■ラコフスキー調書② 00:16
Rー現時点では、反対派は敗北主義やスターリンの没落には関心を持っていない。それはわれわれには、このための物理的可能性がないからだという点では、私たちは一致している。この点では私たちは同意している。現在これは否定出来ない事実である。しかし可能な侵略者は存在している。この最も偉大なニヒリストであるヒトラーはベルマフトの恐ろしい武器を持って、地平線上至る所に姿を現している。私たちがこれを欲しようと欲しまいと、ヒトラーは自分の力をソ連に敵対して用いている。ところでこのことは私たちにとっては全く未知の事実である。この点、まず同意しようではないか。それとも問題は明白に提起されていると考えるかネ?
Gーそう。勿論だ。しかし私がここで言わなければならぬことは、私にとっては未知の事実なんて存在しないという事だ。ソ連に対するヒトラーの侵攻は不可侵だと考えている。
Rーなぜだ?
Gー非常に簡単さ。彼は侵攻をコントロールしている。またわれわれを攻撃したがっているからだ。ヒトラーは世界資本主義の傭い人に過ぎない。
Rー危険の脅威が存在していることは、私も同意見だが、その結論とソ連に対する攻撃の不可避性との間には、大きな間隙がある。
G=われわれに対する危険は、ファシズムの本質そのものが規定するものだ。ヒトラーの希望は別として、彼を援助しているのが資本主義国で、彼らは彼に軍備を許し、全て必要な経済的・戦略的基地建設を許している。これは全く明らかである。
Rー君は大変重要なことを忘れている。それはヒトラーの軍備と、彼がベルサイユ諸国から今なお受けている援助は、スターリンが敗北した場合、われわれがスターリンの後継者となることが出来る、つまり反対派がまだ存在している特別の期間において、ヒトラーに与えられていることだ。この事実は偶然の結果ないし時間的一致の結果なのだと、君は考えるかネ?
Gーベルサイユ諸国からのヒトラーに対する再軍備の奨励と反対派の存在との間には、何の関係もないと思う。ヒトラー主義の弾道はそれ自体明瞭で論理的だ。ソ連に対する攻撃はすでに昔から彼の計画の一部だった。共産主義抹殺と東方への進出、これは彼の著書『わが闘争』、ナチズムのタルムードの教義なのだ。ところが君自身が言っているごとく、ソ連に対するこの脅威を、君たちの敗北主義者は利用しようとした。
Rーそう。一見すればそれは自然であり、論理的に見える。しかし真理にとっては、余りに自然的であり、余りにも論理的だ。
Gーこれを防止するため、すなわちヒトラーがわれわれを攻撃しないようにするためには、われわれはフランスとの同盟を信じなくてはならぬことになる。しかしこれは素朴すぎる。これは、資本主義が共産主義救済のため、資本主義を犠牲にすることに同意していることを、われわれが信じることになる。
Rー大衆の集会に適してたこんな命題を基礎にしてだけ、討論を続けるのなら、君の言うことは正しい。しかし君がもしこれを本当に信じているなら、失礼だが、私は幻滅感を味わうことになる。名高いスターリン警察は政治的にももっと充分教育されていると、私は思っていたのだが。
Gーソ連に対するヒトラーの攻撃は、国際的規模における不可避的な階級闘争と同様に、さらに弁証法的必然でもある。勿論、ヒトラーと隊伍を組んでいるのは、地上の全ての資本主義だ。
Rー正直のところ、君の教科書的弁証法を知って、私はスターリン主義の政治文化については極めて否定的な意見を持ってしまった。私は君の話を聞いているが、それはまるでアインシュタインが、4次元物理学に関して学生が講義しているのを聞いているような気がするのだ。君が知っているのは初歩的マルクス主義、つまり通俗的、民衆扇動的マルクス主義だと思う。
Gーもし君の説明が余り長くならないなら、マルクス主義のこの《相対性論》を解明して貰えれば有難いが。
Rー私は何も皮肉を言っているのではない。善意をもって言っている。君たちのスターリン大学でも教えているこの初歩的マルクス主義の中には、ソ連に対するヒトラーの攻撃不可避という君の命題とは矛盾する立言があることを、君は発見出来るだろう。また、君たちはマルクス主義において主要なものは、例えば、矛盾は資本主義の不治の、宿命的疾患であるという前提だということも教えられている。そうでしょう?
