わたしの民は知識がないために滅ぼされる ホセア書4-6
マインドコントロールによる無惨な結果 (現在の日本)
http://www5f.biglobe.ne.jp/~shishoukaku/090301gwi/gwi093drug.html#101
壊される日本 バブル崩壊の怪
(1)伏線1(日本)・・・長期間にわたる異常な通貨供給量の増加 (昭和50年から15年間)
これ程の長期間にわたって通貨供給量を連続的に増加させることは、世界史上稀にみる異常なことである。この政策は経済学者ミルトン・フリードマンの理論を実行したものと言われているが、欧米で実際にこの理論を実行した国はない。
①1974年(昭和49年)12月: 日銀総裁が佐々木直から森永貞一郎に交替するとともに、通貨供給量を増加させる方向に基本的政策の転換がなされた。
②1975年(昭和50年)7月: 日銀調査局の名前で『日本におけるマネーサプライの重要性』という論文が公表された。これは日銀の一大政策転換の表明であった。
③1975年(昭和50年)から1989年(平成元年)にわたり、通貨供給量が一貫して増加された。この結果、1985年(昭和60年)より、『名目GNPに対する通貨供給量』を示す指数であるマーシャルKは1.0を超えることになった。これは経済が実態経済を離れ、バブルが創出されることを意味する。当時の金融緩和政策の責任者は大蔵次官から日銀総裁になった澄田智である。彼は後に、フランスの巨大銀行『ラザール・フレール』の特別顧問となった。この巨大銀行は『かの勢力』の牙城の一つである。
(2)伏線2(米国)・・・レーガンの金融自由化とその帰結 (1981年~1986年)
日本のバブル崩壊の直前に、米国で同様のことが起こっている。これは、日本のバブル崩壊のモデルであった。自由競争の名のもとに競争を激化させ、弱小金融機関を自己崩壊させ、富の集中が図られた。順を追って記述してみよう。
①金融自由化への政策変更(1981年)
②バブル発生、異常な建設・不動産ブーム
③石油価格暴落による逆石油ショク
④急激な景気後退・不況
⑤大量の失業者・不良資産急増
⑥弱小金融資産の危機、米国産業の弱体化
(3)バブル崩壊の実行(日本) ②④⑤が最重要ポイント
①1983年(昭和58年)11月: レーガン大統領訪日。中曽根康弘首相に金融自由化を迫る。当時の大蔵大臣は竹下登。
②1983年11月: 為替取引における実需原則の撤廃を1984年4月に実施すると発表。
国際的で巨大なマネーゲーム流動という狼が、日本に解き放されたのである。市場が実体経済と遊離した仮需に脅かされ、支配されることになった。 『かの勢力』が世界の仮需と実需(実体)経済の双方を牛耳っていることを考えると、この政策転換の重要性が分かる。
③1984年4月: 円建て外債発行ルールを緩和。この政策により、企業は実需に要する資金を金融機関を介さずに資本市場から調達できることになった。これにより金融機関の融資は一層実需から遊離していく。
④1984年6月: 円転換規制を撤廃。これにより、巨大なマネーゲーム流動の国内経済への影響が強化された。
⑤1986年: 外国証券、外国銀行が国内市場に参入。日本資本という羊に狼たちが襲いかかったのである。
⑥1987年2月のNTT株上場、1988年4月のマル優廃止、1986年~1989年の超低金利。これらはいずれも、個人と企業をバブル株へと誘った。
⑦1988年7月: BIS規制(金融機関に対する自己資本比率八%以上という規制)が発表され、米欧諸国は直ちに金融引き締めに転じた。一方日本はかなり対応が遅れ(1989年5月~1990年)、バブルの無意味な邁進を招いた。日本のこの対応遅れは異常といえる。
⑧1989年5月: 金融引き締めへと政策を転換し、公定歩合を引き上げ。バブル崩壊に向けて準備がなされた。しかし、それまでがあまりの超低金利であったため、加熱した市場は無反応であった。
⑨1989年12月: 営業特金廃止の大蔵省通達。異常に膨らんでいたバブルはピークから一挙に崩壊へと向かった。
⑩1990年10月: インパクトローン(特に使途が制限されていない外貨貸付)を規制。不動産融資の本格的規制が開始され、バブル崩壊にとどめが刺された。
