孝明天皇系 |
(最新見直し2011.02.14日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、太田龍思想の日本史系の孝明天皇関連文を検証しておく。 「白金掲示板」(http://snsi-j.jp/boards/past.cgi?room=sirogane&mode=find&word=%BC%AF%C5%E7&cond=AND&view=30) 2011.02.14日 れんだいこ拝 |
明治二十年、柳原愛子が田布施に入ったとき、「地家作蔵」の位牌を持ち去った、との説がある。これが事実とすればそれは何を意味するのか。 平成十七年(二〇〇五年)十月二十九日(土)(第一千四百七十七回) ○明治天皇にスリ代えられた「大室寅之祐」の父親は、南朝系と伝えられる大室家の血統ではなくて、苗字もない海賊某の息子、のちに「『地家』家」の養子と成った作蔵。であった、と言う説については、当「時事寸評」(17.10.21)に紹介した。そして、或る説によれば、明治二十年、大正天皇の生母、柳原愛子の一行が田布施に入ったとき、「地家作蔵の位牌」を持ち去った、とのことである。 ○これが、事実であるとすれば、これは、地家作蔵が、大室(地家)寅之祐=明治天皇の実の父親である、ことを承知して居た人々による行動である、ことを証明するのではないか。つまり、そのことは、明治天皇にスリ代えられた「大室寅之祐」は、大室家の血統ではなくて、二代遡るとどこの誰かも分からなくなる、「作蔵」と言う人物の息子である、と言う。 ○この事実を、伊藤博文その他の長州藩忍者軍団も承知して居たのかどうか。それは分からない。更に、薩摩藩の西郷、大久保は、知って居たかどうか。更にまた、三條、岩倉などの、孝明天皇弑逆犯の一味が知って居たのかどうか。こうしたことも分からない。 ○故鹿島昇氏は、生前、この「地家」問題は、聞いて居られなかったようである。問題は、すべての事実、真実にフタをして、天照大神以来万世一系の皇統!!として、押し通して居る、この態度である。 ○これは、歴史でもなければ、神話でもなく、伝説でもない。これは、意図的な歴史の偽造であり、そしてその人工的偽造を隠蔽して、それを正統と称するその手口が問題である。 ○北朝の血統を全殺した足利義満とその息子貞成親王の行為。これは、長島銀蔵著「皇統正史」に、詳しく、述べられてある。これによって、北朝の血統が絶えたことは明確である。そのあとは、足利天皇である。更に六代将軍足利義教以降、南朝系の血統も根絶やしにせよ、との方針が実行されたために、南朝の皇統は、民間に入って、熊澤天皇、三浦天皇と成り、その系統は明治大正昭和まで生き延びた。大室天皇家は、幕末には完全に絶えたもののようである。 ○これは、今更どうでもよいことか。明治以降の天皇が、「万世一系」と公称して居なければ、それはあまり問題とすべきでもない、との見方も成り立つであろう。しかし、あくまでも神武天皇以来「万世一系」と、内外に公言するのであれば、真実の歴史を明らかにすることは、日本民族にとって、解決すべき不可欠の問題と成るのである。 (了) ●[注] ○必読参考文献 |
「皇統正史」の著者、長島銀蔵とはどんな人物だったのか。 平成十七年(二〇〇五年)十月二十五日(火)(第一千四百七十三回) ○当「時事寸評」前号(17.10.24)に、長島銀蔵著「皇統正史」を取り上げた。この「長島銀蔵」と言う人物について調べると、このひとは、明治三十四年(一九〇一年)~昭和五十九年(一九八四年)静岡県富士宮市に生まれ、横浜瓦斯科学工業社長など、多額納税者として、昭和二十一年五月から、二十二年五月まで一年間、貴族院議員。昭和二十五年、参議院全国区から当選、とある。昭和二十四年の長者番付では、「第二位、長島銀蔵、静岡、ペニシリン製造」と言う。長男が戦死。昭和二十二年十一月、日本遺族会理事長。 ○このひとが、どのようにして、南北朝問題を研究して、「皇統正史」を著述するように成ったのか。それは、このひとが、静岡県富士宮市の出身、と言うことに関係があるだろう。富士山麓には、「隠れ南朝」の史跡があり、加茂喜三と言うひとの、それについての著作がある。一応、この線で、理解して置こう。 ○長島銀蔵氏は、もっぱら、熊澤天皇家についての研究であって、愛知県豊川市、三浦天皇家とは接触が無いようである。南朝の一皇統が、今の福島県に移られたこと、そしてある時点で、足利幕府の南朝系を根絶やしにしようとする迫害政策のために、熊澤姓を名乗るに至った経緯が、前出「皇統正史」には詳述されて居る。 ○前出、長島著によれば、足利義満は、自己の息子を天皇にすると同時に、持明院統(北朝)の血統を全部殺害した、と成って居る。従って、この説によれば、足利義満とそのあとの時代に、北朝の血統は絶え、足利義満の血統が北朝と成った、と言うことに成る。応仁の乱の頃まで、南朝は健在であり、それから足利将軍六代義教が、南朝の血統を根絶せよ、との方針を打ち出した、と言う。しかし、南朝系の一部は、熊澤家、としてずっと続いた、と。これに対し、南朝三浦天皇家の方は、熊澤天皇家に比べると、細々とした感じである。 ○長州の大室天皇家については、その系図は現在に伝わって居ないのみならず幕末、大室弥兵衛の代で血統は断絶し、その二人の息子(虎吉、庄吉)は、実は、地家作蔵の息子である、との説があり、この説を取るとすれば、大室天皇家は、絶えて居る。 (了) |
長島銀蔵著「皇統正史」(昭和四十一年、自費出版)を発見する。 平成十七年(二〇〇五年)十月二十四日(月)(第一千四百七十二回) ○鹿島著「日本侵略興亡史」(絶版)の参考文献の中に、長島銀蔵著「皇統正史」、と言う著作が挙げられて居る。このほど、この本を見る機会を得た。これは、昭和四十一年十二月発行、非売品、とあり、静岡県清水市在住の著者、長島銀蔵の自費出版である。従って、市販はされて居らず、ごく小部数印刷され、著者の関係者に配布、贈呈されたもののようである。 ○長島銀蔵。このひとは、敗戦後、日本国憲法を可決した当時の貴族院議員、とある。更に、敗戦後、日本遺族連合会の初代会長(長男が大東亜戦争時、戦死)、と言う。このひとが、南北朝問題の研究の道に入るように成った経過は分らない。 ○この本の要点は、次の通り。 (1) 南朝の皇統は、現在の熊澤正照王(寛道王)まで続いて居り、 ○ここでの問題は、北朝が断絶して、そのあとは、足利系天皇である、と言うところであろう。明治天皇が、公式発表の如く、北朝孝明天皇の皇太子、と言うことであれば、当然、南朝正統論で行けば、明治天皇は、偽天皇である、と成るであろう。にも拘わらず明治天皇が、南朝正統論を裁決された、とは何を意味するのか。 ○長島銀蔵著は、孝明天皇父子弑逆問題も、長州大室天皇家大室寅之祐スリ変え明治天皇問題も、全く視野の外に置いてある。しかし、ここには、鹿島著にも引用されて居らず、各種の南朝史論にも述べられて居ない、基本的文献と事実が集大成されて居り、これは、改めて注目すべきものと判断する。 (了) |
「大室寅之祐」は本当に南朝の子孫か。新しく出現した説についての検証。 平成十七年(二〇〇五年)十月二十一日(金)(第一千四百六十九回) ○長州藩が、南朝光良親王の子孫大室氏の大室寅之祐を明治天皇にスリ替えた、と言う説は、故鹿島氏の三冊の著作に詳述されてあり、更に筆者の新著「長州の天皇征伐」(成甲書房、十月二十日刊)にも、記述し、論評した。 ○故鹿島氏は、大室寅之祐が南朝光良親王の血統である、と言う説は、その是非を問題とされることなく、それを「是」と前提として、論を立てられた。しかし、筆者は、その問題はずっと保留して来た。大室寅之祐の時代の大室家が、南朝から続いて居ると言う証明がない。しかるところ、最近某氏の次のような情報に接した。 ○即ち、曰く。 (1)大室寅之祐の父親は、大室弥兵衛(一八一三年六月十四日~一八七九年) (2)大室弥兵衛は、妻ハナとの間に子供が二人出来たが、二人とも早死した。 (3)地家作蔵と興正寺基子(スエコ、スヘ)の間に、長女ターケ、長男虎吉、次男庄吉、三男朝平と生まれた。 (4)作蔵とスヘは離婚。 (5)長男虎吉と次男庄吉をスヘが引き取り、長女ターケと三男朝平は作蔵が引き取る。 (6)スヘは、大室弥兵衛の二号と成り、 (7)地家虎吉は大室虎吉、地家庄吉は大室庄吉と成る。 (8)スヘは一八五五年死亡。 (9)大室弥兵衛の血統は断絶し、大室虎吉、大室庄吉は実は、地家作蔵の息子。 (10)大室虎吉がのちに、大室寅之祐=明治天皇と成る。 ○と言うのである。 ○なお、地家作蔵に引き取られた三男地家朝平の子孫は、山口県田布施町に現存して居る、と。 ○この説を「是」と仮定すると、どう言うことに成るか。大室弥兵衛以前については保留するとして、大室虎吉=大室寅之祐は、地家作蔵の血統である。つまり、南朝云々、とは関係がない。と言うことに成るであろう。 ○更に、「地家作蔵」。この人物は、苗字も無い海賊某の息子。そしてこの作蔵が、地家吉佐衛門の養子と成り、「地家」姓を賜る。との説である。この説については、今後、検証して行く。 (了) |