Gー勿論
Rーしかし、事実、われわれが資本主義を非難しているのは、資本主義が経済面で不断の矛盾の中に迷い込んでいるからだ。だとすると、なぜこれが資本主義の政治面に必ず反映しなければならぬのか?そもそも政治と経済はそれ自体は、重要ではない。これは社会状態の条件ないし尺度である。しかし経済と政治に、あるいはその双方に一挙に影響を及して来ることになる。したがって経済の中にだけ誤謬を発見し、政治の中に誤謬を発見しないことは、不合理だということになる。君が反ソ攻撃を不可避だと考える場合、このことに注意することが大切だ。これは極めて重要なことだ。
Gー君の意見によると、君たちが当にしているものは、矛盾とブルジョアの誤謬の不可避性だけである。だからその誤謬の結果、ヒトラーのソ連侵略が阻止されるということになる。ラコフスキー、私はマルクス主義者だ。しかしここだけの話だが、お互いを傷つけないために、君に言っておくが、私はマルクスを信じているが、それでもなおソ連の存在がわれわれの敵の誤謬のお蔭だけによるものだとは信じない。スターリンも私の見解と同じだと思うよ。
Rーこれで、君たちのマルクス主義の文化を私が疑問視する理由がはっきりするのだ。君の動機と反応は平凡な活動家と何ら違っていない。
Gーそれで、私は間違っていると思うのかネ?
Rー君の見解は、小さな行政官、官僚、大衆にとっては正しい。それは平均的闘士にはふさわしい。彼らはこの見解を信じ、書かれていることは何でも反復している。いいかネ、私が君に言っていることは、全く秘密なのだ。マルクス主義から君たちが得ている結果は、古代の秘教から得るものと同じものである。秘教の崇拝者たちが知っていなければならなかったことは、全く初歩的な、概略的な真理だけで、その真理は、彼の信仰を、つまり絶対に必要なものを、満足させるだけに必要なものであった。宗教ではこのように行われているが、革命でもこの通りである。
Gーつまり、君は今度はフリーメーソンの変種としての秘教的マルクス主義を私に教えようというのか?
Rー否、ミステリーではない。その反対だ。私はこれを極めて判然と説明出来る。マルクス主義は、哲学的、経済的、政治的体系となる以前に、革命の陰謀である。そして、われわれにとっては、革命は、絶対的真理、唯一の真理である。ということは、哲学、経済、政治は革命を誘発するためにのみ必要だということである。根本的真理は主観的なものといえる。これは経済や政治の中には、さらに道徳の中にも存在しない。科学的抽象の見地からすれば、革命はあるいは真理でもあり、あるいはテロでもある。しかし革命的弁証法を信じるわれわれにとっては、革命は真理だけである。したがって革命は、マルクスの解釈のように、全ての革命家にとっても、真理でなくてはならない。レーニンの行動が現実に矛盾しているという非難に対して、レーニンは次のように答えた。この言葉は、憶えているでしょう。「私はこれが真実在であると思っている」と彼は言っている。君は、レーニンが戯言を言ったなどと考えてはいないでしょうネ?否、彼にとっては、一切の真実、一切の真理は革命にのみ関するものであった。マルクスは天才だった。彼の著述は資本主義に対する深刻な批判だけに限られていた。したがって、それらの著述は研究対象に関する高度の、科学的理解の成果である。ところが、彼は最高の技巧を極めながら、自分の著述が持っているアイロニーを強調しているのである。「共産主義は勝たなければならぬ。何故なら資本が資本主義の敵となることによって、共産主義に勝たしてくれるからである」と言っている。これはマルクスの何とも素晴しい命題である。これ以上のアイロニーがあり得るだろうか?そして彼は、人々から信じて貰うために、資本主義と共産主義を単純に無人格化し、人間を意識的に判断する個体に変えている。彼はこれを手品師の才能でやっている。これは、資本家たちは資本主義の所産であるということ、共産主義は資本家の生れながらの白痴性がもたらした結果である勝利を手に入れることが出来る、もし《経済人》にこの不滅の白痴性が具有されていなかったら、資本主義の中には、マルクスが発表した矛盾は起り得ないということを、資本家たちに証言するための滑稽な手法なのである。《賢い人間》を《馬鹿な人間》に変えるためには、人間を最低の、動物的段階まで堕落させることの出来る魔力が必要である。資本主義の最高発展の時代に、《馬鹿な人間》タイプが出現しさえすれば、マルクスの公理《矛盾プラス時間は共産主義を建設する》が実現する。正直な所、全てこのことを知っている私たちは、ルビャンカの入口にぶら下がっている肖像のようなマルクスの代表者であるという権利を主張しながらも、心の底からこみ上げてくる笑いを押殺すことが出来ないのだ。この笑いはマルクスによって私たちに伝染されたものだ。それは彼のその頬鬚の中で、全ての人類を笑っているのがわかるからだ。
Gーその上、君はさらに、最も尊敬されている世紀の学者を笑うことが出来るのかネ?