日本経済の歩む道筋には作為的な細工がなされ、計画通りにバブルへと邁進し、一挙に崖下へと転落させられていった。このような異常な政策を押し進めていった中曽根、竹下、澄田といった人物は一体何者なのか。中曽根首相が行った臨調とは一体何なのか。
本来であれば、崩壊後詳細に検討がなされ、謙虚に反省されるべきであろう。日本のバブル崩壊に関しては、多くの企業経営者が舵取りを誤り、悲劇的な結果を招いた。
にも拘わらず、今日バブル崩壊の実態を本当に理解している人はどれ程いるのだろうか。この実態を把握しない限り、企業経営者たちは霞の中を今後もやみくもにさすらうことになる。その道筋には宣伝マンたちが掲げる華々しいプラカードが立てられている。
今日、米国の株価は異常な高騰を続けている。世界中のマスコミは米国経済の実体が本格的に立ち直ってきたとはやし立て、一方で日本の弱体ぶりを強調する。米国の株高に一応警戒する振りは見せても、その株高が実体を反映していないことには口を結んでいる。
本当の歴史の分析と反省がなされていない日本は欧米に責められるままに唯おどおどし、大蔵省解体論に拍手し、中曽根首相の臨調の再現をしようとしている。
これら全ては、日本に対して周到に準備されたマインド・コントロールの結果である。
参考・おまけ
ラザード・アセット・マネージメント
http://www.lazardnet.com/lam/jp/index.shtml
米国が自由市場経済の根幹である自己責任大原則を破壊
http://blog.goo.ne.jp/sdfa2000/e/5d64fbc4925ae621037dc7283a458be3
テレビではFRBによるドル紙幣無料配布を報道せず
http://blog.goo.ne.jp/sdfa2000/e/bce37448320777646472a9b2fa2eb876
景気の悪化と壊れる日本人
http://www.collectors-japan.com/nevada/main/m_071015_2.html
日本は掠奪国家アメリカを棄てよ ビル・トッテン (なわふみひと)
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/hitokuchi031.html
第1章 それでも服従し続ける日本
第2章 アメリカンドリームという幻想
第3章 血塗られたアメリカの歴史
第4章 日本人よ、世界を見よ!
第5章 地球を破壊し続ける「宗主国」
第6章 輝く日本の未来のために
時は1492年、大航海時代のただ中。スペインから派遣されたコロンブスの生まれは、イタリアのジェノバといわれる。
「彼らは立派な召し使いになるだろう。手勢50人もあれば、彼らを一人残らず服従させられるし、望むことを何でもやらせることができるだろう」。これが、コロンブスが先住民に対して抱いていた見解である。客を手厚くもてなす主人としてではなく、自分たちの思い通りのことをやらせるための召し使いとして見ていたのだ。
コロンブスの日記には、やたらと「黄金」の2文字が登場する。最初の2週間の日記には、75回も出てくる。黄金に目がくらみ、小躍りするコロンブスの姿が目に浮かぶようだ。
ジン氏が記すように、コロンブスの話で強調されるのは彼の「厚い信仰心」だ。コロンブスはそれゆえ、先住民に「改宗」を迫ったのだろう。一行の主な滞在地であるエスパニューラ島には、至る所に十字架が立てられたそうだ。しかし、それと並べて絞首台も立てられ、1500年には340台を数えているというから、コロンブスの信仰心とは一体何であったのか。
コロンブスー行の所業には目を覆うばかりである。先住民が持っているわずかばかりの黄金を見ただけで、大量にあるはずだと思い込み、期限を設けて、黄金を差し出すよう命じた。そしてそのノルマを達成できなければ、ほかの先住民への見せしめのため、腕を叩き切ったという。
山に逃げた者は猟犬に追われ、たとえ逃げ切れたとしても、その先に待っていたのは餓死か病死。いずれにしても死だった。絶望にうちひしがれた人々は、毒を飲み干した。
コロンブスらが来たことによって、地上の楽園だったエスパ二ューラ島は急速に人口が減っていった。もちろん、この「減る」という意味は、ほとんど「死ぬ」と同義である。もっと正しい表現を使えば、「殺された」ということだ。
