「アンチ・ロスチャイルド・アライアンス資料室『通産省・国売り物語』」

 (最新見直し2009.8.29日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 「アンチ・ロスチャイルド・アライアンス資料室」の「通産省・国売り物語」を転載しておく。 


 通産省・国売り物語(1)馬借

 現在の日本社会を破壊しようとしている財政破綻。これを引き起こした財政出動の垂れ流しは、アメリカによる圧力と、それに便乗した官僚・政治家・財界によって、中曽根行革による財政再建の撤回とともに始まりました。本来なら公共時に減らされて債務を削減すべきものが、外圧要因によって強化されつづけ、バブルを引き起こした挙句に不況に陥ると、さらなる財政支出を要求される。これでは財政破綻は免れませんが、業界にとってはまさに「心強い味方」だったでしょう。もし、こうした悪循環の始まりに、誰かの意図が関与していたのだとしたら、それは許されざる犯罪行為です。

86年に書かれた「新・日本の官僚」(田原総一郎著・文春文庫)という本に、通産官僚へのインタビューで、こんな台詞が出てきます。「中曽根行革は、口では経済摩擦緩和に努力するといいながら、行革で、公共投資をはじめ、内需をムチャクチャに抑えている。これでは輸出が増えるのはあたり前で、中曽根首相はウソつきだ、と。」そういうアメリカの要求に答えて財政を拡大し、自国のことだけを考えない世界国家として「第二の開国」を受け入れよ・・・。で、そのためには「経験のある通産省に任せろ」って本音がある訳ですが・・・

あの当時、長年の開発努力によって力をつけた企業の間で「もう通産省の指導はいらない」との認識が広がり、通産省が存在意義を失いかけていたそうです。それに対して、権力の維持を図る通産官僚の中に、アメリカの圧力を利用して、利権を再構築しようという動きがあったというのが、田原氏の説明です。上の発言は、そうした官僚のものです。そのために彼等は、アメリカの貿易摩擦を煽り、他省分野に対する外圧を利用して、縄張り争いを展開したと・・・。通信摩擦で入れ智恵したり、通商外圧の種本を作って渡したり・・・。

そういう中に、半導体摩擦が出てきます。

85年秋の半導体日米交渉に関する「チップウォー」(フレッド−ウォーシェフスキー著・株式会社経済界刊)での裏話は衝撃的です。商務省のプレストウィッツが交渉のさ中の時期、夜中に相手の通産省幹部に極秘で呼び出されて「通産省なら行政指導によって20%のシェアを保証できる」と持ちかけられたのだそうです。これが悪夢の始まりでした。悪かろうが高かろうがいらない種類だろうが「とにかく2割を買え」という、とんでもない条項を呑まされたのです。

この交渉では、もちろん国内でも、通産省内部でも大きな反対がありました。そうした反対派を騙しつつ、交渉とその運用は進められました。交渉中の反対派は通商政策局、推進派は機械情報局です。そしてその推進派の意図は、通産省の行政指導に従わなくなった「半導体産業という暗黒大陸を征服する絶好の手段」として利用するためだったと、手嶋龍一氏のインタビューに応じた当時の担当者が答えています。(「ニッポンFSXを撃て」新潮社刊)

当然、行政指導による押し売りなど簡単には進まず、87年2月、アメリカによって、見え透いた囮操作による半導体制裁が始まります。その圧力の中で半導体輸出の規制によるシェア低下や日本企業による出血サービスの技術協力・購入努力。メーカーはガチガチの統制経済に絡め取られ、通産省の業界支配は復活。そして延々と制裁は続き、再三の「ガット提訴決定」もポーズだけで実行に至らず。

アメリカ企業での日本側のサービスに対するホクホク状態と日本側に募る不満が続く中で迎えたブッシュ政権の早々に始まったのが、89年のスーパー301条問題でした。最初は「日本をスーパー301条に指定しない」という方針だったのを、覆したのが摩擦議員とSIA(アメリカの半導体業界)でした。このスーパー301条での通産省は、「平成日本の官僚」(田原総一郎著・文芸春秋社刊)によると、実際に特定された三分野が他省の管轄だと、通産省内部では満足状態。しかも実は、「候補」が発表される一週間前に機情局某課長が本指定結果を知っていた(つまりアメリカ側ともツーカーだった?)・・・。

そして「構造協議」が始まり、430兆もの公共事業を約束させられる。ジェトロは外国企業の対日輸出サービス機間として、半導体の「輸入拡大自主努力」は通産省の指導の元で全産業に拡大される。それで得た絶大な支配権と十兆円規模の「新産業資本」予算で、指揮した棚橋祐二氏(91年から事務次官)は「通産省中興の祖」とまで呼ばれているとか・・・。(1244財政垂れ流しを仕組んだ官僚達)

中曽根行革が覆されたのは、87年4月の「緊急経済対策」で決めた6兆円規模の財政出動で財政再建が棚上げされた時です。これは2月に始まった半導体制裁に対処すべく、G7に合せて訪米した中曽根総理がアメリカを説得するための「手土産」として作られました。まさに半導体摩擦を梃子に、通産省の「念願」が実った訳です。

(1245 Re:財政垂れ流しを仕組んだ官僚達)

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半導体という「産業の米」に関する技術的リーダーシップを日本から奪い取り、味をしめたアメリカをして、強硬な「押し売り貿易」要求に走らしめた半導体協定の20%条項。半導体交渉でプレストウィッツに、秘密裏に20%の押し売り貿易を提案した通産省幹部とは、具体的に誰なのか。

密約の発端

少なくとも、この提案が行われた「85年秋の交渉」は、おおよそ特定出来ます。第1回の専門家会合が10月21日・22日にワシントンで、第2回が11月20日で、この第2回の時にアメリカ側が言い出したそうですので、ほぼ10月の交渉において、という事になります。

その交渉に関しては、14日づけの日刊工業新聞で、棚橋機情局次長が急遽派遣されて話し合いを始める、と報道されています。そしてその後の21日頃に若杉審議官が本交渉に出向いたことになっています。となると、可能性のあるのはこの二人ですが、若杉氏の場合は「深夜に呼び出す」となると、チャンスは初日夜の1晩しかない。となると、14日頃から派遣されていたらしい棚橋氏によるものである可能性が、極めて高いことになります。

実はこの本交渉では、11月3日づけの日経新聞によると、双方が持論を述べ合っただけで具体的な交渉のための話し合いはなされなかったという。つまり「要求する側」のアメリカ側が、まとまった具体的要求を出さなかった訳で、極めて異例な展開です。これが何を意味するのか。つまり、棚橋氏による「提案」をアメリカ側が検討し、対日態度を固める時間が必要だった・・・という解釈が最も妥当という事になります。

実はこの棚橋祐二氏は、日米摩擦に関する様々な局面に登場するキーパーソンです。モトローラのガルビン氏が日米摩擦について書いた「日本人に学び日本に挑む」で、86年5月における20%押し売り受け入れの合意成立に尽力したのが棚橋氏であり、「対米交渉の前線部隊長」として、アメリカ側との交渉を仕切ったことを本人が認めています。つまり、現地での相手方との接触や情報収集を牛耳って、交渉を左右する立場にあった訳です。

さらに彼には、類似する行動の実例があるのです。89年のスーパー301条において、「トロン教育パソコン」がアメリカの圧力によって潰された時、孫正義氏と組んで、裏でトロン潰しに画策したのが、実はこの棚橋氏である事実が「孫正義・起業の若き獅子」という本で明かされています。

この時にもう一人、トロン潰しに加わっていたのがソニーの盛田昭夫氏でした。彼は半導体摩擦でも日本企業側の外圧受け入れの動きに主導的な役割を果たしており、プレストウィッツ氏の「日米逆転」によれば、95年春に盛田氏が、日米摩擦の場で半導体の官僚統制を言い出しています。さらに遡る83年の日米財界人会議で、モトローラのガルビン氏が要求した日米業界間談合に、盛田氏が賛同し、その実現向けて協力したのだそうです。

そして以後、対日摩擦の火付け役として、押売り外圧利益追求者として、またSIAのリーダー格としても有名なガルビン氏と、盛田・棚橋コンビの密接な連絡によって対日が背後に存在していたことが、明らかになっています。通信摩擦で悪名高い「モトローラ方式」を日本で最も熱心に受け入れたDDIの稲森氏を、ガルビン氏と引き合わせたのも、TRON外圧で孫氏と棚橋氏を引き合わせたのも、この盛田氏でした。

彼が何故、このような挙に出たのかは解りませんが、元々、日本の半導体産業を初期に牽引したのは、トランジスタラジオを開発したソニーでした。それが次第に日立やNECなどが大資本にものをいわせて大規模な半導体工場を作って市場を席巻した・・・と、盛田氏の目に映った事は間違いないでしょう。しかし、だからといって、それらの電子メーカーが単に「力業で市場を乗っ取った」と盛田氏が恨んだのだとしたら、それは大きな間違いです。当時の半導体はけしてアメリカなどが被害者意識紛々に言い張るような「習熟効果で金を注ぎ込んでシェアを取れば猿でも歩留まりを上げられる」ような簡単なものではないのです。

NECなどが信頼性のノウハウを蓄積できた大きな切っ掛けは、かつて電電公社が「電話システムの電子化」のために必要としたマイコンの開発にメーカーの参加を募り、目茶苦茶に厳しい信頼性テストを伴う開発プロジェクトをやったのに参加して、血の出るようなハードな開発で経験を積んだお蔭でした。三菱などは、不良品の原因となる「極微細ゴミ」対策のため、女性技術者だけで「キャッツ」というチームを組織し、ある時は彼女たちの家族全員に三日間風呂に入れずに下着から上着まで同じのを着させ、それを洗濯した水を分析して「体から出るゴミ」の量を調べる・・・などという事までやりました。そんな血の滲むような切磋琢磨が、日本企業の世界に冠たる半導体量産技術を築いたのです。

また、棚橋氏は単なる高級官僚ではありません。91年に事務次官に上り詰めた大物で、大臣経験者の娘婿としての閨閥を持ち、福田内閣の秘書官時代に政会に太いパイプを築いて、福田・竹下派・・・、特に梶山氏と強い繋がりがあるとか。75年頃の内閣官房グループが連夜料亭で繰り広げた豪遊を目撃されたことが「夜に蠢く政治家たち」という本に出てくるそうですが、森喜朗・福田康夫氏などを率いた宴会リーダーとして大手を振っていたのが、他ならぬこの棚橋氏でした。高杉良氏の「小説通産省」に、彼をモデルとした「松橋勇治」という人物が登場しますが、自民三役とホットラインを持ち、与野党を問わず電話一本で動かす、多くの経済記者を子分にしているとの話まで出て来ます。

勿論、棚橋氏が通産省の対外迎合を独りで引っ張っていた訳ではないでしょう。プレストウィッツ氏の「日米逆転」には、半導体協定成立に協力的だった通産官僚として、彼が「最も能力のある交渉者」と持ち上げた若杉和夫氏、機情局長としても次官としても棚橋氏の前任だった児玉幸治氏、そして「資源派」の大物で田中角栄が最も信頼したと言われる小長啓次氏の名前を挙げています。特に児玉氏はプレストウィッツ氏とも、そして棚橋氏とも家族ぐるみの付き合いで、棚橋氏と児玉氏の配偶者は一緒に通産高級官僚の配偶者達の親睦会を仕切る仲であったようにすら、高杉氏の小説に出てくるのです。

泥沼の押し売り交渉

さて、10月半ばの極秘裏の提案があった後、プレストウィッツ氏は商務省の上司に伝え、「自由貿易に反する、無理だ」という反対論を説得して、押し売り路線を決めた・・・と本人は言っています。11月14日頃、米政府筋がシェア拡大に繋がる日本の譲歩の見通しを発言します。これが前月の秘密提案によるものである事は言うまでもありません。11月19日からの東京での協議では「輸入拡大」や価格監視面での協力体制で合意します。直ちに日本の半導体メーカーは日米合意に沿った行動計画に着手しました。ところがその直後のワシントンでの協議で、双方の主張は平行線を辿ることになります。これが「20%シェア保証」の要求によるものである事が明らかになるのは、後になってからです。

11月30日にはアメリカが非公式に「輸出拡大ビジョン」を要求し、泥沼化が始まります。実際にはアメリカ国内では最低価格制を求める声多が多く(日刊工業11/16)、妥結は不可能では無かった筈でした。だから12月3日の協議で若杉審議官は半導体価格規制案を提出し、USTRが理解を示すことで、先ず決着したという受け取り方が大勢を占めたのです。

それに対してボトルリッジ商務長官は「日本の価格カルテル提案はわれわれの自由貿易の考えに反する」という、白々しい理屈で反対し、ダンピング調査決定でぶち壊す挙に出ました。日本のマスコミではこの時、商務省とUSTRの対立を伝えていましたが、一方では「日本側の交渉態度がアメリカを怒らせた」と恐怖を煽って(日経12/13)際限の無い譲歩を要求する声が出ます。佐藤隆三氏(日経10/12)のような「損を覚悟で輸入を増やせ」というとんでもない言い分がまかり通るようになり、11月には通産省でも、事実関係を棚上げにして「現実的な解決策」(江波戸哲夫著「ドキュメント日本の官僚」)と称した妥協路線に「転換」したと言います。

この時期には既に、田原総一郎氏の「新・日本の官僚」が指摘した「他官庁の領分の利権の侵略」のために・・・という名目で、アメリカ外圧との極秘協力体制は出来ていたようで、その85年という時期はまさに、レーガン政権が対日押売り外圧の本格化へと政策転換した時期にも当たります。ジェトロ配下の「日米貿易委員会」が出した報告書「プログレスレポート1984」が、85年の押し売り貿易交渉におけるアメリカ側のネタ本として提供したものでした。郵政省のVAN自由化の際、郵政省の決めた届出制を叩かせるために「端末500以上のVANは不許可」という嘘を、とある通産官僚がアメリカ側に吹き込んだとして問題になりました。その本人を田原氏がインタビューした時、逃げた本人の代りにインタビューに応じたのが棚橋氏でした。

年内での解決が不可能になったとして、12月13日頃に通産省は棚橋氏をアメリカに派遣。帰国してからどんな「情報」を持ち込んだのか、通産省では「対米通商円滑化の政策転換」と称するものの検討を始め、年末には半導体輸入20%増という結果主義的目標を提案。しかしプレストウィッツは、あくまで日本全体でのシェア増加を要求して、この提案を蹴って決裂させます。

その他の多様な摩擦分野では、86年に入ってすぐ、安部外相が訪米して僅か2日間で米政府高官に個別会談し、MOSS協議は決着したとして、マスコミの賛美を浴びます。実際には単なる一時しのぎに過ぎなかったのですが、その裏側にどんな根回しがあったのか・・・そして、半導体だけは協議継続として取り残されるのです。

しかしその後、プレストウィッツは商務省を解任され、23日に再開された交渉で国内価格を含む半導体の「価格監視」による合意を見たのです。その前日に渡辺蔵相は日本貿易会に「輸入目標は作らない」と約束します。しかし相変わらず数値目標を要求する勢力は議会等に根強く、「アメリカ製輸入拡大」の交渉は続きます。

そうした中、「プレストウィッツが対日和解派になって、強硬派を押さえる球として数値目標を求めている」かのような風評が流れ始め、新聞に載ります。勿論、それが数値目標を受け入れさせようという真っ赤な嘘である事は、今となっては明らかですね。そしてこれに呼応するように、通産省自らが数値目標受け入れに繋がる提案を始める一方、2月15日にアメリカが価格監視を正式要求すると、通産省は独禁法を理由に「日本市場での価格カルテル」を拒否し、代わって最低価格制を提案します。これだと独禁法に触れないのか?さらに「米独禁法の域外適用を受ける恐れがある」という不思議な理由までつけて、無意味な協議で国内の不満を外らしつつ、押売りの理不尽への批判が外らされていくのです。

商務省も22日にはUSTRとの対立を解消。一致してシェア目標の強硬な要求を始め、3月に入ると国内規制要求を撤回。以降はシェア目標へと議論は集束していきました。それに対して通産省はなし崩し的な受け入れ姿勢を見せ始め、購入計画の調査と称して11社に圧力をかけます。

これに呼応して、3/14日、ソニーの盛田会長とSIA・ガルビンが音頭を取って、棚橋氏も出席して日米のメーカーを集めて開いた協議で、取りまとめた「自主的買い入れ計画」を差し出します。その内容は、大手5社の社内米国製シェア約20%の購入。アメリカ側はこれに満足し、「有益だった。大きな進歩があった」と発言。「米国側のいらだちを取り除く目的が達せられた」と宣伝されたのですが、実際はその後の経過で明らかになるように、むしろ押し売り派を大いに元気付けたのです。

27日になるとアメリカ側は態度を一変して「日本全体で確実に20%のシェアが取れなければ不満だ」と、今度はUSTRが先頭に立って激しい圧力をかけ始めます。その背景では、SIAの抱える複数のやり手弁護士の働きかけがあったそうです。商務省も負けずに日本製品に対して、FTCの否定的勧告にも関わらず、不当なダンピング指定を強行しました。

「アメリカを宥めろ」という音頭に乗って、通産省による業種別の輸入拡大指針、四月に入っての日立の140億円の買い付け団・・・。アメリカは「日本に対しては、強気に出るほど美味しい思いが出来る」と、さらに要求をエスカレート。「4年後に30%のシェア保証」などという、途方もない要求まで飛び出します。いったい誰がこんな馬鹿な交渉をしたのか・・・。

マスコミに「国内産業での利権故に外圧に抵抗している」と宣伝されていた通産省が、実は自立した業界への支配の復活のためにアメリカの外圧と組むため、国民を欺いて押売り受け入れへ走っていた。その中で、むしろアメリカの無茶な要求への抵抗を続けていくのは、普通なら「日米関係に利害を持って外圧屈伏に積極的」と言われている外務省でした。交渉の最終段階、通産担当者はアメリカ側に「外務省の条約局の担当者がうるさくて20%の約束を書面にできない」と説明し、USTRのアランホーマー氏は外務担当者に「お前さえ席を立てばいますぐ調印できるんだ!」と発言したそうです。

5月に入ると、いよいよ渡辺通産大臣のトップ会談で決着・・・というシナリオが始動します。22日頃に合意の目処が立ったとしてトップ会談の日程が決まり、28日のトップ合意のセレモニーとともに、「合意内容」が明かされます。

彼らにとっての唯一の問題は、押し売り被害者である日本国民をどう黙らせるか・・・という事に尽きます。「努力目標」と言ったところで、アメリカがこれを振りかざして「約束した」と言い張って、日本のはどんな犠牲を払ってでも実現せよ・・・と迫る事は明らかであり、そうでなければ「自立した業界を再び支配下に組み込む」という通産官僚の目的は達せられません。翌日の新聞には「国内調整は困難」という解説が乗り、早くも批判の声が上がります。実際、前もって合意内容が出来ていた筈にも関わらず、深夜に及ぶ異例の難協議の演出がなされた事を「難航をPR」することで反対派を宥めようとしたのだ・・・という推測が流れました。但し、表に出た憶測では「完勝」した筈のSIAを宥める・・・という奇妙なものでしたが。

その後六月いっぱいは「細目の詰めで難航している」という宣伝がなされ、業界はなし崩しのうちに事態を「見守る」事を余儀なくされてしまいます。この時期、棚橋氏は大臣官房長に昇格。通産大臣の補佐役として、影から半導体協議に関わり続けます。

7/4に決まったものは、日本企業にとってあまりに過酷でした。「コスト監視」と称して企業秘密をさらけ出し、アメリカ企業に筒抜けになる事は明白。しかも第三国市場も含めた世界規模で規制を受け、アメリカ製品は悪かろう高かろう必要品目と違うだろうの無理矢理購入を余儀なくされることになる。「これではアンチダンピングに甘んじても拒否したほうがましだ」という声が出たのですが、それも当然です。アメリカはダンピング指定を取り下げますが、そんなものはアメリカの一存でいつでも復活できる「空手形」に過ぎない事を、日本企業はやがて思い知らされる事になります。これが「安易な妥協はしない」などと触れ込んだ通産省の、あまりにも惨めな成果でした。通産省の本当の意味が知られない限りは・・・

日本側はなおも「細目詰めで失地回復」などという虚しい慰め交渉を宣伝しますが、そんなものを吹き飛ばしたのが、アメリカ側が仕掛けたとんでもない要求・・「日本テキサスインストルメントを適用除外せよ」!おかげでこの不平等条約に対する反発は、全てこれへの抵抗に向けられ、7月31日についに本調印。

九月に始まったMOSS協議で、この外交押し売りモデルが応用されます。「元々は関税などの制度改善を話す場なのに、今回は違う。コマーシャルベースの話を政府間協議で処理する話になってる」・・・。

ところが、既に行政指導による輸入促進が始まっているにも関わらず、アメリカ企業はまともに売れるものを作ろうとしない。日本ではアメリカ製品購入のため、業界の参加で「外国製半導体販売促進センター」や「半導体国際交流センター」を設立しても、肝心のアメリカ企業は参加すらしない。上げ膳据え膳で黙って安楽椅子に座っていれば「世界一のアメリカ製品だから売れるに決まっている」という態度でぼろ儲けさせろ・・・。アメリカ半導体メーカーのバーブラウン社は「日本市場は開放されている」とSIAを批判します。

また、価格監視に対しては、通産省に「半導体監視室」と「需給見通し検討委員会」を設置。多大な事務需要を産み出すことで通産省組織の肥大化に大いに貢献します。「売り上げ協力のために」との日本企業の配慮によって、インテルは松下と、モトローラは東芝と有利な提携を結んで、まさにホクホクでした。

こんな時に欧州から、本来なら「アメリカの強制に苦しむ日本」にとっての、またとない援軍がやってきたのが、ECによる「半導体協定はガット違反だ」という指摘でした。ECの指摘は正当であり、本来なら、「世界のルール」を理由にこの不平等条約を破棄するための、世界が支持する絶好の機会だった筈です。ところが通産省は「ECに理解を求め、半導体協定を堅持する」として、この国益破壊条約の保持に汲々としたことは、これも通産官僚の真の意図を知らない者には不可解極まる話でした。

ECは11/16日、日本をガットに提訴。間抜け極まることに、日本を叩くものに対する告発で、被害者である日本が被告席に座らされたのです。それでも日本は半導体協定を庇い、EC説得を続けたのです。半導体協定に「環境が変化した場合は一方的に破棄できる」という規定を活用する権利があったにも拘わらず。逆に、そうした「自由」をアメリカが協定で許したのも、その権利を日本側が行使しない・・・という確信があったからに他なりません。

通産省・国売り物語(2)馬借

そして制裁へ

その一方でSIAは、がんじがらめに縛られている日本を、九月の発効から僅か二ヶ月しか経たない・・・、当然、商社などが協定前に買った製品が流通している時期の11月18日、「協定違反のダンピングをしている」として制裁要求を開始します。12月9日にはSIAのプロカッシーニが政府に制裁を要請。「日本が安値販売を続けている証拠を掴んだ」と主張。これが単なる「ふかし」であることは、後に出された「証拠」なるものが全く別の、翌年になってから「おとり」で作られたものであることからも明らかでしょう。実際にはその12月時点での日本企業の第三国シェアは四割・五割の激減。ごっそりアメリカ企業に浚われるという実体があったのです。

翌1月8日には、この物言いで始まった通産省の実態調査で、なんと実際に原価割れ生産をやっていたのが、TIを始めとするアメリカ系メーカーだった事実が判明します。アメリカは大恥をかき、交渉を持ったものの文字通り「話しにならない」。にも拘わらず通産省は「アメリカの不満を鎮めるのが先決」と、メーカーの不満・公正取引委員会の批判を押し切って、強引な生産削減・輸出統制を始めます。日本メーカーは操業停止の手前にまで追い込まれていました。当の日本TIは、なんと各日本企業が減産を受け入れていた中で、独り増産に励んで利益を揚げていました。そこにようやく減産指導が及ぶのは、摩擦が爆発した87年3月に至ってのことです。

しかもこの「ダンピング」なるものの基準である「公正価格」なるものは、アメリカ側が一方的に決定するため、アメリカ市場でも2ドル台以下が相場の中で、それ以上に設定されて日本製品が事実上締め出された状態に至ったとのこと。これはその「公正価格」決定のための資料を提出する筈の日本企業が到底納得しない水準であり、彼らの異議申し立ては全て却下されたのだそうです。日本製品が締め出された状態でのアメリカ市場でも2ドル台以下が相場・・・という事実は、彼らの言う「ダンピング」がいかに実の無い出鱈目なものであるかを実証しています。

第三国シェアをごっそり奪ってホクホク状態のアメリカ半導体メーカーに引き換え、品不足で苦しむアメリカ半導体ユーザーはなんと「輸出規制は通産省による嫌がらせ」などと言い出して日本側に責任転嫁する始末。よく自称アメリカ通は「摩擦が荒れるのはアメリカ企業が苦しいからだ。彼らが儲かるようになれば、解決する」などとお気楽かつ、アメリカ人の楽々もうけを保障する虫の良すぎる言い分を吐けるものです。

実は、この半導体摩擦が爆発した3月には、既に市況は好転していたのです。「通産省の内通」という官害に苦しむ日本メーカーは、品不足で顧客から矢の催促を受けて「増産したくても指導が厳しくて出来ない」という不平が出を出しました。ビジネスに汗する民間メーカーに対して、3月半ばに田村通産相は「モラルに欠ける業界を指導する」などと発言しているのは、棚橋氏が官房長を勤める大臣周辺にとっては既に日本企業は「アメリカと共通の敵」になっていたのでしょう。

アメリカ側の横暴は、単に「自分達の儲け」だけじゃない。不公正な政治力によって日本企業の力を「潰す」のが目的であり、それまではけして止めないのは、これを見ても解ります。そして現実にそうなりました。

この状態になってなお「日本メーカーによるダンピング」と言い張り続けるために行われたのが、強引な囮工作でした。既に日本からのまともな輸出では、半導体企業が輸出業者に対する選別を行って管理が厳しくなっていたため、狙われたのは半導体協定成立以前に海外に持ち出され、子会社でストックされていた在庫品でした。そして、根っからの自由市場として生き馬の目を抜くような手練れの商人が行き交い、コントロールなど不可能な香港市場。そしてこれに引っかかったのが沖電気だったのです。

架空の会社を作り、旧型品の半導体を大口契約を餌にした強引な値下げ交渉で「12万個買うから、そのうちとりあえず五千個をこの値段で」と騙して送り状を書かせ、そして商売成立の十数時間後には手ぐすね引いて待っていたアメリカ筋に、報告が伝わります。品物が渡った数時間後、仕組みに気付いた本社がキャンセルを指示しますが、交渉相手は雲隠れ。そして翌20日、この露骨なヤラセをネタに「証拠を掴んだ」と、日本叩きの大合唱が始まったのです。

実際にはこの時に売られた品は協定以前の96/8月から沖電気の香港支店で在庫になっていた旧型品で、輸出規制や減産指導とも無関係な代物だったのですが、そんな事はどうでもいい。この価格カルテルの約束を日本が「守らなかった」として、これを「貿易のパールハーバー」と称して日本を糾弾するという、まさにアメリカならではの奇怪な論理で、政府・議会・マスコミが結束して反日国粋意識を煽りました。骨絡みの対日偏見と「アメリカの力と正義」という自慰史観的思い込みが結合すれば、どんな理不尽な論理も「国家の総意」として支持されるのがアメリカという国です。

ただ、民間レベルでも同じだったかというと、アメリカを弁護する知米派は「日本叩きで盛り上がるのは議会・政府筋だけ」とよく言います。実際この時も「競争力のある日本製品を締め出すのはおかしい」という意見も出ているのです。ところが日本のマスコミは、「日米開戦を思わせる」と、通産官僚が持ち込んだ交渉相手の様子を引用して、官僚の話を受け売りした記事で危機感を煽ります。「日本資産の凍結」という、まさに資本主義経済システムの根幹を棚上げする戦争行為を、アメリカが準備しているかのような噂まで流しました。

実はこれは、日本が米国債購入を止めた時の対応策として検討されたものだったのですが、内政での輸入制限などとは訳が違う。私有財産を棚上げし、経済システムの根幹を揺るがす強硬措置、まさに「戦争行為」です。イラクのような武力による侵略国相手ならいざ知らず、ガット提訴すらされている押し売り貿易協定のために、実質的に戦争を仕掛けるような真似をもしアメリカが強行したら、アメリカの信頼性が被るダメージはどれほどのものか。

だからこの噂は、噂として誰も検証しようとしませんでした。本来なら公式に確認を求めるなり、公の場に出してその不当性を追求するなり「はっきりさせる措置」をするのが政府の義務なのに、ひたすら曖昧なままに放置され、日本人を脅すためだけに機能したのです。

仮に、ここで日本の逆制裁があれば、アメリカはここまでの強気を通すことは無かったはずです。実際、ボトルリッジに対して日本からの逆制裁の可能性を警戒して質問した記者もいました。それに対しはその可能性を全面否定します。「日本が協定を守ればすぐ解決するから」と。勿論、最初から撤回する気など無かった訳で、彼は制裁の継続を前提に「逆らわない通産省」の内実を見通していた事になります。

こうした通産官僚の宣伝に乗せられた親米派は、まっとうな抵抗論に対して「アメリカに逆らえば経済制裁だ」と言います。けれども現実に、台湾のような「本当に中国から守ってもらう必要のある国」ですら、現実にアメリカによる半導体ダンピング制裁に対して逆制裁を行使しているのです。それが国際社会の現実です。日本では、金丸信のような政治家が「アメリカあっての日本」という属国根性に支配され、特に自民党代議士の多くが「アメリカの靴を舐めて可愛がられるのが日本の国益」と公言する始末。