Rー君は私を嘲笑しているのか?これは驚いた。マルクスがこんなにも多くの学者たちを欺くことができるためには、彼は彼らより高い所に立たなくてはならなかったのだ。そこで、マルクスの偉大性を全面的に判断するためには、私たちは本当のマルクス、革命家マルクス、『共産党宣言』によるマルクスを観察しなければならぬ。つまりマルクスは地下運動者である。彼の時代では革命は地下に存在していたからである。革命はそれが発展し、勝利を得たことに対しては、これらの陰謀家たちに恩義がある。
Gーつまり君は、共産主義の終局的勝利をもたらした、資本主義における矛盾の弁証法的過程の存在を否定しているのか?
Rーもしマルクスが、資本主義における矛盾の結果だけで、共産主義が勝利を得ると信じていたのなら、彼は自分の科学的、革命理論の何千ページにもわたって矛盾に関して論じることはしなかっただろうよ。これは君も信じることが出来るだろう。マルクスの真の本質的な絶対的路線は、科学的ではなく、革命的だということだ。革命家と陰謀家は自分の勝利の秘訣を、自分の敵に決して打ち明けることはしない。彼は決して真の情報を与えることはしないが、世論を迷わせるための虚偽の情報なら与える。それを君たちは陰謀に反対する闘争に利用しているのだ。そうではないかネ。
Gー君の主張によると、資本主義には矛盾は存在しない。そこでマルクスの矛盾論は単なる革命的、戦略的方法に過ぎないことになる。遂に私たちはこんな結論に達したのだ。そうだろう? しかしわれわれは資本主義における莫大な、不断に激化していく矛盾を見ている。つまりマルクスは嘘をつきながら本当のことを言っているということになる。
Rー君は独断主義のブレーキをはずして、独自の発明性を自由に駆使している。危険な議論家だ。そう。その通りだ。マルクスは嘘をつきながら、本当のことを話した。彼は矛盾を、資本の経済の歴史の中で継続するものと規定し、その矛盾を《必然で不可避》のものと名付け、故意に人々を混迷させる点で、嘘をついているが、同時にこの矛盾がつくり出されるものであること、そしてそれはその頂点に達するまで、累進的に成長し始めることを知っている点で、本当のことを言ったのである。
Gーつまりアンチテーゼがあるというのか?
Rー否、アンチテーゼなどは何もない。マルクスは戦術的理由から嘘をついているのだが、それは資本主義における矛盾の起源に関してであり、矛盾の現実に関してではない。マルクスは、矛盾がどうしてつくられたか、どうして尖鋭化したか、共産主義革命の勝利を前にして、どうして資本主義的生産において無政府状態が誘発されたかを知っている。彼はこのことが起ることを知っている。何故なら矛盾を作り出していた人々を知っているからである。
Gーこれは大変奇妙な、新しい発見だ。君は資本主義が《自殺》に追込まれるその間の消息について論じているが、これはブルジョア経済学者シュマーレンバハ(ケルン学派を確立したドイツの経営経済学者、1873~1955年)が規定していることである。しかし実際には、自殺は資本主義の本質でもなく、生来の法則でもない。だが、この考え方で私たちがどんな結論に到達するか、知りたいものだ。
Rーまさか、君はこれを直観的に感じないかネ?マルクスの言行がいかに不一致か、気づかないかネ?彼は剰余価値が実際に存在していることとそれが蓄積されていることを立証することによって、資本主義的矛盾の必然性と不可避性を発表している。つまり剰余価値が現実に存在していることを証明しているのだ。さらに生産方法の発達が共産主義建設のため、彼はインターナショナル、すなわち改良主義的組織を作っている。この組織の目的は、階級闘争と価値の制限、できれば価値の除去にある。したがってマルクスの理論に基づくインターナショナルが反革命的、反共産主義的組織になるのである。
Gーマルクスが反革命家で、反共産主義者だという所まで飛躍してきたのか?
