原発作業員直ちに予防治療国費で(katsuko)氏の国際ユダ屋論 |
(最新見直し2015.02.17日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、「原発作業員直ちに予防治療国費で(katsuko)氏の国際ユダ屋論」を転載しておく。
2015.02.17日 れんだいこ拝 |
2014-04-05 21:57:44
『ユダヤは日本人に~』れんだいこさん概要続きテーマ:LOVE PEACE________________________________________ 真の戦争犯罪人ユダヤ(36P) こう見て来ると、第一次世界大戦もユダヤの世界支配計画によって勃発させられたものであり、それゆえに敗戦によってドイツが賠償の責を負うこともなかったし、第二次世界大戦後の日本における東京裁判もまったく不正義なものであつた。すべてユダヤの為すがままの世界の動きなのだ。今や世界は一つになって、ユダヤのことを考えてみなければならないことになる。まさに「ユダヤ対世界」という図式の問題である。 第一次世界大戦も、第二次世界大戦も、ユダヤが計画し、勃発させたものである。それゆえに英国の元首相チェンバレンも、「イギリスに戦争を強いたのは、アメリカと世界のユダヤ人とである」と言明していたのである。真の戦争犯罪人はユダヤなのだ。 |
あてがわれた女たち(44P) そして、ここに私は、原子兵器関係の機密に関連した東北大学金属研究所に起きた一青年助手の死が、単なる自殺として葬り去られてはならなかった理由をみるのである。彼の死は、宮城県警当局によって自殺と断定されたのだが、それは既に日本が敵国の張り巡らしていた対日攻略網に取り込まれていたからであり、真相究明のために捜査に乗り出すとしても、その上層部にはそれを阻む組織ができあがっており、満足な捜査もできない仕組みになっていたのである。 ここで、この失踪死した金属研究所員の件をいっそうよく理解するために、この青年の周囲の状況を振り返ってみることにする。 菊池清太郎というこの青年は、仙台市の東北帝大に籍をおいていたが、彼のように重要機密の研究にたずさわっていた軍関係の委託学生や青年技術下士官たちは、等しく敵国スパイの狙うところであり、その謀略の罠からは容易に逃れ得なかった。 まず、彼らには手頃の女性がかならずあてがわれる。それら女性の身元、品格、性情なども綿密に調べ上げられており、あてがう男の好みにあった女性がつけられる。カトリック教会や聖公会につながる良家の婦女子もあれば、夜の女たちもいた。 したがって、その関係も正式に結婚を予定したものもあり、単に性の享楽だけの者もいた。その逢い引きには、あらかじめ諜報のためにしつらえられていた共産党員の家や、東亜連盟の関係者の家の一室が提供されていた。 情報の盗り方にもいろいろあったが、特定の良家の子女と婚約していた委託学生が、婚約者以外の女性と、仕組まれた場所で会っていたとする。あらかじめ指示を受けていたその女は、きわどいところまで男を誘っておき、頃合いを見て叫び声をあげ、助けを求める。そこに主人という男が踏み込んで、その学生の弱みを握り、許嫁者(いいなずけ)の親元に言うぞとおどして機密を聞き出し、その後も「機密を漏らした」ということで、さらに深く探り出すという仕組みもあった。 このようにして洩らされた機密が敵国に流れ、それによって精鋭青年技術将校団の移動が敵に知られ、極秘に極秘をかさねたにもかかわらず、忽然と雲間から舞い降りる敵機や、突如波間に浮かんだ潜水艦によって、一瞬で海の藻屑となって消え去った悲劇が幾度もあった。 |
