れんだいこの「日ユ同祖論の謎の淵源を探る」批判 |
更新日/2023(平成31.5.1栄和/令和5).3.15日
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、「日ユ同祖論の謎の淵源を探る」につき批判的に検証考察する。 2014.12.08日 れんだいこ拝 |
【れんだいこの「日ユ同祖論の謎の淵源を探る」批判】 |
「日ユ同祖論」の謎の淵源を探る |
「日ユ同祖論」を霊学的に考察する ─~果たして「ユダヤ」は日本の味方なのか? 敵なのか?~ <対談>1989年12月 大宮司朗氏(神道霊学・霊術界の巨匠)×武田崇元氏 聞き手(山真正氏) |
友清歓真(ともきよ よしさね) 1888年山口県生まれ。11歳のころに神隠しに遭う。その後、独自の秘教的霊学を確立し、宗教結社「神道天行居」を創設。 |
酒井勝軍(さかい かつとき) 1874年山形県生まれ。日本ピラミッド論の開祖。1936年に「神秘之日本社」を設立し、機関紙『神秘之日本』を発行。日ユ同祖論を高唱した。 |
出口王仁三郎(でぐち おにさぶろう) 1871年京都府生まれ。大本教の教祖。人種・民族・宗教等あらゆる有形無形の障壁を越えて、人類の大和合を唱導するため「人類愛善会」を創立。大本教は国家神道体制下で、再度にわたる大弾圧を被る。1948年に78歳で死去。 |
安江仙弘(やすえのりひろ) 陸軍最大の「ユダヤ問題専門家」。1938年、大連特務機関長に就任すると、大陸におけるユダヤ人の権益擁護に務め、ユダヤ人たちから絶大な信頼と感謝を受けた。(右)は安江弘夫著『大連特務機関と幻のユダヤ国家』(八幡書店) |
かの有名な宗教家・出口王仁三郎によると、ユダヤ人の3分の1はよいが、3分の2は悪いという。また、ユダヤの12の支族のうち11支族は外国にあり、日本には一番よい流れが入ってきたものの、その後、変質したので本当のものは少ないという。 ※ 神道に詳しい方から提供された資料です。興味深いことが書いてあるので参考までに載せておきます。(あくまでも“参考”程度にご覧になってください) |
■友清歓真、酒井勝軍とユダヤ問題
日本人とユダヤ人は同じ祖先であるという、いわゆる日本=ユダヤ同祖論とかモーセやキリストの日本渡来説、さらにフリーメーソンによる世界制覇の陰謀論など、このところユダヤ関係の話題が陰に陽に取り沙汰されておりますが、その実態は一体どうなのか、大宮司朗先生と武田崇元氏に霊学的な見地や歴史的な経緯を踏まえて、こもごも語って頂きたいと思います。 |
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■エルサレムは至聖所で地の高天原 | ||||||||||||||||
ところで、神道霊学の巨匠、出口王仁三郎(でぐちおにさぶろう)もまた『霊界物語』や『神霊界』でユダヤ問題について言及しておりますね。 | ||||||||||||||||
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【「ユダヤ女性埴輪」と「宮崎県小林陰陽石の屏風岩のユダヤ女性像」の同尺度考】 | |||
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【「ユダヤ人埴輪」考】 |
田中英道「ユダヤ人埴輪があった! 日本史を変える30の新発見」( 扶桑社電子書籍、2019/12/1)。 |
千葉県山武郡横芝光町の姫塚古墳から、ユダヤ人と思われる埴輪が発見されていた。芝山古墳群(殿塚・姫塚)出土埴輪。昭和46年3月26日千葉県県指定有形文化財指定。郵便番号 289-1619 千葉県山武郡芝山町芝山438-1 所有者は観音教寺(山武郡芝山町芝山298、町立芝山古墳・はにわ博物館寄託)。 昭和31年、芝山古墳群(殿塚・姫塚)の発掘調査により、多量の人物や動物などの形象埴輪が列をなして出土した。通常、殿塚・姫塚出土埴輪として一括して扱われるが、このうち一般に広く知られているのは姫塚古墳出土の埴輪群である。この発掘調査は、観音教寺が主導して、調査は早稲田大学考古学研究室によって行われ、地元住民がさまざまな面から協力し、地域ぐるみの発掘となった。 