Rー真のマルクス文化がどのように利用されるのか、今、君たちは分っている。だからこそ、論理的にも、科学的にも正確に、インターナショナルを反共的、反革命的組織だと見なすことが出来る。それは君たちが事実の中に、可視的な結果以外には何も見えず、教科書の文句を固執している結果だ。マルクス主義では、言行は最高知識の厳格な原則、すなわち陰謀と革命の原則に合致しているということを忘れた場合には、こんな不合理な結論に到達するのである。
Gー最終的結論にはいつ到達するのか?
Rーちょっと待って、経済的階級闘争は、その結果から見て、改良主義であり、したがって共産主義樹立を規定する理論的前提に矛盾する。ところが本当の階級闘争は、真実の、純粋な革命的意義を持つものである。しかし再度繰返すが、一切は陰謀の原則に服従する。すなわち一切の方法と目的は秘密にされなければならぬ。階級闘争の結果、価値の蓄積がなされても、それは革命運動の原理を大衆に広報するための見せかけ、幻想である。ストライキはすでに革命的動員の企図である。ストライキで誰が勝とうと負けようと無関係に、その経済的効果は無政府状態を持たらすことになる。その結果、1階級の経済状態を改善するこの方法は、経済崩壊を惹起する。ストライキの範囲や結果が例えどんなものであっても、それは常に生産を減少する。要するに、労働階級にはどうにもならない貧困が酷くなる。これはまだ大したことでない。唯一最大の結果ではない。周知のごとく、経済闘争の唯一の原因となるのは、より多く稼いで、より少なく働くことである。全く経済的に見て馬鹿々々しい話だが、われわれの用語によれば、これはすでに矛盾である。物価が上がれば、直ぐに取上げられる資金の高騰で目が眩んでいる民衆はこれに気付かない。そして物価を政府が抑えれば、より多く消費し、より少なく生産するという欲望の間に、またも矛盾が生じ、その結果金融インフレとなる。ストライキ、飢餓、インフレ、飢餓という悪循環が起こる。
Gーストライキが資本主義的利潤の負担で起る場合は例外だ。
Rーそれは理論だ。純理論だ。実際のところ、どこの国の経済便覧でも良い。その国の貸付金と総所得の総和を、賃金を受取る人の数で割って見ると、どんな驚くべき結果が出てくるかがわかる。これは反革命的事実なので、われわれはこれを秘密にしなければならぬのだ。つまり、ストライキを起すことで、プロレタリアの利益を守ってやるようであるが、これは資本主義的生産を破壊するための口実に過ぎないということである。したがってブルジョア制度の中で対立を組織するためには、プロレタリアの間の対立が、これに付加される。これは革命の二重の武器であるが、それは自然発生するものではない。それにはリーダーと規律、何よりも大衆が愚昧であることが必要なのだ。資本主義のこれらの一切の矛盾と対立は、特に金融部門では、誰かによって組織されなければならぬ。君にはこのことが理解出来ないだろうか?私の結論を説明するために君に言っておくが、プロレタリア・インターナショナルの経済闘争と共に、金融インターナショナルの中でも同じ闘争が起っているということだ。双方ともインフレを惹起する。両者の間の符号がはっきりしている以上、協定もあることは予想出来ることだ。マルクス自身がこのことを言っている。
Gー君はとんでもない馬鹿気た話をして、新しいパラドックスをつくるつもりじゃないだろうな。私はそんなことは考えたくもない。君はお互いに敵意を持っている二つのインターナショナル、資本主義インターナショナルと共産主義インターナショナルが存在していると示唆しているようだ。
Rー全くその通りだ。私は金融インターナショナルのことを論じる時は、コミンテルンのことも一緒に考えている。しかしコミンテルンの存在を認めるからって、両者の間に敵意があるとは考えたくない。
Gー私たちが虚構と空想のために時間を浪費することを君が望んでいるのなら、君は間違った時間を選んでいると言わざるを得ない。
Rーまあ、それはそうとしておいて、君は私を、つまり自分の生命を救うために夜毎空想を逞しくしていたあのアラビアン・ナイトのコールガールだとでも考えているのかネ?とんでもない。私が主題から逸脱していると君が考えるなら、それこそ間違いだ。私たちが提起した目的を達成するためには、私が、《最高のマルクス主義》と称しているものを、君たちが知らないことを考慮に入れて、最も重要な問題を君に教えなければならないのだ。このことはクレムリンも知らないのだ。これを承知しながら、私は黙っているわけにはいかない。話を続けてもよいかネ?
