに広がったのは、中世石造建築がイタリア方面から北欧に広がった頃にある。この石工が同時にある精神主義を伝えたので、今日では純然たる道徳的修養団体となって了った。ただ昔石工組合から発達した所から、今でも石工に絡んだいろいろの伝説を有って居る。彼らの集合所をロツヂ(小屋)と云うのもここから出て居る(但し羅典諸国ではオリエントと云う)。32の階級に分れて居る事は前にも述べたが、更に之を大別すると親方、中●、徒弟の3級に分れること、当時のギルドと同一である。而して各階級に於いて守るべき又養うべき道徳がそれぞれ設定され、それが又皆石工の道具に縁んだ名称を有って居る。物指しの道徳だのか、水盛りの道徳だのと云う種類である。物指しはものを測る標準だから即ち正義を表わすとか、水盛りは公平を表わすと云うような意味に解せられて居る。而して上の階級の事は全然下の階級には秘密になって居る。総じてこの組合は非常に秘密を重んじ組合その物がいわゆる秘密結社となって居る所から、いろいろの誤解を招いた事は今に初まった事ではない。今日はいろいろその内部の事も世間に分って居るが、しかし大体に於いて今なお秘密結社として発達して居る事は云うまでもない。

 
この団体の標榜する精神主義は何かと云うに、四海同胞と云う事である。フランス革命の標語たる自由、平等、四海同胞は実はこの団体の旗幟に外ならない。これフランス革命は彼らの陰謀に出づと昔から信ぜれた事のある所以である。とにかく四海同胞と云う点が彼らの最も重んずる所だから、昔からヨーロッパに絶えなかった人種宗教の争などに対しては、極めて激しい反感を有って居る。人類は凡て唯一人の神の子だ。いろいろの教は明暗の差こそあれ等しく皆神の光りを反映するものである。神は即ち宇宙の大建築師で、吾々はその一材料に過ぎない。石塊はそのままでは立派な建築材料とならないように、吾々も亦神の建築せんとする精神的宇宙の一分子たる使命を果すには、錐や鑿でいろいろ削りこなされなければならない。荒削りのままでは駄目だ。即ち道徳的修養を必要とする。而し吾々個人個人を神の目的に応う立派な建築材料たらしめんが為に、いろいろの宗教が生れたのだ。故に宗教も人種もいろいろあるが、帰する所は唯一つの神だ。しからば吾々は唯一つの神によって繋って居る兄弟ではないか。末節に拘泥して争うのは以ての外の僻が事がであると云うのである。そう云う立場であるから、一方には人種、宗教の争を緩和すると共に、更に進んでいろいろの平和的国際運動の原動力ともなって居る。その極、時として国境を無視し、反国家的なコスモポリタニズムに堕する事はある。けれども今日殆ど凡ての国際的運動は悉くこのフリー・メーソンリーに関係ありと云っても敢て誣言(ふげん)ではあるまい。

 かの、有名な世界の宗教家政治家学者文人にしてこの団体に入って居るものが又非常に多い。当代の偉人としてはウィルソン、ロイド・ヂヨーヂ、ブリアン等を数えられ得べく、少し古い所ではイギリスのエドワード七世陛下、ロシアのトルストイ、アメリカのマツキンレー皆フリー・メーソンである。更に遡ってはカント、ゲーテ、フランクリン、ワシントンその他数え挙げればいろいろの方面に際限はない。フレデリツク大王を始め独逸の皇室にも、これに帰依する者頗る多くがある。(最近では前カイゼル、ウィルヘルム二世を除いては殆ど皆フリー・メーソンであった)。して見るとフリー・メーソンリーは危険どころか非常に結構な、この上もない立派な団体と云わなければならない。僕自身にした所が縁故がないから入らないものの、できるなら是非これに入りたいと考えて居る位だ。西洋滞在中適当な機会があってこれに加入した日本人は、私の知人の中にも多少はある。知名の人としては嘗って外務大臣であった故林●伯は熱心な団員の一人であると聞いて居る。とにかくフリー・メーソンリーは危険な団体でも何でもない。むしろその一員たる事を誇って然るべきものと云っていい。

