落合莞爾の履歴考

 更新日/2018(平成30).3.15日

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 更新日/2018(平成30).3.15日 れんだいこ拝


落合莞爾(おちあい かんじ)】( 「ウィキペディア落合 莞爾」 )
 1941年和歌山市生まれ。経営コンサルタント、歴史評論家。
 和歌山県立桐蔭高等学校を経て東京大学法学部卒業後、住友軽金属を経て経済企画庁調査局へ出向、住宅経済と社会資本の分析に従事し、1968ー69年の『経済白書』の作成に携わる。その後、中途入社第1号として野村証券に入社、商法および証券取引法に精通し、日本初のM&Aを実現する。1978年に落合莞爾事務所を設立後は経営・投資コンサルタント、証券・金融評論家として活躍。 日本および世界の金融経済の裏のウラを熟知する人物として斯界では著名な存在である。ここ二十年来、孝明天皇直系の「京都皇統」から、日本史の 真相について数々の教示を受け、「落合秘史」シリーズとして出版。日本中に衝撃を与えている。 「落合秘史」として、日本史に関する独自の見解を発表し続けている。著書は多数発行されている。
  • 『成行庵日乗 孤憤篇』一色崇美著 東皋書院 1988.7
  • 『平成日本の幕末現象 破綻した米主日従体制 成行庵日乗・説難篇』東興書院 1989
  • 陶磁図鑑 1 (李朝陶磁精粋 その1 ・硯滴・水注)』一色崇美著 東興書院 1990.10
  • 『陶磁図鑑 2 (明代の官窯赤絵)』一色崇美著 東興書院 1991.3
  • 『陶磁図鑑 3 (元代と明初の染付・釉裏紅 : 付 宋代の瑠璃釉・紅釉磁器)』一色崇美著 東興書院 1991.7
  • 『陶磁図鑑 4 (李朝陶磁精粋 その2 李朝御窯(金沙里・分院)の白磁と染付)』一色崇美著 東興書院 1992.8
  • 『平成大暴落の真相 意図された中堅階層の崩壊 成行庵日乗・五蠧篇』東興書院 1992
  • 『ドキュメント真贋 : 大阪府岸和田市制施行七十周年記念「東洋の官窯陶磁器展」贋作騒動の真相』東興書院 1993
  • 『先物経済がわかれば「本当の経済」が見える』かんき出版 1996
  • 『天才画家「佐伯祐三」真贋事件の真実』時事通信社 1997
  • 乾隆帝の秘宝と『奉天古陶磁圖經』の研究 解説書版』第2版 紀州文化振興会 2011
  • 金融ワンワールド 地球経済の管理者たち』成甲書房 2012
  • 明治維新の極秘計画 堀川政略」と「ウラ天皇」』落合秘史1 成甲書房 2012
  • 国際ウラ天皇と数理系シャーマン 明治維新の立案実行者 落合秘史2』 成甲書房 2013
  • 南北朝こそ日本の機密 現皇室は南朝の末裔だ 落合秘史 特別篇』成甲書房 2013
  • 奇兵隊天皇と長州卒族の明治維新 大室寅之祐はなぜ田布施にいたのか 落合秘史 3』成甲書房 2014
  • 京都ウラ天皇と薩長新政府の暗闘 明治日本はこうして創られた 落合秘史 4』成甲書房 2014
  • 欧州王家となった南朝皇統 大塔宮海外政略の全貌 落合秘史 5』成甲書房 2014
  • 日本教の聖者・西郷隆盛と天皇制社会主義 版籍奉還から満鮮経略への道 落合秘史6』成甲書房 2015
 『天皇とワンワールド』
 『天皇と黄金ファンド 古代から現代に続く日本國體の根本』
 『ワンワールドと明治日本』
 『天孫皇統になりすましたユダヤ十支族』
 『「吉薗周蔵手記」が暴く日本の極秘事項 解読! 陸軍特務が遺した超一級史料 』
 『國體アヘンの正体 大日本帝国を陰から支えた「天与のクスリ」』
 『日本皇統が創めたハプスブルク大公家 國體ネットワークから血液型分類を授かった陸軍特務』(いずれも成甲書房)がある。