マスコミがアメリカの主張を受け売りして、実体の乏しい「自由貿易のリーダー」というアメリカの看板を、確信犯的に前提扱いし、アメリカが「怒りのポーズ」をちらつかせることで、簡単に震え上がって言いなりになる。だからマスコミ論調は極めてバランスを欠いたものになります。日経などは「日本に対する悪いイメージがある」などというアメリカの感情を振り翳して、「だから短期的な成果を約束しろ」などという無責任な要求で迫るような、ストラウス前USTR代表のインタビューを、あたかも日本の味方の意見であるかのように持ち上げて、無批判に掲載する始末でした。通産省の出来レースを「不手際」として批判することをネタに、あたかも日本側の一方的な負い目であるかのようにアメリカの不当な感情を代弁し、「買える米国製品は少ない」という事実の指摘を脅しで封じる・・・典型的なごまかし強弁をアメリカ利権擁護のために展開したのです。

江波戸哲夫氏は「ドキュメント日本の官僚」で、「日本のメーカーが通産省の指導を守らなかったのが悪い」と、通産の業界支配指向を代弁します。しかし、彼の言う「メーカーがアメリカを甘く見てタカを括った」という主張は、要するに半導体商社が第三国のグレーマーケットに売ったかどうか・・・という話に過ぎないのです。グレーマーケットというのは一種の投機市場で、品不足局面で利益を稼ぎ、物余り局面になると損を出して売り抜けます。そして、海外市場では日本より実勢価格が高く、その舞台となった東南アジアには現地のグレーマーケット商人がいるのです。

さらには、アメリカにはウェスタンマイクロテクノロジー社などのアメリカのディストリビューターがおり、実はアメリカに「質のいい」日本製を安く輸入していた張本人はこのアメリカ人商人だったのです。彼らは90年頃にはアメリカ半導体メーカーの圧力で、日本からの輸入をアメリカ製品に切り替えますが、「日本製品を多く輸入する」というアメリカの流通経路は、多く彼らに依存していました。彼らこそがアメリカが被害者意識を振りかざしていた「安値被害」を担っていたとしたら、まさに一連の騒ぎは「アメリカの責任」と言うしかありません。

だから「価格統制など最初から不可能」というのが多くの論者の一致した見方で、それを承知でこのような協定を結んだのは「通産省がアメリカを甘く見た」からだと江波戸氏は言いますが、霍見芳弘氏などはむしろアメリカの圧力を期待していたのではないか・・・と指摘しています。もちろん、そうした積極的関与を指摘する意見は少数で、公式上の「通産省による激しい抵抗」をアメリカが押し切って日本に強制したのが20%の「約束」であるという前提の基で、この協定は認識されていました。そうした前提の上ですら、「出来ない約束をした通産省が悪い」と、それを強制したアメリカを正当化する主張が横行していたことは、実に奇妙と言わざるを得ません。

当時のマスコミでは、こうした誰が見ても手のつけられない「海外グレーマーケット」の存在を根拠に「アメリカの怒りはもっともだ」と、「日本企業の第三国シェア激減」という実体を無視した外圧正当化論が強弁されてました。けれどもこれは、裏を返せば、第三国経由で輸出すればアメリカが脅しに使っていた「対日ダンピング関税」など、何の意味もなく競争継続が可能・・・という事実が浮かび上がってくるのです。

こんなものを恐れて通産省の八百長交渉に乗せられ、自由経済破壊を呑んで「半導体立国」を放棄してしまった日本の立場は、まさにピエロと言う他はありませんでした。実は日本企業自体は、85年段階で既にアメリカの日本製半導体排斥そのものには、それほどの危機感を持っていなかったという話すらあります。86年1月22日の256KDRAMのダンピング仮決定にも「冷静に受け止めている」と。元々、85年下期からの大幅な円高で、日本の半導体メーカーは「対米輸出はあきらめている」という状態だったそうで、結局、対米関係に固執していたのは、むしろ官僚側といった方が実態のようでした。

実際、85年あたりを中心に、かなり激しい値引き競争はありました。ところが実際にその値引き競争を仕掛けたのは、アメリカ企業でも半導体摩擦の先頭に立って日本を「ダンピング」と攻撃したマイクロン社自身なんですね。だからこのアメリカの言い分は日本企業の多くから「今更何を言ってるんだ」と大顰蹙だったのです。

さらに言えば「アメリカ政府は味方。強硬な議会を押さえるための支援として譲歩を」というのが真っ赤な騙しだという事実は、日本のマスコミは承知済みでした。実際は政府・議会は政治的に一枚岩で「実態を見るとアメリカ通商関係者がかなり議会と打ち合わせながら決めたというのが真相(日経夕刊87−3/28)」と。

「商務省・USTRが裏で議会を動かしている」という話まで出てきます。「日本に譲歩させなければ、議会がもっと過激な法律を作る恐れがある」などと、無茶な要求を突きつけて議会のせいにして、「アメリカ政府は味方」だなどと日本国民を騙して反発を押さえてきた訳ですが、裏ではしっかり繋がっての連携プレーで芝居を打ち、不当な利権をせしめ続けてきた・・・、それを鵜呑みにした情報を垂れ流し、お先棒を担いできた政府・マスコミの罪は万死に値します。

村上薫氏は、この半導体制裁を仕組んだのは、実はペンタゴンだと指摘しています(「ペンタゴンの逆襲」毎日新聞社)。こうした動きがマスコミに載ったのは86年2月でした。産軍複合体関係者を動員した検討作業班を編成して「半導体は戦略物資だ」という理屈で日本製の排斥論議を始めたのです。「半導体は軍事用技術だからアメリカによる優位を続ける必要がある。そのためには日本が邪魔だ」と、関東軍並みに手前勝手な軍国思考特有の支配欲が、経済の土俵で走り出せば、独占のために日本の技術の破壊という意図へと至るのは自然な成り行きでした。それはボトルリッジ商務長官の「日本のハイテク製品そのものがアメリカ国防に対する重大な脅威だ」という発言に明確に現れています。

それが解った時点で、ハイテク立国の成果を守るという日本の国益にとって、アメリカとの妥協など不可能だと解っていた筈です。「ダンピングなど表向き。本当の目的は日本メーカーの開発力を減速させることだ」という当時の通産省首脳の発言は、関係者の一致した認識でした。

しかし通産省では、こうしたアメリカの軍事思考的技術独占に迎合しようという動きが始まっていました。その現れは86年6月からFSXの共同開発への転換という形で、公然化します。際限の無いアメリカの我儘にもめげずに、損を垂れ流して「共同開発路線」に付き合い続けた理由が、ここにあります。「日本は町人国家の身分をわきまえ、利益を度外視して、ノブレスオブリージの武士国家アメリカに協力せよ」(「ミリテクパワー」朝日新聞社刊)。

そう主張したのが、通産省最強の論客と呼ばれた天谷直弘氏の「町人国家論」です。それは「ロン・ヤス」の中曾根や福田といった自民党親米タカ派の発想であり、その福田元総理は、産軍複合体に代表されるアメリカ保守派と対立するカーター大統領から「過去の波」と呼んで攻撃された人物であり、岸元総理の後継者でもあります。当然その感覚は、かつて福田氏の秘書としてのパイプで、裏で自民首脳部と一体化している棚橋氏の感覚でもあった筈です。

なし崩しの屈伏

しかし、この制裁に至って、我慢を重ねてアメリカの言いなりになってきた日本国内の不満は爆発します。コケにされ続けた産業界では「破棄してアメリカから締め出されても、第三国で自由に売るほうがいい」という意見が出、アメリカでもウォールストリートジャーナルに「半導体協定で日本は1杯喰わされた。協定破棄しかない」と論評された現実がありました。これに対して通産省は「我々の努力が無視された」と怒りのポーズを示し、3月26日には「半導体協定の破棄を検討」と表明します。

ところがすぐにボトルリッジの「解決する見通し」を匂わせる発言と呼応して「制裁撤回へ努力」などという甘い期待を振り撒き、抵抗への意識は霧散してしまいます。9日からの次官級協議でのアメリカ側は解決の意思の無い姿勢を露骨に見せつけ(日刊工業4/15)、決裂に至ると、通産省では協定撤廃に代わって「制裁正式決定とともにガット提訴の決定」を発表します。

ところが、輸入禁止に等しい制裁関税が正式決定され、即日に提訴手続きが発表されたにも拘わらず、結局ガット提訴は寸前で先送り。誰かが強硬に反対したわけです。正式決定の日、児玉機情局長等の担当官に官房長の棚橋氏を含む関係官僚の説明を受けた後の田村大臣は、記者会見で「早いうちに撤回されるだろう」などとお気楽な見通しを並べていました。さらに中曾根総理には内需拡大でアメリカの機嫌を取れば解決できるなどと主張。大臣官房主導で「外交的武装解除」が進められている様子が伺えます。

実はこの制裁の半分以上は「シェアが達成されない」事に対するものでした。もしこれが「押売り」という本質をもって語られていたとしたら、到底日本側からの批判をかわし切る事は出来なかった筈です。しかし、ダンピング問題が強調される事で、「押し売りのための制裁」という本質は巧みに隠蔽され、制裁は既成事実として定着していったのです。

そしてこの状況の中で、押し売り20%消化への努力は続きます。アメリカ製品即売のための、2月には100社以上集めての「外国製半導体購入促進大会」。3月には大手10社を呼び出しての輸入拡大指導。4月にはついに財政再建を放棄します。これが現在に至る財政破局の始まりであり、通産省が予てから外圧を梃子にと狙っていた事実は、田原氏のレポートの通りです。

この六兆円もの財政出動を実現させた中心人物こそ、実は官房長の棚橋氏であった事は、91年に彼が次官に上り詰めた時の日刊工業新聞の人物紹介で明かされています。それだけではなく、東芝ココム事件や構造協議等、外圧時における「アメリカの要求を満たす」ための政策の影には、常に彼の活動があったのです。

仕上げは、150社を集めて「輸入拡大要請会議」を開き、中曾根訪米の手土産にと、民間に強制する具体的な押し売り「自主受け入れ」輸入の品目や金額をまとめる・・・という、企業を犠牲にした大盤振る舞いでした。これをアメリカのマスコミは「制裁したから日本は動いた」と、ぬけぬけと言ってのけ、さらなる強硬策まで要求する始末でした。

結局、交渉で抵抗するようなポーズは示しても、実際は何もしなかったのです。ひたすら言いなりになり続ければ「解ってくれる筈だ」と国内をなだめ騙し続け、国内企業は騙されて血を流し続けました。海外からも「日本を叩いて要求した相手に得をさせるようでは、相手は味をしめて要求をエスカレートさせるだけだ」という指摘がありましたが、通産省は一切耳を貸さなかったのです。

日本側が多大な犠牲を捧げて期待した、4月月末の中曾根訪米で、結局制裁解除が実現しない事が明らかになる頃、次第にアメリカ側の圧力の力点は「シェア拡大」へと移って行きました。それによって衆目に晒される筈の、この押し売り協定そのものの不当性に対する論議を、覆い隠す上で効果を発揮したのが、シェア拡大の実現度を量る基準として、アメリカ側の計測データと日本側の計測データにズレがある・・・という技術上の問題をクローズアップすることでした。そのデータを調整の必要がある、出来ればより有利な日本側の数値を認めさせたい・・・という些末な期待へと、日本の利益を憂える人達の目を外らしている間に「シェア拡大」という目標が既成事実化されていきます。

5月25日に再び田村通産相が主要メーカーを集めて購入拡大を要求。6月のサミット頃に解除・・・という触れ込みで国内を宥めつつ「そのためにシェア拡大を」と押売り受け入れへ誘導します。こうして制裁解除近しの甘い期待が振り撒かれる隙にアメリカ側はSIA理事会を東京で開くと称して、業界大物が大挙して来日し、20%シェアの要求を突きつけます。

マスコミで「たいした波乱はなく、拍子抜けだ」のような鎮静化報道で反発が押さえられたものの、この時の日米業界会議においてアメリカ側は、既に需給タイト化で米企業による受注キャンセルすら出ている中で、91年に継続的な20%シェアを実現するまで制裁を継続すると、横暴な要求を突きつけます。こうした横暴に屈する背後には、盛田・ガルビン・棚橋トリオによる毎度の業界調整があった事は間違いないでしょう。

6月8日にようやく実現した「制裁解除」は、ダンピング分の一部に止まります。さらなる強気で威嚇すべく、SIAのフェーダーマン会長が制裁一部解除に不満を表明し、競争に負けた痛手を「被害」と称してこれと同じ損害を与えろと脅しますが、通産省が散々煽った「協調復活」という甘い夢から覚めた日本側では、落胆から怒りを押さえられなくなると、再びガット提訴のポーズ。一両日中に提訴を行うと表明して期待を集め、そして密室の中での先送り。

その一方で外国製半導体の購入指導の強化は続き、使用する半導体の種目まで踏み込んだ個別指導で、メーカーによっては30%まで引き上げようという強引な行政指導を受けます。半導体国際交流センターを使ったセミナーや展示会が相次いで開かれ、日立ではグループ各社を動員した購入促進へと駆り立てられていくのですが、そうした日本メーカーの努力をあざ笑うような、日米交渉でのアメリカ側の実質的議論拒否状態で、日本国内の不満が高まると、またも10月17日、通産省の半導体制裁ガット提訴のポーズと、「解除近し」の通産相筋情報で宥め、アメリカは小出しの部分解除。怒る日本メーカーには「明日ガット提訴します」の予告とお決まりの密室的先送りで煙幕を張り、日本民間メーカーの怒りははぐらかされ続けるのです。

実はこの頃、政府部内で「半導体報復解除をはっきり要求すべき」という日本側の主張を貫徹する事に反対したのは、他ならぬ通産省であった事実が、エコノミスト87−9/29で報じられています。「解除された事が借りを作ることになる」などという、訳の解らない口実で・・・

その一方で、好況に転じた半導体市場と日本の犠牲による政治的減産から生じた厳しい品不足の中で、アメリカ半導体メーカーが自国市場を優先し、日本が輸入を増やそうにも、売ってくれない。これは単なる技術問題ではない。需要の大きな家電用半導体が、安くて利幅が低いからと、アメリカメーカーが手を出さない。つまり純然たるアメリカの「強欲」の産物なのです。

日本メーカーに対する厳しい規制で増産もままならず、「欲しくても売ってくれない」「相手には強引に購買を要求しながら、どうして自分は真面目に売らないのか」という不満が日本に充満します。ところが「シェアアップをサボるアメリカ企業が悪い」という当然の不満は、巧みに「アメリカ企業のシェアアップ」という目標を自己目的化する方向へと向けられ、そして「そのためには、日本メーカーはどんな協力もすべきだ」と・・・。

こうして、日本側ユーザーが参加した官民合同での話し合いの場が制度化されていきます。しかしそれはアメリカ企業が日本側に技術・販売の協力サービスを要求する場としか機能しません。アメリカ企業が儲けるための「アクションプラン」を要求し、自動車制御分野のような特定分野を名指しし、日本企業が「買うべき製品」をアメリカ企業の都合に基いてリストアップ、「ここに売りたいから、ユーザーが汗を流せ」と・・・。

日本側に対してアメリカ側は制裁解除をはぐらかし、供給努力不足への批判をはぐらかし、アメリカ製半導体の欠陥の疑いで、通信衛星CS−3aの打ち上げ延期する事件がおこり、低い信頼性を何とかしろという当然の要求に対してアメリカは「情報操作」と開き直る始末。翌88年1月には、竹下・レーガンの首脳会談で譲歩を垂れ流し、アメリカから税金で買うために、大学・研究機関では日本製締め出しの上でコンピュータなどの高価な機材を買いまくり、置き場所すら無いというみっともない有り様。半導体では、米国製品買い増し方法を探る日米官民共同研究まで始め、企業に対しては、USTRの役人を滞在させて圧力をかけ、ノウハウを一方的に差し出す提携をどんどん進めさせる・・・。

それでもアメリカは、ひたすら「まだシェアが足りないから解除できない」の一点張り。日本国内に募る不満に通産省は2月、またもガット提訴の予告ポーズと、なし崩しの先送り。それに対してSIAは、3月3日には「追加制裁」すら言い出す始末。三菱電機は、アメリカ製購入を増やすために、自社の半導体生産を一部中止するまでの犠牲を払いました。

そうした中で3月6日頃、ガットではついに日本の半導体圧力受け入れを「違反」と判決。ここまで来たら破棄するのが「国際ルール」です。不公正な不利益協定を是正するチャンス。次いで日立の会長がシェア重視を批判。「日米半導体協定自体も白紙に戻すべき(s4東洋経済88−3/19)」という声が高まります。日本企業にとってはまさに「神風」でしたが、通産省にとっては・・・「協定の見直しを含め、厳しい対応を迫られる」と、まるで協定見直しが日本にとってマイナスでもあるかのようなマスコミ報道・・・。何がここまで日本の知性を貶めたのか。

これに対応するため、日米欧三極会談が決まります。日本が国際ルールを受け入れ・欧州と妥協を図るなら、それで困るのは日本を犠牲に1人で不公正協定の果実を貪っていたアメリカです。それを警戒し、日本を協定に縛り続ける「協議」を要求し、4月11日に日米協議。それで合わせた口裏で、4月15日に四極会議を開きます。日本は「アメリカを満足させる」という前提のもとに苦しい交渉を始め、国内向けには「アメリカには制裁解除を要求しますよ」とポーズを取ります。もちろん、そんな要求にアメリカが応じる筈もなく・・・。

日経新聞5月11日にも、世論の強い要求を受けた社説が出ます。「もともと米国の無理無体な要求を受け入れて半導体協定を締結したために、我が国は解決困難な問題に直面したのである。そのことを反省した上で、日本政府がとるべき態度は何か」。どんな正論も、腹に一物の通産省には「馬の耳に念仏」でした。

制裁解除を求めた6月1日の日米業界会談は、20%を「約束」として既成事実化する目論見を丸出しにした「宣言文への明記」に日本側で抵抗し、あっけなく決裂します。ところがその一方で、押し売りアクセスのための「アクションプログラム」だけはしっかり合意。日本の自動車工業会では、押し売り受け入れのための作業部会まで作ります。モトローラと組んだ東芝は最新技術を出血提供し、「だれが見ても東芝側の持ち出し」(「シリコンメジャー」日経産業新聞社)。

12月にTIと16MDRAMの共同開発契約も「共同」とは名ばかりの「日立さんのメリットは何なのかな。完全に日立製作所のTIに対する技術供与でしょう」と周囲をいぶかしがらせるほどの出血サービス。TIと組んだ日電も「何を得るつもりなのか」と疑問の声に包まれます。こうした動きは、この年1月に来日したスミスUSTR次長(後にモトローラに転職)に田村通産相が差し出したプランに基づいて通産省が業界指導で強制したもので、その恩恵に与ったアメリカ企業は有利過ぎる提携に大満足、「理想的な国際協調」とホクホク。

逆に日本企業では、「まともな半導体を作れる」ための努力を惜しんで口先だけ「アメリカ製は高品質」と言い張るアメリカ企業から輸入を増やすためには、日本側の犠牲で向こうの技術レベルを押し上げるため、虎の子の企業秘密でも何でも只で差し出すしかない。

「多少の出血はあっても」摩擦さえ回避されればと、そしてそれが利益なんだと強調するマスコミ。「ライバルと共生していく知恵」と持ち上げて、アメリカの外圧利権は正当化されていきます。こういう「ぶったくり被害」的な提携を、福川元通産次官は「協定をきっかけに日米間の提携が進んだのだから、悪いことだけでない」などと、ぬけぬけと能天気な自画自賛をほざいているのですから、官僚の愚かさには底がありません。

どんな目に遭っても譲歩を止めない日本に、アメリカの増長は募り、そうした中で生まれたのが「スーパー301条」でした。日本を念頭に作られたこの押し売り法に、通産省は「ガット提訴権の留保」を表明しますが、対米ガット提訴のポーズなど、今までの度重なる先送りでもう誰も信用する者はいません。その6月、棚橋氏は機情局長として再び半導体摩擦の直接担当者となります。

協定そのもののガット違反問題や品不足問題に対して、9月にようやく半導体協定の価格監視に関する見直しに目処がつきます。しかし、肝心の20%条項は日本企業の積もりきった怨嗟にも関わらず、見直しのみの字も出ません。10月の日米欧のラウンドテーブルでも、それまで多様なハイテクを独占してきたアメリカの立場を忘れて「半導体メーカーが日本に集中するべからず」と、結果平等主義を振りかざすのは「衛星・航空機メーカーがアメリカに集中する」現実を変えるべく技術努力することを否定したアメリカの行動とは全く逆の論理でした。

日本のみ犠牲を払う「国際協調」が不公正な要求に対して、日本側担当者は反論どころか「今までの貢献」を語る始末。その一方で、セマテックなどで再びハイテク独占へ向けて着々と布石を打っているアメリカは、自分達の研究に日本に対する閉鎖的な防壁作りに血道を上げます。IBMは90年頃、ヨーロッパ企業との半導体共同開発を行います、その協定に「日本企業に技術情報を渡さないこと」。

アメリカで行われた研究大会からは日本人が締め出され、ネットでは多くの研究機関で日本からのアクセスを拒否する。これが「技術の公開」だの「世界への貢献」だのと御大層な羊頭看板を掲げた連中の正体であり、それをありがたく押し頂いて詐欺集団に協力した多くの日本人従米派の愚かさの証明です。

ユーザーと日本企業を犠牲にしたカルテルによる半導体価格の上昇で、アメリカ半導体企業は空前の大儲けをせしめました。ユーザー側は自社生産能力のある日本企業自身が、この協定のために日本市場向けの電算機を作る半導体にすら事欠く有り様。相次いで生産計画の見直しを迫られます。こうした甚大な被害により、日経8/2日社説のように、まともな論文の中では協定廃止を求める多くの声が出ます。しかし、アメリカ様御機嫌大事のマスコミの大勢では「アメリカは軟化した」と協定を持ち上げ、「半導体協定は空文化した(だから正式な撤廃は無用)」などと、国民誰もが求める半導体協定の見直し要求は、妥協的雰囲気の盛り上げによって、はぐらかされ続けました。

そのおためごかしと対照に、交渉現場ではアメリカはなおも「制裁解除」は拒否し続け、あくまで20%達成に固執します。9月のSIA年次報告では、20%シェアを日本に対する利権として主張し、追加制裁すら要求する始末。AMDのサンダース会長などは押売協定存続を擁護する発言の中で、その露骨なカルテルを「守らない」事を犯罪者呼ばわりし、「犯罪が無くなっても刑法は必要」などと放言を吐いて、大顰蹙を買います。

その言い訳が「会長の性格を理解して欲しい」・・・。TI会長は半導体の品不足が半導体協定によるものであるという、誰でも知っている事実を強引に否定してまで「協定存続は必要」などと強弁するなど、協定存続を強要するアメリカ企業の態度は、まさに猖獗を極めたものでした。これがマスコミ粉飾者をして「軟化したアメリカ」と呼ばれたものの実体です。

深刻な品不足によるアメリカユーザーからの矢の催促で、ようやく半導体、特に不足していたメモリーの増産が可能になったことで、日本企業にも価格上昇による利益が出るようになりました。メガビットクラスの高密度メモリーでは、技術の格差により日本企業に依存せざるを得ないためです。それによる利益から「半導体協定は日本企業にもプラスだった」と主張する人もいますが、それは現実にはそれまでの技術的蓄積を食い潰すものでしかなく、あたかも「日本でもこの協定の維持が日本の産業界自身の意思」であったかの如く主張するのは大きな間違いです。こんな日本企業だけを縛った協定など破棄しても、日本企業に何の不都合があるというのでしょうか。

国内企業による投資コントロールによる価格維持が必要だというなら、それは国内だけで可能な筈で、現にそれ以降のそうした「守りの教訓(伊丹敬之氏『なぜ三つの逆転は起こったか』)」に基づいた行動は、伊丹氏の著作を読む限り日本企業どうしの牽制の中で行われているのです。

むしろ半導体協定によって企業としての戦略的行動を縛られ、メモリーで韓国・台湾メーカーによる激しい追い上げを受ける一方で、より安定的で利益の上がるASICやMPUへの注力を強く意図したにも関わらず、アメリカによる激しい警戒発言の圧力と、数少ない「アメリカが売れる」半導体に20%購入努力が集中せざるを得ないために、意図的にアメリカ企業に明け渡された(伊丹氏の言う「部分供与」)という事情から、それらに対する投資にブレーキがかかっていきます。

そして日本が得意な高密度技術が大きな意味を持つメモリー・・・、本来なら「元々の圧力の対象」であった筈の品目であるにも関わらず、日本半導体メーカーは大幅にメモリー依存度を高めざるを得なくなり、この不安定な品目への依存はやがて「メモリの罠」に捕らわれて、没落を早める要因になっていきます。実際にこのDRAMでも、アメリカ企業は日本から盗んだノウハウで256K→1Mと体制を整えていました。早くも翌89年8月頃には1Mで価格競争を仕掛けるようになっていたのです。それをやったのは、摩擦演出の中枢モトローラでした。

11月、ブッシュ大統領候補の当選が決まると、通産省は「現政権下で解決する」と見得を切ります。その幻想とは裏腹に、SIAが強める強硬姿勢にたまりかねた日本電子工業会が9月のSIA年次報告に反論しますが、政治の裏切りを抱える日本にとって、まさに「ごまめの歯ぎしり」でした。そして89年、スーパー301条の季節がやって来ます。

この時期、日本ではリクルート事件で竹下内閣が潰れる騒ぎが起こっていました。浜田和幸氏はこの事件を「アメリカから仕掛けられたふし」がある、アメリカの諜報機関が日本の闇組織を使って影で演出したのだとして、その人物へインタビューまでやっています。「日本の金融・情報産業を押さえるため」だというのですが、元々、竹下派は棚橋氏と近く、85年のプラザ合意で日本を円高地獄に突き落とした張本人でもあります。

首相として「市場開放プラン」とやらを推進し、アメリカにとっては極めて好都合な人物だった筈なのですが、その竹下政権が倒れた後にも宇野総理のゴタゴタが続き、自民党は大きなゆさぶりを受けた事で、自民党全体に外圧を受け付けやすい雰囲気が醸成されていったのは事実なのです。

89年初めごろの総選挙で海部内閣が成立。この時の選挙の間、「選挙への影響を考慮する」とか言われて、摩擦問題が沈静化しました。それをネタに「恩を売ったのだから、選挙が終わったら大きな譲歩を」という協定が出来ていたのです。

通産省・国売り物語(3)馬借

茶番のスーパー301条

ブッシュ政権は、当初、2月始めに打ち出された方針では、スーパー301条に日本を指定しない予定でした。これが「選挙休戦」のためかどうかは解りませんが、実際、アメリカにとっては88年の対日交渉で牛肉・オレンジや「農産物12品目」などの大きな成果があり、また85年以来の「市場開放アクションプラン」で主な「障壁」はほぼかたがつき、むしろ関税などで日本は世界一障壁の低い国になり、「301条品目」の木材などは逆にアメリカのほうが高関税という有り様でした。その結果、アメリカでどういう事になったか。「今年は攻撃するタマがもうなくなって、何となくフラストレーションがたまっている(日経夕刊89−5/15)」。

つまり、日本が「不公正だから攻撃する」のではなく、日本叩きが楽しいからやる・・・という実態があったのです。だからこそ「とにかく米商品が売れないのは、何か目に見えない障壁があるに違いない」などと言って、「国産愛用癖」などと消費者の選考の権利を否定してみたり、「日本人が日本語で商売をする」という当たり前の事を障壁だと言い張って、「20%が実現しないのは、競争力のせいではなく、日本市場のせいだ」と事実無視の強弁を続け、市場管理強制を正当化し続けました。

既にアメリカは、半導体協定に味をしめた「シェア保証」による押売利益を全ての分野に拡大しようという欲望を鮮明にし初めていました。2月半ばに貿易政策交渉諮問委員会が出した提言に基づいて、USTRでは「スーパー301条の代案」と称して、石油化学・繊維・紙・コンピュータ・通信機器・原子力機器などをリストアップし、個別協定で購買強制を計る方針を打ち出し、この提言の露骨な結果主義交渉スタンスを知る一部の通産官僚が警戒を示したにも関わらず、通産省首脳は「協調的な政策転換」などと持ち上げ、「具体的な輸入拡大策が必要」などとアメリカの結果主義に迎合する姿勢を見せたのです。

結局、この押売貿易提案も、すぐに日本では政府各所からその管理貿易主張の危険性が指摘され、警戒されるようになるのですが、民主党系シンクタンクのEPIも半導体協定での「成功」を理由に、他市場分野での押売拡大を求め、モトローラ等のハイテク企業が組合と組んで作った「国際貿易のための労働・産業連合」も市場分野別押売輸入目標の強制を要求する提言を出しました。

一方で、半導体協定に対してガット問題で違反とされた価格監視に代わる「モニタリング方式」で2月7日頃にほぼ決着がつき、これを理由とした「協定破棄」の可能性が無くなると、猛然と日本叩きが始まります。2月中ばにモスバッカーが「年末までに20%達成しなければ日米関係は損なわれる。どんな貿易問題リストでも日本はトップだ」と、露骨にスーパー301条を匂わせて半導体で揺さぶりをかけ、20日にはSIAを始め、自動車部品工業会などの圧力団体が出した12件のスーパー301条適用要求を公表。

2月末には20%が達成されていないとして、SIAがスーパー301条日本指定と追加制裁要求を決議し、ダンフォース・ベンツェン・ゲッパートなどの摩擦議員が、「スーパー301条は最初から日本が標的だった。外したら意味がない」と出来レースを要求。「議論はいらない、結果を示せ」と、アメリカ企業の努力不足を棚上げした無論理ぶりに、散々購入努力を強いられてきた日本企業は激怒。日本電子工業会はアメリカに反論し、「20%は約束ではない」と主張。アメリカ側は問題の協定附帯文書を公表しますが、ウォールストリートジャーナルがこれを分析し、「約束」と見るのは困難だとアメリカ側の間違いを証明します。

