2008.07 |
(最新見直し2011.02.26日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、太田龍・氏の時事寸評2008.07月分を確認しておく。れんだいこ文法、作法に基づき編集替えしております。 2011.02.17日 れんだいこ拝 |
【「故鹿島fさんの第一回お墓参りの会」お知らせ】 | |
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【拙著「日本の神々は二度殺された(仮題)上巻」考】 |
2470回、2008(平成20)年07月02日 拙著「日本の神々は二度殺された(仮題)上巻」の第二章は、明治四年、日本政府の修験道(しゅげんどう)の禁止について述べて居る。中山太郎著、「日本巫女史」によれば、明治四年の時点で、日本全国には、修験道の先達と称する頭目だけでも約十七万人の多数に及び、此の他に、小先達とか脇先達とかを加えると、無慮数十万!とある。明治初年、日本の人口を、約三千万人、とすれば、修験道の指導者数十万人は、優に、一パーセントを超える。成年人口を二千万人とすれば、二パーセントか。指導者一人が四十人を日常、指導すると仮定せよ。そうすると合計二千万人が修験道行者の講の中で、日常、生活して居たことに成るであろう。これは、驚くべき高い比率である。修験道禁止のみでない。明治六年、政府は、教部省の名を以て、「巫女禁断令」を発した。「巫女」とは、梓(あずさ)、市子、憑(かみががり)、祈祷、狐下ケ、玉占、口寄せなど、修験道、巫女を合計すると、成年人口の三パーセント割くらいに成るかもしれない。つまり、その頃、日本の支配階級ではない、日本の庶民の圧倒的大多数は修験道、巫女によって、その精神世界を指導されていたことに成るだろう。更にその次に、日本政府は、廃佛毀釈、即ち、佛教を廃絶し、釈迦を破壊するよう、大号令を発した。一体、これは何のことだ。 これこそ、慶應二年十二月二十五日(一九六七年一月)、孝明天皇弑逆に始まる、西洋イルミナティサタニスト世界権力とそのエージェントによる、第一回、日本の神々(神ホトケ)皆殺し!!宗教戦争の宣戦布告、その開始だったのだ。それでは、敗戦後のイルミナティサタニスト世界権力とそのエージェントによる、二度目の日本の神々(神ホトケ)殺しは、どのように行はれたか。それは、次に書かるべき中巻で展開される予定である。下巻は、一九九〇年代後半、本格的に開始され、今、現在、我々の目の前で進行中の三度目の日本の神々神ホトケ殺しを記述する。八月二十二日(金)の日本義塾公開講義では、「日本の神々は二度殺された(仮題)、上巻」をテキストにしてこの核心問題を講義する。(了) 【案内】日本義塾平成二十年八月公開講義のお知らせ ◎参考文献 太田龍著「日本の神々は二度殺された(仮題)」(上巻、学習参考資料コピー版、一冊二千円プラス送料、日本義塾出版部) 日本義塾出版部で取り扱い中。 |
【ジョン・コールマン博士著「新版300人委員会」考】 | |
2471回、2008(平成20)年07月03日
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【「オバマ―ポストモダンクーデター」考】 |
2472回、2008(平成20)年07月04日 |
【W・G・タープレイの「オバマ―ポストモダンクーデター」考】 | |
2473回、2008(平成20)年07月05日
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【「デーヴィッド・アイクの英国下院の補欠選挙立候補」考】 |
2474回、2008(平成20)年07月06日 |
【「『シティーの帝国』を理解するための必読参照古典としての七冊」紹介】 |
2475回、2008(平成20)年07月07日 |
【「デーヴィッド・アイクニューズレター日本語版」紹介】 | |
2476回、2008(平成20)年07月08日
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【「デーヴィッド・アイク」考】 |
2477回、2008(平成20)年07月09日 |
【「ゴア」考】 |
2478回、2008(平成20)年07月10日 |
【「英米VSロシア」考】 |
2479回、2008(平成20)年07月11日 |
【「英国議会」考】 |
2480回、2008(平成20)年07月12日 |
【「アイクの選挙区での公開政治集会での、三時間半の演説ビデオ」考】 |
2481回、2008(平成20)年07月13日 |
【「救世主=聖師出口王仁三郎」考】 | |
2482回、2008(平成20)年07月14日
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【「出口王仁三郎、スサノオ」考】 | |
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【ユースタス・マリンズ著、林伍平訳「民間が所有する中央銀行」紹介】 | |
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【山口富永著「二.二六事件の僞史を撃つ」の「国家改造のプログラムと戦争計画書」考】 |
2485回、2008(平成20)年07月17日 |
【「フリッツ・スプリングマイヤーのヘンリー・メイコウの質問に対する短い解答」考】 |
2486回、2008(平成20)年07月18日 |
【「アイクの英国下院補欠選挙での三時間の選挙演説」考】 | |
2487回、2008(平成20)年07月19日
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【「鹿島昇」考】 |
2488回、2008(平成20)年07月20日 |
【アンドリュー・C・ヒッチコック著「ザ・シナゴーグ・オブ・サタン―ユダヤの世界支配の秘密の歴史」考】 | |
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【「小笠原孝次」考】 | |
2490回、2008(平成20)年07月21日