秘密地下室の拷問部屋(47P) 私が仙台の空襲の報を聞き、東京から翌朝仙台に着いてすぐ現地を見にいったところ、建物も地下室も空爆を受けて跡形もなく破壊しつくされていた。大東亜戦争直前に真白く塗り替えられた細い高い煙突の換気搭も、空襲の目標としての任務を終って瓦礫となっていた。(中略) 東京が空襲されていた頃、私は銀座方面に出かけて、敵機がどこを狙うのかを確かめようとしたことがある。大本営では敵機の盲爆を宣伝していたが、実際は逆で極めて精確であり、見事な狙いだった。敵の攻撃目標を事前に察知することは、市民を被曝から守るために絶対に必要なことであった。敵機が爆撃しない地点、市民を誘導して待機させうる場所、それはいくつか予断できた。例えば、動坂の聖学院、銀座の教文館ビル、服部時計店などもそのうちの一つであった。実際、銀座の空襲直後に見回ったところ、服部ビルと教文館ビルとは無傷でそのまま残り、紙一重で両ビルの間のビルと商店街は壊滅させられていた。 |
フリーメーソンのユダヤ化(64P) ________________________________________ 満州国の存在を許さなかったイルミナティ(67P) ________________________________________ 世界支配に邪魔な日本への敗戦指令(76P) その国その民族から国家意識と民族感情を取り去って、いわゆる精神的国際人を作り上げるために「ユダヤの寺」が用いていた観想の法に、「心内の声を聴く」という心霊術系統の念法があった。聖霊主義を唱えていたキリスト教諸派・終末論的無教会派など、いずれも同じ流れを汲むものであり、心霊術の研究とテオブル・ティピングなども、この寺に出入りする者たちの間で流行していた。 この心霊術系統の諸研究は、その頃の日本の新興宗教の根底をつちかうものになったのであるが、大本教をはじめとして大禮堂、岡田茂吉のメシア教、大本教から出て般若心経の空観に立ち、華厳の実相論を踏まえ、カールメニンジャーとクリスチャン・サイエンスの体系を作り上げた谷口雅春にいたるまで、いずれも「心内の声を聴く」系統につながるものである。一般に実相論起こりて国滅ぶといわれるように、インドも大乗実相論が普及して国家が滅んでいる。
キリスト教会で使う児童向けの絵カードに、白衣に緋色の衿姿の少年が、天空から射る光の中に座した姿のものがあった。聖公会で目にしたものだ。これはイエスの再臨を表現している(引用注:実は反キリスト世界王ですかね)。これが昭和初期のキリスト教の「神の国運動」であり、ユダヤの寺で説いていた「主の道を直くせよ」との意味なのである。そして、「天降るべきユダヤの王」のために直くされた道とは、すなわち国際連合を意味するのである。 人種、民族、国境は人為にすぎず、国際連合によって主の道を直くし、そこにユダヤの王が天降るのだということは、とりもなおさずユダヤの世界支配を意味する。主の道を直くするためと称して、ユダヤは第一次世界大戦を勃発させ、それによって国際連盟を作り、各国に主権と軍備とを認めてしまったためにそれは失敗に終わったのだとして第二次世界大戦を計画し勃発させ、それによって第二次の国際連盟、つまり国際連合を樹立したのである。昭和十六年(一九四一年)二月の、世界ユダヤ人会議[World
Jewish Congress]議長ゴールドマン[Nahum Goldmann, 1895-1982, Polish/Israeli Zionist.
