2008.03

 (最新見直し2011.02.17日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、太田龍・氏の時事寸評2008.3月分を確認しておく。れんだいこ文法、作法に基づき編集替えしております。

 2011.02.17日 れんだいこ拝


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 2346回、2008(平成20)年3月01日

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 2347回、2008(平成20)年3月02日

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 2348回、2008(平成20)年3月03日

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 2349回、2008(平成20)年3月04日

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 2350回、2008(平成20)年3月05日

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 2351回、2008(平成20)年3月06日

【梶山静六暗殺事件】
  2352回、2008(平成20)年3月7日

 世界史的意味を有する古典、としての本書(引用注:『民間が所有する中央銀行』)は平成七年に出版されたが、目下のところ日本の市場で流通していない。しかし、日本義塾出版部で取り扱い中である。そんな多くはないが、版元に若干の在庫は存在する。本書は、もちろん、マリンズの人、その全著作と共に、筆者(太田)が発見した。平成七年(一九九五年)に本書が出版されたとき、出版者の森洋氏は、かなりの部数を日本の政界その他に贈呈した。贈呈された人々の中の一人、当時の自民党の有力政治家、梶山静六。このひとは、本書をきわめて真剣に読み、共鳴し、感動した。そして、三百部を買い取り、関係者に、配布した。と、筆者(太田)は、森洋氏から聞いて居る。

 そして梶山静六氏は米国の背後の勢力(ユダヤ、イルミナティ)が、金融ビックバン!!のペテン的美名の下に、日本の金融資産の略奪の陰謀を企図していることを見破り、敢えて自民党総裁選挙に立候補し、日本の首相と成ることによって米国の金融の勢力の日本壊滅作戦と戦うことを使命とされた。しかし、森洋氏によれば、梶山静六氏はこのあと間もなく自動車事故を装った政治的暗殺の標的とされ、殺害された、と。
 「太田龍氏のサイトから:梶山静六暗殺説」 参照

 梶山元官房長官 車で追突される 帰省先の常陸太田で
 [ 2000年02月02日 東京朝刊 社会面 ]

 元官房長官の梶山静六氏(七三)が三十日、帰省先の茨城県常陸太田市内で交通事故に遭っていたことが、一日分かった。太田署では当時、けがはないとして物損事故として処理。梶山氏は念のため病院で検査を受けたという。同署によると、三十日午後五時二十分ごろ、常陸太田市の国道349号で信号待ちをしていた梶山氏の車に、後ろから同県日立市内の男性会社員(三〇)の乗用車が衝突した。梶山氏は後部座席に乗っており、東京都内に戻る途中だった。

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 硬膜下血腫で梶山氏が手術
 [ 2000年02月22日 大阪夕刊 総合・内政面 ]

 自民党の梶山静六元官房長官が十九日に硬膜下血腫のため東京都内の病院で手術を受け、入院していることが二十二日、明らかになった。梶山氏は一月末に地元の茨城県内で追突事故にあって療養していたが、この事故の後遺症とみられる。事務所によると、術後の経過は順調だが、リハビリを含めて数カ月の入院が必要という。

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 【訃報】梶山元官房長官死去 74歳 竹下派旗揚げの「七奉行」
 [ 2000年06月07日 東京朝刊 1面 ]

 自民党の梶山静六(かじやま・せいろく)元官房長官が六日、午後三時四十五分、閉塞(へいそく)性黄疸(おうだん)のため、入院先の都内の病院で死去した。七十四歳だった。通夜は八日午後六時から、密葬は九日午前十一時から、茨城県常陸太田市山下町一一八七ノ三の自宅で行われる。いずれも近親者のみで執り行う。喪主は長男の弘志(ひろし)氏。

 梶山氏は一月末に地元の茨城県内で交通事故にあって療養していたが、二月に硬膜下血腫(けっしゅ)を除去する手術のため入院、リハビリ・療養を続けていた。

 梶山氏は、陸軍航空士官学校在学中に終戦を迎え、昭和二十四年に日大工学部土木工学科卒業。三十年に茨城県議会議員に初当選し、四十二年に四十歳で県議会議長に就任した。四十四年十二月の衆院選で初当選、昭和五十一年の総選挙で落選したものの五十四年に返り咲き、当選九回だった。

 ただ、今年四月二十五日に「次の任期は気力、体力においてその重責に耐えられない」として今期限りで政界引退する意向を家族を通じ明らかにしていた。平成十一年に勲一等旭日大綬章を受章した。

 梶山氏は、昭和四十九年に内閣官房副長官、その後、建設、通産政務次官を経て、六十二年に第一次竹下内閣で自治相として初入閣、平成元年に宇野内閣で通産相、二年に海部内閣で法相に就任した。

 八年の第一次橋本内閣では官房長官を務め、沖縄米軍基地移転問題、ペルーの日本大使公邸占拠事件などの対応にあたった。第二次橋本内閣でも官房長官を務めた。一方、党務でも要職を歴任し、宮沢政権では幹事長を務めた。