Gー続けたまえ。しかしいたずらに想像力をかきたて、それで時間稼ぎをするために、こんなことを話すんなら、そんな楽しみは全く哀れなエピソードに終ることもあり得る。君に警告しておく。
Rー何も聞かなかったことにして、続けるよ。君は『資本論』を研究している。そこで君の帰納的能力を呼び覚したいので、若干の奇妙な話を憶い出して貰いたい。マルクスがどんなに洞察的に、今では巨大工業に変っている彼の時代の英国工業に対する観察から結論を出しているか、考察してほしい。彼は工業をどんな風に分析し、批判しているか、また工場主をどんなに穢らわしい人物に仕立てているか。大衆の想像と同じように、君の想像の中には、人間に具像された資本主義の恐ろしい光景が生れてくる。マルクスが描写している通りの太鼓腹をして、口に葉巻煙草を加え、傲慢に町頭に労働者の妻や娘を放り出している工場主だ。そうだろう?ところが他方、問題が金銭に関する場合、マルクスは穏健で、ブルジョア的な正統的信仰を示している。金銭の問題では彼の有名な矛盾が出ていない。彼は金融は、それ自体重要なものとは考えていない。商業と貨幣流通は、呪わしい資本主義的生産の結果であり、資本主義的生産がこれらを支配し、その価値を規定している。金銭の問題ではマルクスは反動家だ。ソ連の星と同じ《五芒星の星》が全ヨーロッパに輝いているが、これは五つの光、ロスチャイルド家の五人兄弟から成立しているのを見て、君は驚くかも知れない。ロスチャイルド家の銀行には、かつて全世界から集めた莫大な富がある。彼の時代の世間の想像を絶するこのような価値の莫大な蓄積に、一体なぜマルクスは注意していないのか?これは奇妙なことではないか?恐らくマルクスのこの奇妙な不注意は、あらゆる将来の社会革命の説明の中に現れている。民衆が都市あるいは国を奪取する時、彼らは銀行や銀行家に対する何か迷信的な畏怖感に襲われている。われわれはこのことを是認している。王、将軍、司教、警察官、聖職者その他憎むべき特権階級の代表者らを殺し、宮殿、教会、科学機関をも掠奪し、焼き払う。それなのに、革命は常に社会的、経済的のものであっても、銀行家たちの生命に対しては、これを尊敬している。その結果、銀行の壮大な建物は完全に残っている。私の情報によると、私が逮捕される以前からそうだったし、今もこれは続いている。
Gーそれはどこの話かネ?
Rースペインだ。君はこのことを知らないのか?こんなことは皆奇妙だと思わないか?金融インターナショナルとプロレタリア・インターナショナルの奇妙な共通性に君が注目しているかどうか知らないが、私の言いたいことは、後者は前者の影であり、プロレタリアの方が、金融のほうよりずっと後のものだということだ。
Gーこの双方は何も共通のものを持っていないのに、君はどの点に共通性を発見しているのか?