President, World Jewish Congress, 1948-1977. President, World Zionist
Organization, 1956-1968.]の言明どおりである。 かつて国際連盟が開かれていた頃、その会合の開催される前日にかならずユダヤ会議が開かれ、その予備会議で決定されたとおり本会議で議決されていた事実は、会議に参集していた各国の情報官によって伝えられている。 ユダヤと利害をともにすることができなかった国家群が、国際連盟を脱退しなければならなかった原因もここにあったのである。 キリスト教とユダヤ・フリーメイソンとコミンテルン、これらをつらぬく敵性が、歴史と伝統とを保持する国々に革命を起こして滅ぼし、これら敵性に拮抗して自国と民との自立共栄を念願していた国々を地上から抹殺しようとした理由もまた、この「主の道を直くする」ということのなかに意図されていたのである。 「主の道を直くする」というユダヤの寺の教理はその後も永くキリスト教伝道の基調になってきたのであるが、日本における「神の国運動」も、ユダヤの王の再臨を準備するということであって、賀川豊彦らがアメリカ共産党からの資金によって主唱していたものであった。この運動も日本に敵国の内応者を養成する企みからなされたものだ。キリスト教の単なる信仰上の運動なら問題はなかったのだが、陰に隠された企みがあったのである。 この陰謀は、私が東北学院の神学生だった頃、御殿場の東山荘で開催されたキリスト教青年夏期講習会に出席し、講義の内容と講師たちの密議から体験によって知りえたことである。 「日本人がユダヤの王の前に立つためには、日本という国家を背負った驕り高ぶったままの姿であってはならない。悔い改めによって遜らなけれぱならぬ。日本人はそう簡単には国を捨てない。国を捨てさせるには、国そのものを無くしてしまえばよろしい。それは戦争によって日本を負かすしかないのだ。日本が戦争に敗れて打ちのめされて初めて遜るようになるのである。そうなれば天皇の神格も地に落ち、国民も拠りどころを失う。それによって日本も共和国となりうる」というのが密議の主旨であった。 回顧すれば、昭和六、七年頃からユダヤ・キリスト教はすでに日米戦争を予定して計画を進めていた。中国・日本に差遣された宣教師らも、その使命をおびての伝道であった。マッカーサーによる来攻の目的もここにあったと断ずることができる。いつか 賀川豊彦の近親の者が、「何が理由で収監されたのかわからない」と雑誌に書いていたが、収監を進言したのは私なのである。その理由は前述の密議の内容に基づいて、賀川が収監直前まで日本敗北の運動を鼓舞していたからだ。 米国共産党のユダヤ人サムエル・ゴンバース[Samuel Gompers]との関係を保っていた賀川豊彦らが、日本を「反戦ではなく戦争によって敗戦させ、それによって革命を実現する」というユダヤ・フリーメイソンの敗戦テーゼに従ったものであった。賀川らが米国系共産党員としての本性を発揮して、日本の敗亡を目指した神の国運動を展開し、日本の革命を図ったという理由での収監であった。 |
「迫害」という言葉で惑わす切支丹布教(83P) そもそもキリスト教の日本への渡来は、天文18(1549)年にフランシスコ・デ・サビエルによって始まったものである。彼らが何をしに来たのかといえば、黄金の国ジパングをポルトガル王やローマ法王の領土にするための尖兵として来日したのである。 サビエルはカトリック教会の主であるローマ法王の僧兵団の一員であり、東方渡来はジョアン三世の要請によるものであった。彼はローマ法王パウルス三世から聖使に任ぜられ、インドにおける法王の代理としての全権を与えられ、ポルトガルの東方植民地の官吏のすべての上に、一切の俗権を行使できる権能を与えられて来たのである。インドにおいて土民をキリスト教に改宗させるために宗教裁判を実施し、改宗を強制し、従わない者は惨殺・焚刑に処した。富裕の者の財産は強奪して僧兵団の手に没収し、僧院・教会を建設した。 天文18年夏、日本は黄金の国であり、数百万の人口を有するジーペンの人たちを改宗させれば、巨億の富が入ると思い定め、日本の首都を目指してマラッカを出帆したのである。 