結局、アメリカは毎度の如く感情硬化という脅しに訴えるしかありませんでした。プレストウィッツなどは「日本は守る気の無かった数値目標を約束したふりをして、アメリカを騙した」とか言ってますが、これがいかに恥知らずな言い方であるかは、彼自身が86年2月頃「強硬派を押さえるために、何でもいいから数値目標を呑め」と露骨に要求した事実を見れば明らかです。「怒るアメリカを宥めるために実行可能性を度外視して20%条項を受け入れる」のが騙しだというなら、その騙しを要求したのは他ならぬプレストウィッツを含むアメリカ政府だった。その経緯を承知の上で、こうしたアメリカの言いがかりを放置した通算官僚の言動は、裏の意図が無いとしたら最早白痴的と言うしかありません。その上なおもスーパー301条のヒルズ・三塚会談ではヒルズが「議会を説得する弾をくれ」などと、同じ事を繰り返すのですから、話になりません。しかもそれが、裏で議会と打ち合わせての芝居であることが見え見えなのですから、もう何をか言わんや・・・です

これに対して日本側からは、3月頃から非公式ルートで「望ましい対日適用分野」に関する非公式メッセージを流し(東洋経済89−8/5)ていた・・・と、背後での癒着を裏付けています。4月になると、「高まる対日指定要求への対策」と称して通産省はアメリカに使節を派遣。これがスーパー301条を利用した米・通合同の対日圧力の「打ち合わせ」だった事は間違いないでしょう。

田原氏の「平成・日本の官僚」によると、通産官僚達が、外圧を利用しての他省庁の「縄張り荒らし」を公然と自認し、内輪では何の危機感も持たず、最終的な指定三分野の内容すら知っていた、まるっきりツーカーだったという事実があったのです。そしてこの使節団に棚橋氏も同行し、帰国後には早速、半導体ユーザー会でスピーチ、「アメリカの怒り」をひけらかして「購入拡大」を要求しています。

この使節団がもたらした「対日指定候補リスト」は4月18日に公表され、日本中を激怒の坩堝に叩き込みました。そして4月末に正式発表。三塚通産相は「アメリカを説得する」と称して渡米しますが、和気あいあい、逆に様々な譲歩の大盤振る舞いを差し出して帰国します。郵政省や外務省は激怒しますが、その「調整」は自民党・・・特に棚橋氏の秘書時代に仕えた福田氏の後継者であり、三塚氏のボスでもある阿部氏に持ち込まれます。

そしてこの三塚訪米にも棚橋氏自身が参加し、帰国後にマイコンショーで譲歩をほのめかしたのは、言うまでもありません。半導体では譲歩しようにも日本側から出来ることなど無いのは明らかにのに、「指定は必至だ。何としても回避するため、出来ることはどんな譲歩でもせよ」と煽られ、結局は「購入拡大のためアクションプラン」の合唱で幕が降ります。

平行して郵政省は、盛田・棚橋と組んでいたモトローラ操る通信分野の交渉に渡米しますが、その交渉の後に「夕食会」と称して民間人である筈のガルビンと会談。モトローラは自らの「通信分野」のために通商法1377条に基づくものを別枠で用意され、ガルビン会長はスミス前USTR次席代表をコンサルタントに雇って「強硬姿勢を取り続ければ日本は必ず折れてくる」などとアドバイスを受けていました。そのスミスも同席の上で譲歩を迫る・・・という露骨な政商ぶりを見せつけます。彼はブッシュ大統領の有力支援者として巨額の選挙資金を賄い、その見返りに大きな便宜を得たのです。

日本の常識では明白な贈賄ですが、その被害者が日本人である限り、けしてアメリカの司法もマスコミも批判はしません。それが「アメリカ」という国です。ガルビンは自分の次男をUSTRに送り込み、54品目もの制裁候補をぶち上げて、早々と制裁を決定します。それを決定づけたのは「ガルビンが首を横に振ったから」だと言われており、一企業の利益を擁護する露骨な姿勢は、さらに日本市民の反発を買いました。やがてこの通信摩擦は6月になって、これも棚橋氏と関係の深い竹下派の幹部である小沢一郎氏の仲介により、IDOにモトローラ方式を強引に押しつけることで「合意」します。強引な周波数割り当て変更要求で業界には激しい反発が渦巻き、特にIDOは莫大な二重投資を迫られ、経営危機にすら直面するのです。

通産省は、反発の大きい国内向けには「制裁を前提にした交渉には応じない」と見得を切りますが、裏では「対日指定はあったほうがいい」などと公言する始末。半導体ではしっかり5月18日から来日したフィリップスUSTR次長などと協議を行い、企業ごとに数十億の購入計画や自動車50%増を初めとする業界ごとの数値目標など、ふんだんな貢ぎ物を報告。随行したモトローラのフィッシャー社長は棚橋氏と会談するなど、露骨な連携プレーぶりを見せつけました。スパコン分野では、USTRに対する「意見書」と称して、8軒もの「購入計画」を差し出しすなど、結局「圧力の果実」を差し出す醜態に終始したのです。

結局、五月末の本指定では、田原氏が明かした「騒ぎの一週間前に通産幹部が知っていた」通り、国民の税金で政府機関に買わせるスパコンなど三分野が指定されました。最初、19日頃に指定確実になったのがスパコンで、その他幾つかの候補が上がり、アメリカ部内での激しいやりとりの末に決まった・・・という経過が、報道では流されます。しかし結局それらは手の込んだ芝居・出来レースだった訳です。この結果を受けて日本では、マスコミが「不公正貿易国の烙印を捺された」と大騒ぎする一方で、肝心の通産省は「三分野は通産マターではない」などと涼しい顔。「これで済んだのはアメリカの良識が蘇ったため」「落ち着いた交渉態度が功を奏した」などと勝利宣言まで出す始末。

この時、同様に候補に挙がった韓国は、国民の反米感情でアメリカを押さえ、ECも「米国貿易障壁42項目」を列挙して毅然とした態度を取ったために、本指定はありませんでした。しかし日本はマスコミの対米恐怖を煽っての「譲歩せよ」宣伝で反発の表面化は軽微なものに留まり、「日本指定」に固執するアメリカを安心させました。マスコミはさすがにアメリカの横暴さは隠せませんでしたが、「反発は感情論だから押さえろ」「アメリカの不満を自覚せよ」「紛争を拡大させないのが経済大国としての責任だ」などと、あらゆる理屈で外圧への恭順を説いたのです。

正当性を無視した「感情論」という一括りの言葉で、アメリカの感情を容認しつつ日本側の感情を否定し、「大国」という言葉でおだてて「叩かれ役」という大国にあるまじき惨めな実態から目を逸らさせる・・・まさに詭弁の塊のような論調が横行しました。また、交渉場面をあげつらって、ヒルズ代表が議会を見え透いた噛ませ犬に仕立てて「自分は制裁はしたくないから譲歩しろ」とゴネれば「大人の態度」とおだて、日本側がアメリカ側の対日差別的態度をたしなめてモスバッカーが鼻を曲げれば「友人を失った」などと、ゴネアメリカ人の感情を優先する・・・。こうした報道で「問題の本質」から目を逸らさせたのです。

もし、日本で国民世論による対米批判が表面化していたら、この圧力を跳ね返す大きな力になった筈なのです。在日米大使館やIBMなどは日本の反米感情を恐れて米政府に指定を避けるべく勧告し、本指定の際には日本からの反発の緩和のために半導体制裁の解除を検討したほどで、アメリカのマスコミでも「半導体などが指定から洩れたのは、日本側の反発を恐れたから」という見方が有力だったのです。5月末に開かれたOECDでは早くもスーパー301条はヨーロッパはおろか、アメリカと不離一体状態のカナダからさえ強い非難を浴び、完全に孤立していました。この状態でまともに争えば、アメリカは不利を免れなかった筈です。

「交渉には応じない」と見得を切った筈の通産省は、騒ぎが静まると途端にその国民に対する約束を反故にしました。「財界人どうしの会合」と称して7月には、政府担当者も同席の上、実質的な政府間交渉が始まり、平行して「構造協議」が始まりました。構造協議では「双方に意見を言う」と言いつつ、その実アメリカが一方的に日本に要求を突きつけ、やがてここから、本来なら過去の不況時の財政出動国債を償還すべきバブル景気時の日本に430兆もの公共事業を義務づけるという、経済原則を無視した無茶な要求を呑まされることになり、まさに今日の財政破綻に至るのです。

これこそ構造協議の最重要課題であり、それがいかに常軌を逸した害の甚大な要求かは、エコノミスト90−9/11の安倍基雄氏の論説に詳しいですが、構造協議で持ち出された無茶な要求は、それだけじゃない。ヤクザに差し出す「みかじめ料」にも等しい米軍駐留費負担増額すらも、この構造協議の中で持ち出され、そのために地位協定の変更すら迫られるのです。こうした屈辱的な交渉はマスコミで、「大店法」などを盛んにアピールする報道に隠れ、あたかも「アメリカは業者エゴを叩く国民の味方」であるかのような宣伝がなされ、アメリカの外圧そのものを正当化する世論操作が横行したのです。

しかし現実には、公共事業拡大要求はまさにその「業者エゴ」の利益を代弁したものであり、それに対して表向きの抵抗とは裏腹に、実は裏で一貫して財政拡大を計って外圧と組んでいた通産省のやり方は、大店法などでも通産省の実際の行動がいかなるものであったかを如実に物語っています。大店法でアメリカの要求に抵抗したのは通産省・・・という事になっているのですが、実はこの交渉の結果、規制区域線引き等で通産省は大幅に権限を強化されていたのです。

そしてその権限で市町村など関連団体に強い「指導」を初めており、アメリカ製品購入指導にも大きな力を振るった事は間違いないでしょう。とすると、本当に通産省は抵抗したのか・・・、実は「既定の行動」の追認に過ぎなかったのではないか。小規模なコンビニが本当の「脅威」として、単なる「店舗の大きさ」が時代遅れになる中、通産省の内部でも(田原氏の著作では)「アメリカを批判する民族派の代表」ということになっていた村岡茂生氏すら「大店法は悪法で即刻廃止すべき」と言ってる・・・とすれば、一体誰が反対したのか。

あたかも「日本側が強く抵抗した厳しい交渉だった」かのように、日米政府がマスコミ操作による誤った印象を植えつけられた事実は、グレンフクシマ氏の回顧に出てくるそうですが、実は「通産省の抵抗」なるものは、「いつまでまとめるか」のような些末な問題でしかなく、その抵抗の中心にいたのは、棚橋氏と最も近い政治家である梶山通産相である事が、畠山譲氏の自伝「通商交渉、国益を巡るドラマ」に出てきます。あたかも抵抗したような振りをしつつ、結論は既に出ていたのですから、翌6月の妥結は「まとまらないと思われてたのに、何故まとまったのか、ミステリーだ」と疑問を持たれたのも当然で、内実「出来レース」を「自由化のため」と称して外圧と組んで、実際の目的は「省の権限強化」と多くの人員増加と補助金。これは実は半導体協定での20%保証の出来レースと同じ構造であることは、お気付きのことと思います。

この他、建設での談合処罰や内外価格差などが俎上に上りますが、「日本市民の味方」という羊頭看板とは裏腹に、アメリカの要求によって設計や通信設備などの美味しい所しか手を出さないアメリカ建設会社の受注を保証してやる建設摩擦は、これこそまさに談合以外の何物でもありません。内外価格差の原因が実はアメリカ対日輸出業者の不当に高い利幅である事実が協同調査によって判明しかかると、アメリカはさらなる確認の調査に反対するなど、多くの欺瞞を含むものでした。

大店法の廃止は当然でしょうが、それは既に国内世論の支持があって、それに米・通産連合が便乗したに過ぎない・・・ということは、「やる気」さえあれば国内だけで出来た筈です。それをあたかも「外圧でやりました」かのように演出し、外圧全体を正当化して不当な押し売り外圧の非を糊塗する意図は見え見えでした。

これをマスコミは、アメリカの対日調査の成果であると持ち上げますが、この状況は通産省が85年にやった手・・・裏で日本側から情報提供した・・・というのと同じ事をやった可能性が高い事は、言うまでもありません。マスコミはアメリカ側の妙手ぶりを讃えて、こう言います。「竹下派を厚遇して味方につけたのだ」と。元々、棚橋氏と近い勢力であり、実態は「厚遇して味方につける」も何も無かったのではないでしょうか。

これと前後する6月、棚橋氏は産業政策局長、その腹心の内藤正久氏は貿易局長に就任。その体制の元で、半導体で培った押し売り産業規制を全産業に拡大するべく、壮大な行政指導の行使が始まります。6月からは約300に対して「輸入拡大計画のヒアリング」と称して圧力を開始。「パーセンテージが一桁では少ない」と、数値目標をかざしての市場管理に走り、21日には「輸入拡大要請会議」を開催。10月末には主要数十社に「約4年で輸入倍増」を公言するほどでした。

7月27日に産業構造審議会新施策報告を出し、「草の根輸入促進」を提言。地域レベルにまで指導の網を張って「輸入可能品目」を報告させてアメリカを潤さしめる。それと連動すべくジェトロに「対日輸出促進基金」「総合輸入促進センターパイロット事業」が新設され、輸入促進税制や頻繁なアメリカ製品商談会、外国対日輸出企業のための相談窓口、対日売り込みの便宜を図るための情報提供等々。

これが90年8月には、関係省庁や業界人と外国人による「輸入協議会」で、300以上の主要企業に製品輸入計画を提出させ、90年提出分などは8%の伸び率が「前年度の13%に比べて少ない」として通産大臣が怒りつけて圧力をかける強引ぶりでした。

これら全ては、棚橋氏の意を受けた内藤氏の手によるもので、これで得た莫大な権限で潤った通産官僚達は、棚橋氏をして「通産省中興の祖」とまで呼ぶほどだったそうです。

しかし、一歩その省益の外に出れば、民間が発する疑問の声に溢れていました。「通産省は米国の管理貿易の担い手(日経90−1/10)」「通産省は押し売り取り次ぎ業か(同紙89−12/16)」・・・。これに対して開き直る通産幹部は「対外摩擦を配慮しつつ日本経済の活力を維持するためだ」と。しかし現実に日本経済の活力が維持されなかった・・・というより、正確には「意図的に破壊された」という結果をもたらしたのです。輸入優遇税制に対する民間の反応も冷たいものでした。「輸入増加10%」という義務が、その輸入者にとって、いかにも重い犠牲を伴うものだったからです。

この時期、大前研一氏は各種統計を計算し、アメリカ系の在日子会社の販売総額が550億ドルに達し、このアメリカ系企業の本当の実績を加味するならば、対日赤字の相当部分が吹き飛んでしまう事実を立証して、アメリカの押し売り外圧のいかがわしさを実証しました。その功績に対して通産省が何と言ったか・・・。「余計な事をするな」。彼は「日本企業の保護者」という通産省の仮面の裏の、実はアメリカの権威を傘に着た経済統制に血道を上げる正体を完膚なきまでに批判しています。

そしてこの時期、とんでもない特許が成立します。TIの「集積回路の基本特許」と称するものの中身は、電気の通る回路の線と線を離すことで絶縁するという、まるで電気を通す電線を丸ごと自分の発明だと称するようなもので、日本企業に莫大な特許料を請求し、富士通だけは裁判で抵抗しましたが、他の企業からせしめた特許料でTIは一気に黒字転換しました。TIは半導体摩擦の中心役の一つですが、通産省配下の特許庁を使った露骨な利益誘導としか思えない事例と言えるでしょう。

こうした露骨な対アメリカ企業利益供与に関して、もちろん通産省の言い分は「アメリカの理解を得るため」である事は言うまでもありません。そして現実には、アメリカとツーカーだった通産がそんなものを一切期待していなかったことも。そのアメリカでは、半導体摩擦の被害を受けたユーザー企業が半導体協定延長阻止を旗印にCSPPという団体すら組織していました。それと共闘してSIAのごり押しと戦おう・・・という姿勢すら、通産省は見せませんでした。

6月の半導体協議では、日本側大手が差し出した「急ピッチな押売受け入れ拡大」にホクホクのアメリカ側でしたが、もちろんそんなものは「味をしめさせた」事でしかありません。こうした行動がいかに愚かなものであるかは、既に当時、日経11/6日で富田俊基氏が論証しています。制裁を受けた日本から、対象品目を限定した逆制裁によって対抗することこそ、アメリカのような非協調を淘汰し、大きな紛争を回避する有益な行動である事が、ゲーム理論の定理であるとして、政府の行動とその結果を分析し、「米国の報復に対してはっきりと反対の意思表示もせずに、産業界に対して米国製半導体の使用を促した」ことを批判しています。同様の意見は伊藤隆敏氏(東洋経済93−7/3)が「建設的対米報復」として提言し、「対抗措置は経済戦争になって日本の破滅」・・・などという発想は全く世界の常識に反する事実を明らかにしています。

10月に入るとSIAは圧力の強化を始めます。理事のプロカシーニ氏が20%達成困難として制裁強化検討を表明。ノイス氏やコリガン氏も相次いで来日し、20%の達成を要求します。日本電子工業会はこれを批判する一方で、10項目の購入拡大策を提案しますが、何の役にも立ちません。11月の四極通商会議ではアメリカのやり方は批判の的でしたが、国内マスコミは「アメリカに逆らう日本は世界の孤児になる」と脅しました。そうした動きを外圧によってバックアップすべく、10月にUSTRのヒルズ代表が来日します。各分野の担当大臣と会談して圧力をかけるとともに、前月の貿易委員会の「フォローアップ会合」と称して、スーパー301条指定品目の協議を要求。それに呼応して、自民党の小沢氏が「産業界全体の自主管理貿易」を提唱。政府部内で真っ向からの自由経済否定がまかり通っていきます。

スーパー301条指定品目品目では、89年11月、さらに翌2月と行われるフォローアップ会合で、の「制裁を前提とした」協議が始まります。当然、強い抵抗が出ます。通産省では予定の事で、「翌年のスーパー301条の行方を探る」と称して、その実、抵抗省庁を屈伏させるべく、12月には通産幹部が相次いで訪米。3月末のスーパー301条候補指定前にほぼ日本譲歩の見通しが立ちます。にもかかわらず、アメリカは前年をしのぐ数の候補を列挙。曰く「スーパー301条は予想以上に有効だった」と、ぬけぬけと語る国務省筋。

日本が拒否して制裁となれば、アメリカは孤立して窮地に陥る筈なのを、日本の「協力」が救ったのだと・・・。だから「御馳走をもう1杯」・・・と(日経90年4/1日)。そして新たにアライド社の利益を代弁してアモルファス合金を指定し、多額の購買約束などの不透明極まる要求を突きつけます。もちろん半導体なども重要な圧力分野として、既に2月半ばに「民間半導体会議」で、それまでの圧力の成果を「指針」として確立したことになりますので、さらなる「前進」を心置きなく要求する訳です。

指定に先立っての3月16日、モスバッカー商務長官が来日して直接に日本の電子企業と会談して圧力をかけ、4/11日には武藤通産相が電子工業会などと懇談、アメリカ製の調達増加を「要請」します。そして20日には「外国製半導体マーケットアクセス拡大会議」にユーザー企業を集めて購入拡大を指導。25日に全産業で300社を集めた「輸入拡大会議」押売受け入れ指導。国内外からの圧力に、メーカーは殆ど抵抗力を失っていました。「理屈を言っても始まらない。制裁されれば世界の孤児になる」などという諦めムードを強要され、通産省にわざわざ「本指定回避」を要請するまでに、米・通産のペースに嵌まっていました。

そして「新たな購入拡大」へと駆り立てられ、るのですが、何しろ不良率の高いアメリカ製品ですから、家電業界は「これだけ努力しても8%がやっと」と、悲愴感を漂わせながら(日刊工業4/18日)アメリカ製購入のために犠牲を払い続けました。

この間、ECは米国の貿易障壁に関する報告書を提出して対抗し、脅される一方の日本との落差を見せつけました。アメリカは日本から毟り取った譲歩に溢れる成果を勝ち取ります。これによってアメリカ政府部内で、ルール違反の制裁でアメリカ自身が「世界の孤児になる」危険を回避するための「本指定回避」が4月末に決まると、お人好しにも日本のマスコミはその「回避」だけを取り上げて「良かった、良かった」の合唱。アメリカに管理され絞られる厳しい未来の事なんか、これっぽっちも気にしない能天気ぶりを示すのはまだマシなほうで、「アメリカは日本に貸しを作ったのだ」などと、あまりに図々しい恩着せ論理の片棒を担いで、日本を精神的に蝕んでいったのです。

通産省・国売り物語(4)馬借

押し売り延長

この間、海部政権では安倍氏を担ごうという海部降ろしが吹き荒れます。2月に決まった日米首脳会談によって、首相の「アメリカとの調整役」の役回りが与えられ、海部降ろしを押さえ込む構図が演出されました。政権内部でそれを演出したのが、小沢一郎氏でした。自民政権の都合によって「日米関係の堅持」が日本政府の最重要課題となり、そのために何を犠牲にしても・・・という「体制内の合意」が、国民の知らない所で形成されていきました。

海部総理のアメリカ訪問の時などは、総理が空港に着くと、待ち構えていたアメリカ政府関係者によって、通訳も含めた随行員から引き離され、拉致同然に連れ去られて謎の会談を強要され、内容不明の密約を結ばされたのだそうです。実際にアメリカが相手にしたのは竹下氏で、海部訪米の後には「竹藪会談」が控えていました。

半導体協定は、スーパー301条の頃から「協定延長」が問題になっていました。それを逃れるため・・・と称して通産省は、誰が見ても不可能だと解る「翌年までの20%達成」を「可能」だと言い張りました。それが出来ないのは日本がまだ閉鎖的だから・・・と、事実を全く無視そうしたアメリカの言い張りをうわべでは否定しながらも、通産省は「要求に答えるために、さらに努力を」と企業に強制し、実質的にアメリカの不当な言い分を肯定したのです。

そうした日本側の軟弱を見込んで、アメリカはさらに高いハードルを課すべく、製品カバー率が低く、「達成率」を4%も引き下げるESTS統計の使用を要求しました。そして通米連合は民間日本に対して、分野ごとの押し売りを行って、通信機器分野を標的に、秋には押し売りシンポジウムを開いています。

その間、構造協議の財政垂れ流し要求は、ズルズルと「上積み」を要求され続けました。GNP比で10%などという途方もない要求を突き付け、「GNP比が嫌ならさらに50兆の増額を」と結局455兆にも肥大化した税金無駄遣いの「公約」が、日本の財政を無残に踏み潰していくのです。

露骨なアメリカの結果主義的黒字減らし要求に対して、ようやく学会の理性が働いたのが「黒字有用論」でした。これに我が儘な結果主義を否定されたアメリカは猛反発し、棚橋氏の盟友である通産省の児玉氏も同調発言を出し、自民党政府によって否定されてしまいますが、この黒字有用論の正しさは、やがて細川・クリントン交渉の際に日米の権威と良心ある経済学者達が連名でクリントンの管理貿易要求を批判した公開書簡で、はっきりと認められています。曰く「日本の黒字は、日本の貯蓄が国内投資を上回っていることを表しており、今日緊急に資本を必要としている多くの国々に対して資金を提供していることに他ならない。米国が自国の資金需要も満たせず、他国の需要はなおさら満たせない状況である時に、日本の黒字が有害であるという印象を米国自身がつくり出すことは、あまりにも近視眼的である」。

また、アメリカのニスカネンCATO所長は88年8/29の日経で、半導体協定に対する日本の妥協が管理貿易論に力を与え、スーパー301条成立をも促し、ウルグアイラウンドの見通しすら弱めたと批判しています。そして半導体協定を91年の期限切れで解消させる事こそ日米の利益であると指摘し、対米屈伏の害毒を警告しています。

しかし、そうした正論は、アメリカへの奉仕を事とした通産・マスコミにとっては結局は「見たくない」代物だったのです。半導体協定によって日本企業は、アメリカ企業に製品開発の手の内を差し出して、一方的に相手のビジネスに奉仕するための「デザイン・イン」を強制されました。そんな不公平な代物をマスコミは、あたかも理想的日米協力であるかのように持ち上げ、関係は良好だなどと糊塗しました。「20%が達成されるかどうかで、協定は廃止か延長か決まる(日刊工業10/17)」などと、露骨にアメリカのペースへと世論の雰囲気の誘導が図られました。

そうしたメッキが剥がれ、本格的に協定延長の圧力が始まったのは10月4日頃からです。SIAは日本に対して、表向きの協定の機能だった「価格拘束」の要求を取りやめ、押し売りに専念することで、半導体協定の被害者だったアメリカのコンピュータ業界団体を味方につけました。彼等は協同でブッシュに協定延長を要求する書簡を送り、日本に圧力をかけます。もちろん電子工業会は協定延長に反対を表明しました。通産省も表向きは「シェア論は避けるべき」とは言いましたが、結局は協定廃止は眼中に無く、あたかもこの押し売り数値目標回避にアメリカが同意してくれるかのような、どう考えても非現実的な認識を見せつけたのです。

11月には関連企業が集まって、アメリカ半導体メーカーのために必要情報を検索するデータベース会社設立、日立は必要な半導体を「売ってもらう」ために、極秘機密だった最先端製品の基盤を公開展示します。こうした、アメリカが「市場開放」と強称する「美味しい上げ膳据え膳」があるのは、20%押し売りの協定あってこそ・・・。SIAの11末年次報告の押し売り協定延長要請で「協定が失効すれば日本はそれを止めてしまう」と、まさに「利権のための脅し」である事を公認していました。

翌91年1月25日、日米協議でアメリカが新協定・・・つまり延長を正式に要求しました。通産省は「マーケットアクセスの努力」つまり押し売り受け入れ指導の甘受を表明し、「だから新協定はいらない」と突っ撥ねると思いきや、協定延命について「話し合う用意がある」などと、あっさりと延命協議に応じてしまいます。

2月14日に始まった延長協議で、アメリカは早くも「シェア明示」を要求。一応、拒否のそぶりを示しながら、ずるずる引きずられていく通産省・・・という図式は結局は出来レースの予定の成り行きだったのですが、その、あまりのふがいなさに対する、高まる国民の不満に、さすがにマスコミもアメリカの要求を正当化することは困難になっていきました。これを黙らせるための格好の脅しが「湾岸戦争における対日不信」だったのです。

中・韓の振りかざす歴史カードで自衛隊を派遣できない日本に「血を流さない卑怯者」などと言いがかりをつけ、アメリカ好戦文化の勝手な情緒を振りかざしての無理難題。その一方で、実は「海上保安庁の巡視船なら」という日本政府の検討を嗅ぎつけたアメリカのマスコミが「軍艦を出そうとしている」などと嘘を報じて中・韓を煽り、日本の足を引っ張る有り様でした。

そうした不公正な言動は「日本の行動を危惧した」と称する「アジア諸国」の外交官も同じでした。彼等はカークパトリック氏に「日本は軍事協力を拒否すべきだ」と主張しながら、それを脅しめいた言葉で日本に要求した張本人を目の前に「日本に要求すべきでない」とは言わなかったのです。

平和志向の日本人の心を踏みつけたアメリカに対する、日本人の高まる怒りをマスコミは「アメリカの気持ちも理解しろ」と擁護に務めるのに懸命でした。そして「通商摩擦への波及が心配だ。アメリカを宥めるためには通商協定で譲歩を」と。同時にカークパトリックなどのアメリカ外交当局もまた、湾岸軍事的対日横暴感情に沸き立つ「アメリカ世論」を噛ませ犬に、日本の貿易面での譲歩を要求しました(サンサーラ92年5月)。「アメリカ政府は国民感情をコントロールできない」などと、自分達が煽っておいて、しらじらしいと言うしかありません。

そうした脅しを日本のマスコミで代弁する「対日戦友」の古森義久氏が、92年夏では大統領選挙という「権力者の都合」で対日非難が減ったりしている状況をリポートしているのだから、皮肉と言うべきでしょう。そして議会では「対日課徴金」と称する一律20%の差別的関税、スーパー301条復活案、在日米軍全額負担強要案・・・等々の脅迫的法案の数々。それを根拠に「アメリカは日本に失望した」だのと古森義久氏などの隷米ジャーナリストは、アメリカの感情論を突き付けて日本の理性を侵食していきます。

日米政府・マスコミの連携による日本人恐喝作戦。実に見事な連携プレーと言う他はありません。この時、アメリカはイラクへの反撃計画の中で、事前の情報で一方的な勝利の確信しながら、それを隠蔽して、いかにも難航しそうな発表で不安を煽りました。それはアメリカ国民への対日横暴感情の高揚のために、そして日本国民に対する心理的締めつけのために、絶大な威力を発揮しました。そうやってせしめた巨額な負担という日本の犠牲を足蹴に、横暴に日本を罵倒し、そのくせ罵った対象である筈の「お金」を取り立てる事にに関しては、意地汚く「遅い・少ない」「確実に納めろ」と・・・。挙げ句が莫大に剰った戦費を懐に入れ、ドル高によって負担金が目減りしたからと、戦費余剰の事実がばれたにも関わらず五億ドルもの追加を要求する。

こうしたアメリカの「戦争主導者」としての立場に胡座をかいた「味方に対する仕打ち」への不満は、日本のマスコミによって巧妙に「反戦感情」へと転嫁され、「血を流すことに対する批判」によって気分を紛らわされてしまいました。アメリカによる武力行使に異議を唱える人はいても、日本に対する「血を流せ」という要求を正面から批判はしませんでした。そうした「反戦意識」に賛成するアメリカ人もまた、自国人の日本に対する横暴をたしなめようとしませんでした。「交戦権を復活させるな」と説教を垂れたダグラススミス氏のように、それを要求するアメリカを批判することも、アメリカ人として反省することもせずに、無茶な圧力を浴びせられた日本に「平和憲法を守れ」とお門違いの要求するばかりな無意味な論説がまかり通り、不公正への怒りは煙に巻かれるばかりでした。不当なアメリカの対日横暴は批判する人なく正当化され、日本人の鬱血する怒りに加えて、経済摩擦での不当な譲歩要求に対する政府のなし崩しの譲歩に、我慢の限界に達した中から彷彿と興ってきたのが、つまりは反米感情だったのです。