 共著・監修

  • 『教科書では学べない超経済学 波動理論で新世紀の扉を開く』藤原肇共著 太陽企画出版 1997
  • 『奉天古陶磁圖經 : 吉薗周蔵大正九年作成』吉薗周蔵原作,落合莞爾解説 紀州文化振興会 2010
  • 明治天皇"すり替え"説の真相 近代史最大の謎にして、最大の禁忌』斎藤充功共著 学研パブリッシング 2014
  • 『逆説の明治維新 10事件、20人物の「真実」を読み解く!!』監修 宝島社 別冊宝島 2015

 脚注

  1. ^ 『日本教の聖者・西郷隆盛と天皇制社会主義』著者紹介
  2. ^ 一色, 崇美, 1941- 国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス

 「薩摩西郷どんは仏か神か姿見せずに戦さする」。これは、西南戦争当時、主戦場となった宮崎の小林で流行った歌ですが、あなたは意味がわかりますか?この歌の「本当の意味」 を知った時、あなたは西郷隆盛が仕えし者の正体を知ることになります。西郷隆盛はな ぜ朝鮮にこだわったのか?征韓論の真相を徹底解明することで、大西郷の密命、機密戦 略、世界構想のすべてをあなただけにお教えします。「もう一人の明治天皇」を首領とす る勢力の世界構想に含まれていた○○学会の創設。○○学会にまつわる衝撃の事実を 知った時、あなたはきっと後悔することになるでしょう。中国共産党は前世紀の遺物?一体 どういうことなのか??他では知ることのできない習近平の壮絶な使命が明らかに。 西郷隆盛の密命は薩摩の密命。薩摩の秘史の解明は、フィリピン黄金伝説にまで発展 します。山下奉文、石原莞爾、辻政信、甘粕正彦、そして、マッカーサー。第二次大戦の大人 物達が世界の裏側で何をしていたのか。あなたの常識を完全に覆す衝撃の事実をお届けし ます。
 「神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世は日本人」と言えば、気が触れたかと思われるでしょう。 しかし、私は正気です。大西郷の密命、機密戦略、世界構想、そして、天皇の本当の歴史を 知った時、世界の歴史がひとつになります。想像を絶する感動をあなたへお届けいたします。もし、あなたが巷によくある陰謀論を予想されているなら、お門違いです。これから私は、西郷隆盛が「本当は悪い人物」であったということをお話するのではなく、西郷隆盛を「天皇の本当の歴史」にまで繋げる壮大な世界観をお届けしようというのですから。「壮大な世界観」と聞いて、「ファンタジーもの?」とお思いの方もいらっしゃるかもしれません。確かにそう思われても仕方ないでしょう。絶対に証拠が残ることがない最高機密を洞察することによってのみ、得られた世界の真実なのですから。洞察とはさほど難しいことではありません。本を読んだり、ニュースを見たりして、矛盾や疑問を感じたことに焦点をあて、じっくり考える。そのうえで、書かれていない、または報道されない真実を見透す。これだけが、洞察のプロセスです。例えば、西郷隆盛の写真はなぜ残されていないのか。明治の元勲は皆撮影していますし、大抵の人は自分が最も輝いている瞬間を残したがるものでしょう。あなたは考えたことがありますか?西郷隆盛だけではありません。同じ時代の写真嫌いがもう一人。そう、明治天皇です。日本を動かした二人の人物が、なぜ写真撮影を拒んだのか。不思議ではありませんか?私はその答えを用意しておりますが、ここでは明かすことはできません。その理由は他でもない、日本史上最高の機密だからです。何はともあれ、洞察とは「証拠が残されていない真実」を見透すことであり、世界の真実は洞察によってのみにしか得ることができません。

 史実は勝者が残すがゆえに歪曲され、西郷隆盛に至っては本当の顔さえも分からない。だからこそ、洞察が求められます。サイコロの1の目だけを見て、すべての目を見透すことが洞察。それでは、果たして西郷隆盛の真実を洞察した人物はこれまでにいたのか?結論から申し上げます。その人物はいます。歴史研究家、落合莞爾氏。