Rー客観的には両者は同じものだ。すでに証明した通り、改良主義的運動はコミンテルンと類似の物を作り出し、サンジカリズムと同様に、生産における無政府状態、インフレ、民衆の中に貧困と絶望を倍加した。金融資本も、主として金融インターナショナルであるが、意識的あるいは無意識的に、対立を作り出しているが、それはさらに大規模なものだ。マルクスの炯眼から隠すべくもない金融対立を、なぜマルクスが隠したのか、今となっては推察出来るのである。まして金融勢力は彼の時代では、革命にとって特別の意義を持っていたのである。
Gーそれは単なる無意識的符号で、知性、意志、協定が要求する同盟では全くないよ。
Rーまあ、いいさ、お望みなら、君の見解の上に立つことにしよう。さて金融問題を分析し、さらにどんな種類の人々が金融に参加しているか規定しよう。金銭の持つ国際的本質は誰にも明らかである。このことから、はっきりしていることは、金銭を持っており、これを蓄積している組織は、世界主義的性質を持っているということである。金融とは、金銭の最高の成果であり、その重要な目的と本質である。金融インターナショナルは民族的なものは一切否定し、認めない。国家も認めない。まるで無政府のようであるが、民族国家は否定しても、自分独自の国家は建設している。この国際的国家が金銭に権力を与える。そして金銭もまた異常な力を与える。
われわれが1世紀にわたって建設しているわれわれの共産主義的超国家は、マルクスのインターナショナルの図式に基づいて建設される。この図式を分析すれば、その本質がわかる。インターナショナルとそのソ連の原型の図式は純粋な権力である。二つの間の構造の間にある同一性は絶対的だ。これは運命的、不可避的なものであり、これらの作者の人格は同一である。金融資本家は、共産主義者と同様に国際的である。両者は、異なった口実の下に、ブルジョア国家を否定し、これと戦っているのである。マルクス主義が必要されるのは、ブルジョア国家を共産主義国家に変えるためである。したがってマルクス主義者は国際主義者とならなければならない。金融資本家はブルジョア民族国家を否定するが、その否定はブルジョア民族国家に限られてしまう。実際上は、彼は自分をインターナショナリストと言ったりはしないが、無政府主義者、世界主義者と称している。現段階では彼の見せかけは、このようであるが、彼が真実何者か、また何者になろうとしているのか、観察しよう。ご存知のように、共産主義者、国際主義者と金融資本家、世界主義者の間には、明らかな共通点がある。その結果、これと同じ共通性が共産主義的インターナショナルと金融インターナショナルの間に存在している。
Gーそれは偶然の共通性で、対立している。両者の一方が自滅すれば、最もラジカルな面だけが残る。
Rー論理的関連性を保存するために、今はこれに回答しないでおく。私は只《金銭は力なり》という根本公理を解読したいだけなのだ。今日では金銭は地球引力の中心である。同意して貰いたい。
Gー続けたまえ。ラコフスキー、お願いだ。
Rー金融インターナショナルはすでに今世紀以前に、徐々に人々の魔力的護符である銭の主人公になっている。この人々は以前は神あるいは国家を持っていた。金融インターナショナルは科学的に見て、革命的戦略技術をも凌駕している。何故ならそれは技術でもあるし、革命でもあるからだ。今説明するが、フランス革命の叫喚と華麗さに眩惑された大衆や歴史家、彼らは王や特権階級から権力を奪取したという意識で陶酔した国民は、神秘的な、用心深い、あまり知られていない少数のグループが真の王権、魔力的、神的権力を手に入れて行くのに気付かなかった。大衆はこの権力がどうして他人によって奪取され、王制時代よりも、もっと残酷な奴隷状態におかれているかに気づかなかった。この王はその宗教的、道徳的偏見の故に、このような残酷な権力を行使することができなかった。結局最高の王権は次のような人物の道徳的、知的、世界主義者的性質が、この人々に権力を握る可能性を与えたのである。この人々がキリスト教徒でなく、世界主義者であったことは、明らかである。
Gー彼はどんな神秘的力を奪取したのか?