佐野健志論文「正論」(平成十七年十一月号)は、少々は意味のあることを述べては居るが、肝腎のところは素通りする。従ってその結論はまるで見当違い。見当が狂ってしまう。 平成十七年(二〇〇五年)十月二十日(木)(第一千四百六十八回) ○「正論」平成十七年十一月号。二百五十頁~二百六十一頁。 ○佐野健志「再生につながる滅び」の条件。この論文に、次のように述べられてある。 「欧米化を完全に成し遂げた日本人」とは「日本人でありながら欧米人と化した存在」でなければならないが、欧米人は日本人でない以上、彼らは「日本人でも欧米人でもない突然変異(ミュータント)」となろう。 そんな人間ばかりの国を、良くも悪くも「日本」と呼ぶことはできない。近代日本人のアイデンティティーの基盤とは、たんなる幻想にあらず、実は虚妄なのだ。これは日本と言う国自体も発展すればするほど、逆説的に「亡国」へと向うことにひとしい。(前出、二百五十一頁) ○ここでは、多少とも意味と実体のあることが述べられてある。しかし、この佐野健志というひとは、肝腎かなめのところを素通りにする。近代日本が、脱日本、西洋化の道を取った、と言う。しかしそれはいかにしてか。そしてその主導的勢力は何者か。もちろん、「近代日本」にとってのこの根本問題に触れることは、敗戦前も、占領中も、そして形式的独立回復以降も、日本に於て、もっとも厳重に禁忌(タブー)とされ続けて居る。 ○「天皇破壊史」(太田龍著、成甲書房)と、そして、新著「長州の天皇征伐」(太田龍著、成甲書房)、この二冊の著作は、イルミナティサタニスト世界権力と、その日本代理店によって日本民族に対して押し付けられて居るこの禁忌(タブー)から、日本民族を解放すべく書かれた。近代日本が、西洋化するとは何を意味するか。それは要するに、西洋帝国主義の尻馬に乗る、と言うことである。しかし、その「西洋帝国主義」とは何者か。W・G・カーの遺著「サタン―この世の主人」(一九九七年米国で出版)。その五十頁~六十一頁に、 「ルシファー主義者の教条」十五項目が記述されて居る。 ○その第十三項に曰く。 「ルシファー主義は、すべての人間は、可能な限りその最劣等な水準にまで退化させられるべきことを主張する。」(六十一頁)と。 ○まさに、このことが「西洋化」のその果てに、今、日本で生じつつある ところのものではないのか。 ○「西洋」の本体は、サタニズムである。サタニズムは人間をどうしようとするのか。全人類を、家畜人(ヒューマン・キャトル)にすること、そしてこの家畜人を更に、ロボット人間、そして更にはゾンビ人間へと、化すること。これが西洋のまぎれもない正体である。かくして日本は、あこがれの西洋化を成し遂げてそして得意満面、家畜人間、ロボット人間、ゾンビ人間に成り切って、世界人間牧場へと行進して行くのである。 (了) ●[注] SATAN PRINCE OF THIS WORLD. |
孝明天皇を弑逆した極悪国賊売国奴三條岩倉長州一味によって賊軍とされた、会津藩の名誉回復の重要性。 平成十七年(二〇〇五年)十月十七日(月)(第一千四百六十五回) ○早乙女貢著「会津士魂」(正続、計二十一巻、集英社文庫)。 ○この大河小説は、もとは、月刊「歴史読本」に、昭和四十三年(一九七一年)から三十年間(平成十三年=二〇〇一年)、連載されたと言う。 ○集英社文庫本(平成十年~十五年)には、巻末に解説と、「巻末エッセイ」が収録されて居る。この巻末エッセイ(二十一人)の中には、当然のことながら、会津及び福島県出身者が登場する。 ○ここでの記述によると、 ○そして、会津ではないけれど、福島県人としては、自民党の鯨岡兵輔(くじらおかひょうすけ:一九一五~二〇〇三年)。 ○「会津士魂」第十巻、巻末エッセイ、三百三十一頁に、鯨岡兵輔代議士(平成十一年四月当時)は、 「・・・・・・そして現在の政治の姿を見るとき、徳川幕府に代わり薩長の行った 藩閥政治の反民主的政治が、いまだに尾を引いていると見ないわけに行かない」と書いて居る。 ○鯨岡代議士の選挙区は、福島県内ではなくて、東京都の東部方面(旧東京十区) だったと記憶する。 ○たしかに、伊東正義代議士も、鯨岡代議士も、自民党ではあるけれども、会津の士魂を感じさせる政治家であったろう。 ○伊東正義代議士は、大平内閣の官房長官在任中、大平首相の急逝時、後継首相に推されたが、これは固辞された。このひとの事務所には、早乙女貢著「会津士魂」全十三巻がそろって居た、との記述がある。 ○しかし、今や、自民党を、アメリカ=イルミナティの利益をもっぱら追求して日本を破壊抹殺することを基本綱領とする売国奴政党に純化した「小泉革命」によって、このようなタイプの政治家は、自民党から完全に追放された。もはやそうした政治家には、自民党に居場所はないのである。 ○筆者は、ユダヤ(=イルミナティ)の日本侵略四百五十年を、五つの段階に区分した。即ち、 (1)ザビエルの侵襲(一五四九年)以後、徳川幕府による切支丹禁止と (2)ペリー米艦隊の侵襲(一八五三、四年)から西南戦争(一八七七年) (3)日露戦争終結(一九〇五、六年)から大東亜戦争敗戦と講和条約 (4)昭和四十七年=一九七二年、田中内閣登場から、竹下登による田中角栄 (5)平成十年=一九九八年、金融ビックバンに始まる、米国(イルミナティ) ○竹下登が米国(イルミナティ)の意向に迎合して田中角栄を排除する田中派のっとりクーデターを実行したとき、田中角栄にただ一人殉じた政治家が、西郷隆盛を尊敬する鹿児島出身の二階堂代議士であったことは意味深重であろう。 ○今や、絶対絶命の死地に立たされて居る日本民族は、歴史の根本的修正を必要とする。そしてその歴史修正のもっとも重大な領域は、十四代徳川将軍家茂の毒殺、孝明天皇弑逆が実行された慶應二年と、そしてその前後の、長州閥政権によって捏っち上げられた偽史の修正である。 (了) |
ペリー米艦隊に座乗したユダヤ教徒ラビが日本に対して発した邪咒。ユダヤ教徒ラビは日本に対していかなる邪咒を発したのか。それは日本民族の完全抹殺皆殺しではないのか。 平成十七年(二〇〇五年)十月十六日(日)(第一千四百六十四回) ○「友清歓真全集」(神道天行居発行、昭和四十三年十月)。 ○第四巻。戦争と古神道。百五十六頁~百六十七頁。「霊的国防の目標」、「『かみ』の概念」(昭和二十年一月八日記) ○ 「(米英ユダヤは)否、日本に対しては更に最も徹底的な、絶対抹殺を企図して居ることは既に天下周知の如く、米英、とくにアメリカの要人によって幾度となく口走られ、アメリカの新聞によって念の入り過ぎた論議となって近ごろは却って聊か棚さらしになりかけて居るほど、世界的常識となって居るのである」(百五十七頁) ○ 「アメリカが我が日本国を侵略者せんとして居る意図は少なくとも幕末以来百年後の今日まで一貫せるものであることを・・・・・・」(百五十七頁) ○ 「・・・・・・アメリカの艦船がやって来たときには、その乗組員等は猶太(ユダヤ)法師(ラビ)の指揮によって、わが国土に向って盛んにマガカジリ(邪咒)を熱唱した。そのことは彼等の日記によって既に明らかなにされたところである。彼等の真の目的は通商強要と言う位のことでなく、思想侵略、霊的侵略にあったので、それがやがていろいろの形をとって喰い入って来た」(百六十頁) ○ 「今日押し寄せてくる米英の陸海空軍の中には猶太(ユダヤ)」系統の宣教師まがいのものがことさらに編入してあって、随所にマガカジリをやって居る由であるが・・・・・・幕末の葛藤以来アメリカは日本を軽蔑し切って居るのである」(百六十六頁) ○ 「ペルリが来るよりも数年前に米艦が浦賀へやって来た。これにも、猶太(ユダヤ)法師(ラビ)が霊的侵攻を目的として乗り込んで居た。それは弘化三年だから此の昭和二十年はまさにその百年目にあたる」(百六十一頁) ○米英ユダヤは、日本に対して、日本の絶対抹殺を企図して居る、と言う。これはまさしくその通りである。前出、昭和四十三年、天行居出版の友清全集第四巻には、「闢神霧」(へきしんむ)が、収録されてある。これは、友清歓真が、大正十三年六月十八日に記した一種の宣言文の如きもので、大正十三年八月九日に発行された。これは、天行居=友清歓真による、米国(ユダヤ)に対する霊的宣戦布告文である、という。 ○「今日では彼等(米英ユダヤ)の最大なる敵は実は我が日本帝国である」(二百五十三頁)と。ペリー米艦隊に、ユダヤ教のラビが乗り込んで居たこと、そしてこのユダヤ教ラビは、日本に対してマガカジリ(邪呪)を発した、と言う。この事実を、日本民族に対して警告した人物及び文章は、筆者の知る限り友清歓真のこの一文以外に、存在ない。今、改めて我々日本人は、ここに提出されて居る慄然たる事実を直視しなければならない。 (了) |