ある学者の推定では、当初30万人いた先住民のうち約10万人が、1494年から96年までの2年間で死亡したという。1508年にはさらに6万人に減り、1548年には生存者は500人いたかどうかも疑わしい。これを「ジェノサイド(集団殺戮)」と呼ばずして、何と呼べばいいのだろうか。
スペインの国王や融資家たちを驚かせるほどの黄金は、ついに見つからなかった。そこでコロンブスは何を考えたか。彼はもう一つの略奪品として、奴隷をスペインヘと送り込み始めたのである。
ラス・カサスは自身の著書で、インディアンについて次のように記している。
「無限の宇宙の中で、彼らは最も明朗で、邪悪さや不誠実なところがまったくない。しかし、この羊の檻の中にスペイン人が突然侵入し、貪欲な獣として振る舞い始めた。彼らは、キリスト教徒には黄金を手にするという絶対的な使命があるとして、殺戮や破壊行為を正当化した」
そしてラス・カサスは、最も凄惨な現場を目の当たりにする。それは、兵士がふざけてインディアンを刺し殺し、赤ん坊の頭を岩に投げつけるという信じがたい光景だった。
「隣人を自分のように愛しなさい」「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたが人にしなさい」。キリスト教の始祖であるイエスはそう説いたが、1500年の後、彼の信者たちは隣人を刺し殺し、隣人の赤ん坊を平気で岩に投げつけた。
もともと「所有」という概念がなく、自分の物も他人の物も区別していなかった先住民が、スベイン人のものを手にした場合には、打ち首か火あぶりにされたという。さらに強制労働に駆り出された先住民の大半は、病気か死に追いやられた。過重労働と飢えで母親の乳が出ないために、大勢の子供が死んだ。ラス・カサスは、3カ月で7000人の子供たちが死亡した、と推定している。
加えて、先住民には免疫のなかった腸チフス、発疹チフス、ジフテリア、天然痘などの病気がヨーロッパから運ばれ、これらを理由に大勢の人が亡くなった。
コロンブスが上陸した時にはおよそ800万人だった西インド諸島の人口は、約20年後の1514年には、約2万8000人しか残っていなかったという。要するに、99パーセント以上の先住民が殺し尽くされた計算になる。 心優しき先住民にとって、コロンブスは偉人どころか疫病神であり、死に神であり、悪魔だったはずだ。恐らくは「この世の終わり」に思えただろう。事実、彼らのほとんどは人生に終止符を打たれてしまった。
この悪魔の所業については、まだまだ書くことができる。しかし、書いている私もそうだが、読んでくれているあなたも、いい加減、気分が悪くなってきたのではないだろうか。
コロンブスによって持ち込まれた「悪魔の精神」は、新大陸アメリカヘと引き継がれ、悪しき伝統としてかの国に根づいてしまっているように思えてならない。
--
「感謝祭」の真実とハリウッド式洗脳術
アメリカには、クリスマス前の11月の第4木曜日に「感謝祭」と呼ばれる祝日がある。この日、家族や親しい友人と過ごすために帰省ラッシュが繰り広げられ、どこか日本の正月を彷彿とさせるムードが全土に漂う。
この感謝祭には、先住民が関係している。1620年11月、メイフラワー号に乗った清教徒(ピューリタン)たちが、イギリスからアメリカ大陸(マサチューセッツ州プリムス)に渡ってきた。
そこで彼らを待ち受けていたのは厳しい冬だった。そんな彼らに食料を分け与え、カボチャやサツマイモの育て方を教えたのは、アメリカの先住民たちだった。
自然と調和しながら生きてきた先住民は、当初自分たちの土地へ突然やってきた人々に敵意を持っただろうが、新しい土地で食べるものにも事欠いていた白人たちの困窮をさすがに見かねて、手を差し伸べたのだ。
イギリス人たちは、先住民から農作物の種を分け与えてもらい、作り方を教わった。そして、初めて採れた作物を料理して、友人たちとともに神の恵みに感謝した。これが、感謝祭の始まりである。
最初の感謝祭には、先住民たちも招待された。想像の域を出ないが、この時は先住民とイギリス人は互いに打ち解け、心を許して語り合ったのだろうか。それとも、イギリス人は後に行なうことになる悪行を頭に描きつつ、表面だけ取り繕っていたのだろうか。
いずれにせよ、この後、先住民は白人に殺戮され、自分たちの土地を奪われることになる。人のよい先住民は、共に過ごした感謝祭の夜、そしてその後の自分たちの運命を想像することすらできなかっただろう。