 しからばこれ程結構なものが何故欧米の一部の人の間に非常に嫌われて居るかと云うに、これには歴史がある。中世以来天主教会がこれを蛇蝎の如く嫌った為である。それが今日も残って居る。何故に天主教が蛇蝎の如く之を嫌ったかと云えば、フリー・メーソンのような主張が通れば天主教会の根底が動揺するからである。同じ耶蘇教でも天主教会はプロテスタントのように個人銘々の信仰を大事だと云わない。信者として最も尊重すべき徳は聴従である。けだし全智全能の神は、自分の名代としてこの世の中にキリストを生れしめ、キリストは自分の精神的後継者としてローマ法王を立てたから、ローマ法王が法王という位に於いて発言する時は、即ち神その物の発言であるから、彼は間違った事をしようたって間違いようがないものである。而して法王の旨は大僧正之を奉じ、大僧正通して更に幾多の階段を通して教会の教師がこれを教えるのだから、各信徒は即ちその教えを金科玉条として守ればいい。なまなか自己の判断を加えるのは、人間の智恵を以て神の智恵に対抗するものである。これ即ち聴従を以て信徒最高の徳となす所以である。天主教会は即ちかくの如き形式的論理によって神の意思の本当に表われて居る所だから、人間の魂を預り得る真の教会はこの外にはない。天主教会は即ち唯一の教会であると云う。プロテスタントは無論の事、その他の境界は真に人間を救い得るものでないから、これは言葉の正しき意味に於いて教会と云う事はできない。そう云う所から天主教会以外の教会を彼らは教会(英語のいわゆるチャーチ)とは云わずして殿堂(テンプル)と云う。だから天主教国なるフランスでは、英語のチャーチに当るイグリーズという字は初めから天主教会だけを意味するものと定まって居る。これを英語のチャーチやドイツ語のキルヘと全然同一と見てはいけない。英語のチャーチはドイツ語のキルヘをフランス語に訳す時は、その天主教会を意味するかプロテスタントを意味するかによって、或いはイグリーズと訳し、又或いはテムベルの字を当て嵌めなければならない。かく天主教会では自分の教会だけが唯一の正しい教会であると云う事を非常に強く主張して居る。吾々の想像にも及ばない程力瘤を入れて居る。成程、プロテスタント教会でも矢張り人間の魂を預り得る教会だと考えるようになっては、天主教会は立ち行くまい。自分の教会が立ち行かないとなると、利己的主張だと気付かずして遂にその反対の意見に極度の反感を抱くようになるものだ。日本の官僚軍閥が真に国家の為になるか否かを考うるに●あらずして、吾々を危険思想家扱いするのと同一の心理状態である。文明の今日フリー・メーソンリーを極端に憎むと云うような事は有りそうがないように考えられるけれども、しかし熟く考えて見れば、同じ様な事は日本にも存するのだから、その実毫も怪しむべきではない。

 
かくして天主教会では非常にフリー・メーソンリーを憎んで居る。中世ジエスイツトの盛んな時、宗教裁判の制度を利用して厳刑を以って迫害した事もある。これがフリー・メーソンの秘密結社として発達し来れる原因である。石工の技術を盗まれまいと云う所から秘密結社として発達したと云う説もあるが、主としては天主教会の迫害の為だ。こう云う歴史があり、且つ又現に教会の当局者が非常な憎悪の念を向けて居る所から、今日でもフリー・メーソン自身が戦々競々として教会の耳目を脱がれんとするの風がある。もしそれを一般教民に至っては、平素フリー・メーソンの頗る憎むべきを教わって居るから、フリー・メーソンが吾々の村に入って来たと云うような話でも聞くと、如何にも極悪非道の人間が吾々を脅かして居る位に考えて心配する。而してフリー・メーソンを嫌悪するのは主として天主教会だけれども、これに次いでギリシャ教会やドイツのような旧式の新教徒の間にも多い。要するに余程開けた人間でないとフリー・メーソンの事は分って居ない。大体としては厭なものと云う風に考えて居る。日本で云えば不敬罪に対するような、又は年を老ったものが社会主義者に対して抱くような考えを有って居る。であるからヨーロッパで人を陥れる場合に、彼はフリー・メーソンだと云うのが頗る有効に効くのである。

 フリー・メーソンとユダヤ人とは直接の関係はない。ユダヤ人も沢山入って居るには居る。が、しかし国によってはキリスト教徒でなければ入れないと決めて居る所すらある。故にこの両者をゴツチヤにするのは大変に間違であるが、これをやったのは畢竟フリー・メーソンリーに対する反感のみでは足りない。併せてユダヤ人に対するキリスト教と一般の反感をも利用せんとしたのである。そこで吾々は次にまたユダヤ人に対する反感即ちアンチ・セミチズムの事について少しく考えて見る必要がある。