そうしたユーザーとしての日本人の要求に対応せざるを得ないのもまた、「権力の道具」としてのマスコミの限界でした。それまで散々危機を煽って「アメリカの反日に対応して要求を呑め」と迫った彼等も、アメリカ批判を求める読者への対応に迫られて、必然的に取り上げざるを得ませんでしたが、それでも「嫌米感情」などという造語で、あたかも「感情的に嫌い」なだけであるかのようにイメージ化し、本質である論理的対日罪悪の存在を糊塗しようという目論見は忘れませんでした。

そして、隷米的な傾向の強いマスコミ人は、その当然の抗米意識を「マスコミがつくりあげた反米感情の蜃気楼」「正体見たり枯れ尾花」などと、必死で粉飾に務めました。「アメリカでは議会以外に反日感情は少ない。それをマスコミが大袈裟に言い立てて、日本人の危機感を煽ったんだ」と。

それはまさに「事実」だったのでしょう。日本叩きを際限なく増幅したマスコミの行動に対して、覆い隠せない疑念の声に対して、彼等はとんでもない詐欺的世論誘導を試みたのです。強引に批判の矛先を「アメリカ利益代弁者」から逸らし、「日本の権力者がその歪んだ見方を国民に押しつけ、ある方向に誘導しようとしているのではないか」「非常に巧妙に仕組まれた罠のような気がする」と、逆にアメリカを擁護する方向へとねじ曲げたのです。

マスコミ報道の世論操作の「アメリカの日本叩きの激しさへの恐怖」を誇張したの作意性の「アメリカの要求を呑ませよう」という意図に眼を瞑れば、それはまさに一片の事実を引用したものと言っていいでしょう。ひたすら「日本叩き」に恐れ譲っていた80年代には黙認され、押さえきれなくなって吹き出した90年代にようやく出てきたその指摘は、それ自体が作為的なベクテルを持たされた論理によって語られる傾向が続きます。その作意性が、まるで反米感情を煽る事を目的としたであったかのような、本末転倒したごまかし。ましてやアメリカでの、手前勝手な論理による激しい反日報道・・・、東芝叩きや半導体押売正当化報道などの数々・・・、ついには「日本を弁護することは学者生命にとってのダメージ」と見なされるに至るまでの世論操作が「抑制の利いたもの」であったかのように強弁し、アメリカを「日本の世論操作による指弾の被害者」のように見せかけようという、東洋経済の鈴木健二氏の詐欺的論説には疑問を抱かざるを得ません。

ビジネスウィークのように日本経済潰しを画策して反日世論を煽る事を目的とした、誘導尋問のような世論調査を指摘しつつ、それを真に受けた日本のマスコミを非難することで「アメリカ無実論」を主張するのであれば、本末転倒と言う他はない。そうした不良アメリカ報道機関の暗躍をこそ非難すべきではないのか。

通産省は、いまだ継続中の半導体制裁を「交渉の中で終わらせる」などと国民を煙に巻いて、交渉を継続させました。協定が消滅すれば、そんなものは継続する根拠を失うという程度の事実は、多くの識者が指摘する常識・・・であったにも関わらず、です。彼等は「外国製半導体商社懇談会」なるものをでっち上げ、「グレーマーケット」問題で散々叩いた半導体商社を味方につけて、民間メーカーの血を吸わせました。いくらでも内製できるものを無理矢理止めさせて、高かろう悪かろうを「アメリカ製だから」で買わせるボロい商売でしたから、その会長の高山成雄氏は「協定存続は自然の流れ」「寛大な気持ちを」などと通産隷米路線を擁護するわけです。未だに日本企業の一方的な犠牲によるアメリカ企業の利益を「共存共栄」「相互依存」などと持ち上げる日本のマスコミの姿勢は相変わらずでした。

その一方でSIA会長のコリガンは「新たな制裁」を主張して、協定延長を嫌がる日本世論を脅します。3月に入るとUSTRのウィリアムズ次長が「協定と制裁は別」と発言し、シェア未達成でも制裁はしないという甘い期待を匂わせます。勿論、そんなものは20%を明記した新協定への抵抗を逸らすための出任せであることは明白で、「達成しなければ、それは日本側の努力が足りない証拠だから、その努力不足に対して制裁するのだ」という強弁で、制裁の論理は頑迷に放さない不誠実な姿勢を維持し続けていたのです。

マスコミは協定が事実上決着して手遅れになるまで、「協定と制裁は別」というまやかしに対する追求をさぼり続けました。ウォールストリートジャーナルが、これを「半導体カルテル」と呼んで「延長すべきでない」と忠告したのは、決着寸前の5月20日でした。それは本当のアメリカの良識がどう見ているかを示すものでしたが、これでは現実には「アリバイ工作」以上の意味を持ちません。

うやむやのうちに協定延長方針が既成事実になり、「とにかく20%の明示を」を要求するアメリカに対して、通産省は4月前半頃まで抵抗の素振りを示しました。そして海部・ブッシュ会談で譲歩を要求された・・・として、政治談合という筋書きで4月23日から半導体協議が始まりました。こうして、後に棚橋氏の系列として知られることになる牧野機情局長が「制裁の根拠にしない」という前提で20%明示の受け入れで基本合意に達しました。

もちろん、協定破棄の望みを絶たれた国民は怒りました。けれども協議は「シェア統計の取り方」という手続き問題に方向を移して、これに「抵抗の素振り」を示すことで、僅かな「相手の譲歩の望み」でせめてもの歓心を繋いで注意を逸らすという、使い古された手で国民は煙に巻かれたのです。

6月4日、ついに決着。ようやくマスコミは20%明示に対する産業界の懸念を伝えます。通産省は「日米協調の証し」などと自画自賛しましたが、その中身は「その達成は保証しない」としつつも20%の目標を明示し、しかもそれに向けた「日本ユーザーの努力」すら明言しており、「来年末には再燃する」「対日制裁の余地を残す」と、誰もが将来の悪夢のような災厄を確信していました。もちろんアメリカ側では、その果実への期待に奮えるSIAが「20%が明記されたことは大きな前進」と、外圧利益に溢れる涎を拭いました。

この6月、棚橋氏は通産次官に登り詰めます。その基で一層の押売指導の強化が図られます。対象企業は5倍に増やされ、アンケートでは1割が「内外問わず購入」から「摩擦を考慮して購入」へと乗り換えました。「摩擦」という市場外要因が経済原則を踏みつけ引きずる惨状を、マスコミは嬉々として報じました。日立などはグループ各社に外国製購入を2年で3倍に拡大したとして、お手本のように持ち上げられたのです。

電子業界や自動車など様々な業界、17の団体に通産省が強要した「ビジネスグローバルパートナーシップ推進行動計画」では、対日輸出拡大やアメリカ企業対日進出の手伝いのために加盟企業の「行動計画」が謳われ、押売受け入れシステムを定着させていきました。12月には対象企業を増やすとともに輸入拡大目標を上積みし、外資に対する免税や低利融資、事業支援のための会社設立などの手厚い保護をばらまきます。こうした官僚統制こそが、押売要求の大前提であるにも関わらず、統制強化は「押売を拒否できない日本の負い目(英エコノミスト5/18)」と宣伝されます。それはいかに日本に関する「情報」が狂っていたかの証に他なりません。

隷米派マスコミの「アメリカに逆らうな。反米の雰囲気を警戒しているぞ」という世論操作宣伝とは裏腹に、アメリカを甘やかす海部日本に対して、奢り昂ぶるアメリカ中に「たかる対象」として舐め切った態度が広まっていきました。夏の海部訪米に対するアメリカ記者団の第一声は「海部さん、小切手は持ってきたの?」。派閥の支えの無い弱小政権だからアメリカに逆らえないんだ・・・という、虚しい言い訳を背景に、11月に成立した宮沢政権は、しかし国民の期待に全く答えなかったのです。

ジョブ・ジョブ・ジョブ

翌92年はまさに押売で明けました。1月7日にブッシュ大統領が来日。いくつもの分野で露骨な押し売り協定を要求しました。主要分野は自動車・紙・板ガラス。特に執着したのが自動車分野でした。ブッシュは、反日の闘士アイアコッカを初めとした業界人を率いて交渉に臨み、「ジョブ・ジョブ・ジョブ」と叫んで市場原理も何もかなぐり捨てた成果が、自動車4万7千台、自動車部品190億ドルの購入の約束。半導体摩擦で味をしめたアメリカの、広範な分野に渡る本格的な押し売り拡大が始まったのです。

こうした横暴に対して通産省は、僅かの日程の協議で何の抵抗も無く、押し売りを受け入れました。自動車工業会で棚橋氏は「アメリカが本気になって交渉に臨んで」「自動車企業は通産省の圧力に泣きの涙で要求を受け入れた」という、余りに情けない言い訳。この日本企業の犠牲に対して、マスコミは何と言ったか・・・。東洋経済の日暮良一氏曰く「行政指導を巧みに使った官民協力で米国側の圧力を水際でかわした」「売れなければ(日本の)メーカーが損をかぶるまでのこと」・・・。

アイアコッカのクライスラーは前年から経営危機に悩み、三菱自動車による支援が取り沙汰されていましたが、あまりに規模の違う取り合わせに尻込みした三菱に代わって救済役を期待されたトヨタでしたが、この傲慢なクライスラーの企業文化。どう考えても明るい先行きなど描ける筈が無い。消極的なトヨタに対して、東洋経済の91年5月4日の記事に曰く「(アメリカ人を喜ばせるという)国益のために」メリットの無いクライスラー救済を行わないトヨタはエゴイストだ、日本国民として危惧を持つ・・・なんて事が、大真面目に書いてある。とんでもない話だ。

さらに「アメリカメーカーが苦しい時だから、儲けるのを控えろ」なんて言ってるのです。日本企業が苦しい今、派手に稼いでいるアメリカ企業に同じ事を言ったらどうなるか。もし本当にトヨタが救済買収したらどうなったか。「アメリカの魂を買った」と排斥された多くの日本企業の先例が、既に累々だった時期ですよ、これは。

そういう理不尽を「国益のために」そしてアメリカ人の身勝手な感情のために、リスクを冒して経済活動している企業に、犠牲になれとマスコミは言った。そして日本企業は犠牲になった。そしてアメリカは肥え太ったのです。「国のために」と言って企業を縛って損失を強い、日本経済を傷つけたのは、PKOやドル投資強制で金融機関に強いた大蔵官僚だけではない。不合理な対米奉仕をメーカーに要求したマスコミもまた同罪です。

このアイアコッカは、経営危機のクライスラーを立て直した国民的英雄として祭り上げられていました。こんなもの、実際にはアメリカ政府の支援と対日外圧による「自主規制」による価格吊り上げの賜物に過ぎないのに。こんな政治力利用の姑息な手段が「闘魂の経営」ですから、開いた口が塞がりません。表面上犠牲になるのが日本企業であるなら「立派な経営努力」と見なされて賞賛されるのがアメリカ世論というものです。そして本業そっちのけで売名行為に血道を上げ、巨額のお手盛りサラリーで私腹を肥やした挙げ句の危機再来。「夢よもう一度」と再び対日外圧を頼もうという、まったく性根の腐った輩です。

限界に来た国民の怒りと、「圧力をかければ屈すると、日本をばかにする」という識者の警告に対して、まだマスコミは「選挙を控えた共和党を守るために」という理屈で「アメリカを助けるために言いなりになれ」と無茶苦茶な説教を垂れ続けました。「アメリカの保護主義を押さえるメリットがある」と。では「助けられたアメリカ」は感謝したのか?保護主義は押さえられたのか?とんでもない。助けられて感謝すれば、「恩を売られた」ことになる。そんな状況をアメリカは絶対に認めない。アメリカのマスコミは「日本から屈辱を受けた」と、逆に反日を煽ったのです。

アメリカとはこんな横暴な国なのかと、多くの識者が知り合いのアメリカ人に言ったそうです。そしたら何と言われたか。「無茶は解ってるけど、日本は受け入れたじゃないか」と。

露骨な日本叩きが横行しながら、「輸出でアメリカの労働者を苦しめるな。アメリカで売るものはアメリカで作れ」と、政治要因でアメリカ進出を余儀なくされた日系企業は「バイアメリカン」の差別を突き付けられました。こうした反日による嫌がらせに、投資も回収出来ないまま次々に撤退し、多くの日本企業が大きな痛手を受けたのです。

この時期、日本では、盛田氏と新日鉄の永野氏との論争がありました。「経済競争で外国に遠慮すべき」と、盛田氏の露骨な外圧擁護は「そのためには時短だ、ゆとりだ」と、まさに「自らの競争力を削げ」という逆立ちした論理で、現在に至る日本産業弱体化の素地を盛り上げたのです。

半導体では、2月にアメリカ側の努力不足が表面化します。SIAがシェアアップの即効薬と称して、日本電子工業会に製品リストを送りつけて「これを優先的に購入しろ」と・・・。顧客のニーズを無視したこのリストの、あまりの粗末さに電子工業会は「こんなのでシェアが上がると思ってるのか」と激怒する始末でした。3月頃になるとSIAは「シェアが伸びない」として大統領に対日圧力を要求する中間報告を出し、対日制裁の脅しを盛り上げます。

通産省は、際限の無い押し売り指導に、いよいよ業界の不満を押さえ切れなくなっていました。それをアメリカに直接押さえてもらおうと、業界ごとの日米対話を打ち出します。実際、深まる不況に対米サービスの余力も乏しくなってきたのです。4月末の輸入拡大要請会議も不調に終わり、4月30日に日経新聞の設定したインタビューで、SIAのプロカッシーニが制裁要請方針を表明し、露骨な脅しをかけました。「20%は約束ではなく、制裁の根拠にならない」という明文化された通産省の逃げ道は、誰もが知っていたアメリカの「言い張り体質」によって完全に吹き飛びました。誰もが予想し、通産省だけが目を背けていた「20%達成困難=制裁」が、いよいよ現実のものになったのです。

そうしたアメリカの態度を批判しつつ、マスコミの態度は相変わらず「摩擦を回避せよ」と言い続けました。こうした日本側「指導層」の降伏姿勢と連携するように、アメリカ政府高官による「シェア拡大が無ければ制裁復活だ」という脅し。これを背景に通産省は25日、電子業界首脳にシェア拡大のための「一層の努力」を要求しましたが、我慢の限界に来ていた企業がいったいどんな反応をしたのか、直後の27日には両国の業界を引き込んだ協議が始まりました。

企業に対して直接アメリカ当局から脅しをかけ、それを通産省が傍観する。USTRは「半導体協定実施状況に対する調査を開始」と称し、「日本側は努力していない。やっぱり制裁だ」という事実無視の結論を出す構えをちらつかせて8月1日を期限に締め上げるのです。「通産省は裏方に回り、業界を矢面に立たす作戦に出た(エコノミスト92−6/23)」。

こうして日本企業は「緊急特別措置」なるものを約束させられます。全ての半導体調達のアメリカ企業への事前通達が義務づけられ、高かろうが悪かろうが、自主的な選択は不可能になります。もちろん、そうした日本企業が血を流す手続きとは無関係に、「20%達成状況の監視を続ける」とSIAは傘下企業ごとの受注実績をモニターして、増えなければ圧力をかける・・・という、露骨極まる押し売りに対して、日本側は「黙認」・・・・。おりから始まったバブル崩壊・・・需要の激減の中で、普通の商売で達成は到底不可能というのが、最初から観測筋の常識でした。しかし無理にでもアメリカ企業からの購入量は増やせ・・・と。

この成り行きの全てをアメリカは、アメリカにとって「今後の通商政策のモデル」であり、数値目標による押し売りの正当性を日本が理解した・・・のだと公言しました。通産省は、そういう相手に迎合したのです。それはまさに日本全体をヤクザに売り渡す行為以外の何物でもありません。

全ては予定のうちでした。僅か一週間後にはUSTRは「シェアが伸びていない」と制裁をちらつかせ初め、マスコミも「期待を抱かせた以上、出来ませんでしたでは通らない」などと、その尻馬に乗って民間企業を責めます。アメリカの「制裁しない」事の約束破りを責めるでもなく、誰も信じないアメリカの誠意という甘い幻想を振り撒いた通産省を責めるでもなく、ひたすらアメリカの要求実現に努力せよと、押し売りへの全面降伏を勧告し続けます。その果てに何があるのかを知りながら・・・

7月のアンケート調査ではアメリカ企業の対応に、相変わらず「納期が遅い」「仕様ニーズへの対応不足」との不満が渦巻きました。アメリカメーカーの努力不足が浮き彫りになりました。日本の景気が悪化する一方で、アメリカの景気の回復。それによって、アメリカ側メーカーが、日本ユーザー後回しで対応していたのです。

シェア達成が絶望的との見方が定着し、民間では通産省に対する「理不尽な要求に立ち向かえ」「アメリカメーカーの要求に屈するな」と、悲痛な叫びがこだまするばかり。ひたすら制裁の脅しで応じるアメリカと、それに応じて「全力で順守する」などと尻尾を振るばかりの通産省。日本のメーカーが、自社製半導体を犠牲にしてのアメリカ製購入で、第二四半期のアメリカ製シェアが向上します。このユーザーの犠牲を「日米の努力の結果」と自画自賛する外国系半導体ユーザー協会。

しかし後半になってから、急速に悪化する日本の景気で、20%未達成は確実になりました。その最後の手段として第四四半期、日本のユーザーによる大量の「前倒し発注(日刊工業93−3/23日)」が行われます。東洋経済の93年4月10日では、前倒し発注の事実とともに「数字はつくるものだ」と言い放った関係者の発言が紹介されました。翌年になって初めてそうした事実が明かされるのですが・・・日本側にとっては、アメリカ企業が「日本企業が使う半導体を作らない」からこその20%達成不可能だった訳ですから、まさに「使いもしないものをドブに捨てるために買わされた」のです。

こうした企業行動が、6月の協定以来、日本企業の半導体取引をモニターしていたSIAを満足させ、「未達成でも制裁はしない」との発言も出ます。勿論、彼等が制裁を放棄するつもりの無いことは、間もなく明らかになるのですが、結局、等が求めていたのはまさにこれだった訳です。こんなものは、最早、市場でも何でもありません。

高まる国内の怒りに、通産省も抵抗のポーズを示さざるを得なくなった結果、この年から出てきたのが「不公正貿易白書」でした。アメリカを始めとする各国の不公正通商政策を、中立的なガットの基準で評価するもので、アメリカこそ最大の不公正国である事実を実証し、学会から大きな評価を得、欧米の開き直りとは裏腹にガットの権威向上にも寄与しました。

しかし、結局は誰もが知っている現実を表にしたものでしかなく、しかも、これを現実の通商交渉で突き付けるような「実利面」での活用は、全くなされなかったのです。従って、国民はこれによって大いに留飲を下げましたが、結局は留飲を下げただけだったのです。

この年の後半、宮沢政権を支える竹下派が分裂します。小沢・金丸氏は元々「アメリカあっての日本」などと放言する、自他共に認める隷米派でした。しかし金丸氏がスキャンダルで議員辞職し、小沢氏の勢力が後退すると、代わる黒幕として出てきたのが、棚橋氏最大の盟友である梶山氏でした。かつての首相官房豪遊グループ以来の子分である森通産大臣とともに、その政治力のバックとして、棚橋次官の権勢は飛ぶ鳥落とす勢いでした。そうした元で行われたのが、この半導体王国に引導を渡した強制購入だった訳です。

通産省・国売り物語(5)馬借

外圧の犬、クリントン

93年に入ってクリントン政権が誕生します。「今まで反日を唱えた民主党も、責任を得ておとなしくなる」・・・。一体、どこからそんな甘い期待が出てきたのでしょうか。「アメリカは変わろうとしている」と、ケネディを引き合いに出してアピールするクリントンの宣伝に乗せられ、マスコミは好意的な反応を示しました。彼の唱える「自らの競争力を高める」努力と称するものを、日本は歓迎しましたが、その裏側で進んでいる、日本を生け贄にした邪悪な意図に、多くの日本人が目を背けていました。彼等の言う「自ら努力する」という事が、日本を叩いて押し売りする事と逆であるかのような、「アメリカの理性」なる空証文を、まだ信じるナイーブな日本人が多く居たのです。彼等の期待と信頼は完全に裏切られました。

冷静に考えれば、この通商日本叩きを表向き主導しているのが労働組合の勢力で、「職場確保のために」という名目で「リベラリズム運動」なるものと連動していました。それをあたかも「理性」を代表するものであるかのように思い込んでいる人達には、民主党権力者や組合リーダーの不透明な人脈など、目を向けたくもなかったのでしょう。

「アメリカに職場を確保するため」と困難を押しきって進出した日系工場に対する執拗な嫌がらせ、そして逆にアメリカ資本家の利益を擁護する対日進出の優遇を要求する、民主党反日権力者の言い分は、露骨な資本家の利益の代弁である事は見え見えであったにも関わらず・・・。そんな論理矛盾はアメリカにとって「外国を血祭りに上げる」局面においては朝飯前であるという事実から、多くの日本人は眼を逸らされていたのです。

見え透いた羊頭看板で「弱者擁護」のイメージを張りぼてに塗った排日運動のために、日本や日本企業を強引に悪者に仕立て上げる国粋的詐術の道具として激化していったものが、歴史カード利用の(国家予算の半分を約束した巨額賠償でとうの昔に決着のついた)戦後賠償やり直し要求の扇動であり、(鯨を食べる日本人は人食い人種と同じだという人種差別的感情暴論にまみれた)反捕鯨に代表される環境ネタ利用の日本叩きでしょう。

特に歴史カードは、日本においても「ソ連崩壊」で行き場の無くなった左派にとっての、貴重な発言ツールでした。アジアで当たり前に企業活動することを「相手の恨みを忘れた無責任なニッポン人」などと暴言するのを「進歩的」だの「良識」だのと鼓吹する佐高真のような愚か者や、さらにはナチスに劣らぬ暗黒国家北朝鮮とタイアップした、怪し過ぎる「慰安婦体験談」を振りかざして「日本はナチス以下」などと、笑うしかない暴言を吐く外道ども・・・。北米ではNAFTAが成立し、孤立感を深めるアジアが日本のリーダーシップに期待するのに対して、日本に対する歴史的偏見を煽ることで、アジア自立の希望を妨害するという筋書きは、まさにアメリカの世界支配戦略に絶大に貢献した事は間違いありません。

環境問題においても、捕鯨だけではない。クロマグロ規制では、7割もの漁獲シェアで「資源減少」の真犯人である「金持ちのクルーザーによる釣り遊び」(エコノミスト92−4/14)のロビー活動によって、日本の生業漁民を規制しようという、CITES提訴の非合理。日本を吊るし上げる輩の正体が豪遊金満集団なのですから、「貧しい者に味方する市民運動」が聞いて呆れます。

この傾向は、クリントン民主党政権の登場とともに、どんどん露骨になっていきます。リンダチャベスやアイリスチャンを持ち上げての日本叩きで、インチキな猟奇写真をちりばめて下半身利用の反理性的排日を浸透させたアイリスチャンに対して、日本の駐米大使がテレビ討論を挑みます。ところが呆れたことに、多くのアメリカ人は「アイリスが若い美人で斉藤駐米大使が中年のオヤジ」などという、あまりにも情けない理由で、アイリス側に軍配を上げたのです。

そして外交面でも中国との「戦略的パートナーシップ」と称して甘やかし、日本に孤立感を迫るような愚かなクリントンの行動は、中国の増長を招いて、多くの識者から「最悪の外交政策」の烙印を捺されます。それが2000年選挙の民主党敗退の大きな要因となった事は記憶に新しい所ですが、一方の市民団体・アカデミズムにおいては「日本罪人視」「日本企業狙い撃ち集団訴訟」の暗黒環境がふてぶてしく居座り、その不当を指摘すると「日本の肩を持った」と言われて学者生命が危なくなる・・・とまで言われる知的抑圧状態が続いています。

さて、クリントン政権発足において、押し売り推進派の大量入閣は早くも経済外交面での醜い正体を現しました。まともに日本に関する知識のある人は姿を消した事は、多くの知米派を危惧させました。まさに「最初からまともに日本と交渉する気が無かった」のです。そして押し売り推進・脅しの信奉者の大量入閣。圧巻はローラタイソン大統領特別顧問。彼女の著作「誰か誰を叩いているのか」は、半導体協定による不当な利益を「成功例」として持ち上げ、さらなる押し売り圧力を鼓吹するという、とんでもない代物として、心ある人の警戒の的になりました。

従来の押し売り貿易の建て前が主張する「赤字解消のため輸出を増やしたい」と言う建て前とは裏腹の、付加価値の多いハイテク製品じゃなきゃ嫌だ・・・という我が儘政策の鼓吹が、所謂彼女が主張する「戦略的管理貿易」です。それは日本に対する彼等の「米市場を閉鎖しているではないか」という最大の口実に泥を塗る如く、農業のようなものは意味が無い。半導体やコンピュータを輸出させろとゴネまくりました。

政府による産業政策を「日本やアジア諸国もやってるじゃないか」と正当化した・・・と言うのですが、マスコミの解説で技術・開発支援を真似るのだ・・・と、あたかも自助努力を指向しているかの如く糊塗されていましたが、現実のその指向は押売貿易以外の何物でもありません。これでは「一生懸命働いた人」を見習うと言って、一生懸命泥棒するようなものです。「利益になることは良いことだ」と言って、強盗を正当化するようなものです。こんなものを日本のマスコミは「等身大の通商理論」などと、あたかもまともな政策であるかのように持ち上げ、下手をすると「輸入制限よりましだ」みたいに本末転倒な解説で日本人を騙しました。

実はこの、「付加価値の大きい儲かる分野」の美味しいとこ取り指向は、タイソン氏の独創でも何でもない、そもそもアメリカ企業の通商行動においての、いつもの「我が儘な悪い癖」に過ぎないのです。半導体でも付加価値の高いMPUやASICは手を出しても、安い家電用マイコンには見向きもしない。なかなか20%に達しなかったのは、そのためです。建設市場でも泥臭い施工には手を出さずに、設計や通信施設など美味しい所だけつまみ食いする。それが、利益率は高くても、全体の規模の小さい売り上げしか出さず、黒字額を稼げない。そんなものを「無理矢理に均衡させろ」などと、日本に一方的に出血を強いる・・・。この理不尽こそが貿易摩擦の本質なのです。

こうした政策が、ガットの自由貿易体制を危機に陥れるであろうことを、多くの人が警戒しました。それに対してのアメリカの理屈は「これは冷戦体制のためにアメリカが被害を甘受したものだ。その被害を返してもらうのだ」。とんでもない話です。ガット体制は、アメリカだけが輸入自由化する訳じゃない。客観的な基準の元で、多くの国に自由化を促すものです。

日本もガットによって、多くの分野で自由化を迫られ、実行し、多くの輸入品を受け入れてきました。にも関わらず「自分だけが」などと被害者意識を持って「利益を返せ」など、盗人猛々しいとはよく言ったものです。最初から自由貿易の公正を害するつもりなのですから、通商戦争の危険どころの話じゃない。それを「各国が懸命に回避するだろう」と、危険なチキンゲームを仕掛けたのですから。他国の犠牲に甘えて攻撃に走る肚づもり・・・。そこまでアメリカを甘やかせたのは、他ならぬ日本の隷米政府と、それを動かしてきた通産官僚です。

そしてその外道政策・・・、半導体摩擦に味をしめた特定分野別押売貿易の全産業への拡大は、クリントン政権に全面的に採用され、貿易黒字という「結果」そのものに因縁をつけて日本を一方的に攻撃する、あからさまな結果主義を振りかざして露骨な圧力で迫ったのです。

そうした自国政府の悪行に、結局のところ、アメリカ世論は「迎合」したのです。それまでまがりなりにも存在していた「アメリカにも悪い所はある」という良識論は、全く影をひそめたといいます。それどころか、アイアコッカなどはNAFTAに対する反対派を説得するためにと称して「日本やEUにとって悪いことは、アメリカにとって良いことだ」と公言しました。口先では日本と「友人として話し合う」などと、見え透いた、日本のマスコミだけが相手にするおべんちゃらを吹き、全体の雰囲気は「日本を潰してやる」というあからさまな悪意に満ちたものでした。

ところが、それに対して日本政府は・・・。スーパー301条の復活に際して、渡辺外務大臣に対して「黒字がけしからん」との結果主義を振りかざして脅すアメリカ。その渡辺氏は「相手国の不公正に対するものだ」などという、脳みその存在を疑わせるような受け売りコメントを発表して、日本国民を落胆させました。

通産省は毎度のごとく、業界団体を使った押し売り受け入れ工作を続け、「保護主義回避を話し合う」との触れ込みで2月14日に日米財界人会議が行われ、半導体・自動車など29分野を標的に特別委員会の設置が決まります。もちろん保護主義回避どころか、押し売り貿易という最悪の保護主義に奉仕するための委員会です。

3月に入るとすぐ、SIAは再び制裁をちらつかせて、月末に予定されている92年第四四半期のデータの公表を控えて「20%未達成の場合は」と脅してきました。取引状況をモニターしていたSIAですから、当然、日本企業による無理なドブ捨て出血発注によって当面の数字が確保される見通しは立っていた筈でした。

もちろん通産省もそれを知っていて、マスコミ向けには「達成は無理だが、通産省がなんとか守ってやるから業界も協力しろ」と、押し売り受け入れ推進のネタにしたのです。彼等の真意は3月20日、20%達成が公表される頃に明らかになりました。曰く「93年平均で20%の実現を」・・・。あまりに酷い弄ばれ方に激怒する日本企業に、さすがの通産省も宥める言葉がありませんでした。