彼の後、各派各団の宣教師らが渡来した。いずれもサビエルと大同小異の心組みで訪れてきたのである。日本の富と国土を狙って来た者であり、日本人を奴隷として売り渡したり、一国の領主に金を貸して領地を担保にして取り上げたりし、ついには島原の民百姓を煽勤して大乱を起こさせている。しかも原城に立て籠もって死んだ遺骸には、この信心深い素朴な人々の自殺行為を招来したイエズス会士も、一人のバテレンの遺骸も見つからなかった。煽るだげ煽りたてて死にいたらしめ、自分たちはとっくに逃げうせてしまったのである。 これに対し豊臣・徳川は布教を禁圧し、宣教師らの国外退去の策に出た。これが国法であり、国禁であり、国をあずかる者の当然の施策である。国禁を犯し、国法を蔑(なみ)する者はこれを罰する。キリスト教が宗教裁判で異端・異教を焚刑・傑刑に処したように、徳川もまた同じことを行なったまでのことである。それを「切支丹殉教」とか「切支丹迫害」などと称するのはおこがましいかぎりである。日本人自らが発するべき言辞ではない。 彼らバテレンたちは日本の金山・銀山を狙って金堀師らを帯同してきていた。今日でも鉱山の鉱脈の露頭に彫り刻まれた十字の印が見られる。そこには異人の堀り師が潜み、隠れ切支丹らの祈祷所としていたのである。 ________________________________________ ユダヤの操り人形・ルーズベルト(111P) |
山本五十六フリーメイソン説(144P) 山本五十六が司令長官になった頃、ハーバード大学ルートの情報で、米国の海軍力は山本五十六が司令長官である間ならば、日本に撃って出ても勝算があり、悪く行っても五分五分で決着がつく。早々に戦端を開くべきだという海軍側の意向が伝えられて来た。しかもその理由の中に一項目、山本はフリーメーソンの結社員だからという条項が入っていた。(略) 山本五十六が、米内光政や高橋三吉らと、日独伊三国の軍事同盟反対の密議を凝らしていた場所は、東京麻布の狸穴(まみあな)にあった。この妾宅の若い女性は当時18歳で、新橋あたりで芸妓をしていた。(略) 山本が戦死した報を得て、須藤某が文書の遺稿でもと狸穴に訪ねた時には、すでにこの女性が一切を処理し終えた後であり、 |
国全体がユダヤ諜報網の中に(146P) 日本に張りめぐらされていた敵国のスパイ網は、ミッドウェーの完敗を喫したように、誰かが写真に撮り、誰かが盗聴し、それを集めて誰かが通報するようなスケールの小さいものばかりではなく、はるか以前から計画的に仕組まれ、長年かかって出来上がった全日本的なものが多く、単に一回的なものだけではなかった。 |
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頭山翁に問うた中野正剛自刃の原因 (163P) 古い話だが、小泉輝三朗の『大正犯罪史正談』が出版されたとき、赤松克麿や三田村武夫らにひどく叩かれたものだが、私は特に、《中野正剛の謎の項》に深い興味を覚えていた。 ユダヤに日本を売り渡した者たちによって招来された敗戦後の今日では、外国から金をもらってその手先になっても、節を売ったとして自らを恥じることもなく、他もまたこれを売国奴として難ずることもなくなったが、昔はそうではなかった。張学良経由の米国からの対日謀略資金を、キリスト教婦人運動家たちの手を経て受け取っていた者や、労働者が残業までして最高一ヵ月に十円程度だった頃、日本共産党に巣喰った煽動屋たちはソ連から月二百円ずつの支給を受け取っていたものであった。 中野正剛がきわめて勢い盛んであった頃のことであったが、私たちは中野が右翼ではあっても、真に愛国陣営に属する者であるかとうかということを疑っていた。それで中野が死んだということを聞き、その死がわれわれの疑念をはらしてくれる何かを持っているのではないかと期待したのである。そこで私は中野の死の直後、先輩を訪ねて中野が死ななければならなかった理由を問うたことがあった。先輩は即座に答えて、それは中野がロシアからもらった金を苦にしたからだと言うのであった。 