 孝明天皇直系の「京都皇統」からもたらされる「國體ワンワールド」の機密をもとに、あらゆる歴史の謎を見破ってきた人物です。「京都皇統」、「國體ワンワールド」。それでは、なぜ落合莞爾氏は西郷隆盛の真実を解明することができたのか。その答えは、「京都皇統」に通ずるある人物が落合莞爾氏に伝えた言葉にあります。「日本史は必ず天皇を書かねばならぬもので、天皇周辺の人物・事情をいくら書いても歴史とは云わぬ」。そう、天皇の本当の歴史です。天皇に触れずして、明治の元勲、維新の英傑、諸大名を調べ尽くしても栓なきこと。天皇の本当の歴史を解き明かした時、西郷隆盛が真に仕えし者の正体、密命、機密戦略、世界構想が手に取るように見えてきます。それができる人物はこの世にただ一人、落合莞爾氏です。


 2014.10.29日、「落合莞爾    これが日本最高度の秘密!」。
その戦略骨子としては、第一条として「孝明天皇が崩御を装い、皇位を南朝皇統の大室寅之祐に譲る」。イ ンターネットで席巻している情報のポイントは、孝明天皇が暗殺され、やがて明治天皇になった睦仁も暗殺されて、大室寅之祐にすり替えられたことと、大室寅之祐の出自が被差別部落であるということの2点ですから、これに対して落合莞爾が「さる筋」から使嗾されて考案した対処策「堀川政略」なるもののポイントもこの2点に合わせて考えられている。すなわち孝明天皇と睦仁親子は暗殺されていない、シャーマンの役割に専念するために裏天皇となって京都堀川御所に潜んだ、表の天皇の役割は南朝末裔である大室寅之祐に託したのであるというものです。そうして落合莞爾は大室寅之祐が南朝の末裔であるという根拠を次のよ うに述べている。
 「維新の志士たちが天皇候補を「玉」と呼んだ例からすれば、水戸藩の熊沢天皇、井伊班の三浦天皇、紀州藩の井口氏、仙台藩の小野寺氏、それに大和吉野郡黒淵の 「堀の皇門」などは、定めし「隠し玉」と思われます。そのような各地の南朝末裔の中で、現実に「堀川政略」に組み込まれたのが、毛利氏が周防国麻郷に保護 していた大室天皇です。護良親王系の光良親王の末裔で、旧は長尾氏が匿い、次いで大内氏が庇護した光良親王を、毛利氏が引き継いで大室天皇としたのです。 地家(じげ)氏に生まれた寅之祐が、母が再嫁した大室家の養子になり、長州藩の計らいで孝明天皇の皇太子睦仁親王と入れ替わり、いわゆる「替え玉」となっ たのです。地家氏の家紋は「○に桜」と聞きましたから、おそらく南朝方の武将名和氏の末裔かと思われ、南朝の男系が入った血統と見ても良いのです」。
 「ウ イ―ン会議により成立した欧州王室連合の世界戦略に対する対応策として、孝明天皇が崩御を装い、皇太子睦仁とともに、堀川通り本圀寺内の堀川御所に隠れ、 以後はシャーマンとして国家安泰を祈りながら、国際天皇となります。公的な皇室は、南朝血統の大室寅之祐が睦仁親王と交替し、明治天皇として即位します。 こうして、明治維新後の皇室は、表裏二元に分離し、表は東京皇室の明治天皇が大日本天皇として公式に臣民に君臨し、裏では京都皇統が密かに国際事項に対処 します。すなわち、外交面ではワンワールドの海洋勢力に与し、大陸・満州施策に対処するため、革命党の孫文、清朝皇室の愛新覚羅醇親王、満州の覇王張作霖 の三者を等距離においてロシアの南下に対応しました。また国際金融面では、J・P・モルガンと組んで中国の鉄道金融に参加し、ロスチャイルドに協力して金 本位制の創設に尽くしました」。
 「その骨子は皇室を表裏二面に分けることで、そのために孝明天皇が崩御を装い、皇太子睦仁親王と俱に堀川御所に隠れ、以後は世に隠れた京都皇統として、國体天 皇本来の機能である国家シャーマンとして国家安泰を祈ります。・・・京都皇統は維新後に、密かに欧州王室連合の慣行である王室間通婚に対応しています。そ の背景は、東京皇室が欧州王室間と通婚した場合には、皇国史観を強調したヤマトの国柄に重大な矛盾が生じる虞れから、京都皇統が国際天皇として王室間通婚 を担ったのではないかと推察します。京都皇室は後に国際金融にも対処することになりますが、これもウイーン体制の一部として成立したロスチャイルド金融王 国、及び同じく王室連合の金庫国として建てられた永世中立国スイスとの関係で生じたもので、やはり「堀川政略」の一環と観るべきものです。具体的には京都皇統の堀川辰吉郎が、 帝政ロシアの南下に対処するため、清朝皇室愛新覚羅家の実質当主の二代目醇親王、および革命党の頭領孫文、さらには満州(清国領東三省)の覇王張作霖の三 者を等距離におきながら、密かに満州問題に対処しました。これは、ユダヤ人の永久的居住地問題、すなわち後の所謂パレスチナ問題にも関係しています。国際 金融の分野では、在来の世界的金融家J・P・モルガンと組んで、清国の鉄道金融に参加し、また英国では、金融皇帝ロスチャイルド男爵による金本位制の創設 に協力しました。金本位制の計画と実施に当たっては、イングランド銀行が中心視されていますが、その裏には京都皇統を継いだ堀川辰吉郎の多大な支援があっ たのです。」。
 「天皇は、日本人の心にはいまだに封建制の残滓がたくさん残っており、それを根こそぎにするには、長い時間がかかるだろうと感じている。天皇は、日本人が全体 として自らの民主化に必要な教育に欠けており、また、真の宗教心にも欠けており、そのための一方の極端からもう一方への極端へと揺れやすいという、封建的 特徴のひとつは、すすんで従おうとする日本人の特質であり、日本人はアメリカ人のように自分で考える訓練を受けていないという。 