相変わらずのアメリカ企業によるキャンセルで、欲しい製品が入ってこない状況に棚橋氏は「大きな金額じゃないんだから、問題無い」などと嘯きます。冗談じゃない!半導体が予定通り入ってこないということは、それを組み込む予定だった電子製品が完成しない・出荷できないという事です。いくつもの半導体を組み込む製品が、他の半導体は調達して組み込んでるのに、アメリカ企業から買った部品が無ければそれは高価なゴミと化します。日本企業の損失はキャンセルされた金額の数十倍になり、当然、その製品を受注した顧客企業にも多大な迷惑をかけ、失墜した信用はお金では換算出来ないものになります。それを「大きな金額じゃないんだから、問題無い」などとアメリカ企業を擁護した棚橋氏に、多くの人が愛想を尽かしました。

4月半ばの日米首脳会議で、アメリカが分野別の輸入目標設定を要求したことで、国民の怒りはごまかしきれないまでに膨れ上がりました。棚橋氏なども「数値目標は受け入れられない」と公式には発言せざるを得ませんでした。「アメリカの言いなりに押売受け入れ指導を続けて目標を実現させてしまったから、つけ上がらせたんだ」という事実がようやく認識され、アメリカの管理貿易の波及を恐れるアジア諸国はアメリカを批判して日本を支持。OECDでもアメリカの結果主義は批判されます。

しかし、自民党政府部内ではまだ「外圧ウェルカム」でした。会談に先立ってワシントンポスト記者と会見した宮澤総理は平然と「外圧で自らを変えるのが日本のやり方だ」などと公言し、記事にされてしまうという体たらく。しかもその発言が、記事の印刷前にその筋に流れて、ローラタイソンの部下等が書いた「和解できる差異」と題する対日押し売り外交の台本に、押し売り正当化の論拠として引用されてしまうという失態を演じます。

首脳会談では、アメリカが押し売り要求を突き付ける場として「構造協議の後を受ける」と称して「包括協議」という枠組みに同意してしまいます。そして「輸入目標は作らない」という日本側の前提をアメリカ側は平気で無視していくのです。まさにこの会議は通産省の最後にして最大の甘い密の源でした。景気刺激策を要求するサマーズ財務長官の威光をバックに、大蔵省との激しい折衝で毟り取った、その目玉こそ、棚橋氏の最大の功績と言われた「新社会資本」でした。

特に教育用パソコンの大量購入が「アメリカに多くの利益をもたらす」として、その実現に大きなプレッシャーをかけました。そしてこの教育パソコンこそ、彼が孫・盛田氏と組んでトロン教育パソコンが潰されたことによって、独占の雄マイクロソフトなどに多くの利益をもたらす事になった曰く付きの分野であり、そもそもトロンが、国内外に対してオープンな仕様であるにも関わらず、スーパー301条の標的にされ、これこそ外圧の不公正さ・非論理性の見本として多くの人に非難されたのです。

もしこの時期に大量導入が実現していたら、僅か2年後、ウィンドゥズ95によって大量に発生する廃棄教育パソコンの山に膨大な追加を成していたであろう事を考えると、身の毛がよだちます。民間需要の廃棄パソコンによるゴミ問題と無駄遣いは、深刻な社会問題になっていったのは、誰もが知る周知の事実なのですから。

この時、マスコミは「アメリカは日本の要求通り、財政赤字退治を始めた。だから日本もアメリカの要求を受けて黒字を減らせ」と、無茶なアメリカの論理を代弁します。とんでもない話で、アメリカの黒字退治はアメリカ自身のためであり、その歪みに苦しむアメリカ自身の自助努力を求めたに過ぎない。アメリカの一方的な輸出利益のために日本が財政垂れ流しで破産に向かって邁進することを、同列として要求するなど、筋違いも甚だしいではありませんか。

この不当な言いがかりに対する反発を「偏狭なナショナリズム」などと決めつけて「世界史的大問題」などという訳の解らない持ち上げ方で財政垂れ流しを説く飯沼良祐氏、管理貿易論への日本側の批判を「アメリカが受け入れない」などという論理外的理由で一蹴し、アメリカ政府の強盗経済学を「新経済理論」などと持ち上げて「理解を示せ」などと強弁する川島睦保氏(東洋経済東洋経済93年6月5日)。愚論を垂れ流す隷米マスコミの弊害は完全に「まともな庶民」の感覚から遊離したのです。

5月12日、通産省は相変わらずの「輸入拡大要請会議」で、アメリカの要求を受け入れるべく企業に圧力をかけ、マスコミは「輸入努力は保護主義を牽制する」などという通産省の言い訳を鵜呑みにしました。しかし最早、企業は冷ややかな反応しか示さず、逆に政府の努力を要求します。「アメリカをつけ上がらせてはいけないという、腐るほどの教訓から、あなた方は何を学んだのか」と・・・

6月のOECDで、アメリカの結果主義的ごり押し言動は最悪の状況を呈しました。「米国の成長の期待外れ」も「欧州の不況」も全て日本のせい・・・などという馬鹿げた責任転嫁を強弁し、朝日新聞は「我が国は厳しく受け止めたい」などと馬鹿げた降伏論を垂れ流しました。客観的に見ても欧州は、期待のドイツが冷戦終結で東ドイツを飲み込んだ後遺症に苦しみ、アメリカの「期待外れ」は日本を犠牲に好調期に入った上での「もっともっと」的な贅沢に過ぎないのを、まさに自虐朝日の真骨頂と言う他はありません。これを分析したフィナンシャルタイムズは、日本はアメリカ側での責任逃れのスケープゴートにされているのだ・・・というものでした。そしてさらに同紙は主張するのです。「日本がより平穏な生活を望むのなら」文句を言わずに言いなりになれと・・・(絶句)

こうして6月、日本経済をズタズタにした棚橋氏は、2年の次官任期を終えて退任します。7月、アメリカの主張する「ベンチマーク方式」と称する半導体押し売り方式に、毎度のように形だけの抵抗の姿勢を示す通産省ですが、アメリカ側は「制裁に直結するものでない」などというおためごかしで騙そうとします。半導体で散々騙された古い手口で、民間を騙せないのは明らかなのに。

そして首脳会談で宮澤総理は、アメリカが要求する「フレームワーク」なる実質的な押し売り協定の枠組みに同意したのです。それは既に内閣不信任まで決まっていた宮澤総理の、あまりにも迷惑な置き土産でした。そこでは「日本の大幅な黒字削減」がうたわれ、合意後にアメリカ側が一方的に「黒字幅をGDP2%に削減するという意味だ。それが公約された」と宣言します。市場分野別の「客観基準」なるものも謳われ、「約束」と取られて制裁される可能性を受け入れた、まさに「結果主義」地獄が丸ごと日本を飲み込む体制・・・それは梶山支配下にある宮沢総理の「強い意向」だったと言われています。

「大人」への遠い道のり

そして総選挙で、アメリカの言いなりだった自民党政権に国民は「NO」を下しました。梶山自民党が大敗し、小沢氏が実質的に率いる新進党と、細川氏の日本新党が躍進したのです。細川政権の誕生です。アメリカは「政権交代による細川総理の改革路線」に対する支持を表明し、あたかも日本の改革の味方であるかのような素振りを示しましたが、実際には、細川氏の背後にいる小沢氏に対する期待であった事は、見え見えでした。「官僚を押さえ込んででも」通商紛争解決・・・つまり対米妥協に働く政治家として「アメリカでの評価は高い」のだという報道が、それを裏付けていました。しかしその後、実際の交渉は終始、細川首相のリーダーシップによって行われた事が、アメリカの期待を覆すことになったのです。

さらに、従来の押売推進の「合意」に対して、民間からの突き上げで、通産省と外務省の一部に省内対立が始まったことは、アメリカを慌てさせました。「押し売り合意は受け入れられない」という高官発言にベンツェン財務長官が反発し、カッター次席代表は「管理貿易批判を相手にせず」と突っ張り、別の高官は押売批判を「官僚の利権の問題」と見苦しいすり替えを行いました。

曰く「輸入拡大(押売受容)の場合は通産省が民間企業に出向いて輸入促進を懇願しなければならず、通産省のメンツは丸潰れとなる」・・・。民間取引への不当な行政介入がメンツが丸潰れなのは、役所が民間に不当な不利益を強制するのだから、当然です。それを拒むのは「利権の問題」でしょうか?「不当な行為は止めろ」という民間の声に従う事こそ、公僕たる者の正道なのではないのですか?

包括協議は自動車分野や電気通信分野などで9月・10月と続き、「G7諸国並みの外国製シェア」と露骨な押し売り基準設定要求が突き付けられました。「統一市場である筈のEU加盟諸国の外国製として、域内から買った物を含めた数値を基準にするのはおかしい」「アメリカの航空機をG7並みに引き上げろと言えるか」と、次々に疑問が噴出し、アメリカ国内でも、38人の正統派経済学者が3人の日本人学者とともに包括協議を批判クリントン・細川宛ての協同公開書簡が出ることで、押し売り圧力を正当化する「黒字悪者論」の間違いは誰の目にも明らかになったのです。

その年末、5年間の交渉を費やしたウルグアイラウンドがついに最終合意しました。農業での譲歩を逃れたEUや言い掛かりアンチダンピングの自由を残したアメリカを相手に、米市場などで最大の譲歩を行ったのが日本でしたが、これで多国間交渉の場が大きく広がったことは、自由貿易に大きな力となりました。

翌年、1月から始まった協議に、両者全く譲る気配は無く、議論は堂々巡りを続けます。これ以上の押売を世論が許す筈もなく、「数値目標で制裁はしない」というバレバレの嘘と「アメリカは規制緩和における細川首相の同盟者」などという口先だけの見え透いたおためごかしを乱発しますが、そんなものを信じる人があろう筈もなく、決裂は誰の目にも明らかになりました。

マスコミは「アメリカも最後には押し売りを諦めるだろう」と、楽観論を出しますが、それまで散々甘やかされたアメリカが「押し売り断念」など考えられる筈もなく、「交渉は1インチも進まない」と苛立ちを示し、日本側の押売拒否姿勢を「官僚が規制緩和と自由化に抵抗」などと無茶苦茶な強弁で荒れる始末。最後には「合意したものだけ発表しよう」との細川氏の提案を、あくまで押売数値の押しつけに固執して言下に拒否するアメリカ側。

「昨年7月に合意したじゃないか。日本に裏切られた」と被害者意識を振りかざしていたと言います。甘やかされ続け、日本の譲歩に「中毒症状」を起こしていたアメリカの、言わば禁断症状とも言うべき状態だったのです。2月11日、ついに協議は決裂し、国民は快哉を叫びます。細川総理の「大人の関係」をうたい上げたこの言葉は、まさに邪悪と強欲が初めて喫した後退の瞬間でした。

アメリカは直ちに、言いなりにならなかった日本に「報復」を始めます。1ヶ月間は日本側担当者が電話しても応対しないという態度に出る一方で、急激な円つり上げ発言と、期限切れのスーパー301条の復活案も提出されました。さらに、移動電話に関わる合意違反と称して、専門家に聞いても「どこが違反なのか誰も解らない」強弁により、対日制裁を表明。移動通信に関するモトローラの押売姿勢は日本側に「数値目標拒否」の正しさを教えたなどと嘯いたのだそうです。そのあまりに悪質な押し売り内容は、「政商ガルビン」の悪名を轟かせるに余りあるものでした。

売り切り解禁を控えて値下がり寸前の端末の大量購入と中継施設を、数を指定してUSTRの名をちらつかせた脅迫書簡。「制裁を避ける心からの努力」だの「危機を乗り切る最後の手段」だのと、吐き気のするようなおためごかし。89年にアメリカに屈伏して、IDOに介入したくせに・・・と。それはあたかも、レイプされた女性に対して「いまさら抵抗して処女ぶるな。諦めて股を開け」・・・と言っているに等しいのです。

日本側は結局は屈伏し、国民を失望させました。それをなさしめたのは結局、郵政族首領の金丸氏の後継者であり、89年にも圧力平伏を演出した前科のある、細川政権下では権力の絶頂にあった小沢氏の力によるものでした。そしてモトローラ社にとっては、政治利権に頼りきって普及寸前のデジタル式に乗り遅れ、苦境にある「焦り」から出たのだと言われていますが、それだけに被害に遭ったIDOの被害は甚大でした。IDOは既存NTT方式の中継施設とともに巨額の二重投資を強要され、多額の負債を作って利益を上回る利息を支払うという、まさに破綻の淵に追い込まれ、トヨタなどに支援を仰ぐ破目になりました。

マスコミ・エコノミスト界の国内従米派は、ひたすら責任を「官僚の頑迷さ」に帰してアメリカ批判のごまかしを図りました。信じ難いことに、「数値目標は結果主義と違う」などという嘘のバレ切った神学論争を垂れ流したのです。半導体協定延長で、あれだけ「目標じゃない。制裁理由にしない」と明文化しておきながら、強引に制裁をちらつかせての押し売りで日本企業に大損害を与えた。そうするに違いないと皆が知っていたのを、腹に一物の通産官僚がアメリカと組んで国民を騙した。それを日本国民が忘れたとでも思えるのか・・・。

「何故、信じてくれないのか」などとほざくアメリカ側の言い分の垂れ流し。一体どの面下げての抗弁か。誰が信じると思うか。そんな勝手な言い分を垂れ流して恥じる事もなく、「アメリカは客観基準と市場シェア目標が本当に違うことを説得的に示すことに失敗」・・・。こんな見え透いた嘘の鵜呑みを前提に報道するマスコミとは、一体何なのか・・・

東洋経済94年3月5日の森田実氏の記事では、押売強要への抵抗に対して「裏話での真相」と称して、細川総理が頭が悪かっただの減税案に不満だっただの、日本側のNOは官僚主導だのと問題をすり替えのオンパレード。「大衆はけんかが大好き」などと民衆蔑視にすら狂奔して、「日本が開き直る姿勢を取れば影響は安保に及ぶ」だのアメリカは「日本を叩きのめした上で譲歩を勝ち取る」だろうなどと脅すことで、対立を恐れる日本大衆のおとなしさに乗じてここまで事態を悪化させたマスコミの責任に対して、まさに「開き直った」のです。

そして「世代交代」が原因だと、不公正を拒否した細川氏を「戦争オッケー」な世代故だなどと過去の悲劇の影をちらつかせる汚過ぎる心理的圧力を振りかざし、あの悪夢のような市場破壊をもたらした屈伏を垂れ流した旧世代の政治家や官僚を「何が何でも交渉をまとめ」るために「合意可能な対案を出して切り抜け」たであろう・・などと、一体、本気で言っているのだろうか。

これほどの害悪をもたらした極秘裏の押し売り提案が日本にとって「合意可能な対案」だなどと本気で言っているのだとしたら、それこそ思考力を疑う。それとも彼は、経済の正道を守るためにNOと言うべきことを勧めた日米40人の経済学の権威をも「幼稚」だと強弁するのだろうか?翌月にはなんと、「政権交代で官に対抗できる政の力が消えた」などと、あれだけ日本に害毒を流し続けた自民党政権の永続化を主張したのです。

愚かな高橋正武氏も、アメリカ有力政治家の反日強弁を垂れ流し、「クリントンの体質を理解して日米間の病気を直せ」と称して、まさに病気を悪化させるべく汚い言葉で「屈伏拒否」をこき下ろしました。エコノミスト誌でも3月19日号で「黒字は日本の病」などと、ネタの割れた黒字悪玉論を振りかざし、3月1日号では小西昭之氏が「数字恐怖症」などという陳腐な台詞でアメリカのおためごかしを宣伝する最低の暴論で、その嘘を突き放した崖際の正気を「強迫観念」だ「自己睡眠」だと喚き散らしました。田村紀雄氏などは「日本のマスコミのステレオタイプ」だと称して、ようやく無視できなくなった、押し売りに対する国民の怒りを反映した新聞の対米批判を攻撃するという、逆立ちしたキャンペーンを張って、読者の失笑を買いました。

クリントンの押し売りが「消費者の利益」だなどと本気で言っているのか?その新聞が構造協議の時に「アメリカが消費者の味方」だなどという騙され論を垂れ流したのを忘れたのか?「アメリカの報道はは多様だ」などと主張しているに至っては正気を疑います。クリントン政権発足時の反日一色状態を忘れたというのか?彼のようなのを「ニワトリ頭」と言うのでしょう。

外務官僚の岡崎久彦も「押し売りを拒否してもマクロで合意する筈だった」などという交渉経過から見ても全くの大嘘にしがみつき続け、「減税額が六兆円だから駄目で七兆円なら」などという説得力の欠片も無い惰論を書き散らします。「英エコノミスト」など世界中が正しい判断と認めた「押し売り拒否」に対して「怒りが肚に」などと・・・、自分達隷米官僚に対してこそ、多くの国民の怒り肚に据えかねているのだという事実に対して、自覚の欠片も無い能天気ぶりには、さすが伏魔殿の有力者と、呆れる他はありません。

結局、ここまで話をこじらせたのが、その官僚が散々アメリカに屈伏し続けた結果であるにも関わらず、彼等の言い分はその屈伏を続けろと言っているのに等しいのです。官僚がアメリカへの屈伏を拒否したのが、その罪過に対する反省であるなら、それこそが大いに評価すべきものを、「アメリカと決裂したのが大変だ」と、まるでそれまでの害毒官僚の言い分と同じ論理を繰り返したマスコミの愚かしさは、毎度のことながら最低な醜態と言う他はありません。

日本でマスコミが屈伏要求の馬鹿騒ぎを続けている間に、外国では冷静なアメリカ批判が渦巻きました。イギリスエコノミスト94年3月12日では、規制緩和に逆行する「現代の砲艦外交」としてクリントンを非難。アメリカ国内でも「圧力をかけても何も得られなかったじゃないか」というクリントン批判が彷彿として起こりました。さらに、対日圧力を狙って仕掛けた円吊り上げでしたが、4月になると、ドルはマルクに対しても下落を始め、アメリカからの資金の流出はアメリカ経済を締め上げ始めたのです。5月にはついにドル買い支えの協調介入に踏み切らざるを得なくなり、対日報復は頓挫したのです。

結局、細川政権は「アメリカの犬」として政界を生きた小沢氏によって、足を抄われました。交渉破綻直前の2月初旬、官僚と小沢氏によって強引にまとめられた「国民福祉税」で一気に細川批判が増幅。4月に細川退陣・新進党から羽田内閣成立。奇妙なことに、その国民福祉税を演出した張本人である小沢氏は、逆に立場を強化したのです。しかし羽田体制も6月には倒れ、自民党・社会党が組んだ村山内閣が発足しました。

その後も結局、包括協議は続けられました。秋ごろに板ガラスで部分合意する一方で、モトローラから押売功労者を引き抜いて「柳の下のドジョウ」を狙ったコダックのフィルム押し売りや、日本の規制緩和で「第三分野」の独占が脅かされるのを恐れたAIGの保険摩擦など、ますますアメリカは「規制緩和の妨害者」としての正体を露わにしていきました。

そして96年、あくまで自動車押し売りに固執するアメリカ。またも円の吊り上げで80円突破とともに、5月についに対日制裁を発表。直ちに日本は発足したてのWTOに提訴します。アメリカは「日本の非関税障壁を訴えてやる」などと強がりますが、日本の勝訴は確実。脱退さえほのめかして揺さぶりをかけます。しかしもはや欧州もアメリカの横暴を完全に見放していました。OECDでアメリカの一方的措置を牽制する声明を盛り込み、それをアメリカが前代未聞の拒否権発動で潰すという醜態でしのぎます。

マスコミは「100%の勝ちは危険」などと、この後に及んでまだ対米譲歩を主張しましたが、実態経済でガタガタの日本のどこにそんな余裕があったのか・・・。終いにはアメリカは「安保見直し」まで持ち出して日本を脅します。それも相手が、社会党政権として安保容認への転換で揺れる村山政権だというのですから、甘えという他はありません。

そうやって要求したのが、あの屈辱的な「思いやり」みかじめ料負担の「増額」で、それが満たされないからと、日本の意思を大前提とした「負担」をアメリカ議会で決定するという前代未聞の珍事をやってのけます。それを「満場一致で決めたのだから日本は従え」などと要求する古森氏の相変わらずの逆立ち論議もまた、読者の失笑を上塗りしました。

結局、こうした逆立ち論議の元である「安保ただ乗り論」が如何に愚かで虚しい被害者妄想であったかは、四ヶ月後の沖縄幼女強姦事件で、激怒する日本中が「米軍出て行け」のブーイングで沸き立つ中、大慌てで居座り工作に奔走するアメリカの醜態が、如実に示したのです。

包括協議は結局、6月28日の制裁期限ぎりぎりで妥協しました。日本メーカーがアメリカ製品の「購入拡大計画」なるものを出し、アメリカは勝手に数値目標を設置して「成果を計測」するという、結局は押し売りの色彩を色濃く残した代物でした。あまりに見苦しい押売利権への執着は、日本人のアメリカ離れを一層掻き立てていきます。

96年、カンターUSTR代表は、協定の成果を監視する部局」を設置し、新たな従来の利権協定を振りかざす事で、甘い蜜にしがみつこうと足掻きます。日本では橋本内閣が成立し、再び半導体協定の期限切れが近づきました。既に半導体では、アメリカ企業が世界シェアで日本を押さえ込んだ状態にもかかわらず、数値目標のさらなる延長を要求し続け、日本人の怒りは高まります。

橋本首相の主導の元で期限を割り込んだ8月2日に交渉は妥結。20%のシェア協定は消滅しましたが、「半導体会議」なるものを残し、アメリカ側はシェア調査を続け、圧力の受け皿だった「半導体ユーザー協議会」も生き残りました。圧力をかける体制は、まだ死んではいないのです。その後、フィルム摩擦はWTOに持ち込まれ、アメリカは完敗。外圧拒否の正しさを完膚なきまでに証明しました。それでもアメリカは押し売り固執を止めず、残る自動車・保険の不平等協定が廃止されたのは、ようやく99年になってからです。

通産省・国売り物語(6)馬借2002/02/2200:06

通産省分裂

曲がりなりにも通産省が「押し売り拒否」の姿勢を示すようになった「大人の関係」の交渉のあたりからです、その変化が起こる直前、通産省で起こった大事件が「内藤局長罷免事件」でした。そのきっかけは93年の与党分裂・細川政権誕生で、棚橋氏と癒着していた自民党中枢が、彼と密接な梶山勢力と小沢系グループに分かれ、対立を深める中で、小沢グループに属する熊谷通産大臣や「四人組」と呼ばれる一部反棚橋派の官僚による棚橋氏に対する告発攻撃が行われたのです。

批判されたのが、その選挙で政界進出した棚橋氏の長男に対する不透明な箔漬け人事でした。棚橋氏とともに、その後継者として次期次官就任が確実視されていた内藤正久氏が槍玉に上がり、棚橋氏は一時的に埼玉大学に逼塞し、内藤氏は熊谷通産大臣によって辞任を迫られます。省内では官僚の世界を守る「人事の独立性」を侵害されたとして、内藤氏に対する同情論が広がり、この事件を追った高杉良・佐高信氏も、徹底して内藤氏を持ち上げました。高杉氏の小説では棚橋泰文氏の「特進」は実質的昇進にはならないとして、四人組の「言いがかり」を強調していました。しかし実際は「七年飛び」とも言われる大幅な昇進であり、かなり露骨な意図があったことが伺われます。

佐高氏は言います。「内藤氏は百年に1人の得難い人材」「国民にとってあらまほしき政策を行う人」と。実際、官僚の間での人気はかなりのものがあったようです。お歳暮も送り返すという内藤氏の私生活での生真面目さと、棚橋氏の部下として、溢れる利権をもたらした功績、特に巨額の予算をもたらした「新社会資本」の立案は、官僚達にとって絶賛の的だったそうですが、果たしてこの巨額支出が日本にとって本当にプラスの意味を持つかどうかは、現在の巨額累積赤字が雄弁に物語る筈です。

しかし、この事件で棚橋氏の影響力が一時的に逼塞した事で、省内の流れは大きく変わったのです。さらなる延長を要求するアメリカに対して、細川首相の元で断固延長拒否。翌年2月の交渉決裂・・・、所謂「大人の関係」の宣言。

その後、村山内閣登場・自民党の与党への復権とともに内藤氏は名誉回復し、棚橋氏も石油公団総裁へ大型天下りにありつく段取りが出来上がります。しかし、泉井疑惑の浮上とともに、再び泉井被告から長男の選挙資金を受け取ったとして批判され、石油公団総裁の話も流れます。その後も四人組勢力の絡んだ権力抗争の中で、反棚橋派は排除されていきました。そして棚橋氏は、今なお隠然たる権力を握り、最近も某石油会社が彼を重役に迎えたのは、彼の権力を期待しての事というのは常識です。

佐高氏が言うには、通産省には「国内派」と「資源派」が存在し、規制によって国内企業の保護を主張する統制派と、規制緩和を主張する資源派の対立に由来したと主張しています。しかし実際には、四人組の背後にいたとされる児玉幸治氏は元々棚橋氏の盟友であり、四人組の1人である細川恒氏も資源派です。

内藤氏は、70年代に通産を掌握した「資源派」の創始者である両角氏の直系で、エチレン不況の時にカルテル作りを主導した縁で、石油業界に絶大な影響力を持ったといいます。ジェトロのニューヨーク支局にいた時代にアメリカの民主党議員(半導体摩擦の拡大に大きな役割を果たした)との太いパイプを持ち、日米摩擦の舞台裏で暗躍したのは有名だそうです。それがどういう暗躍だったかは解りませんが、彼の通産内部での絶大な支持を考えると、例えば、「外圧受け入れ」に向けての省内説得に当るとしたら、そうした人物こそ最適任と言えるでしょう。

佐高氏が「改革派として経済統制に拘る勢力から排除された」かの如き希望の星として持ち上げましたが、こうした見方がいかに偏ったものであるかは、彼が棚橋氏の元で行った全国・全産業的な輸入品購買促進政策こそ、「経済統制を目的とした圧力迎合」の意図を持った半導体押し売り摩擦の延長に過ぎない事実を見れば明らかではないでしょうか。事実、佐原氏が内藤罷免事件を詳しく取り上げた「新日本官僚白書」には、もう一人の当事者である棚橋氏の存在が全く無視されているのです。

つまるところ、「内藤事件」は、通産省を支配した外圧迎合派の内ゲバに過ぎないのです。四人組の背後に存在するもう一人の影として、内田元享氏という人物がいました。通産省内に根強い人脈を張るOBで、「わざ」という企業を経営して省内人脈を利用して地熱開発などで堅固な利権を握り、その資金力で四人組の運動を動かしていたのだそうです。

彼はそのために、建築摩擦で(レーガン政権との癒着で)悪名高いベクテル社の代理人を務め、他にも多様なアメリカ企業の対日進出をコンサルティングしていた・・・と言いますから、まさに「資源派(国際派)」の影の大物として、外圧迎合運動にも大きな役割を果たした事は間違いありません。内田氏は四人組事件の余波の続く96年12月に病死しましたが、そのその影の人脈は、それにまつわるスキャンダルが表に出れば通産省は完全に崩壊すると言われるほど、激しいものでした。そしてその思想的には「産業を盛んにして輸出で稼ぐ時代は終わった」と、住宅産業に手を出したように、佐原氏が絶賛した内藤氏の主張などは、要するに内田氏の受け売りなのです。言わば彼も棚橋氏などの盟友だったのです。

結局、通産省で内藤事件後、目が覚めたように外圧への抵抗を始め、20世紀の残り数年をかけて、押し売り協定を一応終わらせたのは、四人組でも棚橋派でもない人達だったのです。佐原氏によれば、四人組事件後の省内抗争の主役は徹底追放派対融和派でした。そして、後の日米摩擦、たとえば96年の自動車協議などでも省内の主流が外圧拒否を主張する中で、少なからぬ勢力が妥協を主張したとのことで、その妥協派こそ、棚橋氏直系グループ・・・つまり対四人組強硬派である事は間違い無いでしょう。

そして、四人組の勢力が完全に駆逐された現在、折角消滅した「包括経済協議」が、事もあろうに通産省内から言い出して復活したのです。勿論、外圧反対派は「押し売り」の復活を強く警戒していますが、アメリカ側はこれを足掛かりに「夢よもう一度」と、自動車などでの協議の枠組みを強引に割り込ませ、押し売り再発の危険は次第に強まりつつあるのが現状です。

通産省と言えば、プレストウィッツ氏などが「ノートリアスMITI」と称して、通産省はあたかも「対米抵抗勢力拠点」であるかのようにイメージ付けられてきました。そこから「官僚統制VS輸入促進」という公式が誘導され、あたかも輸入=自由化であるかのような論調がまかり通ったのは、全く彼等「リビジョニスト」達の宣伝に乗せられた訳です。何しろ実態は、裏で通産官僚と組んだアメリカ企業利権の利益によって、最悪の市場統制が行われたのですから。

実際、リビジョニスト達の通産省攻撃は、通産省資源派が国内派を押さえるために、絶好の題目だった筈です。資源派は、石油危機を切っ掛けに台頭した集団で、日本を資源危機から守るための戦略が必要だ・・・という題目で、規制の強い石油業界への影響力を武器に、75年に資源エネルギー庁が出来た頃から、通産省の主導権を握っていったのです。

しかし、アメリカのオイルメジャーが圧倒的に強い現実を前に、アメリカ追従をもっぱらとするようになったのは自然の成り行きでした。そして「産業保護のための通産省から、総合的な国家戦略の立案に軸を移すための機構改革」という題目を掲げ、国内産業を重視する人達を排除する権力抗争マシーンとして、日本の産業政策を蝕むようになっていったのです。

元々、官僚の「裏で外圧と手を組む」は、実際には多くの人が指摘する所でした。ところが、その意図について「国内の頑固な保護論者を押さえるためだ」などという、あたかも自由化を促進する正義の味方であるかのような宣伝がなされていたのです。それが実は全く逆であった事実が明らかになった今、外圧を肯定して通産省の利権拡大と産業支配を正当化した論者は、厳に反省すべきでしょう。

外圧の口実

日米摩擦の深刻化、即ち対日外圧の横暴化を正当化する言い訳として、アメリカ側関係者がよく口にする言い分は、こうです。「日本が今までの交渉で、自主的な譲歩をさぼり続けたので、アメリカの我慢が限界に来たのだ」これが実に不思議な論理である事は、一読すればお解りかと思います。

交渉とは、「奪った領土を返す」ような論理的義務の実現ならいざ知らず、通称交渉のような双方の主権に基づく話では、双方が譲歩を出し合い、その交渉結果が「自国にとってもにとって有益」だという認識でこそ、妥協が成立するものです。19世紀のような脅しがまかり通る時代ならいざ知らず、対等な外交関係の中で、一方的な譲歩を要求されるような交渉に、誰が進んで言いなりになりますか?ましてや相手が「譲歩しない」事をもって被害者意識を募らせ、復讐心を燃やすなど言語道断です。

そして、彼らは露骨な脅しをかけて、日本側の妥協を引き出すと、「摩擦が起こって危機的状態になったから、日本が譲歩したのだ」ということで、その「譲歩」は自分が「勝ち取ったもの」であるから、譲った相手に対しての感謝は無い・さらなる譲歩はさらに自分達の実力で勝ち取るのだ・・・と。まさに幼児的な我が儘の発想というしかありませんでした。

こうした被害者意識と強盗の論理の複合体を形成していったのが、プレストウィッツを初めとする「リビジョニスト」でした。噴飯にも彼は、あたかも日本が「アメリカのお人良しさ」なるものをカモり続けた悪人であるかのように主張するために、何を言ったか。アメリカが「自由貿易」の体裁を繕いつつ貿易障壁を張り巡らすために日本が一方的に犠牲を払う、あの屈辱的な「輸出自主規制」すらも、「狡猾な日本にしてやられた」などと被害者意識の対象に組み込んだのです。輸出規制なら、アメリカに払う関税を節約できるという理由で・・・。まさに、全ての点でアメリカが得をし日本が損をする図式で無い限り「公正」ではない・・・という、救いの無い国家主義的ガリガリ亡者と言う他はありません。

そもそも、彼等はあのような被害者意識を振りかざすほど、自国の市場を開放してきたのでしょうか?