Rー彼等は金銭を鋳造する現実の特権を握ったのである。微笑わないで。でないと君は金銭とは何か知らないのだと思うよ。私の立場に立って欲しい。君に対する私の立場は、パスツールが現われる以前に登場した医者に対して、細菌学を説明しなければならぬ医師の助手みたいなものだ。しかし君にはそんな知識がない。だからこれは忘れることにする。われわれの言葉は事物に関して間違った思想を起させることがある。このような言葉を利用するのは、真実の、正確な観念に合致しない思想の情力のお陰である。私は、金銭と言っているのである。君の想像の中に本当の硬貨や紙幣の光景が思われるのは当然である。だが、私の言う金銭はそれではない。そんなものは現代的解釈による金銭ではない。つまり通貨というのは、時代遅れである。金銭が今持って存在していて、流通していたとしても、それは古代の伝統のお陰であり、今日の純粋に想像上の機能、つまり幻想を維持するのに便宜だからである。
Gー素晴しいパラドクッスだが、危険だし、詩的でさえある。
Rーお望みなら、素晴しいと言っても結構だが、これはパラドックスではない。君が微笑っているのでわかるんだが、国家は今でも硬貨を作ったり、王の胸像や国章入りの貨幣を作っている。それがどうだというのだ?国家的富を代表する大事業のための通貨の大半、すなわち金銭は、私が示唆した人々によって発行されているのである。私有権、数字、小切手、為替、値引き、予算、数字と際限もなく、まるで滝のように国に氾濫する。全てこれを硬貨や貨幣と比較出来るだろうか?この硬貨、紙幣は金融力の増大していく洪水を前にしては、無力な極小のものに見える。金融家達は、微細な心理学者であり、何の困難もなく、自分の金融勢力を強大にしていく。それも大衆に理解力が欠如しているからである。金融力の色々な形態に加えて、彼らは《クレジット》マネーを作り出し、その価値を際限なく高騰させようと目論んでいる。そしてもしこれに音速を加えると、これは抽象、思想、数字、数となる。信用と信仰になる。
さて、君はこれが理解できるか?欺瞞である。偽造貨幣だ。君にわかり易くするために、別の用語を用いれば、合法化された貨幣である。銀行、取引所、一切の世界金融システムは、アリストテレスの言のごとく、反自然的スキャンダルを作り出すための巨大な機械である。すなわち金銭を殖やすために、金銭を利用する。これは正に経済的犯罪、刑法の侵犯つまり高利貸しである。彼らは法定利子を受取っていると言うが、どうしてこれを正当化したり、説明したり、また公表出来るのか、わからない。仮にこのような説明を容認し、事実を認めても、高利貸しはやっぱり高利貸しだし、それに彼が受取る利子がたとえ法定のものであったとしても、その高利貸しは、実在もしていない資本を捏造し、偽造していることにかわりはない。銀行は生産に一定の金額を投資する。その金額は彼らが実際持っている硬貨、紙幣の額よりも、十倍も百倍も多い。《クレジット》マネーつまり偽造貨幣、捏造貨幣が、クレジットから支払われる実在資本より多い場合のことを言っているのではない。法定利子が実在資本に対してでなく、実在もしていない資本により計算される時は、その利子は実在資本からの利子を越える割合いだけ非合法的だと見なさなければならぬ。私が君に詳細に説明しているこのシステムは、偽造硬貨を利用している連中の間の量も隠されたものの1つであることに注意して欲しい。彼らの持っている富のお陰で、無限の権力を持っている人々の少数のグループを、できたら想像したまえ。彼らは取引所の絶対独裁者であることを、納得できるだろう。君にもし十分な想像力があれば、全てこれを世界的ファクターに加乗すれば、彼の無政府的、道徳的、社会的影響力つまりは革命的影響力がわかるだろう。わかるか?
Gーすこしはネ。
Rー奇蹟を理解するのが困難なことは当然だ。
Gー奇蹟だって?
Rーそう、奇蹟だ。ちゃちな木製ベンチを寺院に変えてしまうことが奇蹟でなくて何だ?ところがこのような奇蹟を世間の人は、この1世紀の間に何千回となく見ている。これは、高利貸しが腰をおろし、そこで金銭を商売にしていたその汚いベンチを、現代の都市の一角を荘厳に飾立てた現代寺院に変えてしまった例外的な奇蹟である。この現代都市は豪華な円柱と群衆を持っている。この群衆は天の神々からは何も受取らないのに、金銭の神に自分の犠牲を捧げ、持物一切をその神に与える。ところがその神は銀行の鋼鉄の金庫の中で暮しており、その神聖な使命によって、彼らの富を形而上学的無限にまでに増殖することを約束していると、彼らは考えているのである。
Gーこれは堕落したブルジョアの新しい宗教だネ?