私がアメリカで受けた学校教育では、アメリカ先住民の文化について、ほとんど教えられなかった。彼らの歴史や文化、彼らに対して白人がしてきたことを知ったのは、実はごく最近のことである。
新しくやってきた白人たちに、殺戮され、土地を奪われ、居留地に閉じ込められた先住民たちは、アメリカ政府の「同化政策」に服従することを強制された。同化政策とは、彼らから文化を奪うことであり、子供たちは家族から引き離され、国が作った寄宿学校で、西洋の文化やキリスト数的価値観を押し付けられた。
もちろん、英語以外の民族固有の言葉は、その使用が禁じられた。アメリカがイギリスから独立した1776年、独立宣言は「すべての人間は平等につくられている」と謳ったが、その中に先住民は含まれていなかった。
学校教育に加えて、ユダヤ系の人々が集まり作り上げたハリウッド映画が「正義の白人と野蛮なインディアン」という図式を喧伝した。西部劇のほとんどは、勧善懲悪のストーリーで、善は白人、悪はインディアンだった。
感謝祭が行なわれる日、今のアメリカ人でまったくどれだけの人が、先住民から受けた恩を思い起こすだろうか。そしてどれだけの人が、その先住民を殺戮した事実を知っているだろうか。
ハリウッド映画で描かれるアメリカは、今日まで明るく誇らしく希望に満ちている。しかし真実のアメリカは、過去も現在も、ドス黒く邪悪な悪魔が棲み着いている。
夏風の日記
http://plaza.rakuten.co.jp/triumpht120/
新聞もテレビも真実を伝えない時代に生きるために リチャード・コシミズ
http://www15.ocn.ne.jp/~oyakodon/newversion/sinbunterebiiranaiyo.htm#
世界の闇を語る父と子の会話集
http://www15.ocn.ne.jp/~oyakodon/newversion/futukaiindex.htm
マインドコントロールによる無惨な結果 (現在の日本)
http://www5f.biglobe.ne.jp/~shishoukaku/090301gwi/gwi093drug.html#101
壊される日本 バブル崩壊の怪
(1)伏線1(日本)・・・長期間にわたる異常な通貨供給量の増加 (昭和50年から15年間)
これ程の長期間にわたって通貨供給量を連続的に増加させることは、世界史上稀にみる異常なことである。この政策は経済学者ミルトン・フリードマンの理論を実行したものと言われているが、欧米で実際にこの理論を実行した国はない。
①1974年(昭和49年)12月: 日銀総裁が佐々木直から森永貞一郎に交替するとともに、通貨供給量を増加させる方向に基本的政策の転換がなされた。
②1975年(昭和50年)7月: 日銀調査局の名前で『日本におけるマネーサプライの重要性』という論文が公表された。これは日銀の一大政策転換の表明であった。
③1975年(昭和50年)から1989年(平成元年)にわたり、通貨供給量が一貫して増加された。この結果、1985年(昭和60年)より、『名目GNPに対する通貨供給量』を示す指数であるマーシャルKは1.0を超えることになった。これは経済が実態経済を離れ、バブルが創出されることを意味する。当時の金融緩和政策の責任者は大蔵次官から日銀総裁になった澄田智である。彼は後に、フランスの巨大銀行『ラザール・フレール』の特別顧問となった。この巨大銀行は『かの勢力』の牙城の一つである。
(2)伏線2(米国)・・・レーガンの金融自由化とその帰結 (1981年~1986年)
日本のバブル崩壊の直前に、米国で同様のことが起こっている。これは、日本のバブル崩壊のモデルであった。自由競争の名のもとに競争を激化させ、弱小金融機関を自己崩壊させ、富の集中が図られた。順を追って記述してみよう。
①金融自由化への政策変更(1981年)
②バブル発生、異常な建設・不動産ブーム
③石油価格暴落による逆石油ショク
④急激な景気後退・不況
⑤大量の失業者・不良資産急増
⑥弱小金融資産の危機、米国産業の弱体化
(3)バブル崩壊の実行(日本) ②④⑤が最重要ポイント
①1983年(昭和58年)11月: レーガン大統領訪日。中曽根康弘首相に金融自由化を迫る。当時の大蔵大臣は竹下登。