姫塚古墳で出土した埴輪は、樹立された当時の原位置で出土し、葬送儀礼の様子を示すものではないかとして注目された。姫塚古墳出土埴輪の中でも有名なのは、「豊かな髭の男」2体。あごヒゲを蓄えて帽子(又は天冠)をかぶる男性の全身像埴輪である。あごヒゲを蓄える人物埴輪は主に茨城県と千葉県に分布していることが知られているが、千葉県内での分布は茨城県に比べて少なく、山武地域と千葉市内でわずかに出土例が知られている。この他に、 「丈の高い男(武人)」、「老人の首」、「腰に鎌を下げている男(馬子)」、「二重の首飾りをする女」の人物埴輪、「飾り馬」の馬形埴輪の計7点が千葉県指定有形文化財となっている。島田髷を結う女子人物埴輪、馬形埴輪、家形埴輪などが主要な埴輪である。また、馬形埴輪に横乗り用の板鐙(いたあぶみ)がつくものがあったり、大刀を斜めに背負う男子人物埴輪があったりと、他の古墳出土の埴輪には見られない特殊な埴輪も出土した。 殿塚古墳出土埴輪としては矢を入れて背負う武具「靱」(ゆき=矢を入れる容器)の器材埴輪、貴人の顔を隠す「翳」(さしば=貴人の外出時、従者が差し出すうちわ形の道具)の計2点が千葉県指定有形文化財となっている。他にも千葉県ではあまり見られない器財形埴輪も出土している。 なお、両古墳からは、埴輪以外にも横穴式石室内を中心として、大刀などの武器、鞍金具などの馬具、須恵器などが多数出土している。 |
「ウィキペディア(Wikipedia)芝山古墳群」。 芝山古墳群(しばやまこふんぐん)は、千葉県山武郡横芝光町中台にある古墳群(中台古墳群)。千葉県山武郡横芝光町中台1462,1440。(北緯35度40分51秒 東経140度25分11秒)名称は芝山古墳群であるが芝山町ではなく横芝光町にある国の史跡。築造時期は6世紀後半。1958年(昭和33年)国指定。 |
概要
九十九里平野中央を流れる木戸川東岸の台地上にある古墳群で、殿塚および姫塚の2基の前方後円墳を中心として13基の円墳が群在している。1956年(昭和31年)に早稲田大学による殿塚および姫塚の発掘調査が行われ、全国的にも珍しい「葬列はにわ」がほぼ完全な形で出土し、それまで不明であった形象埴輪の配列の意味を知ることのできる最初の発見であった。 |
殿塚は前方部を西に向けた全長88メートル、前方部幅58メートル、高さ約10メートル、後円部径58メートル、高さ約10.4メートルの二段築成の前方後円墳で、堀と外堤の二重の長方形の周溝に囲まれている。墳丘には埴輪が樹立されており、後円部上段には円筒埴輪が一周し中段あるいは下段にあったと思われる埴輪が堀に落下していた。北側周堀前方部寄りから馬・犬・牛・牝鹿・猪の動物埴輪が鴨・水鳥等の鳥類埴輪とともに出土し、くびれ部寄りからは、靫・鎧・家等の器財埴輪が、後円部寄りからは多数の男・女人物埴輪が出土した。また北側中堤から朝顔形埴輪を含む円筒埴輪列が出土し、人物埴輪2体も検出された。主体部は後円部南側に開口する横穴式石室で、現存長3.4メートル、玄室は長さ2.74メートル、幅2.5メートルを測る両袖型玄門付構造、砂岩切石互目積み、切組積みで築かれている。内部は朱が塗られ、勾玉等の玉類・金環・頭椎大刀・金銅鈴・鉄鏃・鉄製刀子・銅鋺等があった。 |
姫塚は、殿塚の北に30メートルほど離れ平行して隣接する全長58.5メートルの前方後円墳で、殿塚より一まわり小さく堀は一重で盾形、後円部径35メートル高さ4.4メートルに対し、前方部幅35メートル高さ5メートルで前方部の方が高い。前方部南側のくびれ部寄りに南に開口する全長5.72メートル、玄室幅1.65メートル、高さ1.8メートルの、砂岩板石張りの複式構造の横穴式石室があり、勾玉等の玉類・金環・金銅装大刀・鉄製刀身・鉄鏃・金銅製飾金具(金銅製雲珠・杏葉などの馬具類)等が出土した。姫塚で注目されるのは墳丘中段をめぐる埴輪列である。横穴式石室が開口する墳丘南側には朝顔形埴輪と円筒埴輪が並列され、墳丘北側では前方部の隅角から後円部背後まで50メートルにわたって、人物や馬の形象埴輪が行列のまま倒れているのが発見された。埴輪列の保存度は極めて良好で、第1群は笠をかぶった馬子、鞍を着けた馬4頭、武人5体、第2群は男子像16体、器財埴輪1個、第3群は女子像7体、第4群は男子像10体となっていた。この中にはあごひげを伸ばした武人、くわを持った農夫、やや離れてひざまずく男子と琴を膝に置く人物などもあった。埴輪列がほとんど原位置を保ったまま完存していた稀有な例であり学術上の価値が高く、また6世紀後半の埴輪表現最盛期の例としても貴重なものである。両塚周辺の円墳はいずれも基底径20メートル前後を有するもので保存状態も良い。 |