 天皇は神道を宗教とは考えていない。彼は、それは儀式に過ぎず、合衆国では過大評価されてきたと考えている。しかし、たいていの神道信者は超保守的で、彼ら および神道と超国家主義を同一視してきた復員兵ならびにその他の者は、しっかりと結びつく傾向をもっているので、依然として危険な面がある。政府は、信教の自由に関する命令の下にそれを厳守する立場にあり、いまは彼らを取り締まる手段を持っていないだけに、こうした状況は危険なのだ。神道を信じる分子とそ の同調者は反米的なので警戒を要すると、天皇は考えている」(「ホイットニー文書」)
 「天皇はキリスト教への改宗を求めてきた。天皇のキリスト教への改宗を許可することを幾分か考えたが、その実現にはかなりの検討を要する。」(米海軍長官ジェームズ・フォレスタルの1946年7月10日付日記より)
 以上は鬼塚英昭『天皇のロザリオ』に引用されていた歴史的史料。
 落合莞爾の 「 明治維新の極秘計画 ~ 堀川政略とウラ天皇 」、「南北朝こそ日本の機密」。鬼塚が孝明天皇暗殺説を展開したのに対して、落合は孝明天皇の崩御はフェイクで京都の堀川御所に隠れて、東京の天皇と役割分担をしたのだ、と唱えている。南北朝にまで遡って、シャーマンとしての天皇の存在意義を直視した論考としては注目に値する。落合は孝明天皇暗殺を世に知らしめた鹿島昇氏の説は拙劣粗雑であると断じ、本当は孝明天皇暗殺は偽装であるばかりか、偽装工作の張本人は孝明天皇その人と尹(いん)宮(中川宮:久邇宮朝彦親王)であると主張している。そして孝明天皇は息子:睦仁親王と共に堀川御所に移って「京都ウラ天皇」となり、その息子が堀川辰吉郎であると。政体天皇 (東京表天皇) と 國体天皇 (京都ウラ天皇) の双文制を執った理由として、政体帝都江戸を維持しなければならないことと、國体護持のために天皇は国家シャーマンとして富獄(富士山)を西(大峰山)から拝さねばならない、とする点は素晴らしい論拠である。ウラ天皇(國体天皇)をもって欧州王室連合=ワンワールドとの血縁関係と国際金融連合への加入を目論んだ(受け入れた)との主張。久邇宮(尹宮)と光格天皇にスポットを当てた点や、小栗上野介等による金銀レート操作や徳川埋蔵金に纏わる話などは目からウロコ。




(私論.私見)