 自民党田中派(当時)時代から将来を嘱望され、竹下登元首相が独立する形で竹下派(同)を旗揚げした際にも中心メンバーとして動き「竹下派七奉行」の一人と呼ばれるなど政局の節目で影響力を発揮してきた。橋本龍太郎元首相が参院選敗北の責任をとって退陣した平成十年、自民党総裁選に旧小渕派を脱会して出馬、故小渕恵三前首相に敗れた。

 その後も「わが日本経済再生のシナリオ」を発表するなど日本経済の立て直しなどで積極的な政策提言を続けてきた。(3、社会面に関連記事)

 「産経新聞」から(貼り付け終わり)

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 2353回、2008(平成20)年3月08日

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 2354回、2008(平成20)年3月09日

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 2355回、2008(平成20)年3月10日

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 2360回、2008(平成20)年3月15日

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 2361回、2008(平成20)年3月16日

 日本を占領し続け、日本人を一人残らず皆殺しにする陰謀(コンスピラシー)を実行中のイルミナティサタニスト世界権力は、○日本人に、「陰謀暴露論の虫」が付くことを、極度に警戒して居る。これは彼等の立場としては当然だ。何故なら、日本人の中に、イルミナティサタニスト世界権力の陰謀(コンスピラシー)の存在 に気付く人がねずみ算式に増えて行くようなことがあれば、彼らの日本支配は間もなく終わりと成るであろうことは自明であるからだ。

 西洋の反陰謀論者、陰謀暴露派。この陣営は、日本人には、そして日本の基準では想像も出来ないほど強大である。しかし、その中で今現在、デーヴィット・アイクがその最先端を疾走しつつあることは明確である。アイクは「ロボットの反乱」(一九九四年)の中で、イルミナティに反抗するありとあらゆる種類のラジカル、急進派、過激派、異端派、不平不満派、反抗派、・・・・・・・こうした人々がイルミナティに操作されたロボット・ラジカルに過ぎないことを証明した。このようなロボット・ラジカルが、自分はイルミナティの走狗であることに気付くこと。そしてイルミナティのヒモを立ち切ること。このように、一歩を踏み出すとき、このひと、またこのひとびとは、イルミナティの陰謀(コンスピラシー)の存在を発見する。

 我々は今、二度のアイク日本講演実現を契機として、新しいウェブサイト、「デーヴィット・アイク・イン・ジャパン(デーヴィット・アイク日本版)」を開始した。我々に力が付けば、週一回のペースでのアイクのニューズレターの日本語版掲載を、更に可能であれば増強したい。有志の物心両面に亘る協力を求める。


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 2362回、2008(平成20)年3月17日

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 2363回、2008(平成20)年3月18日

 
デーヴィッド・アイクの二〇〇八年三月九日付けニューズレター。これは、PREPARE TO DOWNLOAD …… YOUR SEXUALITYと題されて居る。「ダウンロード」は、コンピューター用語であろう。アイクがここで俎上に乗せて居る問題を理解するための初歩的な参考文献としては、 Cruel Hoax: Feminism and the New World Order By Henry Makow(ヘンリー・メイコウ著『残酷なペテン――フェミニズムと新世界秩序』)この本を挙げて置く。アイクニューズレターの表題の意味は、これは、イルミナティの陰謀によって、 人間のみならず地球上のすべての動物種に於て、メスとオス、男と女の性別が人工的に変えられつつある。そこで、間に合うように各人は、それぞれ自分の性別(男、又は女)をダウンロードしておく必要がある、と。イルミナティが人間の性別に介入し、それを混乱させようとして居る。なんのためにイルミナティは、それを実行するのか。それは、イルミナティの大規模な人類大量殺処分計画の一環であると。イルミナティが確かに化学物質によって、全地球を汚染させて人類の生殖能力に本質的攻撃を加えたならば、一世代ないし、二世代のうちに、地球人口は激減するであろう。つまり、ひそかなイルミナティの陰謀によって、人々に気付かれることなしに、2050年頃までに、地球人口の八割を殺処分する作戦が実現すると言う。アイクは、このニューズレター(二〇〇八年三月九日号)によって、イルミナティのこの秘密のアジェンダの大半が既に実行に移されて居ることを、全地球人類に警告する。(了)


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 2364回、2008(平成20)年3月19日

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 2365回、2008(平成20)年3月20日

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 2366回、2008(平成20)年3月21日

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 2367回、2008(平成20)年3月22日

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 2368回、2008(平成20)年3月23日

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 2369回、2008(平成20)年3月24日

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 2370回、2008(平成20)年3月25日

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 2371回、2008(平成20)年3月26日

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 2372回、2008(平成20)年3月27日

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 2373回、2008(平成20)年3月28日

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 2374回、2008(平成20)年3月29日

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 2375回、2008(平成20)年3月30日

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 2376回、2008(平成20)年3月31日





(私論.私見)