正剛の死はきわめて立派なものだったと言われていた。その模様については頭山翁からも築地の高乃屋の女主人からも聞かされた。それほどまでして死んだ中野の死が、単に東条の弾圧の結果だという風評は、にわかには信じえなかった。東条の圧迫といわれていた政治管制は、なにも東方会に限ってなされたものではなかったからだ。 これでは説明にならないので、今度は、中野の取調べが進められると、累が宮様に及ぶことになるから、中野は責めを一身に負って、事実が明るみに出るのを防いだのだという解釈が出た。一身に負うなら負えばよろしいので、死ねば負えないことになる。説明にはならない。 私自身もその渦中にあったからふれておくが、当時、宮様担ぎ出しには二つの流れがあった。中野がそのどちらかに加わっていたということは、当時は聞かなかった。近衛は東条内閣の末期、弟を使って、次期政権への野心を重慶に表明していたが、既に重慶の軍令部には、東条の次には東久邇宮の内閣という情報が入っていた。もちろん、この情報も黒田善治の判断によって修正され、日本の重大危機にあたって、皇族が内閣の首班になるなどということはありえないという見方に変わったのであるが、宮様担ぎ出し工作は実際あったのである。東亜連盟、ゾルゲ関連系統による東久邇宮、私たちによる高松宮様内閣構想であった。東久邇宮様担ぎ出しは、最後の狙いを赤色政治犯の釈放におき、終戦への早期借置を急務とし、ソ連の対日参戦をも計算の上で、対英・米工作にソ連を仲介させ、次に重慶を足がかりにした対米和平工作をするという東条抹殺の運動であった。 これに対し私たちのものは、敵国と通ずる君側の奸を除き、一挙に宮様内閣を樹立し、必戦の態勢を打ち立てようとしたものである。しかし、この頃には陛下の大綱も既にソ連仲介、対連合国和平交渉に傾かれており、時機は既に去ったとの感が深かった。 それで、中野がそのどちらかに加わっていたということは聞いていなかったので、中野取調べの進むにつれ、彼がのっぴきならぬ立場に追い込まれることになるのだとすれば、その理由はやはり純正愛国陣営が言っていたごとく、ロシア系の資金を受け取っていた事実が明るみに出されることを苦慮したからのものと考えられたのである。 中野への工作費が、ロシアから渡されたものであることがはっきりすれば、日本の右翼も左翼も、ともに同じくユダヤに踊らされてその資金と指令とを受けて操られていたことの立証がなされる。そのため、私はこの中野の死の原因を徹底的に洗い出す必要を感じていたのであった。 私が中野正剛の死の理由を知るために、渋谷の常盤松に頭山満翁を訪ねた日、翁は病臥しておられた。枕元でゆっくり話すつもりであったところ、起き直られて丹前を羽織られ、私はその横に坐して、耳近く話すことにした。病中のことであり、三点にしぼってご教示を願った。それは次の点についてであった。 一、中野は右翼といわれながら、ロシアの《赤い金》、背後関係のある第三国の資金を受けたといわれるが、赤色革命関係の金を実際に受け取ったことがあるのか。中野の死は、それを苦にしたものか。 二、日支事変は日支闘争計画によって起こされたものであり、日本の敗戦と革命とを招き、支那を米・英・ソと連合させて、日支戦争を世界戦争に発展させたのだから、翁が蒋介石は話せばわかるといって事を進めても、いたずらに敵側に乗ぜられるばかりだと思うがどうか。 三、大川周明と米国ユダヤとの資金関係、及び二・二六事件のとき、岡田首相は官邸にいなかったのだということ。その真偽。 以上三項目のうち、第三項の大川と米国ユダヤとの交渉に関するものは知らぬとのことであった。岡田啓介が二・二六事件の起きた日に官邸にはいなかったことについては、世間ではどう言っているかとの問い返しであった。岡田はあの夜は赤坂の料亭で、頭山翁その他と会っていたのだと言い、岡田の弟の松尾大佐はぜひ岡田に会って話す必要があったので、戻らぬ兄を待って一泊したために兄啓介と間違われて殺されたのだと言われている。岡田の天機奉伺が遅れ、後藤文夫が臨時首相代理となった理由もそこにあった。もしそれが本当ならば、岡田を官邸から助け出したという★迫水久常の正体を明かす必要がでてきますと話したところ、いちいち頷かれていたが寡黙、ついに語るところがなかった。 