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【R・D・ウイリングの「マネー」考】 | |
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【W・G・タープレイの「オバマ―ポストモダンクーデター」考】 | |
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【フリッツ・スプリングマイヤーの現状紹介】 | |
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【W・G・タープレイ「ニセの旗の下でのテロリズムの歴史的変化」紹介】 | |
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【ウエブスター・G・タープレイ「9/11の綜合的テロ―メイド・イン・USA」紹介】 | |
2495回、2008(平成20)年07月26日
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【デーヴィット・アイクのニューズレター「アフリカに対する新しい征服......」、「......そして全世界の(征服)」紹介】 |
2496回、2008(平成20)年07月27日 アイク曰く。中共は、何億人単位の中国人をアフリカ大陸に移住させる、計画である、と。この中国人は、イルミナティの手先として、アフリカに送り込まれる。そしてこうした、莫大な数の中国人は、ヨーロッパ白人の植民地主義者には決して出来なかったほどにアフリカ大陸の歴史的伝統と生態学的豊かさを、根底的に壊滅させることが出来る、と。アイクのこの指摘は正しい。イルミナティは中共を使って、アフリカのみならず、全世界の征服を深化させようとしている、と。アイクは、現在の世界の反陰謀論グループ、反陰謀研究者の中に存在する、中共に対する誤まった見方を批判する。 (1)中共は欧米西洋イルミナティ陣営と戦って居る、と評価する見方。 その他各種の誤まった傾向が存在するであろう。 日本人には、有力な反中共的傾向が存在する。しかし、この日本人の中共批判は、イルミナティのコマとして踊らされて居る人々の中共批判であることに、気付かなければならない。中共の支配下で、中国人は、ますます深刻に「マネー」に取りつかれて行く。この「マネー」は、言うまでもなく、R・D・ウイリングの「マネー - 第十二番目の究極の宗教としての宗教」に説明されて居る如く悪魔神としてのマネー、である。(了) |
【マリンズ著、林伍平訳「民間が所有する中央銀行」、クヌース著「シティの帝国」紹介】 |
2497回、2008(平成20)年07月28日 マリンズ著、林伍平訳「民間が所有する中央銀行」(平成七年、初版、面影橋出版)は、この四月以来在庫切れと成って居たところ、面影橋出版の再起第一弾として、七月二十五日、第二刷が上梓された。定価三千二百円+税(百六十円)合計三千三百六十円。本書を入手する方法は、以下の四通り。 (4)前記のいずれの方法も不具合の場合には、日本義塾出版部でも取り扱います。申し込みは、eメール(注文フォーム)、電話、はがき一冊三千円に割引き、送料三百四十円、計三千三百四十円。 本書はFRBの陰謀についての古典的著作ナンバーワンである。平成七年(一九九五年)に、本書の邦訳本が出版されて、十三年と言う長い年月が経過したが、日本の状況は、本書の視点から見て、ますます悪化の一途を辿っている、と判断しなければならない。本書の百五十五頁以下に、ウィリアム・G・カーの古典的著作「ポーンズ・イン・ザ・ゲーム」(これは『ゲームの人質』と翻訳してあるが、これは適切でない。『ポーンズ』はこの場合、『人質』ではない。ここは、『将棋の駒』の意味であろう)から、一七七三年、ロスチャイルドが主宰したフランクフルト会議についての記述が引用されて居る。本書邦訳が出版されたときには、W・G・カーのこの古典は、日本では全く知られていなかったが、その十年後、成甲書房から、ウィリアム・G・カー著、太田龍監訳「闇の世界史」(2005年1月)として邦訳が刊行されて居り、日本人は、その気があれば、日本語で全文を読むことが出来る。 |
【「マネー宗教、究極の宗教として のマネー、モロク神を崇拝するカルト教、経済的スピリット」考】 | |
2498回、2008(平成20)年07月29日
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【「オバマの背後のブレジンスキー戦略」考】 |
2499回、2008(平成20)年07月30日 |
【「大澤真幸(京都大学大学院教授)」考】 |
2500回、2008(平成20)年07月31日 大澤真幸(京都大学大学院教授)と言う学者が、最近の東京新聞に 寄稿した論文の中で、資本主義が危機に陥っても社会主義がそれに取って代わるような状況に ならないのは何故か。それを問題とした。この人の解答は、 資本主義は普遍性があるが、社会主義には、資本主義に匹敵する、またはそれを超える普遍性がない。そのために、資本主義が行き詰まっても、資本主義が社会主義に交代する、 とはならないのだ、と。このひとは、 「京都大学大学院」の「教授」だそうである。しかし、端的に言って、この人は、「白痴」にひとしい。こんな「白痴」の「教授」に教えられる「学生」は、白痴の二乗、三乗に 下落して行くしかない。 「資本主義」はなんとなく生れたのか。そんなことはあり得ない。資本主義の源泉は、R・D・ウイリングが言うところの 「宗教としてのマネー」である。大澤と言ふ、自称「教授」、実は単なる「白痴」。このひとが、「資本主義の普遍性」と称する現象の実体性は、「マネー」 である。しかし、何が「マネー」に普遍性を与えて居るのだろうか。それは、ウイリングの言うところの「究極の宗教としてのマネー」、 マネーの宗教性、である。マネーは「究極の宗教」であるとウイリングは言う。キリスト教も、イスラムもその他いかなる大中小の宗教イデオロギー、 宗教教団組織なども、すべて、限定的である。それらは普遍性は持たない。しかし、究極の宗教としてのマネーは、 普遍的である、とウイリングは言う。 |
(私論.私見)