資本主義も共産主義もイルミナティのコマの一つ過ぎない、そのことを認識しない限り、「日本の亡国=日本の死」は必然である。 平成十七年(二〇〇五年)十一月二十日(日)(第一千四百九十九回) ○イルミナティサタニスト世界権力は、何故、なんのために、二十世紀を通じてロシア、中国を共産化し、そして、まずロシアに次に中国共産政権に、西洋式近代工業システムを建設するための、至りつくせりの援助を傾注して来たのか。この問題そのものをはっきりと認識し、そして次に、それを正しく解決しない限り、日本は、必然的に亡国の道をたどり、そして、全き死滅に至る他ない。 ○藤原肇氏の最近の著作(小泉純一郎とは日本の病理)は、今の日本は死に体である、今の日本はゾンビである、このままでは、死に体から、完全な死体へと移行すると言う。平野貞夫氏も、「亡国」、と言う著作を出版された。これは、日本が米国によって亡国化されつつあることを警告する。 ○こうした論者の説は、現象論としては間違っては居ない。しかし、この現象論の次元ではすぐに話は行き止まりと成る。現在の日本亡国の状況は、昭和二十年八月十五日敗戦から、まっすぐに導きだされる。この敗戦前後の、日本の国家指導層の精神状況を知るためには、三田村武夫著「大東亜戦争とスターリンの謀略」。この本が参考になるであろう。前出著作の二十八頁以下に三田村武夫氏曰く。昭和十八年四月、近衛邸で、近衛公に意見を述べた。昭和二十年二月十四日、近衛公が昭和天皇に提出した上奏文の中で、 共産主義の危険に言及して居るが、これは、三田村武夫の意見を入れたものと見られると。昭和天皇がこの三田村=近衛の意見に大きく影響されて居ることは明らかである。 ○更に、共産党から右翼に転向した「田中清玄」が、敗戦占領後に、昭和天皇に、共産主義の危険について、詳細に説明したことについては、良く知られて居る。かくして、昭和天皇を中心とする日本の国家の頂点は、敗戦後、米国資本主義=日本天皇制=日本の国体=日本国家の味方。ソ連中共共産主義=日本天皇制の廃止を企図する、日本天皇=日本の国体=日本国家の敵。従って、日本天皇としては、米国にソ連中共共産陣営から日本を守ってもらうこと、それが、すべてに優先する至上命題である。として、国策の基本を立てた。と成るであろう。 ○ここに、既に、致命的な情勢認識の誤謬がある。この時点で、今日の如き、日本亡国=日本民族滅亡の国策が決定されたのである。米国=資本主義も、ソ連=共産主義も、イルミナティサタニスト世界権力のコマの一つ、に過ぎない。日本民族=日本国家が、この情勢判断を採用しない限り、日本民族の死は、もはや、不可避である。 (了) ●[注] ○前出のテーマについて、必読の根本文献は、 (1)「国際秘密力の研究」(国際政経学会、昭和十一~十五年、全六巻) (2)「月刊猶太研究」(国際政経学会、昭和十六~十九年、全三十六冊) (3)渡部悌治著「ユダヤは日本に何をしたか(攘夷の流れ)」(成甲書房) |
「慶應二年七月十五日、皇太子時代の明治天皇が長州へ御微行」と言う奇々怪々な史実。 平成十七年(二〇〇五年)十一月二十四日(木)(第一千五百三回) ○大正時代、井上正雄氏がまる十年の時間をかけて完成出版した「大阪府全志」(全五巻、六千余頁)。 ○第三巻。豊川村。ここに郡山本陣あり。ここの御本陣、梶家の伝によれば、 「慶應二年七月十五日明治天皇が皇太子でいらせられた時、長州へ御微行の御道すがら、芥川本陣に御宿泊あらせられんとしたが、山崎に合戦があったので俄かにここを立ち退いて郡山本陣に御移りあり、翌日駕籠で御出発あらせられたが、吉川監物以下三十名抜刀にて又坊主頭八名が薙刀(なぎなた)を携えて御守護申し上げたという。当時御下賜になった菊御紋章付の夏夜具は今に同家の宝物として残って居る。」とある。 ○これは、実に奇妙な説である。「明治天皇が皇太子・・・・・・」云々とある、この「皇太子」とは、もちろん、孝明天皇の皇太子睦仁親王でなければならない。 ○「慶應二年七月十五日」とは、徳川十四代将軍家茂が大阪城で暗殺された七月二十日の直前である。そしてこの年の十二月二十五日には、孝明天皇が弑逆されて居る。 ○当時、孝明天皇は、長州とはきわめて険悪な関係にあった。丁度その頃に、皇太子睦仁親王が、長州に、秘密のうちに旅行するなど、まったく辻褄が合わない。そんなことはあり得ない。しかし、「長州の大室寅之祐」と解釈すればこの伝説は、意味深重と成るであろう。 ○なお、前出、井上正雄氏が、明治末年から大正八年にかけて調査した、その時点では、郡山御本陣の梶家は現存し、そして江戸時代の宿帳がそっくり保存されて居た、とある。この宿帳が、今現在どう成って居るかは分からない。しかし、前出、六千余頁全五巻の「大阪府全志」は、大阪の一部図書館には今も収蔵されてあるだろう。 ○この種の歴史記録は、極悪国賊長州閥一味の権力とその手先をつとめる御用学者によって、ことごとく抹殺される。この件は、重要な歴史記録として、ここに提起して置く。 (了) 【参考】http://seibundo-pb.co.jp/mybooks/ISBN4-7924-0277-8.html ■大阪府全志 全7冊(含索引) 井上正雄著 資料収集以来13年の歳月をかけ大正11年刊行された本書は、大阪府全域をその対象とし、各郡市町村の成り立ち、各町・各村など小区域ごとの支配関係や区画の変遷、社寺仏閣・名所旧跡の由来を網羅、地誌類の文献としての価値は非常に高いものである。 〈巻之一〉大阪府管地の分合/大阪府制度の変遷1264頁 ISBN4-7924-0277-8 A5判 上製本 揃本体12,500円
大正11年刊行され、昭和50年、60年の二回にわたり復刻出版された名著『大阪府全志』は分量・内容とも膨大で初版刊行当時から索引の必要性が望まれてきた。これを受けて、地名と事項からなる索引を刊行し研究者の長年の夢の実現となった。見出し項目は地名・人名・寺社名・歴史的事項など広汎におよび、特に地名については現在の行政区画と容易に連関するよう配慮し、付録として「難読地名一覧」を付した。本篇とともにご利用されたい。 ISBN4-7924-0276-X A5判 上製本 索引のみは本体8000円 全七冊本体83,000円 |
西洋の超克こそ日本民族の使命である。 平成十七年(二〇〇五年)十一月二十三日(水)(第一千五百二回) ○「・・・・・・昭和二十一年以後はその形式と名目さえも失ってしまったアメリカ、ユダヤの傀儡である日本資本主義政府の儀礼的一機関に過ぎない天皇と言う名の『国民統合の象徴』はもはや天津日嗣(あまつひつぎ)ではない。」(小笠原孝次著『世界維新への進発』、百八十六頁、昭和五十年) ○この文章は、三十年前に出版されたものであるが、「日本資本主義政府=アメリカ、ユダヤの傀儡」 そして、天皇はこのアメリカ=ユダヤの傀儡としての日本資本主義政府の儀礼的一機関、と言う定義は、今でも通用する。 ○しかし、小笠原孝次(明治三十六年~昭和五十七年?)と言う神道家の発言が、生前、日本のいわゆる神道界、神社界から完全に黙殺されたごとく、今日でも一般日本人は、敗戦後の日本政府がアメリカ、ユダヤの傀儡である事実を見ようとしない。 ○敗戦後の天皇は、アメリカ、ユダヤの傀儡でもない。その傀儡たる日本資本主義政府の儀礼的一機関に過ぎない、と。(小笠原孝次) ○山本七平氏は、明治以降の日本人の欠陥の根本原因を、公的システムがすべて輸入品であった、と言うところに求める。この指摘は正しく、きわめて深刻な問題を提出して居る、この件については更に後日検討したい。 ○しかし、あいにく、山本七平氏は、明治以降の日本西洋からの輸入品の最たるものとしてのキリスト教のきわめて熱心な信者である。従って、このひとの追求、探求は、根本的には、西洋からの輸入を是とする前提に立って居る。その輸入品を「非」とすることはあり得ない。あるいは、ユダヤ、キリスト教、西洋文明を非とすることはあり得ない。それ故このひとの議論は常に、堂々めぐりと成る。 ○今の日本の亡国的状況の根本原因は、日本人が、西洋を批判し、否定し、超克し切れない、そこに存在する。しかし、西洋を超克するためには、日本人は、西洋の正体を白日の下にさらけ出さなければならない。西洋とは要するに何者なのか。それが、まず、明らかにされねばならないのである。 (了) |
故鹿島氏の二冊の古典的著作(孝明天皇弑逆前後)が品切れ絶版。いかにして同氏の不滅の業績を継承発展させるべきか。 平成十七年(二〇〇五年)十一月十三日(日)(第一千四百九十二回) ○孝明天皇弑逆と、大室寅之祐スリ替え明治天皇説に鹿島氏の古典的著作三冊。これは最初の「日本侵略興亡史」が早くに絶版。 ○鹿島氏最晩年の二冊(『明治維新の生贄』『裏切られた三人の天皇』)は、平成十三年同氏逝去のあと、若干の在庫が東京都内の一部書店で市販されて居たところ、最近これも売り切れ絶版と成り、残念ながら、三冊とも絶版である。しかし、この貴重な著作がこのまま消えてしまっては大いに困る。ここでは、後学の我々がどのように同氏の業績を継承発展させるべきか、その核心点を記述したい。 ○鹿島説の最大の問題点は、「明治維新は挫折した、又は裏切られた南朝革命である」と言う命題の是非である。しかし、この説は、のちに明治天皇とされた大室寅之祐が、南朝の血統である、と言う前提の上に成立する。その前提が否定されれば、この説は消滅する。 ○鹿島氏が平成十三年に死去されてから、この件について、新しい重要証言者が出現した。それは、地家家の血統 地家康雅氏である。この証言の要旨は次の通り。 (1)山口県熊毛郡田布施町麻郷の大室家が南朝の血統であると言う伝説はたしかに存在する。 (2)しかし、問題の大室寅之祐の「大室家」は西暦一八〇〇年頃に始まる。 (3)大室寅之祐の父親大室弥兵衛の実子は早死にして居り、血統は絶えて居る。 (4)地家作蔵と結婚したスヘに四人の子供あり、その一人が寅吉、この地家寅吉がのちの大室寅之祐と成る。 (5)スヘは、地家作蔵と離婚したのち、寅吉、庄吉と二人の息子を連れて、大室弥兵衛の二号と成る(弥兵衛には本妻あり)。 (6)地家作蔵は、スヘとの間の二人子供を引き取り、その子孫が現存する。 ○従って、大室寅吉(寅之祐)は、地家作蔵の息子であって、大室家の血統ではない。 ○この説を取るとすれば [?] → [地家作蔵] → [(大室寅之祐)明治天皇]と成るわけである。つまり、大室寅之祐=明治天皇は、南朝の血統とは全くの無縁である、と言う。鹿島氏の著作には、「地家」家の話が出て来ない。これは、もちろん重大な見落としであり、欠落である。これでは、そもそも「明治維新=南朝革命説」が成り立たない。寅吉(寅之祐)が母スヘに連れられて大室家に入ったのは、五、六歳の頃、とある。この人物(のちの『明治天皇』)が、そのときの事情を、正確に認識して居たかどうかは分らない。故鹿島氏の業績を評価する上で、ここのところは核心であろう。 (了) |