造営時期
従来、殿塚・姫塚古墳の造営時期は6世紀後半から7世紀初頭とされ、両古墳のうちでは殿塚古墳が先行するとされていた。しかし、町境を越えた芝山町に隣接する小池大塚古墳が埴輪を持たないことから殿塚・姫塚古墳に続いて造営された同一勢力の終末期の前方後円墳であるとされ、南西の山武市の境川流域の胡麻手台16号墳はそれより新しい最終段階の前方後円墳であることが判り、さらに南西の作田川東岸にある前方後円墳終焉後の大型方墳と考えられる駄ノ塚古墳については、発掘調査の結果610年(推古天皇18年)から620年(同28年)の間に造営された可能性が高いことが判明した。このため、殿塚・姫塚両古墳の造営時期の見直しも必要となり、現在のところ6世紀後半の造営とするのが妥当とされている。 |
文化財 古墳群そのものは、1958年(昭和33年)6月28日に国の史跡に指定された。芝山古墳群(殿塚・姫塚)出土埴輪(9点)は、1971年(昭和46年)3月26日に千葉県の有形文化財(考古資料)に指定され、芝山町の観音教寺が所有し同寺内の芝山はにわ博物館に展示されている。 |
周辺
木戸川の上流にあたる北側の芝山町には山田・宝馬古墳群、下流の南側の山武市には千葉県指定史跡の山室姫塚古墳や大堤権現塚古墳、あるいは蕪木古墳群など多数の古墳がある。また南東側には、中台貝塚、鴻ノ巣貝塚、牛熊貝塚、山武姥山貝塚などの貝塚があり、縄文時代の丸木舟が多数発見されていることで知られた水系である栗山川と、そのラグーンであったと推定される坂田池がある。さらに、栗山川東岸の下海上国造の領域には小川台古墳群などもある。 |
田中英道 |
昭和十七年、東京生まれ。 東京大学文学部仏文科、美術史学科卒。 ストラスブール大学に留学しドクトラ(博士号)取得。文学博士。東北大学名誉教授。 現在、東北大学大学院教授。故・江藤淳氏らとともに、文学評論を手がけたのち、美術史研究を開始。日本におけるヨーロッパ美術史研究の第一人者として、世界各地の学会で活躍。ラ・トゥールやダ・ヴィンチの研究で世界的な評価を得る。システィナ礼拝堂の調査や、ダ・ヴィンチの「スフォルツァ騎馬像」復元などでも中心的役割を果たす。 近年では、西洋研究で培った鑑賞眼と学識を武器に、日本美術史研究にも着手。斬新で刺激的な論考を次々に発表し、美術史界に衝撃を与える。その著書は、海外でも続々と翻訳され、高い評価を得ている。また、西洋と東洋双方を視座におく文明批評にも定評がある。 二〇〇一年より、『新しい歴史教科書をつくる会』会長としても活躍中。日本独自の文化・歴史の重要性を提唱し、日本国史学会の代表を務める。おもな著書に、『ル・ネッサンス像の転換』『イタリア美術史』『光は東方より』『日本美術全史』『天平のミケランジェロ』『運慶とバロックの巨匠たち』『写楽は北斎である』『歴史のかたち日本の美』『法隆寺とパルテノン』『まとめて反論』ほか、多数。 |
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これにより「日ユ同祖論」の裏づけとしたいようだが、その前に「ユダヤ人埴輪」の発掘又は発見経緯、その埴輪の制作年代判定をしなければならない。れんだいこが何を云おうとしているのかと云うと、偽造の可能性ありなしやを見極めたいということである。れんだいこの聞知する限り「ユダヤ人埴輪」など知らない。少なくとも子供の頃には聞いた事がない。その当時に於いて「ユダヤ人埴輪」が発掘発見されていたならなぜ大騒ぎされなかったのだろうか、その頃の日ユ同祖論者がなぜこの一致性を取り上げなかったのだろうか、相当に説得力があると思われるのにという問いが残る。 |
(私論.私見)