②1983年11月: 為替取引における実需原則の撤廃を1984年4月に実施すると発表。
国際的で巨大なマネーゲーム流動という狼が、日本に解き放されたのである。市場が実体経済と遊離した仮需に脅かされ、支配されることになった。 『かの勢力』が世界の仮需と実需(実体)経済の双方を牛耳っていることを考えると、この政策転換の重要性が分かる。
③1984年4月: 円建て外債発行ルールを緩和。この政策により、企業は実需に要する資金を金融機関を介さずに資本市場から調達できることになった。これにより金融機関の融資は一層実需から遊離していく。
④1984年6月: 円転換規制を撤廃。これにより、巨大なマネーゲーム流動の国内経済への影響が強化された。
⑤1986年: 外国証券、外国銀行が国内市場に参入。日本資本という羊に狼たちが襲いかかったのである。
⑥1987年2月のNTT株上場、1988年4月のマル優廃止、1986年~1989年の超低金利。これらはいずれも、個人と企業をバブル株へと誘った。
⑦1988年7月: BIS規制(金融機関に対する自己資本比率八%以上という規制)が発表され、米欧諸国は直ちに金融引き締めに転じた。一方日本はかなり対応が遅れ(1989年5月~1990年)、バブルの無意味な邁進を招いた。日本のこの対応遅れは異常といえる。
⑧1989年5月: 金融引き締めへと政策を転換し、公定歩合を引き上げ。バブル崩壊に向けて準備がなされた。しかし、それまでがあまりの超低金利であったため、加熱した市場は無反応であった。
⑨1989年12月: 営業特金廃止の大蔵省通達。異常に膨らんでいたバブルはピークから一挙に崩壊へと向かった。
⑩1990年10月: インパクトローン(特に使途が制限されていない外貨貸付)を規制。不動産融資の本格的規制が開始され、バブル崩壊にとどめが刺された。
日本経済の歩む道筋には作為的な細工がなされ、計画通りにバブルへと邁進し、一挙に崖下へと転落させられていった。このような異常な政策を押し進めていった中曽根、竹下、澄田といった人物は一体何者なのか。中曽根首相が行った臨調とは一体何なのか。
本来であれば、崩壊後詳細に検討がなされ、謙虚に反省されるべきであろう。日本のバブル崩壊に関しては、多くの企業経営者が舵取りを誤り、悲劇的な結果を招いた。
にも拘わらず、今日バブル崩壊の実態を本当に理解している人はどれ程いるのだろうか。この実態を把握しない限り、企業経営者たちは霞の中を今後もやみくもにさすらうことになる。その道筋には宣伝マンたちが掲げる華々しいプラカードが立てられている。
今日、米国の株価は異常な高騰を続けている。世界中のマスコミは米国経済の実体が本格的に立ち直ってきたとはやし立て、一方で日本の弱体ぶりを強調する。米国の株高に一応警戒する振りは見せても、その株高が実体を反映していないことには口を結んでいる。
本当の歴史の分析と反省がなされていない日本は欧米に責められるままに唯おどおどし、大蔵省解体論に拍手し、中曽根首相の臨調の再現をしようとしている。
これら全ては、日本に対して周到に準備されたマインド・コントロールの結果である。
参考・おまけ
ラザード・アセット・マネージメント
http://www.lazardnet.com/lam/jp/index.shtml
米国が自由市場経済の根幹である自己責任大原則を破壊
http://blog.goo.ne.jp/sdfa2000/e/5d64fbc4925ae621037dc7283a458be3
テレビではFRBによるドル紙幣無料配布を報道せず
http://blog.goo.ne.jp/sdfa2000/e/bce37448320777646472a9b2fa2eb876
景気の悪化と壊れる日本人
http://www.collectors-japan.com/nevada/main/m_071015_2.html
日本は掠奪国家アメリカを棄てよ ビル・トッテン (なわふみひと)
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/hitokuchi031.html
第1章 それでも服従し続ける日本
第2章 アメリカンドリームという幻想
第3章 血塗られたアメリカの歴史
第4章 日本人よ、世界を見よ!