三田村武夫著「大東亜戦争とスターリンの謀略」昭和二十五年(GHQにより発禁) 昭和六十二年 平成十七年 平成十七年(二〇〇五年)十一月十一日(金)(第一千四百九十回) ○この本の内容については、最近、色々なところで紹介されているので、ここでは説明を省略する。本書は、昭和二十五年(一九五〇年)に刊行されたと言うが、一九四八年(昭和二十三年)、アメリカに於る「アルジャー・ヒス事件」についての報道が引用されて居る。 ○著者 三田村武夫(明治32年~昭和39年[1899~1964])は、このアルジャー・ヒス事件は、日本の尾崎・ゾルゲ事件とそっくりである(五十五頁)、と言う。ここのところに、三田村武夫と言うひとの本質的限界と欠陥が露呈して居る。実際には、アルジャー・ヒス事件と、尾崎・ゾルゲ事件は全く異質であり、別のものである。しかし、そのことが、このひとには見えない。 ○一九九六年以降、米国政府諜報機関は、第二次世界大戦中とそのあと、米軍諜報部がソ連の米国人スパイあて暗号を解読した、VENONA作戦の記録を公開した。このVENONA作戦については、最近、少なくとも三冊の著作が米国で出版された。 ○これらの著作の中でもっとも重大な記述は、 ○一九四四年初頭、エレノア・ルーズベルト大統領夫人が、米軍諜報機関責任者を呼びつけて、米軍によるソ連の秘密暗号解読作戦を中止するよう要求した、と言う箇所であろう。これは驚くべき事実である。これは、些些たるエピソードではあり得ない。しかし、三田村武夫氏の水準では、この事実は、理解不能である。F・D・ルーズベルト大統領は、米国の最高権力者である、と言う公式説明は、見えすいたペテンである。F・D・ルーズベルトの上に、バーナード・バルーク(ユダヤ)と言うコントローラー(管理者)が存在する。 ○バーナード・バルーク(ユダヤ)とは何者なのか。クシマン・カニンガム著「秘密の帝国」(未邦訳)第二巻、九十六頁に曰く。アメリカ独立革命当時、アメリカ国内に、ユダヤ人は、ゼロに近かった。一八三〇年、米国内のユダヤ人は一万人。五百人に一人。一八八〇年には、二十五万人のユダヤ人。二百人に一人。一九一七年には、三百万のユダヤ人。一九四九年に、五~七百万人と。ヘンリー・H・クラインによれば、ユダヤ人五百万人と言う公称は、意図的過小評価である、一九四六年の時点では約一千万人、と見る。ゼロから一千万人へ。これはなんとなく増えたと言うことはあり得ない。これはイルミナティによる入念な米国占領作戦の結果である。 ○F・D・ルーズベルト自身も、調べて行くと、オランダ系ユダヤ人である。資本主義と共産主義は、ユダヤイルミナティの世界征服戦争のための両建て作戦である、と言う、ほんの少しでも見る眼のある人間にとってのこの自明の事実が、三田村武夫と言うひとには全く見えない。 ○そう言うわけで、前出の著作は、(1)単なるゴミ、ガラクタか、(2)又は場合によっては、人々を迷宮に誘導して、イルミナティサタニスト世界権力の存在に決して日本人が気付かないようにするための謀略に利用され得る危険な書物か、そのいずれか、と見なければならない。 (了) ●参考文献 渡部悌次著 |
石原慎太郎が今頃になって関岡著を発見すると言う奇妙なお話し。 平成十七年(二〇〇五年)十一月七日(月)(第一千四百八十六回) ○産経新聞平成十七年十一月七日号。その一面に石原慎太郎の一文あり。これを読むと、最近、或るひとにすすめられて関岡英之著「拒否できない日本」を読み、米国の内政干渉に、石原慎太郎がしきりに憤慨して居る。この一文を呼んで、なんとなく、「トッポイ」、と言う日本語を連想した。新明解国語辞典を引くと、「トッポイ」には二つの意味あり、即ち、(1)抜け目がない。(2)間抜け、これではまったく正反対の意味をひとつのことばが表現することになるが、苗代清太郎国学によれば、太古からの純粋日本語、やまとことばは、原則として、正反二つの意味を有する、とされて居る。従って、「トッポイ」と言うことばは、本当のやまとことばの中に含まれるのかも知れない。つまり、抜け目がない、はしっこい、ようでありながら、間が抜けて居る、そんな人間のこと。これは、石原慎太郎と言う人物の本質的特徴を、ズバリと突いて居ることばであろう。 ○石原慎太郎は自分の息子二人が小泉自民党に公認されて九月十一日のあの衆議院総選挙に出た。と言うことで、結局、小泉の郵政民営化に賛成、と公言した。今さら総選挙が終って二ヵ月近くもあとに成って、関岡著を持ち出すのは、あとの祭り、証文の出し遅れ、と言うよりは、ほんとにトッポイひとだなあ、と言わざるを得ない。 ○三島由紀夫は「トッポイ」とは言えない。このひとは、西洋かぶれから出発して、晩年、次第に日本的なるもの、日本の伝統に傾倒しようとした。この彼が見出したものは、天行居の友清歓真(ともきよ よしさね)である。このことは殆んど知られて居ない。更に、三島は、熊本神風連を発見した。そしてそれから、二.二六決起部隊である。しかし、ちょっとこれでは迷宮入りに終る他ない。 ○もう一つ、三島は、沼正三と「家畜人ヤプー」を熱読した。これも、行き止まりである。結局、三島には、西郷南洲が全く見えないのである。石原慎太郎は、三島のように、迷路には入り込まないように用心する抜け目のなさは持って居る、ように見えるけれども、長い目で観察するとこのひとは、ひどく、間抜けなところがある。日本を占領し、日本民族を皆殺しにせんとする米国(イルミナティサタニスト世界権力)から見れば、このひとは日本ナショナリストもどきのオモチャの兵隊、程度に見られて居るのである。 (了) |
利口ぶった阿呆、石原慎太郎東京都知事のワシントンDCでの講演の恥さらし。 平成十七年(二〇〇五年)十一月五日(土)(第一千四百八十四回) ○十一月四日の夕刊各紙によれば、訪米中の石原慎太郎東京都知事は、十一月三日、米国は、中国と戦争した場合、米国は中国に負ける、米国が中国に勝てる わけがない、と講演したと言う。そして、米国は、経済的な封じ込めて中国に対峙すべき、と。石原慎太郎都知事は、米国人の前でそんな理屈を述べ立てて、いっぱしの戦略家気取りで居るかも知れない。しかし、この演説はこのひとの頭の程度が、精々、幼稚園レベルに過ぎないことをさらけ出した。 ○ゴードン・トーマスの「Seeds of Fire: China And The Story Behind The Attack On America 」(『火種』、November 15, 2001 )。この本は、多分、石原慎太郎と言うひとの視野には入って居ないであろう。この本は、中共中国とイスラエルの、殆んど表面には現れない緊密な協力関係を明らかにして居る。しかしそれだけでない。二〇〇一年九月十一日の例の事件の、丁度そのとき、タリバンを支援するための中国軍機がアフガニスタンに着陸した、と記してある。米国ではなく、その上、その奥のイルミナティサタニスト世界権力が、今、中共中国を、米国にとって代る次の超大国に仕立てるべく、行動中である。一体それは何を意味するのか。それは、NWOニューワールドオーダーと言う名の世界人間牧場=単一世界政府樹立に向けての、最終局面への布石である。 ○米国在住ユダヤ人、ヘンリー・H・クラインの「ユダヤ人が曝露したユダヤの世界陰謀」(一九四六年)は、まさしく、今、日本民族有志にとって、必読の文献と成った。一九四六年の時点で、米国内ユダヤ人の人口は、公称五百万人、とされるが、実際はその頃、約一千万人、とH・クラインは見る。しかし、この一千万人の在米ユダヤ人の中で、シオニズムの意味を知るものは、一パーセント以下、と言う。そのあと五十年以上を過ぎて、ユダヤ人口は、もっと増えて居るであろう。多少なりともシオニスト的と言い得るユダヤ人の現在の比率は分らない。 ○イスラエルと中共中国の緊密な関係の出発点は、四十年も前のことである。即ち、中共中国の最初の原子爆弾の実験を、ひそかにイスラエルが支持した、その時点に遡るのである。もちろんこれは、イスラエル政府の一存ではあり得ない。それは、イルミナティサタニスト世界権力の布石の一つとして理解されなければならない。にも拘わらず日本人=日本民族の中共中国観は、敗戦後六十年、ますます劣化し、ますます幼稚化し、白痴化して行く。石原慎太郎と言う、利口ぶった、単なる阿呆の、今回のワシントンDCでのもったいぶった講演は、全世界にその「ざま」を曝露したのである。 (了) ●[注]参考文献ヘンリー・H・クライン |