 アンチ・セミチズムの事も詳しく云えば際限もない。これもヨーロッパの社会状態の内面的構成には非常に深い関係があるから、いずれ他日の機会に於いて述べる時があろう。とにかく欧州人は一般にユダヤ人に対して迷信的に反感を有する事、有田ドラツクが尾崎島田両氏や僕らを嫌うの比ではない。主としては彼らの祖先がキリストを十字架に掛けたと云う考えから来る。その他ユダヤ人が常にキリスト教の敵として発達して来たと迷信し、その金銭欲の強くて又残忍非道の事などを数え立てて、小説や戯曲やその他の物語を通して人々の頭に非常に深く植えつけた。「ヴェニスの商人」を読んで見ても、ヨーロッパ人がユダヤ人をどう見て居るかが分る。であるから最近までユダヤ人をば法律上又は少くとも社会上普通の市民と同等に取扱われないようになって居た。例えばユダヤ人は弁護士にはするが裁判官にはしないとか、兵隊にはするが将校にはしないとか云う類である。比較的ユダヤ人の寛大に取扱わるるイギリスに於いてすら、19世紀の初めまでは、ユダヤ人に対して種々の拘束があった。最近まで最も烈しく迫害されたのはロシアに於いてである。居住移住の自由が大いに拘束されて居るのみならず、時々大挙虐殺の厄に逢うた事もある。それほど嫌悪されて居るのであるから、人を陥れるに、彼はジユーらしいと云う事程有効に効くものはない。従って又さしたる事でない出来事でも、それはユダヤ人がやったのだと云うと、格別民衆への反感を興奮せしめる事もできる。殊に天主教やギリシャ教等の盛んな所に於いてそうである。

 そこでロシアの過激派を徹頭徹尾ユダヤ人の仕事と云う事に付会したのであらう。且つこれに加うるにフリー・メーソンリーに対する反感を以てすればいわゆる鬼に金棒だ。大いに民衆の血を湧かし、以ってレーニン一派を精神的に孤立させる事ができると考えたのであろう。であるからマツソン結社の最高の階級はユダヤ人だと云う出鱈目を延べ(この事の事実に反するは英国に於けるフリー・メーソンリーの総大将が、その即位までエドワード七世陛下である、陛下の即位以来はコンノート殿下であると云う公知の事実に見ても分る)。而して偶々ユダヤ人でないものがあると、無理にこれをユダヤ人だと付会する。ケーレンスキーについては、「彼は姓名こそ露人であれ、出生はユダヤ人である事が今になって明白になった。彼の父は学校教師であった。この教師は先妻を失い、後妻にユダヤの女を迎えた。その間に出来た子がケーレンスキーである。一説には彼は後妻の連れ子で、元の父もユダヤ人であったと云う。とにかく彼がユダヤ血統を継いで居る事は明白である」(15−16頁)と云い、又過激派頭目中唯一の非ユダヤ人と知られて居るレーニンについては、本当のレーニンは二年前ドイツで客死した。「現在のレーニンはこの死んだレーニンの旅行券──露西亜の戸籍制度は我国のと聊か趣を異にし、各々皆我国の旅行券のような体裁の戸籍券を持って居る。これが重要の戸籍證明書である──を盗んで、露人に化けて居るフオキルバウム(一説によればニコライ・イリツチ・ウリアノフと云う)と云うユダヤ人である」(17頁)と云って居る。随分白々しい牽強付会と云はなければならない。

 一体冷静に考えると、如何にヨーロッパ人でも、凡ての猶太人が皆鉄の如く堅く結束して恐ろしい陰謀を企らむと聞かされて直に、これを本当と信ずる筈はない。何千万と云う人間が悉く同一の目的に結束すると云う事は不可能の話だ。支那人や朝鮮人から観れば、日本人は一人残らず侵略的軍国主義に凝り固って居るように見えるそうだが、しかし内部に入って観れば、老人をして思想の混乱や国家の危機を叫ばしめる程バラバラになって居るではないか。政治的に統一されていないユダヤ人は尚更の事であろう。尤もユダヤ人は随分ヨーロッパで迫害されて居るだけ極端にひねくれたものはなかなか多い。権力を以ってする迫害があるだけ極端な無政府主義などを唱えるようなものも多くユダヤ人の中から出る。西洋で能く自由思想家同盟と云う会合に出席して見た事があったが、看板は名ばかりで実はユダヤ人のつむじ曲りが中堅になってキリスト教徒たる友人を誘って教会を欠席させたり、その他普通人の厭がる事をさせようと云う団体であった。あまり官憲が社会主義者を矢釜しく取締ると、穏健な日本人でも法廷で肌を脱ぐと云ったような態度に出づるものも出る。しかしてこう云ったものが沢山になると、もともと虐めたのが悪いと云う方は忘れて、人の厭がる事をやる奴が憎いと云う感情が先に立つ。こう云う所から昨今にユダヤ人が又格別嫌われて居る。