第5章 地球を破壊し続ける「宗主国」
第6章 輝く日本の未来のために
時は1492年、大航海時代のただ中。スペインから派遣されたコロンブスの生まれは、イタリアのジェノバといわれる。
「彼らは立派な召し使いになるだろう。手勢50人もあれば、彼らを一人残らず服従させられるし、望むことを何でもやらせることができるだろう」。これが、コロンブスが先住民に対して抱いていた見解である。客を手厚くもてなす主人としてではなく、自分たちの思い通りのことをやらせるための召し使いとして見ていたのだ。
コロンブスの日記には、やたらと「黄金」の2文字が登場する。最初の2週間の日記には、75回も出てくる。黄金に目がくらみ、小躍りするコロンブスの姿が目に浮かぶようだ。
ジン氏が記すように、コロンブスの話で強調されるのは彼の「厚い信仰心」だ。コロンブスはそれゆえ、先住民に「改宗」を迫ったのだろう。一行の主な滞在地であるエスパニューラ島には、至る所に十字架が立てられたそうだ。しかし、それと並べて絞首台も立てられ、1500年には340台を数えているというから、コロンブスの信仰心とは一体何であったのか。
コロンブスー行の所業には目を覆うばかりである。先住民が持っているわずかばかりの黄金を見ただけで、大量にあるはずだと思い込み、期限を設けて、黄金を差し出すよう命じた。そしてそのノルマを達成できなければ、ほかの先住民への見せしめのため、腕を叩き切ったという。
山に逃げた者は猟犬に追われ、たとえ逃げ切れたとしても、その先に待っていたのは餓死か病死。いずれにしても死だった。絶望にうちひしがれた人々は、毒を飲み干した。
コロンブスらが来たことによって、地上の楽園だったエスパ二ューラ島は急速に人口が減っていった。もちろん、この「減る」という意味は、ほとんど「死ぬ」と同義である。もっと正しい表現を使えば、「殺された」ということだ。
ある学者の推定では、当初30万人いた先住民のうち約10万人が、1494年から96年までの2年間で死亡したという。1508年にはさらに6万人に減り、1548年には生存者は500人いたかどうかも疑わしい。これを「ジェノサイド(集団殺戮)」と呼ばずして、何と呼べばいいのだろうか。
スペインの国王や融資家たちを驚かせるほどの黄金は、ついに見つからなかった。そこでコロンブスは何を考えたか。彼はもう一つの略奪品として、奴隷をスペインヘと送り込み始めたのである。
ラス・カサスは自身の著書で、インディアンについて次のように記している。
「無限の宇宙の中で、彼らは最も明朗で、邪悪さや不誠実なところがまったくない。しかし、この羊の檻の中にスペイン人が突然侵入し、貪欲な獣として振る舞い始めた。彼らは、キリスト教徒には黄金を手にするという絶対的な使命があるとして、殺戮や破壊行為を正当化した」
そしてラス・カサスは、最も凄惨な現場を目の当たりにする。それは、兵士がふざけてインディアンを刺し殺し、赤ん坊の頭を岩に投げつけるという信じがたい光景だった。
「隣人を自分のように愛しなさい」「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたが人にしなさい」。キリスト教の始祖であるイエスはそう説いたが、1500年の後、彼の信者たちは隣人を刺し殺し、隣人の赤ん坊を平気で岩に投げつけた。
もともと「所有」という概念がなく、自分の物も他人の物も区別していなかった先住民が、スベイン人のものを手にした場合には、打ち首か火あぶりにされたという。さらに強制労働に駆り出された先住民の大半は、病気か死に追いやられた。過重労働と飢えで母親の乳が出ないために、大勢の子供が死んだ。ラス・カサスは、3カ月で7000人の子供たちが死亡した、と推定している。
加えて、先住民には免疫のなかった腸チフス、発疹チフス、ジフテリア、天然痘などの病気がヨーロッパから運ばれ、これらを理由に大勢の人が亡くなった。