小泉のゾンビ政治を批判する藤原肇氏新著、その致命的欠陥。 平成十七年(二〇〇五年)十一月二日(水)(第一千四百八十一回) ○藤原肇著 ○この本は、ヨコ書、英語まじり、この本の題名、日本語の表記(小泉純一郎と日本の病理)は、全く本書の内容からズレて居り、「小泉のゾンビ政治」、と言う英語の表記の方が、内容に近い。しかし、本書で言わんとする要点は、日本はゾンビである、日本は死に体である、そして日本は完全な死体になりつつある、と言うこと。○そして、小泉政権の本質は死に体としての日本を、よりすみやかに、より確実に、全き死、に至るべく、その過程の促進を任務とすること、だと言う。 ○しかし、こんな言い方では、身も蓋もない。これだけをズバリと言っても本は売れない、と言ったところで、色々と手を加えられたのであろう。このような見方は、一応、当って居る。それはその通り。○しかし、これは皮相な現象論に過ぎない。孝明天皇弑逆後の日本は、まるごと、そっくり、西洋=イルミナティサタニスト世界権力によって、実験動物用の檻の中に 監禁された、実験用のネズミの群れ、以外の何者でもない。 ○この状況に抵抗する日本人は、西洋=イルミナティサタニスト世界権力の手先、工作員と化した極悪売国奴国賊長州藩閥権力によって、片っ端から切り殺され、圧殺され、排除された。最後の組織的抵抗が、もちろん、明治十年の薩軍=西郷軍の西南戦争である。現時点は、西洋=イルミナティサタニスト世界権力とその手先、売国奴日本人による日本抹殺戦争の、その最終局面である。 ○日本民族は、十四代将軍徳川家茂が暗殺された慶應二年七月、慶應二年十二月二十五日孝明天皇弑逆事件の時点から、やり直ししなければならない。それ以外に、日本民族が再生する道はなんにもない。その見地から見ると、前出、藤原肇著にはおよそ、よって立つべき確たる基盤がなんにもないのである。 (了) |
「大室寅之祐」は本当に南朝の子孫か。新しく出現した説についての検証。 平成十七年(二〇〇五年)十月二十一日(金)(第一千四百六十九回) ○長州藩が、南朝光良親王の子孫大室氏の大室寅之祐を明治天皇にスリ替えた、と言う説は、故鹿島曻氏の三冊の著作に詳述されてあり、更に筆者の新著「長州の天皇征伐」(成甲書房、十月二十日刊)にも、記述し、論評した。故鹿島曻氏は、大室寅之祐が南朝光良親王の血統である、と言う説は、その是非を問題とされることなく、それを「是」と前提として、論を立てられた。しかし、筆者は、その問題はずっと保留して来た。 ○大室寅之祐の時代の大室家が、南朝から続いて居ると言う証明がない。しかるところ、最近某氏の次のような情報に接した。即ち、曰く。 (1)大室寅之祐の父親は、大室弥兵衛(一八一三年六月十四日~一八七九年) (2)大室弥兵衛は、妻ハナとの間に子供が二人出来たが、二人とも早死した。 (3)地家作蔵と興正寺基子(スエコ、スヘ)の間に、長女ターケ、長男虎吉、次男庄吉、三男朝平と生まれた。 (4)作蔵とスヘは離婚。 (5)長男虎吉と次男庄吉をスヘが引き取り、長女ターケと三男朝平は作蔵が引き取る。 (6)スヘは、大室弥兵衛の二号と成り、 (7)地家虎吉は大室虎吉、地家庄吉は大室庄吉と成る。 (8)スヘは一八五五年死亡。 (9)大室弥兵衛の血統は断絶し、大室虎吉、大室庄吉は実は、地家作蔵の息子。 (10)大室虎吉がのちに、大室寅之祐=明治天皇と成る。 ○と言うのである。なお、地家作蔵に引き取られた三男地家朝平の子孫は、山口県田布施町に現存して居る、と。 ○この説を「是」と仮定すると、どう言うことに成るか。大室弥兵衛以前については保留するとして、大室虎吉=大室寅之祐は、地家作蔵の血統である。つまり、南朝云々、とは関係がない。と言うことに成るであろう。更に、「地家作蔵」。この人物は、苗字も無い海賊某の息子。そしてこの作蔵が、地家吉佐衛門の養子と成り、「地家」姓を賜る。との説である。この説については、今後、検証して行く。 (了) |
佐野健志論文「正論」(平成十七年十一月号)は、少々は意味のあることを述べては居るが、肝腎のところは素通りする。従ってその結論はまるで見当違い。見当が狂ってしまう。 平成十七年(二〇〇五年)十月二十日(木)(第一千四百六十八回) ○「正論」平成十七年十一月号。二百五十頁~二百六十一頁。佐野健志「再生につながる滅び」の条件。この論文に、次のように述べられてある。「欧米化を完全に成し遂げた日本人」とは「日本人でありながら欧米人と化した存在」でなければならないが、欧米人は日本人でない以上、彼らは「日本人でも欧米人でもない突然変異(ミュータント)」となろう。 そんな人間ばかりの国を、良くも悪くも「日本」と呼ぶことはできない。近代日本人のアイデンティティーの基盤とは、たんなる幻想にあらず、実は虚妄なのだ。これは日本と言う国自体も発展すればするほど、逆説的に「亡国」へと向うことにひとしい。(前出、二百五十一頁) ○ここでは、多少とも意味と実体のあることが述べられてある。しかし、この佐野健志というひとは、肝腎かなめのところを素通りにする。近代日本が、脱日本、西洋化の道を取った、と言う。しかしそれはいかにしてか。そしてその主導的勢力は何者か。もちろん、「近代日本」にとってのこの根本問題に触れることは、敗戦前も、占領中も、そして形式的独立回復以降も、日本に於て、もっとも厳重に禁忌(タブー)とされ続けて居る。 ○「天皇破壊史」(太田龍著、成甲書房)と、そして、新著「長州の天皇征伐」(太田龍著、成甲書房)、この二冊の著作は、イルミナティサタニスト世界権力と、その日本代理店によって日本民族に対して押し付けられて居るこの禁忌(タブー)から、日本民族を解放すべく書かれた。近代日本が、西洋化するとは何を意味するか。それは要するに、西洋帝国主義の尻馬に乗る、と言うことである。しかし、その「西洋帝国主義」とは何者か。○W・G・カーの遺著「サタン―この世の主人」(一九九七年米国で出版)。その五十頁~六十一頁に、「ルシファー主義者の教条」十五項目が記述されて居る。その第十三項に曰く。 「ルシファー主義は、すべての人間は、可能な限りその最劣等な水準にまで退化させられるべきことを主張する。」(六十一頁)と。まさに、このことが「西洋化」のその果てに、今、日本で生じつつあるところのものではないのか。 ○「西洋」の本体は、サタニズムである。サタニズムは人間をどうしようとするのか。全人類を、家畜人(ヒューマン・キャトル)にすること、そしてこの家畜人を更に、ロボット人間、そして更にはゾンビ人間へと、化すること。これが西洋のまぎれもない正体である。かくして日本は、あこがれの西洋化を成し遂げてそして得意満面、家畜人間、ロボット人間、ゾンビ人間に成り切って、世界人間牧場へと行進して行くのである。 (了) ●[注] SATAN PRINCE OF THIS WORLD. |
沖縄普天間基地問題で米国の要求を日本側が二つ返事で受け入れないと、米政府曰く、「おい、これは宣戦布告のつもりか」、と日本政府に対して言ったと。 平成十七年(二〇〇五年)十月十九日(水)(第一千四百六十七回) ○讀賣新聞、平成十七年十月十九日夕刊、二頁。ここに、「酸素不足」の日米関係、と言う記事がある。沖縄の普天間基地代替施設について、日本側が、米国の要求を二つ返事でOKしないことに、米国はイラ立って居る。米国側の難色を示す案が日本の新聞に報道されると、米国政府関係者は、日本の外務省に対して、「おい、これは宣戦布告のつもりか」、と言った。更に米国は、日本が米国産牛肉の輸入再開要求をすぐに、受け入れないことについても、イラ立ちを強めて居ると。 ○つまり、現在の日本の力関係は、米国側のすべての要求を、日本は即座にOKすべきであって、拒否はおろか、先延ばしすら許されない。先延ばしすることは、日本の米国に対する宣戦布告と見なす。と言った段階に来て居るのである。 ○米国の狂牛病問題。これは、米国政府と政界 官僚 財界 マスコミ 業界 学界などが、一致団結して、隠蔽し続けて居る。○しかし、アルツハイマー病と称される病気の中に、狂牛病の牛肉を食べたことによるヤコブ病が含まれて居る、との有力説があり、更に近年、アルツハイマー病による死者が、米国で激増中であるが、この増加分は、狂牛病=ヤコブ病による死者ではないか、とも言われて居る。 ○米国政府は、日本人が、この件について、あれこれ言うことは断じて許さない!!と言う権幕である。米国は、日本人が米国の牛肉をどっさり食べて狂牛病でおとなしく死んで行くことを、日本人に対して命令するのである。この命令に従うのか?オレさまの言うことが聞けないのか?お前たち日本は、オレさま=米国に宣戦布告するすもりか?!と言うのである。 ○我々は、今、改めて、友清歓真(ともきよ よしさね)の、「幕末の葛藤以来アメリカは日本を軽蔑し切って居るのである」(昭和二十年一月八日)、と言う言を、想起する必要がある。この友清のことばは、「当時事寸評(十月十六日)」に引用した。この友清の言は、全く正しい。つまり、そのときからずっと、米国は、日本を見下して居る。その「見下し」にも、程度があるだろう。ここでは、米国は日本を非常に低く見て居る。ここのところが、核心問題である。 ○大東亜戦争末期、米軍が、昭和二十年十一月、九州上陸作戦。昭和二十一年春、南関東(神奈川県、千葉県)上陸と東京占領作戦。この二つの大作戦を準備したことはよく知られて居る。しかし、この時点では米国はそんなにたくさんの原子爆弾は作れて居ない。精々、数個、か。米軍は、膨大な量の毒ガス弾を日本に対して使用する予定であった、のみならず、大量の枯葉剤を日本の稲作地帯に投下して、米の収穫を壊滅させ、何千万人かの日本人を餓死に追い込むつもりであった。とも報道されて居る。要するに米国は本心では、日本人など、人間とは思って居ないのである。 (了) |