Rーそう。宗教だ。権力の宗教だ。
Gー君は経済の本当の詩人だ。
Rーお望みならば、芸術の対象として、あらゆる時代の最大の革命として、天才たちが作り出した金融を描写するために詩が必要だ。
Gーそれは間違った見解だよ。マルクス、特にエンゲルスがいっている金融とは、資本主義の生産制度によって規定されるものだ。
Rー全くその通りだが、それは正反対なんだ。資本主義制度が金融によって規定されるのさ。エンゲルスが別の定義を与え、それを弁護することに努めているのは正しい。しかし、彼はそうすることによって金融がブルジョア生産を支配していることを立証しているのだ。金融こそ革命の最強の手段であり、コミンテルンは彼らの手の中にある玩具に過ぎない。これは過去もそうだったし、マルクスやエンゲルス以前でもそうであった。しかしマルクスもエンゲルスもこれを説明しなかった。というより反対に、自分の学者的才能をフルに利用し、革命のために、真実を糊塗したのだった。二人ともこれにしたがっている。
Gーそれは新しい話ではない。これで私は、トロッキーが前に書いたことを思い出した。
Rー話して欲しい。
Gーコミンテルンはニューヨーク取引所に比較すれば、保守的組織だと彼は言って、革命の発明家として、大銀行を指摘しているのだ。
Rーそう、彼はこのことを小冊子で書いている。その中で英国の没落を予言している。そう彼はこのことを述べた後、こう付言している。「英国を革命の道に押しやる者は誰か?」「モスクワではなくて、ニューヨークだ」と答えている。
Gーしかしニューヨーク金融家達が革命を起したとしても、彼らはこれを無意識にやったのだと彼は主張していることを、思い出して欲しい。
Rーなぜマルクスとエンゲルスが真実を隠していたか、君にわかって貰いたいために行った私の説明は、レフ・トロッキーに関しても同じことなのだ。
Gー私がトロツキーを評価するのは、昔からわかっていたが、彼が文学的形式で、かつて知った事実について、意見を述べたことに対してだけである。これらの銀行家は皆、「彼らの革命的使命を遂行してはいるが、抵抗もなく、かつ無意識のうちに行っている」と、トロツキー自身が全く正しく主張している。
Rーそしてトロツキーが、このことを公表した事実があるにも拘わらず、彼らは自分の使命を遂行していたとでも言うのか?これはすこぶる奇妙なことじゃないか。なぜ彼らは自分の行動を改めなかったのか?
Gー金融家たちが無意識的革命家だというのは、客観的にそう見えるのだ。それは彼らには終局的結果を見る知的能力がないという結果である。
Rー君は本当にそんなことを信じているのか? これらの天才たちの間に、無意識的に行動しているものがいると君は考えているのか? 今、全世界を支配している連中を、馬鹿だとでも思っているのか?だとすると、これは酷く馬鹿々々しい矛盾だ。
Gー彼らは客観的にも、主観的にも全く意識的な革命家だと、私は言っているだけだ。
Gー銀行家たちが?君は正に狂人だよ。
Rー否、私は……では君はどうか?一寸考えて見たまえ。この連中は、君や私と同じ人間だ。彼らは自分で金銭を作っているので、際限もなく金銭を自由にしている。しかしだからといって、われわれは彼らの持っている自己顕示欲の限度をこの位でよいと決めることはできない。自己顕示は、人間に完全な満足を与える唯一のものだ。そして、権力は人間の意志に満足感を与える。この銀行家たちが権力欲を何故持ってはならないだろうか?同じ欲望が、私にも、君にもあるじゃないか?
Gーしかし、彼らはすでに全世界を支配する権力を奪取していると、君は言っている。私もそう思う。だとしたら、この上彼らはそれ以外のどんな権力が必要だろう?
Rー私はもう君に言っている。完全な権力だ。スターリンの持っているのと同じ権力である。但し、それは全世界を支配する権力である。
Gースターリン的権力だが、反対の目的を持っているのかネ?
Rー権力は、もしそれが実際に絶対のものであるのなら、唯一つである。絶対という観念は複数を排除する。だからこそ、本質的に同次元のものであるコミンテルンと金融インターナショナルが志向する権力は、政治において絶対となり得ない。したがって今日まで共産主義国家以外に、全体主義的力を持つ別の組織が考案されなかったのである。資本主義的ブルジョア権力は、最高段階に立つものであっても、高々シーザーの権力、制限された権力である。何故なら理論的に見て、これは古代におけるファラオやシーザーの人格の神化であり、当時の原始時代の経済条件や技術的開発が不完全だったので、人々は常に若干の個人的自由を持っていた。ところが、すでに部分的ではあっても、国家や世界的国家を支配している連中は、世界的権力を要求する権利を持っているのだ。これはわかるか?彼らがまだ達成出来ない唯一のものが、これである。
Gーこれは興味あることだ。とうとう狂気の沙汰だ。
Rー勿論、狂気ではあるが、レーニンはスイスの屋根裏の部屋で、全世界に対する権力を夢見ていた。スターリンは流刑中シベリアの農家で同じことを夢見た。この程度の夢ならニューヨークの摩天楼に住んでいる金持ちのほうがもっと似つかわしいと思うよ。
Gー結論を出したまえ。《彼ら》とは誰なのだ?