コロンブスが上陸した時にはおよそ800万人だった西インド諸島の人口は、約20年後の1514年には、約2万8000人しか残っていなかったという。要するに、99パーセント以上の先住民が殺し尽くされた計算になる。 心優しき先住民にとって、コロンブスは偉人どころか疫病神であり、死に神であり、悪魔だったはずだ。恐らくは「この世の終わり」に思えただろう。事実、彼らのほとんどは人生に終止符を打たれてしまった。
この悪魔の所業については、まだまだ書くことができる。しかし、書いている私もそうだが、読んでくれているあなたも、いい加減、気分が悪くなってきたのではないだろうか。
コロンブスによって持ち込まれた「悪魔の精神」は、新大陸アメリカヘと引き継がれ、悪しき伝統としてかの国に根づいてしまっているように思えてならない。
--
「感謝祭」の真実とハリウッド式洗脳術
アメリカには、クリスマス前の11月の第4木曜日に「感謝祭」と呼ばれる祝日がある。この日、家族や親しい友人と過ごすために帰省ラッシュが繰り広げられ、どこか日本の正月を彷彿とさせるムードが全土に漂う。
この感謝祭には、先住民が関係している。1620年11月、メイフラワー号に乗った清教徒(ピューリタン)たちが、イギリスからアメリカ大陸(マサチューセッツ州プリムス)に渡ってきた。
そこで彼らを待ち受けていたのは厳しい冬だった。そんな彼らに食料を分け与え、カボチャやサツマイモの育て方を教えたのは、アメリカの先住民たちだった。
自然と調和しながら生きてきた先住民は、当初自分たちの土地へ突然やってきた人々に敵意を持っただろうが、新しい土地で食べるものにも事欠いていた白人たちの困窮をさすがに見かねて、手を差し伸べたのだ。
イギリス人たちは、先住民から農作物の種を分け与えてもらい、作り方を教わった。そして、初めて採れた作物を料理して、友人たちとともに神の恵みに感謝した。これが、感謝祭の始まりである。
最初の感謝祭には、先住民たちも招待された。想像の域を出ないが、この時は先住民とイギリス人は互いに打ち解け、心を許して語り合ったのだろうか。それとも、イギリス人は後に行なうことになる悪行を頭に描きつつ、表面だけ取り繕っていたのだろうか。
いずれにせよ、この後、先住民は白人に殺戮され、自分たちの土地を奪われることになる。人のよい先住民は、共に過ごした感謝祭の夜、そしてその後の自分たちの運命を想像することすらできなかっただろう。
私がアメリカで受けた学校教育では、アメリカ先住民の文化について、ほとんど教えられなかった。彼らの歴史や文化、彼らに対して白人がしてきたことを知ったのは、実はごく最近のことである。
新しくやってきた白人たちに、殺戮され、土地を奪われ、居留地に閉じ込められた先住民たちは、アメリカ政府の「同化政策」に服従することを強制された。同化政策とは、彼らから文化を奪うことであり、子供たちは家族から引き離され、国が作った寄宿学校で、西洋の文化やキリスト数的価値観を押し付けられた。
もちろん、英語以外の民族固有の言葉は、その使用が禁じられた。アメリカがイギリスから独立した1776年、独立宣言は「すべての人間は平等につくられている」と謳ったが、その中に先住民は含まれていなかった。
学校教育に加えて、ユダヤ系の人々が集まり作り上げたハリウッド映画が「正義の白人と野蛮なインディアン」という図式を喧伝した。西部劇のほとんどは、勧善懲悪のストーリーで、善は白人、悪はインディアンだった。
感謝祭が行なわれる日、今のアメリカ人でまったくどれだけの人が、先住民から受けた恩を思い起こすだろうか。そしてどれだけの人が、その先住民を殺戮した事実を知っているだろうか。
ハリウッド映画で描かれるアメリカは、今日まで明るく誇らしく希望に満ちている。しかし真実のアメリカは、過去も現在も、ドス黒く邪悪な悪魔が棲み着いている。
夏風の日記
http://plaza.rakuten.co.jp/triumpht120/
新聞もテレビも真実を伝えない時代に生きるために リチャード・コシミズ
http://www15.ocn.ne.jp/~oyakodon/newversion/sinbunterebiiranaiyo.htm#
世界の闇を語る父と子の会話集
http://www15.ocn.ne.jp/~oyakodon/newversion/futukaiindex.htm