キャノン社から日本経団連会長、の声。そのことの意味は。 平成十七年(二〇〇五年)十月十八日(火)(第一千四百六十六回) ○最近の新聞報道によれば、次期経団連会長候補は、キャノン社出身者、と言う。キャノン社の首脳は、伝えられるところによれば、一九七三年発足した日米欧三極委員会の日本側陣営の中枢的存在、と言う。日米欧三極委員会は、或る意味では、秘密結社である。もちろん、その存在は、表面に浮上して居る。しかし、目に見える部分は、氷山の一角にもならないほど微々たるものでしかない。その活動は完全に非公開であり、秘密にされて居る。従って日本国民は、この日米欧三極委員会についてなにも知らない。伝えられるところによれば、一九七三年、第一回総会が開かれる前の年、一九七二年に米国のロックフェラー邸において、極秘のうちに、その結成準備の会議が召集されたと言う。そして、この極秘のロックフェラー邸での準備会に招待された日本人若干名の中に、宮沢喜一、が含まれて居たと言う。周知の如く、この一九七二年は、日本に於て、田中角栄の政権が発足した、きわめて重要な年である。 ○日本を事実上占領し続けて居る米国(イルミナティ)の意向は、佐藤政権の後継は、「福田赴夫」であって、田中角栄は「好ましからざる人物」であったろう。佐藤首相もまた明確に後継は、福田、と指名して居た、と記憶して居る。しかし、田中角栄は自民党内多数派工作を成功させて、自民党総裁、日本政府首相の地位を得た。これは米国(イルミナティ)によっては、日本が米国(イルミナティ)の占領体制から脱出せんとするきわめて危険な兆候、として認識されたであろう。このあたりのことについては、筆者は、「ユダヤ世界帝国の日本侵攻戦略」(日本文芸社、絶版)の中で詳しく述べた。 ○かくして、ただちに、米国(イルミナティ)は行動に出た。その第一の布石が、ロックフェラーによる日米欧三極委員会の組織化である。ロックフェラーは、フリッツ・スプリングマイヤーが説いたように、イルミナティ十三血流の中核である。欧米については既に、一九五四年に、ビルダーバーグクラブが結成されて居る。改めて日米欧三極委員会を作る理由は、日本対策以外にあり得ない。 ○日米欧三極委員会について公表されて居る事項は、(1)年次総会の場所と日時。(2)会員名簿。のみである。日本側の会員は、七、八十名。そしてここには、(1)財界人。(2)政治家。(3)学者。(4)マスコミ人。(5)その他。が含まれる。 ○現在の如き日本亡国、日本総崩れの状況は、一九七二年以降の、ロックフェラー=ブレジンスキーを中核とする日米欧三極委員会を通してのイルミナティ秘密工作のその「見事な」成果である、と見なければならない。今や、長年に亘る日米欧三極委員会の日本側の中枢にあり続けたキャノン社から日本財界そのものの経団連の会長が出る、と言うこの情報。これは、実に多くのことを物語って居るのである。 (了) |
孝明天皇を弑逆した極悪国賊売国奴三條岩倉長州一味によって賊軍とされた、会津藩の名誉回復の重要性。 平成十七年(二〇〇五年)十月十七日(月)(第一千四百六十五回) ○早乙女貢著「会津士魂」(正続、計二十一巻、集英社文庫)。この大河小説は、もとは、月刊「歴史読本」に、昭和四十三年(一九七一年)から三十年間(平成十三年=二〇〇一年)、連載されたと言う。集英社文庫本(平成十年~十五年)には、巻末に解説と、「巻末エッセイ」が収録されて居る。この巻末エッセイ(二十一人)の中には、当然のことながら、会津及び福島県出身者が登場する。 ○ここでの記述によると、敗戦後現在までの会津の出身の政治家の代表的人物は、自民党の故伊東正義(一九一三~一九九四年)。そして、会津ではないけれど、福島県人としては、自民党の鯨岡兵輔(くじらおかひょうすけ:一九一五~二〇〇三年)。「会津士魂」第十巻、巻末エッセイ、三百三十一頁に、鯨岡兵輔代議士(平成十一年四月当時)は、「・・・・・・そして現在の政治の姿を見るとき、徳川幕府に代わり薩長の行った藩閥政治の反民主的政治が、いまだに尾を引いていると見ないわけに行かない」と書いて居る。鯨岡代議士の選挙区は、福島県内ではなくて、東京都の東部方面(旧東京十区)だったと記憶する。たしかに、伊東正義代議士も、鯨岡代議士も、自民党ではあるけれども、会津の士魂を感じさせる政治家であったろう。伊東正義代議士は、大平内閣の官房長官在任中、大平首相の急逝時、後継首相に推されたが、これは固辞された。このひとの事務所には、早乙女貢著「会津士魂」全十三巻がそろって居た、との記述がある。 ○しかし、今や、自民党を、アメリカ=イルミナティの利益をもっぱら追求して日本を破壊抹殺することを基本綱領とする売国奴政党に純化した「小泉革命」によって、このようなタイプの政治家は、自民党から完全に追放された。もはやそうした政治家には、自民党に居場所はないのである。 ○筆者は、ユダヤ(=イルミナティ)の日本侵略四百五十年を、五つの段階に区分した。即ち、 (1)ザビエルの侵襲(一五四九年)以後、徳川幕府による切支丹禁止と鎖国までの、約八十年間。 (2)ペリー米艦隊の侵襲(一八五三、四年)から西南戦争(一八七七年)前後までの約二十五年。 (3)日露戦争終結(一九〇五、六年)から大東亜戦争敗戦と講和条約(一九五二年)の四十七年間。 (4)昭和四十七年=一九七二年、田中内閣登場から、竹下登による田中角栄追放、そして田中角栄が病気で倒れる(昭和六十年=一九八五年)までの十三年間。 (5)平成十年=一九九八年、金融ビックバンに始まる、米国(イルミナティ)の日本民族=日本国家完全抹殺を目的とする四百五十年の対日侵略戦争の最終段階。 ○竹下登が米国(イルミナティ)の意向に迎合して田中角栄を排除する田中派のっとりクーデターを実行したとき、田中角栄にただ一人殉じた政治家が、西郷隆盛を尊敬する鹿児島出身の二階堂代議士であったことは意味深重であろう。今や、絶対絶命の死地に立たされて居る日本民族は、歴史の根本的修正を必要とする。そしてその歴史修正のもっとも重大な領域は、十四代徳川将軍家茂の毒殺、孝明天皇弑逆が実行された慶應二年と、そしてその前後の、長州閥政権によって捏っち上げられた偽史の修正である。 (了) |
ペリー米艦隊に座乗したユダヤ教徒ラビが日本に対して発した邪咒。ユダヤ教徒ラビは日本に対していかなる邪咒を発したのか。それは日本民族の完全抹殺皆殺しではないのか。 平成十七年(二〇〇五年)十月十六日(日)(第一千四百六十四回) ○「友清歓真全集」(神道天行居発行、昭和四十三年十月)。第四巻。戦争と古神道。百五十六頁~百六十七頁。「霊的国防の目標」、「『かみ』の概念」(昭和二十年一月八日記) ○ 「(米英ユダヤは)否、日本に対しては更に最も徹底的な、絶対抹殺を企図して居ることは既に天下周知の如く、米英、とくにアメリカの要人によって幾度となく口走られ、アメリカの新聞によって念の入り過ぎた論議となって近ごろは却って聊か棚さらしになりかけて居るほど、世界的常識となって居るのである」(百五十七頁) ○ 「アメリカが我が日本国を侵略者せんとして居る意図は少なくとも幕末以来百年後の今日まで一貫せるものであることを・・・・・・」(百五十七頁) ○ 「・・・・・・アメリカの艦船がやって来たときには、その乗組員等は猶太(ユダヤ)法師(ラビ)の指揮によって、わが国土に向って盛んにマガカジリ(邪咒)を熱唱した。そのことは彼等の日記によって既に明らかなにされたところである。彼等の真の目的は通商強要と言う位のことでなく、思想侵略、霊的侵略にあったので、それがやがていろいろの形をとって喰い入って来た」(百六十頁) ○ 「今日押し寄せてくる米英の陸海空軍の中には猶太(ユダヤ)」系統の宣教師まがいのものがことさらに編入してあって、随所にマガカジリをやって居る由であるが・・・・・・幕末の葛藤以来アメリカは日本を軽蔑し切って居るのである」(百六十六頁) ○ 「ペルリが来るよりも数年前に米艦が浦賀へやって来た。これにも、猶太(ユダヤ)法師(ラビ)が霊的侵攻を目的として乗り込んで居た。それは弘化三年だから此の昭和二十年はまさにその百年目にあたる」(百六十一頁) ○米英ユダヤは、日本に対して、日本の絶対抹殺を企図して居る、と言う。これはまさしくその通りである。前出、昭和四十三年、天行居出版の友清全集第四巻には、「闢神霧」(へきしんむ)が、収録されてある。これは、友清歓真が、大正十三年六月十八日に記した一種の宣言文の如きもので、大正十三年八月九日に発行された。これは、天行居=友清歓真による、米国(ユダヤ)に対する霊的宣戦布告文である、という。「今日では彼等(米英ユダヤ)の最大なる敵は実は我が日本帝国である」(二百五十三頁)と。 ○ペリー米艦隊に、ユダヤ教のラビが乗り込んで居たこと、そしてこのユダヤ教ラビは、日本に対してマガカジリ(邪呪)を発した、と言う。この事実を、日本民族に対して警告した人物及び文章は、筆者の知る限り友清歓真のこの一文以外に、存在ない。今、改めて我々日本人は、ここに提出されて居る慄然たる事実を直視しなければならない。 (了) |