アメリカが自分で主張するほど開放的な市場ではないことは、アメリカの良心的経済学者であるバグワディ氏の「アメリカ貿易は公正か」に、完膚無きまでに暴露されています。連発する根拠のいいかげんな「反ダンピング関税」や日本などに強制した「自主輸出規制」を待つまでもなく、日本では70年代に姿を消した工業製品の輸入規制がいくつも残っている点など・・・。

呆れたことに、この「自主規制」と称するものに関して、アメリカ人は言うのです。「イタリアやフランスと同様、日本に対して輸入の数量規制をしてもおかしくなかったのに、アメリカはそれをせず、日本の自主規制に任せた。すなわち、世界各地との取引において、アメリカはいかに無防備で馬鹿正直か(ボイス90−5)」・・・。この自主規制が、アメリカから強制されたものである事は誰でも知ってる事です。それを「無防備」だの「日本に任せた」だの「度量」だのと被害者意識を垂れ流して、日本に「感謝」を要求する・・・。こんなものを肯定してしまう西尾幹二や松本健一氏とは、いったい・・・

実は、本当に外国製半導体を排除していたのがアメリカ自身である事は、有名な事実なのです。アメリカの半導体商社が外国企業との輸入契約をまとめると、それを破棄させるようアメリカの半導体メーカーが圧力をかけるのだそうです。かつて日本のメーカーがそれで販路開拓に散々苦労したのだそうですが、88年頃ですら韓国メーカーからの輸入に対してやっていると、ニューヨークタイムズで報道されています。こうした有名な事実が、何故日米交渉で問題にされなかったのかと、佐々木隆雄氏の著書「アメリカの通商政策」でいぶかっていますが、通産省とアメリカとの馴れ合いという事実が解ってしまえば、最早それは謎でも何でもなかったという事なのでしょう。

結局、アメリカが「自由貿易のリーダー」などというのは、アメリカ企業の利益を反映した宣伝が生み出した幻想に過ぎなかったのです。アメリカが実際にやっている事は、要するに「自国輸出産業」の利益のために他国に「自由化(と称するもの)」を要求しているだけに過ぎないのです。それで「相互主義」などと言って、相手国からの輸入を締め出すのだから、これでは率先して輸入を閉ざすのが自由貿易のリーダーか・・・と言わざるを得ないでしょう。「アメリカが率先して自国を解放した」と称して「だから日本も率先して市場開放して、自由貿易のリーダーたれ」と言われて、日本は世界一関税の低い国になりました。それで自由貿易のリーダーと呼ばれるようになったか?

現実には、相手の言い分をホイホイ真に受けるナイーブさに、図に乗った彼等によって「目に見えない非関税障壁」などという言いがかりをつけられて、「日本人が日本語でビジネスするのが、英語しか使わないアメリカ人には障壁だ」だの「道路が狭いのは大型車しか作らないアメリカ企業には障壁だ」だの、とんでもない言いがかりを宣伝されて、ますます不当な「障壁国」のレッテルを貼られただけなのです。「自由貿易のリーダー」などというのは、宣伝が作り出す幻想の中にしか存在しないのが現状です。

では次に、日本は彼等があのような被害者意識を振りかざすほど、市場閉鎖的だったのでしょうか?

先ず、大前提として、根拠である統計上の数値に大きなごまかしがあります。「比率で見て、アメリカの赤字の大半は対日赤字が占めている」と、彼等は言います。よく引き合いに出されるこの統計には、とんでもないごまかしがあるのです。例えば、日本はサウジに対して巨額の赤字を抱えています。では「日本の赤字に占める対サウジ赤字」を計算したら、どういう事になるか。比率というのは分母と分子で構成されます。

対米貿易だって黒字の国もあれば対米赤字の国もある。それを調整して残ったのが「アメリカの赤字」です。仮に日本以外にも、いくつかの対米黒字国の分を足せば、軽く100%を遙かに超える筈でしょう。中学生でも解る数式です。こんないいかげんな統計を「不均衡の健全さ」の目安に使おうという許し難い詐欺行為に、いい大人が簡単に引っかかって、国際政治に甚大な被害を与えてきたのだから、全くもって情けない限りというべきでしょう。

また、「他の国とは均衡に向かっているのに、日本は違う」という言い分を振りかざすのも、きちんとしたデータに基づかない詐欺行為です。アメリカがしばしば使う対EU貿易でも、92年以前6年間の対米輸入増加ペースで日本が平均10.1%、EU11.6%と、殆ど違わないのです。これは、元々の貿易規模が違うために、EUの輸入増加が目立つからに過ぎない。日本が「貿易規模が大きい」からといって、アメリカの輸出能力がそれに対応する訳ではないのです。

ボイス90年6号に首藤信彦氏が繊細に明かしたデータによれば、当時盛んに言われた「内外価格差」なるもののは現実には存在しない事が明らかになっています。実際、構造協議の時に行った協同調査で、日本からの輸出品には価格的差は無く、アメリカからの輸入品のみが日本で高かった。アメリカにいる輸出業者が法外な利潤を上乗せするからなのです。また、急速な円高で「輸出時のドル建て契約」に縛られて価格に円高分を上乗せできないとか、日本の正規価格とアメリカのディスカウント店での旧型品の値引き価格を比べるとか、いかさまな数字を「アメリカ擁護」のためにでっち上げていたのが、実態なのです。

こういう客観的なデータを上げると、「売れないのは目に見えない障壁のせい」などという根拠の曖昧な言いがかり。プライドばかり高いアメリカ人が、事実に目を背けて「アメリカ製品は世界一」という迷信です。「車が左側通行なのは、アメリカの左ハンドルに対する障壁」などと・・・。ユーザーの欲しいものを売るという、商売の基本を忘れた発想で、そもそも物が売れる訳がない。

こんなのを相手にするから、肝心の日本企業までが、今では商売の基本を忘れかけているのではないでしょうか。継続的取引があるから売り込めないというのも、間違っています。あ茶問屋の跡継ぎは、知知り合いの同業者に修行に出されて、努力して扱いの小売りの数を倍にしました。取引相手に英語での商談を要求するようなアメリカ人ビジネスマンは、そういう努力をしなかっただけです。単なる「甘え」に過ぎません。

「民間経済主体の自由な契約」をアメリカ製品が売れないからといって貿易障壁だ・・・などと主張することに対しては、当時の浜田宏一氏がエコノミスト90年5月1〜8日号で、情報構造形態と契約形態との関連に関する最新の経済学成果を引用して、整然とその間違いを論証しています。そしてきちんと反論しない政府を批判しています。

「アメリカのビジネスマンの努力が足りない」という当然の反論に対して、押し売り正当化論の巨頭にして財政破壊的垂れ流し要求の旗頭たるリチャード・クー氏が、どんな横暴な言葉を嘯いたか。「日本より美味しい市場はたくさんある。アメリカ人に売りに来て欲しければ、もっと儲けさせろ」・・・冗談じゃない!日本の希望として「売りに来て欲しい」なんて、誰が言ったのでしょうか。アメリカが「売らせろ」と言って圧力をかけたのではないですか?

醜い開き直りと言う他はありません。彼はアメリカの代弁者として、アメリカの経済官僚から野村へと転進し、経済雑誌で盛んに「公共事業の寄生虫」を甘やかす論を説いて、バブル投機の夢を追う無能な金融マンに喜ばれ、「アナリスト人気第一位」にまでもて囃されるという、日本人として実に情けない話です。

アメリカが「日本の閉鎖性を象徴する事件」としてもて囃したものに、91年の展示会でアメリカ米の展示を「不正輸出」として撤去された件があります。アメリカはこれを「僅かなサンプルを、何と狭量な」と大々的に宣伝し、経済反日感情を煽りました。実際には農水省の役人が「法的処置(普通、強制撤去でしょう)」と言ったのを「撤去しなければ逮捕すると言って脅した」などなど嘘の報道で煽り、それに対して日本側からは何の抗議も無し。ひたすら「理解を求めたい」などとヘコヘコする有り様。

「僅かなサンプル」と言いますが、実はこれと全く同じ事をアメリカは日本に対して行ったのです。アモルファス合金の権威である東北大の増岡教授がアメリカ企業からの要請で学術サンプルを送ったところが「アライド社の特許を侵害した不正輸出」として訴えられ、煩雑な訴訟手続きを強要されてボロボロにされた事件は有名です。日本には「何と狭量な」で自分達だと「ルールは厳密に」・・・。これがアメリカのやり方です。

そもそも米の輸入禁止自体、その根拠である「食料安保論」を強力に支援していたのは、他ならぬアメリカ人です。「アメリカを怒らせたら食料を禁輸してやる。飢え死にしたくなければ言う事を聞け」・・・。こういう「輸出国」としての立場を振りかざすような輩に「輸出の自由」を要求する権利が、そもそもあるでしょうか。

アメリカが行った、最も悪質な保護貿易は、為替操作による相手国通貨吊り上げでしょう。「基軸通貨」の地位を悪用し、その地位を任せた「世界」の信頼を裏切っての円高攻撃。クリントン政権は発足当初から「為替を武器にする」と言明していました。そして、押し売り協議で日本が言いなりにならないからと、円高容認の口先介入によって1ドル100円に迫る数値を出したのです。アメリカは頻繁に、通貨を梃子に脅して押売交渉を行い、日本を含めた世界の「ドルユーザー」に破滅的な為替差損を強制しました。投機筋は「基軸通貨管理国」のアメリカ当局の発言に機敏に反応します。そうした地位を利用した、これは最悪の国際経済犯罪です。ガットでも曖昧な表現ながら禁止していた行為です。

熱狂的なアメリカ擁護論者であり管理貿易推進派である杉岡氏すら「円高の起きるメカニズムを欧米の政策当局は仕掛けることができる」と言明し、だからこそ、それを批判すべきなのに「仕掛けを起こさない配慮」・・・つまりこの国際経済犯罪の脅し目的に屈伏せよ・・・などと。日本財政破壊的垂れ流しの宣伝推進者として、寄生的投機屋に人気のあったリチャードクー氏が「結果主義的黒字減らし・押売容認論」を鼓吹するために最大限に吹き散らかしたのも、円高による脅しでした。「貿易黒字だから当然」などという言い訳が通用しない事は明白でしょう。

「経済のファンダメンタルズから見ればむしろ円高の根拠は薄弱」というのが当時からの常識でした。欧州通貨が市場統合にも関わらず、ドイツの東ドイツ吸収効果で弱含みになっている隙をついて、ベンツェン財務長官の円高期待発言が、円の独歩高を演出(エコノミスト93−3/16)したのです。クー氏の身勝手な円吊り上げ正当化論に対しての経済学の世界的意見は「アメリカの近隣窮乏化政策とすら見える円高が、日本人の中で肯定すらされているのは奇妙なことである(ウォールストリートジャーナル93−12/3)」というものです。

こう言うは従米派は「そうは言っても、貿易の不均衡は問題だ」と言うでしょう。しかし、必要なのは投資による還流を含めた、経常収支の全体的な均衡です。ところが、黒字国からのスムーズな資金還流は「円高差損」によって妨害され、あまつさえBIS規制によって大幅な資金回収を迫られた結果が、90年代初頭の経常黒字激増でした。それに加えてドル表示による「見かけ」の巨額化・・・所謂Jカーブ効果が大きかったのです。吉川元忠氏の「マネー敗戦」では、資本輸出国としての地位が金融センターとしての機能を育て、自国通貨に決済機能を付与する・・・というのが、世界経済史の鉄則だと指摘されています。

日銀・大蔵省はそうした変化を怠り、ドル支配下の元に隷属する地位に据え置かれ続ける資本輸出国というグロテスクな状況を生き延びさせたと・・・、そうした官僚の罪を厳しく糾弾していますが、何故そのような事になったのか。アメリカの「日本の金融パワーを押さえる」ための様々な政治工作、その背後の「支配国としての地位の延命」という確固としたアメリカの国家目標を考えれば、「日本の脅威・ドル支配の危機」を排除するために「円の決済機能」を実現させまい・・・というアメリカの圧力があった事は言うまでもない。

そのために、「宮澤構想」など、目障りにものは片っ端から潰したのもアメリカなのですから。この結果として膨大な為替差損が発生しました。87年頃の「日本資産凍結」の噂も、実は、損失を出したアメリカ国債を売却しようという動きを脅すものだったのですが、こうして大蔵省は民間金融機関にドル投資継続を強要するとともに、バブルの発生と破綻を促し、結果として日本経済をズタズタにしたのです。

実は、アメリカが赤字を重ねる本当の原因は「ドル=基軸通貨」というアメリカの特権にこそあるのです。それは、ノーベル経済学になった「流動性のジレンマ」理論が立証しています。

そもそも基軸通貨というのは、世界中が準備通貨として必要とするものです。それを裏付けとして自国通貨を発行する事になります。そして、市場が必要とする通貨量は国内経済規模に見合う量であり、その分だけの通貨を発行できる訳です。つまり、各国が自国経済発展に見合う量の自国通貨を出すために、それだけの外貨準備としてのドルを必要とする・・・という事は、アメリカだけは世界中の経済成長に見合うドルを発行できる。つまりアメリカは、世界経済全体の成長を担保に、膨大な通貨を印刷・垂れ流しする事が可能になる。

日本など、かつて外貨が足りなかった頃は、ちょっと景気が良くなると外貨が不足し、それに対応するために政策で景気を引き締め、企業はバタバタと倒産しました。そういう限界からずっと、アメリカだけは自由だったのです。それによる恩恵がいかに大きかった事か。「米国は国内市場が良すぎて輸出意欲がわかない(住友商事伊藤正氏)」。まさにこの基軸通貨国の特権こそ、アメリカの赤字の源泉であり、それがもたらす「旨み」反作用に過ぎないのです。その責任を日本になすりつける事が、いかに破廉恥な行為であることか・・・・・

だから、貿易赤字が嫌ならドルが基軸通貨を降りるか、せめて他の通貨と、基軸たる役割をシェアリングする事が不可欠なのに、それを提案した行天財務感官に対してリーガン財務長官が色をなして怒り、単独基軸通貨の地位に固執した事実を、アメリカはどう弁解するのでしょうか。問題解決とは、そうした不合理を是正する事ではないのか!

内外価格差だってその多くはドル安の結果であり、そのドル表示での輸出入契約に縛られ、日本の輸出業者に契約後の円高による差損を彼等に強要したのはアメリカ人輸出業者なのです。その被害に遭った日本人業者を「ダンピング」呼ばわり・・・。

それどころか、果ては最近のアメリカの手当たり次第の鉄鋼に対する明らかな言い掛かりダンピング提訴を、隷米論者は何と言ったか・・・「ダンピング規制で対米輸出が減って生産が減れば採算分岐点を割って結果的に採算割れになる。だから結果的に日本はダンピングをした事になる」・・・と。ダンピングとは、価格競争のために、意図して採算割れ輸出することであって、こんなアメリカによる意図的操作で採算割れすることをダンピングなどと言う筈がない。こんな詐欺的論理を平然とまかり通す・・・、何と狂った世界なのでしょうか。

通産省・国売り物語(7)馬借

黒字攻撃の犯罪性

市場を閉鎖したいのなら、閉鎖するのはその国の自由でしょう。現にアメリカは繊維以降、相次いで日本に「自主規制」を強要して市場を閉ざしてきた。しかしそれが何故「黒字化」に結びつかなかったか・・・。それは、アメリカの対日輸入=アメリカの赤字=日本の黒字という貿易バランス論の発想が間違っていたのです。

黒字・赤字を作り出すものは、クリントン押し売り外圧の非を諭す経済学権威が主張する如く、貯蓄・消費の「ifバランス」なのです。だからある分野で日本製品を追い出したとしても、安くて良い輸入品を使えない「経済全体」の効率を悪化させ、けっきょく収入の低下を招いて赤字は拡大する。だから世界の赤字国はすべからく障壁が多い。

日本が輸出で大きな成長を遂げたのは、実は60年代からの貿易自由化の結果であると、日本だけでなく、それに続くアジア諸国の輸出産業の成長も、自由化故にこそ可能になったんだと、(野口旭氏「経済対立は誰が起こすのか」)。つまり日本は、市場を閉鎖したから黒字になったのではなく、市場を開放したからこそ黒字大国になったのです。

学会では飯田経夫・小宮隆太郎・下村治氏といった日本経済学会の真っ当な権威は、アメリカのの我が儘で嘘だらけな責任すり替えを厳しく批判していおり、東洋経済93年7月10日の小宮教授の名著は賞賛を呼びました。これが単なる「一方からの見方」でなく、学問レベルでの客観的な現実であった事は、アメリカを擁護して貿易バランス論から黒字減らしを主張する香西泰氏が、学会で孤立感を抱いていたと自白言している事からも明らかです(東洋経済88年1月23日)。

ところが、彼に言わせれば主流である筈の飯田氏もまた、孤立感を表明していた。これを香西氏はいぶかしんでいますが、東洋経済のようなマスコミ雑誌ではまさに、学会でのまともな理論が孤立状態にあった・・・その理由は一般向け香西氏や天谷氏のような一般向けエコノミストの多くが「政治的立場」を持った官僚出身者である事を考えれば、解ります。

アメリカの悪質な政治宣伝と、それを鵜呑みにする隷米・排日派の強弁は裏腹に、小宮氏が断言するように「日本は最も開放的な市場のひとつ」(エコノミスト92年3月31日)であった。これが客観的・学問的事実であり、それがマスコミがリードする社会一般の「常識」では無視されていたのです。「内需拡大をやらない日本にアメリカを批判する資格は無い」と強弁する香西氏。

批判する資格も何も、アメリカの赤字の問題は、アメリカの一方的な都合に基づいてアメリカ自身の問題です。バブル期の香西氏が言う「最近の日本経済の成長ぶりは、こうしたモノ余り説の信頼性を疑わせる」などは、バブルのバブルたる所以を無視し、日本人の気を大きくさせて「大盤振る舞い」を正当化するだけのもので、そんな論こそが現在、日本を破綻の淵に追い込んでいる・・・その責任を彼はどう取るのか・・・。

まともな学者が、例えば小宮・下村氏などは(リチャードヴェルナー氏曰く「アメリカの要求のような」)前川レポートを批判し、貿易黒字悪玉論を完膚なきまでに否定しても、そういう正論はめったにジャーナリズムに登場せず、世論には殆ど影響を与えず、代わりにアメリカの立場に立って黒字減らしを擁護した、天谷・香西・赤羽といった、官僚や日銀のOBのエコノミスト達。彼等はバブルに至るまでの経済予測を間違え、楽観論を垂れ流し続け、日本経済をミスリードして今日を招いたのも彼等です。それは本当に「間違えた」のでしょうか。それとも「間違える振り」をしただけだったのでしょうか?

三和総研のような金融企業子会社のシンクタンクは、天下り官僚OBの金城蕩池で、そういうのが世論ミスリードの先頭に立ったのです。原田和明氏が小宮理論を攻撃した東洋経済93年8月7日号では「政治的視点を欠いた純理論は国際社会の場で理論は通っていても容易には受け入れられない」と・・・。「政治的視点」とは、要するにアメリカの強欲におもねる談合ではないのか。

客観的に正しいものが政治的なゴネに踏みつけられる事を「不公正」と言います。不公正をまかり通すために公正を引っ込めろ・・・と彼は主張しているのです。そんな理不尽の上に立って彼は客観的に正当な「純理論」を「一方的な黒字正当化」「利己的な主張」などとほざく。三和総研がでっち上げた「輸入障壁度」なるものを振りかざして「現実輸入数値」なるものと「比較優位度」なる正体不明の数値を元に、日本市場に障壁が高いと強弁していますが、その論を見る限り結局それは、輸出側の売込努力や需要方ニーズ対応といった、本来の「輸入が少ない」原因と無関係で、急速な円高による歪みをもろに反映した歪んだ数値であることは間違いないでしょう。

何より、彼が「日本の高障壁度」の見本とした品目ときたら、殆ど輸入に頼っている航空機だの、世界一関税の低い日本においての例外的な「高関税品目」だの・・・、到底日本の貿易実態の見本たりえない代物ばかりなのですから、いかにまやかし臭い数値標識かが解ろうというものです。

同様に、獨協大学の杉岡碩夫氏は、円高を「大東亜戦争と同じだ」などという、とんでもない比喩で押売に対する抵抗を脅しました。「自由貿易の旗をふりかざしてガットの場で改善を求める」ことを「鬼畜米英的発想」だというのです。あからさまな自由貿易破壊論であり、絶対に容認できるものではありません。

安場保吉氏も黒字悪玉論を強弁して赤字財政垂れ流し、「財政危機は起こらない」と大見得を切りました。根拠の無い強気発言でバブルの傷を深くした経済戦犯の金森久雄氏は、「黒字の15兆円を使い切る」などという目的のために公共投資の垂れ流しを主張し、日本の黒字はアメリカの赤字などというお粗末な妄説を垂れ流す人が「反対派はマクロ経済に無知だ」などと宣うに至っては、空いた口がふさがりません。

「日本は黒字が大きいから、何を言われても仕方がない」という論理無視を、葵の御紋のように振りかざすのが、アメリカや、それを擁護する従米派マスコミの十六番で、下手をすると「黒字が大きい」というだけで、外国による不公正行為をガットに訴える事すら「資格が無い」かのように強弁する暴論も多いのです。「黒字」という結果主義によって自由貿易システムの出番を否定するような人は「自由経済の敵」と言われて寸分の反論も出来ないでしょう。

数々の「きちんとした理由」にも関わらず、「額が巨額だから批判はやむを得ない」などと、おかしな市場破壊的輸入政策を受け入れました。マスコミは、日本の産業は消費財から生産財へ、そして「日本でしか作れない部品」に特化するから大丈夫だと・・・。麻薬のような日本不死身説で国民を宥めます。ところがその技術的強みすらも「テクノグローバリズム」の名の元で、大バーゲン的に譲り渡せという外圧に身を任せたのでは、その末路は明らかでしょう。そして今、「産業大国」としての日本は、そうした流れに便乗してのし上がった中国によって、止めを刺されようとしています。

黒字が大きいのは、長い間のアメリカ自身の姿でした。それをアメリカは「黒字国は許されない」との批判を甘受したでしょうか。現実に、60年代に外貨不足に悩んでいた日本がアメリカに「対日輸入増加」を求めた時、アメリカは身の蓋も無く一蹴したのです。(エコノミスト92年3月31日)。貿易不均衡の解消は赤字国の努力に拠るのが「世界の常識」であり、それでも出てくる黒字・赤字を調整するのは、基本的に赤字国に対する投資というのが「国際経済のルール」だと。

そのための対米投資すら、摩擦に煽って妨害し、逆に経常赤字を拡大する対日投資の増大保護を要求したのです。建前上は「アメリカの労働者の利益」と称して、市民運動関係団体を対日攻撃に動員し、実は資本家の利益を追求する。全ては見え透いた真っ赤な嘘。当時から、誰の目にも明らかだった筈です。

こうした資本家の暴利を堂々と追求する「お手盛給与」に、日本市民の憤慨はどれほどのものがあったか。そうした悪行をごまかすための、労働者の不満の矛先を日本に向けた日本叩きを煽り、現実に不足する労働者の職場や輸出生産力を補ったのは、むしろ日本企業の対米進出なのに、それに「ローカルダンピング」等で縛って損失を強制し、多くが損を被って追い出されるに至った事実をどう弁解するのでしょうか。

92年の自動車押売協議の「ボランタリープラン」で進出した日系自動車メーカーは「アメリカ資本から部品を買う」事を政治的に強制され、真面目な供給をしなかったアメリカ部品メーカーに代わる部品を供給すべく、無理なアメリカ進出を行った日系部品メーカーの、切り捨てを強要されました。日本の善意でアメリカのために血を流した「ボランティア」は、アメリカの悪意によって絞め殺されたのです。

従米派作家石川好氏は、こうした悪意によって損失を出す日本企業に「アメリカから引き揚げるな」などと反市場主義的なお説教を垂れました。「儲からなくても歯を食いしばってがんばることによって、アメリカ人との友情はさらに深まる」。あの悪意に満ちたアメリカの、どこを叩けば「友情」なんて言葉が出てくるのでしょうか?儲からないようにしたのは誰か?

「日本人が自らの努力によって儲ける」事自体を否定し、口先では友情だ・・・などと言いつつ、日本人の「アメリカのために」という友情を踏み躙ったのは誰でしょうか?日本企業がアメリカに工場を作ったのは儲かるからじゃない。日本から輸出したほうが儲かるし、東南アジアで作ればもっと儲かる。けど「アメリカ人の雇用を確保してくれ」と言われて、困難を承知で出て行った。今から考えれば馬鹿なことをしたものだが、その友情をアメリカが裏切ったんじゃないか!

「日本企業が進出すると対日輸入が増える」という、どう考えても有り得ない妄説を、いかがわしい数字の操作によって、こうした日系企業排斥を正当化したデニス教授は、「アメリカの赤字の増加は、日系工場が使う部品の輸入が増加するから」と強弁していますが、今までの製品輸入の代替としての製品価格が、それに使用した部品の価格を下回らない限り、有り得ない話ですが、彼の数字トリックは簡単です。

要するに、アメリカ経済全体のパフォーマンスを押し上げた結果としての「製造拡大効果」でしょう。日系工場が従来の輸入以上に製造して第三国に輸出したと考えれば、全て辻褄が合うのです。この論理は、唐津一氏が指摘したような、アメリカが90年代前半に増やした輸出の相当部分を日系工場が稼ぎ出している事実が、それを裏づけています。こんな単純なトリックを批判することも無く「ローカルコンテンツは当然」などと馬鹿をほざく高梨義明氏のような無能な日本のエコノミスト達は、誰かから賄賂でも貰っていたのでしょうか?