蒋介石とはよく話しさえすればわかってくれるのだということについては、翁が日ごろ考えておられた構想をいろいろ話されたが、やはり蒋を昔日の彼と同一視しておられ、彼がユダヤーフリーメイソンの指令によって動き、ユダヤのサッスーン財閥と結託して、支那の金銀をユダヤに提供して、紙幣という紙屑と取り換える制度を立て、己れの利得は外国のユダヤ銀行に預託して、中国をユダヤに売り渡したのですよと話し、米英の援助で対日戦を継続しているので、和平の心などありませんと説明しても、翁の理解を得ることは既に遅すぎていた。 第一の主題の中野正剛に死を覚悟させた理由について、東条の退陣工作に宮様を関係させたことで、累の皇族に及ぶことを恐れたからだという憶測もあるが、以前ロシアから赤い工作資金を受け取ったことが明るみに出ることを慮ったためというのが正しい見方ではないですかと尋ねたところ、巷間の噂や、赤色資金の情報の出どころなどを聞かれたのでお答えしたのだが、ロシアからの赤い金のことについては、一言もそれを否定する言辞はなかったのである。私はこれによって、中野の死の理由は、検察の調べがその赤い金に関したことであったと理解し、右翼に身を置きながら、左翼の金を受け取っていた汚点ゆえに身を潔くするための自刃と確信したのであった。 翁の語るところは、故人にきわめて同情的であり、愛弟子を追憶して悼む心情に切なるものがあった。ことに中野の後半生における生活態度の立派さを褒めてやまなかった。その語るところを略述すれば、 ― 中野も若い頃には数多く馬鹿げたことをしたものだ。しかし一切を清算してしまった今は、それは許してやれ。後半生における彼の精進ぶりは、立派に昔の愚行を償ってあまりあるものであり、ことに彼が妻に死なれた後の生活やその心境は、まさに透徹した清らかさを持っていた。まことに見上げた神韻の域に心身を置いたというべきで、遠く余人の及ふところではなかった。ようやくあの男もものになると思っていたところ、今度のようなことになってしまい、まことにかわいそうなことをした。中野の若い頃の愚行は責めてはいけないよ。というものであった。それで、頭山翁の以上の言辞から、中野がまだ血気さかんであった頃、いわゆるロシアからの資金と関係があったということを理解し、小泉輝三朗著するところのものによって、その証左を得たとしたのである。 小泉氏は、東方同志会系の人たちからいろいろと反駁を受けたが、中野自らが師事していた頭山翁の私に語られた口吻を跳ね返すに足る中野側の論拠に接したことはない。 |
ローマ法王の工作員、サビエルの挑戦(191P) サビエルは伝道のためではなく、戦いを挑んできたのだ。サビエルはローマ法王の僧兵の一人なのである。ローマ法王は全世界を支配する皇帝であり、この世においては法王の権威に勝るものはないとされていた。サビエルはその法王から、法王の代理としての全権のみならず、ポルトガルの東方植民地における軍隊と官吏とに対する命令の全権をも与えられていたのである。 それゆえ東方占領地においてキリスト教に改宗しない土民を殺戮し、財産を奪い、焚刑に処し、寺院を焼き払い、暴虐の限りを尽したのである。異端・異教は悪魔の教えであるとして、愉しければ愉しいほどキリスト教の神は悦ぶとした。欧州・東方・南米において、キリスト教によって虐殺された人の教は一千万を超す。 私が20代の頃、仙台の東北学院神学部で講義を受けてい教授に出村剛という教授がいた。キリスト教会史の講義の時間にいつも述懐していたことは、キリスト教のこの異端・異教を虐殺した事実であった。そして教授は、キリスト教による異端虐殺史を集大成して世に問うことを念願していると告白したものである。 異端・異教迫害に関する研究書の頁を開き、挿絵を示してくれたが、女性を全裸にして、陰部から杙(くい)を突き刺し、頭蓋まで貫いていたのを裸馬に跨がらせて練り歩いているエッチングであった。「キリスト教ほど、このような罪悪を犯した宗教はない」と幾度も呟いていたのを60年後の今日でも思い起こす。この絵はローマ法王の命によるカタリー教徒皆殺しのときの情景の一つであった。 