「皇統正史」の著者、長島銀蔵とはどんな人物だったのか。 平成十七年(二〇〇五年)十月二十五日(火)(第一千四百七十三回) ○当「時事寸評」前号(17.10.24)に、長島銀蔵著「皇統正史」を取り上げた。この「長島銀蔵」と言う人物について調べると、このひとは、明治三十四年(一九〇一年)~昭和五十九年(一九八四年)、静岡県富士宮市に生まれ、横浜瓦斯科学工業社長など、多額納税者として、昭和二十一年五月から、二十二年五月まで一年間、貴族院議員。昭和二十五年、参議院全国区から当選、とある。昭和二十四年の長者番付では、「第二位、長島銀蔵、静岡、ペニシリン製造」と言う。長男が戦死。昭和二十二年十一月、日本遺族会理事長。 ○このひとが、どのようにして、南北朝問題を研究して、「皇統正史」を著述するように成ったのか。それは、このひとが、静岡県富士宮市の出身、と言うことに関係があるだろう。富士山麓には、「隠れ南朝」の史跡があり、加茂喜三と言うひとの、それについての著作がある。一応、この線で、理解して置こう。 ○長島銀蔵氏は、もっぱら、熊澤天皇家についての研究であって、愛知県豊川市、三浦天皇家とは接触が無いようである。南朝の一皇統が、今の福島県に移られたこと、そしてある時点で、足利幕府の南朝系を根絶やしにしようとする迫害政策のために、熊澤姓を名乗るに至った経緯が、前出「皇統正史」には詳述されて居る。 ○前出、長島著によれば、足利義満は、自己の息子を天皇にすると同時に、持明院統(北朝)の血統を全部殺害した、と成って居る。従って、この説によれば、足利義満とそのあとの時代に、北朝の血統は絶え、足利義満の血統が北朝と成った、と言うことに成る。応仁の乱の頃まで、南朝は健在であり、それから足利将軍六代義教が、南朝の血統を根絶せよ、との方針を打ち出した、と言う。しかし、南朝系の一部は、熊澤家、としてずっと続いた、と。これに対し、南朝三浦天皇家の方は、熊澤天皇家に比べると、細々とした感じである。 ○長州の大室天皇家については、その系図は現在に伝わって居ないのみならず、幕末、大室弥兵衛の代で血統は断絶し、その二人の息子(虎吉、庄吉)は、実は、地家作蔵の息子である、との説があり、この説を取るとすれば、大室天皇家は、絶えて居る。大室寅之祐=明治天皇。この人物は、実は、地家作蔵の息子。して見ると「熊澤天皇家」の方が、まだしも、実在の天皇の血筋である、との見方も成り立つであろう。 (了) |
長島銀蔵著「皇統正史」(昭和四十一年、自費出版)を発見する。 平成十七年(二〇〇五年)十月二十四日(月)(第一千四百七十二回) ○鹿島曻著「日本侵略興亡史」(絶版)の参考文献の中に、長島銀蔵著「皇統正史」、と言う著作が挙げられて居る。このほど、この本を見る機会を得た。これは、昭和四十一年十二月発行、非売品、とあり、静岡県清水市在住の著者、長島銀蔵の自費出版である。従って、市販はされて居らず、ごく小部数印刷され、著者の関係者に配布、贈呈されたもののようである。 ○長島銀蔵。このひとは、敗戦後、日本国憲法を可決した当時の貴族院議員、とある。更に、敗戦後、日本遺族連合会の初代会長(長男が大東亜戦争時、戦死)、と言う。このひとが、南北朝問題の研究の道に入るように成った経過は分らない。この本の要点は、次の通り。 (1) 南朝の皇統は、現在の熊澤正照王(寛道王)まで続いて居り、 ○ここでの問題は、北朝が断絶して、そのあとは、足利系天皇である、と言うところであろう。 ○明治天皇が、公式発表の如く、北朝孝明天皇の皇太子、と言うことであれば、当然、南朝正統論で行けば、明治天皇は、偽天皇である、と成るであろう。にも拘わらず明治天皇が、南朝正統論を裁決された、とは何を意味するのか。長島銀蔵著は、孝明天皇父子弑逆問題も、長州大室天皇家大室寅之祐スリ変え明治天皇問題も、全く視野の外に置いてある。しかし、ここには、鹿島著にも引用されて居らず、各種の南朝史論にも述べられて居ない、基本的文献と事実が集大成されて居り、これは、改めて注目すべきものと判断する。 (了) |
この六十年間、日本のマスコミ界が完全に、日本民族皆殺しを目的とする米(イルミナティ)占領軍の宣伝煽動機関として機能し続けて居る、この状況とその真の背景。 平成十七年(二〇〇五年)十月三十日(日)(第一千四百七十八回) ○現代(敗戦占領以降)の日本にとっての根本問題は、日本の「マスコミ界」が、完全に、完璧に、三百パーセント、米国(イルミナティサタニスト世界権力)の占領軍の教育宣伝煽動洗脳飼育調教機関、として、この六十年間、継続して居る、と言う事実である。しかし、それは何故か。昭和二十七年四月二十八日、日本は「独立」を回復した筈ではなかったのか。そう、まさしくそこのところに、問題は集中して居る、 ○そこのところとは、サンフランシスコで行われた講和会議、そしてその講和会議で決定された、講和条約、及び日米安保条約、そして行政協定。その内容、そしてその交渉過程。○ここに、問題が凝縮して居るのである。 ○その時(一九五一~二年)から、五十三、四年の時間が経過して居る。その当事者は、すべてこの世を去り、傍観者としてそれを見て居た日本人も、それを忘れてしまって居る。つまりこれは歴史の問題、歴史学の問題、歴史家の領域に入りつつある。日本にとって講和条約交渉の主たる相手方は当時の米国政府である。つまりトルーマン米民主党政権である。米占領軍指令官マッカーサー元帥は、既に、一九五一年春(四月)、トルーマンによって解任されて居る。 ○トルーマン大統領は、対日講和条約交渉官として共和党系のJ・F・ダレスを任命した。しかし、今では殆どの日本人は、その事実すら忘れて居る。そして、何故ダレスなのか、そのJ・F・ダレスとは何者なのか。そのことすら分らなくなって居る。 ○豊下楢彦(関西学院大学教授)著「安保条約の成立‐‐吉田外交と天皇外交」(岩波新書、一九九六年)。これは必読の良書である。その要点は、 (1)対米講和条約交渉に於て、吉田外交と天皇外交と二つの系統、二つの路線が存在した。 (2)昭和天皇は、吉田茂首相の頭越しに、吉田には秘密に、従って全日本国民にも秘密のうちに、ダレスと直接取り引きをして、講和後も米軍の日本駐留を認める現在のようなかたちの講和条約、日米安保条約、行政協定の締結へと、主導権を行使した。 (3)吉田首相は、昭和天皇の路線に屈服した(従った)、 と言うのである。 ○この経過は、豊下教授(昭和二十年生まれ)の、公開された当時の公文書などの研究によって、白日の下にさらけ出された。「(昭和)天皇の側にとって生き残る道は、占領権力への全面協力以外になかったことは言うまでもない。」(前出、百五十二頁) かくして、米(イルミナティ)占領軍の日本占領政策への全面的協力者となった昭和天皇は、米(イルミナティ)占領軍にとって、全力を挙げて、日本国民の批判から守るべき、彼ら自身のアセット(資産)と成ったわけである。このようにして、日本国民は、米(イルミナティ)占領軍によって、天皇への自由な批判を厳禁されることと成って今日に至るのである。かくして、天皇を頂点とする日本の体制はそっくりまるごと、米(イルミナティ)占領軍の従順な道具、として、この六十年間機能し続けて居ることを、日本民族有志は、知らなければならない。 (了) |