 しかしユダヤ人だからとて皆々こういうものばかりではない。オルソドツクスの方は今日なお厳格に昔ながらの態度を改めないし、その改良派に属するものは、その生活の様式を出来るだけキリスト教的に改め、これに属する知識階級の中にはフリー・メーソンリーなどに関係して居るものも少くない。これらの者の間には固より全部結束して不逞の陰謀を企てるなどと云う事は考えられない。要するにユダヤ人が凡て固い結束をして居ると云うのは、凡ての日本人が固く結束して世界の併呑を企てて居ると云うのと同じく、愚民はいざ知らず、識者は固より文字通りにこれを受取らない。唯ユダヤ人の間に起って居るシオニズムの運動は、各国に於いて政治的陰謀の嫌疑を受けて居る所から、ひよっとすると軽率なる人にはユダヤ人の陰謀と聞いて、もしやと疑わねばならない事がないとも限らない。だからユダヤ人の陰謀と云う流説は、昨今のような時代に於いてユダヤ人を陥れるには最も都合の好い話なのである。従って又或る者に対する反感を起さしめる為に、これをユダヤ人と引っつけるのは最も好都合なのである。

 かく考えて見ると、西洋に於いて如何にかしてボルセイズム対する一般民衆の憎悪反感を醸成する為、最後の窮策としてフリー・メーソンリーとアンチ・セミチズムとを利用した魂胆は略ぼ推察し得られる。作者と雖もその余りに馬鹿馬鹿しい事は知って居るに相違ない。が、こうでもしなければレーニン一派を精神的に孤立せしめる事ができない。背に腹は代えられないので、馬鹿馬鹿しいとは知りつつこう云う流説を流布したものだらう。従って作者の目指す所はフリー・メーソンとユダヤ人とに対して最も強き反感を有する天主教徒である事は、出版物の随所にこれを推知する事ができる。現に「決議録」の最後には、この風潮に対抗して悪魔の陰謀を看破るものは天主教会の外にはない、この悪風潮と戦う為には第8回のエキユメーニカル、カウンシルを開くの必要ありと云うような事を云って居る。このカウシセルは専ら天主教会の会議である事は云うまでもない。

 天主教徒を特に眼中に置いたと云う事は、最近英仏諸国が頻りにローマ法王庁に秋波を送って居ると云う事実と対照すると面白い。米国と法王庁との間に密接な交渉のある事は、新聞の電報にも明かである。ルーベーのイタリア訪問以来国交断絶の姿となって居ったのを、昨今もと通り公使を授受しようと云う話し合いが、仏国政府と法王庁との間にある事も●々電報せられた。それかあらぬか日本までが法王庁に人をやったりして居る。とにかく欧州に於ける民心の左傾に対する有力なる防波堤として、法王庁の勢力を利用せんとして居る事実は極めて明白である。しかしかくして結局その目的を達し得るか何うか、又この目的を達するが為にこう云う反動思想に頼る事が得策であるがどうかは問題である。がいわゆる苦しいときの神頼みで、政治家や資本家の天主教会の勢力に結ばんとして居る形勢はこれを看過する訳には行かない。

 しかしながら、こう云う魂胆は、前にも述べたような特別の事情があるので、ヨーロッパ人になら幾分か効く。又ヨーロッパの民衆を瞞着する目的を以ってかかる魂胆に出たものである事にも諒解はできる。けれどもヨーロッパとはまるで事情を異にする日本にこれを利用しようと云うのは、あたかも肺病病みに能く効いたからとて、その同じ薬を胃病患者に与うるようなもので、何らの効目のあるべき道理はない。故にこの流説を日本で振り回す段になると、その運命は唯一笑に付せらるるのみであらう。有繁の西洋に於いてすら、今やこの魂胆は正体を見露わされて三文の値打ちもないものになった。それを日本に利用しようと云うのだから、その愚寔に嗤うべきであるが、偶々これを本当でもあろうかと若干気にするものがあるから呆れる。一昨年の3月、朝鮮の万歳運動の時、民族自決主義を提唱したウィルソンが、飛行機に乗って朝鮮救済の為に来ると盲信した或る田舎の朝鮮人が、暗夜目標がなくては着陸するに困るだらうとて小山の上に焚火して待って居ったと云う話がある。吾々はその無智を嗤うたのであるが、しかし生真面目にマツソン結社の流説を信ずるものは、これ以上の無智を告白するものと云わねばならない。
 作成:2009-3-26 21:17:14   更新:2009-3-26 22:00:51   閲覧数:1031




(私論.私見)