逆に、対日進出したアメリカ企業は、強欲な搾取への欲望を隠そうとしませんでした。東燃などは、エクソン・モービルが協調して過大な配当を要求し、92年12月期にはなんと175%という配当性向を要求。利益を遙かに超える配当という、経済の常識を踏み躙る暴挙をやらせて会社の資産を取り崩しを強要したのです。株主権の乱用によって、過大な利益に舌鼓を打つアメリカの資本家達。その強欲な行動を「日本は株主に対する認識が甘い」などと開き直るアメリカと、それを後押しするマスコミ・・・。

彼等をここまで横暴ならしめたのには、もう一つ「日本の産業は全てアメリカから教わった知識で発展した」という、牢固とした恩着せ的な思い込みがあります。かつてケントデリカット氏が、クイズ番組で大恥をかいた事があります。世界に先駆けてテレビ画像電送に成功した高柳健次郎の業績を紹介した際に、彼は「そんな事がある筈がない。テレビ技術は全てアメリカ人が創ったんだ」・・・(絶句)。歴史的事実すら足蹴にするその蒙昧は、日本人を知的創造の出来ない劣等民族として軽蔑し、その業績を全く認めようとしない差別意識の産物です。

そしてその害毒は「アメリカ崇拝」の陋習によって、多くの日本人の精神をも侵しているのです。西澤健一氏は、半導体で多くの発明を取った事でも有名ですが、企業に特許を売り込もうとして門前払いを食ったのだそうです。ところがその後すぐ、その企業に同様の特許をアメリカ人が売り込むと、一も二もなく採用した。曰く「日本人の特許を使ったなんて言っても、売れない。アメリカから買った特許を使ったと言うと売れるんだ」。

日本が産業で成功したのは、必要以上にアメリカに特許料を払ったと同時に、多くの独自技術の開発したためです。それを「アメリカ人の知識を盗んだ」などと言いがかりをつけ、「アメリカがただ同然で使わせてやったお蔭」などと蒙昧な恩着せ論を振りかざすアメリカの姿の、何と醜いことか・・・。

テレビだって、日本が高柳以来の成果を捨ててRCA方式を買った結果、そのRCAが巨額の特許料に胡座をかいて自滅したのは有名です。日本企業がデュポンのナイロン特許に支払った特許料があまりに巨額なため「潰れるのではないか」と言われたのを、その重圧を克服して成功したのです。しかも、実は既に独自技術を持っていたにも関わらず、パテント裁判を警戒して技術導入に踏み切った・・・というのも、有名な話です。

にも関わらずアメリカは、恩着せ論の挙げ句が、日本が「強くなる」事自体が不公正だと言い張り、そのためであるからと、日本の技術開発努力すら攻撃の的にしたのが「研究摩擦」です。研究摩擦では、アメリカが日本での研究情報の収集をサボっておいて「日本がアメリカの情報に一方的アクセス」などと言い張るからと、日本側の負担でアメリカから日本の研究情報を検索できるようにすると「何かアメリカから盗もうとしているに違いない」などと、逆に陰謀説を煽る始末。

「アメリカは、日本が教えられたことを単に膨らませただけだと思っている」というのが間違った思い込み(東洋経済88年1月16日)であるという事実を「アメリカでもよく分かっている人たちも多い」が、それが「ひとたび政治の場に持ち込まれる」と簡単に無視され、確信犯的に嘘がまかり通ってしまうのだという。そしてそれが日本のマスコミに流れて「常識」として幅を利かせ、その嘘を振りかざしてアメリカの横暴に対する批判を押し殺そうとする人達が出てくる。

日本側はそうした要求を宥めるため・・・と称して「テクノグローバリズム」を大々的に鼓吹し、国内の研究プロジェクトにアメリカ人を誘致したり、超伝導などの研究成果を差し出した・・・。摩擦最盛期の88年の「国際超伝導産業技術開発センター」などはその典型です。その結果がどうなったか。肝心のアメリカがテクノナショナリズムを掲げて技術囲い込みに狂奔し、湾岸危機の時などは、日本の半導体製造技術の突出に対して、曰く「技術独占は第二のイラク(絶句)」。

TW・カン氏というコンサルティング会社の社長の弁では、日本が努力によって技術的優位を得ることを、公然たる侵略行為と同じになるというのです。こんなとんでもない理屈が、堂々とまかり通ってしまう「グローバルスタンダード」とは何なのでしょうか?それまで一体誰がアメリカによるソフト技術独占を誰か批判したでしょうか?航空・宇宙技術独占は?逆に自助努力でアメリカの独占に対抗しようとした日本を、アメリカは叩きました。

「だからこそ日本が技術を解放し、テクノグローバリズムのリーダーになるのだ」と、自称国際派は言いますが、日本の技術バーゲンで、国際社会における技術的リーダーの地位に少しでも近づいたか?事実は逆で、日本の影響力は今や見る影も無く、ナショナリズムを振りかざして技術支配力を格段に強化したアメリカの、独り舞台に成り果てたではありませんか。日本での共同研究で得た成果を本国に持ち帰って、特許で囲い込む悪徳研究者が多数出現している(「乗っ取られる大国日本」浜田和幸著)という現実すら多いのです。

こうした恥ずべき我が儘が、アメリカでは「国防」というキーワード一つで恥を恥と感じない鉄面皮と成り果てて理性を忘れます。そうしたアメリカ人の軍国体質を利用すべく、彼等はあらゆる技術問題を軍事問題としてハイビジョンも液晶もみんな国防省の元で軍事プロジェクトとして推進しました。そして狂犬のような反日的雰囲気を盛り上げる一方で、「対米武器技術供与」の協定を強要し、安保の名目で一方的に有利な条件で日本人の血と汗の結晶である有用民間技術を囲い込む・・・、そのためのリストとして「クリティカルテクノロジープラン」というのをでっち上げました。

これを大々的に実行すべく91年度から予算化され、遂行されますが、湾岸戦争や東芝ココム事件は、まさにそうした軍事名義の圧力に対する日本側の心理的抵抗力を奪う布石として作用されたのです。最も悪質な技術強奪外圧としては、FSXなどはその典型でしょう。

一体形成炭素繊維技術や高度なレーダーなど、ただ同然で手取り足取り教える事を強要され、生産技術から何から完全に毟られ、日本はソフトやエンジンで実質的に得る所無し。日本が自主開発で進めていたのを強引に割り込んで、使い古しのF16ベースの共同開発を押しつけておいて「技術を持っていかれる」などと被害者意識を喚き立てて、殆ど「やらずぶったくり」の好条件を毟り取った。日本の独自航空技術の芽を摘もうという悪意に満ちた猿芝居のサクラも、多くいた隷米派マスコミと、その背後には通産省の影があったのです。

航空機市場を独占するアメリカならでこそ、ボーイングのように「手抜き整備」で膨大な犠牲者を出しておいて、本来なら過失致死に問われるべきを、「司法取引」と称してアメリカから誰も責任を問われない日航ジャンボ機墜落などは、まさに「昭和モルマントン号」事件と呼ぶべき変事でしたが、にも拘わらず日本は、引き続き航空機をアメリカから輸入せざるを得ない。

そうした悪しき独占を継続させるべく、日本国内では「軍事技術だから」と反発は押さえられ、逆に「経験のあるアメリカなら、純国産と違って安くできる」などとお気楽な意見がまかり通りました。その背後に実は通産省の、アメリカの戦略に協力しようという「国益度外視で従米」という85年頃からの方針転換が、FSX事件の背後に隠されていた事実が、当時、航空機担当だった伊佐山氏(四人組の1人)の証言で明らかになっています。

ところが現実には「安くなる」どころか、FSXでは、六割を担当する日本企業より、四割を担当するアメリカ企業の方が多くの支払いを要求(エコノミスト92年1月21日)し、その「アメリカが外圧で啜った甘い密」は全額、日本国民の税金から支払われたのを、告発する人は殆どいませんでした

最近になってようやく認知されるようになったエシュロンも、90年代前半から公知の事実です。当時から企業情報は盗まれ放題で、93年頃には、ある通産官僚が大手メーカー社員に「電話もファックスもアメリカに盗聴されている」と漏らしたそうですが、そうした実態がかなり知られていたにも関わらず、全く対策は取られなかったのです。

特に冷戦集結後は、余ったパワーを産業スパイに振り向けて、アメリカ企業に膨大な不当な利益を与えていました。「CIAは産業スパイをやらない」というコルビー元長官の、今から見れば「真っ赤な嘘」は、それをヨイショする新藤栄一氏との対談を「エコノミスト」誌に載せるなどして、日本人の警戒心解除に狂奔したのもマスコミです。

それどころか彼等は、逆に「スパイをやってるのは日本人だ」と言い張って、あろうことか「通信システムで他国を盗聴してるのは日本だ(絶句)」。まさに嘘を嘘で塗り固めるの体を地で行く破廉恥行為です。アメリカ政府肝いりの「クリーンカー技術研究計画」「フラットパネルディスプレー構想」のようなコンソーシアムの加盟企業には、CIAなどが日本企業から盗んだ技術を大っぴらに提供しているという事で、まさに「汚い手段」による技術盗品で潤っているのはアメリカ自身なのです。

摩擦最盛期の92年5月、カナダ商銀が報告書で「日本の貿易は公正」と報告しています。事実に対して冷静な「世界の知性」にとっては、アメリカ等の言いがかりの不当さはまさに常識だったのです。ところが、口先で「現時点で日本の市場が閉鎖的だから改善しろ」という論が破綻すると、「昔は閉鎖的だったじゃないか」と、外貨不足に呻吟していた50年代の昔を持ち出して「引けめを感じろ。だったら要求に逆らうな」などと、感情論で正当な論理の押さえ込みを図る・・・。

結局、彼等の反日感情の唯一の根拠は「感情」です。こういうものは反論可能であり、反論しなければならない。実際、表の交渉において、日本側は一応の反論はやっているのです。ところがその反論に対するアメリカの言い分は、ひたすら「アメリカが本気になれば日本なんか潰せるんだ」という脅しと「自分達がそう思っている」と言い張り。不満を振り回すだけの感情論なのです。これがアメリカ側の正当性の無さを如実に物語っています。これでは到底「協議」とは言えません。結局、裏でアメリカの言いなりとなり、「政治判断」で譲歩・・・と、表の交渉での反論など全く無意味であるという・・・これが「従うべき国際社会」と称されているものの実態です。

リビジョニスト達は口先だけで官僚統制を批判していますが、実際にはアメリカの日本叩きは官僚統制による日本企業抑圧を求めるもの以外の何物でもありません。ニューヨークタイムズ92年3月2日の記事では、日本企業を「関東軍」と称し、経済的に活動して消費者に安い品物を届ける行動を「軍事的膨張主義」と同一視する暴論を曝しました。

その暴論の元で日本政府にあからさまな規制を要求し、それをせずに「企業に自由にやらせる」からと日本政府を批判したのが「市場の論理を信奉するグローバルスタンダードの国」とやらの実態です。アメリカ企業の強欲に奉仕する醜い利権圧力を「健全野党」などと称し、「自国企業の行動を十分規制できない日本政府を補強しているのは実は米国だ」と、はしなくもこの「日米政府協同市場規制」の談合を暴露しているではありませんか。

通産省・国売り物語(8)馬借

「感情」という武器

結局のところ、棚橋氏などが著作で主張する言い訳は、次のものに尽きます。「外圧に従わなければ経済戦争だ。それを避けるためにはどんな譲歩もせよ」。

確かにマスコミで報じられた「アメリカの雰囲気」は、激しいものでした。そうしたアメリカの横暴に対する日本人の反発の声が出ると、決まって出てくる反論は「反日で荒れているのは議会だけ。アメリカの民衆は日本に無関心」。不思議なことに、「アメリカが反日で結束している訳ではない」という意見は、「理不尽な圧力で盛り上がる理不尽な国」という対米批判に対する反論としては出てきても、「外圧に従わなければ大変なことになる」という脅しへの反論としては、けして出てこないのです。

しかし逆に言えば、そうであるにも拘わらず、「外圧に従わなければ経済戦争だ」という脅しがマスコミで横行した状況は、通産官僚の「屈伏への国内説得」のための脅しとして、大いに機能した訳です。実際にそうした「アメリカでは日本批判の嵐だ」という記事を読むと、結局それは交渉担当者が伝えたアメリカ政府筋の雰囲気に過ぎなかったりする。つまり、そういう「アメリカ市民擁護論」によると、これは通産官僚による明らかな情報操作という事になる。

いずれにせよ「アメリカの民衆は日本に無関心」という事は、アメリカ市民の良識が働かない状態だった訳です。アメリカ人は一般に外交に対して無関心で、実際に読まれているのは地方新聞に書かれた国内記事だと。その結果「フジヤマ・ゲイシャ」の偏見に安住し、満足な知識を得ようともしないまま、組合や政財界の垂れ流す偏ったマスコミ情報を無批判に信じ、権力者の暴走を許した。それはけして彼らの免罪符にはならない事は、言うまでもありません。

さらに言えば、アメリカの議員は「得票」のためにこそ、対日強硬派として行動した。それはつまり、何だかんだ言っても、アメリカ市民は「日本叩き」を喜んでいたのだという事です。アメリカの政治家や官僚にとって、日本叩きは「ゲーム」だと、多くの人が表現します。アメリカ側の、論理的には到底成り立たない我が儘は、まさに「我が儘を通す」ことにより、自己の力を誇示する・・・。これを行う弁護士出身の担当者が、「ゲーム感覚」で得点を競い、そのために、あらゆる手法で反日感情を煽る。これは典型的に危険な衝突コースで、普通の国であれば当然反発します。

当然、日本では広範な人々による反発が起こりました。それがマスコミと政・官担当者によって無視され、せいぜいが「認識の違い」に過ぎないかのように見なされて、日本人の不満は鬱屈するだけ。日本が「国」として怒らないから、政治家も安心して「国益衝突ゲーム」に狂奔し、それを民衆はスポーツ観戦のように、熱狂する。「平和のため」として血を流す敗者は軽蔑を浴び、勝者は賛美を浴びる。

世界的に見て、外国に「言うことを利かせる」事の快感を求めて、政治大国を指向して醜い争いを繰り返す独裁者の、なんと多いことか。それは民衆をも酔わせ、独裁者の地位を堅固にします。そのためにこそ、イラクのフセインや金正日のように、危険な軍拡に走って国民を不幸に陥れる罪人は、後を絶たない。アメリカの日本叩きもまた、その同類です。

クレッソンやファローズなどが「日本が経済支配の陰謀を巡らせている」と主張し、「ライジングサン」のような悪質な日本陰謀本が横行する・・・と、まさにユダヤ差別にも酷似する状況が現出したこの時期、日本では、様々な陰謀説を「トンデモ本」として批判した「陰謀がいっぱい」という本があります。何故か、この日本陰謀説だけは取り上げられていないのは、不思議と言う他はありません。こうした陰謀論は、日本を「一枚岩の強固なグループ意識に支えられたものと」みなす発想に、その基盤を置いています。しかし、それが過ちであることは、霍見氏が「日本見直し派」との討論で完膚無きまでに論破したにも関わらず、執拗に宣伝され続けました。

外務官僚だった小倉和夫氏は、その著「日米経済摩擦」において、アメリカが国内で対日感情を煽るテクニックをいくつか紹介しています。例えば、様々な案件を「象徴」化する。その案件で「勝利」すれば、闘いに勝った事になるとして、官民一体化して要求の声を荒げるのです。日本としては「それさえ譲歩すれば相手は納得する」として譲歩すると、さらに次から次へと、限りなく「象徴」を出てくる。

グリーンピースなども捕鯨を「象徴」だと明言されていますし、自動車もそうです。映画会社やロックフェラーセンターなど、まさに反日を煽るために「象徴」として宣伝されました。その他、「相手側担当者の顔を立てる」という発想も、小倉氏は「日本的な考え方が災いした」ような言い方をしていますが、結局はアメリカ側の「俺達はお前等の味方だから顔を立ててくれ」という要求で、ああいう不透明な交渉をやった訳ですから、「日本的が災い」などというものではありません。「白黒つけるのを避ける」のが日本的・・・などという言い訳も、同じです。

このような、相乗的に悪化する要求・譲歩・増長というサイクルを断ち切るためには、日本からの怒りによってアメリカの要求を拒否する他は無いということは、誰の目にも明らかなのです。そして、多くの人の指摘するところでもありました。ところが自民・通産の政官複合体は、「譲歩すればアメリカは宥められ、摩擦は収まる」と主張し、言いなりを続けてアメリカの我が儘を肥え太らせたのです。

「摩擦を未然に食い止めるには、アメリカから言われる前に、進んでアメリカの意を汲むべし。」などとアメリカ通を自称する提灯学者やに説法させて、日本の政治システムを丸ごとアメリカに奉仕する御用聞きと化していきました。小倉氏の言う「こうした論議に迎合し、米国や西欧の批判を日本にとりつぐことだけを自らの存在意義としているエセ国際主義者」とは、まさにこうした人達なのです。

富田氏がその愚かさを指摘し、紛争の拡大の原因たることを実証した「米国の報復に対してはっきりと反対の意思表示もせずに、産業界に対して米国製半導体の使用を促した」政策は、まさにその要求への対応として行われ、その後も富田氏の警告した通り、ますますアメリカを増長させ、その欲望を刺激し、さらなる生け贄の要求を引き出していきました。こうなる事は誰の目にも明らかなのに、耳を貸そうとしなかったのです。結局それは彼等通産官僚が、日本ではなく、アメリカの利益に奉仕する存在であったからに他なりません。

「日本を封じ込めろ」と声を大にするアメリカの反日派を前に、「話せば解る」と和解の可能性という虚しい幻想を振り撒き、あるいは「彼等はアメリカの一部に過ぎない」と、一方では言いながら、まさにその「一部に過ぎない」筈の彼等の主張に沿って日本を叩く行為に対する抵抗を「アメリカとの対決を煽るから」と制止する。なぜ「一部に過ぎない」筈の日本叩きに身を任せるのか。何故、ひたすら自制が強要されるのか。客観的に見れば、アメリカ側が「国」として、「力の勝利」を目指す限り、和解の可能性は皆無なのに、その事実に目を背け、結局は日本が「全てを奪われる」という彼等の目的通りの結末に終わったのです。

つまり、限りない「衝突」と「叩頭」という、相反するベクトルに固執した両者の、見事なコンビネーションによって、見え見えのシナリオ通りに邁進したのが、この80〜90年代に行われた「摩擦」の実態です。全ては「批判すべき相手を批判しない」という過失の結果であり、その「過失」すらも「物言わぬ日本が悪い」とアメリカを正当化する論理に転用されています。その「物を言う」行為を妨害した人々の責任は、あくまで不問に付されたまま・・・。

こうなってしまったのは結局、その背景にあるのは、自省の利益のためなら国益を犠牲にする、巧妙に隠された官僚の背信行為であり、外国との不透明な癒着です。それは厳罰に処すべき犯罪行為ですが、それを国民が止められなかったのは何故か?結局、彼等が最も苦慮したのは国民が反発する可能性でした。だからこそ、それに対する目眩ましとして、口先では棚橋氏自身、「20%を約束した覚えはない」と言って、抵抗の素振りを示し、実際には正反対の事をやっていたのです。

盛田氏なども、「NOと言えるニッポン」などで、外圧抵抗派であるかのように勘違いしている人が多いのですが、こうした行動を理解する例として、金丸氏のこんな話があります。金丸氏は「アメリカあっての日本」と公言する対米従属派の巨頭で、棚橋氏と近いという梶山この金丸氏の側近をもって任じたほどでした。この金丸氏は一方で郵政族の首領として、NTT民営化問題に大きく関わっていました。最初、彼は民営化に反対を主張したのですが、後に一転して賛成派に転じます。

これについて、彼が当時の盟友に言ったのが「俺はこれから絶対反対を唱える。すると反対派が俺の所に集まるから、頃合いを見計らって賛成に転じて、情勢をひっくり返す。これで全てうまく行く」と・・・。つまり用心すべきなのは、外圧容認の人が、外圧反対派を自分の所に集めるために、わざと反対を唱える場合があるのです。そうやって彼らを回りに集めて、その動きを押さえ、裏で外圧容認のために画策する・・・。

では、国民としては、どうすれば良かったのでしょうか。実際の行動・・・交渉の結果に対しての責任を追求する事は、先ず大前提でしょう。それには「日本の国益とは何か」「あるべき外交とは何か」という基本的な概念が必要です。国益とは、日本国民にプラスになるべく、その繁栄と地位を最大限に高める事です。そしてその国益を最大限に実現するためにこそ、外交は存在する筈なのです。

「日米関係を良好ならしめるための努力」だって、そうした国益を実現するための外交の、一つの手段に過ぎない。そうした基本概念を真っ向から否定し、「外国に喜ばれ、アメリカに可愛がられるのが国益」などと、対米関係を糊塗することが目的化されました。そして、日本の外交は「アメリカとの関係」を支えるための道具になり、それを支えるために国益を犠牲にする・・・という、まさに本末転倒の「国民認識」が巧妙に演出されていたのです。

アメリカは日本人を「論理を重視する理性的なアメリカ人に対して、日本文化は感情優先だから思考が非論理的」と言い張ります。しかし一連の日米摩擦では全く逆の実態が証明されたのです。日本側が理によってアメリカの要求を批判したのに対し、アメリカが感情を振りかざす。まさに感情優先で非論理的なのはアメリカのほうではありませんか。アメリカに論理は通用せず、客観的な正当性は度外視される。その「アメリカの感情を最優先」して理論を取り下げた日本は、その意味では「感情の国」と言えるのかも知れませんが。

ビルトッテン氏などは、論理的にアメリカを批判した1人です。それに対して、「日本人のプリミティブな反米感情に火をつけるのを恐れる」などという発想は、まさにそうした日本人愚民視の現れでしょう。おかしな悪しき排日が反発を受けるのは当然で、それを「恐れる」というのは正義を恐れる事です。「日本人は感情的になると一斉に走り出してコントロールが利かなくなる」と言い張る日本性悪論者は、(新)右翼にも左翼に居ます。

では、アメリカの排日はコントロールが利いたのか?「アメリカは行き過ぎれば自分で反省する」などと嘘臭いアメリカ擁護論を出す人は「クリントンの二期目で反省して押し売りを止めた」と言っている、まさにそのクリントン二期目で、フィルムでも保険でも過去の押し売り協定の継続でも、あれほど執拗に押し売りを要求したのは何故か?中国をヨイショして日本に圧力をかけたのも、まさにその時期です。願望と現実を取り違えても、何も解決しません。クリントン二期目の時期に「それ以前に比べて日本叩きに熱心ではない」と言う言い逃れも、既に日本をボロボロにした後で「熱心ではない」のは当然で、それを「不当な日本叩きを反省」などとはあまりに無理が過ぎる・・・。

それに対して、アメリカ側が「国益」つまりアメリカ国家のエゴイズム的利益追求や、議員選挙区企業の利益を代弁して、不当な対日要求をごり押しすれば「理性を起点とした対日批判(古森義久氏)」だというのだ。日本人が「国益」のために自国に対する不平等条約要求を批判すれば「お前は国家主義者」だと言われる。そして「右翼の感情的反発」との言いがかりを吹っかければ、大抵の日本人は沈黙します。

「アメリカの感情を宥めるために」とか言っても、その感情は結局は、日米関係を自国国益の道具とするアメリカの「気分次第」なのですから、論理も正義も無い、アメリカの御都合的な感情のみが左右する。アメリカが感情を昂ぶらせれば、何でも要求できる。感情を武器にすれば、どんな無理難題でも日本が呑む。それで縛ればいい。

これはまさに奴隷状態です。客観的な論理を通さずに何でも強制できて、日本の存在目的そのものが「日本人の利益」を離れてアメリカ国益の感情に奉仕する道具と化し、どんどんすり減らされるだけの存在になる。「国滅んで日米関係残る」・・・これこそまさに現在の日本ではありませんか。

こういう隷米主張は、無能な政治家はさらに露骨に主張します。加藤紘一氏が東洋経済88年4月9日号に書いた論では、アメリカ人を代弁して、こう主張しています。「地元の自動車工場を潰され」「工業製品を輸入し農産物を輸出する」ことによって「プライドが傷ついた」と日本を恨み、「この痛みを日本にも味わせてやる」・・・と。だから日本は、その感情を満足させるために「スムーズにこの問題を処理」せずに、叩かれて叩かれて経済を破壊され、「のたうち回」る状況に陥る必要があるのだと。そうした犠牲を反感抜きで受け入れるために、「昔お世話になった」だの「自由主義社会のリーダーシップ」を握ってもらうためにアメリカを助ける・・・だのという・・・。こういう人達が主導した国が、どういう運命に陥るかは、そして陥ったかは、いまさら言うまでもありますまい。そういう運命に「突き落とす」ための外圧だったのですから。

大前研一氏は言います。「日本が強い」というのは幻想だった。「アメリカのシステムは駄目だ」という「傲慢の罪」の結果だと。しかし、そうした日本強国論は、何のために鼓吹されたのでしょうか。「アメリカがこんなに弱くなった。日本は強いんだから、アメリカを助けるために、どんなに譲歩したって大丈夫」と・・・。渡辺昇一氏曰く。「アメリカの時代は終わる。日本の時代は必然だ。だからアメリカの要求は何でも聞いてやろう」・・・。こうして無茶な出血サービスが正当化され、言いなりになり続け、日本の繁栄は潰されました。

要するに、アメリカの圧力による被害に民族的不満を高まらせる日本人の「民族意識」を麻薬のようにくすぐり、麻痺させ、不満を逸らせるための宣伝だったのです。まさにアメリカの利益のための「日本強国論」だったのです。その幻想を振り撒いた人達は、もちろん非難に値します。だからといって「傲慢な日本の自業自得」というのはお門違いです。ましてや「傲慢な日本にアメリカが怒るのは当然」などと、そもそも日本強国論を必要としたアメリカが、被害者意識を振りかざすに至っては、本末転倒と言うほかはありません。

通産OBの天谷氏は言います。摩擦は感情レベルだから理屈は通用しない。理不尽でも言うことを聞け・・・と。彼に言わせると、アメリカが強くて日本が弱ければ日米関係はハッピー。日本が強くなるとアンハッピーだ。だから日本は弱くなれ・・・と。そして、相手にいかに「与える」か・・・という経済の世界を、相手からいかに奪うか・・・という軍事の世界と混同し、項羽や源義仲を引用して「強くなった日本も同じ運命を辿る」と脅しました。ビジネスでの顧客への奉仕による成功を、あたかも不道徳な軍事支配と混同し、努力によって繁栄する権利そのものを否定する。これが「通産省最大の論客」と呼ばれた人の主張です。

天谷氏の町人国家論の「町人は武士の犠牲になるべきだ」という発想は、彼の言い分では「これが世界の常識だ」という事になるのでしょう。しかし本当に「町人は武士の犠牲になるべきだ」というのが「世界の常識」でしょうか?「日本は市民革命を経ていない」と、欧米人は日本の後進性を主張して言います。その、彼等が「これぞ先進世界のスタンダード」と自賛する、その市民革命とは、一体何でしょうか。それは「犠牲を要求した武士」に対する「町人」の抵抗だったはずではないのでしょうか。つまり「町人国家」として欧米の犠牲たる事を説いた天谷氏の、そして従米派の論は「グローバルスタンダード」でも何でもない、民主国家たる、そしてアメリカの圧力に憤激した現在の日本市民のスタンダードですらない、遥か昔の封建社会のスタンダードでしかないのです。

「戦略論」と称するものの教科書には、大国の横暴への反発をマスコミの世論操作で抑えるのが「戦略」の一つだと、まさに大国の利益に奉仕するような事が書いてあります。民主主義の根本を破壊するような暴論を、堂々とひけらかしてるのだから驚きます。日本の馬鹿な政治家たちが、それを実行したのは疑い無いでしょう。民衆蔑視に凝り固まった彼等には、限りなく甘い響きの主張です。

そして、それがいかに愚かな「戦略」だったかは、事実が証明しました。この妄説を、どういう人が書いたかは、一目瞭然。軍事学の世界は「米を食うと馬鹿になる」とか「鯨は人間の次に賢い」とかいうトンデモ学説をばら撒いた学会より、はるかに権力にとってはコントロールし安いでしょう。何しろ、説を出してる人達が「戦略の実行者」そのものなのですから。

そんなのに騙されて、日本の政治家とマスコミたちは、自国を破壊したのです。その昔、勝海舟が「日本では上に行くほど愚かになる」と言った時と、全く変わっていません。愚かな「上の人達」の外国優先の感覚は、結局はどこにも通用しない封建時代のそれでしかなく、外国に叩頭して自国を害し、外国への抵抗を求めた「賢いヒラの人達」の日本優先の感覚こそが、真のグローバルスタンダードだったのです。

こうした愚かな論理によって通産省は、自殺的ベクトルを向いた「市場管理」を受け入れ、民間企業を縛ったのです。省内の都合では、「強くなり過ぎた民間企業」をコントロール下に引き戻すため、民間の力を「削ぐ」必要があった。「行政指導」と称する不透明な政策強制においては、「お願いするだけ」と称して、露骨な脅しによる圧力を加えて、不合理な行動を強制し、それを「おまえらのためだ」と言いくるめるのが、彼等の常套手段です。

日経89年12月頃の「通産省、管理貿易の誘惑」という記事では、アメリカの対日管理の欲望と結びついて「外圧を利用できる今こそ権限を拡張できるチャンス」という通産省の本音を暴き出しています。そしてこの図式は「民間企業」を日本、「通産省」をアメリカ、「行政指導」を貿易交渉に置き換えると、全く同じ図式になるではあまりせんか。

こうした不当な圧力に対しては、もちろん、アメリカ国内でも反対はありました。曰く「日本の不健全なナショナリズムを誘発する」。理不尽な外圧に対する反発を「不健全」と断じる事を忘れないのが、アメリカ人なのです。しかも、アメリカの真に不健全な感情を擁護しながら・・・。これが、日米のマスコミのスタンスの差です。

アメリカによる覆い隠せない不公正を伝えるに当たって、マスコミは、アメリカに対する「思いやり」を強調しました。「世界一を続けてたんだから、正常な判断が出来なくても仕方ない」・・・。仕方ないでは済まないという事を、誰も言わない。倫理的にどうなのだ・・・とは言わない。日本が不当な被害を受けても「自分達が我慢すれば済むことだ」・・・

私生活なら、それでもいいでしょう。しかし日本人全員に「我が儘なアメリカ」のための不公正に対する我慢を強制する資格が、誰にあるのか。それを従米派は強制したのです。公正を主張する権利を行使する一部の日本人に「右翼」だの「国家主義者」だのというレッテルを貼ることで。「日本の事を心配するなんてダサい。個人として生きてない情けないやつだ」「悪しき日本政府に味方する権力の犬」なんておかしな理屈で、より良い社会を考えるという「日本の主権者」としての義務の放棄を迫ったのです。

中西輝政氏は、戦前の日英間の経済摩擦を引き合いに出して、日本が自国の立場を主張する事自体が「自己中心的で道徳的に敗北」(ボイス90年9月)だなどというとんでもない世界観を振りかざしました。そうまでして自己主張を押さえて「顔の無い不気味な日本」というレッテルを生き延びさせたいのでしょうか?