明治二十年、柳原愛子が田布施に入ったとき、「地家作蔵」の位牌を持ち去った、との説がある。これが事実とすればそれは何を意味するのか。 平成十七年(二〇〇五年)十月二十九日(土)(第一千四百七十七回) ○明治天皇にスリ代えられた「大室寅之祐」の父親は、南朝系と伝えられる大室家の血統ではなくて、苗字もない海賊某の息子、のちに「『地家』家」の養子と成った作蔵。であった、と言う説については、当「時事寸評」(17.10.21)に紹介した。そして、或る説によれば、明治二十年、大正天皇の生母、柳原愛子の一行が田布施に入ったとき、「地家作蔵の位牌」を持ち去った、とのことである。 ○これが、事実であるとすれば、これは、地家作蔵が、大室(地家)寅之祐=明治天皇の実の父親である、ことを承知して居た人々による行動である、ことを証明するのではないか。つまり、そのことは、明治天皇にスリ代えられた「大室寅之祐」は、大室家の血統ではなくて、二代遡るとどこの誰かも分からなくなる、「作蔵」と言う人物の息子である、と言う。 ○この事実を、伊藤博文その他の長州藩忍者軍団も承知して居たのかどうか。それは分からない。更に、薩摩藩の西郷、大久保は、知って居たかどうか。更にまた、三條、岩倉などの、孝明天皇弑逆犯の一味が知って居たのかどうか。こうしたことも分からない。 ○故鹿島昇氏は、生前、この「地家」問題は、聞いて居られなかったようである。問題は、すべての事実、真実にフタをして、天照大神以来万世一系の皇統!!として、押し通して居る、この態度である。 ○これは、歴史でもなければ、神話でもなく、伝説でもない。これは、意図的な歴史の偽造であり、そしてその人工的偽造を隠蔽して、それを正統と称するその手口が問題である。 ○北朝の血統を全殺した足利義満とその息子貞成親王の行為。これは、長島銀蔵著「皇統正史」に、詳しく、述べられてある。これによって、北朝の血統が絶えたことは明確である。そのあとは、足利天皇である。更に六代将軍足利義教以降、南朝系の血統も根絶やしにせよ、との方針が実行されたために、南朝の皇統は、民間に入って、熊澤天皇、三浦天皇と成り、その系統は明治大正昭和まで生き延びた。大室天皇家は、幕末には完全に絶えたもののようである。 ○これは、今更どうでもよいことか。明治以降の天皇が、「万世一系」と公称して居なければ、それはあまり問題とすべきでもない、との見方も成り立つであろう。しかし、あくまでも神武天皇以来「万世一系」と、内外に公言するのであれば、真実の歴史を明らかにすることは、日本民族にとって、解決すべき不可欠の問題と成るのである。 (了) ●[注] ○必読参考文献 |
伊藤博文がメンター(指導教師)としたビスマルクは、実はロスチャイルドのコマに過ぎなかったと言う、苦い真実。 平成十七年(二〇〇五年)十一月十七日(木)(第一千四百九十六回) ○クシュマン・カニンガムは、「秘密の帝国」の中で、ドイツを統一していわゆる「第二帝国」を作ったビスマルクは、ロスチャイルドによって育成された、と述べて居る。ちなみに、「第三帝国」は、ナチスドイツの自称した名称である。ヒットラーは、ナチスの第三帝国は一千年続く、と公言したが、実際は十二年間。そして、ビスマルクの「第二帝国」の寿命は、四十八年間。つまり、ビスマルクは、ロスチャイルドの手の平の上で踊らされたに過ぎないと、成る。 ○このことは、日本と、どう関係するか。伊藤博文が日本の憲法制定の準備のために、ビスマルクのドイツ帝政をモデルとして決定したことは、良く知られて居る。しかし、伊藤は、ビスマルクも、そしてドイツ第二帝国も、ロスチャイルドによって操られて居ることを知らない。伊藤は、幕末、グラバーの手先と成ることによって、日本の権力者の地位につけられたのであるが、にも拘わらず、伊藤は、グラバーが、ロスチャイルドの手下であることに気付いて居ない。つまり、伊藤、そして孝明天皇を弑逆してニセ日本を捏っち上げた売国奴一味は、イルミナティサタニスト世界権力の設定した、実験動物用の檻の中に収監された、実験用のネズミの群れに過ぎない。 ○東京新聞、平成十七年十一月十五日。ここに、自民党から追われた、亀井静香氏のインタビューあり。「日本の国民がアホなんでしょ」、と言う。しかし、日本国民のアホさは、別に小泉政権時代に始まったことではない。イルミナティサタニスト世界権力に踊らされた長州の国賊一味が、孝明天皇と新睦仁天皇を弑逆して、大室寅之祐を天皇にスリかえた、この一大ペテン芝居に、日本民族が、百四十年に亘って、ポカンと、アホのように、拍手を送って居る、そこに今日の日本人のアホさが由来する。 ○しかし、この成り行きは何故なのか。それは、日本民族が、今日に至るまで、超太古の昔に遡る西洋の本体、西洋の正体、西洋の奥の院を見抜くことが出来ないで居る、この欠陥のためである、そのことに気付かなければならないのである。 (了) |
西洋の超克こそ日本民族の使命である。 平成十七年(二〇〇五年)十一月二十三日(水)(第一千五百二回) ○「・・・・・・昭和二十一年以後はその形式と名目さえも失ってしまったアメリカ、ユダヤの傀儡である日本資本主義政府の儀礼的一機関に過ぎない天皇と言う名の『国民統合の象徴』はもはや天津日嗣(あまつひつぎ)ではない」(小笠原孝次著『世界維新への進発』、百八十六頁、昭和五十年)。 ○この文章は、三十年前に出版されたものであるが、「日本資本主義政府=アメリカ、ユダヤの傀儡」 そして、天皇はこのアメリカ=ユダヤの傀儡としての日本資本主義政府の儀礼的一機関、と言う定義は、今でも通用する。しかし、小笠原孝次(明治三十六年~昭和五十七年?)と言う神道家の発言が、生前、日本のいわゆる神道界、神社界から完全に黙殺されたごとく、今日でも一般日本人は、敗戦後の日本政府がアメリカ、ユダヤの傀儡である事実を見ようとしない。 ○敗戦後の天皇は、アメリカ、ユダヤの傀儡でもない。その傀儡たる日本資本主義政府の儀礼的一機関に過ぎない、と。(小笠原孝次) 今の日本の状況に於て、山本七平著「日本はなぜ敗れるのか-敗因21ヵ条」(一九七五年。二〇〇四年=角川書店)。この本を読むことは有益であろう。この著書は、大東亜戦争後、フィリピンで米軍の捕虜と成った軍属、小松貞一氏の米軍収容所で書いた「虜人日記」についての論評である。山本七平氏は、明治以降の日本人の欠陥の根本原因を、公的システムがすべて輸入品であった、と言うところに求める。この指摘は正しく、きわめて深刻な問題を提出して居る、この件については更に後日検討したい。 ○しかし、あいにく、山本七平氏は、明治以降の日本西洋からの輸入品の最たるものとしてのキリスト教のきわめて熱心な信者である。従って、このひとの追求、探求は、根本的には、西洋からの輸入を是とする前提に立って居る。その輸入品を「非」とすることはあり得ない。あるいは、ユダヤ、キリスト教、西洋文明を非とすることはあり得ない。それ故このひとの議論は常に、堂々めぐりと成る。今の日本の亡国的状況の根本原因は、日本人が、西洋を批判し、否定し、超克し切れない、そこに存在する。しかし、西洋を超克するためには、日本人は、西洋の正体を白日の下にさらけ出さなければならない。西洋とは要するに何者なのか。それが、まず、明らかにされねばならないのである。 (了) |
「慶應二年七月十五日、皇太子時代の明治天皇が長州へ御微行」と言う奇々怪々な史実。 平成十七年(二〇〇五年)十一月二十四日(木)(第一千五百三回) ○大正時代、井上正雄氏がまる十年の時間をかけて完成出版した「大阪府全志」(全五巻、六千余頁)。 ○第三巻。豊川村。ここに郡山本陣あり。ここの御本陣、梶家の伝によれば、「慶應二年七月十五日明治天皇が皇太子でいらせられた時、長州へ御微行の御道すがら、芥川本陣に御宿泊あらせられんとしたが、山崎に合戦があったので俄かにここを立ち退いて郡山本陣に御移りあり、翌日駕籠で御出発あらせられたが、吉川監物以下三十名抜刀にて又坊主頭八名が薙刀(なぎなた)を携えて御守護申し上げたという。当時御下賜になった菊御紋章付の夏夜具は今に同家の宝物として残って居る。」とある。 ○これは、実に奇妙な説である。「明治天皇が皇太子・・・・・・」云々とある、この「皇太子」とは、もちろん、孝明天皇の皇太子睦仁親王でなければならない。 ○「慶應二年七月十五日」とは、徳川十四代将軍家茂が大阪城で暗殺された七月二十日の直前である。そしてこの年の十二月二十五日には、孝明天皇が弑逆されて居る。当時、孝明天皇は、長州とはきわめて険悪な関係にあった。丁度その頃に、皇太子睦仁親王が、長州に、秘密のうちに旅行するなど、まったく辻褄が合わない。そんなことはあり得ない。しかし、「長州の大室寅之祐」と解釈すればこの伝説は、意味深重と成るであろう。 ○なお、前出、井上正雄氏が、明治末年から大正八年にかけて調査した、その時点では、郡山御本陣の梶家は現存し、そして江戸時代の宿帳がそっくり保存されて居た、とある。この宿帳が、今現在どう成って居るかは分からない。しかし、前出、六千余頁全五巻の「大阪府全志」は、大阪の一部図書館には今も収蔵されてあるだろう。この種の歴史記録は、極悪国賊長州閥一味の権力とその手先をつとめる御用学者によって、ことごとく抹殺される。この件は、重要な歴史記録として、ここに提起して置く。 (了) 【参考】http://seibundo-pb.co.jp/mybooks/ISBN4-7924-0277-8.html ■大阪府全志 全7冊(含索引) 井上正雄著 資料収集以来13年の歳月をかけ大正11年刊行された本書は、大阪府全域をその対象とし、各郡市町村の成り立ち、各町・各村など小区域ごとの支配関係や区画の変遷、社寺仏閣・名所旧跡の由来を網羅、地誌類の文献としての価値は非常に高いものである。 〈巻之一〉大阪府管地の分合/大阪府制度の変遷1264頁 ISBN4-7924-0277-8 A5判 上製本 揃本体12,500円
大正11年刊行され、昭和50年、60年の二回にわたり復刻出版された名著『大阪府全志』は分量・内容とも膨大で初版刊行当時から索引の必要性が望まれてきた。これを受けて、地名と事項からなる索引を刊行し研究者の長年の夢の実現となった。見出し項目は地名・人名・寺社名・歴史的事項など広汎におよび、特に地名については現在の行政区画と容易に連関するよう配慮し、付録として「難読地名一覧」を付した。本篇とともにご利用されたい。 ISBN4-7924-0276-X A5判 上製本 索引のみは本体8000円 全七冊本体83,000円 |
(私論.私見)