これは異端皆殺しの例であるが、異教の地インドにおけるポルトガル宣教師らの土民虐殺と財宝奪取、南米太平洋岸諸国のスペイン宣教師の手引きによるスペイン軍隊たちの人民殺戮と財宝収奪とは、歴史上顕著な事実であり、西欧諸国のキリスト教宣教師らによる先導によって植民地占領がなされていた事実も蔽い隠すことはできまい。しかし、そのようなことは日本においては果たすことはできなかった。その理由は次に示すイエズス会のドン・ロドリゴとフランシスコ会の宣教師フライ・ルイス・ソテロらが、スペイン国王に送った上書に記すところである。 「殿下を日本の君主とすることは望ましい。しかし、日本には住民が多く、城郭も堅固であるため、軍隊の力による侵入は無理であるから、福音を宣伝する方策をもって日本の国民が殿下に悦びいさんで臣事するように仕向けるほかなし」 と、敵情報告に判断を付して諜報している。 ザビエルもまたポルトガル国王に、 「軍備においては日本はヨーロッパと同水準にあるため、軍隊をもって征服する望みは抱かぬほうがよろしい。それよりも心に訴えて納得させれば、この上なく忠実なキリスト教の下僕となるのだから、もっと智能の勝れたバテレンを派遣せられたい」 と上申している。武力占拠は断念し、諸藩を貿易の利潤で誘い、キリシタンの布教を公許させる方策に出たのである。いずれも日本乗っ取りの方策の謀であった。 この書翰に見るように、キリシタン・バテレンたちの正体は、対日諜報員であり、対日工作員であったのだ。日本をまずキリシタンにしてしまってからキリスト教国の属国として占領してもよく、キリスト教国の属国として占領してからキリスト教化してもよかったのである。 以前、アメリカ・ミッションから差遣されていた宣教師たちが帰米するたび、まず軍の関係機関に立ち寄って報告を終えてからそれぞれの地に帰ったという話を、留学を終えて帰国した日本人神学生に聞かされていた。 |
「1947年9月20日、天皇が、日本占領軍の指揮官ダグラス・マッカーサーと、マーシャル国務長官に送ったメモが、ワシントンの米国・国立公文書館に存在している。そこには、『沖縄に米軍の大部分を駐留させ、沖縄を米国領土とすることによって、日本本土を米軍支配から独立させる方法を取りたい』と、記載されている。つまり沖縄を『日本から切り捨て』、『沖縄だけに米軍を置き、犠牲にする事』を、天皇自身が米国に『提言』していた」。 |
南進を決定づけた謀略レポート 1941年(昭和16)に独ソ戦が始まると、ソ連は「日本がシベリアに侵攻しないようあらゆる工作をすべし」との指示を日本共産党員にだした。満鉄調査部にいた左翼の佐藤大四郎は、シベリアの農産物と畜産事情のレポートを求められて、「日本軍100万の食料はシベリアでは調達不能」という報告書を提出した。同調査部には尾崎秀実もいて、この内意を佐藤は受けていた。 ユダヤに踊らされた日本人 米内光政の身内や縁故者たちから、国家機密が敵国に流されていたのは事実である。縁故者の中には東条の鎌倉での生活費を賄っていた者もいる。ミッドウエーの敗戦は、ユダヤ問題の犬塚惟重と国際連盟に身を置いた稲垣守克が情報を流したことによって起こった。 大川周明は、裏表が多く、見え透いた嘘が多い扇動家である。北一輝も扇動家であり、北と大川の訣別は安田保善問題が原因といわれるが、金の分け前を巡る争いである。この金銭授受にはユダヤの代理人巖本善治が関係している。巖本は米英ユダヤの手先となり、私設外交官として暗躍していた男で、大川周明との関係は愛国陣営にまでもユダヤの手が伸びていたことを示す。巖本と大川の資金元は上海ユダヤのハードン財閥である。大川は反英を装いながら親米であり、ユダヤの資金ほしさに巖本に近づいた。大川のいわゆる日米経済提携というのは、ユダヤの対日謀略の一環として計画されたもので、ユダヤ資本の援助を受けていた西川末吉からでたものである。大川は戦後、自分は中国と事を構えるのに反対していたと書いているが、これは明らかな嘘である。佐々弘雄が戦後に大川周明、楢橋渡、児玉誉士夫の三人がハードン財閥と直結していたことを発表している。 |
(私論.私見)