「世界の事を考えろ。日本を考えるな」という、日本叩き容認を迫るための常套手段は、盛んにヨーロッパ要塞化を引き合いに出しました。EU統合をあたかも「世界統一」のように鼓吹し、ばら色の未来図を描いて理想化したのです。あたかもハーロルンの笛吹き男のように、「バスに乗り遅れるな」的に日本人を「統一世界」という幻想に誘い、そこに至る切符として国益放棄を迫る。そして、誘い込まれた先に何が口を開けて待っていたか・・・

叩かれ、たかられるばかりの立場に縛られるよう陰に陽に画策しながら、名ばかりに「大国の義務」などと持ち上げて、自国の影響力のために巨額のODAを引き出し、自衛隊をアメリカの道具にすべく圧力をかけたのも、終わった筈の戦後処理のやり直しを迫る不当要求への恭順を説いたのも、そうです。アメリカは、言いなりになる代償としてとして日本に、千島返還支持や常任理事国入りをちらつかせました。ところが実際には、その実現のための努力はなし崩し的に破棄されるどころか、それを困難にしたのはアメリカ自身です。ロシアをつけ上がらせるべく「無条件の援助」を要求し、安保理改革交渉で最も固い態度を取ったのもアメリカです。

不思議なのは、少しでもアメリカの要求に理解を示すような「考え」を政府の人間が示すと、それは直ちに「国際公約」と取られて「実現」を要求される事です。これでは、まともな国なら、果てしなき突っ張り合いを演じる事を強制されるのと同じです。ところが日本だけは、唯々諾々と「公約化」を受け入れ、政府もマスコミもその「実現」を、あたかも「国家目的」のように自国を犠牲にしながら奉仕を続けたのです。

日高義樹氏は、湾岸支援にしても海部訪米にしても、アメリカの強面の「まだ足りない」的な要求し続け姿勢に相反する、裏面での「アメリカは大満足」な実態を指摘しました。叩かれ続けても笑って言いなりになる日本・・・、それをいいことに、日本に犠牲を強い続けるアメリカが、「自分達の満足は日本の不満」という状況を作り続けている。だからこそ「こんな事が続く筈が無い」という猜疑心に苛まれ、いつか日本は造反するに違いないと、日本に対する敵視に直結する。その敵意を満足させるために、「敵対不可能」なほどに日本を弱めるために、さらに日本を苛める・・・。利己主義に発した感情の暴走が、日本に一方的な被害を要求する悪のサイクル。

そうしたアメリカの内心での「加害者」としての怯えから来る対日恐怖と攻撃性を指摘したのが岸田秀氏です。ところが、それを「解消」するためにと、岸田氏が主張したのは、「アメリカの疑念を宥めるために、日本は自己を去勢して徹底的な属国になれ」・・・(絶句)。アメリカが勝手に膨らませた猜疑心を、いったいどれだけ日本が叩頭すれば「納得」させられるというのでしょうか。

日本人が人間であり、人間には「知能」があって、叩かれれば叩かれるほど反発するのは当然なのです。だからこそ、日本を叩けば叩くほど、アメリカは猜疑心を膨らませるというのに。岸田氏は日本人に「人間を止めろ」とでも言うのでしょうか。そういう邪悪のサイクルを暴き出し、決着をつけない限り、何も解決しないのではないですか?

通産省・国売り物語(9)

何が日本を潰したか

最も罪が重いのは、やはり日本のマスコミでしょう。日高義樹氏の言うように「アメリカとのビジネスが最優先」と主張するアメリカのコンサルタントの主張がそのまま「評論」としてまかり通る(ボイス91年6月)のが、日本のマスコミの実態です。こういう従米派マスコミは「何が正当か」という最も基本とすべき論理を、何も考えません。それに対する反対勢力が「進歩的知識人」と称する左翼勢力で、彼等は根っから日本を敵視して、ソ連だの中国だのの利益を代弁するだけなのですから。

マスコミが行う最悪のミスリードのテクニックは、その記事に対する「見出し」のつけ方です。たとえ記事の中ではアメリカ側の主張の理不尽を解説して、よく読めば自由化でも解放でもない単なる「押売」に過ぎない事が解るとしても、その見出しには「自由化を求めるアメリカの市場開放要求」と来る。アメリカの都合で張りつけた羊頭看板をそのまま見出しにするのです。

結局、記事の中身を読まず、表題だけ流し読みにする大部分の人達、ましてや電車の吊り広告は、見出しのイメージだけを垂れ流します。これでは、「ああ、アメリカが要求してるのは市場開放なんだな」と早合点してしまう人が大勢いるのも当然です。おまけに、日本側がそうした圧力に反対する理由を「市場原理を歪める」という本当の理由より、「業界が困るから」などとあたかも特定の業者のエゴであるかのように報道するのですから、アメリカ特定業者のエゴを正当化する雰囲気すら出てしまう事になる。

「アメリカ人は白黒をはっきりさせる透明な文化」だの「論理を優先する理性的民族」だの、果ては「フェアを尊び、利己主義を嫌い、明確なルールを尊重し、二枚舌が大嫌い」・・・。そして止めが「日本人はそれと正反対な邪悪な民族」だからアメリカに嫌われただ・・・などと、あまりにも幼稚で空想的なアメリカ人の自文化礼賛論・・・論と言うにはあまりに実態とかけ離れた、宣伝イメージ依存の自己陶酔的発想を、そのまま無批判で受け入れ、そういうイメージを前提として記事を書き、解説する。大嘘付きとしてこれにまさるものはありますまい!

日米合作のマスコミ操作のシステムが整備されたのは、カーター政権時代のストラウス通商代表の時期だと言われています。「貿易不均衡是正を迫る」という目的に沿って激しい日本叩きのための「米マスコミの情報を完璧に操作」する体制が整ったのだと・・・。そして70年代〜80年代前半、防衛費増額を促進する日米国防族合作の工作の中で、日本のマスコミを巧みに操作するシステムが整った。それが80年代、「経済官庁同士の外圧づくり」に応用されたのだそうです。84年のブロック通商代表による日本の「農産物市場解放プログラム」が、実は通産省の入れ知恵で作られたものだったという「ブロック事件」は有名です(エコノミスト91年9月24日)。

対米奉仕のための市場管理に対して、「市場管理は企業の活力を損ない、没落を早める」という鉄則は、「アメリカ企業自身の没落を早めるだけ」という論調で、この協定に反発する日本人を宥める役割を果たしました。それはまさに「自力での外圧排除」を諦めて「天罰」を待つという、消極的過ぎる抵抗意識でしたが、もちろん現実はそんなに甘くありません。

結局、それまでの「言いがかりダンピング輸入障壁」や「輸出自主規制」は、アメリカの主権によってアメリカ市場を管理するから、被害はアメリカ市場に及びます。ところが半導体協定は、日本市場に対する管理を強制する訳ですから、「規制によって歪められる」のは日本市場です。結局この「天罰」説は「日本が受ける被害」という、事の本質を忘れていたのです。

伊丹氏は、アメリカによる「日本企業はアメリカ市場に依存して儲け、国内を閉じている」という言いがかりをデータによって廃し、半導体市場が元々極めてローカリティの高い性格を持っているのだ・・・という事実を明かしています。だから日本メーカーが本当に依存しているのは実は日本国内市場であり、アメリカに対する輸出というのは、アメリカメーカーが安易な工場移転による不良品増加で自滅した結果に過ぎない。その一方で、国内に強力なライバルのいる日本市場でアメリカメーカーが高いシェアを取れないのは自然です。それを無理に「シェア増加」を要求すれば、無理が生じるのは当然なのです。だからこそ彼等は「日本ユーザーが欲しい品物」を作るのをサボり、そのツケを日本企業に押しつけることで、余計な労力を使わせて出血を強いて日本企業を潰したのです。

霍見芳弘氏は、半導体協定やその他、87年の制裁・屈伏劇に大きく影響した東芝ココム問題での交渉における、通産官僚の非常識な馴れ合い・追従ぶりを痛烈に批判しました。国益を破壊する無茶な要求に対して、ほとんど意図的に言いなりになっているとしか思えない・・・と。もちろん、その官僚の国益破壊を擁護するマスコミの無能に対しても、です。きちんと反論・抵抗することは十分に可能で、それが国際的な常識である・・・と。もちろん、官僚がそうした義務を怠ったのは、彼が言うような、単なる「無能」による追従・・・というよりは、もっと深刻な、意図的な「裏切り」なのだという事は、言うまでもありません。

ただ、霍見氏の論で残念なのはリビジョニスト(と、実はその通産官僚自身)の、ノートリアスMITI論に瓜二つな論調で「悪いのは日本だ」と、結局アメリカを擁護してしまっている点です。「万能の官僚統制」という神話を前提(それが通用しないから、復活させるための摩擦利用)に、「値下げ競争」で負けただけのアメリカ企業の言い分に踊らされ、スパコン摩擦が「入札に参加したいだけ」なんて建て前に踊らされてしまうのは、彼の「親米派」故の限界なのでしょうか。交渉事でアメリカに逆らうのが「あちらの感情」を怒らせるから日本が悪いとか、挙げ句はあの悪名高い反捕鯨ゴネゴネ団体の言いなりにならない事が「世界を怒らせた=日本の国益に反する」とか・・・。

これでは、彼が批判している筈の「非常識な馴れ合い・追従」をまるで奨励しているようなものです。アメリカの圧力に対する当然の反米感情を「ヒステリー気味の大合唱」などと貶め、「回りの国が迷惑するから経済戦争だけは回避せよ」と政府の弱腰を擁護する御用マスコミと同じ事を主張するのはいただけません。これでココム事件の際のノルウェー世論の国益擁護を羨ましがるのだから、筋が通らないのではないでしょうか。アメリカの官民癒着を、市民(摩擦企業)に政府が奉仕する民主主義の鑑・・・などと持ち上げ、日本企業のあるべき戦略・・・とかで、アメリカ中華思想に染まったおかしな発想が、彼の著作には多々ある。

東京一極集中を批判しながら、「日本企業はニューヨークに本社を移して一極集中せよ」とか、「アメリカで英語で世界中の情報が手に入る」・・・というので、それでは日本の情報は、というと、三大紙の英語版を読めば日本の全てが解る・・・などと。その日本のマスコミを、一方では政府の言いなりで信用できないって言ってるんですから、これは笑うしかありませんね。

同様に、貿易黒字悪玉論を批判した野口氏ですが、一方で日本国内の反黒字減らし要求派による対米批判を「自国の貿易黒字を歓迎している」からアメリカの要求と同じなどと書いていますが、これでは実質的に、黒字減らし要求に同意しているのと同じです。「よい外圧もある」などというのは、民主国家としての根源を否定しかねないだけではなく、「赤字か黒字か」しか見ていない視点で、見かけ上アメリカの強欲との違いを強調するだけでしかない赤字転落容認論は、本来の自由貿易論の根拠である「経済合理性」こそが問題の核心である事実を忘却し、そうした合理性を高め、効率的な経済を実現することによる、国際的競争努力の放棄を迫ることになってしまう点で、日本にとっても世界にとっても、到底プラスにはなり得ません。

通産OBの天谷氏は、この醜い日本叩きを「経済を重視し文化を軽視したツケ」と正当化を試みています。では、文化とは何でしょうか。それは、様々な情報を創造し発信するものです。それは、「自ら」の立場を当然反映した好みや価値観の主張から生まれます。アメリカの発信したそれらを「ありがたく押し頂く」自称協調派にとっては、日本人自らの立場の主張など「許されざる傲慢」だった筈です。そういう人達が多数を占め、あろうことか少数の自己主張派を抑圧さえした、天谷氏を代表とした彼等こそが、この日本に文化小国の状況をもたらした張本人ではないのでしょうか。

辛うじて日本が世界をリードする文化を創造できたのは、そういう彼らの欧米を代弁した「大人のくせに電車の中で漫画を読む恥ずかしいやつら」という抑圧の声に、耳を貸さなかった人達だという事実を、彼等はどう弁解するのでしょうか。

彼等は「日本に関心を持つ外国人が増えた。しかし日本人はその外国人に心を開こうとしない」と言い張ります。ではその外国人が、本当に「日本人に対して心を開いた」のか?到底、そうは思えません。日本人が海外に出れば、「日本的行動様式」という看板が「非難理由」になってしまいます。「金持ち日本人から巻き上げるのは当然の権利」などとうそぶき、「平和ボケで警戒しない日本人が悪い」などと、責任を被害者になすりつけて犯罪者を正当化する。彼等が日本に対して求めていたのは、結局「金」であり「技術」であり「成功した秘訣」であって、生身の日本人の姿など、知ろうともしなかったのではありませんか。そのくせ「商品は知ってるけど顔が見えない日本人は誤解されて当然」などと、平然と責任を転嫁する。

「日本は情報を得るだけで出そうとしない」と言いますが、日本は謙虚に「仲よくなりたい」と思うからこそ、外国の情報を自ら得ようとしたのです。彼等は日本の情報を自ら得ようとしたか?マスコミにしても、「相手国情報」の需要があるからこそ、その国のマスコミ資本が伝えるメディアを供給するのです。それを、上げ膳据え膳で日本が情報を持ってきてくれない・・・などというのは、甘すぎる我が儘と言う他はありません。

ナタデココブームの時、日本に高く売れるからと、ココヤシの農場に投資したフィリピン人がいました。ところがブームが去って売れなくなり、借金を返せずに自殺した・・・。まともに日本の情報を求めれば「あんなものはろくでもない」という意見は当時から多かった。続かない事なんか解る筈です。それを日本に対して本気で付き合おうという姿勢もなく、金だけ求めるから、こういう事になる。それを従米派の人が何と言ったか。曰く「ナタデココ殺人」などと、まるで日本に殺された被害者であるかのように、とんでもない言いがかりをつけたのです。

相手に好意を持って耳を傾けるから、「何を欲しているか」を理解でき、それを供給する商売が可能になる。だから日本は成功したのです。仲よくしようともせずに金だけ求めて、或いは奉仕の心を忘れて「成功した秘訣」だけを求めて・・・。そういうのを「インチキ指向」と言います。

日本が何故、経済発展できたのか。アメリカや欧州の資本家・経営者に都合のいい説明では、「働き過ぎの日本人対怠け者のアメリカ労働者」という事になっていました。「蟻のように働く日本人」というのは、あの反日家クレッソンの台詞で、それを受け売りした・・・というより、受け売りする立場にあったのが、日本の「放言政治家」です。中曾根の「知的水準」発言。渡辺の「アッケラカーのカー」。これが「アメリカ人の感情を害して摩擦を深刻にした。

悪いのは日本であってアメリカは悪くない」という反日の言い訳として、アメリカで大々的に利用されましたが、誰でも知ってる筈のその本質を顧みれば、こんなもので被害者意識を振りかざす事の恥は知れる筈です。「アメリカ産業が弱いのは、黒人などの底辺の労働者がサボるから」と見え透いた言い逃れを並べて「だから競争で手を抜いて欲しい」と談合を迫る、アメリカ人資本家の言い分を追認するような政治家は、日本人有権者にとっては「裏切り者」です。実際、彼等は常にアメリカとともにあり、日本人を裏切り続けました。「ロンヤス」を看板にした中曾根にしろ、原爆対日加害を進んで免罪した渡辺にしろ・・・そもそも、半導体協定という「日本産業の死刑執行命令」に直接サインしたのは、彼等なのです。

そうした従米政治家の愚かさは、言うまでもないでしょう。それは彼等の従米というスタンス自体の愚かさなのです。そういう人種偏見を憎むなら、競争を続ける「日本の立場」を支持し、「アメリカ産業の潰すつもりか」などと競争放棄を要求する保護主義要求を堂々と非難すべきだったのです。それを一方では保護主義的日本叩きに荷担しておいて、どの面下げての「放言批判」か!ましてや、それを口実に、外圧利権資本家と肩を並べての日本叩きなど、矛盾も甚だしいと知るべきでしょう。

「日本異質論」の過ちは、90年代に入って大前氏や霍見氏等によって完膚無きまでに暴露されました。それでも、彼等の反日姿勢そのものは擁護しようというごまかし論は生き続けました。「悪いのは日本だ」という論法で。「日本の成功を説明する理由づけ」のために「日本人が自らのユニークさを強調したツケ」として日本文化の特殊性を誇った反動だと・・・。リビジョニストの言いがかりの非を認めつつ、これによってあたかも「自業自得」であるかのように正当化したのです。

実際には、ずっと以前から「菊と刀」に代表される、欧米が言い出した日本特殊論が存在していた事実を、これらの論者は無視しています。例えば「欧米の罪の文化に対して、日本は恥の文化だから倫理性に欠ける」とか、「欧米は論理性の文化で日本は感情の文化だから理性に劣る」だとかの非難と偏見に満ちたものでした。「日本の常識世界の非常識」としてあざけり、「だから日本は欧米の言いつけを守れ」と。

それが「多元文化論」によってマイナスがプラスに転じた結果、「日本はユニーク」という発想が生まれたに過ぎないのです。そのずっと以前から「サムライ・ゲイシャ」の感傷的指向と文明論的軽蔑心の対象としての勝手な日本像を求めてきた彼等が作り上げた幻想が、対等を求める日本人の心をどれほど踏み躙ってきたかを考えるならば、文化摩擦をでっち上げて日本を叩く行為が、どれほど罪深いものであるか・・・彼等は思いを巡らすべきではないでしょうか。

日本が繁栄したのは「人種的に優れていたから」でも「特殊なノウハウを持っていたから」でもない。ましてや「アメリカから繁栄を恵んでもらった」からでも「狡い事をやった」からでもない。顧客に対して謙り、奉仕の心を持って商品を作り、販売したからに他ならないのです。ただこれは、別の事実の裏返しでもあります。そもそも何故「押し売り貿易」が犯罪的かというと、本来なら財・サービス、輸出・国内販売を問わず、商行為で「代価」を貰うということは、相手の求めに対して奉仕した見返りを得るという、顧客に対して謙虚な奉仕の心こそが、日本が輸出経済で成功した理由に他ならないのです。

つまり日本の繁栄は、多くの国に対して謙虚に「奉仕」した当然の果実であり、日本のように繁栄したいなら、同じ事をすればいいだけなのです。それを、市場における消費者を無視して、市場をあたかも資本家が儲けるためのゼロサム的資源か何かのように勘違いして「日本に市場を恵んでやったんだ」という。経済とは「互いに利益を与え合う」ための共生行為に他ならない。政治や軍事のように相手を縛る「パワー」を奪い合うものでは無い。安くて良い品物を輸入するのは、それを使う消費者自身の利益のための権利であって、だから自国市場を閉ざすのは、その「権利を放棄する」に過ぎない。だからこそ「市場開放」は繁栄の元なのです。それを、「輸入してやった」などと被害者意識を振りかざしたり、恩を着せたりするなんてとんでもない心得違いです。

これこそ「経済的成功」を政治的権利拡張と同一視できない、理由です。「経済侵略」だの「経済支配の陰謀」だのと政治的ゼロサム論理を振りかざすのが間違いな理由です。経済大国化した日本の存在そのものを「警戒」して潰す事を意図が批判されるべき理由です。そして、あまつさえ買い手の権利を侵害して、政治力によって強制的に売りつける行為が、許されざる犯罪行為である理由です。

「何故日本は経済的に成功したのか」という、何か日本が特別のことをやったと、出来れば、狡い事をやったと思いたがる人達が、世界には大勢いました。そういう傲慢な対日姿勢こそが、逆に言えばそれまで、彼等が成功出来ない原因ではなかったのでしょうか。彼等にしてみれば絶対認めたくない事なのですから。

逆に、一部の人が言うような、日本が特殊な文化だからでも、人種的に優れているからでもない、外国に対して姿勢を低くし、奉仕の心で摂したからです。日本企業が外国に輸出する物は、常にその国の基準に合わせた。商談には、英語より相手の国の言葉を使い、そういう相手国言語を話せる人たちが、過去、各々の国に駐在する商社にはいたのです。「商社は日本経済の尖兵」だった理由が、これです。

アメリカが日本に対して、例えば左ハンドル車を強引に押しつけるとかというのは、「相手に合わせる」という顧客奉仕の基本原理を無視した暴挙なのです。サイドミラーの衝突吸収機能やヘッドレストに関する義務づけを「非関税障壁」などと言い張るのは、相手国の安全基準を無視した暴挙なのです。しかもアメリカは、EUでの同じ基準には対応した商品を輸出するにも関わらず、日本に対しては対応を拒否しました。日本人顧客に対する差別的な軽視で傲慢な商売を行う彼等に、まともに日本で儲けることなど、そもそも不可能だったのです。

こうした日本人の「奉仕の心」は、戦後の日本の政治的地位の低さ・惨めさと無関係ではないでしょう。「敗戦国」として差別・精神的搾取の対象になり続け、世界中の政治的サンドバックとして叩かれ続け続けたのです。ISバランス論で言う、日本人が貯蓄超過で消費が少ない・・・というのも、「消費者」として心地よくサービスを受ける立場に無い・・・と多くの人が感じているからです。多くの日本人が外国の思いのままに圧力を感じて「自分達はこの国の主人公でない」と知っているからこそ、「国は頼りにならない。お金だけが頼り」と考えて預金を増やすのではないでしょうか。

逆に言えば、その人達の感覚に合った財・サービスが提供されるかどうかは、社会が誰を「主人公」と考えているかに拠ります。消費者としての立場を無視されるのでは、消費が増える筈がないのです。例えばパソコンやインターネットでは、長いこと「やりたきゃ英語を覚えろ」と言われました。それで「はい、そうですか」と英語を始めるのは、ごく一部の人です。「インターネットは英語で」とか言われている間は、インターネットは普及しなかった。

日本語のコンテンツが揃うようになってから、初めて普及したのです。ジョンネスビッスは「英語のプログラム言語を強制するようでは、日本で商売にならないが、やがてアメリカのソフトメーカーもその傲慢に気付くだろう。そうなれば日本市場はアメリカ企業のものだ」と言いました。結局、アメリカのソフトメーカーは日本語のプログラム言語を作るような「覚睡」は果たさなかったのです。「傲慢は死ななきゃ治らない」という事なのでしょうか。

結局、「不均衡」を本当に解消する正道は、日本にとって不幸なそうした地位を回復する事なのです。差別を解消し、対等を実現する他は無いのです。90年代に入って、こうした不公正な対日認識に異議を唱える意見は、日本において目覚ましく増えました。しかし、国際的に承認されなければ、意味がありません。

対等の立場の回復を前提とした賠償付き平和条約を無視して、「日本は戦争責任を果たさなかったから、対等になる資格は無い」という言い訳を垂れ流す事は、最早、許されない。彼らの唯一の言い分は「それでもアジアの感情が」である。そしてその言い訳は、「感情優先の日本文化は論理的理性と契約重視の世界の文化の中では通用しない」という論理が必然的に粉砕します。長年に渡って日本を非難してきた「世界標準」の存在から、日本断罪論の非合理性が逃れる事は不可能です。

逆に、アメリカ人が日本人に「顧客」として奉仕することに不熱心な限り、赤字が無くならないのは当然です。「日本人相手にサービスするなんて屈辱、多額の報酬が無ければ割りに合わない」という傲慢の罪を、こともあろうにお客様たる日本人に転嫁し、彼等は罪を重ねてきました。「日本で売られているアメリカ製品が高い」のだって「多額の報酬が無ければ割りに合わない」という彼等アメリカの輸出業者自身が、値段を吊り上げて大儲けした結果ではありませんか。

不当な赤字削減要求に迎合した、政治家や学者達の度重なる受容発言は、国民と正義を裏切る許し難い無責任行為です。そうした裏切りこそが、実行不可能な「黒字解消発言」です。しかし、それを不当に強要したのはアメリカである事実もまた事実なのです。その、最も肝心な根本を忘れ、「空手形を乱発した報い」などと、あたかもアメリカには責任が無いかのような擁護論をほざく学者もまた、無責任の罪を重ねている自らの醜い姿に気付くべきだったのです。

こうした不当な外圧から、最後に自国を守るのは誰か・・・と言えば、それは結局は国民の世論であり、それを形成するのはマスコミの「言論」です。本来なら国民の声を代弁する筈だったそれは、国民を裏切って隷米政府・官僚が国民を押さえる道具に成り果てていたのです。しかし、マスコミが「ユーザー」である国民を無視できないのも、また事実です。

こういう勢力が国民の声を抑える武器は、大体、パターンが決まっています。それは暗黙のうちに制度化された「タブー」・・・戦前の「天皇批判」のように、神聖不可侵として意識に植え付けられた

今まで日本では、アメリカ批判はまさにタブーでした。「アメリカを怒らせる」からと・・・。喩え「アメリカの主張の過ち」を指摘しても、アメリカに対する批判はするな・・・と。そのタブーを犯すものは「軍国主義者」のレッテルを貼られる訳です。「いつか来た道」とか言って。しかし、主張の過ちを指摘するのは主張に対する批判ではないのか。そして、アメリカの主張を批判する事は、タブー破りのアメリカ批判・・・というのが、どこにでもいるアメリカ擁護者のスタンスなのです。

だから、アメリカの立場を批判する人がいたとしても、より強く日本を批判してバランスを取るか、あるいは、アメリカの立場として半分を認めるとか、あるいは「アメリカのためにならない」という論法を使うとか、あるいは「アメリカ市民の立場は違う」とか、真っ向からの正邪の別をつける事を回避するよう論を工夫する必要に駆られる事になる。

あまつさえ、アメリカでは自国の利益のために口汚く日本を罵り、あからさまな不当利益を要求しているというのに、それを真っ向から批判出来ないとしたら・・・。きちにとした正邪の別に言及できないまま、なし崩しに「アメリカはより正しい」という、論証を要求されない前提で、アメリカは攻勢をかけ、日本の立場は常に守勢に立たされてしまう。「アメリカに利益がある」事が、正当性の根拠となり、「アメリカが主張する」事が正当性の根拠となる。そんな不公正な「共通認識」の元で議論を闘わなければならないとしたら、まともな議論など、望むべくもあのません。

どちらか一方が批判から守られるようなものが、まともな議論と言えるでしょうか。これはものの喩えではありません。現実に私がネットで議論する相手の、特にアメリカの対日要求に対する批判に対して、多くの対立論者が「アメリカ批判である」という事自体を、実際に攻撃の理由にしてきたのです。「アメリカ批判が何故悪い」という論理的な問いに、けっして彼等は答えず、決まり文句が「アメリカと戦争になるぞ」・・・。まさに「俺を怒らせたいのか!」と凄むヤクザと同じです。アメリカだけではなく、ロシアなどに関しても、そうでした。「日本人は外国を批判してはいけない」という、牢固たる不文律が、あるのです。日本人だからと、事実を指摘してはいけないと言うのです。

これが彼等の言う「世界の常識」という訳です。そうした彼等の論理構造を実証すると、彼等は怒ります。事実を指摘されて彼等は怒ります。「お前は俺をヤクザ呼ばわりした。俺を侮辱した」と・・・。全く処置無しでありまして、こうした従外派が「知識人」と称して、延々と日本の対外姿勢を精神的に腐らせてきたのですから「破綻」は必然だったのですね。

古森義久氏は言います。「言いたい事があるならアメリカに行って直接アメリカ人に言え。日本国内でアメリカを批判するな」と・・・。アメリカでもどこの国でも、自国内で自国語で日本を批判します。それを古森氏のような従米ジャーナリストが日本に持ち込んで「対米譲歩要求」を代弁している事実を、彼はどう説明するのか。全くもって無茶苦茶な言い分であり、正当な主張に蓋をするため以外の何物でもありません。どこで言おうと「正しい事は正しく、間違っている事は間違っている」のです。

そして今まで、アメリカ批判が許された唯一の例外が、左派としてのアメリカ批判でした。ロシアや中国の利益のため、自衛隊の「同盟者」としての米軍を批判するため、組合や共産党や市民団体の立場での「資本主義」批判のため・・・。だから、アメリカの横暴を批判したい人が、左翼に集まったりする。それが日本の左派を延命させたりしました。

しかし、彼等にとって、日本も「敵」という事になる。そして戦後処理が終わったにも関わらず「歴史カード」を振りかざして、日本を叩く勢力を肥大化させていく。彼等にとっては「日本政府批判」は=「日本批判」であり、それは必然的に日本人全体を締め上げます。今度は中国や韓国の奴隷として、日本を売り飛ばす側に回る・・・、それが彼等の大前提なのです。

こうして、左右両派が、アメリカと中露の利益を代弁して「日本潰し」を競う。彼等は日本を潰すための車の両輪であり、裏の同盟者なのです。そして今までの日本における「政治勢力」は、そのどちらかだった・・・。それはつまり、日本において「政治的要求の正当な根源」は、日本人ではなく外国の利益だったから・・・。日本人自身の利益に根源を置いても、それは「利己主義」と見なされた。その意味で日本人は、本当の「主権者」としての地位を奪われていたのです。

こう考えると、今までの日本の「体たらく」は、極めて自然な成り行きなのです。しかし、そんな「現実」を認めていいのでしょうか?少なくとも、表の世界では、我々は自由な民主国家の主権者として認められてきた。そして我々を支配してきた勢力は、その我々の地位を、建前上認めることでこそ、その地位を維持してきたのです。我々の「日本の主権者」としての地位は、十分すぎるほどの正当性があるのです。それを惰性的な従外意識によって放棄を続ける事は、知的怠慢以外の何物でもありません。こんな悪習を、子供達に残していい筈がありません。こういう不公正な政治的構造こそが「構造改革」されない限り、真の21世紀は来ないのです。そのためには・・・

これは外国を排斥するとか報復するとか、そういう問題ではありません。先ず、国内でこの不公正を延命させた責任者を引き出し、正当な裁きを与える事が必要でしょう。そして国民個々の自覚を促し、不当な外圧の批判と排除を・・・、日本は日本自身の利益のためにあるという事実を、世界に宣言すること、そしてかつてのアメリカがそうしたように、団結してこの崩壊した経済を再建すべく、失われた競争力を取り戻す必要がある。世界のために」と、不自然に意図して放棄した競争力は、同じく一致した意識によってしか取り戻せません。

しかし、破壊されたこの国のために「団結して努力する」という発想は、若い人達には「ダサい」という発想でしか見れません。そうした「日本なんか潰れていい」「スチャラカにやるのがカッコイイ」という発想に毒された人達を正気に戻し、再び結束を取り戻すには、その根源を正視する事を避けては通れないと思います。

通産省国売り物語(完)





(私論.私見)